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今回も私の詩を丁寧にお読みいただき、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。
小学生のころから、昆虫をはじめ小動物が好きで、彼らの愚直に生きる姿に
いつも魅せられてきました。また彼らを題材にして書いてみたいと思います。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
飯盒のような形をした
プラスチックの容器の中で
乾いた砂を掘るクロアリ
巣をつくったところまでは
見届けたはずだ
確かに 観察して記録した
覚えている
しかし……
その後は?
その後はどうした?
その後の記憶は
ない
観察して記録したのに
その後は
記憶さえ
しなかったのか
飽きっぽく残酷な小学生
そんな一般論ではなく
そんな日本中どこにでもいる
小学生のことではなく
あなたのことです
その後は?
どうしたんですか?
気が付くと
半袖で露出した右腕を
初夏のアリが一匹這っていた
アリはさらにあがってくるかと思えば
またおりて
少し回転するような動きをしてから
またあがり
またおりていき
またあがってくる
ベンチで無責任に
居眠りする男の
足から腕へと
アリは 食糧を探してなのか
何か他の必要に応じてなのか
導かれて
登ってきたのだ
アリは 観察しないし記録しない
そんなふうにできてはいない
記憶も経験も継承せず
本能で反射的に行動する
プログラムされた命
本能に命じられた行動を
とっているだけだ
少なくとも
科学はそう言っている
アリが
また一匹
足からあがってくる
その後は?
その後は?
どうしたんですか?
こんにちは。上田です。
いつも細部までの読み込み、ありがたく厚く御礼申し上げます。
2章の「訴訟」が強く重いからコンパクトにして、3章に収納するということですね。思い切って捨てることも重要だということでしょうか。切り捨てることはなかなか難しいけど工夫してみます。
投稿を始めて一年になります。書けば書くほど難しさを感じ、推敲の時間も長くなって来ました。次の一年に踏み出すためにも更に精進したいと思います。
また投稿致します。
ありがとうございました。
島 秀生 様、「受難曲」の評と感想、誠にありがとうございました。
バッハのヨハネ受難曲自体が、裏切り者ユダと共に現れた武装した兵士にイエスが捕まり十字架にかけられて亡くなるまでの劇的な物語なので、もう少し絡めても良かったかもしれませんね。
そうすればもっとボリューミーで読み応えのある詩になったかもしれません。
1 晶子さん 「河原で」 6/28
俗に「河原の石積み」というと、三途の河原で死者が石を積み、それを鬼が崩す、その繰り返しのことを指す場合が多いんですが、その寓話性が含まれるのか、それとも、現実として、たまたまあった石積みをポイントとするのか、おそらく両方と見ています。割合は後者のほうが多いかもしれない。 ヘンな表現ですが、こんな益体もないものに目が行き、そこから世界は広がる。2連などは堂々としていて気高ささえ感じさせます。この詩のメインの主張と見ます。矮小と雄大を同居させながら、「たかが~されど」の境地に至っている気がします。3連は前回お話しした、晶子さん作に隠された“男性性”を見る思いがする。こういう言い回しは僕は大好きですね。ところで、僕が冒頭出した「三途の川」云々は実に、この終連によるところが大きい。そこで、あくまで参考的提案なのですが、5連を最終連にして、前向き広がり感で終わる。して、終連の移動先は?2連の後か、3連の後か、いずれにしても、この最終連は途中連の役割を負ったほうがいいように思いました。お好みに応じてスライドも可ということです。佳作です。
2 秋乃 夕陽さん 「影響」 6/28
うーむ、感想・評価を書くには難しい作品ではあります。
2連目以降を取り上げます。母の実家での話ですね。祖父母がすでに死去されて、その相続が、その子である母と孫である自分(私)に降りて来た。そういった理解であってますよね?
その際、ドラマにもあった「家を売り払って~分割する」―その葛藤で「私」が悩む、といった構図のようです。詩の中心部は3、4連にありそうです。非常に揺れ動いているさまが活写されています。
微妙なのは、家を売り払うか否かの決断と思われます。
売り払わない……母を説得して現状通り。あるいは、家を残して「私」はそれでも家を出る?
売り払う……A)それで得た分割金を以って別の家で母子暮らす?又は別々に暮らす?
B)「私も相続を放棄して」だと、相続して得た分割金も放棄して家を出る?
これは「私」にとってキツイ気がする。
なんだか、よくわからなくなって来ました(苦笑)。プライベートなこともあるので、すみませんが、評価は割愛させて頂きます。
3 上田一眞さん 「ヤマドリ会遇」 6/29
1章はやはりヤマドリの赤と尾の長さが引き立っています。緑の中の赤のコントラストが濃く印象されます。写真で見ると、胸や羽の部分はなかなか複雑な様子をした赤ですね。あまり出会わない鳥とのことなので、この会遇は幸運だったことでしょう。また、柿本人麻呂の歌を載せたのが目を惹き、情趣をそそられます。
2章はガラリと変わって訴訟のエピソード。たしか以前の作品にも登場しました。「ヘロヘロ」と(3章の)「ズタボロ」は詩の表現としては如何なものでしょうか?この詩のトーンとは合わないでしょうね。続く3章はそういった困難を迎えた中での、ひと時の安らぎ、癒しが描かれます。「忙中、閑あり」といったところでしょうか。ヤマドリと共に自然の色と音も紹介されています。
最後に構成について触れておきます。この3部構成で流れを考えると、僕の場合、どうしても2章に違和感を覚えてしまうのです。次に技術論として書くと、3章は明らかに2章の影響を受け、引き継いでいる部分もあるんです。従って、僕の意見としては、2章を極端にコンパクトにして、3章に収納できないか、ということなんです。僕の結論意見としては2章構成です。曰く「いろいろあったけど、今は自然によって癒されている。その力を以って今後に当たりたい」みたいな……。そうやってトーンを統一はしておきたい、そんな風に思うんです。佳作一歩前で。
4 詩詠犬さん 「今日」 6/29
この詩はちょっと不思議な詩で、リアルな詩として読むと、2連・3連のようなことはあり得ないんです。ただし、それ以降はリアル過ぎるほどリアルなわけです。この対比をどう考えるか、なんです。
たとえば、夢の中の出来事?ならば、あり得ます。この詩はスーッと通って行きます。
あるいは、生活や人生の寓話としても解釈可能ですね。こちらのほうがいいかもしれない。
現に前半の3連部分は過去の自分の思い悩みが象徴されています。具象ではなく抽象。
「ところで」以降、リアルさを含むかな? 5連は気持ちが上向いていくのがわかります。
結果としての現在地的フィナーレが来ます。
最後に終連について触れてみます。「わたしが 今 戻ってきた」はいろんな意味で興味深い言葉ですね。過去には不明な自分もいたけれど、迷いという時間から戻って来られた。結果としての現在=「今日」ということでしょう。何かがふっ切れたのかもしれません。
前作はちょっと所在なげだったんですが、今回は芯が見えてきました。甘め佳作を。
5 静間安夫さん 「蚕」 7/1
この詩は蚕について、結構深く調べないと、読み切れない気がしました。時間が許す範囲で調べました。
まず蚕が持っている相反するイメージがあるでしょう。「悲しい~気高い」「可愛い~気持悪い」
加えて、野生では生きられない、人間の手がないと生きられない。まあ、その事が人間が利用する糸口になっているのでしょうが……。作品はこの事情を、端的に表現します。曰く「類まれな才能」「不運の始まり」。ここにも相反があります。そして、この詩は徹底して「蚕」側―その立場に拠って書かれている点にあります。悲しみ、労り、憐憫が基調になります。そういった中で、一歩踏み込んだ蚕の属性も綴られるわけです。「引き合わないこと、夥しい」中で、美しい産物を成す。ここに、この詩の肝があるでしょう。6連が最も言いたい主張に思います。さて、もうひとつ。詩人のほうです。糸と言葉の違いこそあれ、紡ぐといった感覚は似ています。どちらも美しいものを生み出します。似ています。詩人は報われるところが少ない。これも事実でしょう。もちろん違う部分もあるのですが、この詩の主旨の流れの中での詩人像は適切であると見ています。佳作です。
6 ベルさん 「てるてる坊主」 7/1
これは二人の関係への賛歌と読んで差し支えないでしょう。 印象的な冒頭2行です。
それに続くは、もたらされるものへの手のひらと水の隠喩。2連は(僕の勝手な解釈では)、
「喉元過ぎれば……」といった感覚。どちらも人間共通に持つ性であり属性でしょう。それを充分踏まえながらも、3連「それでも」で覆していく。ここから賛歌は始まっていく。4連ではちょっと具体性に触れ、感謝から返礼といった心の動きも表しているように思う。あとは全てが美しい言葉花束です。終行「貴方の命を祈る」―は「守る」とか「思う」ではなく「祈る」。これを「命」と繋げたことの美しさに、僕も手を打って喜びたいです。最後にタイトルに触れます。ちょっと別の話になりますが、
詩とは案外、時間軸にも左右されるもので、僕の場合、既存作をメンテすることがあります。(あの時はこう書いたけど、今の気分では、こっちのほうがいいな)みたいに、まあ、部品交換程度のことなんですね。まあ、これには賛否両論あるでしょうが、この詩のタイトルにも、そんな要素がありそうです。今はこのかたち。月日が経って、ちょっとメンテしてみる。今は新作。しかし、これもいつかは既存作になるでしょう。新作に目が行きがちですが、既存作は財産。育てていくことに似ています。佳作です。
評のおわりに。
ベルさん「てるてる坊主」―この詩の3・5・6連を読んでいると、山下達郎の既存曲「REBORN」の美しい世界観を思ってしまう。
まあ、いろいろ読んでいると、時に詩と音楽が出会うことがある。これは評者の楽しみのひとつなんです。 では、また。
その後、体調はいかがでしょうか?
急に暑さが増して体調を崩しやすいですよね。
お大事にされて下さいませ。
そして、詩の評価をありがとうございます。
こんなにも褒めていただいて嬉しい限りです。
皆、日々の生活に追われ、真昼の月を眺めているのは私くらいかと思い、少しでも自然に触れることの大切さを知る機会になれたらと、書いてみました。
次回も評価を宜しくお願い致します。
おはようございます。上田です。
朝、起きたら素晴らしいプレゼントが待っていました。拙作「十歳の夏」、名作&代表作を頂戴しましたこと、大変嬉しく思いました。
昨年の七月一日に投稿を始めて一年となります。その記念すべき作品に名作を頂戴したこと。
自分の文学の原点というべき、故郷の浜での出来事を書き、評価頂けたこと。
詩作の腕が上がったと認めて頂けたこと。
これらが合わさっての代表作入りです。
今夜は祝杯をあげたいと思います。ありがとうございました。
初めての投稿でドキドキしながらこの日を待っていました。
自分では気付けないご指摘に感謝しています。
「スタンスを決めて書く」なんて意識した事もなかったです。
教えて下さってありがとうございます。
まだどうすれば良いか解らずピンと来ていませんが、それは自分でこれから究めていかねばなりません。
何度も推敲したのに、「赤い」「紅い」と相違したまま投稿するなんて、私はなんて馬鹿なのでしょう。
お恥ずかしいです。
🔰マーク付の私ですが今後ともご指導宜しくお願い申し上げます。
暑い日が続いております。
ご自愛の程、念じ上げます。
ありがとうございました。
秀作の評ありがとうございました。私が苦手とする推敲がテーマとなった作品でした。あちこちと感情や言葉が散らかりがちで、整理整頓が不得手な特性は仕方がない。推敲の段階で言葉をどう繋げていくかが本作の課題でした。今回は二連目を見捨てた感じになりました。フォローする、もしくは応答するという発想がなかった。詩作も自分の中のコミュニケーションだと気づきました。「蒼穹」は遂行の段階で思いついた言葉です。コミュニケーションに例えるなら、メンバー同士で話がまとまりかけていた所に格好をつけたくなった監督が、新メンバーを引き入れた感じになってしまいました。なくてよかった。今回は聴覚と視覚の融合を表現したかったので、島様の「固い緑のトマト」にするとスターティングメンバーでまとまる感じになりました。ありがとうございます。
早くも熱中症になりかけました・・・・・・。
外で作業する人は、長時間続けて直射日光を浴びない方がいい。
ここのところの陽射しの強さは、本当にハンパないです。
皆さん、気をつけて下さい。
*井嶋りゅうさんの評は、ご都合により、少し遅れます。気長にお待ち下さい。
●蒼井百合亜さん「赤い鬼火」
「赤い鬼火」のイマジネーションはとてもステキだと思います。
ただ、この角度から描く、という自分のスタンスをきちんと決めた方がいい。スタンスが揺れていると思う。角度が揺らぐと読んでいて没入できない。
朝が来たところで、この路地裏が心の暗部の比喩だというのは自ずとわかるので、路地裏の場面は路地裏の場面としてきちんとその場を描いたほうがいい。
また「赤い鬼火はわたしだろうか」という疑問ないし推測の形で書くなら、そのあとも「~だろう」「~にちがいない」という語尾になってくるだろうし、最初からそれと確信があるなら、確信があるような書き方で通すのがよい。
スタンスを決めて、そういった統一感を持ったほうがいいです。
あと「紅い鬼火」(3連)と「赤い鬼火」(他の連)は、やっぱり揃えた方がいいでしょうね。
言いたいことは伝わるし、外観としては書けてる人なので、あとそういった緻密さを詰めていけば、もう一段上の詩になりますよ。
イマジネーションがとてもステキな詩なので、ぜひもう一息、完成させてやって下さい。
蒼井さんは私は初回ですので、今回は評価はつけず、感想のみとなります。
(蒼井さんは実力ある人に思うので、最初からレベルを合わせてしゃべりました。ちょっとキツかったら、ごめんなさい。)
●akkoさん「最期のダジャレ」
体が難儀になっても悲嘆の声も苦悩のしわも見せなかった夫よ
この人は、ホントにこれがエライなあーと、いつも思う。なかなかできません。
それと、akkoさんの詩をずっと拝見してきて思ったことだけど、ご主人、いくら無口な人と言っても、思い残すところあれば、もっと言うものなので、「覚悟がよい(男らしい)」「奥さんに心配かけまいとしてる」ということはもちろんあるだろうけど、それだけでは今ひとつ得心のいかないもの、引っかかりを私はずっと感じてたんですが、ふと思ったのは、この方は、ここまでの人生がもう充分幸せだったと感じられていて、もうそんなに思い残すことはないと思えていたから、あとのことをあんまりグダグダ言わなかったんじゃないかなと。
もちろんこれは私の勝手な想像に過ぎなくて間違ってるかもしれないんですが、そう考えることが一番つじつまが合うので、私は勝手にそんなことを思いました。きっと、思い残すことよりも、奥さんや家族への感謝の気持ちの方が勝ってたんじゃないんでしょうか。想像ですが。
2連の、
治療費?・・なんとかなる なんとかする・・
ここ、ステキですね。作者の覚悟がわかる。
終行ですが、この詩においてはこの行が大事な叙景の1行になるので、しっかり感じてもらいたい。その意味で「みかんの花の」の後ろで、読点を打つか、ひとマス空けるか、した方がいいです。
終連のセリフのところ
「アレジオン あれじぉんじゃ(あれじゃ) 駄目だ!」
これぐらいの表記にしといた方がいいかも、ですね。
最後まで、奥さんを笑わせたかったんだなあー と思いました。
心配かけまいと気遣ってるということもあるんでしょうけど、奥さんが笑うのが嬉しかったんじゃないんでしょうか。やっぱりそこに幸せを感じていたというか。
そんな気がしました。
二人それぞれの思いを感じる詩でした。
文体の技量もだんだん上がってきましたね。
名作を。
この詩は、病名や告知された直後の二人の動きがわかるので、シリーズ作の中で、一つのポジションを持っています。なので代表作の列に、この詩も加えていいと思います。
●相野零次さん「あなたと僕」
「母親のような存在」に対し「恋人にしたい」、両者の内面的な食い違いを、比喩で実像化して見せるとすると、こんな具合になった。とも言えるし、
今も生きている自分と亡霊(あるいは生前、親しかった人)との恋、という捉え方もできると思う。生の者と死の者は、この世界で関係を許されない。
どちらに読むのもアリだし、どちらに読んでもおもしろい。
ちゃんと図式ができているからか、あるいは心の置き所について明確であるからか、二人それぞれのポジションについて、混乱も混同もなく最後までちゃんと書けています。この長さで書いて、途中混乱がないのはたいしたものです(たいていの人は、この長さで書くと、途中でなにか矛盾を出してしまうとこです)。
イマジネーションだけでなく、深さがあるね。だからいい。
それに、このケースに限らない、成就できない恋全般も想起させてくれる。そこもいい。
いい詩だと思う。粘り強く、よく書けましたね。名作を。
相野さんの代表作の一つと言っていい作だと思います。
●荒木章太郎さん「やむにやまれぬ音だ」
初連の入り方が良くなりましたね。
いきなりかっ飛ばさず、ちゃんと接点を持ちながら入ってくるのがいい。
雨がやむ音を
聞いたことがあるか
も、ありそうで、ないところがくすぐります、良い問いかけでした。
3連は、「諦めの溜め息」に沿ったダークな流れがありつつ、「生活の再生」に向け、ゆるやかな上昇が感じられる4連になっている。なので3~4連はそれなりに脈絡が取れている。
問題は2連ですね。
人が病む音を
聞いたことがあるか
の問いかけはおもしろいんですが、
あとの脈絡がちょっとおかしい。
いちおう「聞いたことがあるか」なので、答えとして、なんらかの音が欲しいんですが、初連では最後に「かすれ声」があるのに対して、2連は「かき消される」と「やむにやまれぬ」だけで、答えとなる音がない。
そもそも初連も2連も、音をまだ書いてないのに「かき消される」があって、書く前から消してるんですが、初連では最後に後追い的に「かすれ声」と書いてフォローにしてるのに対して、2連では、音を書く前に消したままで、なんのフォローもない。
なので2連のそこは、要改善に思います。
でも全体まずまず書けてるので、秀作を。
終連の
食器棚に置かれた
固く青いトマトが
顔を赤らめる夕暮れ
ここも印象的で良かったです。
でも、次に「蒼穹」をどうしても入れたいのだったら(なくてもよい気もするのだけど)、ここのトマトは「固い緑のトマトが」と書いておいた方がいい。
●埼玉のさっちゃんさん「真昼の月」
うむ、進展しましたね。
平日、仕事にあけくれる日々の、昼休み時間に見た、真昼の月に元気をもらうという、シチュエーションがいい。
案外と夜の月よりも、現代社会に働く人間が昼休みにチラッと見る白い月の方が、現代人にそぐう形であるとも言える。
元気が出て、午後の仕事もがんばれる。それっていい月ではありませんか。
この詩における「貴方」は、読者それぞれがそれぞれの「貴方」を思ったらいいと思う。ここはぼんやりとした置き方で、これでいいと思います。
うむ、いい詩だと思います。秀作あげましょう。
文体がしっかりしてきたので、もう長いものを書いても、破綻しないで書けると思いますよ。
●上田一眞さん「十歳の夏」
高度成長期になると、大都市圏やその産業に絡むところは人の出入りが活発になってきたので、因習みたいなものも否応なしに薄まってきたのかなと思うところがあるのですが、高度成長期って、かなり地域差が出た時代でもあるので(だから集団就職とかもありましたね)、人流の少ない地域では、特に陸の孤島みたいなところでは、悪しき因習みたいなものが、より長く残っていたのかもしれません。
その学年だけで済んだのかどうかわかりませんが、子供の頃は「一日」が、すごく長い時間ですから、そこからの四年間は、さぞかし長い時間であったことでしょう。お察し致します。
しかしながら思うのですが、日本人の性格によるものなのか、はたまた人間の性格によるものなのか、クラスに一人、いじめられっ子がいるというのは、今も変わっていないような気がします。一人、いじめ対象を作ることで、自分たちを安定させようとする、人間の情けない性分は、今の時代にも通じているような気がします。
上田さんの詩は、昔のことを描いているようで、人間の本質を突いているから、今の時代への共通項があり、現代の教訓にもちゃんとなっています。そこがいいと、いつも思っています。
名作を。
文体が、より磨かれてきましたね。一段上がった気がしますよ。
この詩、「うぐし」の話の続編という位置づけ(その後の自分に起こったこと)で、代表作入りさせてもいいと思います。
●理蝶さん「ビーズ」
理蝶さんは、長いの専門かと思ったけど、短いのも書けてるね。
ハッとさせられる、ステキな詩だと思います。
終連とタイトルの「ビーズ」の配置もグッドで、これにより詩全体が「ビーズ」の暗喩になっている気さえしてきます。
7連、
おんなじことで
吹き出してしまった
は、正直ちょっと謎の言葉なんですが、でも詩中、すごく効いている言葉なので、一つぐらい謎のままで置いておいてもかまわないです。これが結論。
結論を先に言った上で、何が謎かというと、これの意味が複数に解釈できてしまうことと、脈絡として一番順当なのが、1~6連の様子が思いがけず過去の記憶と重なったことを意味してると受け取るのが順当なんですが(これが順当となる書き方をしてるので、こう誤解されても否定ができない)、なんとなくこれじゃない匂いがしてることです。
気になった点はそこだけです。後ろ4連は凄くいい。
ちょい甘、名作を。
舞い降りてきたビーズを大切に。
●秋乃 夕陽さん「受難曲」
第九をやるというので、社会人になってまだ4~5年しか経ってない時に、一度だけ参加したことがあります。
年齢の違いも、普段の職業や立場の違いも、全部取っ払って、みんなで一つの曲に向かう時の、平等な一体感のすばらしさは今も覚えています。それが市民合唱団のいいとこじゃないんでしょうかね。そこを抜きにしてはあり得ないと私は思うけど。
なんなんでしょうね、その指揮者。自分のことしか考えてないのか、あるいはその曲に関し、自分独自の解釈を持っているのか、(もしかしたら複数箇所に問題があって、修復するのに時間がかかるという意味の「厄介」なんだろうか?? だから他パートから先にやってるんだろうか?? だとしてもその言い方はない!!)
その人の実績は知らないけどエライ人かもしれないけれど(たしかにプロの道に進む人は容赦ないですけどね)、少なくとも市民合唱団に向く人とは思えないな。
でもね、佐渡裕とか、本当に優れた指揮者というのは人をまとめるのも上手ですよ。ちょっと居合わせたことがありますけど。だから、つまるところ、その指揮者はハズレなんでしょうね。外の世界をあんまり知らない人じゃないのかな。
作品ですが、初連で、作者が理解するところの曲の概要を述べてくれているところが、まず良いです。
3連前半ではその曲に挑戦する作者の努力を書いてくれていますが、それに対峙するように、2連では対照的な指揮者の態度がある。
それらにより、事態の状況が見えてきます。
それだから、3連後半から終連にかけての、作者の失望もよくわかるというものです。
きちんと書いてくれているし、この曲を知らない人にもわかるように、音楽的な部分も配慮されてるのもいい点なんです。このサイズの詩としてはこれでいいと思うんですが、音楽的な部分は、今書いてる部分を入り口にして、もう一歩踏み込んでもいいと思う。その方がもうひと回り大きな詩になれます。
詩のサイズは、最初から決めてかからず、長ければ長いでかまわないので(ネット上では何行書いてもタダですから)、書きたいことをまず書きましょう。構成さえちゃんと取れていれば、少々長くてもそんなに破綻することありませんから。
ふむ、秋乃さんはある程度書いておられる方とお見受けしました。
私は今回、初回になりますので、感想のみですが、この詩はマルです。