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昔のこと
私は両手を地につき
私は両膝も地につき
多くの助けの中に生きていた
やがて立ち上がり大地を両の足で踏み締め
空を見上げて夢や希望に心包まれた
だが年月は残酷なまでに早く過ぎゆき
持ちきれないほどの思い出と
数えきれないほどの後悔と懺悔
それでも懐かしむ時には微笑みを与えてくれた
やがて私の足腰は弱くなり杖が必要となった
杖を持ち 杖に頼り 杖と共に歩いている
まだまだ人様の肩を借りるまででは無い
こうして立ち止まり胸を張り空を見上げられる
まだまだ歩きたいのだ
一本増えた私の足は
今日もゴツゴツと力強い音を立てる
野分けが日の本に近づき、上陸するのも時間の問題の中、
不安が募るばかりの夜を迎へるが、
子どもの頃は野分けが来るのが嬉しくて仕方なかったのを思ひ出すと、
なぜ、あんなに興奮できたのか、
それは野分けの圧倒的な暴力性にあったのではないかと今は思ふ。
野分けの無慈悲な暴力性は地上にしがみ付いて暮らす人間を
運が悪ければ家屋は破壊され、
冠水した道路に突っ込んで溺死する人や
土石流で命を落とす人など、
人命が危機にさらされるその暴力性は圧倒的なのだ。
人間の営みの何と小さなことかと思ひ知らされる野分けの悪魔性は
どう足掻こうが人間が太刀打ちできるものではなく、
太刀打ちできないから人間はうち捨てられた人形のやうに
野分けに弄ばれ、最悪の場合、命を落とすのであるが、
その無惨な様は悪魔の仕業としか思へぬのである。
野分けは容赦がない自然の出来事ではあるが、
自然とはそもそも人間に容赦がないもので、
自然環境の激変で人間の文明は幾つ滅んでいったことだらう。
だから、それでも生き延びるのだ。
生き延びて野分け一過をこの目に見るのだ。
何があらうとも生き延びての始まりであり、
死んでしまったなら、野分けの思ふ壺なのだ。
人間はある意味反自然的生き物であるその筋を通すためにも
生き延びるのだ。
――――――――――――――――――――――――――――
※野分けは今でいふ颱風のことです。
今回の台風はとにかく移動速度が遅いのが怖い。
暴風圏に入る関西ではほぼ24時間に渡り、強い風雨にさらされそうです。
台風の中心部付近にも、長時間に渡り居座られることになる。
とてもやっかいな台風です。
木造家屋に住む者としては、家が持つのか、かなり不安。
名古屋~岡山間にお住まいの方は、とりわけご注意下さい。
ご無事を祈ります。
ご感想ありがとうございます。この詩はある知的障害の方に接吻を要求したいと思い書いた詩です。その願いは叶いませんでした。
無駄のない言葉の流れ、言葉の無駄のなさ。シャープな視点を評価頂けたのだと感じました。計算高さではないです。もっと繊細な熱情のようなものなのだと思います。ありがとうございます。考えてみると、繊細とクールは違う。意外とよく言われるクールは大雑把で済ましがちですね。大雑把に済ましておいて、それがクールという履き違えの世界を我々は生きているのかも知れません。
青島江里様、「ポンコツ悲歌」の評ありがとうございます。
青島様が、もしかしたなら愉しんで読んでくださったのかなと思い嬉しく思います。
確かに私はポンコツでどうしようもないのですが、それでも生きるという前向きなところを特に強調してくださりありがとうございます。
ただ、最後の一行が身も蓋もないということで、どこかに希望を見出せる終わり方が良いという示唆に富んだご指摘その通りと思いました。
しかし、私としては、希望は悉く幻想なのではないかという思いがあり、希望なしでも行きくて行くという覚悟はありますので、最後の一行はあのようになってしまったのかもしれません。
言葉の選び方は難しいです。
だから詩も書き甲斐があります。
ほんわりと佳作の評、ありがとうございます。
井嶋りゅう様、「ただ月満ちて」の評、ありがとうございます。
大変丁寧に読み込んでくださり、頭が下がる思いです。
「馬鹿な」が余計ではないかとのことですが、あるいはそうかもしれません。
ただ、私としては理論というもので出来上がった、例えば、科学的論理に比して人間の五感は果たして優れているのか分からないので「馬鹿な」を付けました。
論理と五感の齟齬が私にはあり、そのモヤモヤを埋めるか形で「馬鹿な」と付けたのかもしれません。
一連の読みの後、二連の読みは「井嶋りゅう様、さすが」と思い評を読みました。
佳作の評ありがたいです。
ありがとうございます。
雨上がりの道路の水たまりに
ハナミズキの枝が映って揺らいでいる
澄んだ空にカラスがカアと声を上げる
遠くのカラスがカアと返事をする
何度も呼び交わして
そのたびに確認し合って
「ねえ」
「うん?なあに?」
当たり前の夫婦の言葉の交わし合い
いま身もだえして欲しがっても
その相手は空のなかへ入ってしまった
行方は杳として分からない
※都合によりお先にいかせていただきます。
◎8月 8日(火)~ 8月10日(木)ご投稿分 評と感想です。
☆ポンコツ悲歌 積 緋露雪さん
自身がポンコツであるという悲哀がじわじわと伝わってくる作品だと思いました。自分は不器用でダメな奴だ、他人からは無様だ思われているとしながらも、決して自己嫌悪の沼にはまり込まず、「やっとの思ひで日常を過ごしてゐる」ということからわかるように、生きていくことを捨ててはいないという、自分が自分らしく息をできる隙間を探ろうしている芯の通った力を感じさせてくれました。
それは、言葉に記すだけではなく、実際に、仏像を彫るという例を取り上げ、読み手にも伝わりやすくしているところは、とてもよかったと思います。夏目漱石は『夢十夜』をとりあげ、よい自分を表現していると思うと「そこはポンコツ」としたりしている。そんな自分を上げたり下げたりしているところは、自身の中で感じているポンコツ度を浮き彫りにしていると思いました。
読み手の私自身がポンコツで、この詩の中の登場人物の方に何もよい術をお伝えすることはできないですが、全国のポンコツの皆様、或いはポンコツファンの皆様(実際いるのか??)には、ポンコツでも生きていいのだという思いを、胸に浮き上がらせてくれたのではないかと思います。ということで、このままでも充分で問題はないのですが、欲を言えば最終行「しかし、ポンコツはさうして生きて行く外に術がないのだ」ですが、個人的にはあきらめの境地で終わらせるのではなく、0.01%でもいいので、ポンコツなりの良さを感じさせてくれる救いのような言葉があればなぁって思ってしまいました。今回はふんわりあまめの佳作を。
☆寝ピク 喜太郎さん
寝ピクっなんだろう?って、一瞬思いましたが、読み進めてみると・・・・・・
確かに!あるある!見たことあるある!って、頷いてしまいました。これを詩のモチーフにしようとするこの発想、かなりユニークな視点だと思いました。
寝ピクの様子を、きっちりと写実してくれていますね。その様子を浮かべやすいのは浮かべやすいのですが、事実をそのまま書き写した感がちょっと強めに出すぎているような気がするので、自身の気持ちをもう少し入れ込んでみるスペースを広げてみるのもいいのではないかなと思いました。
例えば、「もう………と思いながら」の「もう………」の部分。その部屋の空気の感じとか、自身の鼓動の様子とか、作者さんなりの表現で一歩踏み込んでみると、詩の全体の雰囲気が違ってくるように思えました。作品の数ヶ所で置き換えることのできる部分があるように思えます。こういう作業も詩を作る時の楽しい作業の一つでもあると私は思っています。また時間があったら挑戦してみるのもいいかなと思います。
発想がとてもユニーク。ありそうでないような視点。よい刺激をいただきました。今回は佳作二歩手前で。
☆紫陽花らしさ 紫陽花さん
名前って、単なる単語ではなくて、人の気持ちが入っているというところがいいですよね。
親から願いを込めて名前をいただける。それって、とってもありがたいことだと思います。
私が紫陽花っていうお名前に遭遇するのは、初めてなのです。ペンネームとしての「紫陽花」にお会いすることは幾度かあるのですが。「あじさい」ではなく、花ではなく、人の名前として他の読み方でというのは初めてなのです。
最初に私が迷ってしまったところを。こちらの「紫陽花」なのですが、親からもらった呼び名の正式な呼び方が作品のどこにも見あたらなかったところです。「ひーちゃん」や「さやちゃん」など、一部であるものがしるされているのですが、どちらも全然違う呼び方になってしまうので、いったい、このお名前の呼び方は?って、モヤってしまったのです。
正式には、こう読みます。人からはこうなのでこう呼ばれています。その二点がわかるような表現が部分的にでもあれば、すらすらと楽しめたと思います。一連目の「そして私の名前は紫陽花」のあたりに、「○○と読みます」ぐらいの言葉を追加してもいいかもしれないですね。ここがとても惜しいなって思ったところです。
これ以外のところは、ご自身がこの世に生まれて授かった名前への愛がとても感じられて、読み手としての私も、心地よい温もりに包まれました。
この作品で一番印象深かったところは「きらきらと明るく輝くように
そんな願いを聞いたことがある」です。
雨に濡れてもしょげない。それどころかきらきらと明るく輝いている。まさに紫陽花のお花ですね。雨に生まれた我が子への愛情が強く感じられました。そして、この思いをずっと忘れずにしまっているご本人の気持ち。とても清らかで。名前のごとく、幽霊と呼ばれてしょげそうになっても、明るい気持ちでそれを雨に濡れる花びらのように流してしまう。そんなエピソードも素敵でした。
紫陽花のさやちゃん期が始まった。まるで、自身の名前の遍歴を名前の歴史のように思ってみるところも、名前への愛を感じました。名前についてのあたたかな思い入れがつまった作品。今回は佳作半歩手前で。
☆月夜の晩に えんじぇるさん
とつとつと、独り言のように語られてゆく詩のリズムがあります。
詩は土→声は土、土を受けてからの砂。荒れ狂う海で石を打ち砕いてできた砂からの、海、そして水。次は羽。これは海鳥から続いていると想定することも可能だと思いました。ここから飛んでいきたい場所が月だとの飛躍。この月、満月でないところがミソですね。かけている月ということで、足りないから愛に続いています。そして愛からの人の温もり。人から人という自分にかえってきました。
これらの隠された言葉の循環具合がとても繊細だと思いました。頭の中で浮かぶ空想の様子が丁寧にまとめられていると感じました。そしてひとかたまりとなって、最終連の「逢いに行きませんか?」の理由と化しているようにも思えました。
そして、詩全体の静かな雰囲気は、月夜のイメージを表現するのにぴったりだと感じました
☆夕空 山雀詩人さん
〝世界〟とは
地上のことだと思っていた
一行目から衝撃の一行ですね。いったい次の連にはどういう世界が待ち構えているのか?と思わせてくれます。え?異次元のこと?宇宙とか?など、日常とは違う非現実的なものが浮かんできたりしたのですが、次の行を見てびっくり。驚くほどの日常にある言葉の連鎖。そしてまた、「人がいるところが世界なのだ」と言ったかと思うと、「でも違った」と。この二転三転する四連、重要だと思いました。ここがきっちりと書き込まれていることにより、次の連からの独自の世界のラインがくっきりと、わかりやすく表現しやすくなっていたのだとも思いました。すんなりと飲み込めました。
7階のこの部屋から見ると
7割以上が空なのだ
地上はたった3割未満
作者の独特の気づき。これをもとに展開されてゆく後々の詩の世界。情緒あふれる世界になっていると思います。寝ている母を訪ねるシーンは、とても印象深く。そして、空を夕空にしたところ。一日の終わりが近づくというイメージと、一人の人生の終わりが近づいているかもしれないというイメージが強く重なり合っていて、じわじわとしたものがなしさが迫ってきます。
いや 横たわった母からは
もう空しか見えないだろう
そういう意味では母はもう
空の住人なのかもしれない
もしかするとこの夕空を
自由に飛んでいたりして
これらの作者さん、地上と空の感じ方に関する独自の表現が目をひき、心を打ちます。母と共に生きる日々。あと少しかもしれない共に生きる日々、そして自身の寂しさが、どこにでもあるものの、あちこちに刻み込まれているようにも思える作品でした。秀作を。
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台風7号、関西圏接近中。数年前の21号でとても怖い目にあった私は、できる限りの準備をし、おびえながら祈るのみ。暴風域、または、コースがそれていたとしても、影響をうけそうな地域にお住まいのみなさま、どうぞご安全に。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
はじめまして。
ご感想ありがとうございます。
鬼灯はたまたま鬼灯を両腕で一つずつ担いでいた方がいらっしゃり、
その人を見て「ああ、夏っぽくていいなぁ」と思って、どうしても入れたくなりました。
最後の行は口に出して読んでみて、なんとなく決めた感があります。
次回からは是非ともよろしくお願いいたします。
感想ありがとうございました。