Q0415
小学校の教員です。今年になって保護者から「えー!そんなことを?」というようなクレームをたくさん受けて、ひたすら謝っていますが、精神的につらいので楽に交わしていける方法があったら教えてください。
A0415
こんなの答えられるはずがない。親は子どもと一生つきあいます。これは大事な事実なんです。教員はあるいは医者はその子どもと一生つきあいません。この親はこの子どもとずーっとつきあっていくんだなという点をまず知りましょう。しかもこうやってクレームをつけてくるということは、教育に対して関心があるし、子どものことを真剣に考えてくれているんだということに気がつきましょうよ。担任は今年いっぱいで終わりになるかもしれないけれど、この人はずっとこうやって子どものことを心配しながらやっていくんだ、大変だなと思いましょうよ。こうやって親を尊敬する姿勢を、たとえやっていることが間違っていても、一生懸命やっているんだなということを認める姿勢を持たないと、対話が成り立たない。われわれ日本人は古来、「和の精神」と申しまして、まず人間と人間とがやわらかな関係を持たないと、カリカリ対立してしまったら、成るものも成らないし、できる話もできないという知恵を持っています。西洋人は持ってない。西洋文明というのは、奇妙な文明で、戦って勝ったほうが正しいんです。イギリスの議会写真を見るとびっくりするんです。真ん中に廊下があって、向こう側が野党席でこっち側が与党席です。与党と野党が正面から向かい合っている。椅子があんまりなくてみんな立っている。おじいちゃんだけ座っている。だいたい喧嘩ごしで話をする。両方でガーッと討論して、最後多数決で決める。多数決というのは、日本人としてはあまり好ましくない方法です。できたら全員一致で時間かけて合意したほうがいい。明治時代に西洋から西洋民主制度が入ってきたときに、多数決が一緒に入ってきて、それから議会は今のままです。何でも反対の野党と、変に妥協しまくる与党とが対立していて、ほんとに丁寧な議論がいつもできていないと思う。これは考え直さないといけない。われわれは「家族会議」と「クラス会議」をやりましょうと言っている。家族会議とクラス会議を通じて、与党と野党が対立して最終的に多数決で決定するんじゃない民主主義、みんなが最終的に全員一致で合意できるような民主主義を作っていきたい。われわれの民主制はずっとそうです。例えば中世、鎌倉時代には一揆というのがありました。「一揆」というのは、みんな筵旗立てて代官のところへ押しかけるのを思うけど、違うんです。あれは映画が勝手に創造したもので、一揆というのは「全員一致」という意味です。どうやって全一致するかというと、村の衆が集まってその件について非常手段を、最終的には代官様のところで暴力をふるうけど、1人でも反対があったらやめる。村の衆全員がOKと言ったらやる。しかも非常というのは、誰が首謀者かわからないように、署名を円形にする。全員が一揆の責任者で全員が賛成して、誰かが首謀で誰かが動いたのではないという形式にしている。それが日本の民主制の出発です。日本人がそれを思いついたのではない。これは仏教の影響です。仏教のお寺が物事を決めるときには、ある議案を述べて理由を述べて、「このことに異議のある人は声を上げてください」と言う。出ないと、2回目、「異議のある人は声を上げてください」と言う。出ないと、3回目に「異議のある人は声を上げてください」と言う。4回目「声がありませんのでこのようにします」というやり方をした。これが「一揆」です。このお寺のやり方が村々に広がっていきます。江戸時代になると、戦国時代のようにお百姓が自分たちで強訴するのはあまりなくなって、「寄り合い」でいろんなことを決めるけれど、お祭りをどうするかとか、どの田から水を入れるかとか、どこの家で屋根を葺き替えるからどこの家が出るかとか決めますが、このときも時間をかけて全員が一致するまで話し合う。こういうのを復活していかないといけない。みんなが納得するやり方で暮らしたい。そのために家族会議やクラス会議をこのやり方で動かす練習をしたい。そうやって本来のあり方に戻していきたい。民主制というのは西洋の言葉で、日本ではこういうのを「寄り合い」とか「合意」とか言う。
そういうわけで、われわれは「向こうが間違っていてこっちが正しい」という基本的な姿勢を捨てたい。西洋民主制の一番大きな間違いは、与党は野党が間違っている、野党は与党が間違っていると言って、競合的な「縦の関係」の中で議論することです。それは普段日常でもそうで、「このお母さん・保護者は間違っている。変な人だ」というやり方をしている。そうでなくて、どうやったら協力体制を作れるか。保護者はどういう点でプラスなのか。この保護者にどんなことを学んでもらえば、この1年間協力してこの子を育てることができるか。こういうことを先生は考えるべきです。(回答・野田俊作先生)
Q0414
夫と子育ての方針が違ってぶつかってしまいます。進路が決まらない高3の長男に対して、私は本人が決めるので相談に乗りながら見守りたいのですが、夫は「就職しろ。世間の厳しさを知れ」と言います。父性と母性が家庭の中にあることは良いことだと思うのですが(野田→そんなん見たことないけどあるんだね)、本などを参考にしようとする私に対して、「お前はどうしてそんなに自信が持てないんだ。自分でしっかり持って本やまわりの考えに惑わされるな。母親だから甘やかしている」と言われると、自信がなくなります。主人は「子どもに焼き餅を焼いているかもしれん」とボソッとつぶやいたこともありますが、主人の気持ちもくみ取りながら、子どもにも自信を持ってきっぱり向かい合うにはどうしたらいいか悩んでいます。
A0414
だからポジティブな面を探しましょう、ご主人の。この夫さんて、すごく素敵じゃないですか。ある信念を持ってしっかりやってらっして、とても羨ましいことだし、男ってそうでなきゃなんないよね、自分は女だからなかなかそこまで信念を持てないし。父性と母性と同じことをしたのでは、一本調子になる。だから違うことをしないといけない。音楽みたいなもので、バイオリンとピアノが違うことをやっているから面白いんで、両方が同じことをすると、面白くもなんともない。あなたのことを尊敬しているし、あなたのことを信頼しているし、あなたのやり方はすごく素敵なことだと思うし、でも、私は私のやり方をしたい。最終的にはあの子の人生ですから、あの子が両方を聞いて決めるでしょう。夫さんに対する尊敬が足りないのが、一番根本的な問題です。夫婦は尊敬し合って暮らさないと、子どもは尊敬し合う夫婦を見ないから、自分が尊敬し合う夫婦を作れなくなる。人間は3つの方法で学びます。1つは言葉で学びます。耳から聞いて目で見て本で読んで学びます。1つはやってみて試してみて体験から学びます。もう1つはモデルを見て学びます。人間関係の機微はほとんどモデルから学んでいる。私たち医者は大学を卒業して研修医になると、先輩の書記につきます。先輩の外来で書記につく。私は当時、精神科医の権威だった金子次郎先生の書記に5年間、気に入られてつきました。何にも教えてくださらない。ただ外来するだけ。自分の外来をなさって処方箋書いたりするだけなんですが、患者さんが興奮したときにはどういうふうにすればいいか、先生は声がだんだん小さくなるんです。なかなかしゃべらない患者さんにどうしたらいいかというと、患者さんのほうを見ないで目をそらしてニコニコとして待たれるんです。そんなのを見ていて、「ああ、そうなんだ」と見取り稽古をする。これの効果はすごい。言葉で言えないいろんな呼吸というか間合いというかをほんとにたくさん学びました。アメリカへ行ったらバーナード・シャルマンという先生の書記にずっとつきました。子どもの男女関係については親がモデルです。恋愛は知らないけど、夫婦が婚姻生活を続けていくやり方を親から学びますから、だから婚姻生活をしないといけないんです。婚姻生活とは、相互尊敬・相互信頼・協力の関係です。それは両方が同じことをするという意味じゃなくて、両方で一緒の仕事を成し遂げるんです、違うことを分業しながら。だから相互尊敬・相互信頼・協力のやり方を学んでほしいし、だから夫と方針が違うことは何の問題もありません。やがて必ず夫さんはアドラー心理学に賛成されます。なんで今賛成されないかというと、奥さんの頭の中に「私は正しい、あなたは間違っている」という考えがあるからです。つまり競合的なんです。縦の関係なんです。奥さんは「私が正しい、あなたは間違っている」と思い、夫さんは「私が正しい、お前は間違っている」と思う。これを縦の関係と言う。この関係では決して折り合うことはないです。折り合ったら負けだもの。だから縦の関係から下りること。そうするとやがて必ず夫さんはアドラーのやり方を少しずつ取り入れられます。なんでかというと、これは個人の知恵じゃないからです。アドラー心理学はアドラー以来100年間、考えもし実験もし改良もし作ってきたもので、それは冷静にというか実績があるわけです。いろんな場合に、こんなやり方をすると子どもがちゃんと反応するというのがわかります。私の父親はえらい怒る人で、めっちゃやたら怒る人だったんですが、僕が自分の子どもを育てるのを見ていて、「ああ、怒るよりもそのやり方のほうがちゃんと育つね」と言ったんです。彼が怒る人だったのは、彼はそれ以外のやり方を学んでいなかったからです。不適切な行動をするのは、適切な行動を学んでいないからです。適切な行動を見たら、ああこうやったらうまくいくねというのを、人間は知恵がありますから、適切な行動を採用します。「あんたは間違っている。こっちのほうがいい」と言ったら採用しません。なぜ夫さんがアドラーを採用してくれないかというと、夫は間違っていると思っているから。(回答・野田俊作先生)
Q0413
高校生の子どもがいるのですが、今、部活動に一生懸命で勉強は二の次です。何でも頑張るように応援していますが、主人はマイナス志向なので、「こんなに遅くまで練習して先生に問題がある、まだまだうまくなってない」とか言うので、「プラスに褒めて」と言うと感情的になります。子育てや主人の性格で悩んでいます。
A0413
ご主人のプラスの面を探そうよ。不適切な行動があればプラスの側面を探す。この夫はどういう点が素敵なんだろうというところから、話を始めてほしい。マイナス面から話を始めたら、絶対にどんな問題も解決しない。「あしたに礼拝、ゆうべに感謝」。プラスの面から始めないと問題解決しません。「この人は子どものことをすごく真面目に考えてくれてるね」って。「ほんとに真剣に子どもの将来のことを考えてくれてるね」って。「ほんとに責任を持ってくれていて嬉しいわ」と言うところから始めれば、話が成り立つ。「そんな怒ることないでしょ!」というところから始めると、話は成り立たない。どんなときにもプラスの面を見つけて、何を学んでもらいたいのか、この人にどんなことを学んでもらいたいのかを考えます。子どもと良い関係を持つことを学んでもらいたい、アドラーでは。この方はどう考えられるかはわかりませんが。いつでもどんなときでも、親は子どもの味方で子どもの仲間で、子どもの状態が悪くなればなるほど、この考え方は強まると僕は思う。昔、家庭裁判所に勤めていると、親が「あの子はしょうがない!」と言う。「お母さん、あの子は学校では当然先生たちから嫌われて、同級生たちからもまあまともな子どもたちからは相手にされていないよね。ここで親があの子を見捨てると、あの子の受け入れ先は1個しかないんですよ。そこはヤクザさんのところで、そこはそういう人をもっぱら集めているから、ヤクザ組織に行きますよ。だから、子どもの状態が悪ければ悪いほど、親は腹をくくって、子どもの味方・仲間にならないといけない。この子はとてもかわいい子だ。一番大切な子だ」とあなたが思うか思わないかが、子どもの一生を今決めるんです。小さいときの赤ちゃんは誰だって可愛い。こんなの動物的本能です。中学や高校生になって、子どもが非行化したり神経症化したときに、可愛いく思えるかどうかが親の修業なんです。だから、子どものプラスの面を探しましょう。子どもにまっとうな社会の中でまっとうな人たちとのつきあうことを学んでもらえばいいのだけれど、この子が今やっている努力を探し出して、「あんた頑張ってるね」と言ってあげないいけない。まずそこから始めましょう。われわれのアホな頭で考えるのをやめる。アドラー心理学の原理に遡って、どれかが絶対に欠けているはずです。そこをきちんとやれば、絶対、問題は解決するはずです。信じてやってみてください。(回答・野田俊作先生)
Q0412
今日のお話を聞いていて思いましたが、中学や高校で、英語や数学、物理や化学、地理歴史、国語などの教科だけでなく、正しい男性と女性のつきあい方や子育てなどを勉強する授業があったほうがいいと思います。理由は、高校を卒業して社会に出ると、ほとんどの人をまとめて教育する機会がなくなってしまうからです。このことについてどう考えられますか?
A0412
あることはあるんですけどね。一応、保健体育とかに入っているんだけど、例えば男と女がどうつきあうかということについて、国が文部科学省が責任を持って「これが正しい」と言えるブランドがないんです。数学だったら、文部科学省が責任を持って「これが正しい」と言えるブランドがあるんです。男女関係で避妊法だったら、文部科学省が「これが正しい」と言えるブランドがあるんですが、男と女のつきあい方は文科省の役人もようわからん。教科書の検定ができない。試験しても、試験している先生自身がようわかっていない。育児についても、アドラーはこういう意見ですけど、認知行動療法は違う意見を持っていますし、フロイト派は別の意見を持ってますし、種々様々ですから正解はわからないんですよ。正解がわからないものは公教育に持ち出せないでしょう。公教育というのは、あくまで「これは定説だね」「これは大丈夫だね」って国家が太鼓判を押したものです。時々間違ったものに太鼓判を押します。歴史はいつも問題になっていますが、それでも国家は歴史教科書に関してかなり広い幅で許容していて良いようになっていると思います。育法社とか自由社とか比較的保守的なのと、今度、学びの社とかのが認可されまして、来年から出回ります。どれだけ採用されるかはわかりませんけど。採用の幅は広げておいたほうがいいと、あまり狭く国定教科書にしないほうがいいと思うんだけど、それよりももっと広いんです、男女関係についても子育てについても。だから、大人になってそういうことについて学ぶチャンスを作っていくほうが賢いと思います。そのときに、大人が「自分でこのやり方をしよう」ってというのを決めて選ぶならアドラーやろって、私は思っています。(回答・野田俊作先生)
Q0411
昨年騒ぎになった小保方晴子さんの「STAP(スタップ)細胞」問題についてどのようにお考えでしょうか?
A0411
わかりません。なんでわからないかというと、情報が公開されてないから。スタップについての論文そのものは手に入りますが、問題になっているのはそっち側じゃない。特許の側なんですよ。2つの問題があって、1つは学術研究としての問題です。学術研究として間違ったことを発表するのは全然何の問題もないんです。どの学者も年がら年中間違った論文を書いています。論文というものは、議論の材料に書くものだから、ある論文を書いたら、別の人が反論して「いや、そんなんないで」って言って、「いやしかしこれあるがな」って言って、最後いつか結論が出るんです。だから小保方さんのスタップ細胞について書かれた論文が間違っていたということは、まったく何の罪もないことだと思う。彼女がやってみた結果そうだったと書いただけだから、その途中に何かあるプロセスに間違いがあって、他の細胞だったのかもしれないけど、それはよくあることですから、学術的な問題はゼロなんです。問題はそれとまったく別に、特許申請をやってるんです。特許申請は学問上の問題ではないです。商売の問題です。特許申請のほうでいろいろ問題がグジャグジャ起こっているんです。それは私がコメントすべき問題ではないと思う。企業のドス黒い欲望の問題で、その中で、彼女を前に出したほうが儲かると思った勢力と、抹殺したほうが儲かると思った勢力がいたということですから、汚い黒い世界の話なんです。ですから、それについてはノーコメントです。マスコミがなんであんなに騒いだのかは、僕も理解できません。マスコミは結局、視聴率・新聞の売り上げを求めているだけで、真実なり事実なりを求めているわけじゃないですし、これは学問的な問題ではなくて特許権をめぐるいろんな黒い勢力の争いです。スッタプ細胞はひょっとしたらあるかもしれない。ひょっとしたらあるかもしれないことにしておいて、ここで特許を潰しておくと、別の技官がSTAP細胞を見つけて特許申請ができるじゃない。そしたら、50年とか70年とか、何もしないで莫大なお金が入るんですよ。なんであんな細胞が今あんなに注目されたか?金になるからです。新しい臓器を作って、皮膚なんかを作って、それで皮膚移植なんかに使えるからでしょう。で、皮膚移植に使うときに自分とこが特許さえ持っていれば、何もしなくてもお金が入るわけじゃないですか。それを狙っている某国の某組織が動いているという噂も十分あるし、そんなことは僕らにはわかりません。当面、隠されたことがいっぱいありますから、今言っているのは嘘とは言いませんが、あてずっぽです。それは結局、あまり勉強しない、もののわかってない視聴者が自分とこのテレビを見てくれることだけを望んでやっているから、あんなのに興味を持たないほうがいいです。だって、嘘でもほんとでも私らに何も関係ないじゃん。そのことと僕らの日常生活とまったく何の関係もないじゃないですか。それよりも今晩のおかずのメバルの煮付けの仕方でも考えたほうがいいと思う。(回答・野田俊作先生)