>栗原さん
老い先短いしねw
お別れEND(年内いっぱいまで飼うのを許諾される)を今更プリキュアでやったところで…ってのはあるので、こむぎにスポットが当たる転換点でもちょうどいい塩梅でした。
>人類にとって「推し」とは何なのか https://amzn.asia/d/7BEPLDl
夢中になれるものがあると人生がバラ色になるけど、そうじゃないとたちまち精神が荒廃して卑屈になったり妬みっぽくなる人が書いた本。本人なりにバランスを取ってるからそれはそれでって感じだけど、現代社会の仕組みがこういう心性を加速させているのかもしれないな~と思う。
推しを持つと人生がブレなくなる!って力説してるけど、どう見てもそれ他軸だよなぁって。
>ラウリ・クースクを探して
これまたうっすいカルピスだなぁ(苦笑)
時事ネタとIT(最近だとメタバース)を足してそれっぽく仕上げたんですね、くらいしか思うことがないw
>徒花
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』の二番煎じとしかw
意識高そうで辛気臭そうだから観る気は起きんなー。
>ちょっとしたミステリー
株式投資のおかげで無職生活満喫できる私からすると資本主義バンザイ。俺が勝てるゲームならそれが正解。って素直に考えるねw
わんだふるはプリキュアでも比較的前後編が多い印象だったので、今回もそれくらい拗れるかも…と思ってましたが、出オチレベルで整理されたシチュエーションだったかと思います。
いろははヤキモキしていたけれど、あの状況とこむぎの権能からの選択肢は決して多くない。だからやる事が非常にシンプルだったと思います。
つまりは、栗原さんが知らない2年間。いろはが知らないマロン。その情報と感情を擦り合わせた上で、こむぎが総括する…これ以外に道は無かったかと。
>いろはのワンダフル、こむぎのわんだふる
「一番の人」を見付けた傍らで、「一番が一人だって誰が決めた?」をやってくれるの痛快ですねw
交友関係の序列を気にしなくて良いのは、育ちの良さと幼さの証拠だと思います。
しかしギャルゲーのハーレムルートの如くいかないのが人の性。こむぎの更なる飛躍が楽しみです。
…とか思ってたら次回、闇堕ち!?!?この流れで!?この文脈で!?ガオウ一体何したんや!?!?
>日本人ならではの推し活と宗教との類似性【北関なう】
そういえば昔、「ネット上に神を創ろうとする読み切り漫画」がありましたね…読み終わる前に、何処で読めるのかもタイトルも分からなくなっちゃいましたが…
後、臓器提供の葛藤といえば、近日公開された「徒花」って映画が「臓器提供用クローン人間」を扱っているのだとか…僕の住んでる所では観られないんですがね。
https://adabana-movie.jp/
>教育を受けた人間が現実見えてないの面白いよね
僕みたいな落ち零れがルサンチマン混じりに批判するのはまだ分かり易いですが、「偏差値受験楽勝でした」な高学歴の意識高い人の中にも日本の教育批判する人が居るの、ちょっとしたミステリーよね。
恐らく留学とかしてるだろうからその時のカルチャーショックと、アジア式教育を受けた「そこそこ同質で、そこそこ高品質」な労働者達が、国際競争力の面で大して稼いでいる様に見えないのが原因なのでしょうが…
元飼い主(栗原さん)からしても諦めが付くと言うか。今後いろはがこむぎ(マロン)を連れてちょくちょく老人ホーム(?)を訪問することで無事に納まりそうですし。元飼い主からしたら大切に飼ってくれさえしたら、専門業者に預けるか個人に預けるかの違いなんて些細な問題でしょうしね。
>今週の読書
● 宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』2023朝日新聞出版
https://amzn.asia/d/cOVhNGn
『令和元年の人生ゲーム』(←図書館の貸出し待ち)の一半期前の直木賞候補作で今年度(2024年)の高校生直木賞受賞作。Amazon評や個人ブログの感想とかをざっと見るに概ね好評なんですが、コンピューターオタクという以外にさしたる取り柄のない一般人の淡々とした半生を描いた本作は、正直私には薄味過ぎて物足りなかった。同じ著者なら『あとは野となれ大和撫子』の方がエンタメ的に見て遥かに面白かったかなぁ。
まぁ、一番私が引っ掛かったのが、作中の「エストニアの経済通信省のアドバイザー」なる人物の台詞でしたけれど(↓)。
◆◆◆
「この国は小さく、隣にはロシアがある。いつまた占領されるかもわからない。国を領土とするならば、領土を失ったとき、わたしたちはまた国をうしなうことになる。(略) わたしたちは国とは領土ではなくデータであると考える。だから領土をうしなっても、国と国民のデータさえあれば、いつでも、どこからでも国は再興できる」(本書p.144より)
◆◆◆
そうかなぁ?『日本沈没』含めた一連の作品で故・小松左京氏が生涯を掛けて取り組み続けた壮大なテーマをそんなにあっさり纏められてもねぇ、何だかなぁという気持ちにはなりますね。一言で言うと、外部の人間がAI先進国と言われる現在のエストニアから逆算して無理くり拵えたかのような物語でした(毒)。
●マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』1988岩波書店
https://amzn.asia/d/3FPIUdO
ちょっと古い本ですけれど語り口がキレッキレでメチャメチャ面白かった。簡単に纏めると、文化や地域、時代によってある食材を好んで食べたりタブー視して食べなかったりするのには、それ相応の合理的理由があるんだよっていう話ですね。ただ訳者あとがきによると、理由付けを行おうとした著者のスタンスそのものが、ただあるがままの現象だけを記述しようとしていた当時の同業者(人類学者)らから大ブーイングを喰らったみたいです(唯物論者だのマルキストだのとこき下ろされたらしいですが、今や何とも時代を感じる悪口ですね)。
◆◆◆
一つの動物種は、それが結果として有用であるか有害であるかによって、神聖視されたり忌み嫌われたりする。ヒンドゥー教徒が食べない雌牛は、雄牛とミルクと糞をもたらしてくれる。だから神聖視される。欧米人が食べない馬は、戦場では勝利をもたらし、畑ではスキをひいてくれる。だから高貴な動物である。イスラム教徒とユダヤ人が食べないブタは、役立たずである ― スキもひかなければミルクも出さず、戦争の役にもたたない。だから忌み嫌われる。欧米人が食べない昆虫は、そういう豚よりももっと悪い。(本書p.226より)
◆◆◆
別に普通じゃん? 現代から見れば「どこが批判の対象になるの?」と正直思いますね。ただ出典が巻末に纏めて書いてあるだけで、過去の研究からの引用と著者自身のオリジナルな見解とがはっきり区別されてないのがマイナスポイントかな。
>じゃあアジア式の教育を評価しろよww
欧米人からすれば「意地でも評価したくなかった」んで、当時何やかやあって偶々上位に食い込んだフィンランドをこれ幸いと過大評価したように私には映りますね。そう考えるとPISAなるものも中立を装いながら割に政治的なニオイがプンプンしますよねw。
>日本人ならではの推し活と宗教との類似性
同感。日本人も(自覚が無いだけで)割に宗教的な民族なんだなぁと思いますね。佐藤優氏も仰るように「カトリックかプロテスタントか、プロテスタントでもルター派かカルヴァン派に属するかは個人の“趣味”の範疇に属する事柄」ですから。
>日本人ならではの推し活と宗教との類似性【北関なう】
偶然見つけた動画だったけど、ごっこ遊び(アニミズム、同一化、ロールプレイング)的な側面での推し活論が面白かった。
>アジア型の「暗記&詰込み教育」
そもそもさ、PISAの結果を見ても当初からアジア勢って上位にいたわけじゃん? じゃあアジア式の教育を評価しろよww 教育を受けた人間が現実見えてないの面白いよね。
あと、PISAが小学生でも解けるような内容なのに正答率がそこまで高くないことにツッコミを入れる人が少ないのも面白いよね。小学校レベルをマスターできたら人類の上澄みって現実にもっと目を向けるべきじゃないの?っていう。
>古文&漢文が極めて重要な統合ツール
「(想像の上)日本人」を形成するものって歴史観ではなく文脈だと思うから、別に古文がなかったところでって感じはするけどね。同じ給食を食べる、努力すればできる、宗教、風習、慣習、カルチャーを通じて同質性(共通性)を獲得していくと思ってるから。かといって古文の代わりにアニメ・漫画史やりますとはならないだろうけどw
>2040年の日本が直面する危機と“希望”「働き手不足1100万人」の衝撃
ちょっと前に読んだけど「でしょうね」としか。一般人の対策としては都市部に住むくらいしかない。
デート初心者同士、色々持て余して済し崩し的にみんなで遊ぶんだろうな〜…と舐めて掛かっていましたが…
ちゃんとデートしている…だと…!?
途中で邪魔が入って中断した感もあるけれど、成否で言えば、これは明らかな「成功」!!!
流石東堂いづみ…やると腹を括ったら徹底的にやりますね…!
後、全体的な関係性の変化にも影響していたのが面白かったです。
ユキの距離感とか、まゆのノリに呆れてたり、逆にこむぎに対しては扱い方に慣れが出てきたり。
こむぎもユキ&まゆの、女の子女の子した遊びにちゃんと付いて行けるだけの成長を見せているし、サークルクラッシャー的でもある恋愛要素を全体の関係性にとってもプラスに作用している様に見えたのは凄いと思いました。
改めてわんだふるの関係性だからこそ、組み込めた恋愛要素だったのだな〜と。
…?え、メエメエ?…絡まったカートって結構取れ難くて、かなり面倒臭いよね。
>推し活
依存心以上に怠け者なんじゃないか?と思う今日この頃。
まず、他人の努力の結果に時間と金を払って自分は努力しないし。仮に複数の推しを持った場合、推しと推しの発信内容に矛盾があった時にストレスだし(同じ推しでも今と昔で矛盾する発信をしたらキレたりするのも同種のストレスからだと思われる)。なので、複数の推しを持つ事自体が面倒臭いし。
依存症回避の為にも、依存先を沢山持っておいた方が良いって言われるけれど、個人崇拝の方が圧倒的に楽だと思うんですよね。
つまりメエメエの「お気持ち表明」は、悟への感情のあり方より、悟以外に友達を作る事を怠った事が原因だとも考えられると思います。
>「僕はいつもの犬飼さんも、緊張してる犬飼さんも……好きだよ」
これ落ち着いた口調で言ってたけど、内心まゆみたいになってたんじゃねーかな?w
いやだってさぁ…今まで散々意識されていない事を確認しては凹んでた訳じゃない?
それが!今!めっちゃ意識してくれてる!!「そうだよこれだよこういう犬飼さんを見たかったんだよフゥー!!!」って声が聞こえないでもないw
>教育が「(就職と業務遂行する上で)有力な手段」でなければ意味がない
リカレント教育での在学中に、アート関係とかおよそ仕事に関係無さそうな講座取ってる人の話とかもありましたが、恐らく趣味や娯楽の面倒も学校が見てくれてるって考えられそうですね。
担当組織が違うだけで、本質的にやってる事は日本も海外も同じ…ただ、日本の方が「各々でやる」ってテイストが強くて、閉鎖的にも見えるから対外的にアピールし難い、というのはありそう。
>アジア型の「暗記&詰込み教育」の有効性
英語できなきゃマズいから、毎日英語の短文を訳しながら読んでるけれど、中々語彙が増えない。(汗)
かと言って、今からまた単語帳だのノートに何回も単語書くだのは、したくないなぁ…(苦)
>ラブライブ
ライバルキャラが自分から懐柔されに行ってて草w
まーキャラ数多いから、一人に割ける尺も無いだろうしそんなもんかw
炎上してた事を舐めてたのはデジタルネイティブ感ある。
>如何にこの当時の勢力図が複雑で不安定だったか
>秀吉のような強い警察力が求められた
当時の政治のグダグダ振りを見るに、暴力装置を独占的に保持する「強力な中央集権政体」が求められた理由がよく分かりますよね。
それに関連しますが、応仁の乱の(一応の)中心人物とされる細川勝元と山名宗全の邸宅が僅か一街区、直線距離にしてほんの200m程度しか離れていないことを私が初めて知った時は、「ファッ?」と声が出そうになりました(↓)。散歩コースのご近所すら制圧出来ないほどの脆弱な権力基盤しか持ち得なかった「守護大名」の存在意義って何だったんだろうなぁ(毒)。
https://ameblo.jp/hiroshikyoto/entry-12636652976.html#:~:text
>日本語の「とる」は「とる」だけなんだからひらがなで良い
ま、会話だけを念頭に置くなら確かに著者の仰る通りだと私も思うんですけれど、漢字で表記する理由としては視認性の問題が大きいのではないでしょうか。著者の文章は仮名表記が多めな分、一読して若干意味が取りにくくなっているようにも思いましたし。
>日本でも暗記や詰め込み教育に否定的な意見はあると思いますが、繰り返し反復することで例えば計算なら暗算できるようになり脳のリソース(ワーキングメモリー)消費を抑えられるので、複雑な計算や問題をスムーズに処理できるようになるメリットがあります。
>基礎をガッチリやるからこそ応用できる。自己研鑽や修練も努力によって能力が向上し自己を成長させられるという発想と繋がっています。
アジア型の「暗記&詰込み教育」の有効性は以下の動画でも指摘されていて成程と思いました。この方の動画は思想的にやや保守寄り気味ではあるのですが、毎回出典元をしっかりと明記して論を展開しておられるので説得力があります(動画の作者は『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』の著者とは異なり、ここ30年のフィンランドの教育改革には終始否定的ですが、フィンランドのPISAにおける順位のその後の変遷(凋落)をみる限り確かにその指摘も頷けますね)。
【社會部部長:フィンランド教育の失敗:日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか?】
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e7%a4%be%e4%bc%9a%e9%83%a8%e9%83%a8%e9%95%b7&&mid=6F6C7F3EF7BD4682C8696F6C7F3EF7BD4682C869&&FORM=WRVORC
あと同じ作者による「義務教育における古典学習の目的と意義」に関する動画は興味深かったです。「国民意識の醸成のため」という理由付けは非常に腑に落ちました。「貴方が枕草子を知ることというよりも、貴方と他全員が枕草子を知り合うことに意味がある」なる纏めの一言に表されているように、国民国家なる「想像の共同体」を形作る上で、本邦においては古文&漢文が極めて重要な統合ツールとして機能しているとの作者の主張は極めて納得のいくものでしたね。
>今週の読書
2冊のハズレは割愛して(苦笑)、今週はこの一冊をプレゼンします。
● 古屋星斗+リクルートワークス研究所『2040年の日本が直面する危機と“希望”「働き手不足1100万人」の衝撃』プレジデント社2024
https://amzn.asia/d/aBcoAMw
○これまでの「人手不足」⇒ 景況感や企業業績に左右されて、需要の増減をベースとして労働者の過不足が決定する。
○(これからの)「労働供給制約」⇒ 景況感や企業業績に左右されず、労働供給量がボトルネックになって発生する。
要するに少子高齢化の進行と共に、既存の生活インフラを維持するために必要な労働力すら日本社会が供給出来なくなる、との近未来的見通しを綴った本です。「採用不採用の可否の判断以前に、求人を掛けてもそもそも応募してくる人自体が居ない」地方の中小企業に勤める身として薄々感じてはいたことですが、それでもこうやって具体的な数字に出されると衝撃的ですね。今や日本のプロレタリアートはAIに仕事が奪われる心配をする前に、少ない人員でも回せるようどれだけの仕事をAIに代替させ得るかに知恵を絞らなければならない段階に差し掛かっているようです。今から僅か160年ほど昔に執筆された『資本論』において、常に労働者が余っていた(=産業予備軍なる「失業者」が絶えず存在していた)マルクスの時代とはまさに隔世の感がありますね。
本書では(個人的には余り実効性があるとは思えない)一応解決策らしきものも記されていますが、著者はそれらが上手くいったとしても「労働供給制約の発生を10年遅らせることが出来る」だけに過ぎず、2032年以降なお抜本的な改革が必要だと主張します…いやいやこれはかなりの無理ゲーですねぇw(全然笑いごとじゃないんだけど)。生活維持サービスには不可欠かつAI化の難しい「3K職場」の人材確保のために、新卒者らの「職業選択の自由」が国家によって制限される未来も強ち絵空事では無いかもしれませんね。
>『チ。―地球の運動について―』
第3話で『拷問と処刑の西洋史』でも言及された拷問器具(拷問梨)が登場していて笑ったw。未読ですが原作は割と評判良いみたいですね。今のところ秋アニメで視聴しているのはこれだけです(それにしても登場人物が死に過ぎだろw)。
リバースカードオープン!
「まゆちゃん、"私の"悟くんに馴れ馴れしくしすぎじゃないかな?」発動!
友情破壊。これで2度遊べる。
>いろはに「私も好き」って言わせなかった
プリキュアの恋愛ネタって大抵女の子側が好きになるパターンだったんですよね。だから「(恋愛的な)好き」が半ば自明的なものになっていたわけで。するとあとは伝えるか伝えないか、相手が承諾するかの話になる。初代のなぎさなんかは恋心を秘めたまま人間的成長に寄せていたとは思いますが、恋愛主体じゃない話で恋愛を推し進めても成長性も薄いし……と袋小路。
今回のようにまず「好き」とは何なのか、自分にとってその相手はどんな人なのか、その総括と再評価を経ることで成長と恋愛を上手く両立できたと思います。告白される側のスタイルとしてはほぼ完成形でしょうね。
>小学校中高学年辺りが主人公を務める
成長限界の問題もあるでしょうね。終盤で小学生が大人びたこと言っても嘘くさくなるっていうか。絵面に説得力が出ない的な。大人と子どもの境界だからこそどちらにも振れるっていう便利ラインが中二(幅を持たせて中学生)でしょうからねぇ。
>漢字と日本人
日本語について解像度が上がるのは確かなんだけど、持て余すなぁ(苦笑)。発音関係の言及が多いから、こういう話は紙面よりも公演会とかで聞きたくなりますね。
「取る」「摂る」「採る」「執る」「捕る」の使い分けについてこんなもんにこだわるのは愚かだって断言してるのは面白い。国語教師なら唖然としそうだけど、日本語の「とる」は「とる」だけなんだからひらがなで良い。逆に常用漢字じゃないからと「哺乳類」や「爬虫類」を「ほ乳類」「は虫類」と書いてどうする。漢字を前提にした単語で学術用語でもあるんだからそう書けっていう主張は如何にも日本語研究者な意見ですね。
>裏切り・寝返り・手の平返しが日常茶飯事過ぎて
読んでいて思ったのは氏族内での権力闘争が想像以上に多い(苦笑)。あと残党軍生き吹き返しすぎ問題。どこからどうやって立ち直ってくるんだ。如何にこの当時の勢力図が複雑で不安定だったかを感じますね。
A氏族内の紛争を鎮めるために(A現当主に請われて)足利将軍がB氏族他の協力を取り付けて武力介入する泥沼ぶりを見るに、秀吉のような強い警察力が求められた(win-winだった)という説明は説得力がありました。
>秋アニメ
今のところは特に無いかなぁ。車に全く興味ないけど「MFゴースト」は見てる。何も考えずに流せるから。
プリキュア史上における転換点…かどうかは兎も角、記念碑的なエピソードである事を自覚していたかの様な、気合の乗りまくった回でしたね。
こうして整理されると、実は自分も恋愛と友情の違いがちゃんと分かってないんじゃないか?って気がしてきます。(苦笑)
自分の認識はもっと無秩序で、形を真似ていただけなんじゃないか?…という。
>女児向けで恋愛ネタをやっても実感がわかないのではないか
そもそも未就学児童向けで思春期女子が主人公やってるから、こういう悩みが出る訳で…
「こむぎ中学二年生」のミスマッチ感といい、そろそろ小学校中高学年辺りが主人公を務めるプリキュアも出て来そうな予感もします。
いや、女児が憧れる「お姉さん」像として、中学生が適齢期だって理屈も充分分かるんですけどね。
>いろはの造形はピンポイント
今回のまゆのフットワークの軽さとか、分かり易くこれまでに無いタイプの友達プリキュアだったと思いますね。
悟といろは、どっちのケアに走るかの判断に迷いが無く、そして早いw
>メエメエのような存在が重要だったという結論に
拓海も拓海で下心ありきの料理スキルという設定にもできたんでしょうけどねぇ…
どうしてこの差がついたのか?…って考えると、まゆやメエメエみたいに煽ったり騒いだりする存在が必要なのかも知れない…と思っちゃいますねw
そう考えるとデリシャスのメンツって、みんなマイペースだったよな…
>この実情を無視して借り物の理念だけ言われてもね
日本の「失われた30年」に危機感を抱いて上手くいってる国に学ぼうとする姿勢は、気持ちは分かるけど拙速なんでしょうね。
その30年間に上手くいった国に何か劇的な変化があったのなら一考の余地はあるけれど、特に昔と変わってないのなら日本がそれに倣うのは当てが外れると思います。
そもそも調子の良かった頃の日本にどれだけの実力があったのか?という話にもなる。バブルに浮かれていただけなら地力で勝ち取った実績とは言えないのでは。
他にも「明治維新」を引き合いに出すのも見掛けるけれど、アレもなぁ…善し悪しを碌に吟味もせずに近代化だけして浮かれてたから、その後近隣諸国に迷惑掛けてその後始末を未だにやってんじゃねーのかよ、と。
>秋アニメ
>チ。
地動説を巡るインテリ群像劇だと思った?残念!異端審問官の追跡サイコホラーでした!
二話連続で拷問シーンをノリノリで入れてて草も生えない。観るに耐えないので面白そうだけど自分は切ります。
>ラブライブ
こいつら精神的に幼いなー…って新シリーズ始まる度に思ってるなw
>私、悟くんといるとすっごくワンダフルなの。普通のワンダフルじゃなくて特別なワンダフルなの!
>自分の気持ちを自分の言葉で伝えるいろは
未就学女児の代表たるいろはが、「(恋愛的な意味での)好き」という未知の概念を自分なりに言い換えて理解しよう(そして悟に想いを伝えよう)と藻掻きながら成長していく有様が丁寧に描かれていましたね、教育アニメの面目躍如というところでしょうか。しかしメイン視聴者らのその人間的成長は、同時にプリキュアシリーズからの「卒業」を意味するというのも制作者にとっては辛いところですが(笑)。
>今週の読書
今週も日曜出勤だったので、一冊だけプレゼンしますね。引用が多い点はお許しくださいw。
●高島俊男『漢字と日本人』文春新書2001
https://amzn.asia/d/0DQ6ROC
◆◆◆
…日本が中国から漢字をもらったことをもって、恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは、日本語にとって不幸なことであった。…… 日本語は、みずからのなかにまだ概括的な語や抽象的なものをさす語を持つにいたっていない段階にあった。日本語が自然に育ったならば、そうしたことばもおいおいにできてきたであろう。しかし漢字がはいってきた ― それはとりもなおさず日本語よりもはるかに高い発達段階にある漢語がはいってきたということだ ― ために、それらについては、直接漢語をもちいるようになった。日本語は、みずからのなかにあたらしいことばを生み出してゆく能力をうしなった。(p.23~25)
――
人類は数万年前から言語をもちいてきた。そのながい歴史の中で見れば、文字が発明されたのはごく最近のことである。また、地球上のすべての言語が文字を持つわけではない。文字を持つものはむしろ少数である。それら文字をともなわぬ言語は十分にその役割をはたしたし、現にはたしつつある。文字なき言語は決して不備な言語ではない。すなわち、文字は言語にとって必然のものではない。ひとり日本語のみが例外である。その語彙のなかば以上は、文字のうらづけなしには成り立たない。
もとより最初からそうであったのではない。漢語伝来以来以前数千年、あるいはそれ以上にわたって、日本語は、音声のみをもってその機能を十全にはたしていたはずである。文字のうらづけなしに成り立たなくなったのは、千数百年前に漢語とその文字がはいってからのち、特に、明治維新以後西洋の事物や観念を和製漢語に訳してとりいれ、これらの語が日本人の生活と思想の中枢部分をしめるようになって以来である。
現代の日本においては、ごく身近で具体的なものや、動作や形容には、本来の日本語(和語)がもちいられる(みちをあるく、やまはたかい、etc.……)。これらはもちろん音声が意味をになっている。耳できいてわかる。文字のなかだちを必要としない。しかし、やや高級な概念や明治以後の新事物には漢語がもちいられる……。これらの語も無論音声を持っている。けれどもその音声は、文字をさししめす符牒であるにすぎない。語の意味は、さししめされた文字がになっている。たとえば「西洋」を、ひとしくセーヨーの音を持つ「静養」からわかつものは「西洋」の文字である。日本人の話(特にやや知的な内容の話)は、音声を手がかりに頭のなかにある文字をすばやく参照する、というプロセスをくりかえしながら進行する。
くりかえしのべてきたごとく、もとの漢語がそういう言語なのではない。漢語においては、個々の音が意味を持っている。それを日本語の中へとりいれると、もはやそれらの音自体 …… は何ら意味を持たず、いずれかの文字をさししめす符牒にすぎなくなるのである。
しかも日本語は音韻組織がかんたんであるため、漢語のことなる音が日本語ではおなじ音になり、したがって一つの音がさししめす文字が多くなる(たとえば小、少、庄、尚、etc.…はいずれの音も「ショー」)……日本の言語学者はよく、日本語はなんら特殊な言語ではない、ごくありふれた言語である、日本語に似た言語は地球上にいくらもある、と言う。しかしそれは、名詞の単数複数の別をしめさないとか、賓語[≒目的語]のあとに動詞が位置するとかいった、語法上のことがらである。…… しかし、音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、という点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語である。音声が意味をにない得ない、というのは、もちろん、言語として健全なすがたではない。日本語は畸型的な言語である。と言わざるを得ない。
では、日本語は健全なすがたにかわり得るのであろうか。日本語は畸型のままで成熟してしまった言語であるから、それは不可能である、とわたしは考える。これをしいて完全に正常なからだにしようとすれば、日本語はきわめて幼稚なものになってしまう。…… 漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にはあわないのだから、いつまでたってもしっくりしない。しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。(終章:やっかいな重荷(p.240~246)より抜粋引用)。
◆◆◆
著者は中学文学専攻の学者さんみたいですが、一般向けの啓蒙書を数多く手掛けられた方のようですね。
確かに我々日本人が、耳にした「音声」を、頭の中で素早く「文字(=漢字)」に置き換えてその内容を把握するなどという“離れ業”を、日常的にかつ半ば無意識のうちに行っている(例:「コーコーモノノコーコーセー 」⇒ 「孝行者の高校生」)というのは考えてみれば凄いことなのかもしれない。しかしそれはむしろ日本語が、文字を介さず音声だけで意志疎通を行うことがほぼ不可能な言語へと「ガラパゴス的進化」を遂げてしまったが故の、いわば苦肉の策である…そう著者は仰りたいみたいです。
これまで「日本語特殊論」は、兎角「ヤマト民族」なるものを特別視したがるナショナリズム礼賛者らに受けのいい妄言だとばかり私は思っていましたが、他言語と比較して極めて単純な音声構造と借り物の文字(漢字)という観点から日本語の特殊性(優位性に非ず)を論じている文章は初めて目にしたので、個人的には大変勉強になりました。
>よく日本人は社会人になると勉強しないみたいなこと言われるけど「やってるよ」って思う
同感です。私がこれまで渡り歩いた中小企業では、確かに大手企業のように研修会あるいは資格取得に向けた勉強会こそありませんでしたが、公立の中・高指定の教科書は数年ごとに必ず改訂されますし、また入試制度の見直しに伴って出題形式も大きく変動しますし、結局現場の講師一人ひとりが己の授業スタイルをこまめにアップデートしていかないと忽ち生徒減少 ⇒ おまんまの食い上げへと繋がってしまうため、勉強したくなくてもせざるを得ないというのが正直なところですね(泣)。
>足利将軍たちの戦国乱世
裏切り・寝返り・手の平返しが日常茶飯事過ぎて、足利将軍にも大名にも誰ひとり「個性的な」人物が居ませんでしたw(苦笑)。確か『菊と刀』でしたっけ、「主君に終生忠義を誓うのは家臣の務め」なる儒教の教え(?)を文字通り実践したのは、日本史広しと雖も「中国大返し」で明智光秀を討伐した羽柴秀吉と、かの「忠臣蔵」で名高い四十七士のたった二例しか無い、とか書いてあったと記憶していますが、それが実に「腑に落ちる」読書でした。
>悟よりいろはが見劣りしてしまう
大きなお友達的には悟の方に肩入れするよねw 一途に想い続けて行動するキャラってそれ自体好感度高いし。でもそれをそのままやっちゃうと政近とアーリャみたいに、このヒロインは言われるがままのお飾りか?ってなっちゃう。「ここで決めなきゃ女がすたる!」って言ってこそのプリキュアよ。
話的には無自覚だったことに直面させられるいつもの恒例行事に男の子を落とし込んだ格好ですね。
>スウェーデンのリカレント教育
『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』っていうスウェーデンで20年以上教師をやっている日本人が書いた本を借りたけど、読み流して投げた。
だって良いことしか書いてないんだもん。文章の端々から「あ~これ失業率高いんだろうなぁ」みたいなツッコミどころがチラホラ。移民にも寛容って書いてるけど、最近500万やるから帰ってくれみたいな政策やりだしてるんだよね。
本来教育って社会システムや技術、産業構造を背景にして発達していったものでもあるから雇用や国内情勢とセットで語らないと片手落ちになるんだよね。言い換えれば裏事情に触れない論説は読むに値しない。
欧米でのリカレント教育は実業とリンクしていて社会機能の面でも意味がある。けど、日本がそれを見習うべきだって主張には疑問符がつく。実際普及していないのがその答え。
よく日本の詰め込み教育、班分けしてそこで集団行動を学ばせる教育が批判されたりするけど、この教育や社会だからこそ日本人って良い意味での均質性と水準が確保されている。柔軟性と知識を持っているから労働者として使いやすい。また日本では中小企業が多くて非効率的と批判されるけど、これはこれで失業者の受け皿になりえる。賃金が概して低いのも失業率とバーター関係にあると見れば、日本はそこそこの能力を持った多くの人がそこそこの給料で食えている社会として機能している。この実情を無視して借り物の理念だけ言われてもね。
>電気工の転職先
米国労働省のサイトに行っても情報引き出せねぇw
たぶんChief Executivesは独立してるんでしょうね。前にあげた https://www.tryeting.jp/column/10945/ でも独立して10万ドル以上を稼ぐ「シックス・フィギュア・アーナー」の話あったし。
他の2つはAIチャットに聞いても似たような答えになるけど日本で言う支店長や部長、工場長になるみたいですね。あるいは親方(職長)的なポジションも含むのかなぁ。部下あり管理職的な。おそらく実務経験にプラスして主任技術者系やマネージメント系の資格を取ってキャリアアップするんだろうと思います。
>デンマークでは『学び直し』はないという事実(リンク先)
バランスが取れた記事ですね。まあ、一般の労働者にそんな高度な教育や技能は必ずしも必要ないんだけど(苦笑)。仕事してれば必然的に変わっていくものでもあるし。今やレストランでもロボット給仕が普及してるけど、みんな普通に扱えてるしね。
私、大企業で働いていたから実感としてあるけど、少なくともその会社では社内教育は定期的にやっていました。
若手向け、中堅向けに研修センターで技術や知識をアップデート(平準化)する。もちろん現場でも教える。職場によっては各自テーマを選定して講師役になる勉強会を会議時間にやることもある。支店に集められて支店長の前でプレゼンする企画もあった。これを高卒までもが平然とやっていると言ったら海外の人は驚くんじゃないかな。裏事情としては「技術力向上を職場で図っています」って上にアピールする目的もあるんだけどさw いずれにしても支店を跨いで研修会をやったり、異動で人が定期的に入れ替わるから長期的に見ると知識や技術が更新・平準化していく仕組みになっている。
だからこれもよく日本人は社会人になると勉強しないみたいなこと言われるけど「やってるよ」って思うんだよなぁ(苦笑) こういう教育や研修も踏まえて社内選抜されている。10年も20年も仕事してれば他所や他部門とネットワークができる人も出てくるし、若手中堅のリーダーとして活躍する人も出てくる。日本企業は大部屋で仕事するから横の繋がりや交流が多くて有能な人なら自然とマネージメント能力が身につく。要はやろうと思えば社内で勉強することも(手当や役職はない)リーダーになることもできる。海外はこれを金を払ってやりにいくみたいな話よね。
まあ、中小企業だと給料水準が大企業より劣るせいで割に合わないだろうけど。
>パロディとはいえ聖母像を残酷な拷問具に用いることは、キリスト教の聖母を冒瀆することにほかならない
言われてみれば確かにw
>足利将軍たちの戦国乱世
「サイコロ振って6が出たら死亡」ってルールがあるかのように病死が多くて草。
>具体的な進捗を見せられないと弱い
テキトーに掘った穴を雑に埋めてる感あるよね(辛辣)
>ダンジョンの中の人
絵の雰囲気のわりにダーティさがある作風だけど「辺境で魔物とスローライフ」でも通じるよね。