Q0380
集中してしまわない社会、暮らしというのは、教育の側からはどのようなアプローチがありますか?
A0380
1つは、「手作り」をするというのが大事だと思います。まあ、ある範囲ね。今僕、「アドラー・ニュース」というメルマガを出しています。あのやり方は良くない。なんでかと言うと、メルマガを作るには1人の人間がかかりっきりでやらないとしょうがない。分業ではなかなかできない。何十ページもあるホームページなら分業でできる。それでも統一方針が欲しいから、結局、1人の人がやるわけ。その人はホームページに関するある技術を持っている人。残りの人は全然それに関わらない。昔は、あれを印刷してまして、印刷だとみんなで分業してやります。最初の原稿は誰か1人が書くかもしれないけど、「これ印刷してね」と言って、ガッチャンコガッチャンコと印刷して、紙折機で紙折りして、あれすぐ故障したけど、それで封筒貼りをして、机の上に積んで、2千通も3千通も出すから、何日もかかって、いろいろしゃべりながら、送るわけです。それって、昔の農作業で、稲を刈って脱穀していく作業と一緒です。豆を採ってきて皮を剥くのと一緒です。その中に農民の暮らしが生きていた。今、コンピュータ化したおかげで、農民さんの暮らしは死にました。コンピューターを使うこと自体は、もうやめられなくなったけど、コンピューターへの依存度は減らすべきだと思います。この間、某国のスパイが、国会議員さんのメールを管理しているサイトへ侵入して、国会議員さんのメールをみんな見られたみたい。どんなメールのやりとりをしているかは知らないけど、かなり機密情報も入っている気がします。あるいは、三菱重工業へ侵入して、ここは戦車や戦闘機を作っている軍事産業ですが、そこの情報も盗られたみたい。アメリカ国防省も入られているみたいで、どんなコンピューターでも簡単に侵入できる。そんなところに国の重要な機密を置いておくこと自体がそもそも間違っている。コンピューターの上に乗っかった文明は、基礎が無茶苦茶もろいと思う。武器も何もいらない。数人のハッカーがいたら、相手の情報を簡単に攪乱できます。今この国のコンピューターが全部止まったらどうなるか?あっという間に国は麻痺します。何もかもそれで動いているもの。水道だってガスだって来なくなるし、電気も来なくなる。新幹線も動かなくなる。町中の信号機はコンピューター制御しているから動かなくなる。それってバカげていると思いませんか。国中のコンピューターを破壊するのはたぶんそんなに難しくない。ある種のウイルスを入れて、「壊れなさい」と言ったら壊れますから。それに対するプロテクトは理論的に不可能だと思う。
手動で動くって、すごく大事なことで、手動で動かせる部分は手動で動かす、本当に必要なところだけコンピューターを使う文明がいる。
原子力発電にしても、今、原子力発電なしで暮らすのはナンセンスだと思う。必要だけど、最小限にする工夫をしないといけない。どうやって最小限にするか。このものすごい消費量をそのままにおいたまま議論するからややこしい。電気を消せばいい。コンビニをあんなに明るくしなくていいと思う。パチンコ屋さんもあんなに明るくしなくていいと思う。僕らの子どものころは暗かったけど、みんな「こんなもんや」と思って暮らしていた。「暗くなったら心が鬱になる」と言うけど、ならないよ。しばらくしたら慣れますから。
機械化とかコンピューター化とかに、過度に頼らないことが大事。学校でコンピューターの教育をするのはナンセンスだと思っている。今、ワードやエクセルを教えているけど、子どもたちが卒業したら、たぶんないですよ。昔、コンピューターが始まったころ、学校で「ベーシック言語」というのを教えた。このごろ誰も使わない。学校で習ったことが将来役に立たないことの見本だと思う。私なんか、学校で1回もコンピューターについて習ったことはない。卒業するまで。卒業した途端に、「今度研究室にコンピューターが入った。何とかせい」と教授に言われて、「あいよ」と言ってやったら動きました。試行錯誤で動かしたら動きました。実はいけるんです。いける人はいける。いけない人は、どんなにたくさん習っても、いけない。ハローワークで、ワードやエクセルを教えている。あんなんでいい。大人になって、必要になった人が習いに行けばいいんで、学校教育の中に入れなくていい。学校教育では、手作りで生きていく方法を教えたほうがいい。何であれ。遊び半分でいろんなものを作ります。ローソク作りするとか。機織りするとか。あれってほんとは大事だと思う。被災地・仙台市だったかでイルミネーション作るのに、電気を使わないで、廃油を、天ぷら油に使ったのとかを集めてきれいにして、それでディーゼルエンジンを回して発電して、イルミネーションをしようと言っていた。これはすごく面白い。子どもたちに、廃物をどうやって利用するかとかを学んでもらうのは大事だと思うし、今の文明を絶対視し礼賛してはいけないと思う。廃棄物、ペットボトルなんか具合悪いと教えるんだけど、ペットボトルなしにどうやって暮らすかのアイディアはもうなくなっている。僕らの子どものころは、お豆腐を買いに行くにはボウルや鍋を持って行った。お醤油やお酒も、瓶を持って買いに行った。そういう暮らしができるということ自身がもう伝わってない。だから、ペットボトルをなくした途端に、どうしていいか困ってしまう。
学校で教えないといけないのは、生活のために何が必要なのかという「ミニマム・リクワイエメント」。「これは知ってたほうがいいよ」ってこと。全部、現代文明・機械文明を前提にして、「そこについていけ、後れるな」教育をしているけど、それは違うでしょ。現代文明は必ず滅びるでしょう。こんなの長持ちしないことは、みんな知ってるもの。やがてパニックになる時代がくるでしょう。そのパニックの時代に生き残れるかどうかは、食糧生産できているかとか、廃物をどう利用できるかとか、機械に頼らないで人間にどこまでできるかにかかっている。そんなのを教育の中で教えてほしい。(回答・野田俊作先生)
19,孟氏、陽膚(ようふ)をして士師(しし)たらしむ。曾子に問う。曾子曰わく、上(かみ)その道を失いて、民散ずること久し。如(も)しその情を得れば、則ち哀矜(あいきょう)して喜ぶこと勿(な)かれ。
孟孫氏が、陽膚を司法長官に任命した。陽膚がこの役目についての心得を先生の曾子にたずねた。曾氏は言った。「為政者たちが政治の道徳を見失ったため、人民の心理も中心を失ってしまってからずいぶんになる(人民たちがなかなか本音を吐かず、取り調べに困難を感じるのは、為政者がその道を失ったことに原因がある。あるいは犯罪の発生も為政者の責任でないとは言えない)。もし取り調べの結果、真実がわかったならば、まず同情しないといけない。うまく事実がつかめたからといって、ゆめゆめ得意になってはいけない。
※浩→家老の孟孫子が曾氏の弟子・陽膚を「士師」つまり司法長官に任命しました。陽膚が曾子に心得をたずねたのに対して、曾子は、「徳治主義」の原則をわかりやすく説いています。
私は映画が好きで、テレビのCSを愛用しています。定年退職したころ「衛星劇場」をオプションで契約していました。そのころは、往年の名画が毎月放映されて、大満足でした。ディスクにもたくさん録画もしました。ところが、その後次第に私が好む名作映画がすくなくなって、ほとんどドラマが放映されるようになりました。特に韓国ものが氾濫状態です。自分が年を取ったせいでしょうか、最近の映画にはあまり満足しません。往年の名監督・野村芳太郎さんの作品で推理ものは特に大好きでした。「ゼロの焦点」「張り込み」などは何度も繰り返して観ています。洋画は「ザ・シネマ」という局を観ることができます。このチャンネルは「ドラマ化」していなくて、全部映画です。ときどき往年の名画が放映されます。他の楽しみは、「相棒」「タクシードライバーの推理日記」「京都地検の女」などです。かつて地上波で放送されたモノがBS&CSで再放送されます。これらの作品を観るにつけ、犯罪を犯した人への“同情”ではないですが“共感”することがよくあります。「相棒」の杉下右京警部は常に、犯人ののっぴきならない事情に共感しつつも、「法を犯すこと」を絶対に許容しない厳しさを貫いています。そもそも、殺される人は、欲を出しすぎたか、知ってはならない秘密を知った場合が多いです。タクシードライバーの推理日記の夜明けさんの場合は、最初に載せた女性客が必ず犯人であるという、ワンパターンであるとわかっていて、それでも何度も観ます。このパターン化したものを飽きないで何度も観ることができるのは、歌舞伎や古典落語と同じ魅力を持っているからなのかもしれません。最近の凶悪犯の言う「誰でもいいから殺したかった」なんていうのは、絶対にいただけません!これでは野生動物以下です。
Q0379
子どもの職業選択に関して、親はモデルとしてどのようにしたらいいでしょうか?私(母親)は水田を少しやっています。このごろは産業化で機械ばっかりで、手作業はほとんどありませんし、父親はサラリーマンです。
A0379
自分自身も先祖もお百姓さんでなかったから、よくわからないけど、僕は村医者をしようと思った。できたらこの世にいる間に村医者ができるといいと。田舎でワークショップをしますね。だいたい山奥の田舎の村では、Iターンと言って、都会の人に「住みついてくれ」と言っている。「医者は住んでもいいか?」と言ったら、だいたい歓迎してくれるはずです。あいうところでやる医者は「低度医療」です。「高度医療」じゃなくて。低度医療というのは、スクーターに乗って、ポテポテポテと往診に行く。「おじいちゃん、今晩は」「ああ、先生いらっしゃい」「血圧高いね」と言いながらお茶を出してもらって、ごそごそ話をします。嫁の悪口の1つも聞き、「もうすぐ干し柿できる。できたらあげるから、そのころまた来てね」「来るわ」と言って帰る。こういう医療が僕はすごく好きなんです。病院でカッコ良い機械に取り囲まれて、患者さんに来てもらってしゃべるより、医者が患者さんの家へ行って、患者さんの生活の中へ入り込んでする医療が、医療の原点だと思うし、そうでないといけないと思う。残念ながら、今の医学部はそういう教育をしてない。今の医学部は、基本的に、“病院にいるお医者さん”を育てている。検査機械がいっぱい入ってないと動けない医者を育てている。僕のころはまだそうじゃなかった。僕のころの教授さんたちは軍医さんだった。みんな軍医経験者で、中国かどこかの前線にいて、聴診器を1個持って、兵隊さんと一緒に中国の大草原を歩きまわっていた人たちで、怪我をしても何にもない。そんな中で治療をしてきた人たちだから、僕らにもそういうこともあるかもしれない。君たちの一生に何が起こるかわからない。聴診器とか打診・触診とかをバカにするけど、「これしかない場所もあるんだから、ちゃんと覚えときなさい」って、厳しく教えてもらいました。だから、僕は触診の名人です、自分で言うのも何ですが。このごろお腹を触るお医者さんは少ない。カッコだけ触っているけど、わかってない。今も、週に半日だけお医者さんをしていますが、ほとんどの患者さんにお腹を触らせてもらいます。漢方薬を合わせるために。触りながら「ここ何か感じます」と言ったら「どうしてわかるんですか?」と言われる。そーっと触ったらわかるんです。そーっと触ると、何かあったらわかるんです。そういうのを先生たちから習った。今の教授たちにはそんな技術はない。低度医療ができるお医者さんはいない。でも、医学部にそういうイメージができれば、低度医療の教育を、当然します。田舎の村医者として働ける医者の養成だってやる。工学部だって、村の鍛冶屋さんはいります。ちょっとした修理ができる人って、近所で、電器だって、機械だって、何でも修理できるお商売のできる人って、絶対に必要なんです、農村で。今みたいに大企業があって動くわけじゃない。僕が最初に乗った自動車は、故障したら自分で修理できた。ヤバいなと思ったら、前を開けて、「あ、これやな」言って、プラグを磨いたら動いたりして、あれはほんとはあの時代にはもうしてはいけなかった、排気ガス規制で。でも、理系の人たちは機械に触るのが好きですから、自分で勝手に自動車のチューンアップしていた。ある時点でできなくなった。プロもできなくなった。あるとき、ドイツ製のアウディに乗っていたことがあって、何かトラブルが起こって、「あそこにガソリンスタンドがある」と、ガソリンスタンドへビューッと入って、「ちょっと見て」と言ったら、若いお兄ちゃんが出てきて、前を明けて、「どないなってるねん。あーうまいことできてるねえ。これ凄いわ。うちではできません。“ヤナセ”呼んでください」。確かにそうなんです。コンピューターで燃料噴射することになっていて、凄い精密機械、測定器がないと、修理できない。町のガソリンスタンドで修理できない機械になった。日本の車もそのあとすぐそうなりました。若いころ、僕はラジオ修理屋さんをいていた。テレビやラジオがうまく動かなくなったら、修理に行きます。同級生の家とかに。テレビを分解して、裏の抵抗器かなんか1つ付け替えると動く。原価30円くらいを3000円くらいもらって、だいぶ稼いでいた。でも、電気屋さんへ出したらもっと取られた。今のテレビは全然修理できない。完全に一体化プリント基板で。この機械の作り方をやめないといけない。町の鍛冶屋さんが自分で修理できる機械を作る。そうするとそこにイメージができてくる。工学部で何を教えればいいか。そうやって、ほんとに手作りの世界をもう1回作るんだということを、日本人がだんだん決心していったら、そんな中で、自分にできることが決まっていく。全員がお百姓をするわけじゃない。昔から全員がお百姓さんだったわけではない。お百姓さんも大事だけど、お百姓さんを支えるいろんな人たちが必要。そういうイメージで話し合っていってください。なるべく、手作り化した動きができるほうが賢いと思う。そうしたら、いろんなところで暮らせるでしょう。うちの父親は往診するお医者さんで、ずっと医療の原点で暮らしていましたが、僕は残念ながらあまり医療の原点にいられなくて、良かったのは、震災のとき、ボランティアで西宮市の避難所へ行っていたこと。あのときはほんとに医療の原点で、看護師さんと2人で自転車の乗ってコキコキと避難所を回って、おじいちゃん・おばあちゃんの長い長い話を聞いて、みんな暇ですから、ああやって暮らしていた。あれはいい仕事だと思った。「医者とは何か」という迷いが完全に取れた。医者というのは、要するに患者さんに手当をする。手を当てるもんだと。患者さんに触れない医者はダメ。患者さんのほうを向いて、患者さんの話を聞いて、患者さんの体を触って、話をする間に、だんだん治ってくる。漢方医学はずっと前からやっていたけど、今はチベット医学の勉強をしている。なんでチベット医学かというと、話が怪しい。病気の原因は4つある。1つは「不養生」。ちゃんとご飯を食べないとか、日常生活のリズムが乱れているとか。2番目は微生物、バイ菌とか。「虫」と言う。3番目は「呪い」。誰かがあなたのことを呪っている。魔術。4番目は「過去生の祟り」。医者はどれか見分けないといけない。食習慣の乱れ、生活習慣の乱れなら、生活指導をする。微生物ならお薬を使って生活指導する。呪いはおまじない、ご祈祷をする。だいたい医者が祈祷師を兼ねている。「では只今からご祈祷します」と言ってご祈祷する。過去生の因縁で悪事をなしたのは、ご祈祷くらいでは治らない。本人が巡礼に行くとか、お寺に寄付するとかしないと治らない。それのお手伝いもする。手広く全部やる、どの医者も。医療機械も何もないし、薬草も乏しい。中国のようにたくさん草が生えている場所ではないから、わずかの薬草を工夫して使いながら、ほんとに「手当て」で、体を触りながら医療する。ほんとに医者の原点だし、医者と魔術師の中間というのは実は曖昧で、僕の仕事なんか、「お前はまじない師か」とみんなから言われているけど、ほんとは中間はない。このごろのお医者は「まじないって何?」と言うけど、ほんとはチベットの医者みたいに、過去生の祟りもあるかねと思う。医療の一番原点のところで考えることが、やがて絶対に役に立つと思う。今すぐにチベット医学をやりなさいとは言わない。ただ、あれは残さないといけない、将来に。いつかああいうふうな発想をもっと新しくして、使っていく時期が来るのではないか。医者がどこまで面倒をみるかというと、やはり生活の全体の面倒をみないといけない。(回答・野田俊作先生)
18,曾子曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり、孟荘子の孝や、その他は能(よ)くすべきなり。その父の臣と父の政とを改めざるは、是(これ)能くし難きなり。
曾子が言われた。「私は先生(孔子)からこう聞いている。『孟荘子殿の親孝行ぶりは、たいていは、他人もそれをできるけれど、亡くなった父の家臣と政治の仕組みとを改めずにそれを引き継いだことは、誰でもができることではない」。
※浩→「孟荘子」は魯の家老・孟孫(仲孫)、諡(おくりな)が速で、父・孟献子の地位を世襲しました。孔子がその人物を批評した言葉について曾氏が語っています。伝統主義者の孔子らしく、父親の政治の方針や家臣の使い方をそのまま変えずに継承することを正しい「孝の道」だとしています。彼の在政期間が短く、在喪期間だけでなく彼が死ぬまで続いたので、これほどほめられたのかもしれない、と貝塚先生の解説。
不肖ながら私が父のやり方を受け継いでいることとしては、ずば抜けて“几帳面”なことです。ほとんど神経症的でした。家の中のものはほとんど全部まっすぐに置かれています。斜めになっているものはほとんどありません。今では笑えますが、それでも無意識にそうなっています。あえて乱暴にする必要もないので、なるがままにしています。これは遺伝か学習によるものか?遺伝の影響は確かめようがないですから、学習によるものとして考えると、子どものころのあれが“外傷体験”になっているのかもしれません。トラウマというほどでもないのでしょうが、小学校のころ、母屋の4畳半ほどの和室の隅に小さな机を置いて勉強していました。あるとき、それまで物置だった玄関土間の横の3畳の間を父が整備して勉強部屋にしてくれました。机の他に小さな本棚も置いて、田舎の家にしては立派な勉強部屋になりました。嬉しくて、勉強したあとそこでそのまま寝たりしていました。ある日のこと、机の上に勉強道具をほったらかして外で遊んでいて、帰ると部屋中のものが床にひっくり返っていました。途方に暮れていると、母が「あんたがちゃんと片づけんから、お父ちゃんが怒ってひっくり返したんよ」と言いました。私は泣きべそをかきながら、床に散らばっている本や文具を拾い上げて、元の場所に片づけました。あれはこたえました。父自身の身の回りのものはどれもきちんと置かれていました。圧巻は机の引き出しの中です。すべての文具類が、きちんとまっすぐ置かれているようで、1つだけ少し斜めに置いていました。母に理由を聞くと、「誰かが触ったらきっと元に戻すときまっすぐに置くから、それで誰かが触ったことがわかるんだって」と言いました。恐るべし、オヤジ!母親っ子だった私は、「大きくなったらお父ちゃんみたいになりたくない」と言っていましたが、なんのことはない。父のまんまを今もやっています。ああはなりたくないと思いながらそのままになったということは「反面教師」だったわけですか。そういえば、名匠・小津安二郎監督の映画の構図は直線的で、いろいろなモノがまっすぐに直角的に配置されていました。監督はわが父のようなライフスタイルだったのでしょうか。
Q0373
アドラー心理学カウンセリングでは、症状を解消することを目標にはしませんが、先生の昔の事例に、強迫神経症の子どもが、「汚いのでテレビのリモコンに触れないと言う」のに対して、「サランラップを巻かせて」と話をされていたことがあったと思うのですが、症状の解消を目的にしなくても、話題として触れることはあるのかなと思いました。もしそうであるなら、症状が話にのぼらざるをえない場合に、何か分岐点なり方針なりというのがあるのでしょうか?あるとすれば、それはどんなものでしょうか?
A0373
僕、別に、人が強迫神経症であろうが、パニック障害であろうが、それを治す気はないんです。話題にするしないにかかわらず、それが僕らの相談の目標にならないんです。われわれは魔法使いではないから、「ちちんぷいぷい」と言ったら、強迫神経症が治るとか統合失調症が治るとか、まったく思いません。そこが問題じゃなくて、「社会とどうつきあうか」が問題なんです。人間関係をどう持っていくか?人間関係がちゃんと保てるようになれば、あるいは症状はなくなるかもしれないし、あるいはなくならないかもしれません。どっちでもよろしい。ずっと症状を持ったままで、良い社会生活を送るなら、それはそれでよろしい。そんな人はいますからね、世の中には。パニック障害を持ったままで、良い社会生活を送る。それはそれでよろしい。そんな人もいっぱいいますから。パニック障害をなくすとか弱めるとか考えてない。そのことを何とかしてあげないといけないと思った途端に、向こうの手の内に引っかかっている。だから、関心はないです。(回答・野田俊作先生)
大森先生
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
1つ質問いたします。
「良い社会生活」のイメージですが、アドラー心理学ではどのように考えますか?
例えば、共同体感覚や横の関係、社会と調和して暮らす、自立する。
他者信頼、自己受容、他者貢献。など、たくさんのスラングが頭の中で、もつれて少し混乱しています。
私は対人関係において、支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあうようにしていますが、
たまにイライラ、こらーっ!!と怒りが爆発し、まだまだ修行が足らないと落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ぴくいち様
明けましておめでとうございます。こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。この掲示板にご投稿いただいて感激です。
> 1つ質問いたします「良い社会生活」のイメージですが、アドラー心理学ではどのように考えますか?例えば、共同体感覚や横の関係、社会と調和して暮らす、自立する。他者信頼、自己受容、他者貢献。など、たくさんのスラングが頭の中で、もつれて少し混乱しています。
→おたずねの「良い社会生活」は、「良い人間関係」と言い換えると、例の「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」になるでしょう。カウンセリングでの「人間関係」のあり方でもあります。
互いに尊敬しあい、信頼しあいながら、共通の目標に向けて協力するということですね。これを日常の生活に応用すれば、「良い社会生活」が実現しそうです。
言葉の整理をしますと、「共同体感覚」というのは“理念”ですから現実に存在するものではないです。とても抽象的なことばですから、いろいろな学者がいろいろな言い方をしています。リディア・ジッヒャーと言う人はこれを「横の関係」と言い、ルドルフ・ドライカースは「デモクラシー」と言いました。でもよくよく考えると、言葉が違うと同じ概念を表しているとは考えにくいですから、割引してしまいます。「共同体感覚」と言う限りあくまで見えないままですが、「横の関係」と
言うと「関係」というのが見えそうな気がしてきます。「デモクラシー」と言うと、かなり外れてしまっているようです。「共同体感覚」の反対語は「自己執着」です。これを手がかりに理解していくほうが便利かもしれません。つまり「共同体感覚を実践しよう」と決意してもどうしていいかわかりにくいですが、「自己執着」に堕していないかを点検することは可能です。このことで他者を裁かなくてすみます。他者を裁くことを「競合的」と言います。裁かないで力を合わせて動くことを「協力的」と言います。「良い社会生活」は「協力的に生きること」です。
「自立する」と「社会と調和して生きる」というのは、これは子育ての「行動面の目標」です。子育ての目標は「行動面」と「心理面」とあります。「心理面」の目標は、子どもが「私には(自己管理と貢献の)能力がある」「人々(主に家族)は(信頼できる)仲間だ」という信念を持てるように勇気づけることです。良い信念を持てば良い行動ができます。
「他者信頼」「自己受容」「他者貢献」は、「健康なパーソナリティ」の条件です。これらを満たした健康な個性の人々が協力し合って暮らせる社会は「良い社会」でしょう。
哲学者カントの考えをヒントにした「自律(自立)友愛」という校訓の学校があります。この言葉がぴったりです。国際連盟の理念でもありました。今の国際情勢とはほど遠いです。
> 私は対人関係において、支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあうようにしていますが、たまにイライラ、こらーっ!!と怒りが爆発し、まだまだ修行が足らないと落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。
→「支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあう」
「支配しないで協力する、相手の強み(長所、パーソナルストレングス)を見つけ、自分にできることを考えて協力する」…“理想像”として百点満点ではありませんか!
でも、現実にはいろいろ障碍があって、完全に実行することは不可能でしょう。この「方向」へ向いてコツコツできるところから実践していくのが現実的でしょう。高すぎる理想を求めると勇気をくじかれます。イライラしたり怒ったりの「マイナス感情」が出るときは、おそらく速効を求めたりして「自己執着」に傾いているんでしょう。それは自分への警告ですから、そこで「ハッとして、いかんいかん。急ぎすぎてるな」と軌道修正していけばいいのではありませんか?完全主義になっていなかったか、自己点検のチャンスです。ドライカースは「不完全を受け入れる勇気を持とう」と言いました。
こんなことではいかがでしょうか。またいつでもご質問ください。
大森先生
お忙しいところ、丁寧なご返信をいただき、感謝いたします。
「良い社会生活」は、「良い人間関係」という意味でとらえる事とお教えいただき、
返信を読み終わる頃には、あぁすっきりした。という快感につつまれました。
これぞ、本職!!と思った次第です。
また言葉を整理していただけたお陰でそれぞれの言葉の理解が深まりました。
「不完全を受け入れる勇気を持とう」この言葉を大切に過ごしたいと思います。
これからも掲示板を楽しみにしております。
ありがとうございました。