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青島江里様 今回もお読みいただきありがとうございました。佳作の評価をいただき、大変うれしく思っております。いただいた評の中で、私自身が明確には意図していなかった様々な人間関係における感情を読み取っていただけたこと、少し驚きをもって拝読いたしました。改めて作品を読み返してみると、不思議なことに、ご指摘いただいたさまざまな感情が新たに作品から浮かんでくるように感じて、評をいただくことのありがたさを改めて実感した次第です。今後とも、よろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。
ぼくは金魚
毎日水槽の中から
ぼくの前を通る人
ぼくの前に来る人を見ている
昼寝をしていた金魚の歌を
ぼくのことなんか目もくれないで
歌いながら通り過ぎる人は
大あくび
赤いベベを着てるぼくを
見てもらいたいな
とぼとぼとぼくの前を行く人の
足音が聴こえる
俯いて涙がこぼれ落ちる
ぽとんという音も聴こえたけれど
ぼくはこの人に
何もしてあげられない
毎日
ぼくの前を通る人たち
一定のリズムではなく
音色も色彩も形も
バラバラな人たち
ぼくの前にやって来る人たちも
誰ひとり同じ波長ではない
水槽の中の僕を見つめる人が言った
「おまえかわいそうだな。
川に住んでりゃ大きな海に行けたかもしれないのにな。
海にはいろんな魚がいるんだぞ。そりゃあ美しいのにさ」
そう話した人の表情を思い出すと
なんだか切ない
「明日から私が金魚にえさをあげるので休んでください」
「ありがとう。でも大丈夫ですよ。あなたこそ休んでください」
ぼくの目の前での立ち話
きっとぼくに聴かせるつもりじゃないんだろうけど
二人が交わす息づかいが
水槽の中のぼくまで緩ませる
「ありがとう」の言葉のかわりに
ぼくは泡をぽかんと上手に吹く
今日ぼくは初めて水槽の上で
ぴちゃんと跳ねてみた
思ったより水の跳ねる音が響いて
素通りしていた人たちがみんなして
ぼくのほうに振り向いてくれた
いくら魚とはいえ
川や海を知らない
小さな金魚のぼくが
流れてもいない 波もない水を動かすのは
とても大変なんだ
でも 今日やっとできた
やっとだよ…そしたらね
いつもとぼとぼ歩いて泣いていた人が
一目散にぼくの前にやってきてこう言った
「今日からきみは『ぴちゃん』!」
みんな明日もぼくに会いにきてほしいな
明日がどんな日であっても
今日のぼくを忘れないで
いつかまた
水槽の水を飛び散らして跳ねてみせるよ
もっと高く
そう ぼくは金魚のぴちゃん
今回も丁寧な御感想ありがとうございます。
やっぱり難しいです。何回も読み直してはいるのですが、なかなか直す場所を見つけるのが難しいです
もっと目を光らせたいと思います。
これからも宜しくお願いします。
お待たせいたしました。
10月29日(火)~10月31日(木) ご投稿分、評と感想です。
☆恋せよ乙女 喜太郎さん
青春ですね。女の子からの告白なんて、すごい勇気がいるでしょうね。友達が代理で渡すっていうところが、女子のあるあるパターン?!(私はどちらも経験ありませんが、クラスで似たようなことをやっている人たちがいました!)結果的にはハッピーエンド。ドラマのようなストーリー。めでたし、めでたしの気分で読み終えました。
今回の主役は告白した女の子と告白された男の子でした。そこでこの作品を盛り立ててくれた名脇役がいました。それはなんでしょう。それは「西陽」でした。作中で説明風のところになっている部分を「西陽」メインを意識しながら書くと更に二人のひとつになる気持ちが浮かび上がってくるのではないかと思いました。一例をあげてみますね。何かのご参考になれば嬉しいです。
読み終えて振り返ると
西陽の入り込む教室に
彼女が立っている
泣き出しそうな
少し微笑んでいるような
今にもこわれそうな顔で
僕を見つめている
西陽が僕の背中を熱くする
僕は何も言わずに笑って
両手をあげて大きな輪をつくる
彼女も同じ輪をつくる
笑いながら泣いている
彼女の涙の頬に
まぶしい西陽が光っている
今彼女が僕の天使になった
……こんな感じで西陽を意識して書いてみました。丸ですが、今回の作中での響き的なものとして「輪」を選択してみました。僕が大きな丸をつくるシーンの西陽は、告白されてドキドキしている様子と嬉しさで高揚している気持ちを込めて「熱くする」を加えてみました。「複雑な顔」は固い感じがしたので、彼女の不安でどうにかなりそうな気持ちを意味する感じで「今にもこわれそうな」としてみました。あとは「キラキラ」の部分は彼女の頬の涙を強調する意味をこめて、あえて改行して西陽を強調する行をつくって言葉も変更してみました。
「西陽」を取り入れたのは大成功だと思います。それだけで放課後という時間をしめすことができますし、体温のようなものを表すことも可能ですし。二人を取り巻く背景が、光でぼやけて夢のような雰囲気を醸し出すことも可能ですし。気になったのは説明的な部分を整理するところだけでした。気持ちの表現としてはとても純粋なものを上手に伝えてくれている作品になっていると思いました。今回は佳作一歩手前を。
☆ねむる 人と庸さん
小動物の動画をみていると、なんてうまくはまっているんだよって思うほど正確に形に添って寝そべっているシーンをよくみかけます。あれって、本能なのでしょうか?個々の気性によるものなのでしょうか?みていてよくそんなことを考えたりすることがあります。今回の登場する動物はお犬様ですね。上手に形にそって寝ている様子を思うと、かわいいなという気持ちが湧きあがりました。
そして、その対象としての「わたし」は全く逆のかたちのない水のような寝方だといいます。「わたしへのあてつけだろうか」と思ってしまうところが面白いですね。また、こぼれた水のようにねむるという表現は、疲れていて、かたちよく(=お行儀よく)なんて考えているところじゃないんだよっていう感覚が伝わってきてよかったと思いました。
全体的にみると、中盤にあと少し書き込みが必要かなと感じました。「四角い敷物なら四角くなって」のあとなのですが、改行して「ねむる」をつけた方がわかりやすいと思いました。タイトルですでに「ねむる」とされていますが、この場合はどうしているのかということがちゅうぶらりんになってしまう可能性がでてくると思いました。
「わたしへのあてつけだろうか」のあとにも犬の様子、たとえば「わざとこっちのほうを向いているのか」など、あてつけと思われる所作のようなものを持ってくると、更に場面がはっきりとしてくると思いました。
いずれにしても、犬と人間の自由な関係が感じられて、疲れていても遠慮なしに好きなように眠れることを感じさせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前で。
☆壁 相野零次さん
なかなか複雑な心模様です。人によって色々な読み方のできる作品になっているのではと思いました。私は私なりに思った感想をお伝えしますね。
「無数の血でできた手形」という言葉はいきなり衝撃ですね。一行目の「幸せなんてやってこない」という言葉もインパクト大でしたが。次の行からは世界の残酷さが語られていきますが、こちらも捻じれた空気を彷彿させるような独創性。
世界は残酷で待っているだけじゃなにも与えてくれない
警察や軍隊は犯罪者だけを捉える
刑務所に入るのは罪人ばかり
何も犯しちゃいない何も盗っちゃいない僕は無視される
そう僕は誰にも相手にされない
上記の表現の数々はすべて、通常とは真逆の表現。警察、刑務所は罪人を捕まえるというところを覆しています。この表現で驚かされたかと思うと、何も犯しちゃいない僕はだれにも相手にされないと持っていっています。この無理矢理に結んだようにも捉えられる表現は、意外にも、罪を犯すことも正しく強く生きることも、両方ともできずにいる自らの弱さを歯がゆく思う気持ちや、どこにも行くことも決めることもできない分厚い壁にぶち当たってしまった絶望のようなものも感じさせてくれました。更に後半でのあの叫びのような表現は、どうしようもない世の中と、どこにも行けない自分という存在についての怒りさえも感じさせてくれました。もう少し深読みすると、感情を失ってしまいそうな不安に襲われている毎日も感じさせてくれました。
色々な意味に捉えられる部分が多い作品なのですが、一番恐ろしいのは、ただ真逆に表現しただけの作品として読まれるだけで終わってしまうこと。つまり、この作品はそういう紙一重の危険もはらんでいるということです。どちらに捉えられるのかという判断は読み手にゆだねることになります。読み終えて感じたのは、実験的でもあり、冒険的な要素を含んだ作品であるということでした。踏み込んだ部分は、かなり力がいったと思います。登場人物の叫びと脱力、両方を感じさせてくれる作品でもありました。
詩を書いていると、ずっと調子よく書ける日が続くわけでもなく、停滞ぎみになってしまうこともありますが、このように、ふだんあまり誰もやらないようなことをやってみるのも、スランプから脱出するきっかけをくれることもあると思います。それが、周辺からよい評価を得ても得なくても、とにかく自分の気持ちを一番にして書かれていくことが大切なのかなと、ふと、感じました。一息ついたり、ちょっと寄り道したり。マイペースでいいのだとも。相野さんのこれからの詩生活が充実したものとなりますように。
☆遠い日のアルバム ふわり座さん
生きているとたくさんの出来事があって、それを一から十まで覚えていられる人なんていませんね。ずっと、大切にしたい記憶や、誰かと一緒に共有しておきたい記憶。そんな思い尾を助けてくれるのはアルバムですね。
流れをつかみたいので、読後、おおまかに要点をまとめながら、再度、作品を追っていきたいと思います。
① 遠い日をアルバムをみる。笑っている写真で涙が出てくる。過去とは違う自分。
② 騙し騙しに笑っている自分。本気の涙を流したい自分。
③ 時は流れていく。アルバムは色褪せる。流れていく時間の背景が全部アルバムに詰まっている。玉手箱のようなアルバムに記憶を詰め込む。
④ アルバムの中に詰め込まれたものは、昨日のように新鮮に思える。
⑤ もしもロボットだったら、御主人様に記憶は消されてしまう。人間の記憶の大切な記憶は一生涯残るものは少なくない。
⑥ 大切な記憶を思い出と呼ぶのかもしれない。
⑦ 思い出が慈しみの目でみている。
⑧ 僕は弱くない
⑨ たまには弱くなるけどその時はよろしく。
⑩ 一生の親友のようだ遠い日のアルバムは。
順番に追っていくと④と⑤の部分がうまくかみ合っていないように思いました。突然のロボットの出現は、ロボットとは違って、人間の記憶は、やり方によっては、自らの意思で大切なものを残すことができるという意味合いであげられたかと思われるのですが、④の古いアルバムの記憶は取り出すと新鮮だということとのつながりは感じにくいですし、場面転換の部分としても難しいものがあるように思いました。ロボットを別の例にするか、「人間の記憶の大切な記憶は一生涯残るものは少なくない」という部分だけを残して次に繋げていかれてはどうかなと思いました。
あとは「僕はそんなに弱くない」の部分ですね、このままだと、僕はそんなに弱くないけど、これからもアルバムを抱いて眠るという意味にも捉えることも可能になってしまいます。なので「僕はそんなに弱くないけれど」というように、逆接の接続詞が必要になってくると思いました。
時間の記憶ということについての作者さんの感覚。数えきれない出来事、覚えきれない出来事の中でも、大切にしたい思い出という記憶について、丁寧に綴られている作品になっていると思いました。今回は佳作二歩手前で。
☆空っぽの鳥かご 温泉郷さん
ふくろうを巡るお話。ふくろうに関しては、私は福来朗や不苦労の語呂合わせからくる幸せのシンボルという一説の方しか知らなかったのですが、世界の文化の中で死の象徴と捉える国もあるのだと知りました。
お人柄のよさそうなご夫婦の経営されているおもちゃ屋さん。鳥かごの中の珍しい鳴くこともできるふくろうのおもちゃ。これは子供の目をひきそうですね。ほしいと思うでしょうね。やっと願いを叶えて買ってもらえたと同時に起こった悲しい出来事……。
五連目から展開する女の子の家の引っ越しをめぐる人の受け止め方。非常に心が曇りました。人が悲しい目にあった時、そこに接する人の本性がわかるといいますが、ふくろうが死の象徴といういわれを結び付けて噂をするような人は許せませんね。営業妨害にもなりそうなとんでもない噂です。そこから六連目にかけてのおばあさんの「そんなことあるかい」の力強さ。痴呆症になりかけても、ふくろうを悪く言わない。だけど詩行の裏側には、もしこのふくろうを買わなかったらそんな目に合わなかったのか?という、滲んできそうなかなしみも感じさせます。最後の方ではおばあさんに合わせるように鳥かごをつり続けるおじいさんの姿がこれもまた、女の子の元気な姿を浮かび上がらせるような表現になっていそうで、とても切ない気持ちになりました。
ひとつの詩の中に、人間のいやらしさ、いいことを信じようとする人のまっすぐさと強さ。強がって今にも割れてしまいそうな気持ちを一心に支えてあげようとする、愛するものに寄り添ってあげようとする心。可愛い存在を突然なくしてしまうことのどうしようもないかなしみなど、人間の様々な心の動きが織りこまれていました。最終行のおしいさんがおばあさんを信じて鳥かごをつり続けるという夫婦愛の表現は、灯りのようで救われるような気持ちにさせてもらえました。佳作を。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
11月。今年は夏の気温が長すぎて、秋をゆっくり感じる暇がないような気がしました。
秋かなと思うと、いきなり天気予報では木枯らしのお知らせも。服装の調整も大変なこの頃。
どうぞ、お元気でおすごしください。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
三浦志郎様へ。
評をくださりありがとうございます。
推敲が足りませんでしたね。
最近は自分の日本語力に少し自信を喪失してました。
チャットGPTで誤字脱字チェックしてとお願いしても
完璧にはいかないようです。
自分の感覚を信じます。
佳作ありがとうございました。
今回も私の詩に丁寧なご感想をいただき、誠にありがとうございます。甘め佳作
との評をくださり、とても励みになります。
「詩と哲学」の関係を、レコードのA面とB面に喩えておられますが、
奥行きの深い比喩と感じました。
今回のように「詩と哲学」をテーマとして詩を書くなら、こうした意味深い表現を
含んでいなければいけない、と痛感しました。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
こんばんは。上田です。
童話風の作品としては以前書いた「チチドとオシア二」以来二作目です。
好きな分野ですが、なかなか手強いですね。着地にいつも苦しみます。
また、新たな分野に挑戦してみようと思ってます。ご指導下さるよう宜しくお願い致します。
三浦志郎様、「COPY」に関する評と感想をありがとうございました。
「内憂外患」、確かにそうですね。
会社でもプライベートでも問題を抱えているので、ピッタリな言葉だと思います。
終連は…結局、「私」は母親のコピーロボットだったというオチだったのですが、もしもっと良い終わり方があれば、ぜひ教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
1 荒木章太郎さん 「因果応報」 11/1
この詩はひと言で言うと、「父と子の物語」。その共鳴と確執のことではないか、とそんな気がしています。そこに人生や社会といった付帯事項が合わされて、その付帯がけっこうこの詩を意味不明にしていると思います。どこかに逆説や不条理といった概念があるように思います。あとは、僕は全くわかりませんでした。ただ、わからないから、むしろあえて表面的に読んで文字の感触がおもしろいということは言えると思います。特に終連は現代詩的詩行としておもしろいです。タイトルと絡んで最も逆説性を感じさせる部分です。意味は問わない。抽象的なフィーリングを味わう、そこから読み手なりのエッセンスを抽出する、そんなタイプの詩でしょう。タイプで考えると、なかなか興味深い詩ではあるのです。 評価は僕の力量外になります。
2 上田一眞さん 「蟹と燈台」 11/2
砂蟹の動画があったので観てみましたが、この詩の気分がだいぶ理解できました。角島灯台も夢崎も大変美しく雄大で、やや奇妙な風景でありました。作風としては上田さんにとって、ある意味、新機軸になるでしょう。童話風な趣があります。思考導入の為の具体性―つまり場面―は大変活きていると思います。蟹と燈台。同じ海に生きながら、この大小の妙!目を惹きますね。互いに大小・境遇も違うが、生きてゆく姿勢は同じであると説く。すなわち、「どんな世界にいても、主体はあなたなのだ」ということ。禅語の「随所に主となれ」が思い出されます。事の本質はこういうことでしょう。万人への励ましにもなります。引用詩もシンプルにして爽やか。この詩に合っている。チョイスのセンスでしょう。文中「自分が見ているからこそ世界はあるんだ」がデカルトの言葉に繋がりそうです。ただ僕の趣味としては、詩文が柔らかく素朴に来ているので、デカルトはやや硬いかな?といった気はしてます。僕自身は少し違った着地点に柔らかく降りた、と思います。いっぽう作者尊重で、もちろんこれでもいいわけです。佳作半歩前で。
3 秋乃 夕陽さん 「COPY」 11/3
これはちょっと辛すぎる詩ですねえ。 ここまで来ると、フィクションという気はします。
「内憂外患」という、いわば政治用語があるのですが、用途としては、この詩には場違いながら、
喩えのエッセンスは近いので使います。
「職場でのパワハラ→休職」=「外患」。
「母との確執・弟の不行跡(行為が良くないさま)・母にそっくり」ー=「内憂」。
ただし、この詩の主な舞台は後者になっています。後者が主、前者は従。
母と上手くいってない状況で「似ている」と言われるのは、まあ、本人おもしろくないでしょうな。
ちょっと”絵に描いたような“辛さが伝わる詩です。ところで、最終連ですが、(……!?)です。
唐突にして設置真意不明。自己への隠喩感覚?タイトルと呼応しているようですが、ここだけはどう読んでも全文と似合わない気がします。終連のみ再考をお願いします。佳作1.5歩前で。
4 静間安夫さん 「哲学」 11/4
長いですが、面白く一気に読めました。これを読んで同感する部分は多く、良い意味で得体の知れない学問、しかし全ての事象、出来事、学問に基礎を与え、ヒントを与えているものだと認識しました。「自明な対象がない」「何を問うてもよい」「質問された人の数だけ」「一致した答えの出ない」「まるごと~的外れだ」「仮借ない問いの対象」「新たな可能性をひらく」―抜き書きしました。
このあたりに、この詩の哲学洞察への骨子があるでしょう。最も凄いのは哲学を人物にしてしまう静間さんの力わざかもしれません。ある意味、最も難しい学問に果敢に挑戦されたその志、諒と致しましょう。考え、考え、しながら創った消息が、その行間から伝わってくるのがよくわかります。詩に触れたくだりでは、その気高い部分をよく抽出されたと感じています。甘め佳作を。
アフターアワーズ。
そうですね。「詩と哲学」は時々、話題に上ります。確かに近い部分がありますね。
僕としては―逃げてるように聞こえるでしょうけど―半ば賛成して、半ば反対したいです。
例えば、レコードはA面、B面で1枚です。同時に、A・Bの分け隔てはありません。
時に応じて、全部聴く、Aだけ聴く時あり、Bだけ聴く時あり。
5 司 龍之介さん 「明日は来るかしら」 11/4
冒頭佳作。ヘンな言い方ですが”切なさがいい詩になっている“とでも言いましょうか。男の司さんが徹底して女性仮託で書いたのも妙味のひとつ。僕がウダウダ書く必要なし!
ただ一つだけ書くと、終連です。2行目までと、最終句、OK。それ以外の中間部、“わずかに”念の入れすぎ。“わずかに”くどい。趣味のレベルで気にする人はいるかもしれません。作者しだいで、もちろんこれでもOKです。
アフターアワーズ。
「耳を傾けれなくなる」→「耳を傾けられなくなる」に直しといてください。せっかくの良い作品に、これは×。推敲段階でつぶしてください。あるいは、このフレーズ自体、記述・発音共に、ちょっとややこしいので、シンプルなものに置き換えもいいでしょう。
6 佐々木礫さん 「醜い薔薇の生まれ方」 11/4 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。
よろしくお願い致します。 「敢為」といった言葉があって「物事を困難に屈しないでやり通すこと」とあります。「世界の醜さを愛したい」にまずその言葉を感じました。続く「道を譲り」も「案内し」「扉を押さえた」もその隣接行為でしょう。ところが「邪魔や」と言われる。僕はこれを以下のように解釈します。
「自分の純粋にして正当な思惑や意志は時に裏目に出ることがあるのだ」―こういった事です。
「邪魔や」はその典型のように思いました。こういう場合、意志的にやっただけに、その裏目は実に辛い。個人は(なんとこの世界は矛盾をはらんだものだろう!)と思うことでしょう。文中にあるように同時に自己嫌悪にもなったかもしれない。
その後の彼は開き直りのような心境と行為でしょうか。最後の薔薇の一件も美しく優しい気持ちが(棘によって)裏目に出た。裏切られた。そして薔薇への報復です。人間の裏表を表したこの詩は案外、具体性のある詩かもしれない。この薔薇を取り巻く最後の一件は、タイトルと密かに通じているようにも思えてくるのです。ひとひねりありそうな全体のフィーリングも個性のひとつでしょう。また書いてみてください。
評のおわりに。
お隣にお琴の先生が住んでいて、その演奏会に行ってきました。「三曲演奏会」。
三曲とは筝・三絃(三味線)・尺八のことだそうです。西洋音楽とは勝手が違って、どこがどう上手いのか、曲の小節の頭がよくわからず、構成上、どうも標準的、統一的な拍子で巡行しない気がする。甘味処の店内で聴くような調べ。なんか早くも正月が来たような心地になりました。なかなか乙な気分(!? 笑) では、また。
月の消えゆくある日の晩に
うすらと引いた赤い線
猫の所為にした自傷の痕に
気が付く者はおりますまい
要らぬ存ぜぬ消えゆけと
狂気のままに放られた刃を
私は正気で受け取った
消えゆきましょう 月の夜に
拾うてくれる 暗闇に
かなぐり捨ててしまって 全て
持ってゆくのは安吾の桜
なんて痛快 晴晴と
明くる夜の向こう側
大きな鎌を傾げた亡者が
私の首に刃を当てる
月の消えゆくある日の朝に
切り落としたのは誰かの首
開きっぱなしの窓の奥から
覗くふたつのまろい金色
次いで聞こゆる悲鳴と怒声
野次とざわめき サイレンと
儚く消えゆく私を笑うは
桜であろうか虚であるか
私は正しくひとりだった
桜はそれを知っていた!
約2年ぶりの投稿となりました。
再び励みたいと思います、どうぞよろしくお願い致します。