Q
子どもは中学1年生の男子です。今は、「自転車が欲しい欲しい」と毎日のように言っています。今ある自転車は、まだ十分乗ることができます。次々に欲しいものが多くてとても困ります。
A
これもね、似たようなことがわが家でもありました。うちでは、ルールを作りました。
家族全員で会議を開きました。議長は息子か娘がやります。親が議長をしますと、会議を議長独断で進めてしまいますので、公平な立場の人にやってもらったほうがいいです。結局いろんな話し合いの中から、ルールが3つ決まりました。
3つのルールというのは、1番目に暴力をふるわないということなんです。これは「但し書き」があって、言葉の暴力も暴力なんです。恐い声を出してはいけない。これは困りましたねえ。「こら!」って言うとダメなんです。「お父さん、ルールの1番目を言えますか?」「ハイ、暴力をふるわないです。恐い声も出してはいけないです。すみませんでした」って言わなければいけないので、親は一切恐い声で子どもを叱れなくなりました。
ルールというのは親も縛られないとダメなんです。親が縛られないで、子どもだけ縛るようなルールは、絶対に守られない。
2番目がこの質問と関係があります。むやみに物を欲しがらないというルール。このルールはまいりました。私はむやみに物を欲しがる人なんです。毎度、息子や娘に注意されました。「お父さん、また何か買おうと思っているでしょう」「……」。親が、このことに縛られないといけない。そうすると、子どもたちも「そうか」と思う。
ついでに3番目のルールを言いますと、「嘘をつかない」というルール。これも「但し書き」があるんです。嘘をつかないというのは不可能で、人間、嘘をつきます。だから、嘘をつかないというのは、もちろん嘘はついてはいけないけど、本当のことを言わないのはかまわないんです。だから、例えば、「今日どこへ行っていたの」って聞いて、「言いたくありません」と言えばそれで終わり。“黙秘権”というのがある。私(野田)は裁判所に勤めていましたから、これは厳守していました。裁判所で、非行少年に最初に言います。「君は自分に不利になると思うことは言わなくてもいい」。刑事訴訟法にちゃんと書いてありますから。日本の国の法律が保障しているものを、家の中で保障されていないのはおかしいですから、家の中でも黙秘権を保障したんです。誰もひと言も嘘を言わなくなりました。その代わり、黙秘権がさかんに飛び交いましたけど。嘘をつかない子どもになりました。おかげさまで。
この子が自転車を欲しい欲しいと言うのは、まず親が「欲しい欲しい」と言ってないか、ちょっと反省してほしい。それから、もしどうしても欲しいんだったら、それを稼ぐ方法を作ってあげることだと思います。かなり正当な賃金で、1時間350円から450円くらいの間で、家事労働等をしてもらうのもいい。あるいは借用書を作って返済条件もちゃんと書いて、お金を貸す。据え置き何か月以内とか、利子は何パーセントで返すとか、これも社会のルールを教えることになると思います。利子も決めたからにはきっちりと取る。わが家では5パーセントで、小遣い天引きです。向こうも小遣いがどんどん減るわけだから、どれくらい借金したらいいか考えますよ。
つまり、「世の中だったらこんなときどうするかな」って考えたら、働いて稼ぐか、サラ金に行くとか、どちらかでしょう。どっちでもOKよ。どっちにせよ、あとできっちりと責任を取ってもらえばいい。
私の親父がこの主義で、私は大学の学費と、生活費を返すのにえらく苦労しました。大学に入ったとたんに、「お前はもう18歳で民法上は成人だから、養う義務はなくなった。学費も生活費も全部貸してやるから、あとで返せ」って言うの。それで証文を入れさせられて、利子が付いて、かなり高くつきました。でも、いい教育だったと思います。
親父は、「受験勉強をしなかったら大学に入れないというのは良くない。全然勉強しないで、学校で聞いたことだけで入れる大学へ行かないといけない。うちでわざわざ勉強して行ったって、あとでロクな者にならない」と言うんです。お茶の間はテレビがついていてね、その上、しょっちゅういろんなことを言うんです。話しかけてもくるし、やれ「タバコ買ってこい」だの、「風呂の水を止めてこい」だのね。そりゃ行きますよ。行かないとうるさいからね。でもそれは良かったです。そうやって邪魔され続けて勉強しますと、今すごいですよ。あらゆる雑用の中で、自分のしたいことをパッとやる才能が身についたから(“散漫力”です)。他のことをやりながら、人の話に耳を傾ける才能が身についたからね。あれが、一点集中でやっちゃダメなんです。そうすると、時間の使い方がとても下手になります。(回答・野田俊作先生)
Q
子どもは中学1年生の男子です。新聞配達をしていて、これは休まずに行っていますが、学校で少し遅刻があって、ふた月に1回くらい「お腹が痛い」と言って休むことがあります。今後新聞配達を続けさせるかどうかも含めて、どのように接していけばいいでしょうか?
A
子どもが学校を休んだら、親は何が困るでしょうか?子どもが学校に遅刻しようが休もうが、何であれ、それは子どもが自力で解決すべき問題であって、われわれが頼まれもしないのに、口を出してはいけない。
この息子さんに、「お母さん、僕、遅刻するんだけど、どうしたらいいだろうか?」と聞かれれば、「何々したらどう?」とアドバイスもできるけど、聞かれないのに言わない。あるいは、「新聞配達を続けようか、やめようか?」と相談されたら、「お母さんはこう考えます」と言えるけど、聞かれないのに言えないし、言う権利がない。
それから、「お腹が痛い」と言って休むというのは気の毒ですね。うち(野田家)の子が1回、「お腹が痛いから、今日学校休みたい」と言ったことがあるんです。これでも私は医者ですから、ほんとにお腹が痛いかどうかくらいわかることはわかります。それでこう言ったんです。「うちでは、お腹が痛くなくても、頭が痛くなくても、熱が出てなくても、『今日は学校休みまーす』と明るく言っても、学校を休んでいいんだよ」。すると次からは、「今日は学校を休みまーす」と明るく言って休んでくれました。どうせ行かないんだったら、「暗く行かない」か、「明るく行かない」か、どっちがいいか。
で、このおうちは、明るく休めない家なんですね。だから、子どもにそれは教えておいたほうがいい。「うちでは別にお腹痛くなくても、明るく元気に、今日は行かなーいって言ってかまわないよ」と。そしたら、きっとそうなるでしょう。そのほうがいいです。1日を有効に使えて。だって「お腹痛い」と言って休んだ以上は、数時間は痛いふりをしなくてはいけないですからね。つまんないですよ。(回答・野田俊作先生)
Q
子どもは高校1年の女子です。中学3年生のときから不登校です。現在兄は高校3年生、弟は中学1年生。彼らは登校しているが、高1の子は高校に入学したものの、1日も登校していない。家では夜遅くまで起きていて、昼まで寝ている。風呂に入るのも恐がり、人に会うのも恐がる。カウンセリングを受けたが、このままそっとしておくことを勧められた。いまだに回復しないので心配しています。
A
そっとこのままにしておくということに、ちょっとひねりがあるんです。心配しながらそっとこのままにしておくと、事態は変わらないんです。
例えば、人に会うのが恐いとか、お風呂に入れないということが起こったとします。またもっとすごいと、例えば、幻聴が聞こえるとか、隣のおじさんがいつも私のことをつけ狙っているとかという妄想が生じたとします。これは、心理学的に言うと、無意識がやっているわけです。無意識はなんでそんなことをやっているかというと、必要があるからやっている。どんな必要かというと、それはわからない。いったいどんな必要があって、そういう神経症とか精神病の症状が出るのかわからないけれど、そうでなければならないんです。そうでなければならないんだから、心配しなくてもいいんです。そうでなくてもよくなったら治りますから。
どんな病気でも僕(野田)は心配しません。この程度のことだったら、心配さえしなかったら治る。心配しながら待っていると治らない。このお母さんは、かなり心配しているようだから、なかなか治らないでしょう。
なぜ治らないか、そのメカニズムがわかることはわかります。
まず、きょうだいが3人いて、真ん中の娘さんは他のきょうだいと競争して、お母さんの注目とか関心とかを引きつけようとしているわけですね。およそ、きょうだいというのはみんなそうです。親は賞品で、きょうだいがレースをしている。建設的な方法、例えば、勉強ができるとか、友だちが多いとか、親孝行であるとかという方法で、親とつながれる子どもは問題を起こさない。他のきょうだいがみんなそっちで勝ってしまって、「私は負けだ」と思うと、できるだけ具合が悪いことをして、親とつながろうとするんです。
子どもにとって、無視されて関係が断たれるのが一番恐いんですね。われわれだって、友だちの中に入っていって、誰も挨拶してくれないし、口もきいてくれないと、そのうち何か変なことをするようになるでしょう。何とか目立とうとしますね。子どもの問題行動というのは、全部これなんです。
小さな子どもが「お母さん、遊んでよ」と言うのに、知らん顔をしてますと、何か悪いことをするようになります。「何するのよ!」と言うまでします。で、「何するのよ」と言われて、子どもは実は喜んでいるんです。「あっ、お母さんはこっち向いた」と思って。この子は、できるだけ親に心配をかける子どもでいることによって、親との関係をずっと続けていこうとしているんです。
それでは、この子がこんなことをしなくてすむようになるにはどうしたらいいかというと、そのことに関して心配しなければいい。そしてもっと良いことでつながればいい。その子がやっている建設的な出来事、例えば元気が良いとか、慎重であるとかに注目する。「臆病だ」と言わない。「内気だ」と言わない。「あなたは繊細だね」って言う。そうしたらその子は、臆病で、内気な子ではなくなります。慎重で、繊細な子になります。そうすると、彼女は自分の使い方を覚えます。自分の性格に良い名前をつけると、それを使えるようになる。このお母さんは、どうもこの娘さんの欠点を見る癖があるのかもしれない。
でも、欠点というのはそのままで長所なんです。ちょっと助けてくれたときや、ちょっと良いなと思ったときに、声をかけていくとすごく変わってくる。良いことをしたときのほうがつながれるということを学んでくれる。
よく学校の先生が「クラスに宿題を忘れる子がいるんですが、どうしたらいいでしょうか」と言う。これは簡単です。宿題をやってくれた子にお礼を言えばいい。「宿題をやってきてくれて、ありがとう」って言えばいいんです。そしたら、宿題をやってこなかった子は、「あれっ、これはやってきたほうが関係が持てるな、やってこなかったら関係が持てないぞ」と思う。ところが普通は、やってこなかったら関係が持てるんです。「お前、なんでやってこないんだ!」ってね。やってきて当たり前だから、やってきた子には声がかからない。そしたら子どもたちは、「どうせ僕(私)は、先生から良い形では注目されない」と思う。そのときに、例えば、宿題をやってこない、忘れ物をする、教室から外へ出て、フラフラと歩くということを始めるわけですね。ちゃんとやってきている子と、良い形でつながることだけやっていれば、みんなが良い形でつながろうとするようになってきます。
このおうちでも、お兄さんとも、この子とも、良いところだけでつながっていけば、悪いことで競争しなくてもよくなるんです。今、きょうだいが競争していると言いましたが、きょうだいが3人いて、1人だけ不登校して、残りの子がしなかったら、今言った理屈なんです。何人かがしたというのだったら、育児がかなり根本的に間違っているかもしれない。きょうだいが2人以上不登校だったりすると、育児の構造にかなり問題がありそうです。それは何かというと、悪いところで注目を与えていて、良いところで注目を与えていないという構造があるんじゃないかと思います。きょうだいが3人いたら、それぞれみんな違います。そのみんな違う個性の部分で、親が喜び勇気づけていかないで、みんな一律にやっていくと、きっと誰か落ちこぼれていきます。
Q
子どもが高校浪人時代に家具を壊したり物を投げたりしてきました。アドラー心理学を勉強してきたのですが、彼がしたことに被害者意識を持っています。心から信頼できるようになるでしょうか?
A
「なるでしょうか?」「明日は天気になるでしょうか?」みたいに他人事みたいに言わんといてよ。信頼するとか信頼しないとかいうのはどっちも嘘なんですよ。アドラー心理学というのは面白い考え方をしていて、ほんとのところはまず人間には知りえないと思っている。例えば、僕に奥さんがいたとします。「山登りするからお弁当を作ってよ」と言ったとします。「いいよ」とお弁当を作ってくれたんです。そのお弁当がわりとおいしかったりして、妻に愛されていると思ったとします。自分は妻に愛されていると思うから、それから妻とのつきあい方が変わります、その分だけね。また「ピクニック行くか山に登るからお弁当作って」と言うかもしれない。でも、おいしいお弁当を食べたけど、これちょっと塩分多いし、少し脂肪多いし、私の血圧を上げて殺そうと思っているんじゃないか。そういえば最近生命保険に入ってたなというと、あの妻は私を殺そうとしているだと思うじゃないですか。そしたらその妻とのつきあい方が変わりますよ。あるいは、おいしいな、そういえばこの前料理番組見てたから、あれを真似したかなと思うかもしれない。別に私を愛しているからじゃなくて、たまたまテレビ見てたらこれ面白そうだから作ろうと、自分の楽しみだけで作った、「あいつあんな奴なんだな」と思うと、そうやってつきあいますね。そうやってつきあってくることが次々重なってくるでしょう。どうもうちの妻は自分を殺そうとしているようだと思うと、次、その証拠を集めます。何だってそういうふうに見えるから。「お茶入れて」。「渋いな。これも心臓を悪くしようと思っている」とか思うかもしれない。「あいつは何だか新しい物に食いついてはさかんに私を実験台に使うな」と思うとそう思うし、「私のことを深く愛してるな」と思うとそう思うから、その証拠を集めてだんだん確信してそのようにつきあうと、彼女もそれに対して応答してくるから、ほんとに実現してくるわけね。愛されてるなと思うとほんとに愛されてくるし、殺そうと思っているなと思うと、ほんとに殺そうと思っているようなギクシャクした関係になっていくわけです。で、一番最初の根拠はないんです。最初のは誤解なんです。ここでの信頼とか信頼しないとかどうやったら不信感を取れるかという「不信感」は誤解なんです。ただ勝手に思い込んでいるだけなんです。それから「信頼関係」も誤解なんです。それも嘘なんです。どっちを思うかは実は何の根拠もなしに決められるんです。いっぺん決めたら、長いこと信頼できませんから、三日間くらい、今日から三日くらいとにかくあの子を信頼してつきあおうと、腹立つし不自然だし悔しいけどやってみようと思って、三日つきあうでしょう。三日つきあうと疲れます。だから四日休むんです。また三日つきあうと、その三日はちょっと楽です。そうして練習を繰り返してだんだん上手になっていかれたらどうですか?そしたら息子さんの出方が変わってくるから。こちらが変われば。そうしたら信頼できるようになる。それも誤解の産物なんですがね、最終的には。でもいいじゃないですか、美しい誤解のほうが醜い誤解よりも。(回答・野田俊作先生)
Q
長いなー(浩→どこが長いんでしょうね)。まあいいや、文句言わない。仏様のお計らいで…。野田先生の「劣等感について」のテープを聞きました。劣等感の大きさは共同体感覚の大きさと反比例している。劣等感の大きい人はきっとまわりにたくさんの迷惑をかけているとありましたが、そのへんについてもう少し説明してください。
A
あれ、嘘だと思うんだけどねえ。ドライカースが言ったんです。「劣等感の大きさと共同体感覚の大きさとは反比例する」と。ドライカースの本があります。『アドラー心理学の基礎』です。いっぺん読んでください。僕はあまり信じてないんです。「そういうことを言った人がいますよ」と言っただけです。(回答・野田俊作先生)