>きしむ政治と科学 コロナ禍、尾身茂氏との対話(牧原出)
>1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録(尾身茂)
https://www.amazon.co.jp/dp/4120056775
https://www.amazon.co.jp/dp/4296202553/
あの当時を振り返って検証……するわけでもなく居酒屋でダベる程度の内容。
例の「重症者85万人、死者42万人」のデータにしても、当時としては数理モデルを使って提言したことが画期的だったって説明してるけど、その数理モデルが実用に耐えなければノイズでしかないんだよなぁ。
>「経済成長」の起源(マーク・コヤマ)
https://www.amazon.co.jp//dp/4794226691
「なぜイギリスで産業革命が起きたのか?(なぜ他の国や地域で起こらなかったのか?)」を検証した本。
結局のところは玉虫色というか消去法というか、わかりやすい決定的な理由はないっぽいですね。色々な複合要因って感じ。そんなわけで眠たい話がずっと続くんだけど、イスラム圏の発展が止まった理由について紹介されていたりするのでその点では参考にはなったかな。イスラム圏ってあまり語られないから(苦笑)
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経済状況の変化に対応する点では、イスラム法はどちらかといえばのんびりしていたと(アメリカの政治学者)クランは言う。ただ、それは宗教上の理由からではなく、単に商業に関連する法律を変えようという意欲が乏しかったからだ。その典型が相続と共同経営に関するイスラム法である。イスラムの相続制度は当時としてはきわめて平等で、女性にも遺産の相続が認められていた。
また、多数の相続人があらかじめ定められた方式で決められていた。経済成長にとってこれが重要だったのは、共同経営を左右していたからである。イスラムの共同経営は、パートナーの死後、共同関係を解消することになっていた。理屈としてはふたたび結成することは可能だが、そのためにはパートナーの相続人のほぼすべてが協力しなくてはならない。だが、相続人の誰かが金銭的な窮地におちいった場合、その相続人は共同経営の資産の精算を求めることができ、この場合、関係する者全員がそれに巻き込まれてしまう可能性があった。
このような場合に備え、ムスリムの商人や実業家は、共同経営は小規模なままにとどめ、経営期間も限定していた。理由ははっきりしている。パートナーが増えれば増えるほど、あるいは提携期間が長ければ長いほど、パートナーの一人が死亡し、共同経営が解散に追い込まれる確率が高くなるからだ。さらに重要なのは、このような制度だったので、共同経営に関する法律を変えようという要求があまりなかった。ヨーロッパでは事業の取り決めがさらに複雑になり、とりわけ交換可能な株式の導入、法人という形態の普及が進む一方で、イスラム世界では法律の改正を求めるインセンティブはほぼ皆無だった。事業が意図して小規模なままであれば、会社の拡大に役に立つ株式や法人のようなものは思いつくはずもない。
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あとは宗教エリート層が幅を利かせていたことも要因としてあるようですね。これは宗教的にガチガチだったというより、宗教が政治や既得権益の維持に利用されたようです。
>神戸女学院大学名誉教授
この程度でも大学教授になれて、この程度の本でも出版できてアマゾンレビューでも概ね高評価もらえるんだから世の中ちょろくて甘いよね。良い時代じゃん。皮肉抜きでそう思うよ。
>「わざわざ塾に通っている以上雑談や雑学は一切不要~」と要求する一部の生徒
それはどちらかというと、余計なことするな、空気読めよ的な発想じゃないかなぁ(苦笑)
…なんてのはすっかりオジ(イ)サンの感想なんでしょうなぁw。まぁ谷村新司もSMAPも明石家さんまも知らない塾生(現高校一年生)が居るくらいだから、今更不思議でも何でも無いんでしょうが。
>現代の子どもが金で買えるから物事を消費的に捉える、というのはやや行き過ぎな感
これまで内田樹氏の著書は読んだことが無かったので、これを機会にいくつか読んでみました(↓)。まぁ結論から申し上げると:
① 確かに切れ味鋭い分析も含まれているとはいえ(但し一章のみ)、全体としてはやや記述が一面的過ぎて、読み進めるに従って思い込みが強すぎる余り独りよがりな暴論に堕している部分も無きにしもあらず。
② 書名が中学生向けを想定して書かれた「学ぶということ」なのにも拘わらず、「日本は米国の属国」と言い切ってしまうなど、いかにも左翼思想強めの現体制批判(当時は安倍政権)に終始しているのは正直頂けない(思想的立場はどうあれ、まずは先行世代に対する信頼と敬意とを最初に抱かせるべきでは?)。しかも政治家や財界人らを散々にこき下ろした挙句、最後に言うセリフが「(これからどう生きたらよいのか)あとは自分で考えてくれ(p.48)」とは無責任極まりない…著者紹介によると、この方は執筆時点で「神戸女学院大学名誉教授」のはずなんですが(苦笑)。
①https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BE%BA%E5%A2%83%E8%AB%96-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4106103362
② (冒頭部のみ)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B6%9A%E3%83%BB%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A91-%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A1%90%E5%85%89%E5%AD%A6%E5%9C%92/dp/4480683313
どうやらこの方は、これまで日本を日本たらしめてきたと著者自身が信じる確固たる「教育観」をお持ちのようで、それに少しでも疑義を挟む人々に対しては過剰に反応し徹底的にやり込めようとするメンタリティをお持ちなように見受けられますね(↓)。
―――
「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的に確信することから始まります。「学び」はそこからしか始まりません。私たちはこれから学ぶことに意味や有用性を、学び始める時点では言い表すことができない。それを言い表す語彙や価値観をまだ知らない。その「まだ知らない」ということがそれを学ばなければならない当の理由なのです。そういうふうな順逆の狂った仕方で「学び」は構造化されています。
「学ぶ力」というのは、あるいは「学ぶ意欲(インセンティヴ)」というのは、「これを勉強すると、こういう『いいこと』がある」という報酬の約束によってかたちづくられるものではありません。その点で、私たちの国の教育行政官や教育論者のほとんどは深刻な勘違いを犯しています。…… 「学ぶ力」とは、「先駆的に知る力」のことです。自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のことです。ですから、もし「いいこと」の一覧表を示されなければ学ぶ気が起こらない、報酬の確証が与えられなければ学ぶ気が起こらないという子どもがいたら、その子どもにおいてはこの「先駆的に知る力」は衰微しているということになります。…… 今の子どもたちは「値札の貼られているものだけを注視し、値札が貼られていないものは無視する」ように教えられています。その上で、自分の手持ちの「貨幣」で買えるもっとも「値の高いもの」を探し出すように命じられている。幼児期からそのような「賢い買い物」のための訓練を施された子どもたちの中では、「先駆的に知る力」はおそらく萌芽状態のうちに摘まれてしまうでしょう。……けれども、この力は資源の乏しい環境の中で生き延びるために不可欠の能力だったのです。…… この能力を私たち列島住民もまた必須の資質として選択的に開発してきました。狭隘で資源に乏しいこの極東の島国が大国強国に伍して生き延びるためには、「学ぶ」力を最大化する以外になかった。「学ぶ」力こそは日本の最大の国力でした。ほとんどそれだけが私たちの国を支えて来た。ですから、「学ぶ」力を失った日本人には未来がないと私は思います。(前掲書① p.196~8より引用)
――
引用の一段目はまぁ頷けるとして、二段目の途中から「ん?」という感じになり、最終文の結論に至ってはそれは流石に言い過ぎだろうとの印象を受けました。
以前のコメント内で私は「教育現場で学生たちが表明する「不快」なる感情の出所を、資本主義的行動様式が齎す当然の帰結」とした著者の分析を肯定的に評価しました。その点は今も変わりません(それは私自身が塾の現場で「わざわざ塾に通っている以上雑談や雑学は一切不要。教科書に記載された“試験に出そうな事柄”だけ説明してくれ。」と要求する一部の生徒と関わっていることもあります)が、著者は例えば「因数分解とか昔の歴史とか、そんなの覚えて将来何の役に立つの?」的な、今も昔も生徒から発せられる「極めて素朴な疑問」に対してまで、「それは学習行為からの“自覚的逃走”を表明したものに他ならず、その背後にあるのは資本主義的価値観の蔓延」とミソもクソも何もかも同じ物差しに当てはめて説明しようとしているかように個人的には映りました。むしろ教師の言われたことに盲従せず質問を投げかける行為は、生徒らが「自分の頭で考えようとしている」証左だとして肯定的に捉えることも出来るかとも思うんですが(御大の指摘される通り、教職が昔ほど神聖視されず、同時に権威的で無くなった影響も当然あるでしょうしね)。
著者は教育者を名乗るのであれば、そういう素朴で真っ当な問い掛けを頭ごなしに否定せずにまずは受け留め、(それが間違っていると主張するのであれば)その思い込みをやんわりと正し、何なら己の土俵へと巧みに誘導するくらいの「オトナの狡猾さ」を弁えていて然るべきではないかしら。教育者ではない塾講師の端くれである私すらそれくらいのことは考えますしね。この方の「物差し」に従えば「無知蒙昧な生徒の分際で教師に「学ぶことの意義」を問うなど烏滸がましい、お前らは黙ってオレの言う通りにやれ!」的な、ふた昔ほど前のマッチョな指導者しか認めないということになりそうですw(苦笑)。
あと蛇足ながら著者の記述で個人的に全く許容できないのは「SFとは1950年代末に人類が自分で造り出したテクノロジーによって滅びる可能性が切迫してきたため、その虚無感と恐怖を描き出すために発明された新しい文学ジャンル(前掲書②のp.12)」との件ですね。ジュール・ヴェルヌもH.G.ウェルズも1926年創刊の『アメージング・ストーリーズ』すらもガン無視とは良い度胸をしているww(←面倒臭いファン)。典型的な「専門外のことは迂闊に断言せず黙っておけば良いのに」案件ですね。
>オトナプリキュア
最後まで脚本が詰め込み過ぎでしかも説教臭い(苦笑)。まぁ初の試みということを考慮すれば取り敢えず及第点を上げてもよいかなぁw(←何様)。
>回想シーンちょっとサバ読みすぎ
ココによる歴史改竄というより、放送媒体(Eテレ)に配慮した東映側の「自主規制」なのではないですかね?
>地球外少年少女
第3,5,6話しか観れなかった(4話は録画に失敗)ので当然なのかもしれないんですけれど、閉塞した舞台設定の下で意味不明のカタカナ語が乱れ飛ぶ&登場人物の発話の度ごとに新たな謎が提示され続けることに終始追いつけないまま、いつの間にか話が終わっていたというのが正直な感想ですね。こっちも脚本が詰め込み過ぎなんじゃないかしら。
>下流志向(内田樹)
ん~~~~~? ん~~~~~~~~(苦笑)って感じだったなぁw
理解度が浅いっていうか、全般的に「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」感。
特にニート論が酷い。この当時(出版は2007年)の還暦前のおっさんではその程度がせいぜいかもしれないけど、ニート支援してる人が読んだら奮発もの。著者によれば選択的に働かない、働かないことに積極的な価値づけを行っている的な論調だけど、なわけないだろ。
日本の教育システムと就職が一直線だからだよ。小学校、中学校、高校、大学、そのどこかの時点で躓いた子の受け皿がない。80年代90年代だとフリースクールはあまり知名度が無かったし。就職も新卒一括採用が基本だから「お祈りメール(当時はお祈り葉書か?)」を何十通ももらったら普通は自信もやる気も失う。バイトで食いつないでも履歴書に空白欄が出来たらより採用されにくくなる。レールから外れると復帰が難しいし、(それでも仕事を選ばなければ就職はできるかもしれないが)それと折り合いが付けられない人だって出てくるだろうさ。好き好んで無職は最強!って言う奴なんかいね……(あ、俺は言うな)
その一括採用だって廃止したら欧米みたいに中途採用を巡って経験者や熟練者との競合になるんだから一概に否定されるものでもない。つまりこの著者は社会システムを理解してない。そのくせ決めつけで言ってるんだから大したもんだよ。
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去年、ある国立大学で集中講義をしたときに、その大学の新聞部の学生からインタビューを受けたことがあります。その学生が発した最初の質問が「現代思想を学ぶことの意味は何ですか?」というものでした。
その問いを発した学生は、もし僕がこの問いに説得力のある回答をしたらそれを学んでもよいが、僕の答えに納得できなければ「学ばない」と宣言しているわけです。つまり、ある学術分野が学ぶに値するか否かの決定権は自分に属しているということを、問いを通じて表明しているのです。僕はこの傲慢さと無知にほとんど感動しました。
ーーーーー
著者の傲慢さと無知に感動するのはこっちだよ。
どういう調子と文脈でインタビューされたのか知らんけどさ、答えればいいだろ、それが仕事なんだから。俺だって「なんで毎週プリキュアの感想書いてるんですか、それってどんな意味があるんですか?」って聞かれたら答えるよ。普通に考えれば現代思想の位置付けとかアプローチがどんなものか、その視点を通じて何が見えるのかとか知りたかったんじゃないの? 別に品定めする気なんてなくて。それともそう言われたのかよ。読んでてマジでキツかった。
昔の子どもは家事労働を通じてアイデンティティとか自己効力感(承認)を得ていた、という話は割合頷けるけど、じゃあ現代の子どもが金で買えるから物事を消費的に捉える、というのはやや行き過ぎな感があるなぁ。著者はそれが幼少期から形成されるって語ってるけど、私が子どもの頃振り返ってもお金で買えるのは「お金で買えるよね」ってくらいの認識だったぞ。そもそも子どもはお金を持ってない。持ってるのは親。親にねだって買ってもらうし、買ってもらえないこともある。それで消費体質が身につくかって言われたら「ん~~~?」って感じ。消費論を是とするならまず子どもは親に従う(親のご機嫌を取って買ってもらう、親の影響を強く受ける)って理屈にならんか?
著者が統計データを一切出さず体感論でしか書いてないから比較もクソもないんだけど、進学率の向上とかでバカでも高校や大学行くようになったし、大学生の頭の良さが薄まるのは当然じゃないかって気はするんだよね。私の父親は団塊の世代で中卒だけど、当時で高校進学率は6割強。9割を超えるのは75年以降。つまりこの辺からバカでもなんでも高校行くようになった。本来なら進学せずに就職するのが妥当なアホすら進学してるんだからそりゃ統計上は勉強時間やらなんやら下がってもおかしくはない。進学率がほぼ横ばいになった以降で比較するならわかるけど。
小学生が授業聞かないってのはどっちかってーと親とかの教育や家庭環境因、あとは先生のハロー効果(先生の言うことは絶対聞く)が薄まってるとか、社会構造(共働き世帯の増加とかね)について考察する必要があると思うな。この著者は微塵にもやってないけど。
著者が言っている若者って年代的に私とあまり変わらないはずなんだけど、著者の言ってることに全く共感を覚えないんだよね。学校に行くのが当たり前。システム化された(オートメーション化された)環境だからこそ、そのありがたみや意義を感じにくくなって勉強に興味がなくなるとか、詰め込み教育の否定やゆとり教育の採用とか色々あった時代だから切り取り方でなんとでも言えるかなぁ。ちなみに週休二日制(最初は隔週だった)が採用されだしたの私の世代だね。
カイゼリンのエルに対する憎悪が半端ないからエルレインとの確執だとは思うけど、彼女高潔だから不手際を起こすとも思えないし、傍からはほんとに???
>端から論理が破綻している
「お前はただ自分が信じたいものを都合よく信じようとしたにすぎない」
「私は何も間違っていない。お前の自分勝手な想像を押し付けた結果が今だ」
これくらい言えないとラスボスとしての器足りないよね。これはこれで小さいけど。
あるいはベルはこれくらい冷静に挑むべきだった
https://twitter.com/maki_the_comic/status/1735513111195787544
>民主主義 エリート主導による国家運営
イギリスでもアメリカでも元々高額納税者が選挙権の対象だったからねw ロビー活動(日本だとパーティ券か?)とか見ても経済力がある層の意見をすくい上げやすいことは明々白々。
>ソルテ
奥付見ると連載が1年くらい止まってたみたいですね。アニメ関連の影響なのかわかりませんが、漫画ファンとしては本業に専念して欲しいのが本音。
>地球外少年少女
1話を見てないのでこの世界の地球の様子がわからないんだけど、宇宙ステーションだけで話が繰り広げている中で彗星落としとか、AIのシンギュラリティとか、ネットの情報全部見せようとか言われてもあんまピンと来ないなw 内輪だけで盛り上がってる感。
スキアヘッド「○るなら今か…」
和平に納得できない+身分違いの恋の成就の為にスキアヘッドが暗躍した結果、カイゼリンたんがあんなんになっちゃったとか?
或いはアンダーグ帝国のスカイジュエルの鉱脈の利権を巡って、代替わりしたスカイランド王国と争ったとか、か…
>ここで作ったたい焼きがヤーキターイとしてプニバード族に残った疑惑
>ソラの我流拳法がスカイランド神拳になった疑惑
自分は何気に大活躍してたソラのイメージカラーに因んで、「蒼」の護衛隊ができた疑惑を持ちましたw
…でもそれなら「白のレストラン」とか「名物雲パン」とかもできてそうなものなのですが…
>あの頃の純粋な彼女を返して、
>と思わず言いたくなるような壮絶な表情を浮かべるカイゼリン
ハピネスチャージのミラージュさんを思い出させる劇的ビフォーアフターwww
>オトナプリキュア
ベルをアホの子にする事で、上手く畳んだと思いました。
ベルに正論しか無ければ環境問題に立ち向かうしかなくなるけれど、ベルが認知の歪みというか欠陥を抱えているのなら、それを正せば良い話になるので俄然ハードルが低くなる。
…とは言え、選民思想にしては優良種に対するフォローが無いのは何でだろう?って思ってたのに、まさか何も考えてなかったとは…(苦笑)
一人の心優しき少女の命懸けの行動により、敵対する両国に平和が訪れました、めでたしめでたし…じゃないのか(困惑)。プリキュアシリーズに限らず最近のアニメは、子供向け作品でさえ脚本がどんどん複雑化している印象を受けますね。
>咆哮をあげるノーブル
犬山まな「あっ、ねこ姉さんだ!」
>民主主義に必要なのは話のわかる奴でバカは要らない
序でにこれ(↓)も読んでみました。内容はこれまでの民主主義の歴史や、その時代時代での定義の変遷を振り返る、といったもので、まぁその一つひとつは仰せごもっともとしか言いようのない「崇高なる理念」を含んではいるんですが、御大も仰る通りじゃあ実際にどれだけの層が実践できるのかとなると疑問符が付かざるを得ない内容でしたね。そもそも本書によると、米合衆国の建国時においてすら、後の第三代大統領トーマス・ジェファーソンら「建国の父」らはエリート主導による国家運営を志向し、全市民の政治参加を理念として掲げる「民主主義」に対しては極めて懐疑的だったようです。
https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E9%87%8D%E8%A6%8F/dp/4065212952
◆◆◆
すでに述べたように、「建国の父」たちは大地主や、弁護士と言った知的職業に就く人々がほとんどでした。…… 「建国の父」たちが理想としたのは、「高い知性を持つ、有徳な人々」による共和国でした。人民の直接的な政治参加には消極的であり、すでに指摘したように、上院議員は州議会によって選ぶこととし、大統領を選ぶにあたっても、直接選挙ではなく、大統領選挙人を通じた間接選挙を採用しました…… 興味深いのは、このような「建国の父」たちが、民主主義に対していかなる態度を取ったかです。前述した『ザ・フェデラリスト』(注:「建国の父」たち自身による合衆国憲法案についての解説書)を取り上げてみましょう。この第10篇では、純粋な民主政が共和政と対比されています。著者たちによれば、純粋な民主政とは、市民が直接集まって政府を運営する国家です。このような国家では、人々の共通の利益や感情が協力と団結を生み出しますが、反面、多数派によって少数派の利益が犠牲にされることがあります。古代の都市国家がそうであったように激しい党派争いも起こりがちです。結果として民主主義の国家は不安定であり、個人の安全や財産権を保障することができないと説きます。
これに対し、共和政とは代表制を取り入れた政治体制を意味します。結果として、間接民主主義を通して選ばれた少数の市民が政府を運営します。そのような市民は、国にとっての真の利益、すなわち公共の利益をよく理解しているでしょう。さらに、純粋な民主政は小国にしか向きませんが、代表制を取り入れた共和政ならば、より大きな国家においても実現可能です。このようにして『ザ・フェデラリスト』の著者たちは、純粋民主政ではなく、共和政こそを選ぶべきだと読者に奨めたのです。……
古代ローマのところでも触れましたが、共和政と民主政を対比的に捉える伝統があるとすれば、独立期のアメリカは、まさにその典型であるといえるでしょう。少数の人々(=エリート)によって公共の利益を目指す政治と、より多くの人々の政治参加によって多数派の利益を目指す政治を対比する二分法は、現在のアメリカの共和党と民主党という二大政党の名称にまでつながっているといえます。…… アメリカ合衆国が、その建国から「民主主義の国」であったというには、いくつかの留保が必要でしょう。(本書p.103~106より抜粋)
◆◆◆
小室直樹氏も『日本人のための憲法原論』の中で書いていましたけれど、二千年以上前に古代ギリシャで生まれた「民主政治」は、その歴史の大部分に亘って「衆愚政治」と同一視され、肯定的な意味合いで使用されるようになったのは漸く20世紀に入ってかららしいですからね(本書でも「ここ数世紀のことに過ぎない(p.80)」とある)。有名な話ですが哲学者のプラトンは、自身の師であるソクラテスが「アテナイの民主的な裁判の結果として」死刑宣告を受けて死んでいったことから民主主義に対して批判的となり、いわゆる「哲人王」によるエリート政治(哲人政治)こそが望ましいと主張していましたし。
恐らくほんの数十年前ほどまで続いた「無条件的な民主主義礼賛」は、偶々米国主導の戦後体制下において(これ以上の共産化を防がなければならないという「危機感」にも後押しされて)日本を含む当時の西側諸国らが自国の福利を向上させることに成功した結果を踏まえているに過ぎないように個人的には思いますね。だから民主主義とは程遠い独裁体制のもとでも驚異的な経済成長を遂げている中国という「成功例」を突き付けられて初めて、民主主義とは何なのかを世界は今改めて問い直している…と言えるのかもしれません。
>オトナプリキュア
街を守るために人間を滅ぼす…意味が分からないw(再び困惑)。のぞみからの指摘を待つまでも無く、端から論理が破綻していることに何故ベルは気付けなかったのだろうなぁ…。
さてさて、最終回目前でまさかの黒白先輩の登場ですね。この二人はタイムフラワー関係なく気合いで若返り&変身してそうだなぁ(笑)。
>ソルテ
安定して面白いんだけれどね~、何せ刊行ペースが遅すぎだわw。アニメ化が一段落したら多少改善されるかな?
>伝説(伝承)との齟齬
プリンセスが祈ったら勇敢な戦士が現れた。間違ってるわけじゃない。叙述トリックってやつw
>彼我の利害の対立を調整しながら合意形成を行うプロセス
>民主主義というのは本来煩雑で面倒臭いもの
『民主主義』(西田亮介氏のエッセンス版)にも目を通しましたが、丁寧な言葉遣いと啓蒙的趣旨を取り払って乱暴に言えば「民主主義に必要なのは話のわかる奴でバカは要らない」ってことだよね。アメリカ人の半数は算数ができない。日本人の3分の1は日本語が読めない。その数字が本当なのかは知らないけど、そうであっても私は驚かない。民主主義における理想的な国民は「賢い国民」を前提にしている。けどそれに耐えられる国民って何割いるんだろうね。この意味で民主主義はインテリ思想だと思うよ。
一方、『大衆の狂気』で著者が言っていたように現代の先進国ではほとんど抑圧されるような環境にはない。にも関わらず細かいことで難癖つけたり、弱者アピールすることで優位に立とうするひねくれ者もいる。差別反対と言いながら逆差別を生む。
どんなに言葉を変えても、理念を変えても人間は人間を選別したがる。
今回は現役プリキュア組は聴き役ですからねぇ…リアクションするだけの人員が多くてもテンポが悪いだけ…という判断なのでしょうか。
それとも過去を見たか見てないかで、今後意見の対立が生まれたりするのかしらん?
>エルレイン=キュアノーブル=一番星
恐らくノーブルとカイゼリンが相打ちになった結果、カイゼリンは300年の治療期間に入り、ノーブルは肉体が滅んで一番星となった…といった所でしょうが、じゃあエルちゃんは何者?ってなりますね。
まぁアン王女なんかは、転生後の中の人が違えば転生前の人格と会話できちゃったりしましたし、分身とか生まれ変わりで問題無いのかも知れませんが…
因みにスカイランド王国のお城は、300年前だと少し小さいというか地味なデザインになってましたね。
>オトナプリキュア
優秀な後輩も育ち、自分の夢も叶えたヒーローが、それでも戦場に出て来るという事はどういう事なのか?
それは「ヒーローは死ぬまで戦い続けなければならない」という事を表しているのではないでしょうか?
実際、続編商法の先輩である仮面ライダーでは、主人公が死ぬ事で完結する作品も幾つかある様です。
そして遂に、プリキュアもこの問題に関わる事になってしまうとは…
自己犠牲にやや批判的なプリキュアという作品が、この問題にどの様な答えを出すのか?そこが一番気になってますね…
>タイムフラワーの真相
これもう伝承の方が間違ってた…ってするしかなくない?(苦笑)
ひろがるスカイでも伝説の詳細が違っていたし、何某か誤解があったりデフォルメされてたりするのが伝説って事で。
ただそうなると、タイムトラベルするなり情報通に聞くなり、何らかの方法で伝説の真相を明かす必要があるんだけど…ベルが知ってるかどうかも怪しいですしねぇ…
とゆーか、未だにベルの正体は具体的に語られてないんですよね…一体何者なのやら…
>「事実関係やお前の発言意図などどうでもいい。
>オレがどう受け取ったかだけが大事だ。
>お前の発言そのものが不快だから黙れ。」
>端から議論をする気すら無い何とも粗雑な言説が横行している
やはり「自分の思い通りにならない人生なんてゴミ」ってこったなw(毒)
議論を含むコミュニケーションも、自分の人生を思い通りにする為の手段だと考えれば、コミュニケーションをする目的が重要なのかも知れません。
痛みを伴ってでも、自らを向上せんが為にコミュニケーションを取ろうとしない限り、保身の為に相手を傷付けるコミュニケーションしか成立しない気がします。
逆に言えば、保身をナーバスに意識しなければならない様な、砂上の楼閣の住人のストレス解消の場になっているのかも知れませんね。
…あ、それで面白いニュース見かけたんだったw(↓)
https://mainichi.jp/articles/20231206/k00/00m/040/229000c
掌返しの鮮やかさが爆笑必至www
ラストでスキアヘッドがカイゼリンの手を取るのが意味深w。
若かりし頃はカイゼリンも平和を志向していたみたいですね。武闘派への路線変更の謎は来週明かされるということか。
>エルレイン(キュアノーブル)
中の人は直近の『ゲゲゲの鬼太郎』第6作で「ねこ娘」を演じていらっしゃいましたっけね(クレジットを見るまで気付きませんでしたがw)。それはそうと、どうして伝承では「姫が祈るとプリキュアに変身した」から「姫の祈りに応えるようにプリキュアが現れた」に改変されているのでしょうね?目撃者が多数居るにも拘わらず…その辺りの謎も来週明かされるかな?
>今みたいに一人ひとりが自分のメディア(SNS)を持って個別に発信するのは本来の民主主義
仰る通り、各人が自由に意見が表明できる言論環境も民主主義の一部だと思いますが、私は彼我の利害の対立を調整しながら合意形成を行うプロセスがちゃんと機能していることの方が民主主義にとってより重要な、かつ実現困難な構成要素では無いかと考えます。そういう意味で民主主義というのは本来煩雑で面倒臭いものの筈なんですが、悲しいかな現行のSNSは自らの権利主張を「言いっ放し」だったり他者の発言の「揚げ足取り」や「論破」することばかりに関心があるようには見受けられますね。
>元々民主主義って言うほど民主的じゃない
確かに現実は全然民主的じゃないと私も思いますが、先の大戦直後に当時の文部省が作成した『民主主義』なる教科書(実際に1948年から1953年まで中学および高校で用いられたらしい)を以前読んでみた折に、(勿論GHQ主導による国民教化なる目的ゆえに民主主義を過度に礼賛するきらいはあるものの)、民主主義なるものの“理想(建前)”を「敗戦国のお役所」が、実に四百頁超に亘り熱弁していたことに少々胸が熱くなった記憶があります(↓)。
https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%96%87%E9%83%A8%E7%9C%81/dp/404400434X
しかし今やそんな建前すら平気で足蹴にするかのように、事実確認すらせずに一方的にフェイクニュースだと断定したり、果ては「事実関係やお前の発言意図などどうでもいい。オレがどう受け取ったかだけが大事だ。お前の発言そのものが不快だから黙れ。」と平然と言ってのけるなど、端から議論をする気すら無い何とも粗雑な言説が(SNSのみならず現実でも)横行しているように見えるのが個人的には気になっています。
>今の自分に都合の良いクラスターでしか生きて行けないし、そうではない相手とどう関われば良いのか分からないまま
他者と関わらない・関わり方が分からないままでも生きてゆける選択肢は現代でも割とあるんじゃないかとは思いますね。親の資産がそれなりにあれば在宅のままデイトレードなどで資産運用することも恐らく可能でしょうし、以前NHKの『ねほりんぱほりん』でも、一日20時間もオンラインゲームをやっている「ゲーム廃人という名の引き籠もり」の方も、ゲーム実況の動画配信の収入で自活してきたと仰っておられましたし…無論、そんな生き方で無事最期を迎えられるかどうかまでは判りませんが。
>オトナプリキュア
話数の割に題材を色々詰め込み過ぎで駆け足感が否めないw(苦笑)。次回作(『フレッシュ』と『HC』のコラボ?)がもしあるとしたら、もうちょっとテーマを絞った方がいいかと。
>民主主義なるものは爛熟期を過ぎて自壊
元々民主主義って言うほど民主的じゃないと思うんだよね。強いていえばインテリやブルジョワが有利になる政治形態っていうか。王政に取って替わったものだから当然なんだけど。
王政と違うのは一個人のブルジョワが支配するわけじゃなくて大企業やその繋がりの業界団体が強い力を持ってる。その力の源泉が従業員。従業員が10万人の会社なら10万票持ってることになる。選挙が近くなってくると私も組合から動員がかかって選挙活動したことあるけど、アレ無作為にやってるわけじゃなくて元従業員とか関係会社(下請け会社)の従業員のところに電話かけたり訪問してチラシ配ってる。他の業界も似たりよったりだと思うよ。自民党の支持基盤といえば農家とか医師会が有名だし。
族議員主義というか、業界主導主義というのか実態としてはそんなもん。業界から議員を輩出してるから国民の代表を選出していることに違いはないけどね。
今みたいに一人ひとりが自分のメディア(SNS)を持って個別に発信するのは本来の民主主義なんじゃない? 良い悪いは別としてw
>インターネットのコミュ力
基本的に現実でもネットでもベースになるのは本人の能力だからネット以前に本体のレベル上げろよ、とは思うかなぁ。ネットで上手くできない人は現実でも上手くできないだろうし。ほんとはネットを含めて総合的に経験値を増やしていくんだけど、ダメな人はネットのダメなところの影響を強く受けるから。だからそういう人は本来ネットとの距離を考えるべきなんだけどね。
>訴訟そのものをある種イベント化して楽しむ
大統領選挙でもディベート合戦やってるし、そういうのが好きな文化なんだろうね。
>大学中退フリーター住所不定のカードゲーマー
肯定しちゃダメだろw