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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

感想と評 1/23~1/26 ご投稿分 三浦志郎

1 晶子さん 「晴天の朝」 1/25

夜が明ける。早朝の表情です。「ピリピリと/ドゥドゥと」いうのは、どういった朝の様子でしょうかね? 2連は読んでいて何か楽しいですね。風景や様子にバラエティがあり、よく練られているようです。さて、この詩は3連なんです。ここを読み手がどう解釈するかで、この詩の個性や評価も変わろうというものです。まず2行目「忘れたことを覚えている痛み」―僕はこの書き方は違う気がする。何か空回りするような表現です。「覚えて」は自覚や意識を表す言葉なので、単に「忘れたことへの痛み」とか「忘却の痛み」ではないですかね。3行目は夢のことを言っている気がします。次第に薄らいでゆく夢の跡のようなもの?いっぽうで「立ち向かう」の効用です。この詩のトーンからすると、やや場違いなのですが、その場違いさが約50%以上の“カッコよさ”を含んでいるように思えるのは僕だけでしょうか?(あ、僕だけですね、汗)そこに、僕は朝の軽い意志を感じるのです。そこで、僕が手懸りとするのが2連。「~スリッパ」「~駆け足」「速足」。これらは家庭の、家族の群像と取れなくもない。通勤、通学。皆それぞれにせわしない朝です。
各人忙しいのですが、彼らを世話し送り出す人こそ忙しいのです。そこに僕は妻であり母であり女性としての晶子さんを感じるわけです。みんなを送り出した後、自分も働きに出るとなれば、なおさらのことです。(もしかすると、それが「立ち向かう」になったのかもしれない)。甘め佳作を。


2 佐々木 礫さん 「入道雲と花の日記」 1/26

なかなか面白く、微笑ましく読ませて頂きました。これはタイトル通り、文字通り日記なんです。
日記をそのまま詩にした。即席造語で言うと「日記詩」!そんな面白さですね

「彼女は、坂の上の大きな入道雲に向かって、自転車で駆け上がっていく」

僕はこのフレーズがこの詩の中で最も好きですね。夢を伴いながら風景的、絵画的です。それに続く「もうすぐ夏が終わる~~まだ少し暑いけれど」まで、この詩のメインになり得るパートです。
ただし、ここでの「温暖」は冬から春に向かう時こそふさわしいもので、これから秋に向かうに、確かに「酷暑→温暖」なんですが、ここは「爽やかな」とか「涼し気」みたいなほうがいいでしょう。
上記したフレーズが後半も形を変えつつ、より抒情的に繰り返されます。主題であること、間違いありません。ひょっとすると、これは恋愛詩として読んでもいいかもしれない。終わりの友人とのやり取りは照れ隠しのようにも取れますね。あまずっぱいA DAY IN THE LIFEの日記。甘め佳作を。


3 静間安夫さん 「詩と真実」 1/26

冒頭、大変失礼なことを書いてしまうと、5連まで。再度、ごめんなさい。ここまでは詩を書く人ならば、大体思いそう、書けそうな考えであり詩行なんです。もちろん、条件に応じた詩のありようを細やかに書き分けてはいるのですが、静間さんは比較的、独特の思考をされるかたなんですが、(ちょっとフツーだな)と思って読み進むうち、ありました、ありました。6連以降が”静間さん“です。
いきなり結論です。「詩とは真実だ」(ちょっと古いけど「芸術は爆発だ!」みたいな感じです)。人は思います「なんじゃ、そりゃ?」。けれども本作は独自の思考で、これを解きほぐしていきます。僕の読み取ったところでは、以下のようになります。

「詩とは作者それぞれ自己にとっての真実、ここで言う真実とは作者が詩に託した純粋で誠実で真摯な叙景・感動・思考→他者が共感する→その輪が十人、百人、千人、万人、億人に広がった時→その詩は個人・主観から発するも、名作となり普遍へと繋がる。つまり主観から客観へ、個的なものから全的なものへと価値は変容する」。
最後の着地を考えます。僕の勝手な思考では、「普遍→細部・個人」。事の流れは大体大きなところから下へ流れてくるものでしょうが、ここに見る詩の広がりようは下から上を指向するもので、その意味での逆説。この流れが達成されれば幸福。さらに言うと、静間さんは達成如何に関らず、詩とは本来的にこういった可能性を秘めたものと考えているように思えるのです。ところで、評価が難しい。極端に色分けすると、「前半のフツー、後半の卓越」。されど総じて言うと、これは自己への鼓舞も含め、詩と詩人への応援歌。
うーむ、足して2で割って、甘め佳作でしょうか。


4 トキ・ケッコウさん 「水玉いろのザムザ」 1/26

(前置き) : カフカ「変身」はかつて読んで、今も家の何処かに在庫してますが、主人公が朝、虫に変身した以外、全くその内容を忘れました。従ってWIKIで概要をさらって、今回に臨む次第です。

全篇が「わたし」と「水玉いろのザムザ」との触れ合いとその感慨が綴られています。場面的には二大別できそうです。後半はザムザがちいさくなってからですね。まずは前半からですが、冒頭2行の奇妙な書き方や「~そっくりの」「でもちっとも似てない」など、
ちょっとした矛盾を掬い取り、それらを詩の一種のキャラクターにしたかのような趣を感じます。前半の両者ですが、満更でもない、
なかなか良い関係のように思えます。いっぽう後半、ポイントになるのは、ザムザが小さくなって動き回る。スリッパで叩き潰される。眼鏡レンズに飛沫が付き動いている。ここの心理は複雑で、不気味やら悲しいやら、で、自分の気持ちが整理しきれてない状態のようです。それを暗示するかのような終連だと僕は考えます。この詩の制作意図や、何かの寓意であるとか、僕にはよくわかりません。ですが、「ザムザ」とある通り、カフカ「変身」に想を得ているところはあるのでしょう。この作品がよく指摘される「不条理性」を、この詩も影響され受け継いだと見るのが自然と思われます。作者さんも毛色の変わったモチーフをユニークなアプローチで書いて来るイメージがあります。面白い書き手さんだと把握できます。ただ、この作品自体の存在意義の観点からは佳作一歩前と致します。


5 光山登さん 「氷片」 1/26

この詩は一見、抽象のようですが、さほど取っつきにくいものではないと思います。一日の流れと人々の営為がひとつの軸。「一切」に代表される人の生がもうひとつの軸。そんな詩です。
朝が来て夕日が沈むまで、人は生産的活動に出かけます。「大地をざりざりと踏みしめ」「青白くただれた目の人たち」が行きます。
こういう誰もが「一切」の下にあり、「一切」に還る、としています。
この言葉は「死という全き無」を表象していると思われます。逃れられない運命です。けれども作者は特に悲観しているわけではない。詩行に「僕らはけっしてひとりぼっちじゃない」とあり、それ以降、非常に前向き思考になっています。ところで「氷片」という言葉も非常に含蓄深く使われているようです。人間或いは人間性といったところでしょうか?なるほど、「僕」を含め人は夜と共に解体され、朝に再構築・再生産される。「明日のことは明日に取っておこう」みたいな思考もあり。こういう事を繰り返す以上、人々はーいつか一切が来るとはいえ―共通営為の中で皆繋がっている。連帯している。そんな集団意志を感じます。佳作です。

アフターアワーズ。
この詩とは特に関係ないのですが、違っているのを覚悟で書くと、僕には雪国の人が書いた詩に思えたことでした。雪国のかた、本当におつかれさまです。


6 多年音さん 「つぎはぎ」 1/26

前回は”弱めの印象”みたいなことを書いたのですが、今回はどうでしょうか?まず初連です。
「毎日満タンだったから」―ここ、ケッサクですね。そうですね。毎日、あれや、これやで、思慮浅くやっていた。子供ですからね。さて、それ以降は大人になっての今?「イヤホンで縫い付ける」―ここも面白いです。ただし、この詩、精密に解釈するとなると意外と難しくて、たとえば、こんな推測は辛うじてできそうです。
「大人になると、日々、課題・問題(無理難題!?)が次々出てきて、けっこう対応に忙しく追われたりします。その都度、真正面から対峙したり、危うく身をかわしたり、笑ってごまかしたりするわけです。そういった対処が「空白~つぎはぎ・縫い付け。穴~紡いで・ボロボロ」の比喩になりそうです」
こういったことは人生の常と言えば、常なんでしょうが、どうせしなきゃならないなら、その結果、人柄や表情に味わいや渋さが出たらいいですね。そんなラストでしょうか?この詩は一定のフィーリングをキープしていて、良いと思います。あっけらかん、とまでは言わないけど、どこか飄々とした雰囲気があって、“ケセラセラ”のムードも感じます。肩の力が抜けています。そこが良いと思います。これはやはり、ひとつの印象、個性と言ってよいでしょう。甘めながら佳作とします。


評のおわりに。

選挙が近いです。
さて、当日は投票して、うまいモンでも食べて帰ってこよう。 
では、また。

編集・削除(編集済: 2026年02月01日 17:42)

評ですね。1月16日〜19日ご投稿分  雨音


「矛盾」じじいじじいさん
じじいじじいさん、こんにちは。お待たせいたしました。
まさに今、受験生の方たちにとっては臨場感のある作品ですね。
雪、正月、雑踏、図書館、神社、C判定、ととても具体的ではっきりした設定があることから、場面が思い浮かべやすくなっているところはとても良いと思います。それから、とても素直な感情表現があって、現実味があります。受験生の葛藤、切なさがくっきりと見えますね。タイトルにある矛盾を感じる点での気持ちの揺れ、内省もほんの少しくすりとなってしまうような、その小さな笑いも雑踏に紛れてしまうような儚さでバランスが良かったです。全体としては佳作二歩手前です。二つ参考にしていただけたらいいなと思う点を書いてみます。

1、じじいじじいさんはきっととても真面目で優しい方なのだと思います。作品もとても丁寧で親切に書かれています。ですから早い段階でこの作品の状況や心境も正確に伝わって来ます。それで少し読者を信じて情景に任せてみることを提案したいです。
例えば、「希望大学C判定の私には正月なんて禁句だ」というところですが、これはすごく直接的な状況が書かれています。それで、「希望大学C判定の私は数式を解きながら年を越す」としてみると、私の気持ちは強くは出て来ませんが、読者は「辛いよね」と想像できます。この想像の余地を読む方のために取っておいてあげる、そんな感じです。これはやりすぎてしまうともちろんちょっとわかりにくくなるのですが、じじいじじいさんの丁寧さでしたら、そんなことが起こることはないと思いますので、試してみてください。

2、今回は受験生の苛立ちや焦燥感、苦しさ、というものが前面に出ています。実際そうですものね。なので、全体として少し強めの表現、口調が多くでてきます。一方で矛盾を感じたときに溢れてくる弱音のようなものがあります。これはとても素敵な部分で、ですので、この対比が少し際立つようにすると作品の立体感がうまく表現できるはずです。1で提案したことをやると、少し強い部分が控えめになると思います。それに加えて、この矛盾にかかる弱音を直接的ではなく何かに託してみるのが良いかもしれません。例えば、自分の打った柏手が雑踏に飲み込まれていく、それだけでもいいと思います。苦しさの表現を強めるよりも弱めていく方が、印象が残りやすいです。これもぜひ試してみてください。

じじいじじいさん、これはあくまでも私が感じたことなので、良いところどりしていただけたら幸いです。


「孤独な季節に」相野零次さん
相野さん、寒さが深まっていますね。お待たせしました。
こちらの作品は佳作です。特に後半、本当に素敵なメッセージ、希望が感じられる作品で、一年の初め、そしてタイトルにもあるように孤高な季節である冬に読むにはふさわしいと思います。母、父、この世にはいない不在の、けれど確かに感じられる繋がりから始まっています。すぐに現れる自分の暗い内面と葛藤、そして見知らぬあなたが現れ、明日へ続きます。前を向いていく余韻、それがとても良かったです。特にその前向きさをそっと含ませている静かさがいいですね。実はちょっと涙ぐんでしまったくらいで(心が弱っているわけではありません、笑)とても心に残りました。前を向いて淡々と歩いていく、そういう気持ちに共感される方は多いと思います。
特に直すところはないと思いますが、参考までにちょっとだけ書きます。必ず見直してほしいというものではないのであしからず。

1、三連目の冒頭、これは二連目からつながりますが、二連目の終わりにある「辛い」を生かして、辛い日々→その日々という風にするとすっきりしそうです。

2、明日への潮の満ち引きが、からの後半は本当に素晴らしいと思いました。それで、さらに余白を加えて印象を深めるのも良いかもしれないなと感じます。あなたなら/心を捧げてもいい、の前に一行空けるのはどうかなと思いました。
3、最終連、これは特に素敵な結びでした。救いがあって心に残りました。それで、「忘れてしまったけれど」を「忘れてしまいそうだけど」くらいにトーンを落とすとこの部分がちょっと控えめになって、最後の一行を引き立てるような気がします。

以上です。本当に良い作品でした。読ませていただけて良かったです。

:::::

評とは関係のない話になりますがご容赦ください。

花屋に行ったらミモザがありました。春が近づいているのですね。

年末から途切れず仕事をしていましたが、今週末はようやく一日休めました。休みって素敵。もうすぐ立春、ここで仕切り直して、一年のスタートにしようと思っています。一年の初めになんとなく本意ではないことが続いた方はぜひご一緒にいかがですか?

編集・削除(未編集)

野辺の枯れ花  人と庸

 案内も必要とせず山に入る者を
 かれらはいつも見送っていた

色々なものが過ぎ去ったあとに
残されたものだけが佇む季節
かれらは自身の花穂に
かつては光や風をいっぱいに湛えていたが
いくつかの種子を送りだしたあとは
その間隙に
わずかな空気が行き交うのみ

山の入り口から見下ろす砂防堰堤の
いまだ満たされたことのないその内側には
みわたすかぎり
みわたすかぎりの
枯れ穂の花束
なけなしの
しかし常に外側に向く矜持を束ねて
集うかれらの祝宴だ

 川の音は上流に向かうにつれ
 宴の静けさにかき消され
 伝える言葉を忘れてしまった

 きまぐれにはしる鎌刃の閃光に
 かれらは右腕からゆるやかに麻痺してゆき
 もはや 風に揺られることもない

いま 山に入ってゆく者がいる
その者は戻ってくるのか こないのか
戻ってこなければそれでよい
戻ってきたなら
腕いっぱいになるまで
枯れ花を束ねて贈ろう
精一杯たたかったとて
決して正義になりえない
それに気づいた群れの中の孤独な者に
無音の言祝ぎとともに

編集・削除(未編集)

over.  上原有栖

気怠い空気の午後三時
短針と長針は90度の距離をおく
アイス・キャンディを咥えながら
眺める無音の秒針

火照った身体が
タオルケットに包まれている
なだらかな稜線の先に見えるのは
華奢な首元と足首の肌色だけ

******

ふたりは
都合のいい、関係
知っているのは
必要なときに繋がる電話番号

知り過ぎると囚われてしまう
本気になった側が負ける遊戯(あそび)

あなたは
縛られるのも悪くない、と笑った
わたしも
束縛されるのは嫌いじゃない、と、嘯いた

******

再び視界が覆われる《over.》
 引き締まった胸板に腕を回す
紫煙の残り香に包まれる《over.》
 わたし、あなたと同じ煙草を喫うようになった
感情が昂ぶっていく《over.》
 恥じらいの理性に今だけは鍵を掛けて

******

目覚めると、ひとり
短針と長針は随分と離れてしまった
無音の秒針も
逢瀬の終わりを告げている
《So it's over.》

編集・削除(未編集)

水無川様 お礼です 上原有栖

今回も丁寧な感想と評を頂きまして誠にありがとうございます。
「望郷」というタイトルの違和感は、やはり拭い切れませんでしたか。
おっしゃる通りタイトルは詩の顔ともいうべき、
とても重要な要素ですので今回のアドバイスを活かしつつ
詩作を進めていきたいと思います。

思い出の原風景は、目の前から無くなっても心の中には在り続けるという
普遍的な気持ちを詩に込めることができて良かったです。

次回の投稿の折も、どうぞよろしくお願いいたします!

編集・削除(未編集)

交差する時間  aristotles200

無人の公園
未整備のまま放置されている

朽ちたベンチ
赤子の靴が片方だけ置かれている
片方だけチェーンの切れたブランコ
風に揺れるチェーン
草が生えた砂場
色褪せたプラスチックのスコップ

昼下がり
ホワイトノイズのような、無音

ゆっくりと朽ちていく

人間はいない
人間のつくったものが
使われることなく消えていく

ー白昼夢ー
子供たちの遊ぶ声、歓声
動くブランコ
ボールが転がっている
ベンチに座り、お喋りする母親たち

過去と現在が交差し
時が
全てを砂に還していく

二つの世界は
響き、共鳴しつつ
無へと向かう
永遠に戻っていく

人間は去り
静寂が、世界を包み込む

絶望か


ようやくの
安らぎに満ちている

一呼吸して

この時に溶け込む
命に還っていく

朽ちたベンチ
赤子の靴であったもの
赤錆びたブランコ
チェーンだった鉄くず
草地に変わった砂場
色褪せたプラスチックの欠片

深夜
月明かりが公園を照らす
微風

ブランコの音がする
子供たちの笑い声

瓦礫の山、黒い雨
ホワイトノイズのような、無音

編集・削除(編集済: 2026年01月30日 07:11)

御礼 水無川 渉様  aristotles200

水無川 渉様
拙作「生きる」に評ご感想をいただきありがとうございます。
佳作一歩前とのこと、精進します。

SFに依存し、詩としての異化不足、ストーリーの浅さ、結末の物足りなさ感、等、ご指導感謝いたします。
確かに、詩の根本のところの工夫不足でした。
気を引き締めます。

本作、設定で終わりました。最近の流れのまま、二匹目の泥鰌狙いも否定出来ません。
再度、推敲してみます。

「詩とは、言語と感覚そのものを変容させること」とのお言葉、肝に銘じます。

次回もご指導のほど、お願いいたします。

編集・削除(編集済: 2026年01月30日 07:49)

水無川 渉様 お礼  ゆづは

この度も、深くお読みくださり、丁寧な評をありがとうございます。
「これは他のどんな宝石でもなく、真珠でなければならないのでしょう。」というお言葉、またポーの名言を引いて最終連を評価していただけたこと、何より嬉しく思いました。
ご指摘いただいた構成や視点については、今後の推敲で意識していきたいと思います。貴重なご意見、本当にありがとうございました。

編集・削除(未編集)

感想と評 1/13~15ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。1/13~15ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。そもそも詩の解釈に「正解」はありませんので、参考程度に受け止めていただけたらと思います。
 なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●ゆづはさん「沈黙の真珠」
 ゆづはさん、こんにちは。この作品は切ない愛の物語を美しいイメージで綴っていますね。長い長い孤独の中で育まれていった「わたし」の感情。その愛の対象である「あなた」は最終的に去っていきますが、すべてを失った「わたし」には一粒の真珠が残される……。
 最終連は痺れました。真珠は貝の中に入った異物の周りに長い時間をかけて炭酸カルシウムとタンパク質の層が形成されてできるものですが、この詩で描かれている孤独や苦しみが核になって美しい何かに変わる、これは素晴らしいメタファーだと思います。これは他のどんな宝石でもなく、真珠でなければならないのでしょう。ポーは「詩は終わりの一行のために書け」と言いましたが、この終わり方は文句無しに素晴らしいと思います。
 このフィナーレと全体的な雰囲気は素晴らしいと思うのですが、具体的な詩の構成に目を向けると、今回の作品はややぎくしゃくした印象を受けました。
 1~3連で「わたし」は光の届かない「深海」にいます(ちなみに、深海の水の色は「紺碧」ではないと思います……)。しかし4連以降では「わたし」は海岸に立って海を見ているようです。「潮騒」、「嵐」、「船影」、「寄せては返す波」といったイメージは海面より上の視点を前提としています。視点の移動はもちろんあって良いのですが、この作品ではその切り替わりが唐突で不自然に思えました。
 深海で「あなた」を待っていた「わたし」が船の上にいる「あなた」に会いに海面に上がってくるとか、あるいは最初から「わたし」は海辺にいるのだけれども、その想いは深い海の底にある、等、いろいろ方法は考えられると思いますが、何らかの形でこの2つの部分を自然につなげる工夫が必要かと思います。パートごとに取り出すと海に関するイメージを用いてよく書けているのですが、全体として通して読むとちぐはぐな感じがしてしまうのが残念でした。
 とはいえ、最初に申し上げたように、終わり方は素晴らしいですし、ゆづはさんらしいダークで幻想的なイメージに溢れた作品ですので、全体の構成を見直していただくと、とても良い詩になると思います。ぜひさらなる推敲をおすすめします。そのような期待を込めて、評価は佳作一歩前とさせていただきます。

●上原有栖さん「望郷」
 上原さん、こんにちは。これはストレートで心温まる作品ですね。幼い頃遊んだ公園が今はなくなり空き地になっている。その前に佇む「僕」は、明日には遠いところに旅立とうとしている。「僕」は遠い記憶を噛み締め、離れても決して忘れないことを誓う……。評者自身も幼い頃住んでいた団地の跡地を訪れたことがありますが、古い建物が取り壊されてまったく新しい別の土地になってしまっているのに、えも言われぬ感傷を覚えたことを思い出しました。「僕」という代名詞や、ですます調のやさしい語り口もこの詩の雰囲気にぴったりだと思います。
 この詩で唯一気になったのはタイトルです。「望郷」という言葉は通常遠くにある故郷を思いやる心を表していると思いますが、この詩ではかつての公園はもうないとは言え、その場所の前に立っている設定ですので、「望郷」とはちょっと違うのではないかと思いました。強いて言えば、ここから遠く離れても望郷の念をいつまでも抱き続けるだろうという未来への確信が語られているとも考えられないことはありませんが、やはり最後まで違和感は残りました。
 重箱の隅をつつくような指摘と思われるかもしれませんが、タイトルは詩全体の理解やイメージを左右する重要な部分ですので、もっと良いものがないか、考えてみてください。評価は佳作半歩前です。

●aristotles200さん「生きる」
 aristotles200さん、こんにちは。今回は明確にSF的な作品ですね。前半の、ロビンソン・クルーソーを思わせるサバイバル生活の描写は一見古代人の暮らしを描いているようにも読めますが、「昔、聴いた音楽」や「昔、見た光景」など、語り手がかつては今とは異なる環境に生きていたことを示唆しています。そして後でこの場所が地球ではない(三つの月を持つ惑星である)ことが分かるのですが、たとえば初連で川から釣り上げた生き物を「魚」と書かず「大物」とだけ書いているところなど、細かい部分がよく書けていると思います。
 後半では、この語り手は宇宙船の事故で見知らぬ惑星に不時着した人物であることが明らかにされます。高度な科学技術を持った(未来の)人間が不慮の事故で原始的な生活を強いられるとか、冷凍ポッドで300年眠り続けるといった設定はSFでよく見られるものですね。
 この作品は評価が難しいです。私は若い頃SFが好きでよく読んでいたので、SFと詩の融合という試みには心から拍手を送りたいと思います。その一方で、ただSF的なストーリーを行分け形式で書いただけでは詩としての魅力は十分に発揮できないようにも感じています。SFも詩も異化(見慣れた現実を見慣れないものとする)という作用を持っていますが、その方法は異なっています。SFの場合は現代より遥かに進んだ科学記述という仮説の上に現代の生活を見慣れないものとしていくのに対して、詩の場合は言語と感覚そのものを変容させることによって現実を異化するものだと思います。そういう意味で言うと、今回の作品は残念ながらSF的なアイデアに倚りかかりすぎて、詩としての味わいが薄くなってしまったように感じてしまいました。
 さらに、いつものaristotles200さんらしい、哲学的に考えさせられるような深みがあまり感じられなかったのが物足りなかったです。特に終わり方は簡単にすぎる気がしました。タイトルでもある「生きる」の意味するところを後半部分においてももう少し深めていただけると良かったのではないかと思います。
 繰り返しますが、SF詩が悪いと言っているのではありません。むしろ大いに追求していただきたいと思いますし、aristotles200さんの詩風からどんなSF詩が生まれてくるのか、楽しみにしています。今後の作品に期待して、今回は佳作一歩前とさせていただきます。

●荒木章太郎さん「沈黙」
 荒木さん、こんにちは。とてもシリアスな主題について、丁寧に作り込まれた作品だと思いました。生きることには苦しみが伴います。この世界に満ちる苦しみに対して、それが何の意味を持つのか、問いかけるのが人間だと思いますし、ある意味それは詩を含めた芸術一般の最重要主題の一つだと思います。
 この作品では苦しみに対する答は「沈黙」です。「静寂」ではなく、語ることができるはずの誰かの「沈黙」。では誰の沈黙なのか? 人間一般とも考えることができますが、この詩では「神は/沈黙している」と語られます。これを読んで、私はカトリック作家であった遠藤周作の小説『沈黙』を思い出しました。この連以降、後半ではこの「神の沈黙」を巡る考察が展開されているように思いました。
 けれども、この詩は「沈黙」だけでは終わりません。沈黙イコール虚無ではないと言われているようです。そのことが最後の4連で展開されています。意味は分からないけれども「俺はなぜか、生かされている」。その問いの答は

そばにいて耳を傾けている
そばで受け止めている
――そう
信じるしかない

の連に見出されますが、これがこの詩の心臓部ではないかと思いました。「俺」のそばにいてその存在を受け止めている存在は誰か? 前後の表現からして、これもやはり「神」なのではないかと思いました。ちなみに上記遠藤周作の『沈黙』においても、実は神は沈黙していないということが主題になっています。世界の不条理の中で、誰かが(あるいは何かが)自分の存在を受け止め、支えていてくれる、そう信じることが、生きる力を与えてくれるということかと思います。
 良い意味での宗教性をたたえた、深みのある作品であると思います。技術的にも、似たような表現を少しずつずらしながら繰り返すことで意味を深めていく技法が多用され、効果を上げていると思います。評価は佳作です。

●喜太郎さん「TKG」
 喜太郎さん、こんにちは。これは「飯テロ詩」とでも言うべきジャンルでしょうか、読んでいるだけで卵かけご飯が食べたくなるような、そんな作品ですね。
 詩はありふれた日常の中に非日常を見出すレンズだと私は考えていますが、卵かけご飯(TKGという俗称もどこかユーモラスで面白いですね)を食べるという、誰もが一度は体験したであろう行為を、食べている語り手の感覚も含めてここまで詳細に描写するのはとても詩的な行為だと思いますし、そのような言語化を通して初めて味わえる感動のようなものがあるのではないかと思います。
 ただ個人的にあえて欲張ったことを言わせていただくと、卵かけご飯を食べて美味しかったというだけにとどまらず、そこからさらに一歩踏み込んで、人生や世界に関する何らかの洞察を含めていただけるともっと良かったのではないかと思いました。この詩を拝読して、長田弘が書いた一連の食べ物に関する詩を思い出しました。『食卓一期一会』という詩集にまとめられていて、文庫でも読めますので、参考にしていただければと思います。
 そのことを提案させていただいた上で、日常における小さな、でもリアルな幸せをストレートに伝えてくださった詩として評価させていただきたいと思います。最初に「卵かけご飯が食べたくなる」と書きましたが、実は作って食べてしまいました。これはまさに詩の力だと思います。評価は佳作です。

●TICOさん「儀式」
 TICOさん、こんにちは。MY DEARでは以前から書いておられる方のようですが、私が担当させていただくのは初めてですので、感想を述べさせていただきます。
 散文詩の形式で書かれていますが、ウイスキーのオンザロックを作って飲む――そんなありふれた行為を通して、日常的な現実がふと変容する様子を描いた興味深い作品ですね。かき混ぜるためにマドラー代わりに使われる箸や「使い古した台拭き」がリアリティを出す良い小道具になっていると思います。
 「私」はひとりで部屋にいてオンザロックを作っているわけですが、透明なグラスとそこに満ちているウイスキーを通して向こう側を見ています。でもそれは「グラスの向こうの何かがぼんやりとした私を見透かしていた」のだと語られます。後半でも「グラスの底が私を覗き込んだ」という描写がありますが、主体と客体が逆転する不思議な感覚が読んでいて心地よかったです。
 出来上がったオンザロックを飲む描写においても、グラスの底や向かいの壁の見え方がどのように変化していくか、丁寧に描かれています。もちろんアルコールによる酔いが認識を変化させるということも含まれているでしょうが、「私」にとって酒を飲むという行為は「私の中にあるそれ」を注ぎだす「儀式」なのでしょう。「それ」が何なのかは語られませんが、さまざまな解釈を許容しているように思います。
 どんな儀式にも始まりがあり、終わりがあります。台拭きの「待機」はこの非日常の時間が終わりを告げ、日常に戻っていくことを暗示していますが、それだけこのひとときの特別な意義を際立たせているように思いました。そのように考えると、この詩における「儀式」の始まりは「テレビを消す」動作のように思います。だとすると、テレビを消すのはもっと前に持ってきても良かったかもしれないと思いました。
 短いけれども味わい深い作品をありがとうございました。またのご投稿をお待ちしています。



以上、6篇でした。今回ははからずも同じような主題の作品が複数重なって興味深く読ませていただきました。ただ主題は似ていても、作者によって取り上げる素材やその切り口がまったく違うので、読み比べる楽しみもありました。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。

編集・削除(未編集)

ことばの葉と歯の間には  荒木章太郎

ああ、生きるため
歯をくいしばっていたら
下の歯が小さく
丸まってしまった
「思想膿漏」で
隙間ができてしまった

ああ、生きるため
糧を得ようとしたら
権力の歯車になってしまった

歯車を回し続けても
取り込まれぬように
俺は歯を言葉に変えた
思想は鋭い刃となり
言葉で傷つけあい
腐っていく

言葉を守るために
寄りかかった壁は
俺が
殴り返すはずだった壁だ
その壁は
教訓じみた顔をして
そこにあった

子どものころ
歯をくいしばれと
教えたのは
父のような壁だ

高く
厚い壁なら
乗り越える
儀式にもなるが

俺が寄りかかっているのは
柔らかく
歯形だけが残る壁だ

歯車を
回し続けるしかないのか
言葉を失えば
俺は
歯車を止められるのか

それは
口を閉ざすことなのか
それとも
父なる声が
聞こえなくなることなのか

父は
歯を食いしばることを
やめなかった
俺は
前歯を二本
失ってしまった

二人とも物事を
うまく咀嚼できなかった
ことは確かだ

父の壁もない世界で
途方もない情報が
咀嚼されぬまま 分別もなく
腹の底へと流し込まれていく
物事の本質を
消化できぬまま
腐敗した
言葉の骨を拾う

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