今作2度目になるでしょうか?「お前に俺の気持ちは分からない」→「考えてみたら意外と分かる気持ちだった」の流れは。
ラスボス候補のカイゼリンさんも小物臭出してるし、対決したらこの人も「お前に私の気持ちは分からない!」とか言いそうw
バッタモンダーを見てると、素直に助けを呼べない人の方が助かる見込みがあるのかも知れない…などと少し思います。
バッタモンダーはまだ他者を意識している分、社会性が残っているという考え方ができるかも知れません。しかし、これがダルイゼンやレッドみたいになり振り構わず助けを求める様な連中だった場合、徹底して自分の事しか考えていないと考えられるし、なり振り構わない上に自分の事しか考えないとなると、何をしでかすか分からない恐ろしさがある様な気がしました。
何か禅問答みたいなややこしい話ですけどね…(苦笑)
みんな、ソラの「助けてましろさん…」くらい拗れてなければ楽なんですけどねぇ…
>紋田のベレー帽
ましろに会う時は欠かさず被っていたのが今回は被らず。突然のエンカウントだったからもあるでしょうが、ましろに対する仮面が剥がれてきた演出の様にも思えました。
>社会の価値基準から外れた自分がいる
>社会的に認められた価値どおりに活躍できていれば自分で価値を決める必要はない
>その価値と自分の価値観がしっくり合わないということもある
最近完結したヴァンガードってTCGアニメにもそういうキャラいたなぁ…
序盤から登場していた最高学府の首席医大生が、封印していたTCG愛を解き放ったばかりに、闇堕ちしたり大学辞めたりフリーターになったりギャグキャラになったりした挙げ句、住所職業不定のカードゲーマーになって、そんな自分を確固として肯定する…そこに至るまでに最終回直前まで時間掛かってたんですよねww
>オトナプリキュア
>大人の責任とは
水上悟志先生の作品でも見掛けるけど、「大人は格好付けたがる」って事だと思います。それに加えて自分の限界も把握し始めて、そのジレンマからイチ・ゼロ思考に陥ってしまうのではないかと。
「理想と現実の相剋」なんて言うと若者の特権みたいに思ってましたが、大人は大人の理想と現実があるんですねぇ…この擦り合わせは死ぬまで続いて行くのかも知れませんね。
>咲と舞
イケイケの咲に対して、舞は消極的だった気がします。故に咲は舞を引き上げ、舞は咲を持ち上げる様な関係なのかも知れません。
だからお互いに相手に対する評価が本人より高め。その結果、舞は自分は身軽になりながらも「咲は重くても進んで行ける」と無茶振り…もとい檄を飛ばす事ができたのかな〜と思ったりもしました。
>道徳やマナー、教育がサービスとその対価に置き換わる
>でもそんなに対価も払ってない
SNSやってると、偶にTLに子持ちの人の投稿が流れて来たりもするんですが、最近その中で成る程と思ったのが「学校側が守るのは生徒個人ではなく生徒が所属する組織。故に親は子供に組織より自分の身を守る方法を教えねばならない。」という考え方でした。
そういう棲み分けをした上で対価を払っているとすれば、「安くても良いじゃん」と親は考えるかも知れませんね。
>インターネットの発言
「ネチケット」という言葉も聞かなくなって久しい気がします。
僕もここの掲示板に流れ着く前から、方々で問題発言をしたり、そのお叱りを受けたりして来ました。
叱られた事全てに納得している訳ではありませんが、その都度考えたり反省したりしてネットでのコミュ力を鍛えて来たつもりです。
でも、今の若い人達はどうやってネットでのコミュ力を鍛えてるんだろう?と疑問に思い始めたんですよね。
叱られてもブロックされても「どうせ相手は自分の事を考えてる訳ではないのだから、気に病んだり反省したりするより自分もブロックして身を守る方が正しい。」という風潮も見掛けますし、それでは今の自分に都合の良いクラスターでしか生きて行けないし、そうではない相手とどう関われば良いのか分からないままではないのか?と心配になります。
>フリーレン
適宜過去の冒険のエピソードが入りまくるの、「異世界おじさん」みを感じるw
>今週の読書とその書評
アメリカの大学生だけに限った話でも無いよな、と思ってこちらも読んでみました(↓)
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E3%81%AE%E7%8B%82%E6%B0%97-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC/dp/4198654468/ref=sr_1_1?adgrpid=135561386845&hvadid=679063607909&hvdev=c&hvqmt=b&hvtargid=kwd-1678256861499&hydadcr=4076_13378701&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9+%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC+%E5%A4%A7%E8%A1%86%E3%81%AE%E7%8B%82%E6%B0%97&qid=1701681476&s=books&sr=1-1
【書評兼要約】https://www.sankei.com/article/20220424-KPVTMJ2UGVLA7CLQGBC4QYH6GQ/
◆◆◆
かつては予見されていなかったが、いまなら認識できることはいくつもある。その一つが、インターネット(特にSNS)は、公的な言語と私的言語との間にかつて存在していた境界を奪い去った、ということだ。SNSは、新たな独断を社会に埋め込み、反対する意見を、それに耳を傾けることが何よりも求められているときに押しつぶす、という点では最高の手段である。… 公の場で話をする際には、考えうるあらゆる主張(さまざまな権利の主張など)を持つ、ありとあらゆる種類の人びとを念頭において、話をしなければならない。特定の人々の存在を忘れたり、一部の人々を傷つけたり、侮辱したり、否定したりすれば、なぜそんなことをしたのかと、いつ何時、問い詰められるかもわからない。それを考えれば、この高度につながり合った社会のなかで育った世代が、自分の発言に気をつけ、他人も同じように発言に気をつけてくれることを期待するのも当然である。また、全世界から批判を受ける可能性を考えれば、自分自身の「特権」や権利などについていくら内省しても、誰からも批判を受けない結論にたどり着く見込みはほぼ間違いなくないのではないかと思うのも当然である。
物議をかもす難しい問題には、それ相応の熟慮が必要である。熟慮するためには、たいていは自分の考えを試してみる必要がある(その過程で過ちを犯すことは避けられない)。だがいまでは、きわめて異論の多い問題について自分の考えを口にするのが、きわめてリスクの高い行為になってしまったため、単純に損益比の観点から見ても、誰もそんな方法を採用しようとはしない。たとえば、男性の体を持つある人物が、自分は女性だと訴え、女性と見なしてほしいとあなたに言ってきた場合、あなたには二つの選択肢がある。その人物の言うとおりにすれば、あなたはテストに合格し、これからも無事に人生を歩んでいける。だが、その人物の言うとおりにしなければ、「トランスジェンダー嫌い」というレッテルを貼られ、これまでの評判や経歴をふいにすることになるかもしれない。あなたはどちらを選ぶだろう? (前掲書 p.199-201より)
◆◆◆
寛容さを旨とする筈のリベラリズムが、今や思想的に異なる人物らの些細な発言まで槍玉に挙げて、過去の「不適切」発言を掘り起こしてでも無限に殴り倒すことを肯定するまでになり果てている英米社会の「一切の異論を認めない言論空間」を慨嘆している本です。言論封殺といえば、ふた昔ほど前は独裁政権や極右および極左集団が行うものであるというのが定番でしたが、現代のSNSやマスメディアにおいては「一億総思想警察」というか、頼まれもしないのに互いの言動を嬉々として監視(場合によっては実力行使による矯正)し合っているのは他ならぬ私達自身だったりしますよね。ひょっとしたらここ十数余年ほどに亘り、民主主義なるものは爛熟期を過ぎて自壊していく真っ只中にあるのかもしれません(毒)。
>実はそれが町おこしのために画策された茶番劇だった
私も知らなかったなぁw。確かにWikiの「スコープス裁判」の項目にも、裁判自体が“やらせ”だったことが明言されていますね。残念ながら当方も最寄りの図書館にて絶賛貸出中&予約待ち多数だったので、暫らくは読めそうにありません(残念)。
個人的には映画『三十四丁目の奇蹟』の中で行われた「サンタクロースは実在するか?裁判」を思い出しました。米合衆国には訴訟そのものをある種イベント化して楽しむという風土があるのかもしれませんね。
>ましろん「良かった…紋田さんが苦しんでいたのも嘘だったんだ。」
>彼女の優しさが逆に彼の無価値さを浮き彫りにする展開はロジカルかつリアルな残酷さがあります
『フレプリ』20話で「せつな…そんな奴ここには居ない!」と言い放ったイースに対し安堵の表情を浮かべるラブちゃんが頭に浮かんできます。あの時も今回のバッタモンダー同様、イースが一瞬虚を突かれた様な表情を浮かべたように記憶しています。
>オトナプリキュア雑感
・夢に理解のある彼氏で何より…ですが、場合によっては数年スパンの遠距離恋愛って現実には厳しいですよねぇ(苦笑)。
・満を持しての満薫が登場で大満足w、しかも大空の樹を臨む空き地という最高の舞台装置の下で。
・尺の都合&中の人(チョッピの中の人は既に故人)的な都合なんでしょうが、フラチョピ全スルーはちと淋しかった。
・タイムフラワーの花弁が一枚落ちる演出が何とも言えず不穏…。
>道徳やマナー、教育がサービスとその対価に置き換わる
『ヤバい経済学』でしたっけ、確か幼稚園のお迎えが遅れた保護者から罰金を取ることにしたら、罰金を払ういいだろとお迎えを遅らせる親が急増したエピソードがありましたね。
認知が歪んだおっさんがラスボスとか、得体の知れない軍団だけど自分も知ろうとしなかった、ってのは身近な話ですね。
>下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
聞いたことがあるタイトル。生憎貸出中だったので手元にくるのは先ですが面白そうですね。
>資本主義的行動様式が齎す当然の帰結
モンスターペアレントなんかはまさにその文脈ですね。税金を払っているんだから、先生の仕事だろと。道徳やマナー、教育がサービスとその対価に置き換わる。互恵すら良くて契約ってところ。
別に悪いとは思わないけど、でもそんなに対価も払ってないんだよなぁ、低賃金の日本人なら尚更w
>SPYDとかの高配当銘柄
基本的に高配当株って会社からすれば資産を切り崩して配当しているから、株価が下げ圧力を受けがちなんだよね(株価が上がると相対的に配当割合が下がるので頭打ちになる)。SPYDもその元になっているS&P500も時価総額加重平均で組み入れているから直接株価を反映しているわけではないけど。
インデックスのような指数そのもので利益を狙う場合、イケイケの会社なら株価や時価総額がガンガン上がっていくからそれで儲けるって考え。高配当はその逆で、都度利益確定しているようなもん。どっちがいいかは景気にも左右されるけど、理論値でいえばおそらく前者の方が高いんじゃないかな。
定期的にボーナスが入るみたいなもんだから、生活に波が出来ていいんじゃないかなって気はするけどw
「機動戦艦ナデシコ」で言う所の「殺し合う相手の名前なんか知りたくない」問題もあるかも。
敵に意識を向けない様にする事で自分を守っていたというか…もっと単純に「敵は殴るもの」以外のアプローチ方法を知らなかっただけかも知れませんが…
「水臭い」問題の落とし所も良かったと思います。仲間はあくまで手段の提供に留めるだけという。こういう時、あんまり周りの意見を聴き過ぎると、何所から何所までが自分の考えか分からなくなるというのも分かる話ですし。
>プリキュアの軍事利用
>サラッととんでもないこと言ってる
富野作品でよくある「強力な兵器があるから戦争が激化する」という批判に通じるものがあると思います。こちらがパワーアップすると敵もパワーアップしてキリが無いって話ですね。
仮にアンダーグエナジーが頭打ちしたとしても、その先にあるのは一方的な蹂躙でしょうし。
>息抜き
何気に独りで息抜きするのって難しいと思います。
一応知識はあるので、深呼吸したり(息を切らした時の様な高速呼吸)、水を一杯飲んだり(一気飲み)、散歩したり(家の周りを一周回るだけ)…と自力でやったりしますがまず上手く行かない(苦笑)。
先週のましろと同様に、他者からの強制連行でもされない限り、ちゃんとした息抜きなんて中々できない。人間って難儀な生き物だと思いますねぇ…
>スキアヘッドのオーバーキル攻撃
唐突に町滅ぼそうとしてて草。
いつも通りのポーカーフェイスだったけど、内心ブチギレてたんじゃないかって気がしますw土足で踏み入って来た様なもんですからね。
次回で超今更にバッタモンダーけしかけてるのも、ちょっと感情的になってるからこそな気も。
>金のスカイパンチ
スカイパンチに金色のエフェクトなんてあったっけ?って思ってたら、次回予告のプリズムショットも金色になってて、所謂トゥインクルイマジネーション的なアレかと納得した次第。
>オトナプリキュア
小説だけがこまちのアイデンティティだと誰が決めた?こちとら古風な大和撫子でもブイブイいわせてたんじゃコラ…って感じのエピソードだと思いました。
お年寄りに街の歴史を聴いてそれを噛み締める…こういう昔気質な話は正にこまちが適任だったと思います。
子供から大人になって、空間的・時間的にも視野が広がっているのが分かりますね。子供の頃は、自分の街の外で同じ事件が起きているかまで気にしなかったし、過去に同じ事件があったかまで考えが及ばない。
知り合いの知り合いが知り合いだった…なんて事が起きる程の人脈だって持ってなかった。
…だとしても、鷲尾P時代のプリキュア総力戦の様相を呈して来るとは思いもしませんでしたけど(笑)。
>必要な分だけ現金化すればいいんだからわざわざ配当金でもらう必要がない
言われて確かに盲点だったかも…と。
配当金は株の値動きと比べれば多少は安定してお金を貰えそうではありますが…自分も配当金は全部投資に回していますからねぇ…
折を見てインデックス投資とかも勉強するかぁ…
因みに自分の投資信託では、今SPYDが目茶苦茶下がってて、代わりにHDVとVYMが好調って感じですね。戦争の所為か、今までとは少し逆。
>地球外少年少女
>全6話
話数が少ない分無駄が無いのか、1話の何気無い台詞が伏線だったりと毎話毎話油断できない気はしてます。
残り3話ならここから怒涛の伏線回収が始まるって感じなのでしょうかねぇ…?
まぁ、前提知識は公式HP見れば今後の視聴に支障が無くなる程度のものが揃っている筈だと思います。
>Dr.STONE
ソユーズの設定…何所から何所までがご都合で、何所から何所までが後付けで、何所から何所までが最初から決まっていたのかサッパリ分からん…
ここまで来ると感動通り越してゾッとするww
「敵勢力との対話」を明確に打ち出した点は、『Yes!プリキュア5』でののぞみvs.デスパライアを思い出しますね。ただあの時は鋼メンタルの主人公が不安に苛まれるラスボスに手を差し伸べるという構図だったのに対し、今回はソラよりもスキアヘッドの方が年相応に達観しているというか、精神面でより安定しているように見受けられます(それでもラストでは気迫負けして撤退したように見えましたがw)。御大が常々指摘されるように、プリキュアシリーズの主人公には過度に聖母的な役割を押し付けない、とする制作者側の意向が近年強まっているのかもしれませんね。
>自分のために意志があるんじゃなく、他人に伝えるために意志(「私はこう思います」「わかりました」)が発生したって考える方が筋が良さそう
確かにそれも一理あるかも。意志と言葉との繋がりを論じた文章に今のところお目に掛かったことはありませんが、興味深い見解ですね。
>地球外少年少女
おや、監督が『電脳コイル』と同じ人で、しかも全6話というコンパクトな仕上がりなのですね。取り敢えず第3話を録画しましたが…今からでも視聴は間に合うかな?そういえば15年も経つのに『電脳コイル』で登場したメガネ型のウェアラブルデバイスって全然普及していませんね(苦笑)。
>『傷つきやすいアメリカの大学生たち』
「大学生らが集団で教授を糾弾し吊るし上げる」って紅衛兵やら全共闘やらがキャンパスを席巻した半世紀前の話かと思ったら、現代の米合衆国の話なのですね。今やすっかりリベラルの天下と化した米国の大学では「自らを不快にさせるものは徹底的に排除されてしかるべき」との“お気持ち”は全てに優先するとばかりに、自分達の掲げる「多様性の尊重」に少しでも異を唱える教師や言論人を脅迫する(暴力を振るう、社会的地位を失墜させる)行為は「学生に与えられた当然の権利」だと見做す大学生らが多数闊歩しているということか…しかし本当に多様性を尊重するのだったら、ゴリゴリの保守の言説だって認められるべきですよねw?(困惑)。
著者曰く、親世代が良かれと思って大事に大事に育てた結果「ピーナツアレルギー」だけでなく「モンスターチルドレン」をも大量に生むことになったみたいですね。いやはや子育てって何とも難しいものですねぇ(←他人事じゃない)。日本の大学はまだ米国の段階までは行っていないと思うのですが、ネット記事などをつらつら眺めるにこういう思考パターンを持つ人の割合は徐々に増しつつある気がしますね。
それで思い出したのが、ちょっと昔の本ですが(↓)。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8B%E6%B5%81%E5%BF%97%E5%90%91%E3%80%88%E5%AD%A6%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%83%8D%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%89-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4062763990
◆◆◆
(前掲書より)
消費主体は、自分の前に差し出されたものを何よりもまず「商品」としてとらえる。そして、それが約束するサービスや機能が支払う代価に対して適切かどうかを判断し、取引として適切であると思えば金を出して商品を手に入れる。消費主体にとって、「自分にその用途や有用性が理解できない商品」というのは存在しないのです。… ですから、先ほどの小学校に入ったときに、先生に「ひらがなを習うと、何の役に立つんですか?」と訊く子どもは消費主体としてごく自然な質問を発しているわけです。… そして、この幼い消費主体は「価値や有用性」が理解できない商品には当然「買う価値がない」と判断します。… 消費主体として出発した子どもたちは目の前に差し出されたものをつねに「商品」として見ます。そして、それを「値切ろう」とする。最小の貨幣で最大の商品を手に入れようとする。ふつうの商店で売っているものなら、貨幣をもってその代価に充てます。では、学校では何を代価に充てるのでしょう?
学校では生徒たちは教育サービスの対価として貨幣を払うことができません。でも、なんらかのかたちで「貨幣」を差し出さない限り、「買い手」として等価交換の場に立つことはできない。では、彼らは何を貨幣に代用するのでしょうか? … それは「不快」です。五十分間の授業を黙って耐えて聴くという作業は子どもたちにとっては「苦役」です。彼らはその苦役がもたらす「不快」を「貨幣」に読み換えて、教師が提供する教育サービスと等価交換しようとする。… 彼らは学校に不快に耐えるためにやってくる。教育サービスは彼らの不快と引き換えに提供されるものとして観念されている。ですから、教室は不快と教育サービスの等価交換の場となるわけです。… 仮に、その授業の価値が「十分間の集中」と等価であると判断されると、五十分の授業のうち十分程度だけは教師に対して視線を向け、授業内容をノートに書く。そして、残りの四十分間分の「不快」はこの教育サービスに対する対価としては「支払うべきではない」ものですから、その時間は隣の席の生徒と私語をしたり、ゲームで遊んだり、マンガを読んだり、立歩いたり、あるいは居眠りをしたり、消費者である子どもにとって「不快でない」と見なされる行為に充当される。… 決められた時間以上授業を聴かないように必死の努力をしているのに、どうしてそれを単なる怠惰や不注意のようにとらえるのか(と、彼らはほんとうに怒っているのです)。
(前掲書、第1章 学びからの逃走 p.44-9より抜粋)
◆◆◆
教育を扱った両書に「不快」なるワードが共通しているのは単なる偶然ではないように個人的には感じています。要するに教育現場で学生たちが表明する「不快」なる感情の出所を、資本主義的行動様式が齎す当然の帰結だと内田氏は論じているのですが、この点は「学生たちは親世代に甘やかされて育てられたからそうなったのだ」とする『傷つきやすいアメリカの大学生』の著者よりも一歩踏み込んだ分析のように私には映りました。そしてその「不快」が米国では専ら外向きの攻撃として、本邦では消極的な授業サボタージュとして顕在化しているということなのでは無かろうか、と私は考えています。
>オトナプリキュアの地元愛
おや、プリキュア5GOGOの面々と地域との繋がりって、本編ではあんまり感じませんでしたけれども(そもそも街並みが中世ヨーロッパぽかったし)…その辺り湘南が舞台の『Splash☆Star』に寄せて来たのかな?
しかし依然としてタイムフラワーの存在が謎だなぁ、単なるウルトラマンのカラータイマー的役割では無さそうだし。
>大体そんな感じで合ってる
あら嬉しい(笑)。思い付きで書いてみたんですが、偶々的を射ていたみたいですねw。
>こまちの小説をボロクソに言った
そういえばそんなんだったなー、あいつw
プリキュア勢が軒並み凹んでるから、そのメンター役するためにもシロップやナッツはいい感じに成長してるね。
>「自由である」と錯覚さえする「意識」とは何なのか?
人間は後天的に記憶や経験から最適行動ができるように進化したんだろうけど、強いて言えば言葉のせいじゃないかな?
人間がなんで言葉使うかって、おそらく共感能力含めて仲間と意思疎通を図るためだから超社会的(社交的)動物なわけじゃん。そう考えると自分のために意志があるんじゃなく、他人に伝えるために意志(「私はこう思います」「わかりました」)が発生したって考える方が筋が良さそうではある。脳の伝達を言葉に一旦置き換えるせいでそれを意志と錯覚してるとか。実際、言葉を使わない動物(人間含む)の衝動と意志って区別つくのか?w
>地球外少年少女の監督
どことなく話運びや世界観似てたからたぶんそうだろうと思った。
何ていうかテクノロジーに生活感があるんだよね。下手なSFはそこができてなくて。馴染んでいるはずのテクノロジーが、それ故に人間を危機に陥れる的な雰囲気作りが上手い。
それにしても電脳コイルから15年か。正直電脳コイル以降、当該作品を超えるSFにまだ出会えてないな~。
自己完結型→思い込みが強い→夢見がちな乙女
何やっても女子力に繋がるましろさん概念ずるい定期。
紋田の正体が奇跡的に誤魔化せてるのもあるけど、ましろが「客観的にどう」より「自分にとってこう!」で動く子だから成立するエピソードですよね。
ついでに外面の良い紋田が接客業やってたの、偶々かもだけど適職に就いたなーと。プリキュア側もそうですが、技術的な事は半ば自然に最適化されて行く感じですね。
紋田もプリキュアも、重要なのはその先…って事か…
>本作は「べき」論を極力排している
>その価値観が人の目を曇らせることもある
夢があったらあったで、無かったら無かったで、事ある毎に視野狭窄に陥っては矯正を繰り返している作品でもありますね。
視野狭窄に陥っても生きて行ける能力に鈍感さがあるとするなら、ソラの感じ易さは視野を広く保つ事に長けていると言えるのかも知れません。
とは言え、今のままだと「毒喰らわば皿まで」の精神で突き進んでボロボロになるか、全てを投げ打って引き篭もるかのどっちかにしかならない気がしますし、ある意味「べき」論を書き溜めている手帳の事も気になります。
潜伏期間と言える様な現状も相まって、先の見えない子ですね。
>オトナプリキュア
>曖昧な態度取ってるココが悪い
まぁ、何も考えてないんでしょうねw
精神ヤられてても主役は女子。主導権を女性側に置く為にも、ここは男には優柔不断なイエスマンになって貰うのは必定。
仮に「黙って俺に付いて来い」ムーブで記憶を失ったカナタみたいなハズレ選択肢を言ったとして、それを突っぱねるメンタルが今ののぞみにあるかどうかって話よね。
>昔のシロップとうらら
う~ん…昔のシロップはやさぐれていたのもあって、歯に衣着せぬ物言いをしていた気はしますね。
その延長と思えば、うららにある程度の免疫ができていたのでは?と思わないでもないです。
シロップに限らず、当時の妖精組は捻くれるなりやさぐれるなり、何なら今のプリキュア組並みに精神ヤってた気もします。
ナッツとか目茶苦茶丸くなったな~って思いましたもん。こまちの小説をボロクソに言ったあのトゲとカドは何所に行ったのか?とw
そう考えると、今作の妖精組が微妙にクサい考え方してるのも、単なるイケメン・妖精補整だけではないのかも知れません。
かつてプリキュアに救われて、今もプリキュアを信じている存在からの、細やかな恩返しなのかも知れないな、と。
>リベットの実験
>針小棒大に拡大解釈して吹聴するきらいがある
現場の事は知りませんが、「自由意志って怪しいと思うけど決め手が無いなぁ…」って思ってた学者が、インパクトのある研究結果をダシにして自説を展開するって事はあると思うし、しゃーない事だとも思いますw
>完全独立した意志
リベットの実験でも被験者はなるべく外部の刺激を遮断された状態で、自分の好きなタイミングでボタンを押せるので「完全独立した意志」っぽい体にはなってますね。タイミングを計る為に円盤の絵は見ますけど。
僕はリアルタイムの刺激が無い状態でも、記憶なり何なり何某かの因果関係に囚われた脳活動によって「ボタンを押そう」と思う意志は発生すると考えてるので、「自由意志は無い」という立場を取っています。
(「意識」と「意志」の関係の問題は端折るとして、)そうである場合、自分の脳活動を網羅的にモニターできず、「自由である」と錯覚さえする「意識」とは何なのか?に興味がありますね。
>「シュレディンガーの猫」の思考実験を持ち出して自由意志を論証しよう
改めて調べてみましたが、大体そんな感じで合ってると思います。(↓)
https://note.com/free_will/n/n4ecf51d8d809
僕自身のイメージは、「脳は量子コンピューターである」とか「マルチバース理論」とかの仮説ですが、これらも自らの意志で結果を選んでいる訳ではないですからね。
(真面目に調べようと思ったらもっと信頼性のあるテキストを探すべきなのでしょうが、流石にシンドイのでご容赦のほどを!!w)
>地球外少年少女
>電脳コイル味
ご明察(↓)。流石にオーラを隠せませんでしたかね?どこぞの元アイドルとはえらい違いだw(コラ)
https://chikyugai.com/
という事で、大体同じ人が作ってるみたいですね。
宇宙で遭難・サバイバルしている中で、インプラントの危険性や史上最高のAIの暴走事件などなどキナ臭さも漂ってきて、楽しみになって来ました。
ステレオタイプなキャラとテンプレ展開も、掴むもの掴まれたら「王道の良さ」に見えてくる不思議(苦笑)。
>魔法使いの嫁
真っ先に土下座しなきゃいけない二人が置いてけぼりくらってて草。
割と良識のある大人が、甘ちゃんな若者に対して何故かキツく当たるの何度か見た事ありますが、ぶっちゃけ実は羨ましがってんじゃないかって思ったり。
チセの母親しかり、問題の根本に「変容した母性」が見られるのは、恐らく意図しての事なのでしょうね。
>道徳観を生得的に持っている
20年くらい前に読んだ(精神科医が書いた)心理学の本に書いてあったよ。赤ちゃんを使った実験とかで。『理系が恋に落ちたので証明してみた。』ってアニメでしきりに「オキシトシン」って言ってたと思うけど、ああいうホルモン系の分泌も理由にはなるかな。
学問的に決着がついているかは知らない。どっちにせよ、人間が言ってることだから「とりあえず今はそういうことになっている」程度でしか私は認識してないw
>アメリカ合衆国では分断が更に加速し~議員レベルですら党を跨いだ対話が成立しにくくなっている
そんなあなたに『傷つきやすいアメリカの大学生たち』
https://www.amazon.co.jp//dp/B0BNHCMWH3/
この本も例に漏れず記述があちこちに散らばってて読みにくいけど、アメリカの分断について大学生、教授陣、政治家について説明されています。まだ半分読んだところだけど飽きてきた。
政治家については、昔は両議員が一緒にミーティングできる場があってお互いに顔見知りだから妥協なり根回しがしやすかったんだけど、今は(意図的に)その場を撤去したので歩み寄るのが難しくなっているみたいですね。ネットとかもそうだけど、相手の顔が見えないと攻撃性や思い込みが激しくなったりするんじゃないかな。民主党と共和党支持者も対立する党に対するイメージは年々悪化している。もう敵か味方かの思考。トランプが支持されているのも共和党支持者からすれば民主党は敵でしかないので、支持一択みたいな感じになっているのかもしれませんね。
盲点だったのは教授陣の派閥。昔は左と右で左の方が割合的にちょっと多かったらしいんですよ。基本知恵つけるとかぶれやすくなるので。現在はその比率がどんどん開いちゃってほとんど左寄り。すると右派の論文が蔑ろにされたり、発言力が下がったりして言論や思想のバランスが傾く。ついでに左派同士で「総括」しあったりねw だから妥協とか歩み寄りよりも右と左で対立しやすくなっている。
大学がそんな感じだから校風とかもそうなって学生に影響を与えているっぽいんですね。SNSの影響も大きいでしょうが。
日本でも「それ単にお前が気に入らないだけだろ」な主張がネット上にチラホラ散見されますが、アメリカはもっと酷いようです。たまに教授が難癖つけられてクビ切られるニュースを聞くように、ああいうのが横行してる。論文を議論するとかじゃなくて、特定のワードが入ってたから排除! 俺が気に入らないから排除! そんなレベル。発言者の意図ではなく聞いた側の感情が優先される。サルに言葉は通じない。
>地球外少年少女
2話から見たけど、いわゆる漂流ものか。どことなく電脳コイル味がある。
この分だと最終決戦で少しだけ見せ場があるのかもしれませんね…それはそうと、主人公の筈のソラの存在感がどんどん希薄になっているような気がするのは私だけw?
>どちらかというと「反射」に近い実験
>個体としてみればそれが意志か衝動かなんてさほど変わらん
私も同感ですね。例えば以下のような状況を考えてみるとします。小学生らが公園で野球をして遊んでいたとして、打った球が運悪く近所の家の窓ガラスを破壊したため、すわ怒られては大変と一旦は蜘蛛の子を散らすように現場を離れたものの、後でやっぱり悪いと思って皆で謝りに行ったとして…「最初に逃げた」のも「後で謝罪しに行った」のもどちらも意志には間違いないでしょうしねぇ。まぁ前者の方がより衝動に近く、結果後者の方を「より高次の意志」と呼べるのかもしれませんが(意志そのものに倫理的判断を持ち込めるのなのかどうかまでは分かりませんけれど)。
>道徳観っていうのも、何も人間の崇高な理念や理性(ゼロ)から生まれたわけじゃなくて、生得的に持っている選好みたいなものとしてプリインストールされてる
(↑)これって歴史的には「大陸合理論」の系譜に属するデカルトが唱えた「生得観念」に由来する哲学的スタンスですよね。てっきり現代でも論争が続いているものだとばかり思っていましたが、学問的に決着が付いているんでしょうか?
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生得観念:人間が生まれながらにもっている観念。神の観念や善悪の観念が、その例とされる。デカルトは、無限な実体である神、有限な精神的実体(精神)と物質的実体(物体)を生得観念とした。ロックは、経験論の立場から生得観念を否定し、人間の心は「白い板」(タブラ=ラサ)、つまり白紙であると説いた。
(小寺聡 編『もういちど読む山川哲学 言葉と用語』p.241-2より )
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>「量子力学では確率で決定されてるから、そのランダム要素が自由意志と呼べる」みたいな説
>確率と自由が同じな訳ねーだろ
つまり、あの有名な「シュレディンガーの猫」の思考実験を持ち出して自由意志を論証しようという人達がいらっしゃるということでしょうか?生きている猫または死んでいる猫を「自由に」選び取れる訳でも無い訳ですから、私もcosmos様同様、個人的には無理筋な考え方では無いかと思いますね(笑)。
>チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』
「まるで見世物小屋だ。こんな奇妙でちっぽけな二つの都市を、外の人間が気にかけているとでも思うのかね?」
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(大森望氏による巻末解説より)
ふたつの街[べジェルとウル・コーマ]は、地理的にほぼ同じ場所を占めている。社会体制の違うふたつの都市がひとつの土地に同居するといえば、(壁が崩壊する以前の)東ベルリンと西ベルリンを思い出すところだが、べジェルとウル・コ―マのあいだに物理的な壁は存在しない。にもかかわらず、ふたつの街のあいだには厳然とした区別があり、両国の国民はたがいに相手の国が存在しないものとしてふるまわなければならない。そのため、一方の都市の住人は他方の都市の住人(および建物や車など)を見ることも、声を聞くことも禁じられている。ふたつの都市国家が同じ場所に共存していることは、けっして認めてはならない公然の秘密なのである。このもっとも基本的な決まりに違反すると(=〈ブリーチ〉行為をおかすと)、〈ブリーチ〉と呼ばれる謎の組織がどこからともなくあらわれ、違反者を連行する。〈ブリーチ〉はほぼ無制限の巨大な権力を持ち、両国の国民にとって、かぎりない畏怖の対象となっている。…… べジェルとウル・コ―マの国民は、幼い頃から厳しい鍛錬を積み、相手国のものを〈見ない〉(unsee)、〈聞かない〉(unhear)ことを叩き込まれる。とはいえ、見ていいかどうかは見てみないと判断できない。どっちの国の人間なのかは、服装やしぐさや歩き方ですぐに判別できるが、判別するためにはいったん視界に入れる必要があり、そうして目に入った〈異質〉部分(相手国に属するもの)は、見なかったふりをすることが求められる。…… しかし、両都市国家のあいだにまったく交流がないかといえば、そうではないから話がややこしい。両国はかつて二度にわたって、“短く悲惨な戦争”を経験しているが、現在はほぼ友好関係にあり、それぞれの旧市街の中心に位置するコピュラ・ホールを通ることで合法的に(〈ブリーチ〉行為をおかすことなく)両国間を行き来できる。べジェルの国民は、コピュラ・ホールからウル・コ―マに入国したとたん、いままで見えなかったウル・コ―マの建物や人々が見えるようになり、反対にべジェルの建物や人々が見えなくなる(ことを求められる)。
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この奇想天外な設定を異世界ファンタジーものとしてでは無く、「現代ヨーロッパを舞台とした犯罪捜査ミステリー」に力業で無理矢理仕立て上げたような小説です。要するに地理的同居人(べジェル国民とウル・コ―マ国民)全員が草の根レベルで「裸の王様ごっこ」をやっていると思えばいい。それなりに興味深い設定でハマる人はハマると思うんですが、文庫で500ページ超えは正直冗長でした(苦笑)。設定の現実味という点でも細部における説得力に欠けるし、何より肝心のミステリ部分の話運びがまだるっこしくて種明かしも期待外れだったというのが致命的でしたね〜(毒)。
そう言えば、現在のアメリカ合衆国では分断が更に加速し、民主党員らと共和党員らとがそれぞれお気に入りのメディアソースから互いに矛盾する報道“のみ”を見聞きして暮らすようになってきているため、議員レベルですら党を跨いだ対話が成立しにくくなっているらしいですね。「ひとつ土地に同居しながら、互いに相手の国が存在しないものとして振舞わなければならない」のでは無く「そもそも互いの存在を認める気すらない」ということのようです。今や現実の方が余程SF的だと言えそうですねw。
15年後
ツバサ「僕と結婚(式ごっこ)しましたよね、プリンセス」
エル 「はぁ? マジきもっ」
エルちゃんはまた一つ大人になりました。
ココ的にはこのまま自然解消を狙っている感じだろうか。そのわりには未練たっぷりだけど。いっそ25過ぎた女は賞味期限切れってクズ男ムーブした方が、グズグズの関係続けるよりいいのでは?と思わないでもない。
>ベンジャミン・リベットの実験
この手のやつって限定的な状況で限定的な方法で行った結論(推察)を針小棒大に拡大解釈して吹聴するきらいがあるんだよなぁ(苦笑)
心理学では昔から「悲しいから泣く」のか「泣くから悲しい」のか議論されてる(後者の見解がジェームズ=ランゲ説)。一応これも後者は証明されてるんだったかなぁ。だから感情の後付け解釈はそれほど目新しい考えでもない。まあ、後者が証明されたからって前者が否定されるもんでもないだろうけどね。たぶん両方普通に機能してる。
リベットの実験がどんな感じかをイラストで説明したもの。
https://note.com/tky_2022/n/nbf009a8e7ce6
これ、どちらかというと「反射」に近い実験だと思うんだよね。お前仕事するときとか、しゃべるときとか、文章書くときとか反射でやってんのかよと。段階を踏んで物事を考えたり、調べたりしながら意思決定したことねーのかよと。お前ギアをローに入れたまま24時間365日生きてんのかよと。
意志をどこまで含むかっていう問題もある。車の運転とかほぼ無意識でやってる。これなんかはオートマチック制御しているようなもんだと思うけど、この無意識も意志の中に含まれると考えてもいいんじゃないの?と。寝ながらやっているわけでもないんだし。『ファスト&スロー』でいうところのシステム1と2の違いよね。
https://data.wingarc.com/fast-and-slow-19160
https://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1807/10.html
もちろん、システム2の熟慮も結局脳が作り出してるじゃん。って話にはなる。
短期的にも長期的にも人間は欲望や衝動に突き動かされている面があると思う。私がシゾイド的な言動をするのは、シゾイド的資質によって突き動かされているとも言える。けど、私はそれを自分の意志だとも思ってる。それって「反応」と何が違うのって言われたら人間にとってのそれが意志だと思うよ。その衝動がなければ意志になりようがない。何かを決定するには何かしらの判断(選好)基準が必要なんだから。個体としてみればそれが意志か衝動かなんてさほど変わらんでしょう。
生理的反応から完全に独立したものを意志と捉える方が生物的に無理がある。リベットの実験が正しかったとしてそこから導き出せることは「人間には自由意志がない」ではなく「人間の自由意志は肉体に支配、あるいは大きな影響を受ける」。当たり前のことだよね。逆に完全独立した意志ってどういうもの? 毎回サイコロ振って決めるの? 経験や情報? それに縛られるの?
>法律論と自由意志幻想
細かく見れば善悪の弁別能力は自由意志とはまた別だろうから、まずその行為の善悪(是非)について正常な判断ができたかどうかってアプローチはあるんじゃないかな。じゃあその判断能力は意志と何がどう違うの?ってツッコミだしたらキリがないけど。所詮意志も善悪も人間が勝手に言ってるだけの話なんで、ルール設定の問題だけど。
ちなみに道徳観っていうのも、何も人間の崇高な理念や理性(ゼロ)から生まれたわけじゃなくて、生得的に持っている選好みたいなものとしてプリインストールされてる。生物的にその方が生きやすいんだろうね。だから人間の言う道徳感情も肉体から作り出されている。