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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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一眞さん あなたは
清人さんのことを
快く思っていないでしょうね *1*2
確かに彼がしたことは あなたの
結婚という晴れの門出にケチをつける
伯父らしくない行為だし
良くないことです
それでもね
人が何と言おうと どう思おうと
私たち夫婦は
清人さんに足を向けて寝れないの…
これから話すことを
しっかりと受け止めて下さいね
*
あなたもご存知のように
主人隆志は戦前 戦中 戦後を通して *3
地質調査を専業とする会社を営んでいました
戦前 ある大学からの要請を受け
朝鮮北部山岳地帯で行なう大規模ダム開発
これに付随する地質調査に携わりました
拠点としたのは朝鮮半島随一の大河
鴨緑江の上流部で
物凄い僻地 鹿や猪しかいない
名もなき無人の荒野です
一番近い朝鮮人の部落でさえ
五里も離れていました
大きな鬼胡桃の木がある丘陵地の麓に
私たち夫婦は居を構え
生活を始めたのです
そして七年の歳月が流れ
子どもも授かって四人家族となりました
長く続いた戦争が終わり
邦人が一斉帰国する運びになったことは
ダム建設を担ったゼネコンから
知らされました
戦が終わったことに安堵すると同時に
途方に暮れましたよ
ここは内地に引き揚げるには余りにも不便
極めつけの僻地です
まるで様子が分からないまま
気がついたときには
会社が用意した最後の撤収バスも出た後でした
ダム関係者は散り散りになって
私たちだけ取り残されてしまいました
*
匪賊が横行する土地柄です ある日
私たちの住む小屋は
赤匪即ち共産党軍に包囲されました
地質調査用のボーリング機材が狙われたのです
それに輪をかけて
食料が尽きていながら調達することも叶わず
困り果てていました
赤匪が侵入しようとしたとき
バァン!
一発の銃声が轟き 賊たちは
蜘蛛の子を散らすように逃げて行きました
馬に乗った
大柄な男が納屋の前まで入って来ており
私は馬賊と思い
恐怖で震えあがりました
すると男は銃を降ろして
にこにこ笑い
やぁ 義姉さん
兄貴はどこですか?
私はまじまじとその髭面を見て
まあ 清人さんじゃあないですか
どうして…ここへ?
迎えに来ました
彼の言葉に私は本当に驚きました
主人の弟 清人さんは武装解除された
北支方面軍を離れ
郷里の山口県に帰って来たばかりです
それなのに
兄一家が未帰還だと知って
直ちに行動を起こし
危険を顧みず
玄界灘・朝鮮海峡を渡って
混乱する半島に迎えに来てくれたのです
聞けば
釜山から貨車に乗って北上し
義州近辺で馬を調達
鴨緑江河畔を東へと遡って来た
運良く銃も闇で手に入ったから
ノロジカを撃って食料にしたと言います
私たちにはもう食べるものがなかったので
清人さんが持って来た
ノロジカの肉は
貴重な食料となりました
*
北辺のこの地からどうやって脱出するか
清人さんが集めた情報は貴重でした
今の時期
朝鮮北部の港から引揚げ船は出ていないようだ
内地へ帰るには
南の釜山か仁川迄行かねばならない
釜山は遠くてとても辿り着けまい
問題は三八度線越えだ
懸念はあるが
私たちは仁川を目指すことにしました
ボーリング機材は泣く泣く廃棄し
主人は国旗や関連書類をすべて焼却
私は ドンゴロスで作った上着をはおり
モンペをスボンに履き替えて
脚にゲートルを巻きました
靴はありませんから地下足袋です
そして
バリカンで頭をボウズに刈り上げ
胸にサラシを巻いて
男に姿を変えたのです
北鮮を占拠した露助どもが群狼と化して *4
婦女子を狙い
強姦や強盗まがいのことをする
とても危険な状況だと聞いたからです
馬に簡便な車を括り付け
まだ幼い二人の子どもを
にわか馬車に隠して
小屋を後にしました
長女は
いつまでも鬼胡桃の木を見ていました
きっと思いが残ったのでしょう
満鮮国境を流れる鴨緑江に沿って
川下へくだりましたから
この一帯を占領している
ソ連軍の動向が気になります
彼らはシベリアに送る日本人を捕まえています
また土匪の襲撃も何度か受けました
トラブルが起こる都度
清人さんは持っていた時計や服を渡すなど
巧みに振る舞い
あるいは銃で威嚇・防戦して
私たちを守ってくれました
日に日に
日本人に対する感情が悪化してるときですから
本当に豪胆な人です
食料も清人さんが狩りをして
ノロジカや野兎を確保
また農民から唐黍を分けてもらっていたので
私たちが飢えることはありませんでした
まさに八面六臂の活躍です
満州や北鮮各地から徒歩で帰国しようとして
寒さと空腹で行き倒れ
餓死した人は多いと聞きます
私たちはなんと幸運であったことか
やがて平野部を踏破して
開城に到着
案の定
三八度線をソ連軍が封鎖していましたが *5
露助の目を盗んで
夜陰に紛れて突破し仁川に着きました
蒼い海が見えたときは本当に嬉しかった
苦しい逃避行ではありましたが
清人さん持ち前の明るさに
私たちは救われ
ここまで辿り着くことができたわけです
その後 時を待たずして
貨物船で渡海し佐世保に上陸
五人は無事
郷里山口県・大河内村に帰ることができました
子どもたちには初めての内地です
*
私たち家族は
清人さんから受けた恩を
決して忘れることができません
彼がいなかったら
一家全滅
北鮮の荒野で野垂れ死んでいたでしょう
ぞっとします
一眞さん
どうか私たちに免じて
清人さんの愚行を許してやって下さいね
*1 本作は母の兄嫁(長兄の妻)を語り部としている
*2 清人 母の次兄
*3 隆志 母の長兄
*4 露助 ソ連兵・ロシア人の蔑称
*5 北緯三八度を境に以南は米軍が占領
三浦志郎さま 評ありがとうございます。
神様は僕のなかで生涯のテーマにしていこうと思ってます。
題名はいつも適当につけてます。
もう少し考えようと思います。
この暗闇は煩雑だ
夜だというのに “ああ 鳥たちが鳴いてやかましい”
黒に浮かぶ幾多の色彩は
生きものとしての官能だ
子守歌にしては騒がしい
鳥領域の昼と夜
NIGHT AND DAY OF BIRD LAND
さえずりの音の中
奇妙な闇に紛れて
俺が此処に来たのは理由(わけ)がある
さあ
秘密の取引を始めよう
俺の魂
と
お前たちの飛翔力
と
引き換えようではないか
悪いが
鶏のように地に這いつくばって生きてくれ
魂あれば生きられるさ
俺はといえば―
鳥人間でありたい
あいにくだったな 鳥たちよ
魂は渡したが
俺にはなお本能が残っている
その力で
風を組み立て
風に参加し
風を賛歌し
風に活かされ
風を翼に抱え込む
魂を失った分だけ軽くなり
空を往きたいのさ
空気と水を制しつつ舞うのさ
死ぬまで空の彼方で暮らすのさ
狂気じみたトレードだ
仮説に塗られた夜を過ごし
朝を待って飛び立つとしよう
水無川渉様 評をいただきありがとうございました。伝えたいと思ったことを的確に読んでいただき、うれしく思っております。この素材は、たまたま目にしたテレビの短いニュースでした。実際に街路灯が折れて横たわりながら、まだ光っている映像を見て、感じることがあり作品にしてみました。気になったので、役所の担当者にお電話でいろいろとお聞きしたりしたのですが、30年を迎えれば補修が計画されていたということで、非常に運悪くもう少しというところの29年で折れてしまったそうです。
また、投稿したいと思います。今後ともよろしくご指導くださいますようお願いいたします。
拙作「ディスクオルゴール」の佳作の評ありがとうございます。励みになります。
群馬の竹久夢二伊香保記念館にてディスクオルゴールの音色が、自分の知っているオルゴール(水無川さんが最初に挙げていた例)と違い複雑な音色を奏でるのに驚き詩にしてみたいと思い、書きました。
評にしてくださいましたように、聴覚による表現を省いて、音楽を表現したい試みにて書き上げました。文章にしていない狙いを読み取ってくださりありがとうございます。
逆に聴覚だけの表現で詩を書いてみたり、視覚だけ省いた表現を試みたりしてみたいと、ちょっとした野望があります 笑
今後とも精進して、そういった表現の詩も書ける域になりたいと思っています。よろしくお願いします。
改めまして、免許皆伝のお祝いありがとうございます。本当に青天の霹靂の感じで笑 びっくりしていますというのが本音です。相変わらず困った私です。もちろんとても嬉しいのですが。水無川様ご指摘のように私の底辺にまず悲しみが常に横たわっている、そこから来る感情なのだろうなと思います。喜びが素直に来ない、なかなか来ない笑 探しに行かなくてはいけません。読み応えあると言って頂けてほっとしています。たこくらげの可愛さも共有頂けたようで、安心です。これからもよろしくお願い致します。
青島江里様、井嶋りゅう様、山下英治様、妻咲邦香様、かすみじゅん様、瀬未様、紗野玲空様、澤一織様、山雀ぐり様、三浦志郎様、水無川渉様、荻座利守様
免許皆伝のお祝いのお言葉をありがとうございます。まだまだ少し緊張しております笑 皆様に一言ずつお礼のメッセージを差し上げたいのですが。本当に予想をしていなかった免許皆伝に落ち着いておりませんので、また落ち着きましたらご挨拶などさせて下さい。ここをスタートにして学ばせて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。
三浦様、佳作の評を頂きありがとうございます。とても嬉しく励みになりました。しかし、私の妻は厳しく、書いた詩は、どれも先生方の評がないと、何が言いたいのか分からないというものでした。本作の言いたいことは最終蓮です。「閉塞感のある空も、人間は人が作った物語(劇場)を生きている。だから救世主みたいなものに頼らず、自分の物語を作って生きよう。すると空は必ず開くものだ。」でした。しかし、言ってる張本人が「奇抜な発想」に頼ってしまった。難しいな。最後に「空」を「夜空」に変えたりして叙情系に寄せてみたのですが。まだ、自分の心を掴みきっていないうちに、表現で誤魔化そうとしています。焦っていますね。何をそんなに焦るのでしょう。
青島江里様、井嶋りゅう様、山下英治様、妻咲邦香様、かすみじゅん様、瀬未様、紗野玲空様、澤一織様、山雀ぐり様、三浦志郎様、水無川渉様、荻座利守様、富士伊真夜様、秋冬様、島秀夫様、お祝いの言葉をありがとうございます!
フラフラと好き勝手に書いてしまう僕のことをここまで温かく見守って下さった、評者の皆様をはじめとするMYDEARの皆様には本当に感謝しかありません。
MYDEARという素敵な場所の一員に加えていただいてとても嬉しく思いますし、一つ新しいステージに進んだような気持ちでとてもワクワクしております。
これからは新作紹介でお世話になります。
MYDEARでの毎回の評が僕の詩作の血肉となり、少しずつながら成長できたと思っております。これからも皆様からたくさん勉強させてください。
改めてお祝いありがとうございました!
これからもどうぞよろしくお願いします!
お待たせいたしました。8/20~22ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●森山 遼さん「悲しみ続く」
森山さん、こんにちは。この作品は夜の新宿を舞台に、都会に集う人々の哀愁を描いた詩と受け止めました。「明日の天気(は)くもりのち晴れ」、「わたし(は)もう悲しい」と助詞を省略した文体は意図的なものでしょうか。舌足らずでぎこちない語り口が、悲しみというテーマに不思議にマッチしているように思います。
「ピーピーピーピピピピピ」という「鳴き声」が何を表しているのか、よく分かりませんでした。虫でも鳥でもないような気がするし、もしかしたら何かの機械音かとも思いましたが、都会の夜を彷徨う人々の心の声なのかもしれません。それが何にせよ、この鳴き声が詩中で繰り返されることによって、都会の夜の描写の中に悲しみの主題が通奏低音のように現れる構成になっているのかと思いました。
だとすると、そのような繰り返しを最後まで徹底してやっていただいた方が良かったかもしれません。特にこの詩の後半では一見悲しみと無関係そうな描写が続いて終わりますので、それがないとまとまりが無くなってしまう印象を受けました。たとえば最終行を「ピーピーピーピピピピピ」で締めくくるというのはいかがでしょうか。ご一考ください。
全体として、連分けをしていただくとより読みやすくなると思います。評価は佳作一歩前となります。
●喜太郎さん「ケンタ」
喜太郎さん、こんにちは。これは初デートの様子を描いた詩でしょうか。どんな店で何を食べるのか、食にはその人の好みや性格、経済状況など様々な要素が反映されますので、デートの食事をどこにするかはお互い悩むところですね。ところが「彼女」の口から出て来たのは「ケンタッキー」。デートの場所にお洒落なレストランではなく、どこにでもあるファーストフード店を希望するところに、「彼女」の庶民的で飾らない性格がよく表現されています。
何を食べるかだけでなく、どう食べるかにもその人の性格は表れます。「彼女」と「僕」の食べ方の違いが上手に描き分けられていますし、「彼女」が「僕」の食べっぷりに最初は驚きながらも、すぐにそれに合わせてくれる心優しさも伝わってきます。ファーストフード店の片隅で心を通わせるカップルのほのぼのとした情景がとてもよく描かれた作品だと思います。「ケンタ」や「カエル化」といった表現から、おそらく若いカップルと思われますが、青春を感じる一篇ですね。
ところで、タイトルにもなっている「ケンタ」は「ケンタッキー」(正式には「ケンタッキーフライドチキン」)の略称ですね。この詩の本文ではこの略称は最後に一度出てくるだけで、それまではすべて「ケンタッキー」と表現されています。「ケンタッキー」が最後になってよりカジュアルな「ケンタ」に変化するのは、二人の心の距離の変化をも表していると受け取りました。だとすると、この詩のタイトルを「ケンタッキー」ではなく「ケンタ」としたのは正解だったと思います。
全体的にとても良い詩だと思うのですが、いくつか気になった点をコメントします。まず冒頭で「僕の質問に」と始まるのに、その質問の内容がどこにも書かれていないのが不自然に感じました。もちろん、その後を読んでいけば、どこで食事をしたいかという質問だということは容易に推測できるのですが、ここは詩の舞台設定をするためにも、しっかり書いたほうが良いと思います。あくまで一案ですが、
「ケンタッキー…食べたい」
初めての二人だけの食事
どこに行きたいかと尋ねる僕に
彼女は少し照れながら呟いた
のように、「彼女」の言葉から始めるのも良いかと思います。
もう一点、この詩は全篇連分けなしで書かれていますが、場面の転換や時間の推移を表すために、いくつかの連に分けることをおすすめします。たとえば現行3行めの「テーブルを挟んでケンタッキー」から始まる部分は、その前までのやりとりから時間的にも場所的にも隔たっているはずですので、その前は一行空けるべきだと思いますし、最終行も結論として一行空けて独立の連にした方が良いかと思います。ご一考ください。評価は佳作半歩前になります。
●松本福広さん「ディスクオルゴール」
松本さん、こんにちは。私はオルゴールと言えば小さなシリンダー状のおもちゃのようなものしか実際に見たことはないのですが、昔はディスク型のオルゴールがかなり流行したようですね。YouTubeで実際に演奏する動画を見てみましたが、音の心地よさもさることながら、穴や突起が一見ランダムに散りばめられた金属製の円盤がゆっくりと回転していく様子が夜空を巡る星々のように見えて、とてもロマンティックでした。このディスクを「円盤に配置された星空」と喩えたのは秀逸だと思います。
この詩で興味深いのは、タイトルからオルゴールで音楽を奏でる情景を描いていることは明らかなのに、どこにも「音」に関する描写が出てこないということです。それなのに、確かにこの詩は音楽について語っています。音楽が徹底的に暗喩化され、あるいはその物理的音響的側面をすべて剥ぎ取られることによって、かえって音楽が人の心に及ぼす影響、すなわち何らかの「世界」を創出していく様子が効果的に描かれているように感じました。音によらずに音楽の本質を描き出した、素晴らしい詩だと思います。評価は佳作です。
●秋乃 夕陽さん「或る貧困労働者の祈り」
秋乃さん、こんにちは。この詩の語り手の「オレ」は45歳という設定ですので、就職氷河期世代の典型的な人物と言えますね。「一億総中流」と言われたのは過去の話で、現代日本社会においてますます拡大する貧困の問題は決して無視することのできない現実であり、また今そのような境遇になくても、明日は我が身という人も多いのではないかと思います。その意味で、この主題を取り上げてくださったことに感謝します。ここに描かれている「祈り」に共感する人も多いのではないでしょうか。
このように、本作品のテーマの重要性とそれを取り上げた作者の真摯さについては疑問の余地はありません。またそこで語られているメッセージも、まったくの正論です。であればこそ、それを散文ではなくあえて詩という形式で表現するためには、並々ならぬエネルギーが必要になってくると思います。なぜなら、詩とは世界に対する新しい視点を提供し、読者の常識的な期待を裏切って新鮮な方法で現実を見つめ直す機会を与えるものだと思うからです。少なくとも私にとって、良い詩とはつねにそのような「ひねり」や「驚き」「逆説」といったものをどこかに有しているものです。茨木のり子さんの表現を借りれば、「言葉が離陸する瞬間」とも言えます。けれども、大きな社会問題に対する正論をストレートに述べようとする時には、これはかなり難しいことだと思います。
そのような意味で、この作品で描かれる「オレ」の姿やその言葉には、そういった詩的な「驚き」や「言葉の離陸」というものは残念ながらあまり感じられませんでした。非常に失礼な言い方になってしまいますが、どこかで見聞きしたことのあるような既視感を持ってしまうのです。語られているメッセージには賛同する他ないのですが、詩としてのインパクトはあまり感じられませんでした。別の言い方をすれば、扱っている主題があまりにも重くて大きいために、詩の方が力負けしてしまっていると言えるかもしれません。一案ですが、説明的な長い独白を省いて、貧困に苦しむ人々の日常生活のごく小さな一コマの具体的な描写に集中するなら、同じテーマでも新鮮な切り口で見せることができるかもしれないと思います。
いろいろ厳しいことを申し上げてすみません。繰り返しますが、これは秋乃さんの問題意識や真摯さ、メッセージの妥当性とは全く無関係で、あくまで「詩作品」としてどうかということです。個人的には、この主題についてさらに詩作を重ねて言ってくださることを願っています。評価は佳作一歩前となります。
●温泉郷さん「街路灯」
温泉郷さん、こんにちは。老朽化した街路灯がある日突然倒れて撤去された――要約してしまえば、たったこれだけの小さな事件を描いた作品ですが、なぜか強烈なポエジーを感じる不思議な作品ですね。
ニュース報道の引用のような文体で、事故の起こった様子やその原因究明について、客観的に淡々と語られていきます。この抑えた筆致がとても効果的だと思います。
この詩の中心は、倒れた街路灯の電球が割れずに灯り続けたというところでしょう。私は電気関係に詳しくありませんので、街路灯が倒れても点灯し続けることが実際にあるのかどうかは分かりません。けれどもこの作品の中では、倒れてもなおアスファルトを虚しく照らし続けるその姿は、何かを象徴していると思われました。長年社会に尽くしてきた人物がついに力尽きても、その努力が報いられることなく忘れ去られていく様子を表しているのかもしれません。
作中で繰り返される「29年」という期間にも、何らかの象徴的な意味が込められているような気がして、いろいろ考えても分かりませんでしたが、そういった興味を呼び起こすこと自体、詩として成功していると思います。評価は佳作です。
●紫陽花さん「耳元にはたこくらげを」
紫陽花さん、こんにちは。改めまして免許皆伝おめでとうございます。
紫陽花さんの作品は海が出てくるものが多いですが、今回もその一つですね。たこくらげを知りませんでしたので調べてみましたが、丸い可愛らしい形で、水族館でも人気のあるくらげのようですね。一般には褐色をしているものが多いようですが、中には緑色や、この詩にあるような青色をしているものもあるということです。
さて作品ですが、まず「きっとまたこの夏を私は忘れてしまう」という冒頭の一行がとても良くて、これだけで詩の世界に一気に引き込まれました。好きなものなら忘れないかというと必ずしもそうではなく、とても愛着があるはずのものでも、日々の忙しさに追われていつの間にか忘れてしまい、ふとした機会にそれに気づいて愕然とすることはありますね。「私」にとって夏の海はどうしても忘れたくない、大切なものであることが伝わってきます。
そんな「私」がいつものマルシェに野菜を買いに行くと、ふだんある花屋の代わりに移動販売店が出店していて、しかもその売り物は「夏の海」。店の男性は「私」の眼の前で「店先に海を並べ始めた」……。日常から非日常への移行がとてもスムーズで見事です。店先で海を売るというアイデアも秀逸ですね。
そして「海」の描写も砂やシーグラスから始まって様々な海洋生物が現れて楽しいです。視覚と聴覚に訴える描写によって、夏の海のイメージが鮮やかに浮かび上がってきます。(個人的にはここに嗅覚の要素も加えて、磯の香りの描写を入れても良いかなと思いました。)またこの部分にはオノマトペが多用されています。とくに独創的なものはありませんが、軽快なテンポが明るく楽しい夏の海の雰囲気を創り出すのに役立っていると思います。
店先の「海」で出会ったたこくらげがイヤカフになり、「私」の耳元でほのかな海鳴りとともに揺れているという終連も良いですね。最終行「この夏を忘れませんように」が詩の冒頭と対応していて、着地もばっちりです。
夏らしい明るく爽やかな一篇で、とても気に入りました。この作品が、私が評を担当させていただく最後になりますが、最後にふさわしい、読み応えのある作品をありがとうございます。評価は佳作です。
*
以上、6篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。私事ですが、先週土曜日は横浜詩人会のイベントで朗読させていただきました。MY DEARの三浦さん、井嶋さんともご一緒できて、今年の夏を締めくくる良い思い出になりました。みなさまの夏はいかがだったでしょうか。