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星がガラスみたいに弾けて全てを粉々にする
僕が生きている意味って何だろう
春の息吹が近づくと元気がわいてくる気がするのは何故だろう
コップに入れた一杯のサイダー
これより爽やかなものを僕は持っているだろうか
疑問を打ち消しながらサイダーを飲み干していく
サイダーのコップを夜空にかざすとつぶつぶが星みたいに瞬く
もう僕はさっきの疑問を忘れている
人間は単純なのだろうか 難しいのだろうか
全ての問いに答えを出すことなんてできない
それでも人は考える
太陽が東から昇って西へ沈むのは何故だろう
夕陽が過去の郷愁を呼び起こすのはどうしてだろう
いくつもの疑問が流れ星となって通り過ぎていく
そして僕らは毎日生きている
こんにちは。初心者掲示板では、いつもお世話になっております。MY DEAR 掲示板では、初めて丁寧なご感想をいただきまして、どうもありがとうございます。大変光栄に思っています。
また、表現についてのアドバイスは、私も同じように感じておりました。具体的な表現の提案もしていただき、とても分かりやすく、勉強になりました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
蚊は人の
憂き心をいただき
人は
痒みと引き換えに
憂き心をしばし忘れる
ここは
交歓の坂
右側に広がる庭園
ここで
蚊が生まれ
心ここにあらずの人から
卵の糧をいただく
妻が名付けた
「蚊刺され坂」
夫が刺され
妻が笑い
妻が刺され
夫がからかう
憂き心で
刺され
警戒心で
躱(かわ)す…
母なる蚊
決して奢らず
感謝の祈りで
産卵場所を探して
夕闇に
か細く消えていく
見送る妻
見送る
生まれることの
なかった子…
熱に焼かれたのか
母なる蚊―
今年の夏は
飛んでこない
痛めた心
想い出したのか
妻は遅れて
坂を上り
夫は
振り返ろうか
迷いに迷い
坂を上る
9/16〜9/18ご投稿分の感想と評です。宜しくお願い致します。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。
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9/16 「幸せのハードル」 ゆづはさん
こんにちは。MY DEAR 掲示板では初めてですので、今回は感想のみとさせていただきます。
詩の前半では、嬉しいことがあっても、すぐに期待が裏切られ、それが束の間の糠喜びであったことに気づいたときの苦しい心情が、丁寧に描かれていますね。
しかし後半で、ハードルを緩やかに下げることが述べられて、詩の雰囲気が明るい方向へと反転します。このように常にハードルの高さを調整してゆくことは、心の健康には大切なことなのでしょう。
表現について前半では、2連目の「深い息が水底へ沈みゆく」、4連目の「冷たい夜気に肩を抱かれる」、5連目の「無意識に過ぎ去った時間」といったところが、苦しい心の有り様を上手く表していると感じました。
また後半部では、6連目の「目の前にひっそりと咲く/ささやかな喜びを」、7連目の「あたためていた想いの欠片が/静かに煌めき始める」というところに、見失っていたものに再び気づくことの喜びが鮮明に感じられます。
そして最終連4行では、いまだ失われていない希望の光が自分を待ってくれている予感が、美しく描かれています。それがこの詩全体を上手く引き締めていますね。
ただこれは些細なことなのですが、欲を言えば2連目で「指の隙間からこぼれ落ち」るものを、何らかの比喩で表しておいたほうが、落胆する感覚がより読者に伝わってくるように思えます。(例えば「砕けた珠玉が乾いた砂粒と化して」みたいな感じで。)
でも、それがなくても思いは伝わってきますので、必須というようなことではありません。
全体を通して、ささやかな内面的な再生を描いた作品ですね。8連目の「足音を深く刻みながら」というところに、再び前を向いて着実に歩いてゆく決意が感じられました。
9/16 「台風コロッケ」 松本福広さん
私はテレビの天気予報をほとんど見ないので、冒頭の「天気予報の日本地図にコロッケのアイコンが並ぶようになったのは、いつ頃からだろう?」という一文から、本当にそんなことをしているテレビ局があるかもしれないと思ってしまったのですが、私が調べた限りではそのような情報は見つからなかったので、おそらくこれは創作なのでしょう(ホッとしたような、ガッカリしたような・・・)。
それはともかく、全体的に不条理で、アイロニカルで、どこかシュールレアリズムのような感じもする作品ですね。
ネットの世界の中で話題になった、「台風が近づいたのでコロッケを食べる」ということの不条理さを、さらに推し進めたような印象を受けました。
前半部分の、子どもに向けた気象予報士の説明が特に不条理で、ダイエッターのプックプーがとても面白いです。
そして後半の、読んでいるだけで胸焼けがしそうなコロッケづくしの食卓の描写も、アイロニカルでいいですね。
そもそもこの「台風が近づいたのでコロッケを食べる」というのは、元々はあるインターネット掲示板の書き込みがきっかけだったそうです。その台風とコロッケという何の脈絡もないつながりがウケて広まったとのことです。
それを思えば、これはあくまでも個人的な感想なのですが、末尾の雲や雷や雨をコロッケと結びつけるような表現は、やや無理があるようにも感じられますので、なくてもいいのではないかとも思います。
脈絡のないつながりは脈絡のないまま、不条理なものは不条理なままにしておいたほうが、より面白いような気もします。ですから、最後は台風をコロッケに寄せるのではなく、台風がコロッケと全く無関係であることを示すような表現(例えば落としたコロッケが激しい雨風に崩れてゆくさまを描いたりとか)を置いてみても面白いかもしれません。
でも全体に漂うシュールな感じがとても面白い作品です。
評については、佳作半歩手前としたいと思います。
9/16 「カタコト」 荒木章太郎さん
自分の言葉で話す、語りかけるということへの希求を描いた作品ですね。まず、序盤の「アナタニ アエテ ダイジョウブ デス」がとても印象的でした。日本語としてはどこかおかしいのですが、それがかえって意味深長な感じを出しています。それはおそらく、そこに「揺らぎ」があるからなのでしょう。ここで言う「揺らぎ」とは、あやふやさ、多義性を持たせられる余裕、あるいは言葉にならないコトバと言い換えてもいいかもしれません。
AIを使えば「揺らぎ」のない、整った文章を得られます。そのような文章は事務的なやりとりや表面的な交流には向いているのでしょう。でも人として互いに触れ合うには浅薄すぎるようにも思えます。そのことへの違和感が「君の戸惑い」となるのでしょう。
この「揺らぎ」ということを先程の「アナタニ アエテ ダイジョウブ デス」に当てはめるとどうなるでしょう。「大丈夫」とは元々、大柄でしっかりとした、頼りがいのある男性を指した言葉だったそうです。その「しっかりとした」「頼りがいのある」ということから、「問題ない」という意味へ転じたという話を聞いたことがあります。そうであるならば、この文の「ダイジョウブ」とは、私を支えてくれる「アナタ」のことであると同時に、「アナタ」が私を支えてくれるから、自分が他者を支える「ダイジョウブ」で在ることができる、とも受け取れます。
そのことを踏まえると、最終連に「『大丈夫』と応えてくれる仲間」とありますが、これは不安を和らげてくれるということと同時に、互いに頼れる、支え合えるとう意味も含まれているようにも感じられます。
そして末尾に「不器用」とあります。AIの言葉に比べれば、私たちの「揺らぎ」を持つ言葉は不器用なのでしょう。でもその「揺らぎ」があるからこそ目に見えない「君と僕の感情の気配」を翻訳することができるのだとも思えます。そしてそのような翻訳は新たな創造の源ともなり得るような気がします。
また、今の世に追い立てられて置き去りにされた声が「からだの声」と表されています。これは身体感覚からの声、あるいは自らの体験に基づく声といったようなことでしょうか。この「からだの声」という表現もまた、意味深長な感じでいいですね。
何だか個人的な解釈に偏った感想になってしましました。すみません。
評については、佳作としたいと思います。
9/17 「秋」 喜太郎さん
今年の夏はことさら暑かったですね。その暑さもようやく一段落しそうです。そんな中で秋を待ち遠しく思う心の書かせた詩、という印象を受けました。
また、秋になり、木の葉が色づき落ちてゆく様を描いたものではなく、まだほんの微かでしかない、秋の僅かな気配を、木の葉が感じ始めたことを描いた作品のようにも思えました。
1連目に描かれた落葉は、本格的な紅葉と落葉が始まる前、まだ木に茂る葉にその準備を促すための、言わば「先遣隊」のような印象を受けました。
次の、2連目と3連目では、1本の木に茂る数多の葉が、ひとつの社会を形成していることを表しているようにも感じられました。特に3連目の対句法が、全体の構成を引き締めるいいアクセントになっています。
そして4連目で表されているのは、生命の循環ですね。秋になり葉が枯れ落ちることは、生命の流れが断ち切られる全くの死ではなく、その後訪れる再生への第一歩だということ。そのことを踏まえると、最終連のカサッという音が教えてくれる秋の訪れは、単なる季節の移り変わりというよりも、生命の循環の一幕ということになると思います。その点は、死をテーマにした絵本「葉っぱのフレディ」を連想させます。
ただ、秋と落葉や生命の循環というテーマは、これまでにも数多く扱われているものですので、ここは何か独自の視点や表現が欲しいところです。3連目が表している、1本の木に茂る数多の葉の相互関係のようなことを、より膨らませて表現してみても面白いのではないでしょうか。
でも全体的には、構成が上手くまとまっていて、読みやすい作品だと思います。
評については、佳作一歩手前としたいと思います。
9/18 「飛行船」 Emaさん
こんにちは。MY DEAR 掲示板では初めてですので、今回は感想のみとさせていただきます。
幼い頃に見た飛行船を通して、見失ってしまった心の内の「何か」を表した作品だと受け取りました。
私も子供の頃、広告用の(おそらく無人の)飛行船を何度か見たことがあるのですが、最近では全く見なくなりました。2連目の「いつのまにか/私の世界からこぼれ落ちていた」という表現に実感が湧きます。
3連目の「ちっちゃな乗り物を手に入れて/向かうところ敵なしだった私」というところに、幼児特有の全能感が上手く表されています。それでも当然ながら追いつけなかったけれど、飛行機よりもずっと近くて届きそうだったというところに、低空をゆっくり飛ぶ飛行船の姿が目に浮かんできます。
また、幼稚園に通い始めた頃に、飛行船に乗ることができない(おそらく広告用の無人飛行船だから?)ことを知って、夢が「ぱちんっとはじけた」のは、現実を少しずつ受け入れ始める兆しなのでしょう。
その後、成長するにつれて飛行船が遠くなってゆく様子が描かれていますが、この作品における表現の白眉は何と言っても「日常の大半の青空は同じ画角になる」でしょう。ただ単に「空が狭くなった」だけでなく「画角」という言葉を用いることによって、煩雑な日常の中で視野が狭まり、大空をゆく飛行船と距離が広がってしまったことを見事に表現しています。
そして末尾で「喪失感に手を伸ばしている今日」を、「些細で重要なひとかけらとさよならした日」としてこの詩を閉じているところも、寂寥感がうまく出ていて巧みだと感じました。
この主題である飛行船は何を表しているのでしょう。「高揚感」「些細で重要なひとかけらと」といった言葉がありますが、おそらくそれだけで表せるものではないのでしょう。それについては読み手によって様々な解釈が生まれると思います。このようなことをどこまで表現するかはなかなか難しいところですね。ぼんやりとしすぎれば読み手に伝わらない、しかし詳細に表そうとすれば大切なものを取りこぼしてしまう。そのへんの塩梅も「飛行船」と「窓枠に固定された空」とを用いて、上手くバランスをとっていると思います。
全体的に、とても完成度の高い作品だと感じました。
9/18 「悲劇の中の恍惚」 司 龍之介さん
はじめまして。初めての方なので、今回は感想のみとさせていただきます。
心の中の苦悩や葛藤を「曇り空」に喩えて表した作品ですね。その苦悩は周囲と上手くやっていけない、その軋轢からくるもののように感じました。
2連目と3連目の「誰も助けてくれない」「誰かを頼れない」「周りは俺を蔑む」といった表現が、その苦悩がもたらす孤独感をよく表しています。
4連目の「土砂降りの中を帰った」とは現実と内面の両方のことですね。それを耐えることのつらさが、6連目の真っ黒な雲に表されていますね。
周囲から蔑まれると同時に、周囲の人々を蔑むということの内に、劣等感の中でどのようにして自己肯定感を見出すかということが描かれているように感じました。その葛藤が、現実と精神の両方の土砂降りの雨で表されているところに感じられました。
全体を通して、心の中の苦悩や闇といったことが、暗い曇天と土砂降りの雨を用いて視覚的に表現されています。ただ、タイトルにある「恍惚」という言葉が一番最後になって出てきます。あまりの苦しさ故に、やがてそれがひっくり返って愉悦に変わるというのはわからなくはないのですが、この場合は何となく唐突な感じもします。
雷雨や豪雨は多くの人とって忌まわしいものですが、中にはそれらを好む人もいるようです。どうもその理由は、雷雨や豪雨に伴う非日常的な感覚に魅力を感じるためのようです。そのようなことを比喩に用いて、「恍惚」を表現してみるのもひとつの方法ではないかとも思います。
でも、心の中の真っ黒な雲と土砂降りの雨が、現実の世界とリンクしている様子は、おそらく多くの人が共感するでしょう。
如水は―
やや冷遇されていた
太閤秀吉は言った
「あやつに大禄を与えれば わしの天下を奪いおるわ!」
彼にとって
小禄はむしろ誇り
彼にはー
同僚にして政敵がいた
(“きゃつ”の肉を喰らい千切りたい!)
―とまで思っていた
政敵は義の
如水は利の
世界に生きている
政敵は
持ち前の義を鳴らし
明らかに次の天下を狙う家康相手に
この国全土で戦に訴えた
如水はこれを好機と捉え九州で
第三勢力を成し あくまで
利を求めた
(頃はよし あわよくば天下を……)
*
歴史は時に一日で結着する
如水の憎んだ男はもうこの世にはいない
義戦を起こすも敗れ斬首
すでに亡き者を
今も憎むほど
彼 そこまで人非人ではない
家康 覇権握る
同時に如水の天下夢想も消え
世は平静
ある日の茶飲み話に
かつての政敵の本質を語った
「あの男は亡き太閤に何よりの馳走をしたよ
それがあの男の成功 それが義というもの
志とはそういうことさ」
水のように語った
相手は政敵の
密かな愛妾
今は尼姿
*
義といい
利という
どちらが
気高かったか
どちらに
人は走ったか
彼は観てきた
義に
叫びたいほど憧れながらも
利に
黒くまみれて生きて来た
そんな経緯から
彼は政敵を
心の何処かで
迎え入れたのかもしれなかった
*
黒田如水
壮気の頃はけっして水のようではなかった
悪党だったかもしれない
客気(かっき)に満ち
謀(はかりごと)にも溺れた
が
すでに そんな事どもには
達観した歳になっている
どれもみな
一期(いちご)の佳き想い出
今は版図を嫡男に託し
村人と共に酒を酌み交わし
童女と共に手毬唄を唄う
気ままに過ごし
静かな終わりを迎えるだろう
今はその本懐
「水の如し」
黒田如水……豊臣期、筑前国(現・福岡県)の大名。
********************************************
参考文献 司馬遼太郎作 「関ケ原」 フィナーレのくだり。
九月十五日(旧暦)に関ケ原の戦いがあった。
古鏡、古刀、勾玉
何れも
側に置くものではない
無神論者である
それでも
なにかが宿る、祟る、護るを
感じる
不可思議な存在を
否定出来ない
禁忌の圧を感じる
今の時代
古鏡や古刀は出回らない
危ないと思うのが勾玉だ
新品か古品か、磨けば不明
古い勾玉などは
魔が玉とも呼ばれる
人が日常に身に着け続ける
人の思いを吸い込む
喜怒哀楽を積み重ねて
七千年間
縄文時代から造られてきた勾玉
どれだけの人の思いが
積み重なっているのか
幾人もの手で、触り続けた遺物
美しい魔が玉に
どれだけの
人の思いが秘められたのか
鳥肌さえ立つ
世の中に禁忌はあると認める
私たちの積み重ね、歴史を
一族の連なりを
心から尊ぼう、感謝しよう
そして
遺物に近づくことはない
私は、私の思い
これだけで生き、死のうと思う
✳
ご先祖は
鎌倉時代にまで遡る一族
時の幕府に
討伐され、首を跳ねられた
代々の直系に伝わる
拳くらいの勾玉がある
父の死とともに
やむを得ず引き継ぐ
口伝では
勾玉の色は変わる
父の代は蒼色
祖父の代は朱色
それぞれが
不思議な力を与えられた
手に握る勾玉は
瞬く間に色を変えていく
やはり
どす黒い血の色に
怒りと憎しみ、復讐を
一族に伝わる、呪物の力が漲る
額から生えるのは醜い角
いざ、遺恨を晴らそうぞ
業とは深く
消えることはない
これが、私の連なりなのだ
今回も丁寧な感想と評を頂きまして誠にありがとうございます。
私も子供の頃はコーヒーに憧れたクチです(笑)
CMで湯気が立つホットコーヒーを、かっこいい俳優さんが香りを楽しみながら飲む姿がとても印象に残っていました。
ご指摘の「泥水」の連発は、見返してみると確かに少し勿体なかったですね……!
表現方法について再考してみたいと思います!
最後のパフェで、背伸びしなくていいんだよ。無理しないでいいんだよ。という事をユーモアを混ぜて表現出来たのは、今までより成長できたと思いました。ありがとうございます。
また次回の投稿の際もどうぞ宜しくお願いいたします!
「一緒に向こうに行きましょ?」
後ろから聞こえる優しい 声
僕が振り返ると黒髪の女性がこちらを見ていた
彼女が指差すのは向こうに生い茂る 森
僕はいつも彼女から声をかけられる
「知らない人にはついていっちゃいけないって母さんから言われてるから行かない
それにあの森には魔女がいるって聞いたよ」
僕は相手を見つめながら早口で言った
「そっか」
彼女は微笑んで
森の中へとゆっくり歩いていく
僕の事は諦めたようだ
その姿を見送ってから僕は学校へ向かった
******
僕はお母さんとふたり暮らしだ
昔はお父さんも一緒に住んでいたけれど五年前に出かけたっきり
帰ってこなかった
それからお母さんは僕に辛く当たるようになった
文句を言うだけならマシな方で時には暴力が僕を襲った
でも学校から帰ってきた僕を見るなり母さんはいつも泣くんだ
ごめんね ごめんね
さっきは叩いたりしてごめんね
嫌いにならないで 嫌いにならないで
私にはあなただけしかいないの許してちょうだい
そう言いながら僕をぎゅっと抱きしめていつも咽び泣くんだ
だから僕も母さんを優しく抱きしめて言うんだ
「分かってる大丈夫だよ ねえお腹が空いたよご飯にしよう」
そしてまた次の日になると母さんは同じように大騒ぎをする そんな日々が延々と繰り返された
******
ある日帰宅すると僕を見つめてお母さんが呟いた
「あなた黒髪の女に会ったの?」
僕は何も言わず頷いた
次の瞬間頬に鋭い痛みが走った 叩かれたんだと気がつくのに時間がかかった
「あの女は魔女なの!悪い魔女なのよ!あの女がお父さんも連れていったの!」
お母さんは狂ったように叫びながら僕に暴力を振るった それは永遠に続く悪夢のようだった
******
気がつくと朝になっていてお母さんはもう出かけてしまったようだ
ヒリヒリと痛む頬を擦りながら僕は通学路を歩いていく
「一緒にあっちへ行きましょ?」
後ろからまた優しい声がする
振り返るといつものように黒髪の女性が立っていた
彼女が指差す方向には魔女が住むという森が━━━
僕は考える━━━━━
お母さんと黒髪の女性 魔女なのはどちらだろう
僕はしばらく何も言わず彼女を見つめていたけれど
ニコッと笑ってゆっくり手を差し出した
それを見た女性もクスッと笑って僕の手を握った それからふたりは何も喋らず歩いていく
木々生い茂る森へ 黒い森の中へ
ふたりは歩いていく
森の木々たちがザワザワと恐ろしげな音を立てている吹き付ける風が沢山の枝を揺らしている
その音はまるで僕のことを呼んでいるようだった
そのままふたりは手を繋いで深く暗い森の中へ消えていった
その日から通学路を歩く少年の姿を見かけた人はいない そして黒髪の女性も消えた
少年がそれからどうなったのか黒髪の女性はいったい誰だったのか もう誰も知ることができない
******
その後この辺りでは独り言を呟いて彷徨う女性が現れるようになったという
彼女は道を子どもがひとりだけで歩いていると奇声を上げながら追いかけてくるらしい
やがて人々はその女を黒い森の魔女だと噂したのだった
誰かが枯れ井戸に落ちる音がした
僕は駆けつけて覗き込んで言った
「大丈夫?」
「大丈夫」
元気がないけど声が返ってきた
助けなくちゃと紐を垂らした
「元気出して」
でも短過ぎたみたいでその子には届かなかった
もう少し長くしようと思って
「君は優しい良い声をした良い奴だよ」
と言ったけど
それでも届かなかった
「ぼくはきみみたいなやつとであえてしあわせだよ」
やっぱり届かなかったけれど
その子はクスッと笑って
「俺たちまだ会ってないだろ」
と言った
これはもう何が何でも助けなくちゃと思って他所から借りて来た
「ちからをもいれずしてあめつちをうごかしめにみえぬおにがみをもあはれとおもはせをとこをむなのなかをもやはらげたけきもののふのこころをもなぐさむるはうたなり」
でもその子が紐を握ることはなかった
僕は少し疲れてしまって
井筒にもたれて
話続けた
風のこと
匂いのこと
好きな子のこと
嫌いな子のこと
今日のこと
昨日のこと
井戸から出てきた時のこと
話疲れて
最後の方は
ただ側にいることを伝えたくて
井筒をトントン叩いてた
「君はキツツキか」
その子が聞いたから
「あぁ、そうだよ」
と答えた
「だったらここまで降りてきてくれよ」
「それは無理だよ、横にしか飛べない」
と僕は答えた
それから声は聞こえなくなった
もしかしたら手を伸ばしたら
神様が頑張りを認めて
届かせてくれるかも知れないと思ったけれど
滑って僕まで落ちそうになったから
僕は家に帰った
もしかしたら井戸の中では
横穴が出来ていて
そこからあの子が出て来られて
声がしなくなったのなら
そうだったら嬉しいな
※ ちからをもいれずしてあめつちをうごかしめにみえぬおにがみをもあはれとおもはせをとこをむなのなかをもやはらげたけきもののふのこころをもなぐさむるはうたなり
『古今和歌集 仮名序』より引用
水無川 渉さま
こんばんは。拙作にご感想いただきありがとうございます。
私は偏頭痛もちです。月に1回程度ですが、その日は何もできなくて悔しいです。少しましになってきたけれど、まだいつもの活動まではできない状態で見る、夕方の部屋のカーテンの色が、私にとってはなんとも言えないのです。
「心に迫ってきた」とおっしゃっていただけたり、表現を取り上げてくださってとても嬉しいです。
また投稿しますので、よろしくお願いいたします。