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編集・削除(編集済: 2023年10月25日 04:10)

僕が風になったら  エイジ

詩に何を求めてるか
だと思うんだよね
僕は風を求めている
穏やかに吹く春色の
橙色の夕暮れを吹く秋色の
背の高い木々にそよぎ
セキレイたちがあわいを飛び交う

風が吹いてさえいればもう
詩など書く必要はないのさ
ガイア※の息吹きよ
海と天の循環の詩よ
空間を満たす
心地良いカーテンよ

僕が風になったら
海岸に沿って吹く
ある暑い夏の日の
涼しい海風になろう
潮の匂いを街に運び
穏やかな小波の音を鳴らそう

僕が風になったら
あの世とこの世の
あわいの風となり
言葉たちを運ぼう
あの世からの使者となり
永遠への扉を開け放とう

君は僕に問う
「永遠って何でしょう?」と
「忙しなく輪廻を繰り返し
 あそこにいると思うと
 今度はここにいて
 見えない命を持った
 僕こそが永遠だ」と
そう答える僕は
今 風になっていた

僕はエメラルドブルーの色つけて
濃淡もつけて軽やかに舞い
大空に抽象画を描く
僕は風


※ガイア(古希: Γαῖα)、あるいはゲー(古希: Γῆ)は、ギリシア神話に登場する女神である。 地母神であり、大地の象徴と言われる。 ただし、ガイアは天をも内包した世界そのものであり、文字通りの大地とは違う存在である。

編集・削除(編集済: 2023年09月16日 18:47)

「今日、今に」  水野 耕助

今日に
今に
いられないから

私は
急かされるように

明日に向かって
走り出す

だけど
今日と今と

向き合うことを
あきらめたわけじゃないから

昨日よりも
少しでも
前へ

逃げるように
進んでいくように

今日も
走り出す

今日に今に
真っ直ぐ
向き合うために

今できることを・・

今日に
今に
いられないから

私は
急かされるように

明日に向かって
また
走り出す

編集・削除(未編集)

青島様 評のお礼です 紫陽花

青島様 こんにちは。評をありがとうございます。今回はすっきりとモヤモヤなく読んで頂けたようで喜んでおります。私の詩は色んなとこで呟いてますが。結局のところこの複雑な感情渦巻く日々を綴った日記です笑
私は、怒りよりも先に悲しみが襲うのでいつも悲しい寂しい詩になっております。ただ、珍しくこの週は怒り狂っておりました笑 あらあら。
青島様の仰る通りただただ怒りをぶつけるのも皆様に失礼かなあと。グレーテルに燃やしてもらうことにしました。
ついでに、あまりにも珍しい私の怒り表出でしたので現在メロディをつけて作曲中です。変な歌ができてきてます。
また、よろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

感想と評 9/8~9/11 ご投稿分  三浦志郎  9/16

1 妻咲邦香さん 「記憶廊」 9/8

まず空間的には室内の器物です。まず椅子。そしてテーブル。その上には林檎と急須。描き方の流れは、シュールな詩の全体像の中にあって、きわめて順当、オーソドックスなんです。時間的には、タイトルにもある通り過去。3連目が雄弁にそれを語っています。心理的には、回帰願望、変身願望があるのかもしれない。4連が最も中身濃く面白いかもしれない。対話が成り立っています。
そして急須になりながらも、元の自分は「大きな顔」をして其処にいる。その二重性と奇妙さですね。
さて、終連をどう捉えましょうか?冒頭出て来た椅子に注目しましょうか。「納得も拒否さえもしなかった」あるいは「気まずさだけが~」のあたり……。(過去の)記憶とは納得も拒否もしない、ただ終わった事実として其処にあるだけ。そんなものかもしれません。まあ、評者の勝手な読み方ではありますが。ただ、今回、発想やストーリー立て、修辞表現、どれも面白かったです。楽しめた、といった感覚に近いかも? 佳作ですね。


2 上田一眞さん 「夜光虫のひかり」 9/8

「夜光虫」―これを機会に調べながら写真を見ていましたが、きれいですねー。
夜釣りか何かに出かけて、たまたま夜光虫の美しさを見た。そう捉えたほうが自然でしょうね。
人があまり書かない光景を掬い取ってくれました。そこがまず良いですね。「ぽんぽん船」と擬音との兼ね合いが印象的でした。後半のように身近にはっきり見えるとは知りませんでした。
最後の「父」ですが、最後にだけ出てきて、ちょっと唐突感がありそうです。早い時期にも出しといたほうが、話としては、よりしっくり繋がるでしょう。冒頭付近「父と海へ」みたいな。あとリクエストは、やや遠景からの集団的幻想性を描いてもステキでしょう。 佳作半歩前で。

アフターアワーズ。
先日のコメントで、著作を読んで頂いたとのこと。けっこうマニアックなものを読ませてしまって恐縮しております。
ありがとうございました。


3 小林大鬼さん 「バス停にて」 9/9

まず、蜘蛛のことを書きながら、タイトルをこのようにしたのは、僕にとって好ましい見識であります。
おそらくバスが来るまでの間、たまたまあった蜘蛛の巣をじっと観察していたのでしょう。
これ、何気なく書いているように見えて、その写生力・観察力はなかなかのものです。とりわけ、
3連に見る克明性。これは詩における取材力が無いと書けないものです。「一仕事を終えた蜘蛛」は仕事を終えた大鬼さんも共感するところでしょう。まがまがしい生き物ではありますが、そういったことは感じさせない客観的な匂いもある。タイトルと共に終わり方が少し向きを変えたのもいいですね。バスが“なかなか来てくれない”恩恵のような作品でした。甘め佳作を。


4 エイジさん 「九月の子どもたち 」 9/9

タイトルを自身のことでない方向に振ったのはいいですね。どこか小説の題名のようです。
以前の評に「生き急いでいる」と書きましたが、これもそうですよ。上手いとか下手とかの問題じゃ全然なくて、詩の中での生き方のことなんです。この詩に即して言うと「生き急ぐ」=「諦念のようなものが早く来過ぎている」とでも言いましょうか。現実のエイジさんはそんなことないのかもしれませんが、詩としてそんなエッセンスが顔を出す。そこがやや気がかりなのです。なぜなら、詩はやはりその人を反映するからです。もちろん病気や透析のことは理解しているつもりです。だからこそ、ここは敢えて「だからこそ」と言っておきたい。要は時に意気消沈することがある。そこは以前のように戻してほしい。又、ジャズの詩でも書いてください、スカッとしますよ!書法で佳作、心理で佳作二歩前を(ちょっとややこしいことになったけど……)。

「僕の肩に再び力が宿るのはいつ」―そういう日は必ずやって来ます。必ず、です。


5 詩詠犬さん 「音楽(おと)」 9/9

久しぶりでした。しばらく見ない間に、ずいぶんいい感じで”一歩入った”詩を書かれていると感じました。音楽との関わりを心理性と身体性で捉えた場合、圧倒的に前者が多いのですが、この詩ではむしろ後者で綴られる場面が多い。そこを妙味・個性として見ておきたいと思います。
端的に言えば2連ですね。まず音楽と身体という気づき。それらを詩性を以って言葉として組織化する。冒頭に書いた通り、いいですね。
「その永遠なる色をも 曖昧にして」―ここも好きですね。
そう、音楽ってもっと身体で聴いてもいいものかもしれない。その際「~揺らして 音楽が入ってくる」は象徴であり、提唱にも思えてくるほどです。究極はやはり「~はなしをしている」でしょうね。
ちょっと久しぶりなので書いてみます。詩詠犬さんはおいくつかわかりませんがー失礼ながらー以前は作風がもっと幼かった気がします。ぐっと大人びた詩を届けてくれました。ヘンな賛意で申し訳ないんですが。ブランクがあったんで評なしにしようと思ったんですが、上記理由で甘め佳作を。音楽を愛する者として、これは嬉しい詩です。


6 freeBardさん 「笹船」 9/10

冒頭佳作です。 これは相当な収獲ですぞ。
読み応えがありました。まず、それが第一、そして全て。その読み応えを少し細かく見ていきましょう。「ぼくと笹船」それぞれに孤独があって、ぼくは笹船に遊んでもらった。そこに感謝があります。
いっぽう笹船にも屈折したものがあって、ぼくはその笹船の立場や心情を充分に理解し、労い気づかう優しさを持っています。それは「ちょっとだけかわいそう」「やっぱりつらかったろう」によって明らかです。後半は幻想フレーバーも入って、詩は抒情の、より高みへ到達するかのようです。「ふたり」は同等の友人です。そして以前に帰って来る感覚と「今度は僕が~」の気持ちも大事です。気づかいと感謝です。この子供の健気な優しさは特筆したい。子供らしい語り口も上手にこの詩を押し上げています。
評価を変えます。冒頭”上席“佳作です。

アフターアワーズ。
あれ?前半「ぼく」だけど、後半「僕」になってますね。それとも後半は少し成長したという意味合いで「僕」なんですかね? 
まあ、統一しておきましょうか。この詩の性格上、「ぼく」でしょうね。


7 ベルさん 「金色(こんじき)のチャンピオン」 9/11

ビールをグビッとあおって「プハ~、この為に働いているんだよ!」―そういう人いますよねえ。
大いに賛同できるものですねえ(笑)。この詩はそういったもので単純明快、理路整然。
難しく書く要さらさら無し。中央部を占める2~4連はなかなか気が利いた綴り方ですね。
「まだまだあるぞと火曜日の夜」―なるほど、その通り。ここ、リズムがあっていいです。
リズムと言えば、この詩全体がリズムの親玉であるグルーブ(ノリ)を感じます。こういう陽気な詩はグルーブが無きゃウソですよ。音楽と一緒ですよ。メカニカル的に言うと、語尾の処理と次行へのリターンが鮮やかだからです。この調子で願います。
「アルコール消毒」―これですね。どうやら結論が出たようですな。タイトル「~チャンピオン」もこの詩のフィーリングに符合します。苦みならぬ甘め佳作を。


評のおわりに。

我が詩人会では、8月に朗読とジャズの出会いがあり、9月は詩と絵画のコラボレーションがあります。まさに詩の動と静。 
詩がステキな隣人たちと出会うひとときです。詩も絵画も静物と言えるでしょう。静かなること祝いのごとし。では、また。

編集・削除(編集済: 2023年09月16日 12:50)

詩の評、お礼。  じじいじじい

青島様

こんにちは。
詩の評、有難うございます。
また、佳作有難うございます。
大変、励みになります。

これからも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

青島江里 様  樺里ゆう

お忙しい中、いつも評とご感想を本当にありがとうございます。
私か9月7日に投稿いたしました「虹を探す」の評が漏れてしまっているようです。
お手隙の際にご確認いただければ幸いです。
大変恐れ入りますが、どうぞよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

9月 5日(火)~ 9月 7日(木) ご投稿分、評と感想です。  (青島江里)

◎9月 5日(火)~ 9月 7日(木) ご投稿分、評と感想です。

☆潰滅して行く  積 緋露雪 さん

一人の人間が死を受け入れ旅立つまでの様子をこと細かに綴られていますね。「~した」「~である」と淡々とその様子を綴ってゆくその方法。徐々に進んでいく時間とその寂しさ。水を手にして幼児のように喜んだという描写は、喜びだけでなく、ことごとく死期が近づいている表現になっているとも思いました。

生きるということは喜怒哀楽があり、ふだんは大人だからという理由で心底まで自らを晒しだすということは、ほぼほぼありませんが、病になると余裕が持てず日頃は出さない自分を出すこともありえますよね。そしてその時、本人の知らなかったことがわかり、他の人と通じ合うことができたということもありそうです。

生と死は地続き。この言葉通り、ふだんはなかなか意識しないことを、この作品によって、改めてそうなのだと感じる時間をもたせてもらえました。急けても避けることのできないもの。世の中の一部で論議されていること、例えば、アンドロイドになればや、もう一人の私を作って云々などといわれる中、その双方、どちらを取っても本当に生きるという意味にはならないのでは?とも考えさせられました。生きるということには死と向き合うことが必須で、そして、心というものがその中核には必ず存在するのだと考えさせてくれる作品にもなっていると思いました。

この作品の中で一つだけもったいないと思ったことは、最後の締めです。比較的長めの事実を連写の締めとして最終の締めの表現が「感嘆させられたのである」で終わってしまっていることです。「武田泰淳の死と同じ」ということをおっしゃっているのでしたら、そこをもっと前に押し出すような持って行き方をされてもいいのではないかと思いました。あまりにも、そう思いました的な終わり方をしているのが、とてももったいないと。或いは180度、違う持って行き方で、静かな余韻を残せるようなフェードアウトを意識した終わらせ方という方法もいけそうです。人の生死について考えさせられる作品。今回は佳作一歩手前を。



☆マシな方さ 喜太郎さん

「大部分が美しいから汚れが目立つ」
納得です。ものすごく身近な例をいえば、真っ白なシャツでカレーうどんとか。濃い色のシャツで食べるのとは違いますよねぇ。ちょっとこれは生活感プンプンすぎて、作中の美しい表現とは、随分はずれてしまいますが、この感覚にはうなづいてしまいました。

大部分が美しいからの表現を起点にして繰り広げられる表現もさらさらと流れる川の水のように美しく、そしてきっちりと筋の通ったしっかりとした表現になっていると思いました。

作中半ばの「過ちを繰り返しても/それが過ちだという人がいる」ですが、ちょっと伝わりにくい感じがしました。おそらく、過ちを繰り返しても、それは何かプラスに繋がるよって、言ってくれない人のことをさされているのではないかと思いました。これを短めにまとめるって難しいですよね。詩のリズム感のようなことも入れたいと思ったりすると更に。私だったら「過ちを繰り返す者に/過ちは過ちに過ぎないと言う人もいる」のような感じにするかなぁ。

あとは最終連の「夏の暑さがニュースになるなら まだマシな方さ」ですが、前行との繋がりが、個人的にはちょっと浮いている感じがするので、クッション的な役割として「真夏の陽ざしの下にさまざまな生きごと」のような内容を添えるといいかなとも思いました。やさしさに満ちた爽快な作品。今回は佳作一歩手前で。



☆グレーテルその後 紫陽花さん

誰もがよく知る童話を伏線として、人の中に生まれる真っ黒な気持ちについて表現されていると思いました。いつもご投稿してくださる作品とは、また違った感じの作品になっているようにも思えました。

この題材をそのまま童話テイスト抜きでと考えてみると、かなりドロドロしたものになっているかもしれないですね。童話テイスト外して読んでみると、「お兄ちゃんと私は奴らの黒い心を燃やすんだ!」とか「私の真っ黒な心が白煙を立てて燃えて・・・」とかになってくる。そう考えると、童話テイストが入ることでかなり緩和されているように思えました。読んでいる最中は、頭の中はグレーテルが登場してくるから、すいすいと読んでしまえるわけですよね。

ただただ童話の世界に重ねるだけでは、作り話のように思えてきそうなところですが、うまい具合に今度は、ご自身の日常に考えている黒い気持ちについてのことを投入していますね。それがまた誰にでもありそうなことだから現実感が増して、今度は童話テイストから遠ざかってゆく。この間合いが絶妙だなと思いました。更に、最終連では、童話の世界に戻り、白い煙をみて自分の真っ黒な気持ちかもしれないと、自身が自身の心の一部が燃えていくのを見送っていたり。とっても不思議な気持ちになりました。不思議なんだけど、現実にある言いたいことは言えていて。とても興味深く。テーマのアプローチに個性が光る作品。佳作を。



☆100ねんご  じじいじじいさん

地球温暖化が進み、自然環境の悪化が目立つようになってきましたね。危険とまでいわれる、とびぬけた暑さ。異常な降水量。特に子供たちが自然と触れ合う機会の絶好のチャンスの夏休みのことを思うと、とっても残念、そして不安なことの一つにもなっていると思います。今では、大人だけの問題ではなく、子供たちも関心が深いテーマになっていると思いました。

最初に思ったのは、タイトルがいいなと思いました。「やさしいみらい」や「かがくのしんぽ」にしてしまったら面白くないと思います。「100ねんご」とするところがよかったです。そして「10ねんご」ではなく「100ねんご」とするところがよかったです。小さな子供たちは大きなことに気を惹かれることが多いかと思います。友達100人!とか、子供銀行に100万円!とか。大きな数字にすることで、この詩って、より一層、何のこと書いているのかな?と思ってもらえそうですね。

二連目の思いは、そのまま子供たちにそうだねって思ってもらえそうです。やまやうみが、まるごとなくなってしまうって発想。大人目線では、山や海が荒れてしまうという発想はありそうですが、思いつかないような気がしました。

三連目の「かがくはしんぽしてもひとのこころはなくならないでほしい」について。細かいことを言えば、「かがくは」は「かがくが」にした方がいいと思います。それ以外ですが、小さい子供さんが、このようなことを一生懸命書こうとしている姿、或いは、この言葉をみてうなづいている姿を思い浮かべると、何とも言えない純粋なものを感じました。とてもよかったです。それから、欲を言えばその次の「やさしいみらいがいい」ですが、周りの言葉使いに合わせる感じで、もう少し年齢を下げた感じにすればいいかもしれないと思いました。

作者さんが、子供が読むためにつくったというよりは、子供になって書いたという気持ちが、私にとって、今までの中で一番感じられた作品でした。今回はふんわりあまめの佳作を。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

九月になりましたが、まだまだ夏の延長戦は続いています。今年の秋は短いかな?どうなんだろう?もう少しすれば、本格的な新米シーズン。がっつりと、新米のおにぎり食べたい!

みなさま、酷暑続きでおつかれ気味のおからだ、どうぞご自愛ください。
今日も一日おつかれさまでした。

編集・削除(未編集)

こころの原風景  上田一眞

老残のこころを掘り起こしてみると
懐かしいものが湧き出てきます

海辺で育ったぼくは
海辺で育ったからこそ
山や渓流に憧れました
アマゴやゴギなどの渓流魚
ギギやアカザなど清流の鯰たち
カジカ蛙やヒグラシの啼き声は清澄で
格別の趣きがありました

亡き母の実家は山里にあって
川の側に建っていたものですから
そこで泳ぎ
魚たちと遊ぶ楽しみは格別で
川底にいるカマツカは大変可愛いく
大好きな魚でした

今はもうすっかり見なくなった
脱穀用の水車小屋に行き
冷やしたトマトや胡瓜を頂くと
それはもう絶品でありました
トトロが棲む隠れ里はこんな所なのでしょう

水車小屋の手前に
小さな小さな保育園があって
誰もいない園庭で
亡き母と遊具で遊んだ思い出は
のすたるじあに浸ることができます
着ていた母手編みのカーデガンまで
ありありと覚えているのですから…

今では家はなく
川の側の五右衛門風呂もありません
カマツカは何処か遠くに去り
水車は棄てられて
こころの景色は枯れ野となりました
本当につまらないですね
小鳥の啼かない森のような
影の世界と同じです



*アマゴ サツキマスの陸封魚
*ゴギ 中国山地のイワナ
*ギギ 清流に棲むナマズ
*アカザ 清流に棲む小型のナマズ 毒のある棘を 持つ
*カマツカ 中流域の砂地に棲むコイ科の魚

編集・削除(編集済: 2023年09月16日 00:31)

稜線  妻咲邦香

幌馬車にゆられ
ぽつんと大地に置かれた
幌馬車にゆられ
何処でもない場所に産み落とされた
幌馬車の上で巡りあう人々
出会いと同時に別れの挨拶もした

私の靴音が誰かの手に触れ
いつか大地の琴線を弾く
 私に仕事を与えてください
 信じることで美しくなれるよう
切り立った稜線を白い翼の渡る
それを捕まえたくて子供らは思わず駆け出す

私たちはよく手入れされた汚物の上に暮らし
絶えず注がれる不思議さに
忙しなく首を傾げる
そうやって気付かぬうちに習慣を増やした
幌馬車にゆられ
人はいつまでも赤子のままで
幌馬車にゆられ
話し足りない話題を抱え
実った果実を見ることもなく立ち去る
それは風のようでもあり
私もいつかそうなれるのだろうかと
訝しみながらも幌馬車は進む
あらゆる分別を愛しさにかえて

景色は私の宝です
それしか私は持ち得ません
出会った事実を不穏な言葉で飾らぬためにも
私はあなたを忘れます

幌馬車ははしる
懐かしい荒野の上を
幌馬車ははしる
既に歩ける赤子を乗せて
鳥のからかう声にもめげず
悪に屈した神をも赦しながら
走る、はしる
車輪は既に外れかけ
紫陽花の祝福もじきに終わる

 私が見えなくなるまで待つ必要はありませんし
 また私もそうしないと決めております

苦い飲み物の思いの外美味であったことなど
思い出しながら、幌馬車は進む
稜線を渡る翼が
今度は向きを変えて
はじめまして
お目にかかれて光栄です
本日は大変お日柄も良く
どちらまでお出かけですか?

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雨音様、ありがとうございました。  妻咲邦香

雨音様、「ヘタウマ」に評を頂きありがとうございました。あ、同じ趣味なんですね。うちも家庭菜園やってまして、詩のモチーフにちょくちょく出てきます。土いじりが好きなんです。時間を忘れて夢中になっちゃう。
今回はちょっと変化球だったかもしれません。丁寧に読んでいただきありがとうございます。最後の連はやっぱり余韻が欲しいですね。さすがです。ぜひ参考にさせて頂きます。ちなみにうちで作ったナスはヘタのトゲが痛いんですよ。
また次回よろしくお願いいたします。


かわって山雀詩人様、免許皆伝おめでとうございます。私も詩という存在には幾度か助けて貰ってますので、いつか自分の詩で誰かを助けることが出来たら、などと思っております。詩の未来を信じましょう。

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