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♫時には母のない子のように *1
カルメン・マキの歌声が
耳に響く
異郷の空
小糠雨がそぼ降るなか
とぼろ とぼろ と
岬の浜辺をひとり歩いた
砂に残った一筋の足跡が雨に濡れる
雨音はない
♫母のない子になったなら
誰にも愛を語れない
天涯に去った母の
受難を噛みしめ
あなたの息子はここにいますと
涙雨に濡れながら
手を伸ばす
届かぬわが手
わが想い
母は遠きところへ行き賜う
あなたの元へ
行きたいのに
あなたへの愛を
語りたいのに
雨粒が次第に重くなり
砂地に 深く突き刺さる
無言の雨に峻拒され
ずぶ濡れになりながら 岬にて
滴る雨を 振り払う
渦巻く想念
母の声を思い出せぬまま
偲ぶ歌を 口ずさむ
♫時には母のない子のように
大きな声で 叫んでみたい
*1 時には母のない子のように 寺山修司作
こちらでは、はじめまして。
評ありがとうございます。
評者で作品を選ぶのはよくないのかもしれませんが、今回はちょっと悪戯をしました 苦笑
夢見たものは通販で購入しています。クリスマス号も楽しみにしています。実はそこにも引っかけました。
他国から見た日本の紹介。異文化紹介って、たまにズレを感じられ、それが面白かったりします。
そのツッコミどころを再現してみました。
クリスマスに引っ掛けったっていうのは、クリスマスが伝播して日本独特の形になっているんだろうけど、向こうの人から見ると、おかしく見えるんだろうなと。
人間からしたら魔女は時に怖い扱いをされるけど、もしも魔女がいたら人間の方が怖いかも?
なんて……なんて想像を飛ばしました。
サンドリヨンについては変身と可愛らしいイメージから採りましたが、もう一工夫考えたいですね。
さてさて、悪戯の種明かしはこんな感じです。
ご容赦いただければ幸いです。次回からは描写を選ばない作品を投稿いたします。
よろしくお願いします。
読んで頂き ありがとうございます。
丁寧に汲み取っていただき、大変嬉しく思います。
最後がやはり迷いました。ない方が良かったかとも思いましたが、オカリナで始めたので、メロディーという言葉で終わらせました。
「軽やかなメロディー」に乗せるのは、まだ自分のなかで難しいと感じている部分があるのだろうと、ご指摘をいただいて気づきました。
佳作の評を頂きありがとうございました。金目鯛の事は存じ上げませんでした。なんだか私の無意識が解釈の光に照らされたようで救われました。
そう、精神分析を受けることで得られた洞察のような清々しさを感じます。私は逃げている訳ではないのですね。
前作「彼岸花」では、自分で考え、体験から学び得られる救いを表現しました。本作では前作の答えを、紗野さんの本作に対する評によって得ることができました。自分自身の作品に対する洞察が進み癒されたのです。
そして、私は詩を書くことで救われていることに気づいたのです。感謝しております。
まだまだ私は作品の中で自分を卑下しているようです。きっとそれは、周りの評価を気にする恐れからきているのだと思います。
もっと私の中にある光にも目を向け、私の中の葛藤が表現できるようになりたいです。
雨音様、「登校」の評をありがとうございました。評にありました、バックミラーかサイドミラーか、ですがバックミラーであります。とても幸せそうな、でも女の子を送り出すことを本当に心配しているのだと感じ、気になって、バックミラーで後方を見たのです。車種にもよるのでしょうが、サイドミラーですと前方から目を逸らす角度が急すぎて、運転席からちょっとだけ左上にあるバックミラーで様子を見ました。また、素敵なアドバイスもありがとうございました。また、よろしくお願いします。
都合によりお先に失礼致します。
10/8〜10/10にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩を沢山ありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
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☆「許される」 喜太郎さま
喜太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
喜太郎さんって、女性の心がよくわかってらっしゃるなあと、感心してしまいます。
許すことの裏側にある苦しみや優しさを理解してくれるパートナーがいたら幸せですし、自らも許せる人間でありたいと願いながら、拝読させていただきました。
連毎に味わっていきましょう。
1連目…笑顔で許すこと、その裏にある優しさには大きな傷が伴うことが語られます。
2連目…その優しさを軽んじていると、その人を失うことになるという暗示が綴られます。
3連目…2連目を継いで、失ってからの手遅れ〜後からその人の優しさ、大切さに気付くものだと語られます。
4連目…失ったものの大きさ〜「もう二度とあなたは許されないのです」と結ばれ、最終連に続きます。
私は恋愛指南として拝読させていただきましたが、恋愛だけではありませんね。
よくよく味わうと、人間関係全てにおいて言える、普遍的かつ大切なことを詩を通して教えていただいたように感じています。
問題は、こういった普遍的で重要なことを「許される」という題のもとに、いかに詩として表現されているかということです。
「許す」をキーワードとして大きく捉え直しますと、
「許してくれる人をただ優しいと思わないでください」
↓
その人は傷ついて「笑顔で許している」
↓
失ってからでは
失ったものも人もかけがえなく
「あなたは許されないのです」
となります。
「許される」を題とするならば、あとほんの少しだけ、「許す」「許される」ということに重点をおいてみたらどうかしら…と感じました。
優しさと冷酷さは紙一重
紙一重なんです
と結ばれているのを拝読しますと、喜太郎さんが「優しさと冷酷さが紙一重」であることを強調したいのがわかります。
優しさと冷酷さ〜ここに「許す・許される」のキーワードを盛り込み、もう一捻りしてみてはいかがでしょうか。
優しさとはその人の優しさ。
冷酷さとは、許すことに疲れてしまったその人の優しさにようやく気付いたあなた自身の冷酷さなのか、許しに重きを置かなかった二人の間に横たわる冷酷さなのか…。
許すという優しさは愛すること、信じることにも通じると思います。
一貫して抽象的にまとめられていますが、具体的なことを少し挟んでもいいかもしれません。
喜太郎さんだから書けるのであって、とても難しいテーマだと思います。
一つ一つの詩行がとても胸に響きます。
だからこそ、より喜太郎さんらしい調味料を加え、少し煮込んでみてください。
寒くなってきたことですし、詩も煮込んで冷めた処で味がしみて、また温めるとぐっとおいしくなると思います。
人生訓として得る処多い、佳き作品でした。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
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☆「とある魔女のハロウィンについての説明」 松本福広さま
松本福広様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
ハロウィン〜毎年10月31日に行われる夜の祭りですね。
カボチャなどをくり抜いて作る「ジャック・オー・ランタン」を飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりするのが、現在、一般的に言われるハロウィンの風習のようです(日本では渋谷辺りの乱痴気騒ぎが毎年話題になりますが…)。
本詩のハロウィンに登場するのが、魔女と孫の見習い魔法使いのサンドリヨン。
ハロウィンを題材とするに相応しい面白い設定ですね。
題も面白いですね。「……説明」とした処が興味深いです。
初連の導入は昔話のはじまりのようで、一気に引きつけられます。
お話は魔法の世界の楽しいハロウィン…本来あるべき姿のハロウィンとでもいうべき、ケルトの風習を踏襲した行事を思わせるハロウィンと、人間たちのハロウィンに分けて語られています。
さて、サンドリヨン=Cendrillonとは、シャルル・ペローの童話の主人公、日本語表記される処のシンデレラを指すのでしょうか。
0時になると魔法がとけて、元の姿に戻ってしまうシンデレラ〜松本さんの詩文を拝読しますと、0時が子どもとおとなを分ける一つの区切りとして設定されているようですし、やはり、魔法と0時とシンデレラ…これらの言葉は本詩の核心を左右するようです。
人間たちのハロウィンはね……に続く連は、人間の格好をしたモンスターである我々の世界を皮肉っているのでしょうか。
歩んでいるレールも回転速度も、時に無茶苦茶になるアトラクションのような社会で、我々は生活をしているのではないかと気付かされます。
魔女から見れば、人間のハロウィンはハロウィンの日だけに限ることでなく、実は仮面を剥がした顔もまたモンスターなのだと…。
サンドリヨンへの魔女の語りは、人間社会に対する批判として読み手に響きます。
最終連が、松本さんが理想とされるハロウィンなのでしょうね。
魔女の世界だけでなく、人間の世界にも、感謝と祈りを主とした本来のハロウィンを思い出す魔法をかけてほしいものです。
ハロウィンという行事にシンデレラの物語をかけ合わせ、0時を境に子どもとおとなを描きながら、現代社会も風刺する…。
ハロウィン特有の楽しさや近年のハロウィン顔負けの狂気じみた出来事も色々想起させる…。
楽しく、興味深く拝読させていただきました。
ただ一点、欲を申し上げるならば、サンドリヨンが灰かぶり姫であるシンデレラであるのならば、ガラスの靴や南瓜などのモチーフを更に重ね、もう一捻りされるとより深みが増すのではないかと感じました。
御一考いただけたら幸いです。
楽しい佳き作品でした。
ありがとうございました。
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☆「視覚優位の病床で」 荒木章太郎さま
荒木章太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
1連目から、素敵な詩句が並びますね。
鱗雲が金目鯛の大群のように
金色の尾鰭をひらめかせながら
誇張された言葉の波が打ち寄せる
秋の夕暮れ
私は双眼鏡を手放さず
情報の波に飲まれて、ただ眺めるだけだ
この連、個人的にとても好きです。
夕焼けに染まる鱗雲を金目鯛にたとえる面白さ。
そこから双眼鏡を手放さず(遠くまでしっかりと見ようとするんですね)…、しかし、「情報の波に飲まれて、ただ眺めるだけだ」という、この連の最終行に漂う一種の虚無感は、単なる情景描写の美しさに留まらない、次に待ち受ける展開への期待と、詩の奥行きを感じさせます。
素晴らしい初連だと思います。
2連目、双眼鏡で覗き見ることについて、詳しく記されますね。
そう、ああ、…嘆息しながら、監視、観察、批評をするものの…「行動することを恐れ、」「逃げ道を探」すとは、私自身も常々自省していることであり、身につまされました。
3連目はこの詩で一番伝えたいメッセージですね。
詩句も、一語一語、章太郎さんらしい言葉で、苦心されて選び抜いたことが伝わってきます。
四角いなどの図形表現は、前作の「彼岸花」でも月を四角と表わされていたように、章太郎さんの表現の特長とも言えるでしょう。
四角という画一的な世界に閉じ籠もり、目で見えることを主体(視覚優位)として、各々が自らの頭で考えることを放棄し、民主主義を寝たきり状態にさせている……。
問題の先送りの行く方が明日の雲なのは、明日のことは誰にもわからず、雲はただ流れ行き、曖昧に消えてしまうからでしょうか。
短い詩ながらも、展開の素晴らしさ、無駄のなさが読み手を引きつける作品だと感じました。
社会的問題への提起も感じられました。佳き作品でした。
ありがとうございました。
御作、佳作とさせていただきます。
一つだけ申し上げるとするならば、章太郎さんは逃げ道を探しながらも、実際は決して逃げてはいないと思うのです。
明日も雲が浮かぶであろう空を睨みながら、失った言葉を眠りから覚まそうともがいているはずです。
その葛藤を読んでみたくなりました。
余談ですが、金目鯛は海中では全体的には銀色に近く、釣り上げられた後に赤くなるのだそうです。
大きな丸い目の奥には反射層があり、わずかな光でも感じ取れるために深海でも生息できるんだとか…。
金目鯛の色の変化、金目がわずかな光の中に見る世界〜視覚優位の病床にあって、何かの緒になりそうな気もいたします。
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☆「解放」 津田古星さま
津田古星様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
素直に直接胸に響いてくる、とても素敵な詩だと思います。
初連のオカリナの導入がとても活きていると感じます。
土笛の温かさ、指先に伝わる息の温度や震えが、この詩全体を優しく包み込んでくれているようです。
若い頃の恋が主題を引き寄せているようですね。
二十歳で出会い、互いの魂の響きを感じていたのですね。
しかし、二人は別々の世界に生きることを選んだようです。
離れてしまえば、共に生きた時も幻想のように感じます。
魂の響きを手がかりとして、時の流れと私とあなたの関係の変化がよく描かれていると思いました。
5連目まで読み進めて、私からあなたの前を去ったことに気づかされます。
6連目で、実はあなたが私の思いを退け、私は自ら去らざるを得なかったのだろうと察します。
そして、二人は一生、肉体が魂を離れる時まで、魂を震わせることがないだろうということも…。
あなたは私のふるさとを見ることはなかったけれど、私はあなたのふるさとを知っている…。
あなたの真摯な生き方や、あなたが歩んだ道が必ずしも平坦ではなかったのだろうと私が振り返ることができるのは、私(津田さん)のあなたへの優しさ、信頼の深さであり、そこには、私のあなたへの変わらぬ魂の震えが感じられました。
終連は、離れてそれぞれの人生を生き切る決意の詩文の中に、清々しさすら感じられました。
「解放」とはそこに見出された題なのでありましょう。
おめでとう…互いの人生に最終的にそう言えるのは素敵ですね。
一点だけ、気になった処を申し上げます。
「軽やかなメロディーに乗せて」
一番最後の詩行だけに、強く印象に残ります。
あえて、「軽やかなメロディー」とされたのでしょう。
一方で、少し勿体ない感じもするのです。
初連のオカリナの響きが、本詩には常に響いているように感じられます。
それが最後にどのように響くのか、「軽やかなメロディー」に乗せてみてはどうかしらと感じたのです。
更に欲を申すならば、私(津田さん)の魂の振動の細かな変化についても、もう少し読んでみたいと感じました(祈りに形を変えたのでしょうか)。
オカリナを吹いたら、会えなくても、おめでとうと思っていても…
やはり魂は何かしらに反響するような気がいたします。
御一考いただけたら嬉しいです。
素敵な佳き作品でした。
ありがとうございました。
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以上、4作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
急に肌寒くなってまいりました。
しかし、能登の復興も進まず、悲惨な紛争は続き、季節が変わっても、変わらねばならぬものは変わらずに停滞しております。
ある方が「ひとりの人間のすることに限界があることは分かっていても、それでも書くことには、それなりの意味があると信じたい」とおっしゃっていました。
無力に絶望する毎日ですが、それでも、表現に悩みながらぽつぽつ書き続けてまいりたいと思っております。
実り多き秋となりますよう、皆様お健やかにお過ごしくださいませ。 紗野玲空
雨音様、「怨念」に関する評と感想をありがとうございました。
この作品に興味を持っていただき、誠に感謝しております。
この詩の冒頭についてですが、以前こちらへ別の詩を載せたところ、他の方から読み手側の負担にならぬようあまり重みを持たさずあっさり描いたほうが良いとの指摘があったため、今回その批評を素直に取り入れてそのようにしました。
また、あくまで導入部分であり、二連目から続く出来事のほうが重要度としては高かったため、そちらに重きを置きました。
しかし、雨音様のご指摘通り、湯気を伏線に使うのも終連に効果的に働くので良いかもしれませんね。
また後の詩のために参考にさせていただきます。
三連目の女性が登場してから席に座るシーンですが、これは割とあっさり描いているので、問題ないかと思います。
経験上、人によってはもっと詳細に描くように指摘される方もいらっしゃるかもしれません。
それから八連目から十一連目にかけては、「主人公が会計をすることで話を遮られたから(女性は)怨念を送ってきたのか、それは主人公が読んでいた源氏物語の幻影を負っていたせいなのか」、わからないほど不可思議な出来事であり、この混ぜ合わせた不気味な感じがまさしく「怨念」として鍵を握るこの詩の肝だと確信しております。
書き手側が親切丁寧に書き加えてしまうよりも読み手側がさまざまに想像して解釈する余白があっても良いと思っています。
このように色々書かせていただきましたが、雨音様にこの詩を好きだとおっしゃっていただけたことは本当にありがたいことですし、これからもなにとぞよろしくお願いいたします。
オカリナに息を吹き込むと
陶器に伝わる震えを
穴を塞いだ指先が感じる
音は振動
物質も振動だという
では、魂も振動だろうか
私は死んだらあなたに会えると
若い頃から信じていた
魂が一瞬でも響き合ったのだから
肉体を離れた時には
私はあなたの魂を見つけるはず
あなたが二十歳の私を見つけたように
でも私たちは全く違う世界に
生きていたのかもしれない
私が見ていた世界は
私の脳が見せた幻想でしかない
私があなたの前から去った時の気持ちを
あなたは知ることもなく
あなたの人生を生きてきた
あなたは私のふるさとを見ることもなく
一生を終える
私はあなたのふるさとの海の青さを知っている
あなたの歩いた道が平坦ではなかったこと
それでも真摯に生きただろうことを想像できる
そして、あなたが私の思いを横に退けた
その理由を知ることもなく
私も一生を終える
あなたは今日まで生き 家庭も築いた
あなたの健康と幸せを願ったのだから
私の祈りは届いたと言える
だからもう会えなくても
互いの人生に
おめでとうと言って手を振ろう
軽やかなメロディーに乗せて
はじめまして、飴山瑛です。評をありがとうございます。佳作嬉しいです。この作品としては作品上の表現と作者個人としての体感が並行して二重に走る方式を取っており、裏の流れとしてはこれが自然なようになっています。浮遊感というものを、川の飛び石を渡るように表現したかったのですが、なんとかなっていてよかったです。個人としてはあまり現実から離れすぎた作品にはしたくなかったので、このような形になりました。
改めて評ありがとうございます。これからも書いていきます。
鱗雲が金目鯛の大群のように
金色の尾鰭をひらめかせながら
誇張された言葉の波が打ち寄せる
秋の夕暮れ
私は双眼鏡を手放さず
情報の波に飲まれて、ただ眺めるだけだ
そう、監視してばかりだ
ああ、観察してばかりだ
批評を繰り返し、
行動することを恐れ、
逃げ道を探している
四角い視覚優位の病床で
主語を失った言葉がベッドに縛られ
民主主義は、静かに眠り続ける
寝たきりの状態へ
問題は明日の雲へと
先送りされてゆく