MENU
947,207
固定された投稿

★★ << 2つの掲示板のご案内 >> ★★

◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。


◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、

   <<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear

をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。

どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!

編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

十七歳のソネット ― 情熱の原点 ―   U.

―― 夢しかない中で窒息してしまいそうな時に ――
流れる十月の空気だけが止まった陽の中で
恋人の甘えのように絡みつく
蒼ざめた身体を両手で抱きしめ
内に潜む震えに身を摺り寄せる

秋にしてはやけに暖かな風が
死に絶えた夏の亡骸を弄ぶ
夏の忘れ物のようなこの風が
私達の間をすり抜ける

迷路の中で行く先を見失い
子猫のようにただ泣いていた
それでも、胸には夏の陽が潜み
良く分からない想いをただ吐き出していた

そして、いつも教室の開け放たれたドアの向こうを、見続けていた
夢の向こう側にあるものを、見続けていた

編集・削除(未編集)

三浦様 評のお礼  荻座利守

この度は私の詩の「張りぼての牛」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
佳作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。

造られたものがすぐに陳腐化し、あるいは意図的に、計画的に陳腐化されて、次々と新しいものに買い換えられてゆく。そうしないと経済が回らない、そんな世の中をみ見て、この詩を書きました。
そのようなシステムのもとでは、いずれは、ものを造る造り手もまた消耗して、次々と取り換えられてしまうのではないかとも思います。
そんな社会にならないことを願っています。

今後とも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

感想と評 10/21~10/24 ご投稿分 三浦志郎  10/28

都合により、お先に失礼致します。


1 cofumiさん 「鏡」 10/21

鏡というのも詩になりますよねー。鏡を見ることは自分を見ることなので、ひとつのバロメーターになるでしょう。いい発想です。これは鏡の独白という形を取った、(詩の上での)今の自己周辺です。擬人化という点では、ありがちな範疇ですが、これ、おもしろいと思います。他の読み手さん用に書くと「君=自分」 「僕=鏡」。ここまで書いて来て思い出したんだけど、自分のことを「私」と書かず、全て「あなた」で押し通した小説がありました。感覚としてはそれに近い。プラス、ここでは鏡が介在しているのが、その小説より興味深いのです。この人は今意気消沈しているようですが、鏡はいい時も知っている。だからこそ「不幸じゃなくて幸せを味わっている」「幸せの味は甘さも酸っぱさも辛さもある」という主旨の励ましと言えるのでしょう。いい鏡をお持ちです。この詩は終連が一番良いです。「歯が好き」「歯を見せてくれ」は、すなわち「笑顔を見せてくれ」の励ましでしょう。もしかするとこの詩は終連のためにあるのかもしれない。(ガンバレ、俺)みたいな詩でしょう。
読んでいて、どんな鏡かが割と気になりました。ずっと昔からあるようだし、洗面所にあるようなものか、行動も見ているようなので、姿見のような大きな物か?などです。もうひとつ印象深いのは、”鏡と一生付き合う”女性でなく、この詩は男性である点、けっこう肝かもしれない。佳作を。

アフターアワーズ。
この詩で歯が出て来るのはおもしろいです。大昔「芸能人は歯がいのち!」ってCMがあったけど、なるほど、顔のパーツで眼の次に大事なのは案外、歯かもしれない。僕自身は、鏡は、とんと見ませんねえ。


2 妻咲邦香さん 「ダメージジーンズ」 10/21

わかる部分から書きます。「好きだと言うよ」以降です。ここは明らかに相手のいることですね。ここは額面通りに読んで行っていいでしょう。終連は、ここだけは反語的心情があるように思われます。
逆の心理が隠されているような。
日本語「いかした=憎い、特に仲の良い友人=悪友」  英語「凄くいい=BAD」 みたいな―。
問題はその前なんです。 まず「ダメージジーンズ」をイメージしてみます。
「長年はき古してくたびれたもの、擦り切れたり傷ついたり穴が空いたり」
でも手放せない。逆にそれが愛着になったり、自分の履歴になったり、積極的にお洒落の要素になる場合がジーンズにはあって、けっこう若者はそういうのを楽しんでる。それを自分の持つ何かとダブルイメージしているのではないか?わずかにそんな推測は成り立ちそうですが、よくはわかりません。以前だと何がしかの手掛かりがあるんですが、今回は見つからない。心地よいわからなさとも違う気がします。従って評価はパスさせてください。


3 麻月更紗さん 「秋の嵐」 10/22

少女趣味的なことを書いてしまうと、夜を込めて降った雨があがった早朝、その匂いのようなものが僕は好きなんです(昔、資生堂のCMにそんな雰囲気のものがあって、それ以来かもしれない)。この初連によって、僕の好みは満たされたような気がしています。「物干し竿に水滴」―このデティールが、またいいじゃありませんか。嵐が過ぎ去ったのを境にめっきり秋めいた、というのはけっこう世間でも感知されるのですが、この詩は文によって、それを感じさせてくれます。この詩を少し深読みするならば、台風が置き去って行ったもの、連れ去っていったもの、といったところでしょうか。
きれいで静かな詩なんですが、僕自身はちょっと物足りなさも感じたわけです。前述「物干し~」云々のようなアイテムが後半にもうひとつくらいあってもいい気がするし、終連の気分も軽く掘り下げてもいいかも。そんなわけで、佳作僅かに半歩前で。


4 エイジさん 「ガットギターの孤独」 10/22

佳作です。小サイズながら、その中で二人は大変良いものを共有している。それが詩文に乗って
味わい深く表現されました。いつもより一歩深いです。ぜひこのフィーリングをキープテンポしてください。端的に言うと、孤独のありようで、それはそれぞれの孤独であるわけですが、生ギターの音色で埋め合わせていく。それは癒しにも近づきそうです。ここにあるのは「弾くことによって埋める」と「聴くことによって埋める」のふたつの心の作用です。音楽の究極と言えます。それが収束としての終連でしょう。どういった音色かも、おのずと想像がつくような雰囲気です。「包むがいい(~~するがいい のパターン)―この表現、ニュアンス、いいですね。「ガットギター」という名称は久しぶりに聞いて新鮮でした。この詩の場面・表情は、ノンフィクションに近いのかもしれない。
「君」は製作者であり演奏者。

アフターアワーズ。
調べたことを書きます。ガット(GUT)はもともと羊や豚の腸から作った糸だそうです。現在は概ねナイロン弦が主流のようです。スチール絃より暖かみのある音がしますよね。この詩を読んで思い出したのはTVドキュメンタリーで小さな生ギター工房を取材したものでした。そこの主人も制作者兼演奏者でした。場所は失念。長野県だったか?あの辺りは空気澄んでるから木工楽器にはいいのかもしれない。個人趣味で言うと、ガットギターでシンプルなボサノヴァでも聴きたいですね(小野リサあたりか?)。


5 荻座利守さん 「張りぼての牛」 10/23

「取りつく島がない」とはよく使う慣用句ですが、この詩には「張りぼての牛」という取りつく島がある。
何が言いたいかというと、タイトルの牛という具体的なーあるいは形而下的な―取りつく島(対象)をはっきりと設けるのは荻座さんにおいて、やや珍しいと思ったからです。もうひとつは、タイトルにある牛のことです。実際に街中で見たのでしょうね。焼肉屋さんでもあったのかな?普通の人は「何だ、あれ、間抜けだなあ~」で通り過ぎることでしょう。その種のものを“島”にすることによって、詩上、気高いレベルの思想にまで持ち上げてしまう。ここに荻座さんの持つ詩的マジックがあるでしょう。
ここで詩と対象を仲介するのは「つくも神」。はい、これも調べました。簡単に言うと年月を経た道具に宿る精霊、とありました。この概念がこの詩の核になります。牛を起点として人と物の普遍へと迫ろうとしています。それが荻座さんにしてはショートサイズの中で行われている事に意義がある。結局、こういった概念は人が物に込めた愛情を幻想の上に具現化したもので、たとえば一流職人が入魂して造った物品など、そんな気配に溢れています。この詩はそういった風情が失われていく現在を嘆いているのか、それとも科学的にそんなものはそもそも存在しないことを思って悔やんでいるのか、おそらく両方の意味が込められているように思います。人が物を造る行為は責務、矜持、心身の消耗を伴います。いっぽう造られた物は新鮮から老朽へと歩むでしょう。そういった法則も含め、この詩は人・物の関係性や宿命をも示唆しているようです。
このサイズにして、この深み。 佳作を。


6 理蝶さん 「摩耗」 10/24

初評価ながら、現代詩的ながら、これは佳作とします。正直に書きます。初見(ナニ、これ?)と思ったのですが、読んでいくうちに引き込まれる魔力のようなものを感じました。その魔力の在り処を話したいと思います。
まずは、個々に距離感のあるフレーズ(平文では付きようのない言葉)が集合・同居して、解釈を100%伝えず、フィーリングで感じさせつつ、それなりの統一感を醸す(ここではタイトルの摩耗?)。これは、僕が考えるに現代詩の手法と思われます。音楽に喩えると、恐ろしくアクの強い演奏者が5人いて同じ譜面を合奏したとします(超プロが条件)。出て来るサウンドは、えも言えぬ音のうねりであり、ちょっと斜に構えたような不思議な統一感です。そんな感じ。特に2~4連に感じました。ここは身辺事情でしょうか。バラバラなフレーズを連れてきても、何がしかの統一を含みながらの不思議感。以降、言葉の存在が関わってきます。ここでは「こびりつく」という心情性・身体性に注目でしょう。「パブロフ」以降の連では、それぞれエンドのフレーズが強烈的、個性的。センセーショナルと言ってもいい。「夜逃げの邪魔」はもうケッサク以外の何物でもありませんよ。個々にバラバラだけど、タイトルの持つ(すり減らす)のイメージの結果としての心情。そこに危うい統一感がある。そんな風に僕は見てます。この開き直り・ふてぶてしさからユーモアさえ立ち上ってくるフィーリングも見逃せない。語り口調だから、よけい煽られるような―。おもしろかったです。


7 暗沢さん 「しのべるおりのうた」 10/24

正直に書くと、よくわかりません。おそらく原因は僕の古格表現の素養の無さにあると思っています。言葉をけっこう調べました。タイトルを漢字表記すると「忍べる折りの歌」―これで合ってますかね?
まず冒頭の2行、ここで感知されるのは、何か古典的な祭礼に用いられる面を造っているような―。
それを頼りに読んでいくことにしました。その面(?)に何か刺繡のようなものを施すかのようです。
さて、祭りらしい。しかも、この詩文から察するに相当、歴史的、土俗的、格式あるもののようです。
せっかく書かれたのですが、後はわかりません。それを造るにあたっての情景的・心情的な修飾句が多いと想像されます。ちょっと気になるのは7連の「いたっけ」と12連、それ以降最後まで散見される、ややくだけた語り口と、基調をなす古風格調ある文体が混在するのが不思議でした。
それと「ぼく」「私」「彼等」の使い分けが不明な気がします。わからないながらも、その点だけ指摘になるような気がします。冒頭の理由により、評価はパスさせてください。

アフターアワーズ。
古語の使い手として驚くばかりですが、その必然性は措くとして、古文の先生などをイメージしました。こういう分野を研究されているのでしょうね。難解漢字を使いながらも、タイトルはオールひらがななのが、ちょっとおもしろいです。


8 朝霧綾めさん 「きゅうりの詩」 10/24

以前、「詩にもっと食物を!」みたいなことを書いてみたのですが、この詩はそのリクエストに正面から応えてくれたようで、僕は嬉しく存じます。3連目まで「ふむ、ふむ」と思って読みました。そうですねえ、野菜のレギュラーメンバー。3連は事実なんですが、上2連を読むと「なぜだろう?」という気持ちは起こってくるわけです。ポイント衝いてます。思うに、和・洋・中華で脇役、漬物で主役。殆どの料理に参加できる強みが大きいんじゃないかと思うのです。この詩はきゅうりのことを真面目に考える契機にもなるでしょう。さて、これをさらに引き立てるには、例えばきゅうりの特性を掴んで、シャレとまでは行かずとも、何かウイットやユーモアがあると楽しいと思いました。それこそが「おもしろまじめ」の神髄でございます。そういう方向性もアリということで、参考までに。 佳作一歩前で。

アフターアワーズ。
ヒント的引用です。まどみちおさんの詩です。

「するめいか」
とうとう
やじるしになって
きいている
うみは
あちらですかと…

僕、この詩を読んだ時、笑いながら「まいった!畏れ入りました!」と思ったことでした。


9 さくたともみさん 「庭」 10/24  

ご存じかもしれませんが、「野趣」(やしゅ)という言葉があります。女性とか若い人はあまり使わない気がしますが。試みに調べると……
「自然のおもむき。野山や田舎に漂う素朴な味わい」とあります。もちろん肯定的に使われます。
出ていた用例 「野趣に富む庭」。正にこの詩でアタリです。
初見、一読。この詩は正にこの言葉ではないか、と思ったしだいです。前作の向日葵の詩と同様、散文的雰囲気と、それに見合ったような長さのフレーズもあり、そこから醸し出されるのは、ゆっくりとした映像と時間の流れです。
実際に観た親族の庭なのでしょう。視点は屋内の窓辺あたりが推測されます。あたかも窓枠を額縁とした風景画のような構図の詩です。おそらく「無造作」という方法が、たまたま良い方向に働いた結果の庭かもしれない。そういった各種アイテムの出し方もいい。「~な庭ではなかった」としながらも、最後、晴れ晴れと「美しかった」としたのは自信さえ窺えます。ある意味「野趣」の別名でしょう。 今回、初めて評価を書きますが、余力見て佳作一歩前で。

アフターアワーズ。
何の根拠も無いのですが、今回の作とお名前「さくた」が妙に似合っている気がしました。



評のおわりに。

いや、寒い!今年はいつもより寒い気がする。暖房つけるのがいつもより早い気がする。
いまやってる「朝ドラ」、ヒコーキ系と詩系がネタ。ミウラ好きかも? では、また。

編集・削除(編集済: 2022年10月28日 15:02)

リアル  大学3年生

敷かれたレールの上を行かない
あの主人公が好きだった
キラキラしてた
夢だった

敷かれたレールの上を行かない
あの主人公が嫌いだ
迷惑かけて自分勝手で
まるでそうはなれないわたしを
からかうかのように

目指したその背中は
あの頃と変わらずはるか先
縮まると思っていたその距離は
むしろ遠くなっていく

敷かれたレールの上を行かない
あの主人公になりたかった

編集・削除(未編集)

いつか

この言葉はあまり好きじゃないけど

あえてこう言うよ


いつか、また


きっといつまでも来ない、いつか


思い出を語り合うのもいつか

本音を言うのもいつか

好きだと言うのもいつか


脇目も振らずに君は進む


先のことを話すのはいま

おめでとうというのもいま

幸せにというのもいま


壊れそうになってたぼくも

いつの間にかすっと楽になれてた


そういう物だから


だから、

君をいつか忘れて、

僕もきっと楽しく生きてるさ


だから、

いつか、また

編集・削除(未編集)

鉄塔  山雀詩人

鉄塔が立っている
鉄塔が立っている
こんな山のまん中に
こんな山のあちこちに

いったい誰が作ったのだろう
よくまあこんなものを作ったものだ
都会のビルもすごいけど
よくまあこんなものをと思うけど

でもあれは単にスケールが
大きいだけといえばだけかな
十階建てが作れれば
百階建てもできそうな

その点鉄塔はすごい
だって作れる気がしないもの
そこまで行く道路もないし
資材置き場の空き地もないよ

どうやって作ったのだろう
人間技とは思えない
ある日突然ニョキッと生えた
たけのこみたいに立っている

それも一基や二基じゃない
まるで山を大股に
ドシンドシンと歩いたように
ひと山ごとに立っている

誰かがドカンと置いたんだろう
田んぼに苗を植えるみたいに
一歩歩いてドカン
また一歩歩いてドカン

いるんだなあ
そんな巨人が
いるんだなあ
ぜんぜん気づかなかったけど

ふだんどこにいるんだろう
山の奥のまた奥の
誰も知らない幽玄境で
山を枕にうたた寝してるのかな

何を食べてるんだろう
木かな、岩かな
ときどき雲を
綿菓子みたいに食べたりするのかな

いや、もちろん分かってますよ
人間が作ったってことくらい
YouTubeに作り方が載っていました
そもそも巨人なんているわけないし

いや、やっぱりいるかもしれません
だってほら、ぜんぜん気づかなかったけど
山が立っています
空が立っています
 

編集・削除(未編集)

寝海  hikiko

揺れる、私は揺れる

深い青の揺り籠で

光も音も届かぬこの青の中

歌声が聴こえる
優しく響く子守唄

輝きが見える
静かに照らす小さな月

マイナスに沈む意識と体温

そろそろ眠ろう

大きな布団に包まれて

もうお休みさようなら


青くhikiko と書いてあるペンネームを押した先の
ツイッターにて詩の解説を書いているので
そちらもよろしければ覗いてみてください。

編集・削除(編集済: 2022年10月26日 20:09)

奇跡  cofumi

「隣に座ってもいいですか?
ねぇ噴水は綺麗ですね
水しぶきが幸せの弧を描いています。
風や雨で形やリズムが崩れるけど
そんな歪みは私達にもあるよね。

公園でお弁当を食べると
なんだか三つ星レストランよりも
ご飯が美味しく感じるの。
特にこの漬物は祖母からの直伝で、
毎朝ぬか床に話しかけながら
少しずつ頂くの。
ねぇ、食べてみて。

不思議よね、コリコリって音に
何だか涙が流れてしまう。
祖母がよく言ってたの
手は自分のことを
全部知ってるって。
だから、ぬか床は自分の
人生の味がするんだって。
どうかな?

日本の人口は、1億2550万2千人
地球には、79億5,400万人の人が
住んでるんだって
だから、ねぇ出会えた事って
奇跡だよね。
奇跡って私には
縁がないと思っていたけれど、
こんな近くにあったんだね。
誰にでも奇跡は、
起きていたんだね。」

編集・削除(未編集)

世界は あくまで 相対的




「時間」も 「空間」も 「論理」でさえも 「相対的」

例えば あなたは 「時間の速さや長さ」を

「絶対的」に 「感じ」たり 「計っ」たり できるだろうか

そんな ことは 「絶対的」に できは しない


「絶対的」な 「時間」も 「空間」も 「論理」も ありはしない

あなたは 「絶対的」に「相対的な」 「空間と時間と論理」の

「世界」に 生きているのだ


あなたは「絶対的」な 「時間」と「空間」の「世界」にいると

「感じ」ているかも 知れないが


あなたは「絶対的」に「相対性」の「世界」に住んでいる


「相対性」からは 逃れられない


「論理」も また 「相対的」


どこまでも 小さな 「相対的」な 「論理」の「つながり」の中で

「相対性」の「論理」の 「関連」の 「矛盾」を あなたが どこまで

見つけられるのかが あなたの「論理」の「強さ」なのだ


たとえば 「小さな」虫の「大きさ」に なった 「自分」を 想像してごらん

「空間」や「時間」の 「連続性」は あなたには どこまでも 「正確」に見えるだろう


「論理」も 「小さ」な 虫になって考えれば その「連続の破綻」に 

どこまでも 「正確」に 考え「感じ」られるだろう


それが 「絶対性」と 「相対性」の 「世界の違い」だろう


「私」は「今日」も 「相対性」の「世界」のなかに 住んでいて

「相対性」の「不確か」さに 「苦し」み また 「恐れ」ている

編集・削除(編集済: 2022年10月28日 08:57)

エイジさんへ エラーの件  島 秀生

ここの掲示板は、レンタル掲示板の会社の方で、一部NGワード設定されてる言葉があります。
おそらく防犯の目的で、防犯上懸念される言葉について、してるんだろうと思われます。
ある言葉について、文学表現上使うことがあると、要望を出したこともあるのですが、取り合ってもらえずです。
なので、申し訳ないんですが、ご容赦下さい。
NGワードの全容については、会社側のシークレットになっていて、私もわからないのですが、
一つわかっているのは、漢字自体ではなく、漢字の活用形の一部について、NG設定がかかっている言葉があるようです。
そのようにご理解下さい。
私が回答できるのはそこまでです。あしからずです。

編集・削除(編集済: 2022年10月26日 03:22)
合計4746件 (投稿4746, 返信0)

ロケットBBS

Page Top