エル「私と仕事、どっちが大事なの!?!?」
…女の子って、やっぱ怖いっす…w
噛み締めて観ると、実にひろがるスカイらしいエピソードだと思いました。
こういう性差や年齢差を必要とする話は、今まではゲストを招かないとできませんでしたからね。ゲストに依存せず話を広げられるのは、本作の強みだと思います。
そしてやっぱり本作の個人回と言えば「揃わぬ足並み」。周りと比べて置いて行かれる焦りとその修正は度々描かれていますが、これができるのもメンバー全員が一つ屋根の下で暮らしている本作だからこそですね。(過去作では各々のコミュニティで解決していて、プリキュアメンバーが重要な役割になる事はなかったかと。)
>この家、毎回なんかのイベントやってるな
定期的なホームパーティーは上流階級の嗜み。(偏見?)
>行って来い少年
>ここの作画妙にヌルっとしてるな
深読みすれば「オネショタ卒業」「あげはルート消失」という分岐点としての重要シーンの様にも見えますが…この作品、言うほどオネショタ推してませんからね…次のあげは回でツバサがまだお目付け役やってるかどうか、でハッキリすると思いますが…
それにしても改めてツバエルはダークホースだったなぁ…とw放送前には誰がこの大穴中の大穴を当てる事ができたというのか?w
>お姫様抱っこ
高機動タイプのロールは救援ミッションをあてがわれ易いので、助けに入ったどさくさに紛れて誰にでもお姫様抱っこをしてたりする。役得ですね。(血涙)
>人生に正解がないならどんだけ回り道しようが~
>~そういう柔軟さが人生には本来存在していると思う
営業職、アリだと思いましたね。マーケティングなり何なり、デザインにフィードバックできるモノが得られない訳じゃないので。
ただ、そういう前向きさが無いと(失われると)、そのつもりで異動したのにデザインに戻れずズルズルと何年も…って展開になってまた煮詰まるんですが。(苦笑)
それを薄志弱行と捉えるか、最適化と捉えるか…「言い訳」と言うと抵抗がありますが、「意味付け」「解釈」と呼ぶ事もできるんですよね。
…う~ん…でも自分はどうだろう?そういう柔軟さ、無い気がしますね。「ここで妥協したら一生戻れない!!」って危機感が常にある。締め上げてないと不安で仕方ない様な所、ありますね。
>法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそうw
鋭い。少なくとも自分の周りでは、「自由意志幻想」の話をするとそこにツッコみが入りますね。
ベンジャミン・リベットの実験から提案される「拒否する力」にフォーカスすれば、その強弱で被告の刑事責任を問えるのでは?とよく言われますが…
その「拒否権」の強弱も外部からの影響で幾らでも変わると言える訳で、じゃあやっぱり「自由意志幻想」の下では刑事責任は問えないんじゃないか?って話になりますし、自分もそれに同意してます。
…というか、リベットの実験、検索しようと思ってたけど例によって固有名詞憶えてないから、どう検索したものか?と思ってたらこの道の者さんの引用先に書いてあったから助かりましたw有り難う御座いました。
因みに、量子力学と自由意志の関係を論じるものの中には、「量子力学では確率で決定されてるから、そのランダム要素が自由意志と呼べる」みたいな説もあるらしいです。
しかし僕に言わせれば、「確立と自由が同じな訳ねーだろ!?」って感じですね。
>地球外少年少女
何やら一部の猛者たちが大絶賛しているSFがNHKで地上波初登場。
しかして一話を観た感想は、「ステレオタイプな作り」という印象。
果たして面白くなるのか?
…と言うより、このテのガチSFは観ていて分かり難い要素は取り敢えず流して、後で理解できた時に合点する観方が正しいんだろうけれど、神経質な僕にはできない芸当で視聴時間がかさむのがツラい(苦笑)。
>フリーレン
ハイパースゴスギレジェンドロングレンジ騙し討ち。
組織的に復讐するのはフランメ的にもフリーレン的にもガラじゃないから仕方ないんだけども…
この二人以外に魔族の生態に明るい存在が居ない事に、やはり違和感を感じずにはいられない。
フランメが著書を遺さない事で情報を隠匿したり、フリーレンの魔法の蒐集の目的が情報の監視と独占だったと考えられなくもないですが、やっぱり無理がありますよね。
時間的、空間的スケールの大きさが類稀なる長所として機能しているだけに、この「世界を動かす人物の少なさ」の違和感がどうしても際立ってしまうのが勿体無い…贅沢言ってるとは思いますが…
フェルンの思春期の過ごし方もそうでしたが、「特別充実してる訳ではないけれど、特別やりたい事も無いからまあ良いか…」ってノリで年単位の時間が過ぎて行くのは、イマドキの作品って感じがしました。
>因果律に支配されている現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しない
「神はサイコロを振らない」なる趣旨の発言をしたことで有名なアインシュタインがこの立場でしたね。調べてみると彼は若い頃にスピノザの影響を受けていたみたいです。
◆◆◆
スピノザは完全な決定論者でした。すでにニュートン力学が確立されていた当時、初期条件さえ与えれば、ニュートンの運動方程式を用いて物質の時間発展は永遠に計算できる。すべては宇宙の最初に決まってしまっているとする決定論は、物理学のみならず哲学にも大きな影響を与えていました。…… 学問のためには名誉や資産も捨てるスピノザに、アインシュタインは強く尊敬の念を抱きました。なおかつ、スピノザが考えていた無制限の決定論は、アインシュタインの思いとまったく同じものでした。アインシュタインもまた、宇宙創造後の発展はすべて科学法則にまかされていて、人間は自由意志をもたないと考えていました。スピノザとの思想の一致は、若きアインシュタインにとって大きな心の支えになったのです。(三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』講談社ブルーバックス2018 p.144-5より)
◆◆◆
しかしそのアインシュタインの信仰にも似た信念も、後の1920年代にドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが唱えた不確定性原理によって完膚なきまでに打ち砕かれることになるのですが(苦笑)。
◆◆◆
不確定性原理によって、量子力学には「波か粒か」という二重性のみならず、「位置と運動量」の不確実性という二重性もあることがわかりました。初期条件として位置と運動量さえ与えれば、過去と未来のすべてにわたって位置と運動量が弾き出せるというニュートンとアインシュタインの決定論は、ことミクロの粒子の世界においては全く成り立たなくなったのです。(同 p.197より)
◆◆◆
じゃあやっぱり人間には自由意志があると言えるのか、と思いきや…最新の脳科学の知見によると、cosmos様の仰るように(大筋では)否定されているみたいですね(↓)。
https://www.nhk.jp/p/ts/26ZY61Z6J6/episode/te/RJ7W3PN1G2/
因みに、17世紀を生きたスピノザも同じようなことを既に考えていたみたいです(↓)。天才の直観ってヤツはやっぱりスゲーわw。
◆◆◆
― われわれはあるものを善と判断するがゆえにそのものへと努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するがゆえにそのものを善と判断するのである。― (『エチカ』第3部定理9の備考)
ふつうわれわれは、自分で目的を立て自分の自由な意志で行動していると信じている。ところがスピノザによると、自然の中で起こっているのはその逆である。言い表すことのできない衝動がすでにあってわれわれの行動を生み出しており、われわれはそれをいわば遅ればせに欲望として感じている。そして問われると、この欲望意識をもとに、自分はしかじかの目的に向って自由な意志で行動しているのだと解釈し、自分にも他人にもそういうふうに答えを返すようになっている。(上野修『スピノザの世界 神あるいは自然』講談社現代新書2005 p.31-2より)
◆◆◆
>法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそう
同感ですね。刑事事件の弁護士にしてみたら仕事がやり易くなって重宝がられているかもしれませんねw(ひどい偏見)。
因みに以下の記事によると「自由意志の存在を疑う人間は闇落ちし易くなる」らしいですよ(笑)。
https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/
>●クソみたいな驕りと油断で死んだ魔族●に1名追加
「魔族が魔力を隠さない」のは、いわば魔族内の社会学的理由に拠るものだ…ということか、成程なぁ。作品の世界観の細部がしっかり作り込まれていることで、地味ながら物語に深みや説得力とを与えていますね。今のところ作画も中の人の演技も個人的には言うこと無しですし、このまままずは1クールを無事に乗り切って欲しいと思います。
>今週の本編
キュアマジェスティが外見相応の精神年齢を獲得するための前段階、とも言える今回のセレモニーでしたね。ツバサの声が現在絶賛石化中のヘタレの銀狼っぽくなっていたのはご愛嬌w。
>「昔のりんならこうして私に頼ることもなかったし、こんな話もできなかった。大人も悪くないんじゃない?」
社会の荒波に揉まれたこともあり、中坊の頃にあんなに尖っていたりんちゃんさんも随分と素直で丸くなったものですね。こんな風に本編から一歩進んだ関係性が描かれるのもオールドファンとしては嬉しい限りです。
>今週の読書:ミステリージャンル
『でぃすぺる』とやらが貸出中でしたので、これにしました(↓)。何せ500ページ超えなのでまだちょっと読み切れない。読了して思う所があればまたプレゼンするかもしれません。
https://www.amazon.co.jp/%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%A8%E9%83%BD%E5%B8%82-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB/dp/4150118353
>私は地位非一貫性が江戸時代の社会を安定させていた面にこそ注目したい。社会に地位非一貫性があれば、革命はおきにくい。身分による不満や羨望が鬱積しにくく、身分と身分が、そこそこのところで折り合って、平和が保たれるからである。
武士は実より名を、一方商人は名より実を取ったということか。確かに徳川幕府が約260年続いた一つの要因だったのかもしれませんねぇ…他にも「芸は身を助く」や「社会の枠組みを新たに設ける者が一番美味しい思いをする」等等…いや、実に勉強になる読書でしたw。
こまちはシャドウ探すより職を探した方が良いと思うんだよなぁ(苦笑)
>現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しない
法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそうw
>近代を規定するイデオロギーの一形態に過ぎない
確固とした強い意志を持っている人はどうやって社会性や共感、コミュ力と両立してるんだろうね。
人間の在り方を一面的に定義するのは窮屈でつまらないねぇ。
正気の人間なら望まないこと(つまり人殺し、殺されること)を戦場の兵士が実行する第一の動機は、自己保存本能ではなく、戦友に対する強力な責任感である。(『戦争における「人殺し」の心理学』)
>魔法使いの嫁
2歩進んで3歩戻ってる感。学校が外界と切り離されたから、デスゲームなり殺人事件でも起こるのかと思えば不幸自慢大会開催で草。
フィロメアがまんまFateの桜ポジションで、どこまで寄せていくのかな~って思いながら眺めてる。
>フリーレン
●クソみたいな驕りと油断で死んだ魔族●に1名追加。
https://twitter.com/FRIEREN_PR/status/1722987573868474850
どこに力入れるべきかスタッフわかってるじゃない。
完全敗北した時に宣言した通りに、ちゃんと嫌がらせを続けているの偉い。(尚、対象には気付いて貰えてない模様)
>好きな事=精神的な逃げ道
社会や自分自身からの批評から完全に独立できる趣味を持てるって、結構特殊な才能だと思うんですよね(汗笑)。
現代だと趣味の成果を簡単にネットに流せてしまうから、余計に難しいと思います。
だから「プリキュア活動」という、人から隠れてコソコソやる事に意義がある行為を、大人になっても持てたというのは結構ラッキーな事だったんじゃないかな~と思ったり。
後は酒と友達が一般的な逃げ道なんだろうな…と。飲まない人間なので分かりませんけどね。(苦笑)
…個人的な愚痴を言わせて貰えば、娯楽を逃げ道に使う人間は、その界隈にとっては偶に迷惑になると思ってんですよね。
娯楽に逃げていると、娯楽からストレスを取り除く事ばかり要求する様になると思うから。そいつ等の相手を真面にしてたらする必要のない「接待」をする破目にもなる。
最近だと、アプデでサンドバッグになったバルテウスとアイビスを嘆く声をよく聞きますし。
>ゆっくりダークナイトライト
いやいやお前らSS最終盤ではもっと人間臭くなってなかったっけ?w
あの流れから10年以上経ってもそのスタイルを維持できてるの、ある意味スゲーわw
…これなら…未だに家が波打ち際の岩である可能性も…(汗)
>ナツこま
「ココのぞが矢面に立ってくれてるから、うちらは楽できて良いわ~w」みたいなマイペースなノリだったと記憶してますが…そろそろマイペースでは許されない時間かも知れない。
しかして尺的に掘り下げる時間も無さそうで…あるとしたら、こまちの変身回にワンチャン…って所か…
ココとのぞみが中々逢えなかったのは、理想と現実の自分の姿のギャップから逢わせる顔が無くなってた…って感じかな?
のぞみも「一人前の先生になるまで逢わない」とか言ってたし、こ~の似た者カップルめw
>自由意志
結構前からある話だから、以前にも掲示板に書いた事あるかも知れませんが…
因果律に支配されている現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しないという話があります。
「原因→結果」が全てなら、あらゆる言動はその原因が起こしているのであって、自分の意志は関係無いという事。
ならその言動に対して、「実行するかしないか」を最後に決定する所謂拒否権を自由意志が担当している…という説もよく聞きますが、これも考えてみると結局「自由意志は無い」という結論に辿り着かざるをえないんですよね。(苦笑)
>Dr.STONE
毎回見所が多過ぎて、観終わってから思い出そうとすると頭の中が取っ散らかって記憶が纏まらない=実質的に思い出せない状態になってるのがツラいwww
>魔法使いの嫁
あ~も~どいつもこいつもめんどくせーな!!!?
こうなったら高橋ナツコ呼んで、大声で好きな相手を宣言する大告白大会やろうぜ。丁度クリスマスだし。
>ブルバスターとかいう中小企業のしみったれたアニメ
あれは言うほど作中ロボットアニメ擦ってないですやん。…思えばナデシコも作中ロボットアニメ云々言ってたキャラは早々に退場しちゃったし、そういうロマンが戦場で通用すると詰まんなくなるって事なのか…
やっぱり「勇気」と「正義」は現実の前に敗れる運命なんかなぁ…(遠い目…)
やっと対立軸が見えて来ましたね。プリキュアサイドが唱える上昇史観とベルが奉ずる下降史観のガチバトルということでしょうか。成程、この描き方ならこれまで提示されたテーマ全てを包含することも可能か…尤も、のぞみを含めた殆どのメンツがグレーゾーンに片足を突っ込んでいる感は否めませんがw。一方のベルにしても、どうせ人類はいずれ滅びるというのなら余計な手出しをせず傍観していれば良いのに、「破滅を早めるべく」妙にお節介を焼きたがるあたりが何とも「人間臭い」ですねぇ、人外の癖に(苦笑)。
>ダークナイトライト
セリフもふんだんにありましたし、個人的には今回ココ様以上に存在感を発揮していたように思いました。今後顔出し出演&プリキュアとの共闘があるかな?咲舞が変身出来ない限りは難しそうですが…(変身には妖精のフラチョピが欠かせませんから)。
>生まれたときから死ぬまで生活が変わらないなら、自分の生き方をどうこうするって意思決定プロセスは不要
>「意志」が近現代に生まれたという話はたま~に耳にする
奇遇ですね。2018年の國分功一郎氏のテレビ放送は4回とも視聴していて、序でにNHKテキストも購入していました。その中に(自由)意志に関するこのような記述があります。
◆◆◆
意志の概念はまさしく信仰の中で発見されていきました。それを作ったのはパウロやアウグスティヌスらのキリスト教哲学であったと、[哲学者のハンナ・]アレントは言っています。意志の概念がいつどうやって始まったのかを確定することは困難です。重要なのは、現在のような意志の概念はかつては存在していなかったということです。…… 最近、子どもの不登校に関する専門紙からインタビューを受けました。不登校の子どもたちもしばしば「意志が弱いから学校に行けない」と言われてしまいます。しかし、不登校の子どもたちも「学校に行かないことが自分の意志」とは言い切れないわけです。行きたくないという「意志」があったのか、どうしても「行けない状況」だったのか、はっきりと線引きができない。それは、私達の行為が意志によって一元的に決定されているわけではないのですから当然でしょう。…… 現代社会では、意志がほとんど信仰のように強く信じられていることは分かっておいていただきたいと思います。その信仰を解除すれば、私たちはもうすこしだけ自由になれるのではないか。(國分功一郎「100分de名著 スピノザ『エチカ』」p.91-93より)
◆◆◆
現代とは資本主義由来の「拝金教」のみならず、自己責任論に直結する「意志教」が大手を振って歩いている時代だと纏められるのかもしれませんね。そのいずれもが近代を規定するイデオロギーの一形態に過ぎないということを、私も含めて一人一人が自覚しておく必要があるように思います。
あとここからは私の個人的見解ですが、確かに先鞭を付けたのはパウロやアウグスティヌスらだったとしても、自由意志なるものが際立って注目されるようになったのは宗教改革以降では無いかと思うんですよ。なるほど『奴隷意志論』を執筆したルターにせよ「予定説」を唱えたカルヴァンにせよ、自由意志そのものを認めることには消極的だったかもしれません。しかしそれまでの西欧がカトリック一択だったところに、新たにプロテスタントなる「分派」を建て上げることで、最初は為政者レベルで、後には庶民レベルで「両者のどちらを選択するか」を巡り「個人の意志が問われる」社会的素地が新たに生じて来たのではないかと私は推測しています。
>今週の読書
貸出中だったのですがようやく読めました(↓)。
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E5%AE%B6%E8%A8%88%E7%B0%BF-%E2%80%95%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%B3%80%E8%97%A9%E5%BE%A1%E7%AE%97%E7%94%A8%E8%80%85%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%B9%95%E6%9C%AB%E7%B6%AD%E6%96%B0-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%A3%AF%E7%94%B0-%E9%81%93%E5%8F%B2/dp/4106100053
ちょっと古い本ですが、抜群に面白かったですね。『下級武士の田舎暮らし日記』が江戸中期の仙台藩を扱っているなら、こちらは幕末の加賀藩が舞台。加賀百万石の「御算用者(会計処理の専門家)」がその職能を私的な家計簿の記載においても遺憾なく発揮し、幕末から明治に掛けての約37年間の「台所事情」を極めて詳細かつ赤裸々に記録したものです。興味を惹かれたところをほんの一部だけ抜粋しますね(↓)。
◆◆◆
実は、武士身分が窮乏化したのは、この「身分費用」が一因になっていた。百姓の年貢米も、この「身分費用」にかなり費やされていたといってよい。江戸時代のはじめ、十七世紀ごろまでは、武士身分であることの収入(身分収入)のほうが、武士身分であることによって生じる費用(身分費用)よりも、はるかに大きかったといえる。……ところが、幕末になってくると、武士身分の俸禄が減らされて身分収入が半減する。…… しかし、武士身分であるために支払わなければならない身分費用はそれほど減らない。十七世紀に拝領した武家屋敷は大きなままで維持費がかかる。また「家格」というものが次第にうるさくなってきて、家の格式を保つための諸費用を削るわけにはいかなくなった。そのため、江戸時代も終わりになると、武士たちは「武士であることの費用」の重圧に耐えらえなくなってきていた。…… 今日、明治維新によって、武士が身分的特権(身分収入)を失ったことばかりが強調される。しかし、同時に、明治維新は武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味をもっていたことを忘れてはならない。…… 明治維新は、武士の特権を剥奪した。これに抵抗したものもいたが、ほとんどはおとなしく従っている。その秘密には、この「身分費用」の問題がかかわっているように思えてならない。(前掲書 p.76-77)
◆◆◆
まさしく「武士は食わねど高楊枝」そのままですね。1871年の廃藩置県が割とスムーズに進んだのも、そろそろ武士達が「見栄を張るのが辛くなってきた」ことから説明出来そうに思えます(笑)。
>舞の自分探し
そのポジション与えられるのは妥当だけど、ちょっと可哀想なんだよなw
オトナプリキュア全体に言えるけど、好きなことで飯を食おうとするから辛くなるんだよね。趣味(精神的な逃げ道)として使わせてもらえない。
>中動態
生まれたときから死ぬまで生活が変わらないなら、自分の生き方をどうこうするって意思決定プロセスは不要だからね。「意志」が近現代に生まれたという話はたま~に耳にするね。著作権とかも印刷技術の向上で容易にコピーできるようになったからこそ生まれた概念だろうし。
みんなボケっと生きてるし、自分の行動に説明がつかないなんてことはよくある。けど現代社会はそれを許容しずらいんだろうね。社会も自分も他人も。
>かつて憧れた「勇気」や「正義」
ブルバスターとかいう中小企業のしみったれたアニメがありまして。なお、最近学歴コンプまでこじらせ始めた模様。
>第三次世界大戦前夜
国家間戦争よりは経済的な格差などによる分断によって世界内戦が起こる方がありそうかなぁ、って思ってます。
思えばカバトンも作り手に愛されてる感あるキャラだった。
だが貧乏人の小細工は札束で殴る。これが東堂流。
近年のプリキュアのネタ回としてはカオスみが足りない…じゃなくて、ネタ回とはいえヒーローではなく子供をエンジョイしているソラからは、半ば内定が決まっているからこそできるギャップイヤー的なモラトリアムを感じますね。
そういう所が現状小さく纏まってるんでしょうが、「空き時間ただ遊んでました」ではギャップイヤーの意味が無いので、今回の様な日々が終盤で活きてくる事を期待したいです。
それはそれとしてソラもましろも可愛すぎて生きるのが辛い。
>俺も○○だったけど克服できたからお前らも克服できる理論
何だかんだ熱血展開好きだから嫌いじゃない論調…なんだけど、見境無くこれやり出すとまほよめの刈り上げ君(リアン)になるし、使う相手の選抜が難しいのがもどかしいなって。
>オトナプリキュア
たった一年でも先輩は先輩だった。
同じリーマンでもこの違い!
同じ家事手伝いでもこの落差!
これが…先輩プリキュアの貫禄…!!
>舞ってどんな子だったっけ?
自分も殆ど憶えてないなぁ…ネタ半分で「咲大好きっ子」だとは認識してたし、今回もそんな感じの演出が見られたけどw
…元彼も大変だったと思うよ。忙しくて偶にしか逢えないのに、逢っても親友の惚気話を延々と聞かされてたんじゃ、そら愛想もつきますがな。(実際は舞が恋愛に身が入らない、上の空だったであろう事が原因だろうけど。)
>現実はみんなテキトーです。決断なんてしていない。
最近、能動態でも受動態でもない「中動態」なる概念を知りました。
何か哲学史ではかなり昔からあった概念らしく、能動態との対立概念だったんだそうな。
具体的な例えは以下のリンクで。講演会のテキストなので、調べた解説文の中では恐らく一番分かり易いかと。
http://igs-kankan.com/article/2019/10/001185/
>なにも考えずぼんやり生きてたら何の手応えも、
>何の成果も、何の肯定感もない人生になりましたというのでは面白くもなんとも無い
僕なんかは最早現実よりフィクションの世界に詳しいレベルで軸足持っていかれてる所がありますが…(苦笑)
それはそれとして、肉体は未だ三次元世界にあって肉体があればこそフィクションも楽しめるとあれば、三次元世界の生活を蔑ろにするのも何か違うな~ぐらいは思ったりしますね。
>テーマ的にちょっと風呂敷を広げ過ぎじゃないかと心配になりますね
SDGsだの何だのは具体的に解決するというよりは、「未来終わってるけど仕方ないよね」って諦観の方を取り上げそうな気がしてますね。
かと言って、こういう問題に対して「気持ちの持ち様」が答えで許されるのは子供までじゃないのか?という気もしますので、そこをどう落とすのかは気になってますね…
>オカルトに正論(ミステリの解答)ぶつけても倒せない
そういえば、「うしおととら」の藤田先生も短編集でミステリ描いてた事を思い出しました。(↓)
https://amzn.asia/d/eHPcdcZ
あとがきで作者本人が反省していた様に、パワー系の実行犯に口封じで殺されそうになった時の探偵役の対応がトンデモなんですが…まぁ、あの作者らしいな、とw
被害者も「普通に攫って普通に殺せよ」ってツッコめてしまうトリックも中々…(苦笑)
>魔法使いの嫁
幼馴染色々。
刈り上げ君に対してフード君もフィロメラも凹んでいたけれど、フード君の話聞かないのは刈り上げ君の「甘え」だし、フィロメラが刈り上げ君にキレてたのも「甘え」だと思う。
そういった、甘えたり甘えられたりする相手が身近に居る事は、必ずしも悪い事じゃないと思うし、そんなに凹まなくて良いと思うんだけどなぁ…
そのままの関係で良いかどうかは別だけどさ。
>勇気爆発バーンブレイバーン
そう悲観した企画でもないと思いますよ。多分、これって要は「機動戦艦ナデシコ」のタイトルを「ゲキガンガー3」にしたって事だと思いますし。
かつて憧れた「勇気」や「正義」。それらが現実に否定されて行く中で、それでもそれを信じ、証明しようとする話になるのではないでしょうか?
ナデシコの方は、信じつつも現実に打ちのめされたまま終わっちゃってるので、こっちとの差別化もできそうですし。
これ下手するとイメージアップを狙ったマッチポンプ疑惑を持たれそうな案件ですけれど、そんなことにならないのは、プリキュアのメンバーが地元民らに対してこれまで培った信用によるものなんでしょうねぇ(笑)。
>給料は比例しない模様
だから有能な同僚ほど「ここに居ても将来は無い」と言い放って転職しちゃうんですよねぇ(体験談)。勿論有能で無い私は黙って見送るのみなのですがw。
>当時の日本もそれなりの戦力を持っていて~(以下略)
仰る通り日本国に「付け入る隙が少なかった」というのは確かだと思いますが、私は当時の特異な国際情勢が齎した要因の方が大きかったのでは無いかと考えています(↓)。
◆◆◆
日本が明治維新によって統一国家をつくりあげたころ、ヨーロッパにおいても、ドイツとイタリアがいずれも1871(明治4)年に統一を完成した。いわば、この時期は民族統一を実現するために残されていた唯一の時期だったといえる。幕末の対日政策を主導したイギリスは、世界の工場としての地位を確立して、むしろ貿易の自由を強く求めていた。インドのセポイの乱(1857年)や中国の太平天国の乱(1851~64年)のような植民地支配に反抗する手ごわい民族運動に直面して、柔軟な対日政策をとり、貿易の自由が保証される限り、日本の国内紛争には中立の立場をとって介入を避けた。またアロー号事件をとらえて第2次アヘン戦争(1856~60年)を引き起こしたように、その主力を中国に向けていた。
極東でイギリスともっとも対立していたロシアは、1861(文久1)年に対馬を占領したが、イギリスが軍艦を派遣して退去させた。英・仏とのクリミア戦争(1854~56年)の敗北で、ロシアは進出の気勢をそがれ、国内問題に忙殺されていた。幕府と結んで多くの権益を獲得していたフランスは、ルイ=ナポレオンの対外政策がことごとく失敗し、とくに普仏戦争(1870~71年)で敗北して、日本から後退した。日本を開国させたアメリカは、南北戦争(1861~65年)によって国内問題に忙殺され、対日関係を消極化していった。このように、明治維新が達成されたころの日本をめぐる国際的環境は、一種の勢力の空白期でもあったのである。
(安藤達朗著・山岸良二監修『いっきに学び直す日本史―近代・現代【実用編】』p.88より)
◆◆◆
倒幕運動の高揚から戊辰戦争を経て、やがて明治維新に至るまで (1860~70年あたり)の、日本国が事実上の「内戦状態」にあった凡そ10年間に、本邦に対する欧米列強の直接的な政治的・軍事的介入が無かった理由もこれで説明がつくみたいに思いますね。要するに「歴史のタイミング的に偶々運が良かっただけ」ということなんでしょうw。
>『ちいさな国で』
いやぁ、実に面白い(と言ってはいけないのかもですが)本でした。処女作とは思えないほど文章が上手いですねぇ~(特に風景描写が)。
「いつの間にか変容していく日常を子どもの視点から描いた」という点ではコレ(↓)を:
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%AF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%96%87%E5%BA%AB-520-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%92%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4001145200
「書物には苛烈極まる現実から僅かでも“心の距離を取る”チカラが備わっている」という点ではコレ(↓)を:
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E4%BF%82-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%EF%BC%A7%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%99-ebook/dp/B07897122Z
それぞれ想い出しました(2冊とも定番のナチス関連で恐縮です。いずれもだいぶ前に読んだ本で、過去にこの板でプレゼンしたようにも覚えていますが…まぁ大目に見てくださいw)。
本書から御大は(一応は終息したと見える)コロナ騒動を想起されたようですが、私は現在進行形ともいえる「戦争に関する世論」を連想しました。「ロシアのウクライナ侵攻」の関連報道が既に「日常の一部」と化したように、パレスチナ・イスラエル戦争が新聞のベタ記事扱いになるのもそう遠くなさそうですし。
かのタモリ氏は2022年末に、2023年を評して「新しい戦前になるんじゃないか」と発言されたそうですが、個人的には世界はとっくに「第三次世界大戦前夜」を迎えているように思えてならないですね。そういえば1937年7月にかの盧溝橋事件を切欠に始まった「日中戦争」も、当初は日本側・中国側ともに、対英米貿易を継続したいとの思惑から宣戦布告を行っていなかったため「支那“事変”」と呼ばれていましたっけ(宣戦布告を行ったのは太平洋戦争勃発以降)。少なくとも開戦当時の日本人の意識は「北京・上海などの在留邦人保護のためにやむを得ず武力を用いているまでで、戦争などでは毛頭無い。」だったのではないかと推察しますね、やがて「茹でガエル」になるとも知らずに。
>オトナプリキュア
プリキュア5の他のメンツに先駆けて、咲舞がクローズアップされるとは意外でした。舞の「二十歳を過ぎてのプリキュアカツドウ」に加わる動機が、ざっくり言うと“自分探し”というのも面白い。リアル幼女には理解不能の概念ゆえに、本編では全く登場しない言葉ですからねぇ~。
咲舞の前のめりの姿勢を受けて、未変身組(りん・こまち・うらら)は内心「やれやれ、これで私達は側面支援のみで、どうやら変身しなくて済みそう」とか思ってそうですねw。
>今回の敵はランダムエンカウント制なのでこちらから能動的に動かないといけない
ああそうか、何か本編と展開が違うなと思っていたら、敵のメイン目標がプリキュアじゃないからか。これは対応に中々手間が掛かりますね。そりゃあ索敵に時間を取られて今回みたいに変身しない回も出て来るか…まぁブンビーさんが代わりに変身ノルマを果たしたと思えば(笑)。
>このアニメ、どこまで射程に入れてるんだろうな
SDGsに高齢化に伴う住宅問題、果ては個々のメンツの心の葛藤まで取り上げるのか…テーマ的にちょっと風呂敷を広げ過ぎじゃないかと心配になりますね(ところで何クールやるんだろ?)。
やっぱ肩書って大事やね。
俺も○○だったけど克服できたからお前らも克服できる理論使うツバサ。ましろは自分が無理しても人に無理させないのにこの差よ。
>青田狩り
こいつ見込みありそうだからちょっと鍛えてやるか→この仕事振ってみるか→上司「この案件任せられる人いない?」→「彼なら適任ですよ」
サラリーマンあるある。なお給料は比例しない模様(最終的に出世する可能性は高いけど)
お婆ちゃんの態度見てると、ましろはいい子ではあるけど面白みがないんだろうなとは思うw
>日米“和親”条約
当時の日本もそれなりの戦力を持っていて(地政学的な価値は別として)侵略するには容易ではないし、江戸幕府という統治機構も存在しているし、宗教勧誘も失敗しているし、学問・教養レベルも高いから付け入る隙が少なかったんだろうね。
>仙台藩と徳川家の関係
へ~(地元の歴史に全く興味ない奴の反応)
>フリーレン
魔族絡みの設定はポワポワだね。ゾルトラークを軸にした魔法観は話が進むに連れて洗練されていくけど。
良くも悪くもメインストーリークリア後のサブクエ&DLC消化してる空気感。
>勇気爆発バーンブレイバーン
https://bangbravern.com/
企画が詰んでる感。
ミスマッチを狙っているんだとしても滑ってるし、1話でこいつら全員死んで(あるいは劇中劇で)少年がスーパーロボットに乗り込む展開やられてもシラケた感じになるしで、面白くなる予感が全くしない。Cygamesが絡んでるってことはゲーム化する予定でもあるのか。
人間不信というか人見知りというか引き篭もりというか…
そんな事を竜族の皆さんを見ていて思いました。
ヨヨとツバサの関係は「言われてみれば、どっちもインテリ系だな~」程度にしか思ってませんでしたが、思えばミラーパッドの譲渡が今回の伏線になっていたのかも知れませんね。
先行く人に引っ張って貰ったり背中を押して貰ったり…具体的な進路が決まってくると、終盤戦だな~って気がしてきます。
>伝説の竜族が永遠の光を守る
実際の所は分かりませんが、恐らく「長期的に恩を売っておけば、将来何かの役に立つだろ」って魂胆だったんじゃないかって気がしますね。
迫害されても腐らずに社会貢献してた竜族のご先祖偉い。
それにしてもスカイランドの設定が意外と凝ってる気がしますね。主人公の出身地だからなのか…居たとしてもやる事が無いと思ってましたが、やろうと思えば結構がっつりスカイランド編をやれる準備があったのかも知れない。
>オトナプリキュア
そういえば、かつて彼女達が戦っていたのは、何か爛れた大人達でしたね…
時が流れて、そんな大人達と一緒に働く様になって、彼女達自身もグレーゾーンに立っている…何だか感慨深いですねぇ…
ふむ…オトナプリキュア一作目に5(GoGo)が抜擢されたのは、単に人気やタイミングの問題だけではないのかも知れないですね。
>フリーレン
ドラえもん観てたらコロコロのCMにフリーレンが出てベイブレードやってた。
…何を言ってるか分からねぇと思うがおれも以下略
出版社繋がりなんだろうけれど、どうしてこうなったw
恐らく見た目ほど緻密な世界観してないんだろうけれど、今回は少し矛盾が目立ったと思います。
エルフの生殖本能は低下しているのに、胸の大きさを気にしてたりとか。
超強い攻撃魔法は研究対策されたのに、超戦争してる魔族の生態については全然研究されてなかったりとか。
まぁ、後者については魔族側からの情報操作とかがあったのかも知れませんが…
>ブルバスター
ちょろっと話に出て来た「海水を真水に変える研究」の戦犯感。