Q0399
学校は好きで成績は普通でそれなりに楽しんでいる中1の長男と、小1から不登校で行ったり行かなかったりの5年生の次男と、そんな2人を見て、「上のお兄ちゃんは友だちいっぱいいて楽しそうやな。2番目のお兄ちゃんはゆっくり寝て勉強もちょっとしかせんと楽そうやな。僕はどうしようかな?」と考えている年長の三男がいます。今の社会に適応している子、適応していない子、迷っている子に対して、母はどう接していったらいいですか?
A0399
どう接していったらいいか。どんな子に対しても一緒なんです。子どもごとに対応を変えるというような器用なことを人間ができると思わない。男の子だから女の子だから、よく勉強する子だからとかよく勉強しない子だからできるからといって、対応を変えようという心のもう1つ向こうに見える邪悪な目的は何か?それは結局のところ、子どもを自分の好みの人間に育てるにはどうすればいいかという問題意識なんです。それは違う。子どもが自分の望むように人間に育つようにすればいい。そのために親が自然にできることをしていかないとしょうがない。でも親が自然にできることというのが見失われている。家族として暮らすこと。苦楽をともにすること。みんなが参加して暮らすこと。いつも何となくしみじみと語っていること。家族がバラバラに分散して暮らさないこと。テレビが4台あって食卓の4方向に置いてある。で、僕は向こうにいる人の顔の向こうにあるテレビを見ている。僕の前にいる人は僕の後ろにあるテレビを見ている。左の人は右のテレビを、右の人は左のテレビを見ながら食事をする、というようなことをやめること。「パセージ」を受けられた方みんなに無視されている、誰も実行していない第7章をもう一回読んでほしい。アドラー心理学の育児の第一次目標は、「家族会議」です。これがベースキャンプです。ベースキャンプができていないと、アドラー心理学の育児はできてない。他に何ができてても。家族が週に1回とか、それが無理なら2週に1回とか、それが無理なら月に1回とか、それ以上は値切れない、集まって、真面目に話をする場所を作りたい。一体われわれはどうやって生きていくか、家族の問題として。自助グループなんかでも家族会議のことを話し合っていってほしいと思う。「どうやって家族会議をするのか?」とか、「どんなことを取り上げるのか?」とか、「何のために家族会議をするのか?」とか、「どう参加してもらうのか?」とか、すごくたくさん工夫がある。「パセージ」にはちょっとしか書いてない。どうせ誰もやらんやろと著者が思いましたので、一応書くだけ書いておいて、あとでイヤミを言おうという本来の目的があって書いてある。家族会議だけで1冊の本がアメリカでは出ている。1冊の本に書けるほどのテーマなんです。家族会議をやって、子どもたちみんなが助け合って暮らせるように。3人バラバラじゃないんです。この子たちは、これから一生、僕たちが死んでしまったあとも、ずっと関わり合って暮らすんです。関わり合いを今ちゃんとしっかり始めておいたほうがいいと思う。人間は横のつながりと縦のつながりの中で生きていく。歴代社会の中で生きていく。そのことをちゃんとわかってもらったほうがいいから、僕は家族会議ができる方向へしばらく持っていったほうがいいと思う。お兄ちゃんが弟たちにきっといいアドバイスをしてくれると思う。親がやきもきしなくても。(回答・野田俊作先生)
Q0398 幼稚園年長で不登園、今小1
幼稚園の年長から行かなくなり、アドラー派のカウンセラーから、「親の注目を得る行為だ」と言われていました。どう対応していけばいいのでしょうか?今は小1です。
A0398
まあ、アドラー派のカウンセラーの誰かによるけど、「親の注目を得る行為だ」と言われたということは、当然対応をいっぱい習っているはずですが、そっちは聞こえませんでしたか?もし注目関心を得るために不適切な行動をしているとすれば、どうかわからないけれど、それはこの子の家庭への協力とか参加とかに感謝していないから。この子を家族のひとりのメンバーとして一緒に暮らしていこうと思っていなくて、かわいいペットちゃんだと思って責任を免除して、やりたい放題させるか、あるいは欲求不満になったらそれに心配するとかいう縦関係をとっているからです。ですから、この子がひとりの人間として、人格として、家族にちゃんと参加してくれるようにお願いしないといけない。例えば洗濯物を一緒にたたみましょうよ。お片づけを一緒にしましょうよ。掃除を一緒にしましょうよ。お風呂を一緒に磨きましょうよ。そのことで、もっと家族と一緒の生活する喜びを分かち合える生活をつくりましょうよ。と、カウンセラーは当然言っていると思うんですが、聞こえませんでした?(回答・野田俊作先生)
Q0397
友人が7年前から鬱病です。最近、「人格障害で一生治らない」と言われました。人格障害というのは一生治らないものなのでしょうか。
A0397
そうです。一生治らないものです。医者が患者さんに「あなたは人格障害だ」と言うのは「イヤな患者だ」という意味です。そうなんです。「あの患者、人格障害ね」と言われたら、つきあいたくないという意味なんです。そういうタイプに分類されちゃったんです。人格障害が治らないというのは、お医者さんの言うことを聞かないからです。言うことを聞けば治るんです。この人も悔い改めれば、つまり医者のアドバイスから自分の聞きたいことだけ聞き、聞きたくないことは捨て、お薬の中からおいしいお薬だけ飲み、まずいお薬は飲まず、生活指導の中からやりたい生活だけし、やりたくない生活指導は捨てたりして暮らさなければ治るけど、この人はきっとお医者さんが丁寧に話を聞き、アドバイスをしてくれている中から選り好みをして、自分の判断で、したいことだけして、これは違うなあと言っているから人格障害だと言われました。人格障害だと言われたということはイヤな患者で、なんでイヤな患者かというと、言うことを聞かないからで、言うことを聞かないから一生治らないんです。とても論理的・因果的・科学的でしょう。だから、この方の望まないことをすれば治るんですよ。お医者さんのアドバイスされることで、こんなんつらいよ」ということをやれば治ります。糖尿病の患者さんが糖制限されるように、高血圧の患者さんが塩分制限されるように、守れば治るし、守らなければ治らない。精神医学だってそうで、お医者さんのアドバイスをちゃんと守れば治るし、言うこと聞かなければ治りません。ほんとに言うこと聞かない患者さんっているもん。「したらいかん」ということを次々選んでするんです。そしたら「人格障害」とぽんと判子を押すんです。カルテに。で、こいつはもうプロの神経症者だから、これにエネルギーかけるよをやめようと、こんな人に3年5年エネルギーをかけるよりは、ちゃんと言うことを聞いて本気で治る気のある人に3か月エネルギーかけて、そういう患者さんとたくさん接するほうが、ずっといいじゃないですか。またこういう人格障害患者に限って、尻が長い。来ると、長いこと長いこと不満を言うんです。だからできるだけ愛想悪くして、早く追い返し、薬も28日分くらい出して、なるべく再再ないようにするんです。しょうがない。自業自得です、はい。大変冷たく言いますが。(回答・野田俊作先生)
Q0396
夫婦仲良くできない娘です。上の女の子(小1)はそれを日常的に見ています。昨年暮れにママがパパに突き倒され、大声で怒鳴り合っているのを見てしまいました(良い生活ですね=皮肉)。この子は5歳で下の子が生まれてから、爪噛みや夜尿が今も続いています。上記のころ、しばらくトイレでボーッとしているようになっていました。娘が暮れにわが家へ2人の子どもを連れて家を出てきたときに、じっくり話を聞き、夫婦仲良くすることの大切さがわかったらしく、はじめて「パセージ」を受けてくれました。娘の夫婦仲は相変わらずですが、私は娘の苦悩を共有していくことが今の私の仕事ではないかと、今朝の講演から学びました。具体的に、「夫婦仲良くしたいの?したくないの?」と何度か聞こうとしましたが、思いとどまって引くことに徹してきたのですが……。
A0396
あのー、まあ、両方とも馬鹿ね。男はやっぱり男尊女卑の時代の後遺症というか遺伝というかを引きずっていて、女性を尊敬するとか女性と一緒にやっていくとかいう意識がとても少ないと思う。しかもマザコンだったりして、女から求めるだけ求めて、ちゃんと返そうとしないと思うんですよ。だいたい日本のママがいけないんです。日本のママが息子のためならどんなことでもしますから、あれは息子たちを馬鹿に育てているんです。息子を溺愛してはいけませんよ。そうすると今度は嫁さんに溺愛されないと怒る男になりますからね。そういう男の意識の遅れというのはすごくあると思う。女のほうも良くないと思うんですよ。フェミニズム運動のあおりで、女性本来の働き・機能を忘れてしまい、変な劣等感の補償をして、猛々しく、男っぽくなれば、それで自立したんだと誤解し、顎をピッと張って暮らし、無慈悲に男の欠点ばかり指摘する女が増えました。どっちにも問題あるんです。男と女が一緒に暮らすやり方を学び直さないといけないと思う。ところが、男と女が一緒に暮らすやり方を学ぶのに集団ではできない。
1つは、育児というのはあまり個性がなくて、どこの家でも似たような問題をかかえて、似たようなトラブルを起こすんです。でも夫婦のトラブルはすごく個性がある。夫婦ごとに全然違う形で起こるんです。育児はたいていの問題を、公開の場でおおやけにできるんです。夫婦の問題はおおやけにできない問題が、セックスの問題もありますし、それ以外にも経済的なこととかたくさんあるんです。だからグループセラピーができない。治療者たちがいろんな実験をいろんな機会に今までやってきましたが、結局うまくいかない。だから、夫婦のための「パセージ」は作れない。夫婦の場合は、個別に、夫婦2人がやって来て、カウンセラーと夫婦再建の相談をするしかしょうがない。それは昔はわりと簡単だった。20年くらい前は、夫婦カウンセリングの打率はすごく良くて、「離婚します」と両方が言っている夫婦でも、「3か月くらいゆとりをください。離婚はいつでもできますから、慌ててしなくていいから、みつきくらい両方が工夫をしてみて、暮らし方を改善しませんか」と言ってみてやったら、6割くらいの打率で仲良くなりました。1980年代は。今は駄目です。とてもそんなに打率は上がらないです。女性のほうが別れても困らない状況ができてきていることもあるし、離婚があまりにもありふれた事柄になって、離婚を抑止する力が社会的にすごく弱まっているということもあるし、さまざまな要因で、すごく安易に離婚できるんです。だから、夫婦再建がうまくいかないんです。よっぽど両方熱意がないと。夫婦両方がまず仲良くしていこうと決心をすれば、それはできないことはない。ただ、夫婦の治療というのはかなり痛い。なんでかというと、夫婦仲が悪いときは、相手が悪いからわれわれの仲が悪いと両方が思っている。あの人さえ変わればわれわれはうまくやっていけると思っている。違う違う。悪いのはあんたや。両方ともね。両方とも、相手を変える努力をやめて自分が変わる努力をしないと絶対に変わらない。双方に問題がある。双方が子どものままで性的に成熟しました。幼形成熟です。結婚はしましたが、心は子どものままなんです。その心をある一定期間に大人にしないといけない。だからちょっと大変なんです。だから、両方に責任があって、相手が悪いからわれわれは不幸だと絶対に思わないようにしないといけないから痛いんです。自分の不幸が他人のせいであればどんなに楽か。私の不幸は全部私のせいなんですよ、残念なことに、アドラー心理学によれば、まったくそのとおりだと思います。そのことを両方が認識するまでにだいぶ時間がかかります。認識してくれたら、それを変えて成長していくのにまただいぶ時間がかかるんです。その間、相当つらい目に遭わないといけない。なるべくつらい目に遭わさないように工夫するけど、夫婦両方は治療の中で一番痛いと思う。それを堪える気があればかなり仲良くなるでしょう。おばあちゃんとしては、そんなこともできないから、娘さんが帰ってきたら、おばあちゃんの世代の知恵を言ってあげたらいいと思う。男の人は立ててあげんといかんとか。と思ってないで、きっとばあちゃんは(爆笑)。問題は。もう1つ上のばあちゃんがいたら思っているんだ。それは世代の問題ではなくて、もう1つ上のばあちゃんになれば、そう思えるようになるんだ。男の人は立ててあげんといかん。女はやっぱり従わんといかんと、しみじみ言えるようになる。直接の母親はしみじみ言えない。自分はそう思ってないから。そのことが子どもたちの不幸の1つの始まりなんです。そういうふうに教えなかったから。女性は女性、男性は男性としての夫婦の中での役割を僕たちは子どもたちに教えてこなかったんです。間違った男女平等、男女共同参画概念ね。人工的な、まるでこの辺に立っている建物みたいな、頭でこしらえあげた男女平等思想を子どもたちに教えてきたんです。デカルト・パラダイム(理性主義)というのは結局何かというと、大阪の街です。今ではもう農村へ行ってもないんですけど、地下鉄に乗ってちょっと行くと、服部緑地というところがあって、そこに民家博物館というのがあって、昔の民家をそのまま保存しているんですけど、あれは人間の暮らしですね。木で作ってあって、腐らないように、ずっと囲炉裏に火が入っているんですよ。それでずっと燻製されているから、ほんとはトラホームなんですよね、人間が。目の病気。でもまあ、ああやって燻製されていて、屋根も茅葺き屋根で、60年に一度葺き替えるんですけど、あれは村の仕事で、村で茅を育てるんです。で、60年ごとに1軒ずつ建て替えて、村中の男が出て女が出て、「来年はあんたとこやで」と言って、60軒で持っていれば60年に1回ずつ葺き替えできる。今はそういう手がなくなったから、みなトタンで貼ってしまいました。あれはナチュラルな、この国の中で一番風土に適した暮らし方を何百年か作ってきたんです。ですから地震が来てもあんな家は絶対に潰れないし、台風が来ても潰れない。で、今いるここは地震が来たらパコンと割れます。実はここは壁紙が貼ってあって見えませんが、中はいっぱいひびがが入っているんです。鉄筋コンクリートなんて弱いもんです。これ何年保つと思いますか?鉄筋コンクリートはだいたい50年くらいの耐用年数で考えているんですね。建築家は。それくらいするとコンクリートが駄目になっちゃうんです。たかだかそれくらいしか保たない偽物の建物なんです。でも農家だと200年、300年保っている建物はざらにありますし、お寺・薬師寺の塔なんか1200年ちゃんと保っているんです。それはこの国の風土に適したナチュラルはものだから。それは夫婦とか親子関係でもそうなんで、僕たちが作ったものはアドラー心理学も含めて偽物なんですよ。人工物なんです。理性が作ったもんなんです。男女参画思想なんていうのも、頭で考えてこねくったもので、人間の本姓に根ざしてないんです。男と女が尊敬し合い信頼し合って暮らすのはいいことなんだけど、今みんなが言っている男女参画思想をパックリ鵜呑みにして、それこそ真理だと思わないことです。やっぱり女性は男性に譲ったほうがいいです。男性は女は弱い者だと思って守ったほうがいいです。古臭いことを言うなと言われるかもしれないけど、それはしょうがないじゃないですか。女は子どもを産むとか、男は立ち小便ができるとかと同じで、自然な出来事にすぎないんだから。(回答・野田俊作先生)
Q0395
鬱のとてもひどい60歳台の女友だちとどうつきあえばよいですか、教えていただきたいです(野田:縁を切るのがいい)。彼女は15年ほど前、職場の銀行の金庫内に誤って閉じ込められ、鬱になりました(野田:ほー、金庫に入ると鬱になるか。珍しいな)。退職後、娘さんの外国人のパートナーさんが、彼らの離婚問題で、私の友人である両親に暴力を、家庭損壊を繰り返し、警察沙汰にも何回かなりました。そのために引っ越しも何回かし、彼女の鬱はひどくなりました。この事件のほうは、裁判で今は解決しました。
A0395
縁をお切り。なんでこんな人にかかわるの?たぶん、職業的神経症者だと思う。プロの神経症者っているんですよ。僕らの世界にもよくおいでになります。僕らは、「こいつプロかなアマかな?」って患者さんを見るんです。それはそうでしょう。プロにエネルギーかけてもしょうがないもの。砂漠に水を播いているみたいなもんです。ちゃんと収穫のある人にエネルギーをかけてあげないとね。医者というのはすごく金がかかっているんです。国家が僕に金をかけてくれたんです。私の時代の医者で、昭和30年代の医者で、国は僕に年間250万円使ってくれたんだそうです。その時代、文学部の学生さんが20万円で、工学部の学生さんが110万円くらいで、医学部の学生が250万円くらいかかったんです、年間。顕微鏡買ったりなんかするので。今は1000万以上かかっているんだって、年間に。だから6年大学にいたら6000万、そのあと大学院まで行ったら1億くらいの金を国家が1人の学生のためにかけているんです。しかも僕らは給料をもらいます。給料は当時高くて、医者の給料って実はごまかしで、終身給与は高くない。一生ずっと全部の給与の総額を勤務医で計りますと、工学部や理学部の大学院卒と同じ学歴ですから、工学部修士課程を出た子がもらう給与より、終身給与は安い。初任給は高いけど。初任給高くて、ほとんど昇級しないで一生行く。だから、途中で追い越されるんですけど。終身給与はともかく、初任給は高いですから、若いうちにこれもだいたい国立病院とか地方公共団体が作った病院から金をもらっていますので、国民の税金を億単位でもらったんです。そうやってやっと医者になったんです。そのエネルギーを、「絶対に治らない神経症者にちょっとでも分けてたまるか」と思うんです。思いません?だから、僕たちがつきあってあげて、ちゃんと反応して収穫がある人たちにはどんな苦労でもしてあげますが、「絶対治らないぞ、神経症から吸える甘い汁は徹底的に吸って暮らす」と決めている人には、一切手伝いをしないことに決めているんです。もちろん、絶対治らなくても、例えば統合失調症の患者さんにはたくさんエネルギーをあげようと思うんです。統合失調症の患者さんは、彼らには収穫が何もないんです。彼らは今の社会からはねのけられ差別され、社会がもっとゆったりしていれば、社会に彼らの居場所があれば、暮らせたのに、近代資本主義は彼らを隔離収容して、気違いというレッテルを貼って、疎外しようとしていて、そこに誰かお守りをしてあげる人がいないといけないから、それも精神科の神聖な役割ですから、統合失調症者にはエネルギーかけようと思いますが、プロの神経症者、いわゆる人格障害、神経症から吸える甘い汁は吸い、一切の責任は取らず、そこから得られる利益は全部得ようとしている人たちには、何一つしてあげようと思わない。だからまして、アマの方はその人たちに対してなんの責任もありませんから、縁を切りな。(回答・野田俊作先生)