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中学高校で「正しい男女のつきあい方」を

Q0412
 今日のお話を聞いていて思いましたが、中学や高校で、英語や数学、物理や化学、地理歴史、国語などの教科だけでなく、正しい男性と女性のつきあい方や子育てなどを勉強する授業があったほうがいいと思います。理由は、高校を卒業して社会に出ると、ほとんどの人をまとめて教育する機会がなくなってしまうからです。このことについてどう考えられますか?

A0412
 あることはあるんですけどね。一応、保健体育とかに入っているんだけど、例えば男と女がどうつきあうかということについて、国が文部科学省が責任を持って「これが正しい」と言えるブランドがないんです。数学だったら、文部科学省が責任を持って「これが正しい」と言えるブランドがあるんです。男女関係で避妊法だったら、文部科学省が「これが正しい」と言えるブランドがあるんですが、男と女のつきあい方は文科省の役人もようわからん。教科書の検定ができない。試験しても、試験している先生自身がようわかっていない。育児についても、アドラーはこういう意見ですけど、認知行動療法は違う意見を持っていますし、フロイト派は別の意見を持ってますし、種々様々ですから正解はわからないんですよ。正解がわからないものは公教育に持ち出せないでしょう。公教育というのは、あくまで「これは定説だね」「これは大丈夫だね」って国家が太鼓判を押したものです。時々間違ったものに太鼓判を押します。歴史はいつも問題になっていますが、それでも国家は歴史教科書に関してかなり広い幅で許容していて良いようになっていると思います。育法社とか自由社とか比較的保守的なのと、今度、学びの社とかのが認可されまして、来年から出回ります。どれだけ採用されるかはわかりませんけど。採用の幅は広げておいたほうがいいと、あまり狭く国定教科書にしないほうがいいと思うんだけど、それよりももっと広いんです、男女関係についても子育てについても。だから、大人になってそういうことについて学ぶチャンスを作っていくほうが賢いと思います。そのときに、大人が「自分でこのやり方をしよう」ってというのを決めて選ぶならアドラーやろって、私は思っています。(回答・野田俊作先生)

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STAP細胞

Q0411
 昨年騒ぎになった小保方晴子さんの「STAP(スタップ)細胞」問題についてどのようにお考えでしょうか?

A0411
 わかりません。なんでわからないかというと、情報が公開されてないから。スタップについての論文そのものは手に入りますが、問題になっているのはそっち側じゃない。特許の側なんですよ。2つの問題があって、1つは学術研究としての問題です。学術研究として間違ったことを発表するのは全然何の問題もないんです。どの学者も年がら年中間違った論文を書いています。論文というものは、議論の材料に書くものだから、ある論文を書いたら、別の人が反論して「いや、そんなんないで」って言って、「いやしかしこれあるがな」って言って、最後いつか結論が出るんです。だから小保方さんのスタップ細胞について書かれた論文が間違っていたということは、まったく何の罪もないことだと思う。彼女がやってみた結果そうだったと書いただけだから、その途中に何かあるプロセスに間違いがあって、他の細胞だったのかもしれないけど、それはよくあることですから、学術的な問題はゼロなんです。問題はそれとまったく別に、特許申請をやってるんです。特許申請は学問上の問題ではないです。商売の問題です。特許申請のほうでいろいろ問題がグジャグジャ起こっているんです。それは私がコメントすべき問題ではないと思う。企業のドス黒い欲望の問題で、その中で、彼女を前に出したほうが儲かると思った勢力と、抹殺したほうが儲かると思った勢力がいたということですから、汚い黒い世界の話なんです。ですから、それについてはノーコメントです。マスコミがなんであんなに騒いだのかは、僕も理解できません。マスコミは結局、視聴率・新聞の売り上げを求めているだけで、真実なり事実なりを求めているわけじゃないですし、これは学問的な問題ではなくて特許権をめぐるいろんな黒い勢力の争いです。スッタプ細胞はひょっとしたらあるかもしれない。ひょっとしたらあるかもしれないことにしておいて、ここで特許を潰しておくと、別の技官がSTAP細胞を見つけて特許申請ができるじゃない。そしたら、50年とか70年とか、何もしないで莫大なお金が入るんですよ。なんであんな細胞が今あんなに注目されたか?金になるからです。新しい臓器を作って、皮膚なんかを作って、それで皮膚移植なんかに使えるからでしょう。で、皮膚移植に使うときに自分とこが特許さえ持っていれば、何もしなくてもお金が入るわけじゃないですか。それを狙っている某国の某組織が動いているという噂も十分あるし、そんなことは僕らにはわかりません。当面、隠されたことがいっぱいありますから、今言っているのは嘘とは言いませんが、あてずっぽです。それは結局、あまり勉強しない、もののわかってない視聴者が自分とこのテレビを見てくれることだけを望んでやっているから、あんなのに興味を持たないほうがいいです。だって、嘘でもほんとでも私らに何も関係ないじゃん。そのことと僕らの日常生活とまったく何の関係もないじゃないですか。それよりも今晩のおかずのメバルの煮付けの仕方でも考えたほうがいいと思う。(回答・野田俊作先生)

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上司は「タテの関係」か

Q0410 
 アドラー心理学で「タテの関係」「ヨコの関係」という言葉がありますが、上司がその立場を利用して支配的な態度をとることを言いますか?

A0410
 言わないですね。アドラー心理学は、アメリカでは結構軍隊で使われている。軍隊では上官の命令には絶対服従です。それはアドラー心理学が言う「タテの関係」とは違います。「タテの関係」というのは、どっちが上でどっちが下か、どっちが正しくてどっちが間違っているか。どっちがいい人でどっちが悪い人か、どっちが勝ちでどっちが負けかを決めようとしている関係のことを言う。これが定義なんです。軍隊では上官と部下は、どっちが勝ちでどっちが負けかとか、どっちが上でどっちが下か、どっちが正しくてどっちが間違っているかを決めようとしていません。そうではなくて、協同で敵に向かおうとしています。だから「ヨコの関係」です。会社でも、上司を引きずり下ろして、下剋上で、自分が次の上司になって、このおっさんやめさせてやろう」と思ってると「タテの関係」です。一緒にあるプロジェクトを成し遂げようと思っていて、態度が少々威張っていても、それは「ヨコの関係」なんです。言葉というものは、定義、どういう意味かということが決まっています。勉強嫌いな人が多いんですね。定義をちゃんと知らないで使っているんだよね、いろんなことに。例えば、今度「住民投票」が大阪であるんです。これはきわめて非民主的なんです。住民投票をするということは、民主主義に対する破壊活動なんです。なんでか?去年の10月にこの法案(大阪都構想か)は議会で否決されたんです。大阪都構想と呼ばれているこの法案は、昨年10月の大阪市議会で正式な手続きで否決されました。ところが、市長と公明党が裏取引をして、住民投票しようというのを議会に再提出したんです。公明党が入ったものだから、住民投票をするという条例ができちゃったんです。でも、この条例そのものが民主主義に対する侮辱ですよ。民主制というのは、議員さんを選んで議員さんに一切お任せするというのが民主制なんです。直接民主制というのは僕らの世界ではアナーキズム(無政府主義)と言いまして、民主制と言わない。これが政治学の定義です。そういうのをみんな勉強しないものだから、議会が決めるよりも住民投票のほうが民主的だとみんな思い込んじゃっている。あの民主党でさえ、この住民投票には反対なんです。民主党は住民投票が大好きなんですけどね。でも住民投票のほうが素敵だと思う、お勉強しない人がいっぱいいるんです。民主制というのは、「決める人を決める」という制度なので、「自分たちで決める」という制度じゃないんです。自分たちで何もかも決められません。私はわからないことがいっぱいあります。原子力発電所っていっても、技術は知っているんです。こうこうこういう技術と。でも原子力発電はいったい良いのか悪いのか、究極的に原子力発電でもって国家運営をすべきかどうかというのは、長い目で見ると何とも言えない。どっちとも言えない。たくさんの人が結局意見の一致は見られない。だから感情じゃなくて、宣伝じゃなくて、科学的な事実をきちっと並べて、時間をかけて議論していかないとしょうがないことだと思う。そんな科学的な事実を並べたり、時間をかけて議論していると、おまんまの食い上げになるんですよ。だから議員さんとか学者とかに、「それやってね」とお願いするのが民主制なんです。民主制とデマゴーク(衆愚政治、大衆洗脳)と区別してとらえないといけないけど、言葉をいいかげんに使うからよくわかっていない。「タテの関係」「ヨコの関係」というのも、中根千恵先生という東京大学の人類学の先生が、『タテ社会の人間関係』という本の中で書かれて、それがまた誤解されて、中根先生が言っている「タテ社会とヨコ社会」と、皆さん方が日常言っている「タテの関係・ヨコの関係」というのが違うもんですが、みんな勝手に言葉の意味をねじ曲げて使うんです。ねじ曲げて使うと言葉が通じなくなる。アドラー心理学では、「タテ関係・ヨコ関係」というのは、どっちが正しいかどっちが間違っているか、どっちが上かどっちが下か、どっちがボスかどっちが家来かを、お互い同士が決め合おうとして争う関係のことを言います。(回答・野田俊作先生)

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アドラー心理学はすべての人間関係に有効か?

Q0419 
 アドラー心理学はすべての人間関係に有効だと思いますか?「パセージ・プラス」は夫婦関係や高校生上の子どもには使えないと聞きましたが。アドラー心理学はすべての人間関係に有効だとは……

A0419
 思いません。ある人間関係では有効だとは思いません。アドラーは、1つは神経症の患者さんの「心理療法」について、1つは親が子どもを育てるときの「育児」について、1つは学校で先生がクラス運営をするときの「クラス運営方法」について、研究しました。それ以外の場所では保障がありません。例えば、会社の人間関係とか、社会全般だとか、そんなところで使えるか使えないかは、実績がないから保障がないんです。頭で考えたらできるかなんて、やってみないとわかりません。人間の頭の考えなんて当てになりません。実際にやってみてはじめてわかるんです。実際にやってみてはじめてわかるのは、神経症の治療、それも扱えないタイプの神経症があります。このタイプはダメよというのはわりとよくわかるんです。このタイプはいけるよというのはよくわかるんです。もしも「どんな人間関係にもいける」と誰かが書いていたら、その人は嘘つきです。きちんと科学的に確かめられたことを言っていないです。だからわれわれが保障できるのは、ある種の神経症の心理療法です。これも私、研究中なんです。過去7,8年くらい、アルバイトしているクリニックで、われわれが見て、「この人は心理療法に向いているよね」っていう患者さんと、「これは心理療法をやっても絶対ダメね」っていう患者さんがいるんです。医者の目で見て。「向いているよね」っていう患者さんだけ選んで心理療法に回して何パーセント有効か見ていると、結構有効でない人たちがいるんです。例えば、最近話題になっている新型鬱病なんでいうのは全然ダメです。まったく効きません。それから発達障害で来ている人たちもダメです。アドラーの心理療法は効きません。ですから、すべての人間関係に使えません。それから、アドラーの子育てというのは、学校教育は、一応中学を出るまでを基本に全部こしらえられているんです。そもそもアドラーの時代には、中学を出て高校へ行く人なんて、そんなにいなかったんです。ごく一部の上流階級の人しか行かなかったから、そもそも研究対象にならなかった。そのころにいわゆる旧制高校に行った子たちは、そんなに問題のない子なんです。問題のあるような子は旧制高校へ行けないんです。アドラーの時代もそうで、人格的にちゃんとした人たちですから、子育てに問題なかった。だからこれを高校生以上に使えるかどうかというと、僕は無理だと思う。大人の人間関係として、一部は使えるけれど、フルスケールで100%は使えない。だから、「アドラー心理学はどんな人間関係に使える」と言っている人は下心がある。つまり売りたいんだ。本なり何なりを。私は違う。「パセージ・プラス」も、高校生以上に使うと、かえって人間関係がこじれるような方法があります。小さい子だから使えるけれども、高校生以上だと、使ったらかえってこじれる。特に、配偶者で使うと無茶苦茶悪くなる。夫とか妻に向かって使うと。われわれは心理療法家なんですけど、心理療法家の絶対的な責任は、今より悪くしないことです。効果の弱い方法は、悪化させる危険もないけれど、効果の強い方法は悪化させる危険があるので、それで「パセージ・プラスは高校生以上や配偶者や会社の人間関係では使わないでね」と言っているんです。(回答・野田俊作先生)

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運転中にメモを見る娘に注意したらキレた

Q0418
 次女が車を運転しながらメモ用紙を見ていたので、「運転に集中して」と注意した。メモを手から離さないので、2回ほど「運転に集中して」と繰り返すと、突然キレて大声で怒り始めた。「注意されたからメモ用紙を置くのをやめようとしても『運転に気をつけて』と、お母さん勝手に決めつける!」と、ぎゃあぎゃあ大声で繰り返して、手がつけられなくなった。どう対応すればよかったのかと考えます。そもそも最初の言葉のかけ方が悪かったのでしょうか。

A0418
 原理に遡って考えないといけません。前のホワイトボードに原理が書いてある。「どんなときにもプラスを見て…」だから、プラスを見ましょうよ。どんなプラスか?「器用やね。運転しながらメモを見られるって。走ってるけど、運転中はメモを見んほうがいいんと違う?」とまずこう言うと、だいぶ出だしが違うじゃないですか。でもメモを離さないで運転していたらどうしましょうか。「そうか、下へ置く間は危ないから持ってるんやね。この次、交差点で止まったら置いたらいいかもね」と言うといいかもしれない。いつどんなときでもプラスを見る。マイナスから話を絶対に始めない。いつも起こっていることの肯定的な側面を見ます。これは修業です。僕たちは普通の状態だと、マイナスはまったく無意識的に見えるんです。プラスを見るのは、しっかり訓練しないと見えない。「プラスはなんやろ」と考え始めたら、あとが違ってくる。(回答・野田俊作先生)

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