5月句会を始めます。
下記開催要領に従い奮って投句願います。
現在までの投句者は、えっちゃんあら、コビトカバ、ラガーシャツ、森野、弥生、ABCヒロ、夏蕨、ちとせ、ふうりん、ヨヨ、尾花、にゃんこ、和談、の皆さんの13名です。
5月度みんなのネット俳句会・開催要領
1・投句期間 5月5日(月)~5月10日(土)
2・投句 当季雑詠 5句まで
3・清記発表 5月11日(日)
4・選句 8句選句 5月11日(日)~5月13日(火)
5・成績発表 5月14日(水)
6・その他 投句代行可、投句後の訂正、差し替えも可
投句内容は幹事が確認次第、非表示にします。
句会開催中であっても一般の書き込みは制限はしません。
投句後の訂正依頼のやりかた
(誤) 古池や海豚飛び込む水の音 バショウ
(正) 古池や蛙飛び込む水の音 バショウ
アイビーさん、次回8月から突然ですが、かをりは投句欠席です。
ここの楽しさ、居心地のよさは格別。
あくまでも個人的都合です。
鑑賞にはよらせてたもれ。いろいろ生意気書いてもみなさまのことは忘れません。
良かった!
また、かをりさんと掲示板で会えますね。
超お忙しい8月のようですが頑張ってくださいね。
安堵しました。それにしても「8月から」と「8月は」はえらい違いです。全国のかをりファンは気をもみました。
かをりさんへ
良かったです。
そんな~っ、居て欲しいよ~!と、掲示板ばかり覗いていました。
お忙しいのですね。
歌会の幹事、楽しみつつ頑張ってください。応援しています(*´∀`*)尸"
ヨシ
からとはの違いではで大変良かったです。からになった理由ですけどびっくりです。色々な事なさってます。知りあいでかおりさんの名前は男性も女性OKですが。。どちらかなと。いやいや回答は自然にですね。これからもはですから宜しくお願いします
記述が曖昧で申し訳ありません。
「8月は」です。
合宿的な仕事研修、プラス母の手術(膝)、初めての短歌の会の幹事、点盛はないですけど、幹事は十も出すのです、苦しいよ。
五十路は、そういう年頃にてお許しください。
私は事前に短歌も俳句の詠めないので、お許しください。5月の将棋の句は例外です。
80%出句はその日なのです。
9月に復帰するにしても、その日の出句です。
尾花さん、サンクス、失礼の言葉などお許しください。束束子さん、ええわー、クールなコメント、8月の句が楽しみですよ、こちらも本気たでー。
皆さん、素敵です、願わくばもっと選句に至った、もしくは選句されたら、一筆あるべきでしょう。これはアイビーさんが述べなくてとも常識です。
わがままばかりですが、幹事様、および皆様のご健勝、秀句を楽しみにしております。
かをりさんへ
驚きましたしとても残念です。 かをりさんの句も講評も大好きで楽しみに読ませて頂いていました。知らないことを辞書で調べたり、私にとってはとても勉強になりました。 忘れることができないのですが「五十路」のこと。 私は五十代はずっと五十路と思い込んでいました。かをりさんに指摘されて始めて辞書を引き五十当歳でありことを知りました。その他にもいっぱい学ぶことがありました。本当に残念です。
これから先も時間がありましたら、投句は無理でも講評など書き込んでくださると嬉しいです。
素晴らしい句を発表してこられたのにストップとは残念です。「鑑賞」は継続とありますから、当掲示板は見させてもらうとの意味なんでしょうが、句評などはしないようですね。 実質的な退会と考えていいでしょう。
楽しく参加して頂いたので、代わりに投句代行の新人をご紹介して下さればアイビーさんの滂沱の涙が引くかも知れません。 当面は束束子がアイビーさんの肩を優しく抱き寄せて慰めることにしましょうね。
かをりさんのこと
どうも早とちりしていたようです。「8月から投句欠席」を退会と。よく見直して見ると、それ以外の記述は無いので継続と理解しました。今まで通り選句や感想は戴けそうなので安心しています。
同感です。
せめて期限限定で。
驚天動地とはこのこと。最も有力な投稿者であり、構成員を失った掲示板というものがどういうものか想像が出来ません。掲示板存続の危機です。如何なる心境によるのか私には分りませんが、ここはひとつお考え直しを。
下闇やラヂオ近づく音したる
この句は「ラヂオが近づいた」と読まれる怖れのある、少し変な組み立てになっているようです。季語の
「下闇」の斡旋も具合が悪い。 木々が鬱蒼と生い茂って暗闇のように感じられるのが下闇だから
「や」で強調したことで更に具合が悪くなっている。
作者は遠くにあった雷雲が急に押し寄せてきて、周囲が真っ暗になり、ラヂオを点けたら「ガリガリ」と
雷を捉えている情景を句にしたかったのだろうが、組み立てに不慣れのために へんてこな句になってし
まっている。 ここは素直に 「雷の近づく音のするラヂオ」
これでどうでしょうか。これなら私は2点を差し上げたいところですよ。
昨晩の甘酒かほる台所
甘酒は別称「一夜酒」とも言われて7月の季語になってます。一晩のうちに熟して香りを漂わせることから
名付けられたようなので、この句の場合の「昨晩」は改めて句の中に取り入れる必要がないと考えます。
特に読んでみて思うのは「昨晩の甘酒」です。家族で昨夜味わった甘酒という意味なので、後の文字群とに
違和感を感じますね。 この句も素直に 「ほんのりと甘酒香る台所」としてはどうですか。
「かほる」も気になりました。
束束子さんへ
お返事ありがとうございます。
「下闇やラヂオ聞きつつ来る男」
そうなんです。
男の人だったのです。
このように詠んだらよいのですね。
下闇と近づくラジオの音と男、私の気持ちにぴったりきます。
ありがとうございます。嬉しいです。
また、教えてください。
よろしくお願いします。
ヨシ( ´ ▽ ` )ノ
惜しい一句に取り上げて下さりありがとうございます。
甘酒を夜に作って、朝起きたら香りが台所に残っているという状況を読みました。
かほるは香るにすると漢字が続き過ぎかな?と思ったのですが気にしない方が良かったですね。
十七字できちんと伝わるように詠むのは本当に難しいですね。
今後も色々教えて頂きたいと思います。
・・・・・・・・・・あ そういうことなんですか。
それなら「下闇やラヂオ聞きつつ来る男 または女」 ではどうでしょうか。
私はてっきりラヂオの「雷でガリガリなる音」を思ってしまいましたよ(笑)
ま 色々なことを思わせる俳句は良 という前向きな考えもあるということですがね・・・・
これからも一緒に頑張りましょう。
なお前にも言いましたが「ヨシ」は私の母の名前でもありまして・・・・ ジーン
束束子さんへ
下闇やラヂオ近づく音したる ヨシ
この句の事を取り上げてくださりありがとうございます。
俳句を読むということは、難しいですが楽しいですね。そのように読んで下さったのですね。
私は俳句は勉強し始めたばかりですが、いつか佳い句を詠めるようになりたいなと思っています。
今は、見たもの感じたものそのままの句です。
この下闇の句は森林公園を1人で散歩していた時に、ずいぶん歩いて下闇が何やら気味悪くなり何か飛び出てやこないか不安になっていたところラジオの音が近づいてきた。という句です。ラジオに安心したかというと、それも独りぽっちだったのでちょっと怖くて早足になりました。
こういう状況を詠んでみたかったのですが、どうすれば良かったのでしょうか?
もし宜しかったら教えていただけませんか?お願いしますm(_ _)m
アイビーの俳句鑑賞 その3
七夕や願い事まだ多かりき (ちとせ)
この句は束束子さんの詳細な鑑賞があったので屋上屋を重ねることは避けたいが、七夕に願い事があるということは、なお向上心があることにほかならない。年齢に関係なく、一つことに打ちこむ姿は美しい。少しでも向上すべく研鑽を積むのはもっと美しい。
籐寝椅子兄の仕草に父をふと (森野)
私にも同じ経験があり、ちょっとした仕草が父に似てきたそうだ。人間、ある程度の年齢に達すると、風貌もちょっとした仕草も親に似てくるらしい。同様に森野さんのお兄さんも、亡きお父さんの仕草が何かの拍子に出てくるのだろう。風貌が似るのは遺伝と説明できるが、仕草や癖なども似てくるのはどういう訳か。やはり親子だから、としか言いようが無い。肉親ならではの観察眼に拍手。座五の「ふと」は字数を合わせるための便法だろうが、私は少し気になる。「父見たり」「父を見つ」でよいのではないか。
木戸銭は朝採り野菜夏芝居 (森野)
着想が面白い。しかし、雰囲気として夏芝居というより、稲の刈入れが終わった後の農村の村芝居を思わせる。夏芝居は一流どころではないにしても、一応プロの役者が演じているからギャラが現物支給というのは腑に落ちない。もっとも作者は木戸銭が野菜と言っているのであって、ギャラとは言ってないが。作者の見解を聞きたいものだ。
梅干しは妣つくりしに勝る無し (ヨシ)
亡きお母さんに対するヨシさんの追慕の情がよく表れている。市販のブランド梅干しではなく、梅干しを自分で作っていた母。手抜きをせず、決められたレシピを頑固に守り、長年作ってきた梅干し。一口食せばそのしよっぱさとともに、亡き母の事どもが思い出される。いろいろな梅干しを食してみたが、見栄えはよくないもののやはり母の梅干しが一番だ。
別人になりたき少女サングラス (玉虫)
サングラス越しでは目の表情が相手に分からないので、別の人格になったような気分になる。別人格になれば、普段二の足を踏むようなアバンチュールも出来る。そんな気分を句にしたのだが、この少女はどんな冒険がしてみたかったのだろうか。もっとも、この変身願望の少女が、作者自身の等身大の分身とすれば、句の味わいが格段に変わってくる。
靑時雨大草履吊る仁王門 (ナチーサン)
浅草の仁王門、吊り下がっている大草鞋とそつなく情景が描写されている。ただこれだけでは所謂「絵葉書」俳句になってしまうところ、上五に「青時雨」を置いたことにより二句一章の俳句になった。その意味で、季語の持つ玄妙な力を再認識させる句となった。
カーバイト夜店賑し浴衣の娘 (無点句)
惜しくも無点句となったが、情景としてはよく分かる句なので勿体ないと思う。夜店も浴衣も夏の季語で季重りになっている。同じ季重りでも詠む対象に主と従、どちらかに主眼を置けば別に問題は無いのだが。それと上五に「カーバイト」と置いたのがやや散漫な印象。この点を改めれば、素材としては面白い句だから入点が期待できるのだが。
以下次号、不定期掲載
管理人さん、割り込みます。嚶鳴庵俳句教室の予告です。
次回は、7月26日です。兼題は、「噴水」、「ハンモック」です。兼題と当季雑詠の合計5句を12時50分までに提出。
兼題、当季雑詠の組み合わせは自由です。
くれぐれも暑さ対策をして、ご参加をお願いします。今月から希望すれば、冷たい抹茶が提供してもらえます。
希望の人は遠慮なく、スタッフに伝えてください。また、都合により早めに帰りたい人、和菓子を持ち帰りたい人も遠慮なく
申し出てください。早めに帰りたい人は、隣の小間で先に、お菓子、抹茶を召し上がっていただくこともできます。
この暑さを逆手に取って一句!!! こんなことができればよいのですが、まだ、まだ、こんな境地にはほど遠い未熟な自分
なのだと、気持ちが萎えてしまいます。
管理人さんも、ほかのみなさんもくれぐれもお体大切にお過ごしください。
七夕や願い事まだ多かりき(ちとせさん)4点
ふうりんさんが特選で拾われている句。
公民館で子供達による七夕会があったのか、その名残で各室に願いごとの書かれた極太短冊が下がっていた。 ちとせさんの年齢は存じ上げないが、まだまだ沢山の夢があるようで羨ましい限りです。心が若い人ほど願いごとが多いので、小生のように高齢になってくると「生かして下さい」と願うぐらいしか願いごとが無くなります。 例年、芭蕉祭(7月末〆切)に挑戦して、時々入選することがあるので、今年も出してみました。昔は猛烈な参加者のため「入選すれば赤飯を炊いてお祝いする」ほどだったのですが、最近は賞状が小ぶりになり、一頃ほどの賑わいとハクが無くなったようです。 それでも挑戦する意味がありますが、一昨年に島桜子が芭蕉祭への招待を受けたので一緒に上野へ出かけて表彰式に参加させてもらいました。 ここは23名の投句者しかありませんが、芭蕉祭は数万人。 是非投句して見て下さい。 まだ〆切には時間があります。 宝くじと同じで出してみなきゃ結果は出ない。 入選すれば人生の大きな節目になることは間違いありませんからね。
にこにこ 出した! これで夢が膨らみましたね。
宝くじのようなものなので、あとは抽選機が「ガラガラ」と回って、ポンと巻紙が出てくるだけです。
私の最近での入選句は「台風に軍艦島の浮き沈み」でした。 そんなに難しい句じゃないですね。
宇多喜代子選で津市の方が「車椅子の高さにしゃがむ白帽子」で入選してました。
西村和子選では福岡市の方「母強気父は弱気や水鉄砲」で入選してました。 このような句で十分なのです。
なお宮田正和選の分析ですが、入選20句のうち三重県外の人はたったの2人
残りの半分以上が伊賀市ですから、いかに選が偏っているかが分かります。 毎年のことですが・・ ご参考に
芭蕉祭に数万人ですね。はりきって投句しました。宝くじのようにですね。結果より枕元で俳句作りが少しでも希望に満ちた心にワクワクで良いと思ってます。メッセージがいつも楽しみです。
挑戦してみて下さい。
なお、選者によって選ぶ句に多少の違いがありますが、新樹俳句会とか白桃所属の方は 西村和子、三村純也、正木ゆう子、宇多喜代子、宮坂静生の各先生がたを選んだほうが入賞確率が高いでしょう。 稲畑廣太郎や星野椿はホトトギス調専門なのでペケ。宮田正和は伊勢や甲賀&伊賀方面の投句者しか取らないのでペケ。 出す句は「普通の定形句」がいいでしょう。 奇抜な句は案外入りません。 若干、歴史的な匂いのする句は面白いです。 ではでは
束束子さん講評有り難う御座います。
まだで止めた事でお察しくだされば。
芭蕉祭「入選すれば赤飯を炊いてお祝いする」程だったのですね。束束子さんの投稿毎回興味深いです。手元に応募ハガキが数枚、投句してみようかしら。
アイビーの俳句鑑賞 その1
もてなしの水羊羹に銀の匙 (束束子)
食べ物の句はうまそうにつくるべし、と言うのが私のポリシー。まして水羊羹とあれば清涼感が無くてはならない。銀の匙が心地よいアンサンブルを醸し出している。「もてなし」「水羊羹」「銀の匙」の三つの名詞を助詞で繋いだだけの俳句だが、いかにも清涼感が漂ってくる。このあたりが俳句巧者の技だろう。
滝壺に落ちて自由になりし水 (蜜豆)
最高点の大西日の句に次いで高点を集めた。滝の水が滝壺に落ちて、一切の束縛から解放され自由になったという面白い着眼の句。そういわれると何やらそんな気がしてくるから不思議だ。擬人法を駆使した句だが、本来、無機物の水に「自由」とは言い過ぎじゃないかという異論はあり得るだろう。もう少し温和しい表現にすれば違和感も解消できるが、作者の作句意図を優先すべきだろう。
羅を着て闊達な関西弁 (桃)
羅は「うすもの」と読む。様々なイメージを呼び起こす季語だ。状況の説明が省略されているので、読み手の方でイメージするしかない。私は料亭か宿の女将を想像する。センスのよい着物を着て、てきぱきと指図をする女将。女将の号令一下、滞りなくりなくことが運ばれる。指図自体は結構きついのだが、トーンの柔らかい関西弁が和らげている。関西弁の効用か。
墨絵めく景となりたる夕立雲 (エミ)
夏の夕立は、「一天にわかに掻き曇る」という慣用句がそのまま当てはまる。豊かな夏の色彩が一瞬にして色を失い、真黒な雨雲が空を覆う。この気象条件の急激な変化を墨絵に喩えた作者の的確な比喩に共感する。
ガターして泣くほど悔しソーダ水 (コビトカバ)
夏籠漫画の量の増すばかり (コビトカバ)
両句とも、若い世代ならではの句だと思う。いずれも従来の常識では俳句の題材になり得なかったものだ。若い世代の生活実感を俳句にしたが、飾らない表現に好感が持てる。新しい時代には新しいライフスタイルがあって当然で、ともすれば現実の生活実感と遊離した、よそ行きの気取った俳句が評価されがちだ。コビトカバさんには、こうした旧弊を打破して欲しいものだ。
あをすだれ離婚届の楷書文字 (かをり)
虚実皮膜の間を地で行く「かをりワールド」が炸裂した。もっともご本人の解説によれば、身内の方の事実に基づく句とのことだが、区々たる事実関係のデテイルより俳句自体の文学性を重視したいと思う。あをすだれと離婚届けの楷書文字という、一見何の脈絡もない二つの事柄が、一句の中でどういう化学反応を起こすか、成否はここにかかっている。下世話な表現をすれば、三振かホームランの句であり、シングルヒットや内野安打はあり得ない。
数分の徳川園の梅雨晴れ間 (無点句) 」
惜しくも無点になってしまったが、どうすればよかったか一緒に考えてみたい。読者が迷うのは徳川園に滞在した時間が数分なのか、梅雨の晴れ間が数分しかなかったのか、どちらともとれる点だ。語順を変えれば簡単に解消できる。数分の梅雨の晴れ間に徳川園 これで意味は通じるが、作者が徳川園で何をしたのか、読者が一番知りたいことが分からない。アイビー流に直せば、束の間の梅雨の晴れ間の庭めぐり
以下次号、不定期掲載
アイビーさん、こんばんは。
離婚届の楷書文字はすぐに出来ました。
詠みませんでしたが基本、端座が心象にありました。
楷書文字⇔端座⇔青簾 なのでぎりぎり下世話にならずに。
去年の穴惑ふ のほうがずっと下世話ですが高得点だったのでそちら風が受けるのかなあww
サイトの雰囲気に忖度せず、自分が詠みたいように自分のために詠む姿勢です。
おやすみなさいませ。
生活の中で起こるちょっとした事と季語との取り合わせを考えるのが楽しい今日この頃です。
鑑賞頂いて嬉しいです^_^
アイビーさんありがとうございます。 初めて行きたかった徳川園に娘と行きベテランガイドに滝の前で数分待てと言われました。滝が流れだしてガイドさんの自慢顔と見事な滝の流れでした。アイビーさんありがとうございます
アイビーの俳句鑑賞 その2
タッチして拳叩きし競泳者 (えっちゃんあら)
実際に競技に出場した水泳選手の立場から詠んだ句。泳いでいる間は自分が何位を泳いでいるのか分からないが、ゴールにタッチして初めて順位が分かる。で、ライバルの選手はどうだったか、実際の競技者ならではの描写が、中七の「拳叩きし」に凝縮された。私は、しのぎをけずってきたライバルに勝ったことで、思わず拳を叩いたと解釈したのだが。
裏切りも不倫もなくて竹夫人 (ABCヒロ)
竹夫人はちくふじんと読み、竹を編んでほゞ等身大に筒状にしたもの。竹かごとも言う。夏の寝苦しい夜などに抱いて寝る。先行句には性的な連想を呼び起こすような句もある。作者はそれを逆手にとって「裏切りも不倫もなくて」とシャレのめした。作者の機知が楽しい。7月句会のトップに並んだ句。
蝉時雨鳴き止む時の恥ずかしさ (ラガーシャツ)
蝉の声がうるさい季節になった。あっちでもこっちでも蝉が鳴きだす。蝉時雨というやつだ。ところが、どういう加減か蝉が鳴き止む一瞬がある。その一瞬の空白を作者は「恥ずかしさ」と把握した。なかなか難しい形容だが、分かるような気もするし、そうかなあという気もする。言うまでもなく、恥ずかしさは蝉が感じるのではなく、作者の心象そのものを表現している。
父の日の殿様盛りの鰻飯 (ふうりん)
おそらく鰻屋がネーミングしたのだろうが、殿様盛りがすごい。松や竹ではなく、特上でもなく殿様盛りなのだ。なんとも豪勢な鰻飯、きっとお値段も張るだろうが、不味かろう筈がない。至福の父の日だったことだろう。アイビーのポリシー、食べ物の句は旨そうに、にドンピシャリ当てはまる。
嬰児の寝息のリズム夏座敷 (弥生)
何の屈託もなくスヤスヤと寝息を立てて嬰児が寝ている。見守る家族全員が至福を感じるひと時だろう。後味のよさが読み手にも伝わってくる佳句。季語の斡旋も申し分ない。
駆け上がる忍者屋敷の守宮かな (弥生)
同じ作者の句で、一転して滑稽な味を狙った一句。狙い通りの滑稽さ、軽みを醸し出しているが、難を言えば忍者屋敷と守宮では即きすぎかなあ。
宵山や警察官の京言葉 (尾花)
絢爛豪華な京都祇園祭のクライマックスの山鉾巡行を見に群衆が押し掛ける。群衆の整理に当たるお巡りさんは当然ながら京都の言葉だ。京都の人には不思議でもなんでもないが、他県の観光客からすると、絢爛豪華な祭りと警察官の京言葉はミスマッチもいいとこだ。てきぱきと群衆を捌かねばならんのに、はんなりとした京言葉、そのギャップが可笑しい。そこに得も言われぬ俳味を感じたのが作者の尾花さん。アイビーが特選に頂いた句。
向日葵や子犬迎へる大騒ぎ (無点句)
ペットショップか知人の斡旋かは知らないが、我が家に子犬が来ることになった。たかが犬ころ一匹と言う勿れ、犬小屋はどうする、食べ物、食器はと、受け入れ準備に朝からてんやわんやの大騒ぎ。向日葵との取り合わせも悪くはないのだが、意外にも無点句となった。俳句にも運不運があると割り切るしかなさそうだ。
以下次号、不定期掲載
宵山や警察官の京言葉
アイビーさん、この句の感想をありがとうございました。
コンコンチキチン コンチキチンの宵山を見物に行ったのは7~8年前のことです。豪華絢爛の山鉾や、各商家もその家に代々伝わる家宝というものを店に置いて見せて頂けるということでお店を回ったものでした。
お店のご主人とかお巡りさん、群衆の中追い越していく、特に男性の京言葉のミスマッチにほのぼのとした可笑しみを覚えました。
墨絵めく景となりたる夕立雲(エミさん) 2点句
私とヨヨさんが拾ってますね。
夏の雲は 積雲、塔状積雲、入道雲、積乱雲、カナトコ雲へと変化していきますが、夕立を降らせるような雲は最終的なカナトコ雲。既に「モクモク状態」が過ぎてしまって崩れてしまっているが、周辺にはまだ成長を続ける入道雲が残っている。 夕日を受けたカナトコ雲の手前に入道雲が黒づんで浮き上がっている景色をエミさんが上手に一句に纏められました。
私は気象観測員を3年間やりましたが、毎時観測のほかに天候悪化ともなれば15分単位で外に出て気象を観測する仕事に追われます。 雨の状態・雨量、雲の形状と高さ、風向・風速、気圧、視程などの観測 これらの観測結果を数字化して全国の気象観測所へ打電する一方、戦闘機パイロットへのウエザーサービス&アドバイスも行うのです。 観測員の仕事場が最も忙しいのは雷雨や竜巻発生時と台風襲来の時になりますが、こんな時には観測員だけでなく全ての部署が非常時体制になります。
かつての激務を思い起こさせる一句として心打たれました。 いい句ですね。
37 あをすだれ離婚届の楷書文字 {かをり}さん
あをすだれは普通にいう「すだれ」のことだが、この句の場合は離婚届との取り合わせで、若くして離婚せざるを得な
かった 話せないような事情を含んでいるように感じました。そして、立腹してその場の雰囲気で書いたものじゃなくて、
冷静に判断し、熟慮した上で、離婚はやむをえぬものであるということは書きなぐった文字じゃなくて「楷書」という文
字に含まれていると判断した。
小生は結婚して53年にもなるが、幾度となく離婚の危機を経験してきている。しかしそのたびに冷静になるように心
を宥めて乗り越えてきた。最も危険だったのは結婚して5年目ぐらいだった。O型とB型の組み合わせ、しかも岩手と鹿児
島の取り合わせがスムーズにいく筈もなく、何度も衝突を繰り返した。 勿論、現在でも猛烈な衝突はあるが、小生の難
聴が起こす衝突なので、一方的に当方が悪いので 取っ組み合いの喧嘩などにはならず離婚に発展することが無い。
おもしろいと言えば失礼だが、材料と季語の取り合わせの妙で特選に拾わせて頂いた。 素晴らしい句ですね。
なお、インターネット俳句だろうが、普通の句会だろうが、出句&選句は誰よりも早く、選ぶ句の判断も瞬時に行うようにし
ている。 なぜなら小生の両親の口癖は「遅いことは誰でもやれる。 瞬時に判断できないようなことならば地震などの天
災では確実に逃げ遅れて死ぬ! 津波などは後ろなどは見ず一目散に山へ逃げるのだ!」と厳しく教育された。 それでも
女房の素早さや判断力には敵わない面が多々ある。
束束子さん、エピソードを交えた選句観賞ありがとうございます。
この句は自分自身のことでなく、亡くなった叔母をモデルとしております。
私はずっと独身ですが、自分ことであれば、こうも客観的には詠めないとおもいます。
まだ私も幼くて、事情はわかりませんが、無邪気に覗き込んだこの光景はおぼえております。
その後ピアノ教室で生計を立て、結構生徒さんも多かったようです。
6月の命日には思い出す叔母を詠みました。
18 五線譜に夏が来てゐて死者生者(かをり)
無点でありましたが、これもそこからの発想です。
私の親の教えの一つは「下手でもいい、字は大きく楷書で書く」でした。