ジョギ「カイトとの間に絆があるとでも思ってるの?」
キュアアイドル「カイトさんがどう思ってるのかは分からない、でも!私は私の気持ちを信じる!」
「推し」が実際に自分のことをどう思っているかはあくまでサブ要素で、メインは「推し」が自分に力をくれたという紛う方無き事実そのもの、ということか。この辺り以前御大が分析されておられた「推し活のより正確な構造は“推しの物語に接続することで自分の物語を駆動させる”行為」と符合する描写のように思いました。
>ゆる言語学ラジオ
>「~っす」は実は「敬語+親近感」を表す画期的なワード。相手のメンツを損ねる可能性がある場合は使わない。という解説は説得力がありました
成程、これは面白い!授業の合間に挟む小ネタが一つ増えました(笑)。動画の元ネタである中村桃子氏の著書は偶々最寄りの図書館に置いてあった(予約人数ゼロ)ので、また今度借りに行きますね。
>『会話の0.2秒を言語学する』
残念ながらこちらは貸出し中でしたので、読めるのはもう少し先ですかね。因みに動画の聞き役の方の人も最近単著を上梓されていたみたいですね(↓)。この間最寄りの本屋に置いてあったのをパラパラ立ち読みしてそれなりに面白いとは思ったんですが、ちょっとお値段の割に内容が薄いなと思って購入は断念しましたw(苦笑)。
● 堀元 見『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』新潮社2025
https://amzn.asia/d/06MzZot
>当事者が被害者ヅラして~
この件に関する私の中での線引きはこんな感じかな(異論は認めます↓):
① 「しょうがない犠牲」かどうかの判定資格を有し、かつ発言権を持つのは「当事者」のみ。
② 「当事者」の範疇に入るのは、「直接被害を受けた人物および一親等の親族(両親および子供)」まで(祖父母とか孫とかまで広げると既に「伝聞情報」になるような気がするので)。
勿論、発言する場合でも「発言権を持つこと」が「発言に沿った対応を周囲から期待できること」と必ずしもイコールとはならないことを「当事者」は覚悟する必要があるでしょう。動画内の芸人はそもそも上記の要件を満たしていないでしょうから私にとっては端から考慮するに値しません。まぁ彼にとってはアイヌの話題にしても再生数を稼ぐための単なる道具でしか無いんだろうなぁ、とは思いますが(毒)。
>服部まゆみ『この闇と光』
>特に前半の世界観、文章、主人公の描写は美麗で一読の価値がある
この作者はこれまで全く存じ上げなかったなぁ…。
何と言うか、文章全体から漂う「品の良さ」というか、そこはかとなく滲み出る教養というか、いずれもミステリーのみならず最近の創作全般についてまずお目に掛かれない雰囲気のように感じました(ググってみたところもうだいぶ前にお亡くなりになっているらしく、何とも残念です)。
似たようなテイストの作品だと何だろう…かなり昔に読んだ作品で、前の掲示板でもプレゼンしたこれかなぁ(↓)。流石に細部は覚えていないので、当時のプレゼン原稿をそのまま再掲しますね。
● シャーリィ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』1962年発表
https://amzn.asia/d/gijBymA
―――
映画『ドッグヴィル』で描かれたような、閉ざされたムラ社会ならではの閉鎖性を煮出して煎じ詰めたようなホラー作品です。異物的存在を徹底排除する酷薄さと、良心の疚しさに由来する薄っぺらい善意とを併せ持つ「至って普通の」村人たちの描写もさることながら、遡ること六年前の「忌まわしき事件」を経てすっかり没落し果てた「嘗ての名門の旧家」にひっそりと暮らす(恐らく虐待されていた過去を持つ)主人公の娘と、その家族らの「静かな狂気」の描写が何といっても見どころ。閉ざされた空間の中で辛うじて維持されていた「穏やかな日常」が、ある日突然外部から荒々しく破られるという、よくある類いのお話ではあるんですが、作中で一番異常な「信頼出来ない語り手」の主人公に対し、不思議と肩入れしたくなる気持ちを読者に起こさせるストーリーテリングの妙味には感心しました(ただ結末はもう一捻り欲しかった気もしますが)。 〈記:2019/01/19〉
―――
>今週の読書
● 渡邊雅子『論理的思考とは何か』https://amzn.asia/d/jlaOtAB
ちょっと前に読んでいたのを改めて再読。本書では四つの「思考の型」を取り上げ、それぞれの型を代表する国(アメリカ・フランス・イラン・日本の四カ国)の作文教育で重視されているのは何かを詳述することで、「論理的なものの考え方」は複数存在し、目的に応じて意識的に使い分ける必要があることを論じています。
◆◆◆
論理的思考に関する書籍や情報が溢れる中で、本書の意義は何だろう。それは論理的思考に関する二つの常識の克服である。ひとつは論理的思考の方法は世界共通でも不変でもないこと、つまり論理的思考には価値観に紐づいた思考の型があること。もうひとつは思考の技術を使いこなすには、目的(そこに価値観が現れる)をまず特定してその目的に合った思考法を選ぶことである。この二点を踏まえて本書が目指したのは、目的ごとに異なる論理的思考を「方法」としてどのように実際に使いこなすかを示し、その効用と意義についても理解を深めることだった。こうして本書を読み終わる頃には、論理と論理的思考に対する読者の考え方が変わっていることに期待する (「おわりに」より抜粋)
◆◆◆
例えばアメリカとフランスはこんな感じ(↓)。因みにイランと日本とは割愛w。
・エッセイ(アメリカ式)
⇒ 自己の主張を分かりやすく効率的に論証して、相手を説得することが目的。冒頭で結論となるべき主張を先取りして提示し、主張を支持する「事実」を三つに制限して取り上げコンパクトに論じる。効率的に最大限の収益を上げることを狙いとする経済領域との相性が良い。
・ディセルタシオン(フランス式小論文)
⇒ 時間を掛けてあらゆる可能性を吟味し、矛盾を解決することが目的。定立(正)・反定立(反)・総合(合)、つまり〈正〉と〈反〉の矛盾を〈合〉で解決する弁証法を論証の基本構造とする。多様な人々で構成される社会全体の利益(=公共の福祉)を図る政治領域との相性が良い。
仕事柄目にする機会の多い近年の実用英語検定(いわゆる英検)の作問を見ると、記述問題の一つである自由英作文は、まんま本書の記述通りの「アメリカ式エッセイ」の形式に則っているためまだ馴染みが持てます。しかしフランスにおける(ヘーゲル型の)弁証法を軸とした作文教育は、理屈では理解出来ても正直あまりピンと来ないですね。本書によると、何でも未だにフランスでは毎年50万人超の高校生が受験するバカロレア試験(中等教育終了と大学入学資格を兼ねる)は論述形式で、試験時間は四時間に及ぶのだとか…これ、実際のところどうやって(公平性を担保しつつ)採点しているんでしょうねぇ?著者にはフランスの作文教育をメインに取り上げた著書もあるみたいですから、また借りて読んでみますわw。
>会話の0.2秒を言語学する https://amzn.asia/d/5zzpzlQ
手を付けたばかりなので内容については後日触れるかもしれないし、放置されるかもしれない。
著者はYouTubeで↓のような解説をしているようですね。「~っす」は実は「敬語+親近感」を表す画期的なワード。相手のメンツを損ねる可能性がある場合は使わない。という解説は説得力がありましたね。意識はしていないけど確かにそういう使い分けをしている。
>理解と配慮とを求め過ぎ
だから、いつでもデュエルできるように弱者カードデッキを持ち歩く必要があるんですね。
>コメディ動画
芸人のこと1ミリも知らんけど、お笑いネタの時点でまともに取り合う気が起きんなぁ。弱者カード見せびらかしてるだけやん。人なら毎日どこかで何かの理由で死んでるぞ。
こういうのもAIによって手軽にファクトチェックできるようになってるから、真偽の確認含めてできる人とできない人で差が出るね。
>LLMのランダム性
ネットワークで処理するタイプ(通常のChatGPTとか)で同じ質問に対して回答にバラツキが出る原因として、回答処理の際にAさんだけでなく同時にBさん、Cさん……の処理も抱き合わせて行うせいでバラつくことが発見された、って論文があるみたいね。医療関係とかの場合、診断や確からしさ(確率)がブレるのは問題だから原因を特定できたとか何とか。
>暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが(秋アニメ)
なろう常連のミノタウロスさんを表彰して勤労感謝の日を設けるべきじゃないかと思う。
ややデフォルメされ(過ぎ)た「舞台裏回」って所ですかね〜?
主題歌アーティストのライブは毎年やってた気がするけれど、それとは別件なのかしらん。
>謎の怪物を倒している謎のヒーローという認知がない
今作個人回が妙に少ない気がするの、そこを削ぎ落としてるからですかね?
敵がまともに煽れないから内ゲバで課題を作るしかない…んだけど、現状目茶苦茶安定してますからね。
>アンコール
みんな当たり前の様に言うけど、ライブ終盤の体力消耗加減考えると「よーゆーわ」ってなりますね。
以前、富野作品のオフ会のゲストにGレコのED歌ってた方がいらして、恐らく企画段階からその予定でライブをやって下さったんですが、立って聴いてるだけの立場でも終盤しんどかったですから…アーティストの負担は想像を絶する(自分と同じ40代だったし)かと思います。
それで?アンコール?○す気か?!ってちょっと思いました(苦笑)。まぁ、観客の大部分も一曲丸ごとラインダンス踊ってたりしててヘトヘトだったけどw
…余談として、自分が行けなかった今年のライブでは「STAND UP TO THE VICTORY」歌ってる間中スクワットしてたらしい…(怖)
>メロロンが猫屋敷化してる
それよりまだ強化がある事に驚きました。
敵弱いのに強化して何に使うのソレ?ww
>「犠牲になりまくっていた」とまでは言えない数字
む〜…コメディのノリの軽さで口が滑ったかな…それとも責任転嫁?
こういう諸々が雑になったりするし、やっぱり自分は真面目な話は真面目にして欲しいですねぇ…
>「しょうがない犠牲」だったかどうかを判定する資格を
>有するのは直接的な被害を被った人間集団だけにある
いや〜…それだと先述の様な、当事者が被害者ヅラして逆差別めいた糾弾を繰り返すばかりの昨今の傾向をなぞるだけになるんじゃないですかねぇ…
>ここ一ヶ月、LLMを作る勉強会に参加してました。
エラーを起こさないコードは書けたけど、理解できたかというと甚だ怪しく…(苦笑)
そんな中で面白かったのは「過剰適合」のお話。
次単語予測は統計的に高確率のものが選ばれてChatGPTとかは文章を生成するのですが、確率が高過ぎると答えがワンパターンになる恐れがあるのだとか。
次の単語どころか、文章丸ごと同じものが生成されてしまうとこまでいくらしいです。
なので、次単語予測に使われる単語のリストから確率をランダムで隠して計算できなくするなどの、あの手この手を使って予測される単語の確率が高くなり過ぎない様にしたりしているんだそうな。
こういうのって、基本、高いか低いかの極値を目指すもんだと思ってたので意外でしたね。
>自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界
読了しました。自閉スペクトラム症を真正面から取り扱った本は過去に読んだことが無かったので、初めはちょっと付いていくのが難しかったですけれど、大変興味深く読めました。著者の主張を纏めると「ASDやADHDを発症している女性は、健常人(定型発達の人々)の所作をある程度模倣・習得できるほど高い知能の持ち主が多いにも拘わらず、周囲の無理解のためこれまで不当に苦しんで来た。私達はこの現状を変えなければならない」ということのようですね。
ただ、本書の著者には大変申し訳ないんですが、これまでこの板で何度も書いてきた通り「多様性(≒社会的弱者)の尊重」が一種の宗教的信念のごとく崇め奉られる風潮に些かウンザリしている私にとっては、この本ですらも「今なお果てしなく細分化しつつある、数多あるマイノリティー集団の一つからの(よくある)異議申し立て」としか映らなくなってしまいました。私は底意地が悪いので「何でgive無しのtakeばかり主張するの?“定型発達の人々”(←この呼称にもどこかしら逆差別的なニオイを感じるなぁw)とやらに対する理解と配慮とを求め過ぎじゃないの?」ってどうしても思ってしまいますね(毒)。
>「人を見掛けで判断しない」美徳
「見掛けが悪いと高確率で中身も悪いので、数学的蓋然性に基づき私は“人を見掛けで”判断します。」とでも回答しておけば良いのではないかと思います(←直球)。以下は「この道の者」の端くれとしての護教的立場からの聖書引用です(↓)。
― 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイによる福音書7章18節) ―
― ほかの人々は、ひとりもこの交わり[=使徒ペテロを中心とする初代のエルサレム教会の集まり]に加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。(使徒言行録5章13節)―
>沖縄上陸戦でアイヌ人が犠牲になりまくってた
私も知りませんでしたが、ただ下の記事(↓)での「沖縄戦における死者数の少なくとも43名がアイヌ民族だった」というのは、戦没者数全体(20万人強)に占める割合からして「犠牲になりまくっていた」とまでは言えない数字なのでないでしょうか。まぁ当時のアイヌ民族の人口比からすれば決して少ない数では無かったのかもしれませんが(因みに沖縄県を除く都道府県別の戦没者数で一番多いのは北海道(1万人強)だそうです)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/367165318ea62bdc9c5f52c2421d7e2329c2a0fc
いずれにせよ、アイヌ民族の犠牲の多寡についての評価とか、この漫談ネタ内で言及される大学教授が実在するか否かといった点は取り敢えず脇に置くとして、「しょうがない犠牲」だったかどうかを判定する資格を有するのは直接的な被害を被った人間集団だけにある、と私は考えます。
>『平安貴族とは何か』
>ちなみにこの本も読み物としては面白くはないw
いぇいぇ、私が読んだ同著者の書籍に比べると遥かに読み易かったですよ(笑)。
◆◆◆
… では、東宮に敦成親王[=中宮彰子が産んだ第一皇子で敦康親王より9歳年少]を選んだ道長の選択は実は間違っていた、というのがどういうことなのかを最後に説明しておきましょう。
じつは東宮になれなかった敦康親王[=故・中宮定子が産んだ第一皇子]は……二十歳の若さで亡くなってしまったのです。東宮となった敦成親王は即位して後一条天皇として健在なので問題はないように思うかもしれませんが、その後、敦康は怨霊となって道長の一族を苦しめることになりました。…… 道長自身の運勢も、敦成を即位させて以降、徐々に下り坂になっていきます。…… 多くの子供たちに先立たれただけでなく、道長の計画では子の頼通の女(むすめ)を天皇家に入内させるつもりだったのに、頼通にはなかなか女が生まれませんでした。
それで道長の死後、頼通は幼女と女を二人、后に送り込むのですが、二人ともやはり皇子を産まなかったのです。それで五男の教通(のりみち)が二人の女を入内させるのですが、この二人もついに皇子を産むことはありませんでした。それで結局、摂関政治は終焉を迎えることになったのです。
こうした出来事全てを敦康親王など様々な悪霊が原因と考えるのはナンセンスかもしれません。たまたま運が悪いことが続いただけだともいえます。しかし道長家の人々はすべてを敦康の呪いだと考え、「敦康が早くに亡くなるとわかっていたら、半年ぐらい天皇にしておけばよかった」と、恐らく後悔しながら死んでいったのだろうと思います。(本書p.170~171)
◆◆◆
ん〜「敦康親王は元々短命だった」というのは言い過ぎじゃないですかねぇ?彼が早世したのは、皇位継承権No.1だったにも拘わらず立太子されなかった我が身を儚んでだったかもしれませんよね? 中宮定子の忘れ形見と言うだけで情に絆されて天皇に即位させていたとしたら、思いのほか長生きして道長の政権基盤を揺るがしていた可能性もありますし、ここは倉本氏も仰るように「政治の原則から言うと道長の選択が正解(p.169)」だと私も思います。
ただ、如何に当代無双の権力者とは言え所詮は人の子ですから、正論だけでは割り切ることの出来ない「心の疚しさ」なり「良心の呵責」がどこかしら残るのでしょうねぇ。そのモヤモヤした想いがやがて怨霊という形をとって道長一族を責め苛み、やがて滅亡へと追い込んでいったということでしょうか…何かシェイクスピアの『マクベス』を思わせる展開ですねw。
>今週のプリカツ
まさか実在のホール名が登場するとはなぁw。プリキュアオールスターズ以来、『横浜みなとみらい21』はすっかり「プリキュアシリーズのホームグラウンド」と化した感がありますね。
なし崩しで貰ったペアチケットなんて、その場で使わないと存在忘れる気がします。
ガイドブック持ってたうたに2枚ともあげる選択肢もありましたが、それだと蓮じいちゃんの顔を潰す事になる…
こうなると、うたを誘う以外にあの場を丸く収める手は無いと思いますね。
故に、ここから導き出される結論は…
「レジェンドアイドルさん結構貧乏性」
>遊園地に行かない
ななもこころも金が無かった説に一票。
まぁ、連れションする様な世代でもないし、普段の距離感考えたら僕は違和感無いですね。
つかこの作品の「親友」概念にはあまり良いイメージが無かったり。プリルンにしろメロロンにしろカイトにしろ、距離感近過ぎたりすると大抵碌な事になっていない気がします。
>「また! 会いたいです!」
うた的には「響カイト個人に」って事なんだろうけれど、カイトの目指すアイドルが「また会いたいと思える人」なのもあって、カイト側には「アイドルとして」にも「個人として」にも解釈できる余地があるの何かズルいww
>ななは何考えてるのか今ひとつ読めない
自分は最早、ゆかりやちゆと同類の「何も考えてない人」だと思って観てます…
ただ、前の二人と比べてレスポンスにラグがあるから、その間が何か考えてる様に見えてるだけでw
きっとその内海に向かって「メロロンのラップが聴きた〜い!!!」とか叫んでる筈。
>一条蘭子
>中の人的には転生して今期の敵組織のリーダーをやってますよw
んが!?…う〜ん…やっぱ人の顔や名前憶えるのダメだわ自分。(苦笑)
EDクレジットの声優の名前は、毎週読み上げてるんですけどねぇ…やっぱり忘れるw
ダークイーネさん、ネタキャラだったら良いなぁ…w
>本当に人を救済する教えであれば無理に集めようとしなくても、
>どんな教えなのかを聞きたくて聴衆の方から勝手に集まって来てくれる
あ〜…親鸞聖人が肉食妻帯だからってんで、大衆にも同業者にも冷遇される孤立無援の中、その教えに感銘を受けた聴衆達がどんどん集まって来る逆転劇を描いたアニメ(笑)も見せられましたね…(遠い目)
あ、後、上手い手口だなって思ったのが「人を見掛けで判断しない」美徳を擦ってくる所。
「我々は『新興宗教』という怪しい見た目をしてますが、そんな見掛けで判断するのは恥ずべき事ではありませんか?肉食妻帯と蔑まれた親鸞聖人も正しかったでしょう?実際にどっぷり浸かってみないと分からないと思いませんか?」
…みたいな感じの事をあっちこっちで言われましたね。
>歴史の説教
こないだ観たコメディ動画思い出しました。(↓)
沖縄上陸戦でアイヌ人が犠牲になりまくってたのは知らんかった…
>ウィッチウォッチ最終回
文化祭ネタなんて一回で纏められるのか!?…って思ってたら漫才する余裕まであった件www
いかに他の漫画やアニメが文化祭を大規模な祭りに盛っているか、が露呈しましたねw
>遊園地に行かない
デートは口実でなながメロロンと遊びたかった説が濃厚。
>多様性とやらを過度に持て囃す風潮
この手の文学小説()読んでて思うのは、愚痴ってれば社会提起になるって思ってる節があるよなって。困ってます。苦しんでます。でも誰も理解してくれません。知らんがな。それを言い出したら俺は友達作れないぼっち症だぞ。
被害者ムーブすれば免責されると勘違いしてないか? 別にお前が弱者だろうがなんだろうがお前だって誰かを傷つけているし、誰も理解してないだろって。愚痴るなとは言わないけど、愚痴るだけの話は不毛。
>道長の役職
ちょうど倉本一宏の『平安貴族とは何か』 https://amzn.asia/d/53E2Hp0 を読んでいましたが、より具体的には↓になるみたいですね。ちなみにこの本も読み物としては面白くはないw
道長は内覧になった直後に、右大臣に任じられて一上[いちのかみ]を兼務することになります。一上とは太政官の首班(トップの大臣)のことで、「陣定」と呼ばれる公卿の会議を主催します。通常、関白になると一上を外れるため、公卿の会議には出席できません。しかし、道長はたまたま関白になれず内覧になったおかげで、一上も兼任することができたのです。
内覧と一上を兼任すると、文書を読んで天皇にアドバイスする仕事と、公卿の会議をリードする仕事の両方が可能となります。これは大きな権力を掌握したことを意味します。道長はこの立場を非常に好都合だと感じていたようで、彼は翌年に左大臣に任じられますが、内覧を辞めようとはしませんでした。一条天皇の次に即位した三条天皇からは、関白になれと言われたのに、それすらも拒絶しています。二つの職務を兼任すると非常に忙しいはずですが、道長はそれ以上に権力の掌握にこだわったのです。
トリプルデートは単なる口実で、結局はうたとカイトをコソコソ尾行するんでしょ?と思っていたらまさかの展開でした。これは予想外…というより逆に不自然ですよねw?
>平安貴族サバイバル
読了しました。このあたりの日本史の知識はうろ覚えでしたがこうして改めて俯瞰してみると:
① 出来のいい息子達・娘達を数多く授かること
② 時の天皇と自身の娘とが共に結婚適齢期であり、しかも男子が(スペア込みで大勢)生まれること
③ 同時代の有力な後見人や優秀なブレーンに恵まれること
等々、平安中期の藤原氏にとっての権力基盤は、数限りない不確定要素を基盤としてどうにか成り立っていたものだったということが大変良く分かりました。
【参考図書】倉本一宏『皇子たちの悲劇 皇位継承の日本古代史』(第六章 摂関政治全盛期の皇子)
https://amzn.asia/d/405vFZT
(↑いかにも学者サンらしく記述が歴史的事実をひたすら羅列、かつ内容が詰込み気味なので余りおススメはしませんw(苦笑))
さて、御大のプレゼンからはちょっと話はズレますが一つ豆知識を紹介します。「摂関政治」という呼称からは「摂政や関白を拝命=漏れなく強大な権限が付いて来る」ように聞こえますが、必ずしもそうでは無かったようです。権力を掌握する上で当時何よりも大事だったのは御大も指摘されている通り「天皇の母方のお祖父ちゃんになる事(=天皇の外祖父になる事)」だったので、この条件が満たされなかった場合は摂政や関白の位に就いたところで名ばかりの称号に過ぎず、公卿らからも軽んじられたのだとか(↓)。
(※その証拠にあの藤原道長はイメージに反して実際に関白の座に就いたことは無い(出家後に世間から「御堂関白」と呼ばれるがこれはあくまでも非公式な綽名。摂政位に就いたのも1年間だけですぐに息子の頼通に譲った)。
◆◆◆
ここで注意してほしいのは、摂政・関白はともに律令における規定がない。つまり、具体的な権限を伴っていない、ということです。…… あくまでも、天皇の個人的な輔弼者、という位置づけだったのです。
だとすれば、藤原道長が関白にならなかった理由は、おのずと明らかでしょう。道長はその代わり、左大臣の座を手放そうとはしませんでした(注:左大臣は行政権と官吏の任免権とを掌握する、太政官制における事実上の最高責任者だった(官制上は太政大臣が最高官だったがこれは実質名誉職に近いもので、置かれない場合も多かった))。…… 道長はまた、天皇に奉る文書や天皇が裁可する文書に事前に目を通すことのできる、内覧という地位にも就いています。名ばかりの摂政・関白ではなく、実のある左大臣・内覧を道長は選んだのです。
(相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 古代・中世編』KADOKAWA2016 p.77より)
◆◆◆
とはいえ、厳しい要件をクリアした上でという条件付きながら、法律的な裏付けの一切無い役職に大きな権限が持たされたという点は、明治憲法に明文規定が一切無いにも拘わらず「薩長閥の出身で明治維新を主導した政治家および軍人」が、天皇の信頼を得て「総理大臣の推挙」いわゆるキングメーカーとして絶大なる発言権を有した元老制度に重なってみえますね。
>秋アニメ
>驚く程なろう臭いのばっかで食指が働かない
全く同感ですねぇ。過去作で評判の良かった未見のアニメでも探してみましょうか…。
>あれは創作というよりその人の感性そのもの
>それが動物園の珍獣よろしくエンタメ的に消費されている
その本は私は未読ですが、芸人でいうところの「笑われている」と「笑わせている」の違いみたいなものでしょうか。あくまで一般論ですが、多様性とやらを過度に持て囃す風潮を反映してか、単なる変わり者の著者の妄言でしか無い代物に「何かしら深い意味」を読み込んで不当に高く評価する傾向が昨今確かに見られるようには思いますね。
>典型的な勧誘法。不安を煽る。相談できないように孤立させる。自信満々
キリスト教であろうが仏教であろうが、それが本当に人を救済する教えであれば無理に集めようとしなくても、どんな教えなのかを聞きたくて聴衆の方から勝手に集まって来てくれるんじゃないかとは常々思ってはいますね……まぁ私の場合は積極的に布教しない言い訳として使っていたりしますが(苦笑)。
● 最近の読書
① 上杉勇司『クーデター ― 政権転覆のメカニズム― 』中公新書2025
https://amzn.asia/d/56eG7na
◆◆◆
歴史を振り返ると、決起は「避けられない悪」として繰り返されてきた。しかし、21世紀の民主主義にとって重要なのは、抑止策と対策のみを追求するのではなく、その発生要因を根本から取り除くことだ。私たちがめざすべきは、「クーデターのない世界」ではなく、「クーデターが必要とされない世界」なのだ。(終章 p.257より)
◆◆◆
著者は世界各地の紛争地で平和協力や研究を実践してきた学者さん。各章の末尾に「この章のまとめ」が付されているのは要旨が摑み易く有難いですね。
内容は予想通り「クーデターを用いずに政権交代できることが望ましい」とのスタンスに立って第二次大戦以降に起きた数々のクーデターを概観し、それぞれの成功要因や失敗要因、考えられる抑止策などを記したものです。詳細はいちいちここでは記しませんが、総じて常識的な記述が多く意外性は無かったかなという印象でした。まぁちょっと面白いなと思ったのは、2010年の「アラブの春」を契機に始まった中東地域におけるクーデターの特性に関する以下のコメントぐらいでしょうか(↓)。
◆◆◆
他にも新しい要素がある。それは、中東や北アフリカにおけるイスラム勢力の存在だ。エジプトやスーダンで民主化をめざす勢力にとって、ムスリム同胞団は大きな脅威となっている。彼らの台頭を阻止するためには、独裁政権打倒に手を貸してくれた軍に引き続き頼らざるを得ない。…… イスラム圏における「世俗化かイスラム復古か」という議論は決して新しいものではない。世俗化が進み、グローバル化が浸透する現代社会において、その反動としてイスラム化が唱えられて久しい。イスラム社会では、過度の復古主義に対抗するために軍が世俗化の守護者の役割を果たしてきた。そのため、民主化運動の成果を軍が横取りしたとしても、イスラム主義の台頭を防ぎたい民主化勢力は、軍の横暴を見逃すしかない。なぜならば、将軍や独裁者には寿命があるが、コーランは不滅だからだ。(p.55~57より抜粋)
◆◆◆
イスラム圏において民主化を目指す勢力(主に青年エリート層)にとっては、銃口を突き付けてくる軍部よりもイスラム原理主義の方が遥かに手に余る…ということのようですね。
② ハン・ガン(韓江)『少年が来る』井出俊作訳 株式会社クオン2016
https://amzn.asia/d/0vEGo9M
◆◆◆
(軍事政権によって虐殺された当時中学一年生の弟について執筆する)許可ですか?もちろん許可します。その代わりしっかり書いていただかなくてはなりません。きちんと書かなくてはいけません。誰も私の弟をこれ以上冒瀆できないように書いてください。(p.265)
◆◆◆
著者は2024年にアジア人女性として初のノーベル文学賞を受賞した韓国人小説家。内容は1980年の韓国民主化運動の一つ「光州事件」を取り上げたもの(読み始めてから気付いた)。
女性作家による戦争ルポルタージュといえば同じくノーベル文学賞受賞作家であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を思い出しますが、こちらは息抜き的なエピソードが一切無く、剥き出しの暴力にただただ晒され、身体と心とに生涯癒せぬ傷を負ってそれでも生きて行く人達が描かれるのみで、読みながら何だか説教されているような気持ちになって些か居心地が悪くなりました(本邦の原爆文学に似通った雰囲気と言えば分かってもらえるでしょうか)。当時の軍事独裁政権の横暴を声高に訴えたい気持ちは理解出来ますが、この告発過多の文体はソルジェニーツィン『収容所群島』同様、却って潜在的な読者やシンパを遠ざけているように思いましたねぇ。同じ光州事件を題材とした映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の方が、重たい史実にエンタメ描写を絶妙に織り交ぜることで、遥かにメッセージ性を高めていたように私は感じました。
>それなりに仕事できる人でも自分ストーリーに没入するとこうなるのか、の実例
私は著者のようにシゴデキではありませんが、いずれにせよ家族に迷惑を掛けるような「推し活沼」にハマらないよう今後気を付けないといけませんね(苦笑)。
>一条蘭子ちゃん…元気にやってるかなぁ…
中の人的には転生して今期の敵組織のリーダーをやってますよw。
改めて観ると「親の黒歴史の暴露」というトラウマ回ですねw
それさえも「生きる力」として肯定するプリキュアの面の皮の厚さに感動します…いや、真面目に。
長年プリキュア観てて、最大の学びがこれかも知れない。(ぉ
まぁ理解している事と実践できる事は別問題なので、未だに他人の顔色に苦労しておりますが。
>誰も突っ込まないのは優しさなのか
偶にこいつらの友情も、「ファンとアイドル」ぐらいの距離感なんじゃないか…って思う時がありますね。
>ちくわぶ
自分は食べた事すら無いです。
一方で、「美男高校地球防衛部」第一作第一話の敵はちくわぶ論争から生まれた、ちくわぶ怪人だったりする。(誰得)
https://youtube.com/shorts/Bu5ubW00Flc?si=_E-5_DYd84gBEn6W
>アイドルよりお笑い芸人の方が向いているんじゃないかと笑う
一条蘭子ちゃん…元気にやってるかなぁ…
プリンセスはもう10年前なんでしたっけ?
>SAND LAND 最終回
やはり大筋は同じ事の繰り返しだった。
でも、そんな中での関係性の変化や成長が味わい深く。
久し振りにジャンプ漫画らしいジャンプ漫画を観た気分ですw
>Dr.STONE 最終回
やや巻き気味な気がして、少し分かり難かった。
ロケット造りの人手集めで全人類復活を目指してたと思うんだけど、復活し過ぎるとホワイマンから攻撃されるので、最小限の最精鋭でのロケット造りに進路変更…って事でOK?
>秋アニメ
驚く程なろう臭いのばっかで食指が働かないっす…orz
これを機に、今までできなかった事を何かやりたい所ですね。
>東京都同情塔
自分で言うけど下手な書評より読み込んでいる自信はあるんだよなぁ(苦笑)
正直、あの小説を高尚なものだと評価してる人の気が知れんよ。なんかよくわからないおばさんのつぶやきって捉えた方がしっくりくる。要はそういう独特の感性を持った人間がいる、という理解がされていない。たまに変な感性の人の作品がウケたりするんだけど、あれは創作というよりその人の感性そのものだと思ってる。それが動物園の珍獣よろしくエンタメ的に消費されている。
>「でも死ぬの怖いよね?」「幸せになりたいよね?」
>マン・ツー・マン
それがデート商法でも高額商材でも典型的な勧誘法。不安を煽る。相談できないように孤立させる。自信満々。人間は一貫性を取ろうとする習性があるから一度でも「はい」と言わせればその後も通りやすくなるからね。
>ネトウヨが悪いだけ
それだけ社会人エアプが多いんでしょ。あと国際学力調査PISAの回答を見るとわかるけど「意見」と「事実」の区別がつかない人って結構多いよ。
愚者は経験に学び~とは言うけど(言ったとされているのはビスマルクなのか)、ほんとの愚者は経験からも学ばない。何故なら仕組みを理解しないから。ネットが普及したことでわかったのは人間は驚くほどアホで、様々なアホが生きている(生きられる)という事実。
ファンのファンは他人というか何というか…力君は面白い立ち位置のキャラだったと思いますw
>なんでそんなに頑張っちゃうわけ?
脚本的に狙ってないんでしょうけど、きゅうたが怪我した経緯を考えると結構グサッと来るのよね…
張り切り過ぎて気合が空回って怪我した訳だから。誰かの所為にできない。強いて言うなら張り切り過ぎた自分の所為。
頑張った自分が悪いのか?頑張る事は悪いのか?…外に向かう事のできない鬱屈は、どんどん自分に向いていき…
…などと根暗陰キャな自分は自己嫌悪になったりするのです(苦笑)。
>ズキューンとアイドルの身長差エグい
た、田中ぷりんからズキューンに変身する過程で、密かに一回り更に成長しているのだと自分に言い聞かせています…(汗)
>”推しの物語に接続することで自分の物語を駆動させる”行為
何やかんや毎年話題に上がる「夢」も、今年の構造は推し活のそれと同じ構造してますね。
「夢を持つ事で自分の日常を彩る」事もそうですし、その「夢」が「みんなで歌いたい」という他者と接続する点も同じ様に思えます。
テーマの一貫性が凄まじい…
>説教はむしろ余白が多い方が良いまである。
>逆にこういう布教スタイルは「同じ内容を納得するまで聞かせ続ける=画一的行動を求める」
>洗脳目的のカルト集団とは相性が悪そう
自分が巻き込まれた所は、何というか余白を潰す為の説教だった気がします。
教科書?みたいな本も一応あったけれど、載ってる寓話は殆ど失敗談だった気が。
それとセットで、唯一の成功者「絶対の幸福」を手にした人物(集団は親鸞聖人だと主張)の逸話を聞かされてた気がしますね。
即ち人間の苦しみや愚かな行いは「後生(死後)不安な心」に収束し、それを自分で何とかしようとする自力我慢を捨て、他力本願を悟る(要は思考放棄)事で「絶対の幸福」を手にできるとか何とか。
疑問や文句を差し挟めば、「でも死ぬの怖いよね?」「幸せになりたいよね?」「じゃあ悟ろう」(振り出しに戻る)って感じだったかなー。
あ、後、マン・ツー・マンだったのも余白潰しに貢献していたと思います。
あれは「勧誘のプロ」何て上等なものじゃ無かったですね。そういう空気を利用した「迷いの無さ」「勢い」「パターン」…そういったものでゴリ押されてる感じでした。
>最近だとアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の脚本家がノイズって言ったことが話題に
リンクの記事も読みましたが、これ500%くらい炎上させたネトウヨが悪いだけじゃん。
水上先生の話も、半ばシリーズ構成みたいな立場で退くに退けなかった感じでしたし、当事者は当事者で折り合い付いてると思うなぁ。
…付かない場合も勿論あるんだろうけど、それを全てみたいに燃やすネトウヨはどうも…
似た様な話で、スパロボにジェイデッカーが出るってなった時に、監督の高松信司さんが「作品の根幹に関わる設定が蔑ろにされそう」という「不安」をTweetした「だ け で」、「監督に作品の権利は無いんだから黙ってろ」だの何だの炎上させるネトウヨが湧くわ湧くわ。
世の中、そうそうドラマチックにはできてないと思いますけどね。淡々と過ぎていった(いく筈だった)出来事を、ネトウヨが大袈裟に燃やしているだけ。
>仮面ライダーゼッツ
ゲストキャラは助けたけど、周りは大惨事になってて草も生えない。
前作ガヴもそうだったけど、最近は「仮面ライダーにも救い切れない人がいる」コンセプトでいくんだろうか?
う〜ん…ハードボイルド…?
>美男高校ハイカラ
僕もこれからはハイカラな未来志向になって、狸とか狐とか猫とか狂犬とかのガンダム動物園の事は忘れて、ハイカラな新しいガンダムを目指そうと思いましたまる。
>ぐらんぶる
思った程飲まなかったし、脱がなかったし、ちゃんとダイビングもしてたので、フツーの陽キャの青春アニメになってた。これで3期制作決定してるんだから、アニメの人気は分からん。
>ヒロインレースにスイカ参戦!
コハクの失速がバトルチームに埋もれた事と役職の接点の無さだとしたら、ゲンと同じくオンリーワンの役割を持つスイカのダークホース力はただ事では無いと思われ…
いやいやその実あっさり他のキャラとくっ付いたりも…
…フリーの男性陣に碌な奴が残ってねぇ…!!w