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障害者の社会貢献は?

Q 
 先生からお聞きした「幸福の条件」の1つに、自分が社会に貢献しているという感じを持つことというのがありますが、障害者であればそこの部分が難しいような気がするのですが。

A
 だから、障害者の人も、「障害者として人の役に立つ」という工夫を自分でしなければならないんです。われわれ健常者も、健常者として人の役に立つ工夫を自分でしなければならないでしょう。役に立つ盲人とか、役に立つ聾唖者とか、役に立つ身体障害者とかにならなくてはいけないんです。だから、工夫しなければならない。重度の人でもそうなんです。
 で、例えば極端な話、植物人間はどうしたらいいか。僕たちは、あまり植物人間の人たちの心配はしてあげなくてもいいんです。冷たいようですが。というのは、彼らは、「どうしたら幸福になれますか?」と聞いていないから。聞かれないことには答えなくてもいいです。もしも、「あの人たちも幸福にならないといけない」と思うとしたら、それは同情しているんです。「重度障害でものすごい発達遅滞(知恵遅れ)とか、植物人間に近い状態とかという人たちが幸福でいてほしい」と思ったりするとすれば、それは僕たちがその人たちに同情しているんです。同情しているということは、こっちが上で向こうが下なんで、縦の関係です。だから、そういう問題は別にしましょう。
 盲目の人や、聾唖の人とかが、「どうやったら幸せになるでしょうか?」と、もし僕たちに聞いてきたら、これは答えられます。「あなたのその障害を抱えながら、他の人たちの役に立つ工夫をしてください」と言えます。その人たちが僕らに幸せについて問わないのに、僕らがその人たちの幸せについて考えるのは、とても傲慢だと思います。僕たちが、その人と仲良くつきあうというのは、これは僕たちの側の課題です。僕たちはちゃんと彼らとも仲良くつきあうべきだと思う。でも、彼らを幸せにしてあげようという態度自体はとても傲慢だと思います。(回答・野田俊作先生)

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不安を訴える人

Q
 頭を打ったときに、もしかしたら脳内出血をしていたらと不安になります。そんなことはないと思っても体がパニックに陥って、胸がドキドキ気分も悪くなり、自分自身がほとんどわからない状態になってしまうんです。

A
 要するにこの人は不安なんですね。僕はこの人がやっている仕事の意味を知っています。頭の中に「病気のリスト」があるんです。歯を磨いて出血すれば白血病だと思い、足が痛いと骨肉腫だと思い、胃が痛いと胃癌だと思う。ずっと毎日、自分の不幸を頭の中のリストに書いていくんです。「今日はこんな不幸があった。体はこんなにボロボロだ……」。こういうふうに長々と同じ話をしているんです。
 この人をカウンセリングしたらどんなふうになるかというと、きっと毎回同じ話を聞かされるんですよ。「どうでしたか?」と聞くと、「先生ねえ、私、脳内出血しているんじゃないかと思うの。20年前に頭を打ったでしょう。あのときから出血し始めたんじゃないかと思うの。それで心配で心配で……」「それは先週聞きました」「でもね、どうしても話を聞いてもらいたいんです」「聞きたくありません」「これを話さないと次へ進めないんです」「その話だけは聞きたくないんです。あなたはもうその話をよく知っているでしょう。毎日毎日繰り返し、同じことを自分に向かって言い続けているでしょう」。
 その言い続けている目的は何でしょうか。なぜこの人は自分に向かっても、他人に向かっても、同じ「病気の心配」を言い続けて暮らすのでしょうか。それは、(他の)“ある話”をしたくないということなんです。そのある話とは何かというと、それは本人に聞かなければわからないですが、例えば夫婦関係が悪くて、その夫婦関係をもう少し良くしたいとかということに対して、真剣に取り組もうとしていないということかもしれない。そのことに対して、病気を口実にして、そこから逃げようとしているんです。
 だから、神経症的な不安とかこだわりとかを強く持っている人は、自分自身に、一度その話をするのを全面的に禁止してください。頭の中でそのリストを読み上げ始めたら、「それはもう私はよく知っている」と思ってください。「私がこれ以外に本当に心配していることは何なのかしら」と思ってみる。そうしたら見つかります。
 それはきっと「対人関係の悩み」なんです。必ず100パーセント。そしてそれは「自分と親しい人との関係」です。例えば夫婦の問題、例えば親子の問題です。そこを本気で解決する気にならなければ、ここから一歩も進むことはありません。
 私はこの話を(本気では)聞いてあげませんからね。私はこの話を聞く必要が何もないもの。だって、カウンセリングというのは、その人自身が自分についてまず学ぶことだから。「私はなぜこんなふうなのか」をまず学ぶこと。この話はもうすでにこの人はよく知っているから、今さら繰り返して学ばなくてもいいんです。本当はそうなのに自分がよく気づいていないことを学ばなくてはいけない。だから、「この話は聞きません」と言って、カウンセリングは引き受けます。これ以外の話を聞きたいから。(回答・野田俊作先生)

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クラスが騒がしい

Q
 ここ2,3日、クラスが騒がしい状態で、授業が落ち着いてできません。

A
 ああ、これは授業がつまらないんだ(笑)。授業を面白くする工夫をしたほうがいい。学校の先生は、不思議なことに、こういうことについて心理学に頼ろうとする。心理学に頼る前に教育技術を上げたほうがいいです。その技術がかなり上がってきているのに、なお問題が起こっているんだったら、これは心理学の領域です。
 結構いい授業をしているはずなのに、何だかザワザワしていることがあります。それは、子どもたちの間に何か問題が起こっているんです。ぜひ、その子たちとよく話してみてください。どんな素敵な話があるのか、どんな素敵な計画があるのか。授業中にでも話さなければならないことが起こっているのかもしれない。このことに関心を持つんです。別に批判したり、アドバイスしたり、やめさせる気はないけれど、担任としては知っておきたい。そう思って、ちょっと情報を流してくれるようにお願いします。そうすると、いろいろわかってくるでしょう。
 私たちに聞くよりも子どもに聞くべきです、いつでも。「こんなときにどうしたらいいんでしょうか?」と私(野田)に聞くより、「何が起こっているのでしょうか、私はどうしたらいいでしょうか?」と子どもに聞いたらいいと思います。(回答・野田俊作先生)

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おしゃべりは直るか?

Q
 私はおしゃべりで、直したいと思うんですが、直るでしょうか?

A
 無理ですね。だいたい、おしゃべりがなぜいけないんだろう。おしゃべりは楽しいことですよ。言葉少ない人は言葉少ないのが楽しいし、おしゃべりの人はおしゃべりが楽しいんです。そんなのは変えなくていいじゃないですか。たとえ一生しゃべり続けたとしても、共同体のためにそれがプラスになるようにしゃべり続ければいいんだし、黙っていてもそれが共同体のためにプラスになるように黙っていればいいんだし、自分の今現在持っている性質を変えるんではなくて、それが「みんなの役に立つように使われるにはどうすればいいか」を考えてみてください。
 子どもに対してもそうです。反抗的な子というのは反抗的なんです。それなのに僕たちは反抗的な子を従順な子に変えようとする。だから失敗するんです。建設的な反抗をする子にすればいい。私なんて建設的な反抗をする見本だと思いませんか。およそ従順な人間ではないと思うよ。科学なんていうのは反抗的な人のおかげで進歩したんです。科学者がみんな従順だったら、教科書に書いてあるとおり、先生の言うとおりで、絶対に先に進みません。「先生は嘘を言っているに違いない。教科書は間違いだ」と思う人たちが、新しいことを発見してくれ、人類は前に進むことができたんです。そういうふうに考えると、反抗的な人たちの功績は大きい。もちろん、従順な人たちの功績も大きい。
 ある子どもが反抗的であるか従順であるかは、先天的に決まるわけではありません。それはきょうだい関係の中で、人生のごく早い時期に本人が決心をして決めるんです。一生を「イエス」の線で行くか、「ノー」の線で行くかを。「お兄ちゃんがイエスなら私はノーだ」などと選んでいく。これは、親からはイエスに決めてくれるかノーに決めてくれるかを仕向ける手がないんです。子どもが自分で選んで決めてしまったら、もうそこからあまり変えることはできないんです。僕たちにできるのは、破壊的なイエスや破壊的なノーでなくて、建設的なイエスや建設的なノーを言ってもらうようにすることです。
 破壊的なイエスというのはどんなのか。例えばファシズム社会というのは破壊的なイエスを言う人たちによって担われているんだと思います。独裁者がいて、その人たちにおべっかを使う人たちが成り立たせている。それは破壊的なイエスだと思います。この前日本がやった戦争もそうですし、サダム・フセイン(浩→今ならP大統領かM首相かな?)もそうですが、本当は1人では何もできない。悪い奴が1人でどれだけ頑張っても何もできない。そういうのにくっついて、イエスを言う人がたくさんいるからできるんです。
 だから、破壊的なイエスだってあるし、破壊的なノーだってある。それを変えるのではなくて、いつも持っているものを最大限にプラスに使おうとすることが大事なんです。持っているものを、みんなのために建設的に使うことを考えさえすればいいんです。それは子どもについてもそうだし、自分についてもそうです。私の持っているこの“軽率さ”はどうやったらプラスに使えるだろうかとか、私の持っている“忘れっぽさ”はどうやったら建設的に使えるだろうかと考えてください。(回答・野田俊作先生)

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目標を持つことはいいことですか?

Q
 今の自分を受け入れることが大事だと聞きました。それと同時に目標を持つことはいいのですか?

A
 ああ、いいですね。人生に目標を持つということはいいことです。僕たちが目の前の困難さを乗り切れるのは、将来に夢があるからです。今の子どもたちがすぐ挫折するのは、あの子たちに夢がないから。「大きくなったら何になるの?」と聞いたら、「普通のサラリーマンじゃないかな」と答えるし、「どんな生活が理想なの?」と聞くと、「そうだなあ、一戸建ては無理だからせめてマンションでも買いたいなあ」なんて答えるから、彼らには何にも夢がないんだと思う。だから、彼らはコケやすい。
 将来の夢がある人は、目の前の困難を困難と思わない。視線がいつも向こうを向いているから、目の前の苦しさも、苦しいと思わなくて耐えられるんです。 だから、人間は理想を持たなくてはいけないし、夢を持たなくてはいけないんですが、大事なことはその理想とか夢とかを、「理想とか夢だ」とはっきり知っていることです。現実だと思い込まないこと。「みんなから愛されたい」と思うのはかまわない。でも、みんなから愛されるのは無理です。できるだけ多くの人から愛されることはできるけど。夢や理想というのはそこに向かって歩けるけれど、そこにはたどり着かないということを知っていてほしいんです。それは地平線だから。いつも自分の方向を与えてくれるものではあるけれど、本当にそこに着くものではない。旅というのは途中が楽しい。着いてしまうとそれで終わりでしょう。着いてしまうと、また遠くへ行きたくなる。それでいいんです。
 だから、現在の自分を受け入れるということは、夢や希望も全部捨ててくださいということじゃないんです。今の自分もOKだけど、「少しずつこうなっていきたい」と思うことはいいことです。今の自分というのは現実ですから、現実を否定してもしょうがないでしょう。その現実から好きになるしかない。夢はいかに素敵だったとしても現実ではないですから、夢から引き比べて現実の自分を駄目だと思うのはやめたほうがいいですね。(回答・野田俊作先生)

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