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論語でジャーナル’24

 曾子(そうし)曰く、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん。

 為政者が、人生の終わりである死、特に父母の死に対する儀式、つまり葬式を慎重に大切にし、何代も前の自分からは遠い先祖をいつまでも追慕し、祭礼を鄭重にするならば、一般の人民の行為も篤実・誠実な方向に落ち着くであろう。

※浩→為政者が人民のモデルとなるべきことを、ここでは先祖を追慕する儀式や親の葬礼のあり方で述べています。当時は階級社会で、為政者に比べると人民は葬式も先祖祭りも質素だったでしょうが、それでも為政者が儀式を慎重に行っていれば、一般人の風俗もそれに応じて、質素は質素ながら美しいものとなる、ということでしょう。
 曾子は孔子の弟子のうちでも、血族間の善意を特に重視する人でした。現代の私たちの世代は、まだ先祖供養とか墓参りを大事にしています。次の世代はどうなっているでしょうか、いささか怪しい感じもします。
 私の母は、実家と嫁ぎ先と両方のお墓に厳重にお参りしていました。子どもの私たちも両方へ一緒について行きました。母の実家のお墓は岡山市(中区)東山の墓地にあり、嫁ぎ先の(北区)栢谷の墓は家のそばの山を少し登ったところにありました。父親は信仰心がなかったのかどうかわかりませんが、母子がお墓の山へ登ろうとしていると、「仏さんはどこにでもいるからここから拝んでも同じだ」と言って、私たちと一緒に登ったことは一度もありませんでした。まあ理屈は通っています。仏様は偏在されるという説もありますし、念仏は心で唱えますから。母は毎朝、お仏壇へご飯とお茶をお供えしていました。すると父は、「生きている者が先じゃ」と、罰当たりなことも言っていましたが、これも一理ありますし、父の死後は、母がときどきお仏壇の朝のお供えより先に子どもたちに食べさせて、「お父ちゃんは『生きている者が先じゃ』と言っていたからいいの」と笑っていました。そのおかげで私も現在父のお墓へ行けないときは、自宅の仏前で合掌しています。父の考えはまあ「合理主義」なんでしょうか。妹が帰省しているとき、お仏壇へのお供えを後回しにして私たちが先に食事をしていると、「お父ちゃんは生きている者優先だったね」と大笑いしています。甥や姪たち(妹の子)は「おばあちゃん子」だったので、今でもそれぞれ都合の良いときにお参りしてくれています。親のする子とを見て子どもは育っています。
 私はお盆とお正月には必ず妹と一緒に墓参りします。帰りには(北区)横井にある「夜寿司」で豪華なお昼ご飯をいただくのが定番でしたが、最近は駐車場が満車になることが多かったです。待ち時間をたずねると、「予約優先です」と言われて、それ以来そこは利用していません。その後は、美味しいものを買い込んで自宅でゆっくりいただくようになりました。2020年からコロナ禍のため妹は帰省しません。コロナももうそろそろ全滅してもいいのに、最近あちこちでまた増加傾向のようで、学校が休校になっています。私が利用する理髪店の親子が感染して、そのため10日に予約していたのがキャンセルになりました。1週間後で再予約できました。

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中国語講座7/11

第12課 「~分(時)間……をします」
<スキット>
Dui4buqi3! Dui4buqi3!
对不起!对不起!
すみません!すみません!
Ni3 gan4huor2 ba. Wo3 xiu1xi shi2 fen1zhong1.
你干活儿吧。我休息十分钟。
さあ仕事をして。私は10分休憩するよ。
Hao3 de, nin2 xiu1xi ba!
好的,您休息吧!
はい、休んでてください!
(洗い物をすませて、テーブルを消毒し終えたら、店長がチャーハンを出してくれた)
Kuao4 chi1 ba.
快吃吧。
早くお食べ。
Dian4zhang3..., xie4xie nin2.
店长……,谢谢您。
店長……、ありがとうございます。

<解説>
@ 干活儿 gan4huor2 = 仕事をする
@ 吧 ba = (軽い命令)~してください
@休息 xiu1xi = 休憩する
@ 分钟 fen1zhong1 = 分間
 钟 zhong1 ←鐘
@ 好的 hao3 de  = はい、わかりました
※「仕事をする」
 仕事全般=工作 gong1zuo4
主に力仕事=干活儿 gan4huor2

<キーフレーズ>
Wo3 xiu1xi shi2 fen1zhong1.
我休息十分钟。
私は10分間休憩します。
※「時間の長さ」は動詞の後ろに置く。

一分钟 yi4 fen1zhong1 = 1分間
三十分钟 san1shi2 fen1zhong1 = 30分間
十五分钟 shi2wu3 fen1zhong1 = 15分間
xiu1xiの「xi」は「xiou」の「o」が省かれている。発音するときは復活。

<練習>
「私は30分休憩します」
Wo3 xiu1xi san1shi2 fen1zhong1.
我休息三十分钟。
「私は1時間休憩します」
Wo3 xiu1xi yi2 ge xiao3shi2.
我休息一个小时。
「私は2時間休憩します」
Wo3 xiu1xi liang3 ge xiao3shi2.
我休息两个小时。
「私は2時間半休憩します」
Wo3 xiu1xi liang3 ge ban4 xiao3shi2.
我休息两个半小时。
「私は毎日8時間仕事をします」
Wo3 mei3tian1 gong1zuo4 ba1 ge xiao3shi2.
我每天工作八个小时。

<ひと言>
「ゆっくり召し上がってください」
Qing3 man4 yong4.
请慢用。

<ピンイン> yiの変調
yiは本来「第一声」。後ろに来る成長で変化する。
・本来の第1声
 yi1 一(一)
順番を言うときは、第1声のまま→第一课 di4 yi1 ke4 第1課
・後ろに第1声・第2声・第3声が続く場合、「第4声」に変化
一千 yi4qian1
一年 yi4 nian2
一百 yi4bai3
一直 yi4zhi2(まっすぐ)
一起 yi4qi3
・後ろに第4声が続く場合、「第2声」に変化
一万 yi2wan4
一下 yi2xia4

<街角中国語>
鸡肉咖喱饭 ji1rou4 ga1li2 fan4 (チキンカレーライス)
金枪鱼丁盖饭 jin1qiang1yu2ding1 gai4fan4 (マグロ丼)
拿铁咖啡 na2tie3 ka1fei1 (カフェラテ)
玻璃杯 bo1libei1 (グラス)
筷子 kuai4zi (箸)
勺子 shao2zi (スプーン)
叉子 cha1zi (フォーク)

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論語でジャーナル’24

 子曰く、君子は重からざればすなわち威あらず。学べばすなわち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすることなかれ。過てばすなわち改むるに憚ることなかれ。

 紳士は堂々としていないと威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。忠実と誠実を主要な道徳とせよ。自分に劣る者を友にしてはいけない。過失を犯したら、躊躇しないで改めなさい。

※浩→君子(紳士)たるものの心得を簡潔にまとめています。この箇所(条)は在職中に、「現代社会」の授業で生徒に暗唱してもらっていました。「現代社会」の中には政治経済の他に社会学や心理学や倫理学の分野があって、大学で倫理学専攻だった私は「倫理学」「心理学」の分野を省かないで丁寧に指導しました。教科書では心理学の分野はほとんどフロイト心理学とユング心理学でしたが、私は強引員アドラー心理学を追加しました。「現代社会」がスタートしたころは4単位でたっぷり余裕があり、こういう工夫もしやすかったです。1学期間に約10個、古今東西の名文を選んで暗唱してもらいました。古代ギリシャ哲学から古代インド、中国思想まで幅広いものでした。生徒たちは不思議なくらい真面目に取り組みました。次の暗唱文が指定されると、生徒たちはいつもメモ用紙を携えて、廊下を歩きながらブツブツ……、休憩時間に教室内でブツブツ……と覚えて、覚えたと思ったらいつでも私をつかまえて唱えていいことにしました。その熱心さには感服しました。私はいつでもどこでも対応できるように、前もってきちんと覚えておかないといけません。もともと覚えることは好きでしたから、まったく負担には感じませんでした。今でもほとんどを思い出せます。1996年に南輝小学校へ講演に行くと、岡山工業高校土木科の卒業生の秋葉伸介君が子どもさんの保護者として参加していました。講演後、わざわざ校長室をたずねてくれました。岡山工業高校赴任の年の、問題だらけだったクラスの超真面目組の1人です。「先生、あの暗唱のおかげで、大学の哲学で大助かりでした」と感謝されました。
 この「君子は重からざれば……」は、紳士としての心得が述べ尽くされていて、日常実践したい名言です。人間としての威厳・風格も必要ですし、学んで知見を広げて心を柔軟にもしたい。学べば心が頑固でなくなるのは、選択肢が増えるからでしょう。いつも真実と信頼を大事にしたい。自分より人間として優る人を友だちに持ちたい。間違ったと思ったら、あれこれ言い訳をしないで、きちんと謝罪もして、自分を改めたいです。

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しごとの基礎英語7/09

<ジョブキソ2>
#取引先とのディナーでお勧め2店(焼き鳥と海鮮)を紹介された!
「どちらでもいいです」と伝えるには?
Which do you prefer, yakitori or seafood?
→I can't decide. I don't care anything. …?
☆I don't care anything. と言うと「どうでもいい」(無関心な)ことになる。
☆模範
 Both sound great! (両方すばらしく聞こえる)→「いいね!」
 他に、感覚を表す単語=feel, tasteなど…
(見たところ)「どちらもステキですね」
Both look fantastic!
(3つ以上のものでどれもいいと思ったら)「何でも結構ですよ!」
Anything will be fine!

#ワンポイント
Both sound great!に続いて、Please choose.と言いたい。受けるだけでなく投げ返す。

#まとめ
Which do you prefer, yakitori or seafood?
Both sound great! Mr.~, please choose.

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論語でジャーナル’24

 子夏(しか)曰く、賢を賢として色に易(か)え、父母に事(つか)えて能(よ)くその力をつくし、君に事えて能くその身を致し、朋友と交わるに、言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖(い)へども、吾は必ず之を学びたりと謂(い)わん。

 人は、美人を好むと同じように賢人を尊敬しないといけない。父母につかえて力の限りを尽くし、君主につかえて一身を捧げ(命まで投げ出すことではない。生命と身体を軽々しく犠牲にするのは無教養な人間のすること。職務を愛することわが身を愛するごとくあれという意味か)、友だちと交わって、一度言ったことを決してたがえない。そういう条件を備えた人なら、たとえ本を読んで正式に学問をしたことはなくても、私はこれこそ「学者」だと言いたい。

※浩→子夏は曾子とともに年少の秀才です。曾子は孔子の祖国・魯に残って先生の道を継ぎましたが、子夏は西の魏におもむき、文侯の顧問となりました。
 「賢を賢として色に易え」は、論語の中で最も異説が多く最も難解な句です。「賢人を美人のごとく尊敬し」「賢人に遭遇したらハッと顔色を易(か)えるくらい尊敬し」「賢人は尊敬し美人は軽蔑し」……と、解釈も多様です。
 「賢人を尊敬する」で私がまず思い出すのは、出身校・丸の内中学校(現在は都心部の人口減のため廃校)の高崎毅先生です。先生は、大学卒業直後のフレッシュマンで、パリッとしたスーツ姿が素晴らしく、インテリでいて気取ることなく、しかも子ども好きで、当時人気ナンバーワンの先生だったと思います。私はこの先生のカッコ良さに憧れて社会科の教師になりました。
 子どものころは、衣類はだいたい兄のお下がりを着ていました。5歳上の兄は10歳で亡くなりましたが、当時(昭和20年代)は、衣類はいたんだらつぎはぎをして着るのが当たり前でした。それでも、きちんと洗濯して清潔なものを親が着せてくれていました。高校生くらいになると、カッターシャツは親戚のお兄さんのお下がりを着ていました。買いたての新品を着ることはまずありませんでした。大学を出て、初出勤するときにスーツは月賦で買いました。やっと自分のお金で買えた喜びはひとしおでした。
 丸の内中学の卒業アルバムを今も大切に保存してあります。当時この学校は1学年9クラスのマンモス校でした。3年生のときのクラスはC組で62人のマンモス・クラスでした。卒業アルバムといっても、今と違って超シンプルのオールモノクロ、ページ数もほんのわずかです。先生方のページが1ページと9クラスの生徒の集合写真のそれだけです。部活動も修学旅行も載っていません。最近の派手なのとは違います。紅白歌合戦が昔と違ってド派手になったように、卒業アルバムもオールカラーでどんどん派手になってきました。アルバムに懐かしい顔をたくさん発見しました。1年生のときの担任は串田義夫(?)先生で、やはり社会科の先生でした。若い高崎先生と違って普通のおじさんという感じでした。わが家では私の進路に関して、父親の希望は倉敷工業高校電気科でしたが、母は「家には財産がないから学力だけで就職できる公務員か教師がいい」と大学進学を希望していて、夫婦で意見が対立していました。アドラー心理学で言う家族価値が、「学力」だったわけです。子どもは態度決定しないといけません。保護者懇談会で担任の串田先生が、「大森君は成績が良いから(学年で常に2番か3番でした)ぜひ大学へやりなさい」とおっしゃったそうで、母は「うちはとても学資を出す余裕がない」と言うと、先生は「奨学金を借ればいい。教員になれば返済を免除されるし、家庭教師などのアルバイトもできるから大丈夫です」と応援してくださいました。結局、母は父親を説得したか無視したかで、私は普通科進学校・操山高校へ進学して、無事、岡山大学教育学部に合格することができました。
 最近では、賢人というと偉大な野田俊作先生と岸見一郎先生です。このお二方と同じ時代に生きていることに無上の喜びを感じています(残念なことに野田先生は2020年12月に他界されました)。
 野田先生のご両親とのかかわりは、「父母につかえて力の限りを尽くし」、そのまんまでした。「友だちと交わって、一度言ったことを決してたがえない」ようにしっかり心がけていきたいです。
 「そういう条件を備えた人なら、たとえ本を読んで正式に学問をしたことはなくても、私はこれこそ「学者」だと言いたい」はどうでしょうか。アドラー心理学を学ぶ人を“アドレリアン”と呼びますが、自信をもって自分をアドレリアンと呼べるように精進していきたいです。

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