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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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勉強も手につかなくて
窓を開けて見上げた夜空
どこか遠くで花火の上がる音
もっと勇気があったら
もしかしたらこの夏休みも………
今からだってまだ間に合うのに
雲間に見える星屑たち
右手に握りしめた携帯電話
もう少しだけ もう少しだけ勇気が欲しい
勇気なんかじゃないよな
フラれるのが怖いだけ
来年になれば受験生
やがて来る朝 時は夜のまま止まらない
『少し話があるんだけど明日とか会えるかな?』
もう何十回も消しては書き込んで押せない送信
何してるかな?起きてるかな?迷惑かな?
かな かな かなと心の中の虫が泣く
あっ 流れ星 三回唱えられなかったけれど
少し気持ちに勇気が出て押した送信
やがて既読が付くだろう
やがてLINEの会話が始まり
やがて高鳴る胸で眠れぬ夜
そして明日の朝日が昇る
暑い夏の日差しより熱い思い出の日が始まる
春の 芽吹きが
花となって 咲く頃に
三日月は 満月へと 位相する
そして
梅雨の 雨粒が
若葉の上を ひとしきり 転がっている
真夏ではないが
なにか 夏を予感させる 季節
その時
空を駆ける 彗星が 語るのだ
来たるべき 秋を 知るかのように
往く 春 盛る 夏
やがては 訪れる 冬
すべてが 継っている
この 宇宙の 風の 中で
そして
僕は 今 貴女を 愛しています
天の川の 中心から 30000光年に
太陽系が ある 事を
人々が 余り 関心を持たぬ ように
密やかに 秘めやかに
粛々とした 力であって
爽やかな 愛だ
やがて 昇り来る 太陽も
雨露も
颯爽と 晴れ渡るだろう
一陣の 風
今 宇宙を 駆けて
消えて往く 星たちと 共に
僕達は ここに 居る
どこかで
微かに発せられた言葉が
蝶の羽ばたきように
少しずつ広がって
やがて
何かの偶然の要素によって
さまざまな変容を経て
予測不可能な
大きなうねりとなり
世界を変えてしまう
そんなことが
あるんでしょうか
あるかもしれません
でも
そんな言葉があったとしても
その言葉は
きっと
そんなことは
望んでいなかったでしょう
その言葉は
それを発した人の
心の中だけに
そっと
住んでいたかったでしょう
うねりを起こそうと思って
発せられる言葉もあります
その言葉と
どこかで
微かに発せられた
蝶の羽ばたきのような言葉とは
きっと
違うのでしょう
少しずつ広がっても
どこまで広がっても
それは
大きなうねりにはならないで
多くの人の
心の中に
ただ そっと
住んでいることでしょう
「7月○日から旧◯○様邸の解体工事を行ないます。
皆様にはご迷惑をお掛け致しますが
ご協力のほど宜しくお願い致します」
型通りの挨拶文が
ポストに入れられて数日後
斜向かいの家から重機の音が聞こえてきた
独り暮らしの老人が亡くなって
しばらく空き家になっていたのだ
思い起こせば
いかにも好々爺然とした人だった
回覧板を持っていくと
善良そうな笑顔を浮かべ
「いつもすみません」と言いながら
丁寧に受け取ってくれたのに…
こうして家の主を思い出している間にも
ブルドーザーの運転手は手慣れた様子で
屋根を引きはがし、外壁を取り壊していく―
みるみるうちに
家は無惨な姿になってしまった
室内は剥き出しになり
外からまる見えだ
そこへ真夏の
容赦ない日差しが降り注ぐと
この家に住んでいた人の
息づかいや生きた痕跡までもが
跡形もなく蒸発していくような気がする…
そのうえ
故人の生活と結びついているかもしれない
何もかもが失われてしまった―
晴れた朝、開け放って街を眺めた窓も
雨の日曜日、無聊をなぐさめようと
複製の絵を掛けた壁も
床に横たわりながら
みなしく見つめた天井も
すべて瓦礫と化し
家はもうほとんど骨組みだけしか残っていない
あと二三日もすれば更地になってしまうだろう
やがて この跡地には
共同住宅か建売住宅が建って
あの老人とは縁もゆかりもない
人間が引っ越してきて住むのだろう
それが都会に住むわれわれの宿命とはいえ
もうすぐやってくるお盆の季節に
亡くなった人が
帰るべき家を持たないとは…
都会に暮らすとは
死んだ後まで
孤独を耐え忍ばなければいけない、
ということなのだ
〇 アメリカ陸軍航空隊 ジェイムズ・B・タック少佐の証言
ええ 1945年 4月19日 よく憶えています
私はP―51に乗りATSUGI WEST 上空で
“JACK”とわたり合いました
互いに技量の限りを尽くし戦ったのです
腕は互角に見えましたが
私は自分の乗機の性能に感謝しました
スピード 旋回性能の有利を活かして
“JACK”の後ろに回って銃撃できたのです
敵機は主翼と後部から発火し やがて胴体が千切れました
操縦能力は失われ墜落していきました
落下傘は見ませんでした
グリーンの胴体にイエローのラインが塗られていたので
地位あるパイロットだったのでしょう
あのオレンジ色の炎と黒い煙は今も時々思い出します
そのあらましはタック少佐乗機のガンカメラに収められていた。
胴体の日の丸と機種がはっきりとわかる。発火直後の映像。
このような戦いが毎日のように何処かで起きていた。昭和二十年・日本の空である。
厚木・ATSUGI……神奈川県中央部に位置する市の名称。
P―51……第二次世界大戦時、アメリカの最高傑作機。
“JACK”……日本海軍局地戦闘機「雷電」の米国側コードネーム。
ガンカメラ……戦闘機の射撃装置とカメラが連動したもの。
発砲と同時に動画撮影が始まる仕組み。
*
〇 女優 山屋五十鈴の想い出
実は 戦死された石田秀成中尉と私は幼馴染みだったのです
石田さんは私より三つ年上でした
家が近所で 子供の頃 逗子の海岸で よく二人で遊びました
砂でお城や舟を作ってくれたり
きれいな貝殻をもらったりしたのを憶えています
長じて二人は別々の道を歩み始めた。その女性は日本舞踊など芸能が得意で、
伝手を頼って日活撮影所に入社して「山屋五十鈴」(やまやいすず)の芸名を得た。
空と海が好きで飛行機に憧れたその男は海軍兵学校に進み航空兵を目指した。
戦争も酣(たけなわ)になり
新聞には常に華々しい戦果が報じられていましたが
大きな敵の飛行機が爆弾を落とすようになってきました
変だな とは思いましたが 戦争とは敵・味方どちらも苦しいのだ
自分も頑張らねば 芸で人々を励ますのだ―と決意を新たにしました
その頃私は東宝映画に移って
皆さまのお陰で全国に名前が知られるようになったのです
男は幼い頃、海で共に遊んだ童女がその後、大女優になったのを、むろん知っていた。
だが女性のほうはその男が兵学校卒業後、海軍航空隊に入り、今、厚木基地戦闘機隊で、
中尉であることを知らない。
東宝映画の女優として
初めて厚木基地に慰問に行ったのは
確か昭和十九年の九月頃だったと思います
私はその偶然にたいそう驚きました
世話役の従兵さんが控え所に来て 知らせてくれました
(石田中尉殿が面会を求めておられます
えっ?石田…中尉・・・・・・? は はい どうぞ)
白い軍装の背の高い軍人さんが敬礼をしています
(お久し振りです 石田秀成です
えっ ヒデナリさん? あの逗子の石田さん あの頃の?
海軍に行かれたとは伺っていましたが、此処にいらしたとは……!
厚木基地三〇二空で中尉をしています
びっくりしました こんなことがあるなんて……
お美しくご立派になられましたなあ
石田さんこそ凛々しいお姿に……
自分らのような処へ ようこそお出でくださいました
美津さん 名演技ぶりを自分も楽しませて頂きます)
私を本名で呼んでくださいました
石田さんはキリッと敬礼して退室されました
演技中 舞台からも石田さんのお顔はわかりました
東京から近いので
厚木基地にはその後も慰問団がよく行きました
ある日の慰問では石田さんはたくさんの紙片を持っておいでになり
(あなたと自分とが幼馴染みだったことが仲間にばれてしまいましてね
署名〈今でいうサイン〉をことづかってしまいました
お手数ですが お願いできないでしょうか?
ええ もちろん いいですわ)
粗末な紙でしたが 一枚一枚 万年筆に心を込めて書いてさし上げました
その後少し時間があったので お互い幼かった頃など いろいろお話をしたのです
(小さい頃もらった貝殻は今も大切に持っておりますよ
ああ それは光栄ですな 逗子の海岸でしたね 懐かしいです)
(「あたし 秀ちゃんのお嫁ちゃまになる!」と言ったの憶えてますか?
エッ わたし そんなこと言いましたっけ? 恥ずかしい!
アハハ 冗談ですよ すみません)
(昔から飛行機がお好きでしたから 今のお仕事は夢を叶えられたということですね
お役目には本当に頭が下がります どんな飛行機に乗っていらっしゃるのですか?
簡単に言えば戦闘機です しかも侵入する大小の敵を迎え撃つ為に設計された機体です
自分が乗っているのは「雷電」といいます 操縦は簡単ではないが 良い飛行機ですよ
あなたを始め国民の皆さんをなんとしても守ってさしあげたい その為の自分達の任務です)
石田さんは私と接している時は嬉しそうでしたが その話をした時
一瞬 目がうるみ ふと気づかわし気な表情になりました
今から思うと 日本が負けつつあること 自分の願いが虚しくなりそうなこと
これからのご自分の命 人々の命 お国の命 を思っていたのかもしれません
逗子……神奈川県・三浦半島の西部付け根に位置する。
海が近い。 昭和二十九年より市となった。
*
〇 その日
海軍さんはどこか垢抜けていて 皆さん親切でした
仕事ではありましたが
私は厚木慰問を楽しみに待つようになりました
かつての幼馴染みがいるとなれば なおさらです
もしかすると 好いた殿方に会いに行くような
そんな気持ちに似ていたのかもしれません
昭和二十年四月十九日は三回目の厚木慰問でした
でも その日 石田中尉は不在
川崎~横浜上空に出撃したそうです
ちょっとがっかり
副官さんから石田さんの伝言の紙をもらいました
どきどきしながら読んだのです
(山屋五十鈴様
今日はちょっと空に行って来ます
ご心配には及びません
あなたを守りに飛びます
敵を懲らしめてすぐに帰りますよ
また お話ししましょう 石田)
走り書きでした
心配になりましたが仕方ありません
その日のお仕事は大型紙芝居の弁士と
有名詩人の戦意高揚詩を朗読した後
主要演目は日本髪に着物姿で
歌謡と踊りの披露でした
でも 石田さんが不在なので ちょっと気が抜けた感じでした
舞台が終わってほっとしましたが
基地の司令 園部大佐から耳打ちされたのです
(実は石田中尉が出撃後 未帰還になっています 燃料がすでに切れた刻限です
しかし未帰還すなわち戦死ではない 何処かに不時着した可能性はあります
此処は内地です 助かる見込みはあるのです どうか お気を落とされますな)
私は不安と悲しみで胸が張り裂けそうでした
しかし人前で涙を見せるわけにはいきません
軍人さんの憩いのために来ているのですから
いつも優しく笑顔でいなければ―
私は職業女優なのです
その日の夜は一睡もせず石田さんを想っていました
(どうか ご無事で ご無事で―)
*
〇 ある事実
海軍航空隊 厚木三〇二空 未帰還だった石田秀成中尉はその後、戦死が正式認定された。享年三十。
終戦直後、マッカーサー厚木来着の護衛機としてタック少佐も到着。彼はこの付近上空で一度、空戦した
事を思い出した。そして冒頭の証言となったわけである。さらにガンカメラ映像で、彼が撃墜した日本機は、
“JACK” すなわち日本海軍局地戦闘機「雷電」であり、機体番号がヨD―1183号である事は日本側の
戦闘詳報で明らかになった。それは石田秀成中尉の乗機であった。しかし機の残骸と遺体はついに発見
されなかった。今も相模湾の何処かに沈んでいるのだろう。故郷の海に近いのかもしれない。
(戦争だったから仕方ないの……)
私は石田中尉のことは極力忘れようと努めました
そうしない限り悲しみを止められそうにないからです
出撃時に石田さんから頂いた小さなお手紙と
厚木基地の皆さんとの集合写真だけが残りました
写真の石田さんはいつも笑顔です
これら集合写真のうち
いったい何人のかたが今もご健在でしょうか?
こうして、ひとつの戦いと淡い恋物語が後の世に残された。
ちなみに厚木三〇二空は八月十五日の終戦を受け入れず、
徹底抗戦を唱え反乱するも六日後に鎮圧された。そんな事実もあった。
しかしそれはおのずと別の話柄に属すと思われる。
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本作品はある戦記を基にフィクション化したものです。 登場人物の名前は全て架空としました。
公共スペースを長々と使って申し訳ありません。日付間隔を置いて二分割することも考えましたが、
やはり話が伝わりにくいと判断し、一挙掲載に踏み切りました。事情をご理解の上、ご了承ください
ますよう、お願い申し上げます。
夢見ることって大事なこと。いつか忘れてしまったことがどこか
にあるから、今日は列車に乗って銀河を旅しよう。うさぎのスープ
とこぶたのマカロニを持って。青い地球ってこんなに美しいんだね。
僕が知らない世界がこんなに僕を驚かせる。反対の意味で出来た
雲、言葉を知らない雷。不思議な自然現象で表せられるこの世界。
君はどこにいるんだろう。
北極の熊から南極のペンギンまで、驚いたらこっちの勝ち。温泉
には肩まで浸かって、冷えないように。宇宙の色って何色? みど
り色、青色、黄色、もっといろんな色。押し寄せる夕日が僕の記憶
を想い起こさせる。
おとうさん、おかあさん、僕は元気です。地平線の向こうに吠え
る。ライオンみたいにね。意味のない意味。色のない色。何もない
ところから全てが産まれ、全てあるところにみんな還っていく。そ
れが地球らしい。
僕と君も地球で産まれた。おとうさんとおかあさんも。春が来た
らみんな産まれる。冬が来たらみんな死ぬ。夏に鳴いたセミが、秋
にもみじになってはらりと落ちる。
全部繋がっているから、全部おなじものなんだって。だから名前
なんて人間が勝手につけたものだから、なんでもいいんだ。飛ぶも
のは鳥じゃなくてゾウだっていいんだ。空をはばたくのはキリンだ
ってかまわない。地球はもっともっと混沌としている。
そしてみんな思い出す。自分が自分じゃなかった頃のこと。人だ
ってかつて人じゃなかった。虫だったり鳥だったりした。牛や馬、
猿にだってなれた。選択したのは僕じゃないし、君でもない。でも
、僕は僕で、君は君として生まれ、ここにいる。不思議だね。
世界に紐づけられて、名を与えられて、親がいて、僕と君がいる。
混沌とした鍋のなかから、神様がお箸でつまんで、用意された食器
のなかにみんな並べられて、完成したんだね。神様の料理だね。美
味しいのかな? きっと。
今日は教えてもらえました。世界の理を少しだけ。旅はまだまだ
続くけど、終わりは必ず訪れる。神様たちが僕たちを食べ終わった
ときがそのとき。
いただきます、ごちそうさま。
初めまして。
最後の一行がうまく出てこなくて、昔話風にしたのは安易だったかもしれません。
夫は、私の言うことを認めたようですが、おじいさんほど悟り切れてないかなあと、ちょっと私にも迷いがありました。
その辺がもう少し書けたらと思います。
ありがとうございます。
拙作『故星(ふるさと)』の感想とアドバイスありがとうございます。
作る際に、いわゆる故郷をお持ちの方に井嶋さんと同様に「故郷が羨ましいという気持ちが分からない」と言葉をいただきました。お互いの点を結ぶために説明のような描写が長くなり、見せ場である宇宙へ飛ぶところまでが冗長な印象があるのではないかというのが心配な点でした。
井嶋様のおっしゃる通り,構成の見直し。私自身が感じていることは削れる言葉を削っていく必要があるということです。
ありがとうございます。また機会が合いましたらよろしくお願いいたします。
珍妙な詩を丁寧にお読みいただきありがとうございました。
またお褒め頂き感激しております。
あのような詩をまともに取り上げていただき自信となり、詩の幅が広がったように感じてうれしい限りです。
高い評価も頂き、ありがとうございました。
本当に励みになりました。