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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

三浦志郎様  御礼  静間安夫

今回も私の詩にお目を通していただき、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。

最近、私の住む密集地でも身の回りの昆虫の種類が増えてきたように思います。
空き家のまま残された家屋が多くなり、植物が繁茂するようになったからでしょうか?
いずれにせよ、これまであまり見かけなかった虫たちにも出会うようになり、
小学生の頃の自分に戻って、ついつい彼らの後を追いかけてしまいます。

その中には、かなり大型のトンボもいます。胴の長さが6~7センチくらいで明るい
緑色をしています。ギンヤンマでしょうか?

今後とも、どうかよろしくお願い致します。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様、「鴉」に関する評と感想をありがとうございます。  秋乃 夕陽

三浦志郎様、「鴉」に関する評と感想をありがとうございます。
確かに鴉って抜け目がなく、自宅前のゴミ集積所を荒らしては私を含む家族や町内の者を困らせる厄介者なんですよね。
その鴉がある日、集積されてしまった後のゴミ集積所の前でポカンと口を開けて佇んでいる、そのある意味間抜けな姿がなんだか愛らしくて詩に描きました。
それでも私たち人間にとっては毎回ゴミを荒らす憎っくき存在であることには間違いないので、今回に限っては餌にありつけなくて哀れだと同情はしつつも、我が家で栽培している家庭菜園のプチトマトは断じて差し出さなかったわけです。
それに差し出したら差し出したで次からはそれを目当てに毎回やって来そうで困るからです。
まぁ、そういうことで、まるで人間のように呆気に取られる鴉を描きたかっただけなので、なにとぞお許しください。

編集・削除(編集済: 2024年09月16日 16:11)

青  秋さやか

空が濃くなってきたから
もう海が近いね

車を運転しながら
あなたが言った

空が濃いってどういうこと
とわたしが問うと

海に近づくと空の青が
濃くなっていくでしょ

と当たり前のように答える

初めて聞いた
その新鮮な感覚にときめいて
遠い空を見つめる

小学生のころ受けた色覚検査で
色弱だと告げられて以来
わたしの見る世界は
人と違うと知った

眼鏡屋さんの
補正メガネで見た世界は
鮮やかで
明るくて
美しすぎたから
このままでいいと買わなかった

曇天に溶けてしまう桜の輪郭も
黒と深緑のワンピースの区別も
火が通りきらない
肉の赤さもわからないけれど

すべてあなたが教えてくれるから
わたしはこの色褪せた世界を
安心して
いつくしむことができる

ここはわたしが思うよりも
鮮やかで
明るく
美しいのだと

分かち合えないものを
分かり合うために
想像する

海へとつづく道の途中

絵筆からこぼれる
一滴のように

あなたの詩情が
わたしの空を

青く深めてゆく

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です 上田一眞

お疲れ様です。上田です。
拙作「清人伯父のこと」を精読下さり、ありがとうございました。
暫定佳作とのこと、僕はAを取りたいと思います。清人伯父との確執についてはもう書かないつもりです。ここの登場人物は従兄弟以外みな亡くなりましたから死人を鞭打つことは止めておきます。

三浦さんご指摘のように本作には三つの要素があります。
1.清人伯父との確執
2.隆志伯父の仕事振り、北鮮での生活
3.北鮮からの脱出行
当然連作も可能ですし、魅力を感じますが、一番力点を置きたいのは清人伯父の北鮮行きと一家の内地への帰還ですから3を独立させ、タイトルも変えて書き直したいと思います。書き直し作にて再評価をお願いしたく存じますが、如何でしょうか?
MYDEARの投稿ルールがありますから、それにはしたがいます。暫定を解消するには如何したらよいかお教え下さい。

編集・削除(未編集)

ノコンギク  温泉郷

ちぎられ捨てられていた
ノコンギクを
公園で母が拾って
水差しにいれておいたら
根が出て 葉が開き
白い小さな花が一輪 咲いた

鉢植えにして
ベランダに置いたら
ノコンギクは地下茎を
盛んに伸ばして繁茂し
鉢植えは 2つ 3つと増えた
ただ 
花はだんだんと
咲かなくなった

そのころから
母は 少しずつ
昔話をしなくなった

母は 関西に引っ越すことになり
ノコンギクを
もらってくれる先を探しだした

一鉢は近くの信用組合に
一鉢はヘルパーさんに
もらってもらった

最後の一鉢…
私が面倒になって
公園に植えてはどう?というと
これは もともと
公園でちぎられて
捨てられていたんだよ……
と怒った

もう一鉢は
私が近所のKさんに頼み込んで
もらってもらった

引越しの前の晩

それにしても
ノコンギク ノコンギクって
息子のことは心配じゃなかったの?
と笑って聞くと 母は

だってあんたは
ちぎられてもいないし
捨てられてもいなかったからね
と笑った

ふと
その瞳が暗くなった
視線の先には
もう鉢植えのなくなった
夜のベランダ
四角い黒い窓

しばらく聞かなくなっていた
母の昔話
母は朝鮮半島からの引揚者

ちぎられて捨てられて
黒い四角い穴に葬られた
今半島北部に眠る遺体の
母の幼い記憶

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です 温泉郷

三浦志郎様
 評をいただきありがとうございました。お調べいただいたとおり、この作品の素材は、博物館で展示されていた縄文時代の子どもの足型なのですが、1,2連の情報や説明が不足しており、読む人にとって不親切な内容になっていたことを反省しております。注釈を付けたり、散文調にするなど、一般的に了解されていない特殊な事象を扱う際の助言をいただき、大変ありがたく思っております。これからの詩作の際に、留意していきたいと存じます。今後とも、よろしくご指導お願いいたします。

編集・削除(未編集)

感想と評 9/6~9/9 ご投稿分 三浦志郎 9/16

1 上田一眞さん 「清人伯父のこと」 9/7

「やぁ 義姉さん/兄貴はどこですか?」―僕にとってのこの詩は、このセリフから始まったように思います。本来、深刻で困難なのにこの呼びかけです。一般論で言うと、次男さんはこういったハシハシした面や、すばしっこさやあっけらかんとした面があるようです。そんなことを思っていました。この脱出行もこの天真爛漫さが成功に導いた、そんな気がしています。系図を考え地図を確認しながら読んでいました。ある意味、それらもこの詩の醍醐味なのです。脱出行の様子は微に入り細に及び、記述として申し分ないように思われます。結果、小説や映画に接するような気分になります。手に汗握るものがあります。大佳作、としたいところですが、この作品は多少問題を抱えているように思います。

A……1、2連と最終連―つまり一眞さんと清人さんの行きがかりの件です。この話の行方がない。
ぷっつり切れて全くわからないのです。本作を単独作とするならば、又、プライベートに属するもので、これ以上語らないならば、この件は全く要らない。削除すべきです。脱出行のみに見合ったイントロを振るべきです。ただ清人氏はこの作ではキーパーソンなので、慎重・丁寧な扱いが必要ですね。

B……そうではなくて、これは連作予定作で、くだんの清人さんとの件も継続させるならば、次作以降で明かされるか?Bはあくまで僕の推測です。もしそうであるならば、この件は伏線のひとつとして本作でキープされていい。ただ、Bにも問題はあって、もし、そうであるならば、今度はタイトルが考慮の対象になりそうです。壮大な詩なので、総タイトルは別途、修辞的に高みに持って行って、「清人伯父のこと」は章タイトルに降ろすとか……。

A or Bの判断、それに伴う再加工を条件に暫定佳作と致します。

アフターアワーズ。
参考までに。 過去にこのサイトで連作はたまにありました。最近はないですね。僕も本にした分は全て此処で連作(連載?)しました。僕の場合、例えば1作品が5つの小詩予定として、5つ全部出来てから、日を決めて小出しにしてました。分野は違いますが、新聞や週刊誌の連載小説だと、その都度書くしかないのですが、僕の場合、その都度だと方向がブレたり、行き当たりばったり、
支離滅裂になりそうなので、そのようにしてました。


2 詩詠犬さん 「あさの そら」 9/7

物事の二面性、裏表を表すのは対象の周辺にあって、部分的に使うことが多いのですが、全篇、それで通したこの詩は珍しいケースと言えそうです。その分、賛否も出やすくなる気はするのです。当然、空にも多彩な表情があって、個人によって見方は違うし、一個人でも見方は各種変わるものです。この詩はまず空の多彩な表情・属性を洗い出して、二面軸の中で整頓してみせた、と言えそうです。少し気になるのは、大部分が空の形容ですが「だから あさのそらは」以降は自己の最終的意見・感想になります。形容と違って感想だとこの書き方だと―下世話な言い方ですいませんが―「じゃあ、どっちなの?」といった読み手もいるかもしれない。ここはそういったことは避けたいので、たとえば―。

あさのそらの表情は 多彩で
時に違って見える時もある
わたしの気分に合わせて
見せてくれる
そんなそらが
やはり すきだ        (あくまで参考例です)

要は最後は予定調和的に着地するのが良いのではないか といった示唆です。 佳作一歩前で。


3 荒木章太郎さん 「空白の街」 9/7

タイトル、一発で好きになりましたね!―して、中身は? 
シャッターがキーワード。最近、閉店・閉鎖している小売店など不景気な商店街をよく「シャッター街」と呼ばれますが、タイトルと共に、そんなイメージがまず浮かびました。9行目と終行が、その傍証のように思えました。そんな環境+自己の内面を感じて読んでいました。2番目のシャッターのみがカメラ関連のようです。(後に来る監視カメラと呼応するかも?)

「シャッターを開けなければ、生きられない」―その通りです、しかし―
「ヒソヒソと、人が遠ざかっていく」 このあたりに苦悩は存在するのでしょう。
いつも通り想像力が飛び交っていますが、僕なりに受け取るものがあったのです。佳作。


4 秋乃 夕陽さん 「鴉」 9/7

大変申し訳ないのですが、この詩の成立の背景とか製作意図がちょっと掴めなかったのです。
2連まで読むと、餌にありつけなかった、アホでかわいそうな鴉と読めます。本来、鴉は抜け目ない鳥ですし、例えば二羽で餌を争って負けちゃった、そんなわけでもないですし―。あと3連。プチトマトをあげてもよかった。なぜ衝動を抑えたんだろ?そんな疑問も残るわけです。もう少し何がしかの意図を盛り込んでほしい気はするのです。それには、この倍以上のスペースが必要になりそうです。「あ、そうですか」で読み手を立ち去らせない。しっかりつかむ感覚とでも言いましょうか。佳作一歩前で。


5 じじいじじいさん 「へんなきもち」 9/8

え―と。全てひらがな篇と漢字混じり篇がありますが、これはいったい!?便宜上ひらがな篇で書きましょう。まずは登場人物二人の歳を考えていました。小学校5~6年か中学1年生。モチーフ年齢を少しあげたのが、この詩の特色だし目新しい点ですね。エピソードもそれに見合っています。
漢字篇のほうから「いつも無口で目立たない~」「わたしどうしたんだろう」をひらがな篇のほうへ移植してもいいかもしれない。
よりくっきりするかもしれない。ビックリ感と、もやもや不思議感がこの場面の気分をよく表しています。ホント、どうしたんでしょうね?思春期の入り口に立って、この詩価値あり。甘め佳作を。


6 温泉郷さん 「縄文の足型」 9/8

この詩はちょっと辛い部分があって、殊に1,2連あたりは、調べて写真で見てみないと「えっ、どういうこと?どんなしくみ?」と戸惑う読み手はいそうです。僕もどうも釈然としなかったのです。簡単に言うと、死んだ子供の足型を粘土の板のようなものに写し取ったもののようです。2連目の「紐を通す小さな穴」は紐で、その粘土板を吊るして死者を偲んだようです。親も死ぬと一緒に葬られたようです。ただ謎なのは、この風習が函館・石狩地区に限られているそうです。
―ここまでが調べた結果です。思うに、生まれて間もない子どもは弱く、医療の思想も場所もない時代に多くは死んでしまったのでしょう。その事がこの詩の骨子になると言っていいでしょう。詩は現代と4000年前を共に考えることで進んでいきます。子への思いは時を越えて共通のものがあります。詩にもそう書かれています。ただ縄文の昔は、“ただなす術もなく”死なせてしまった、その悲しみでしょうね。そこが現代とは違う。4連の「~できない」に、それを感じました。
この詩の為のアドバイスとしては、1,2連の読み手の理解を促進すべく注釈をつけるといいでしょうね。今の僕だと、2マスほど下げて散文で書いちゃいますね。そういったパーツは説明調になることを厭わないことでしょうね。レベル高の為、一歩前で。


7 松本福広さん 「僕の名前をご存じですか?」 9/8

これは面白い! 調べた結果、名前がわかりましたが、ここで書いてしまうのは粋ではないでしょう。 書きません(笑)。
業界用語で「ニッチ」というのがありますが、市場の「隙間」を狙っていく戦略ですが、この詩も“詩のモチーフ業界”の隙間を上手く狙ったものでしょう。
1連の終わり4行はすこぶる貴重です。「あるある!」と同時に、ふと忘れていたことに気づかされます。この道具を出した詩の精神にも通底しています。5連以降の謙虚と優しさは貴重。最後の一句が凄くいいです。逆に4連の、その他用途は”調べもの“に準拠し過ぎ?甘め佳作を。

アフターアワーズ。
初連最後4行に関連して。「なあ、JOE。それは〇〇〇〇さ」などと、外国人は誰と話してるか、わかりきってるのに名前を言うのが、日本人よりも多い気がします。日本人の曖昧さ、外国人の具体性でしょうか。


8 相野零次さん 「愛しい君へ」 9/8

これは二通りの解釈があって、ひとつは生身の人間への思いを高踏的に書いたもの。もうひとつは人間ではない無形の対象―例えば神とかー。後者を僕が考えたのは、以前のコメントに「神については書き続けていく」といったものがあったからなんです。僕の中では前者:後者=4割:6割みたいな感覚です。たとえば「偶像崇拝」といった言葉も脳裏にちらついたんですが、神として代表されるキリスト、その教えでは偶像崇拝は禁じられているんです。ここで僕は袋小路に陥るわけです。前者にしても、もう少し具体に降りて来てもいいように思うんですが。―といったわけで結論はつきませんでした。従いまして、評価は保留とさせて頂きます。


9 静間安夫さん 「虫たちとわたし」 9/9

いやあ、虫の勉強をさせて頂きました。やはり読みどころは、カマキリとバッタの件で父に諭されたこと、その父が事故に遭ったくだりです。ただ読み手としては「わたしが無力な小さな虫に対してしたことと、父を見舞った災難が関係ない、とはどうしても思えなかったのである」のくだりです。
ここは読み手はたぶん(そうかな?)とか思ったりするんです。ただ書きの主導権は作者にあるので、ここは静観します。と同時に、僕は以降の詩行にその因果関係を見出したい。
すると、ありました、ありました。劇作家の名セリフです。バッタがカマキリに喰われたのも、大局からみれば運命、神の摂理。父上の交通事故も神の仕業。繋がりました。読み応えがありました。佳作を。

アフターアワーズ。
良い趣味をお持ちです。


評のおわりに。

静間さんに触発されてオオスカシバを調べ、その姿を鑑賞(?)しました。なんか可愛い!
僕は飛ぶものはたいてい好きです。僕はトンボが好きです(特にギンヤンマ)。井嶋さんも
トンボが好きです(蝉と共に)。 では、また。

編集・削除(編集済: 2024年09月16日 20:13)

雨音様、批評のお礼です  U.

ご批評ありがとうございます。
久しぶりに詩が書けたので投稿しました。
切ない気持ちが言葉になり、それを書き記しました。
本当に久しぶりに言葉が生まれました。

編集・削除(未編集)

滝本政博様、「待合室」に関する評と感想をありがとうございます。  秋乃 夕陽

滝本政博様、「待合室」に関する評と感想をありがとうございます。
「よく書けている」と褒めて頂き、更に「佳作」にもして頂き、大変嬉しく思います。
一連目から四連目にかけてはイントロダクションとしてあえて日常の風景を描くことで、五連目への導入と日常と回想との状況の落差を描きました。
滝本様にも「何かが始まる予感と不安を感じさせます。」と仰って頂けて良かったです。
汗の描写については実際の体感として描きました。
これも少しでも読者に伝わるように描けたなら嬉しいです。
「悪辣な雇用状況」についてもすごく共感して頂いたようで、同じ思いをしている仲間のためにも詩に描いて良かったと思いました。
この部分について「自分がいまおかれている状況を、不安や怒りも含めてバランスよく表現出来ていて、平易な言葉で率直な感情を正直に描いている」と評価して頂き、いたく感謝しております。
この作品が私にとって、「どうしても書かなければならない、のっぴきならないものだった」のは確かなことで、強い主張はしなくとも強い思いは必ず伝わることを知りました。
構成についてもおっしゃる通り、読む人のことを考えて出来るだけわかりやすく描きました。
ただ、わかりやすく描いたがために、「行分け詩でありながら、やや散文よりであり、ちょっと平板な印象」との評価になってしまったのが残念です。
以前こちらでどなたかに「抽象表現ではなく、もっとわかりやすく丁寧に描いて下さい」との指摘があったため、そのようにしたのですか、表現としてなかなか難しい問題だなと感じました。
六連目の「常に重い責任を負わされ」の部分は、投稿してからすぐに訂正させて頂いたのですが、その前に読んで頂いていたようで、こちらも残念な結果となりました。
また、いつか用事を済まされた際に読んで頂ければ幸いです。
最終連について、「すこし救われる気がした」と私のことについて思って下さり、なんだか救われたような、あったかい気持ちになりました。
ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

感想と評です 10/10〜10/12までのご投稿分の評です。  滝本政博

私用でしばらく家を離れるので、お先に失礼いたします。


「昼と 夜の 雫」   益山弘太郎さん   10月10日

どのような意図で書かれた詩なのか今ひとつわかりませんでした。
書かれているイメージ、感覚をそのまま楽しめばよいのでしょうか。
私は詩は必ずしも意味がなければいけないとは思っていません。そのような(意味を持たない)詩があっていいし、というか、どのような詩表現も許されると考えます。イメージ重視の詩があってもいいし。リズム重視の詩があってもいいし。
だだ今回は楽しめなかったです。

第二連がいいですね。
「私は 仮の世という 存在
この湖の 水面に映る すべてのものだ
命と大自然と愛を 知る
時間に 繋がりを 持ちたい」
ここは一級品だと思います。

ここから始めて、関連性のある描写を広げていったらよいのではと思いました。
いろいろな色彩描写が出てきますが、私にはぴんときませんでした。
言葉の喚起力が弱いのか、私の頭の中で像が結ばないのです。
すみません、私の感覚が鈍かったり、益山さんと合わないだけなのかもしれません。
これに懲りずにまた書いてください。
逃げているわけではないのですが、他の評者の意見を聞くのも手だと思います。



「後書き」  喜太郎さん   10月10日

今回も快調です。発想良し。展開もスムーズです。
欲を言えば、内容にあまり飛躍が感じられず、次の展開も読めてしまいがちなのが気になります。
これはどうしても損ですね、もったいないと思います。
詩の中に、思いがけない一行、光る展開があればと感じます。そういう行が一、二行あれば、ワンランク上の詩に変身するとおもうのです。言うは易しですね。

少し時間をとって考えてみました。どうかな、参考になればと思います。

「あなたの声は花でした
でももう私の中で咲くことはないでしょう
反響と香りだけが幽かに残っています」
これを、元の詩に入れ込んでみます。


もしも二人の物語に
後書を書くとしたなら
私はなんて書くのだろう
二人で綴った想い出の物語を
否定してしまう様な内容で締めくくるのだろうか
それともそこには確かな愛があったと
前向きな言葉で涙を拭うのだろうか
あなたなら二人の物語に
どんな後書を書いてくれるのだろう
読む人の心の中の隅の方にでも
二人の愛が残る様な1ページを書いてくれますか
もう物語は終わってしまったけれど

あなたの声は花でした
でももう私の中で咲くことはないでしょう
反響と香りだけが幽かに残っています

あなたはまた読み返してくれますか
そんな気持ちにさせる後書を私は書きたい
もう二度と物語は続く事はないけれど
お互いに新たな物語を綴る時に
せめて参考書ぐらいにはなれたらと願います
それがわたしの後書だから

勿論、一例ですのでご自分でも考えてみてくださいね。
ここまで書けるのですから、いい意味であえて「引っかかる箇所」を作成するのも意味のあることかと思います。「引っかかる箇所」とは、あえてスムーズに流れすぎずに、作者の内面を見せる場所を一部作る等のことです。
今回の評価は佳作一歩手前といたします。



「待合室」  秋乃 夕陽さん   10月12日

よく書けていると思います。佳作とします。
私も精神科に通って十年たちますが、最初に受診した日はよく覚えています。
第一連目、良いですね。何かが始まる予感と不安を感じさせます。
汗の描写等、リアルです。
会社によって酷い仕打ちをされ、精神を痛めたのですが、その悪辣な雇用状況は読んでいて腹立たしくて胸が痛みました。そもそも非正規雇用などとゆう仕組みが出来た時点で日本はおかしな方向に舵をきりました。
自分がいまおかれている状況を、不安や怒りも含めてバランスよく表現出来ています。平易な言葉で率直な感情を正直に描いています。構成もわかりやすくて、読む人のことも考えていると思われます。
最終連は少し希望を抱かせるように書かれていて、これ私はセンスがよいと感じました。作者の事を思い、すこし救われる気がしました。ここは絶妙な匙加減の描写だと思います。
少し難があるとすれば、行分け詩でありながら、やや散文よりであり、ちょっと平板な印象があります。
この作品は秋乃さまにとって、どうしても書かなければならない、のっぴきならないものだったのでしょう。それは伝わってきました。
作中<常に思い責任を負わされ>
は、「重い責任」の間違いかとおもいます。



「味噌汁の味が 変だったことで」  まるまるさん   10月12日

佳作とします。
毎日のご飯の用意、ご苦労様です。お仕事もおありなのに、本当に頭がさがります。

「夜までに悪くなってしまわないか
気になってはいたけど
この頃は火を通す頃合いを
肌で感じられるから
まあ 問題ない
自分で突きとめたオリジナル基準
やってきたから わかる」

プロの主婦VS大自然 の対決
味噌汁の味が変だったことで、軍配があがったのは大自然。

後半は怒濤の自然(宇宙の存在)の賛歌となります。

「宇宙の存在は
途方もなく 豪快で
強さも 優しさも

誰にも 抗う事なんてできないんだな

私自身も
大自然の恵みによって
生きている
不思議と 清々しかった
少しだけ 嬉しかった」

大きな気づき、発見が待ち受けていました。

日向性とそこはとないユーモアがある文章で好ましい感触です。
日常を描く生活詩ではじまり、大きく壮大な世界に抜けて行く書きぶりが素敵でした。そこには詩の発見があったのでしょう。インスピレーションが降りて価値観の書き換えがあったことが綴られています。読者としてそれを追体験することも意味のある事でした。

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