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丁寧な感想を頂きまして誠にありがとうございます。
定番の題材を差別化するための訓練は仰る通り、誰もが通っていかなければならない道だと思います。
これからも多くの詩に触れ、己の文筆の血肉としていきます。
もう少し時間はかかると思いますが、ご指摘の箇所にピタリと嵌る表現、見つけ出したいと思います!
最終行の読点についてです。
「ありがとう/いつまでも 愛してる」
最初はこのように括弧でくくり読点も無しで書きました。
しかし、それを会話として伝える相手はもう傍におらず、思わずポツリと口から零れ出てしまった呟きのイメージとその時零れた(かもしれない)涙をイメージして、読点を其処にだけ書き込んでみた次第でございます。
どうぞ次の機会も宜しくお願いいたします!
しみじみ良いとおっしゃって頂き、嬉しく思います。
友が逝って、もう20年近く経ちます。
読まれぬ手紙の中に、伝わったに違いないという気持ちを込めたつもりでした。
青島江里様
評とご感想、ありがとうございます。
深く、作品を読み込んでいただき感謝いたします。
初めての「佳作」評価です。とても嬉しいです。
初心者向け掲示板から、旅立つのは寂しい気もしますが、今後も詩作に精進いたします。
今生は仕舞いにしたいんだ
そう言ってあなたは華麗に散った
綺麗な宝石の最期のように
あなたの命はパキンと割れた
だからまわりに杉の葉を散らして
マッチを放って火をつけて
開ききった瞳を閉じてあげて
もう息をしていないあなたのそばに
私も身をよこたえて炎の熱さに瞳を閉じる
先に逝くなんてひどい人
しょうがないから私ひとり
ここでひたすらに眠り続けて
ただひたすらに迎えを待つわ
なんだかんだ言いつつも
あなたはきっと待っていてくれるから
川のほとりで困ったように微笑んで
そっと手を握ってくれるのでしょう
どこかで無粋な喚き声が聞こえて
あなたをここへ追いやった彼らに
うっすら殺意すら湧くけれど
けれどね もういいの
あなたがきっとわらっているから
だから もう 許すことにしたの
……
ね
あなたが綺麗な世界では息が出来なかったのなら
わたし
世界は汚れたままがよかった
……なんて ね
◎2025年6月10日(火)~ 6月12日(木)ご投稿分、評と感想です。
【大変お待たせしました】
☆誰かが歌を詠む夜 松本福広さん
雨の降る音を聴いて、ふと、音は生活のリズムと調和していると思う。素敵な気付きですね。ふだん、何気なく通り過ぎているものでも、何かがきっかけで、新しい発見を巻き起こすことができる……そのようなことを感じさせてくれました。
街路樹に照らされると、雨音も水たまりのように光を映す。まるで星のようになる。ゆえに雨降りは流星群である。このような視点、とてもユニークです。
ロマンチックなムードから一転してテレビの特番をみて、大きな声でああでもこうでもないと卑屈を語る祖父の声の登場。思わずクスリと笑ってしまいました。くっきりとした映像が私の前に広がりました。おそらく、祖父は、毎日、もしかしたら朝昼晩と同じことを繰り返しているのかもしれないと想像させてくれました。耳にタコができるほど聞きすぎて、そんな空気を振り払いたいというシーンが浮かびました。
誰にも提出することもない短歌を雨の夜に詠む。静かなで清らかな空気を感じました。
他の人からの評価なんてわからないけど
日常を切り取った言葉が
日常のリズムに流れて
ボトルメールのように誰かに届けば
水が蒸発して循環してまた雨になるように、水の循環を元にこのような発想をされるところもとてもユニーク。水にかけて「ボトルメール」とするところもよかったです。いつだれかに届く保証のない手紙という意味合い、この言葉ですっぽりとはまりました。
細かいところをいうのなら「また明日に夜降りますように」は「また明日の夜降りますように」の方がいいように思いました。
自然と循環などをベースとして、或いは活かしつつ、人の心を表現するスタイルはとてもユニークでした。佳作を。
☆ある違和感 森山 遼さん
特に何も感じることがないように見えて、僕の中のどこかで、生きることに重要な何かが引っかかっている。それを自分らしく表現しきるために、僕は言葉を使って苦しみ続けなければならない。そのような大意を作中から感じました。
よい気付きだと思いました。この気付きについて、僕は気づいたんだという呟きのようなスタイルになっているようにも思われましたが、呟きのようなスタイルにするとしたら、言葉のところどころに固さを感じがしました。話し言葉のような表現で、或いは問いかけのようなスタイルで書き記してみると、読み手も入りやすくなるかもしれないと思いました。あと、呟きのようなスタイルとは別に、呟きに関連することを、身近な日常な所作や場面に絡めながら、作品を展開していくスタイルもいいかもしれないなと感じました。
見知らぬうちに、心に引っかかっている簡単に言葉にはできないもの。「僕は言葉を使って/苦しみ続けねばならない」……こちらの言葉は、この作品の中で一番心に残りました。「自分らしい詩を書き続けていきたいと悩む」ということにも繋がるような言葉でした。今回は、佳作一歩手前を。
☆国道16号線沿いのドーナッツ屋さん 喜太郎さん
横田基地とドーナッツ屋。そして初老の外国の方。背景だけ見ていても、日本だけど、日本でないような二つのリアルを感じさせてくれます。
このリアルに重なるように、ドーナッツとホットコーヒーが並列されていますね。この構想が、景色という二つのリアルとドーナッツや珈琲という生活のものというリアル。色々なリアルをかけ合わせながら、からませながら見せていく、どこにでもありそうで、だけどちょっと違うと思わせてくれるリアルの掛け合わせ。作品全体、どこも浮いた点や、取ってつけた感を感じさせることなく展開させていると思いました。
外国の方との親指を立て合うシーンでは、言葉が違えども、気持ちや動作で気持ちを通じ合わせることができるという、人と接点や言葉という接点。それぞれのリアルが人肌の温みを感じさせてくれます。
詩の最終の方では、横田基地のリアルを、外国の方と離れたあとに感じた自分なりの思いを、ドーナッツの甘さよりも強い、コーヒーの苦みを通じて伝えてくれましたね。そして、同時に広がる空を通じて、穏やかな日々を願うことも、伝えてくれました。
最後の行ですが「空は」無くても伝わるように思えます。なぜなら「五月晴れが広がる」という時点で「空」が充分に表現できていると思うからです。あとは、ところどころ「ドーナッツ」と「ドーナツ」や「コーヒー」と「コーヒ」の二つが存在するところや「太ったな初老」など、読み返してみれば、減らすことのできそうな点が、今回は多めでした。心情の表現がよかったので、この点はもったいないと思いました。
「空はどこまでも青くて雲ひとつない五月晴れで
その風景は絵になるなと感じて その絵に加わりたくなった
僕もドーナッツとコーヒを注文してしまう」
こちらの表現はとても晴れやかで友好的な広々とした心を感じさせてくれました。作中の中で一番印象深い表現でした。気持ちの表現がのびのびと展開されていて、丁度いい日なたの下でいるような気持ちにさせてくれました。今回は佳作半歩手前を。
☆猟奇的 相野零次さん
猟奇的の意味合いとしては、一般的には、残酷なものに対する嗜好が窺えるさまを指し、かつ「何かしら歪んだ感性を窺わせる」というニュアンスを込めて用いられますね。なので、単純すぎますが、タイトルを拝見した瞬間、怖そうな作品だなと後ずさりしてしまいました。一連目。突然に「君がばらばらになったら~」から始まることには驚かされます。その次なのですが、「どこから手を付ける」とありますが、ここが引っかかりました。次の連を読むと「天のお星様が僕に告げたんだ/君に会いにいけってね/そしたらそうなるかもしれないんだって」となっています。これは、「僕」が「君」をバラバラにではなくて、「僕」が「君」の前に言ったら何かにバラバラにされるという意味なのか、少し立ち止まってしまいました。「あらかじめバラバラにされたものを拾い上げる」なのか僕自身が手を上げるということなのか、迷ってしまいました。「した」と「されたものをした」では、場面が全く変わってくるので、別の表現を考えてみるのもいいかなと思いました。
タイトルは「猟奇的」……こちらの文頭で「猟奇的」な一般的な意味について述べましたが、まさに、残酷な、歪んだ空気を感じさせてくれました。楽しみながら体の部位をもてあそぶような扱いは、特にそう感じるものがありました。「猟奇的」という意味についての表現は伝わってきましたが、作者さんの伝えたいものだと感じたことに関しては、最終連の「バラバラになっても暗く深い海の底でいつか出会える」のみでした。深海の様子を浮かべると、世界の暗さ冷たさ孤独は伝わってくるのですが、自らの伝えたいものとしてのフレーズに関して、あともう一歩深く書き込まれると、読み手の方にも作者さんのこの詩で表現したいものが、より明確に伝わってくるのではないかと思いました。今回は佳作三歩手前で。
☆白い鳥 温泉郷さん
何気なく枝と枝の間に挟まってしまったカリンを巡るできごと。この出来事を巡って開かれてゆく叙情。そこには、どこにでもあるカリンのように地面の上に落ちることのできなかった様子を言葉にしただけのものではなく、妻の心の内側までもが紐づけられ、深く描かれています。言葉にせずとも伝わってくる人の悲哀や愛情が漂うように伝わってきました。また、秋から春まで、ずっと不憫な同じ場所で存在するカリンに、当たり前のように過ごしたいのに、不慮の出来事により、そのように過ごせない者の人生を重ねているようにも思えます。
この作品の印象深き点は、本人がそのように思っていますというパターンではなく、そう思っているのだと感じた作者が描いているところに特色があると思いました。誰かの思いを代弁するパターンはいくつもあると思われますが、そう思っているのだと強く思わせてくれるのは、常日頃、連れ添っている妻の言葉であるということ。拝読していると、夫婦の絆のようなものさえ感じました。
ラストの「きっと」の連呼と、一番初めに呟いた言葉をまだ信じ続けている表現は、非常に切ないものを感じさせてくれました。タイトルにもある、鳥の白い色は、妻の純粋な心を表すようです。何気ない出来事を、丁寧に表現し、その心の内を深く編んで展開していく叙情は、既に温泉郷さんの叙情の世界だと感じさせてくれるものがありました。佳作を。
☆監視塔の上から 荒木章太郎さん
監視塔。映画で観たようなことのある、収容所にあるような監視塔かな。見張り台ですよね。監視台という言葉を目にして、刑務所のようなところを思い浮かべたのですが、こちらでは、平均台というものが登場します。そして、次には、ロープを渡して綱渡りをする男の姿が登場します。平均台であったり、綱渡りなどという言葉が登場して、私の中では「刑務所」「パフォーマンス的なもの」という二つの言葉が浮かんできてしまい、イコールとして繋がっていきませんでした。
さらに、「俺」について「植物だった頃に戻りたい」という言葉も登場してきます。唐突に「植物だった頃に戻りたい」という表現することは、読み手を迷わせてしまうと思うので、「植物のような心を保っていた頃」などにすれば、わかりやすくなると思いました。とはいうものの、この表現を活かせる一行や表現さえうまく見つかれば、こちらの表現は、この作品の核にもなり得るとも思えました。悩みどころです。
最後の方には「死刑執行」という言葉が出てくるところを見ると、やはり、刑務所関係の方のお話なのかなとは思いました。そのような職務に就かれる方の苦悩を表現されているのかと思いました。このことを考えると、平均台や綱渡りの部分が引っかかってきます。ところどころ、状況や背景を見えてくる表現をする部分が、あとひとふんばり必要なのかなと感じました。
一人の人間の苦悩という面から読ませていただくと、最終連の表現はよかったと思います。石や四角四面など、固さや、狭さを感じさせる言葉使って表現されることにより、一人の人間としての日々の重さや不自由さを感じられたからです。この作中の表現では、こちらが一番印象に残りました。「俺」がどういう人物でどういうことをしている人物かということさえはっきりすれば、一気に背景が開けてくる作品になりうると感じました。今回は佳作三歩手前で。
☆誰もいない aristotles200さん
「地表を鏡とせよ」という叫びのような、何かの教えのような言葉から始まります。いったいこの言葉の意味はどういうことなのか。興味をそそられます。鏡像の世界であったり、裏側の地面の透けた世界であったり、抽象的なものを感じさせる展開になり、いったい、詩の内容はどうなっていくのだろうかと、再び興味をそそられました。
一連目では、抽象的な表現で、全容が見渡せませんでしたが、「下を向いて世界を見てみよう」以降、徐々にどういうことを伝えたいのかということがわかってきました。ずっと抽象的な言葉や表現で絡め続けていると、この世界の情景は浮かばなかったと思いますが、二連目以降、日常の世界を反映することで、一気に目の前に伝えたいとしてくれている世界が目の前に広がりました。抽象的だと思っていた世界は、実は滑稽に思えるほどの、普段人が暮らしている現実の社会であったということに気づかされました。この展開は、驚きももたらすのですが、自然に広がってきてわかるという感じがとてもよかったです。
周辺が見えてくると同時に先頭で発していた言葉の意味がはっきりと見えました。私の中では、自然と人間の関係やバランスや、人間の問題点について、考えさせられる作品として、くっきりと枠が固まりました。
透明な階段を見つけた
光の搖らぎで、全体が見える
こちらの表現は、死を思わせるような表現。ですが、とてもやわらかく、誘われれば行ってしまいそうな雰囲気も感じさせられました。天国のようなイメージがわきました。このことから次の連へ結びつける表現もよかったです。どんなことがあっても、自分は自分であり、守るものがある限り生きてゆくという強い生の決意が感じられました。
独特な組み立てや表現で、自然破壊や、人の愚かさについて考えさせてくれる作品でした。佳作を。
☆静寂 人と庸さん
曲がり角というのは、どこにでもあるのですが、その先がはっきり見えないっていうのがミステリアスで、空想の気持ちも広がるので詩の題材としても面白いと思います。私もテーマにして書いたことがありましたが、その先の見えない世界を想像しつつ書くのがとても楽しかったです。
曲がった瞬間に街の声が聞こえなくなるという表現は、日常から非日常のような世界への入口に立たされたような気持ちになりました。
二連目からは現実世界にある非日常の世界ですが、面白いのは三連からの表現。
はじめて歩く道だけれど
過去に何回も歩いた道だ
目的をしらず進む道は
いつだってなにかを隠している
過去という言葉が出現。今歩いている道は過去にも存在した道というニュアンスを打ち出すことに続き、現実の世界にある非日常から過去に存在した非日常も出現してきます。目的を知らずに進むだとか、何かを隠しているだとか、どこかミステリアスな空気も重なってきます。
更に四連目になると、お社や境内などという言葉も加わり、神秘的な空気も加わるようになりました。更に、大木をイメージするクスやカエデという言葉も出現し、遡る時代の空気までも醸し出してくれています。その大木も、原形をとどめていないものになっています。いろんな空気やイメージがデリケートなほど繊細に重なり合っています。そして、最終の着地点では・・・・・・
何万年も前からそうなんだろう
何万年も後までそうなんだろう
最終的には、遠い過去と未来について触れて、願いのような気持ちを綴ってくれました。結果、現代にいながらそうでない時代を感じさせる、独特な空気を感じさせてくれる作品になっていると思いました。時代や時にはスピリチュアルなような空間を感じさせてくれることなど、薄い膜のような繊細なものをうまく重ねあげながら、現代、現時点という日常を軸に、動かないけれども、実際は静かに動き続けている、動き続けてきた、大きな時の流れを表現できている作品になっていると思いました。佳作を。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
一日が過ぎるのも早いけど、一年も半年が過ぎようとしていました。早いな。
時計通りに生活もいいけど、たまには、自分時計をつくって、ほわ~んと
すごしてみたいなと思うこの頃です。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
毎回挨拶が遅くなり申し訳ありません。
三浦様、お忙しい中評価をありがとうございます。
タイトルのご指摘、ありがとうございます。考えた時にもやもやしていたのですが、先生の「タイトルは時に、本文主旨とは違う方面に向かうと、かえって粋(いき)な場合がある」という言葉に納得しました。
「紫陽花」……とてもしっくりきました。ありがとうございます。
精進します、また次回も、どうぞよろしくお願い致します。
快晴の日は
雲一つないから
美味しそうな雲を探せなかった
それならばと下の景色を覗いても
校庭と花壇しか映らない
そういうのは形が一緒だし、動きが無かった
だから快晴の日は僕にとっては雨の日と一緒だった
そんな時の時間稼ぎを思いついたのはもっと後だ
消しゴムをわざと削って捏ねる
その技をその頃はまだ習得していなかった
だから景色を見るしかなかった
あらゆるものを目で追った
四角い景色の隅から隅を
順番に視線で塗りつぶす
塗り終えたら反回転、反回転
とめどなく探して反回転、反回転
そういう風にしていたから気づいた
「あれ、人がいるよ」
そう呟いた
その一声のおかげで僕は表彰された
そいつしか動かなかったから気づいただけなのに
コツコツと
古い階段を上る音
帰宅し
ちゃぶ台に無言で座り
子どもを見るともなく
タバコを取り出し
細い煙を
後ろ向きに
水平に吐き出す
それは
吐き出すことだけに
集中するかのようだった
吸いたくないタバコ
吸うしかないタバコ
細く吐き出した煙は
あっちに
広がっていった
細い煙を
子どもは目で追う
広がった煙は
うすく
部屋を漂い
霞んでいく
そして
また 細い煙
母親は
しばらくして微笑み
「もう寝なさい」と言った
子どもは
そのまま布団に入る
しばらく
フーっという
音を聴く
あのときの子どもは
タバコは吸わないまま
あのときの母親よりも
年を重ねた
若かった彼女の
あのころだけの
不本意な仕事
後ろ向きに
霞んでいった
あの煙
あの細い煙の先に
見えていたもの……
人生リレーの
バトンは
同じ重さになるまで
渡しては
もらえない
滝本政博様
ご感想、ありがとうございます。
スタイリッシュ、とのお言葉、嬉しく思います。
深く考えて作った詩というより、閃きと映像が浮かび言葉にしました。
オカルト要素は後付けです。
意外と面白かったので投稿させていただきました。
来週も頑張ります。