Q
実の母親と同居しています。姑となら「心にもない優しい言葉がけ」ができるのに、実母は毎日の姿を見てイヤになります(野田:そうでしょう)。勤めから帰り玄関を開けただけで、至るところに母親の介入が目につきムカッとします。夫婦喧嘩にも割り込んでくるし、イライラすることばかりです。別居をしようと夫に言いますが、「自分にとっては良い親だし、子どもを思ってのことだから感謝せよ。わがままだ」と言われて、それなら独り暮らしをしようと私だけ家探しをしています(野田:過激やなあ)。
A
実のお母さん、お父さんもそうですが、実の親はこの世で一番難しい相手で、この人と付き合えるようになると、あと夫婦円満、子どもともOK、孫ともOKで、とても良い自分の老後が保障できますから、だから課題が難しいからと投げ出さないほうがいいと思う。せっかくこれだけ難しい問題があるんだったら、ちょっとチャレンジして何とか解いてみたらどうでしょう。「心にもない優しい言葉がけ」がなぜできないか?あれは要するに口先だけですから、口というのは要するに「あー」とか「いー」とか「うー」とか動くだけで、それでもって「ありがとうねー」とか「いつもすみませんねー」と言えばいいだけで、お腹の中で「べー」って舌を出していていいですから、できるはずでしょう。できるはずなのになぜできないかというと、それは権力闘争で、人間関係がどっちが上でどっちが下か、どっちが正しくてどっちが間違っているか、どっちがボスでどっちが家来かを決めようというルールで動いているからです。家族関係の中で、正しいとか正しくないとか、上とか下とか、筋が通っているとか通ってないとか、新しいとか古いとか、競争してもしょうがないのと違う?それよりも、協力できる準備を何かしていったほうがいいと思う。そのために最初にしないといけないことは何かというと、「負ける勇気を持つこと」ですね。だから、お母さんに負けます。負けると向こうはつけあがってますますひどくなるかというと、ならないんです。なんでならないか?今さかんに介入してきたりいろいろするのは、向こうも権力闘争に入っているわけです。こっちが入っているから。こっちが「余計なお世話よ!」と言うから、「ここで引っ込んだら私の負けよ。娘がわかるまで絶対言おう」と決心しているからいっぱい言いつのる。こっちが「ありがとう、そうしてみる」と、せんでよろしいから、口先だけ言えば、あっちもおとなしくなります。権力闘争に入っているだとまずわかってください。権力闘争から降りる方法は、1つしかない。負けるという最も悔しい方法です。こっちが負けると、向こうも「私が悪かった」ときっと思ってくれます。思うまでの期間がちょっとつらい。あっちは「最近おとなしいけど、これは作戦だな」としばらく思います。ちょっとの間辛抱しないといけないけど、人間関係って面白いので、自動車のギアチェンジみたいにあるとき切り替わるんです。切り替わったら切り替わったまんまなんです。悪い人間関係から良い人間関係に切り替わったら、あとは良い人間関係が続きますから、切り替わる途中だけちょっとだけ努力してください。悔しいでしょう、自分から折れるとか優しい言葉をかけるとか感謝するとかはすごく悔しいんです。でも、お母さんのほうも、助言しないで引っ込むとか、娘に世話してもらっているのに感謝するとかするのはきっと同じように悔しいんですよ。こちらが変わるのは悔しいのと同じように、向こうも変わるのが悔しいんです。親に悔しい目をさせたらいけない。親不孝だぜ。まず自分が悔しい目をしてあげたら、向こうも悔しい目をしてくれるでしょう。(回答・野田俊作先生)
Q
来年古希を迎える夫婦です。夫はまだ会社に行っていますがやがて退職を迎えます。友人知人を見ていると妻が夫のお守りをしている感じのご夫婦が多いようです。私はお互い対等で、趣味も一緒のものと別々のものとがあって、お互いの自由も尊重していけたらいいと思っています。どんな心がけが大切でしょうか?子どもはみな自立していて同居はないと思います。
A
初老期じゃなくて老年期ですね。どういうとき老年期ななるか?発達の話です。人生の最後の発達段階です。この社会に対する建設的な貢献的な活動からすべて身を引くと老年です。会社へ行っていたら建設的で活動的で貢献的です。会社辞めちゃってもそれはできる。例えば、近所の老人会の世話役さんをするとか、子どもたちに何か教えるとか、自分でお勉強を始めるとかすれば建設的で活動的です。趣味の世界に没頭して、毎日池へ鮒を釣りに行くだけでは建設的でも活動的でもない。もうちょっと何かしないと。池が汚れてきたから池をきれいにする運動をするとかすると建設的で貢献的です。気をつけて何か社会に対してプラスの作用を及ぼそうと、親はやがて死んでいくけど、残る人たちにちょっとでも役に立っておこうと思うと老年期に入らなくてもすむ。初老期のままで一生いられる。そしたら初老期にボケないし、それからたぶん保障はしないけど癌にもならない。どんなとき癌になるか?生体が自さつしようと思うとき癌になる。何かイヤになっちゃったとき、定年になって悠々自適で暮らそうと思うけど、悠々自適と口先では言っていても実際には何も夢はなくてぼんやりと暮らしていると、「もういいだろう」とちゃんと体が癌になってくれる。あるいは配偶者に死なれたとか、子どもに裏切られたとかいう感じを強く持っていて、「もうイヤだな」と思うと体が癌になってくれる。ボケもそうで、あれは体は残るけど心のほうが自さつする。だからそんなにならないように、いつもこの世に夢と希望があって、自分に役割があって、自分に場所があって、自分が貢献できるということに気をつければ、老後やっていけると思う。だから何かそんな計画を話し合われたほうがいい。署名集めなんかもいい。ある人は禁煙指導をするお医者さんで、その人は電車の中にタバコの釣り広告があると、“Today I smoke. Tomorrow I will die.”というシールを貼って回ったとか。(回答・野田俊作先生)
Q
小学5年生の息子の担任のことです。学級の運営が空回りしています。先生の対処が感情的であったり先入観であったりするので、子どもと先生の距離はどんどん遠くなり、子どもは先生を好きになれず、先生は一部の子を手強い子で憂鬱だと思っています。息子は自発性に優れ、学ばなくてもアドラー的生き方をしています。ここで野田先生は「ほんならええやないですか」と言われると思っているので、これで終わらないで、息子の担任だから母親にやれることを教えてください。私は、空回りしていることを早く先生に気づかせたい。子どもに「上靴が汚い。給食エプロンが汚い。着替えが早くできない」など、そんな細かいことを言わないでほしいです。40代男性。どんなタイプの子どもでもよく話を聞いてやってほしい。話さない子を増やさないでほしい。子どもたちが先生に話を持って行くと、そのことを「チクリ」と言って非難します。それを気づいてほしい。ちょっと欲張りですがお願いします。私は担任が嫌いですが助けてあげたい
A
これが余計なお世話です。2つ言います。すぐ1つとか2つとか言うところが賢い。自分で言っているくらいですから(笑)。親と教師と子どもと三角関係があって、今相談者はこの親です。教師と子どもの関係はこのお母さんにはさわれない。このお母さんは自分と子どもが仲良くなることはできます。自分と教師が仲良くなることもできます。でも、教師と子どもが仲良くなるのは、原則としてできない。担任の課題ですから。これが一番。じゃあ絶対できないかというと、ある条件の下ではできます。それは先生が困って、「ねえお母さん、僕はクラスの子どもたちと何とか仲良くなれないでしょうか?ひとつ相談に乗ってくれませんか」「じゃあ相談に乗ってあげましょう」ということになれば手伝える。僕の仕事がそうです。学校の先生が来られて、「うちのクラスでうまくいってないんですけどなんとかならないでしょうか?」「こんなふうにしてみてはどうですか?」とわれわれがアドバイスできるのは、向こうが頼んでくるから。私と先生との間に契約ができて、私がコンサルタントだと向こうが認めてくれるからでしょ。この先生はお母さんをコンサルタントだと認めてくれそうに思わない。思わないのでどんなことをしてもこの先生は変わらないと思う。アドラー心理学のカウンセリングはすごく強力だと思う。受けられるとたぶん利益があるでしょう。当たり前みたいに思われるかもしれませんが、そうでもないんですよ。よそへ行くといくとどんなにスカみたいかわかりますから。うちですとカウンターパンチみたいなのを顔面にパーンと入れられたりして痛い目に遭いますが、とにかくカラダが何をしていけばいいかがわかります。例えば、僕のところで、「子どもを愛してあげなさい」言われることはないんです。「あなたは愛が足りないからもっと子どもを受け入れてあげなさい、愛してあげなさい」と言われても、愛してあげたいとは思うけどどうしていいかわからない。具体的に。僕のところではそんなふうに言わないで、例えば、ご飯をちゃんと食べてくれたら、「ちゃんと食べてくれて嬉しいと言いなさい」とか、お手伝いしてくれたら「お手伝いしてくれて助かった」と言いなさいとか、具体的にカラダが何をすればいいかを教えます。しかも、心はともなわなくていいとよく言います。“心こもらぬ言葉から”すべてが始まるので、心はあとから追っかけてくるから、口先アドラーをまずやりなさいと。それをやっている間に、だんだんこっちも本気になるから、向こうも本気になるから。それは実行可能です。すごく強力なカウンセリングだと思いますが、望まない人、例えばうちへ来ているお母さんが、息子さんなり娘さんなりを無理やり引っぱってきて、「カウンセリングはイヤや」と言うているのに、「そんなこと言わないで野田先生に会いや」と言ってもこれはダメなんです。向こうにニードがないと。あちら側が自分が変わりたいと願っていればアドラーのカウンセリングは強力ですが、全然願ってない人には何を言っても聞こえませんからダメ。この先生はたぶん願ってないかもしれない。「こんなもんだ」と思っているかもしれない。もし願っていても自分の生徒の親に相談しようとは思わないと思う。だからダメ。諦めてください。だから、このお母さんにできることは、まず子どもとの関係を良くすることにもっとエネルギーを使ったらどうか。この先生と仲良くするのにエネルギーを使ったらどうか。先生を改造しようとする計画はお捨てになったほうがいいんじゃないでしょうか。(回答・野田俊作先生)
Q
実母91歳。4年前呼び寄せました。手すりを使ってベッドからトイレまで歩けます。母は汚れた手もわからずあちこち付けながら移動しているので、きれい好きな夫に気を遣って、母には家事をやらせておりません。自分の衣類の着脱、着やすいようにボタンはマジック、ズボン・シャツ等は改造して前開きにしてあります。普段の食事はスプーンで食べることができます。夜、面倒だと、私にやらせようとちっとも着替えをしようとせず、いらいらする私。朝、デイサービスとショートステイに出かけるときも同じように、早く起こしても起きようとせず、「もう遅刻よ」と言ったらやっと起きる始末。私が手を出せば何もしようとせず、お人形のようにずっと突っ立っています。手伝えば5分で済むこと。そのほうが私のストレスも生ぜず、夜は手伝ってしまいます。近年、私も対応がわかってきて、こんな日々ですが、ストレスはやはり溜まり、1か月に1回、1週間から10日くらいショートステイに預けます。年に2,3回、ものすごく若返った感じになり健常者に戻ります。こんなエネルギーがあるなら、日常の中でほんの少しでも自分のやりたいことをやったらいいのにとこちらは思いますが、まったく寝てばかりです。こんな老人は、世話をしているこっちが鬱になってしまいそうですが、気持ちだけでも元気になればと、本人の希望の喫茶店に、週に2,3回連れ出しますが、他に元気になる良い方法はないでしょうか?
A
このおばあちゃんがやっているのは、子どもがやっているのとまったく同じですから、元気になる方法はいくらでもあります。老人とつきあうときの先入観なんですが、子どもについては、母親が変われば子どもが変わると、みんなそうだろうと思う。老人だってわれわれが変われば老人が変わるんですが、でもこのおばあちゃんボケてるとか、老人だからとか、頑固だからとか、わからずやだからとか甘えているからだとか、おばあちゃんが悪いことにしてしまうんです。子どものときには、この子は頑固だからとかわがままだからとか初めしているんですが、「そんなことを言っていると子どもはいつまでたっても変わりませんよ」と言うと、「それはいけませんねえ」とやっぱり母が変われば子が変わると思うけど、老人のときはなかなか思ってくれない。看護者が変われば老人は変わりますから、「パセージ」の課題シートをしっかりつけて、このおばあちゃんをうまく勇気づける方法を工夫してください。(回答・野田俊作先生)
Q
ある状況を客観的にとらえるのに効果的な方法はどのようなものでしょうか?
A
難しい質問ですね。まあとにかく落ち着いてみる。自分は今感情的でないかなと思う。もしも感情的だと思ったら、落ち着くための操作をする。これを「アクティブ・タイムアウト(あるいはポジティブ・タイムアウト)」と言います。「その場を離れて何をすれば自分が落ち着くか」をあらかじめ調べておく。例えば、音楽を聴いたら落ち着くとか、コーヒー入れて飲んだら落ち着くとか、近所を散歩したら落ち着くとか、自分が落ち着くのに効果的な方法を見つけておく。それで「やばい」と思ったときには、「タイムアウトでちょっと落ち着いてくるから」と言って、時間をとって落ち着く。それでもう1回考えてみる。考えるというのは、「言葉にする」という意味です。私が考えるというときには、人にしゃべるか字に書くかどっちかです。頭の中で黙って考えるというのは、たいてい堂々巡りです。心理学者はよく知っていますが、自由連想といって、頭に浮かんだ“よしなしごと”をそのまましゃべってもらうと、ほとんど意味のない連想のつながりです。他人にわかるように説明しようとすると、そこに脈絡ができてくる。そのお稽古として「ジャーナル」を書くのをお勧めしています。ジャーナルというのはただのノートなんですけど、日記みたいなものなんですけど、3つの条項に気をつけて書いてください、1つは、他人に読んでもらえる文章で書くこと。箇条書きとかメモ書きとかでなくて、それを他の人が読んで「ああそうね」ってわかる、名文でなくていいから意味の通じた文章で書くこと。それから目的を意識して書くこと。手段だから。目的は「自己成長」です。自己成長というのは、「もうちょっと大人になること」です。僕らは子どもなんですよ。われわれは10歳くらいでライフスタイルの発達をやめてしまっているので、だいたい10歳くらいの子どもなんです。それをもうちょっと大人になりたい。だからジャーナルを書きます。そうすると、自分の子どもらしさがわかるし、どうやったら大人らしく考えができるかがわかると思う。それかネガティブなことを書いてもいいです。人の悪口とか自分の悪口とかを書いてもいいですが、必ずポジティブなことも書いてほしい。クラスにこんなイヤな子がいて乱暴ばっかりしますと書いてもいいけど、でもこの子にはこんないいところがありますと、絶対書いてほしい。必ずポジティブなことも書く。それを毎日でなくてもいいからしばらくやります。ジャーナルは多分人に見せません。多分誰にも見せなくて、そのうち溜まります。自分でも滅多に読み返さないから、一応1冊だけは置いておきます。私も最近書いたのは本棚にあります。もう1つ前はシュレッダー。今書いているのが書き上がったらそれは残して、残っているのはシュレッダー。1冊だけ残していますが、読んだことはありません。何となく未練はあるので残しているだけです。それで十分効果はあると思います。そうやって「大人らしく」世界を自分を見る方法を学びたい。人と話をしたいけど、なかなかこの話をつきあってくれる人がいない。本質的な話、人生にとってほんとに関わりのある話というのは、みんな聞きたくないんです。だって、そこについてはみんなおのおの意見があって、絶対に喧嘩になるから。それよりファッションの話題とか政治の話題とかスポーツの話題とか、当たり障りのない話題でもってつきあいたいんですよ(いわゆる世間話です)。私は大学の研究室にいたときに、すごい共産主義者のお医者さんがいたんです。パリパリ共産党員で、実際に党費を払っている方でした。それから自民党新派で、文部科学省べったりのお医者さんもいました。こんなのと毎日顔を合わせていたら喧嘩すると思いません?ところが全然しない。なんでしないかというと、だいたい野球の話をしています。その2人は。喧嘩するのを知っているもの。人間ってそんなもので、その人に人生の本質と関わりのあることは人と話したくないので、私たちが自己成長するために深いところの話をすると誰も聞いてくれませんから、そんなうっとおしいことはやめて、もっと楽しいことをしゃべる。それはしょうがないから、だからジャーナルに書きます。そうすると少し客観性が養えると、まあ思います。(回答・野田俊作先生)