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1 上田 一眞さん 「紅色のすみれ」 3/9
今回は正統的な詩です。僕にとって、このサイトは時に花を勉強する場にもなります。今回はすみれ。花に出会うまでの過程、擬音が入り描き出されます。そしてひっそりと咲くすみれの姿です。
「花くれない」―慣用句ながらいい響きの採用です。花の美しさには常に少量の哀しみが混じるものですが、「散りどきを悟って~五日の命なのだ」のくだり、そういったものを充分感じさせてくれます。後半、ハチの登場により場面は動きあるものになります。僕はこの部分が一番好きで「はぐれ蜂」という呼びかけ、すみれとの関係、これら風景に同化する上田さんの心情、この三つがこの詩の読みどころでしょう。最後に擬音について触れておきます。それぞれ独立連にしてある。これは意図されたところでしょう。
これにより、間と呼吸感、そして詩の姿に変化を与えています。この効果も大きいです。佳作です。
アフターアワーズ。
すみれの画像を見ましたが、紅色は意外と希少価値なのかもしれない。それと特筆すべきは滑峡の美しさです。大変感銘を受けました。この景観もまた詩になることでしょう。
2 ベルさん 「はじける」 3/10
この詩の発生~完成時期が卒業シーズンと重なったでしょう。すてきな内容です。
タイトルの付け方がユニークで、だいぶおもしろいのです。卒業を終わりでなく始まりと捉え、弾けて羽ばたく、大変前向きですね。
この詩は時制が動きます。1~3連は過去を現在風に書く。手法としてアリです。いいですね。
部屋の整理~寄せ書きが出て来た。このあたりのエピソードも相応しく印象に残ります。
4~5連でワンセット、十数年と結婚。「さらに時が流れた」終連は娘さん。このあたりのタイム感覚は少し急ぎ過ぎですね。あるいは内容的に、このサイズで載せるには「自分か娘さんか?」―どちらかに絞った方がいいと思うのですよ。僕の感覚で言うと、娘さんには失礼ながら、今回は自分を書いたほうがいいような気がします。殆どが「自分」で来ているし、5連で止めたとしても最低限、詩はワンテーマで成り立つのです。改訂も容易です。「娘さん」でやると60%くらい動かさないといけないからです。
佳作二歩前で。
3 大杉 司さん 「静かの海」 3/11
その末尾を読むと、これは3・11の黙祷時の思いではないか、と想像されます。
僕が最も感銘を受けたのは3連目です。全く同感ですね。ここは当事者の心の襞に迫っているのがよくわかります。2万2千の死者・行方不明者を出し、今なお3万人の避難者(そのうち9割が福島県民)がいる、と新聞にありました。この災害を風化させず、鎮魂し、今後の防災の教訓にするのは勿論なのですが、13年経った今、不変なもの、変容せざるを得ないもの、が分かれてきたような気もします。それは誰それが良い悪いといった事とも少し違って、時間の作用のような気もして来ます。読んでいてそんな要素も感じたしだいです。タイトル通り、今、海は静かですが、静かだからこそ、この災厄について、あれを思いこれを思う。そんな黙祷の時間であるようです。 佳作を。
4 静間安夫さん 「孤独」 3/11
実名は出しませんが、これは長らく指名手配になっていて病死した過激派の男のことですよね。
こういったものを書く時に、もちろん賛美はできない。そうかといって、非難に終始しては当たり前過ぎてつまらない。そこで、静間さんの選んだ道は、事件の属性・非の部分はまずまず措いて、「その男」の逃亡という背景での内面や人間性に深く切り込み探ろうとした点です。これは思わず唸りたくなるほどの正しい選択でした。少し抜き書きします。
「何ものにも拘束されることのない生き方を貫く」
「この試練を克服すれば、既存の国家や社会の枠組みが必ずしも絶対的なものではないと証明できる」
これら言葉は事の是非をいったん外してみると、非常に重く考えさせられるものです。しかし、男はそれらと引き換えに、言いようのない内面的辛苦を背負うわけです。すなわち年老いてからのありようです。やはり年齢とは肉体的にも精神的にも、如何ともしがたいものであります。
ひとつのエピソード。酒と人々との触れ合いーこれは事実です―は市井の幸せとして、革命的使命とは相入れないものです。男はまたこの幸せによっても苛まれるわけです。年齢と共に革命意識は薄れていったように思われます。死に際して男は本名を名乗ります。それは革命云々ではなく、一個人として終わりたかったからでしょう。その消息はこの詩の書き方の正しさを証明するものであるでしょう。とにかく、この文章力には圧倒されます。上席佳作を。
アフターアワーズ。
男が死んだ病院とは当家もよく行ったところです。男が勤め生活していたのは隣町です。
(何処かですれ違ったかもしれない!)この事件を知った時、衝撃を受けました。50年も社会的保証を受けず暮らすとは驚異的なことです。こんなことがあるんですね。世間とは、人間とは、わからないものです。若い頃の指名手配写真と晩年の写真を比較すると(これじゃあ、わからないかもなあ)が偽らざる思いです。この事件は男の死によって完全に終わりました。しかし真相は闇へ。そして今後の防犯に資する機会は全く失われた。そこに禍根を残したわけです。いっぽうで、本名を名乗ったのは(自分は見事逃げ切ったのだ)という自負の表れだと取る人もいます。ともあれ、あれから少し経ちましたが(あの男の生とは一体何だったのだろう?)そんな思いは今も僕の中で残っています。
5 晶子さん 「同じ時代の悲しみに」 3/11
この詩は2連が最も大事で、しかも深く考えさせられるのです。少し難しいのですが、たとえば―。
自分の両親については悲しみは残っているが、曾祖父母やその又父母ともなると、特に悲しみは湧かないわけです。ここはそういった事を言っているのかな?と思ったのですが―。ここが違うと、この詩の全てを読み誤ることになってしまうのですが。もしそうだとして、構わず話を進めます(笑)。
さて、ここで関与してくるものは何だろう?時です、時間です、時代です。そうすると、タイトルと繋がるかな?そんな風に思っています。人は確実に死にます。従って悲しみは絶えることなく続いていくのですが、その悲しみは人によって、時期によって変容するものである、そんな風に捉えています。このように、この詩は認識をより大きく捉え、その中の「今」を取り出して見せてくれたように感じています。それも自然死というより不慮の死に方に重心が行っているように思える。そう考えると、あるいは別解釈の一端として3・11と能登半島地震も関係してくるようにも思えてきます。
正直に言うと(もう少し何か書いてもいいんじゃない?)といった気はしていて、たとえば、事例的に特定の事態や人物を出すとか。そうすると、より理解も深まり、一石二鳥といった気もしますね。 佳作半歩前で。
評のおわりに。
日記風に―。
3・11は東日本大震災の日、と同時に母の命日でもある。新聞や町内放送で、その時間での黙祷要請があった。
たまたま家にいたので黙祷した。だが、母に線香をあげるのを忘れてしまった。
(母者、許されよ) では、また。
いつもお忙しい中評をいただき有難うございます。
娘はいま7歳ですが2歳くらいの頃からずっと娘の笑い声を聞いていると水笛が連想されて、ほっこりしてました(笑いすぎるとしゃっくりをし出します笑)
その雰囲気を感じ取っていただけて嬉しいです。
やっぱり後半ギクシャクしてましたよね。子育て中の不安を入れておきたくてそうなってしまいました。ご提案ありがとうございました。現在形にしてみます!もう少し違和感なく繋がるように推敲してみたいと思います。
水笛に戻しても良いというご意見も参考させていただき、浮かんだところでは下記二行をラストに持ってこようかなと思いました。
ころころと軽やかに
きらめく水を踊らせるように
ありがとうございました。
島様
こんにちは。
詩の評、お礼です。
秀作ありがとうございます。
これを励みにより一層、頑張っていきます。
これからもよろしくおねがいします。
こんにちは。上田です。
今の僕にはこんな詩しかかけないなあ、詩に拡張性がないなあ、と少し自信喪失気味になっておりましたところ、名作&代表作の評価を頂き、面食らってます。
自分の半生を詩的修辞を多少加えながら書いて残しておきたい、との意図からペンをとっている次第です。
人のこころの片隅にある差別の感情、そうしたものに私自身も長じて侵されました。人間には加害性向も被害性向も同居していますが、その落とし前を付けてあの世に旅立ちたいですね。
そんな思いに浸っています。
今回も深く丁寧に作品をお読み下さり、ありがとうございました。
島様、いつも評をしていただいてありがとうございます。
こんな分量の詩を今まで書いたことがなかったので、後半部分を書いている時は早く締めなければくらいの気持ちで書いていました笑。
自分で書いたくせに分量の多さになぜかビビってしまいました。もうここまで長くしたなら振り切って深化させたいところにもっと肉付けすればよかったんですね。設定やら展開やらを考えるので満足してしまっておりました。
今後こう言うタイプの詩を書く時は、物語に終始せずもう一歩踏み入るを意識して書いてみたいと思います。
細かな助詞の違和感なども減らしていきたいです。
名作の評もありがとうございます。まだまだこの詩を良くすることができると知れて嬉しいです。
また投稿致しますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。
毎度、お待たせをしております。
●akkoさん「季節は巡っていない」
しっかり書き込もうとするところはakkoさんのいいところですね。
この23行の詩の中にも、たくさんの事が書かれています。
ケヤキ。大きい木を植えられてるんですね。そして冬に落葉したあとも、しぶとく落ちないでいる一枚の葉に、亡き夫の姿を見ています。
そこに感情を移入して、
無理はない、無理もない
四月のあの日から
我が家の季節は巡っていないのだから
と、その理由を解釈されるところがいいし、セリフ調になっているところも、感情の昂ぶりが表現されているようで、ちょうど良い。
そして、そこから翻って我が身を考える5連、
生きているということ
今生きているということ
の詩行も、立ち止まって深い思考を巡らしている様子がわかる。(ただ、この問いに答えはありません)
この詩は4連以降もずっしり重くて、いいと思います。
いちおう言うとねー この詩についてだけを言えば、
初連まるごと削除
2連~3連初行にかけては、以下に変更
庭のケヤキの枝に一枚だけ残る葉は
裸木の小枝にとどまっている薄茶色の葉は
我が家での最期の入浴となった日の
ガウン姿の心細げなあなた
重く暗い冬をくぐり
で、キレイな詩になります。
というのは、今言ったように、2連~終連にかけても、いっぱい想いや思考が籠ってるから、これで充分、読み応えがあるのです。なので、この詩は2連以降だけで、成立できてしまいます。また、この詩に限っていえば、この方がすっきりとキレイになります。
初連をはずした理由にはもう一つあって、
初連と2連以降で文体が少し違うのです(自分で意識ないかもしれませんが)、そのため、キレイにムードが合わないところがあるので、はずしました。
ただ、初連は初連で見るべきものがあるので、これ、別の詩で使ったらどうかな?と思います。
ということで、私の案を一考して頂く条件で、秀作プラスとしましょう。(ちょっと甘いかな? でもちょっと変えるだけで、いい詩になるんだよな)
●埼玉のさっちゃんさん「世間と自分」
文体はキレイになりましたね。読んでると楽しいです。
だから、基本的には何を書いても様になるはずなので、何を書いてもいいんですが、この話は残念ながらオチがないです。次のステップとしては、「話の立て方」を考えるべしですね。
これ、オチがなかったのには理由があって、「世間と自分」という、大きなテーマを置いてしまったところが間違えているんです。
逆な言い方をすると、そもそも自分という存在は社会の中にあるので、自分の何を書いても「社会」はつきまとってくるものなので、むしろ「世間」でも「自分」でもない、第三者を向いて書く中で、それらは自然と表出していくものとして、書き表わした方がいいのです。「世間」は、面と向かうものでなく、自分につきまとうものとして付帯させて書くべきで、主となる話の方向としては、もっと全然違う方向向いた方がいいのです。
つまり、この詩は文体はキレイなんですが、話の向く方向が間違えています。
たとえば私だったら、
このあとに、
友人に電話しながら
そもそも背中を丸めてしまうのも
眉間にしわを寄せてしまうのも
北風にせいではないのかと思う
冬はまだ終わらないらしい
という感じで、話を北風に変えてしまいます。で、タイトルは「北風としわ」くらいにしておくかな。
そうやって主たる話を北風に向けても、詩の途中で、あなたの「ゆっくり行こうよ」の考え方も、平和主義も、心の充電の仕方も、書かれてあって、それらは全体として「北風」に包括されつつも、副次的に書き表せているわけです。
そういう感じで、置くべき主テーマとしてはもっと身近なものに置かれますように。主テーマを大きくしてしまうと、失敗しやすいのです。
うーーん、半歩前かなあー
●晶子さん「遥か彼方」
霞んで見えた未来には
私は行かなくてもいいのだと
途中から見送っていいのだと
寂しいけれどほっとしました
ここの詩行が、すごくステキですね。子が生まれた時から、育てる重責をずっと背負ってきた母親ならでは実感ですね。最後までずっと連れて行かなきゃいけないと、思い込んでたんですね。それも愛情ゆえのことですが。過度に背負い込んでたんでしょうね。
いま子育て真っ最中で、悩んでる親にも、この言葉、聞かせてあげたい気がしますね。一人で背負い込み過ぎてないかって、言ってあげたい気がします。
ここはすごく良かったです。
ラストの2行なんですが、打ちミスと思われるものもあるんですが、
自分の足ですっくと立って
振り向かないで歩いていけ
こうでしょうね。
いちおう4連の修正をしましたが、そもそもこの詩は子供の旅立ちを「送る言葉」が主眼のものであるので、ここ、4連だけでかたづけないで、4連、5連という規模で書いた方がいいと思いますよ。
言うと、1~3連というのは、ここに繋がるアプローチですからね。アプローチの連はしっかり書けてるんですが、本命の4連は物足りないですよね。言いたいことはわかるんですが、いきなりの大上段の言葉で、情感の伝達としては空回りぎみ(アクセルの空ぶかし状態というべきか)です。ちゃんとクレッシェンドをしませんか?
4連の内容を助走もつけて2分割する、と考えてもらってもいいんですが、ともかくもう1連、書くべきです。
言葉だけは勝ってるんですけどね、実のところ、話の本命部分にバランスの重心が来てないです。一考してみて下さい。
秀作プラスを。
●秋さやか「みずぶえ」
この比喩はおもしろいねえー
笑い声が水笛のよう、というのは初めて聞く、新鮮な比喩ですね。きっと軽やかにどこかがコロコロと回ってる感じの笑い声。その笑い声聞いてるだけでおもしろくて、こちらも吊られて笑ってしまう感じなんでしょうね。鳴き声がキレイな鳥がどこかで鳴いてる感じかな?
4連、
ああ今日もよく
回ってる
回ってる
は、家事をしながら、こっそり子の笑い声を遠くから聞いてる情景が感じられて、ステキですね。
5連、
ふるふると滑らかに
あかるい水と触れ合うように
は、声という聴覚のものを、柔らかい触感や流体で表現されていて、この絶妙さはすばらしいですね。
この詩、1~7連までパーフェクトに良いのですが、そこから後ろがギクシャクするんですよね。
一案ですが、ラストの4連、
ときどき光の揺らぐ瞳から
その水が溢れて出してしまうのは
わたしの渇いた言葉のせい
このまま泉を涸れさせて
透きとおる玉を
壊してしまったらどうしよう
恐れるわたしをよそに
みずぶえの玉は
またすぐ 勢いよく回り出す
または
恐れるわたしをよそに
玉は またすぐ
勢いよく回り出す
こんな感じはどうですか?
泣いたカラスがもう笑う 状態の、明るい子にしてみました。
「回り出した」と過去形にすると、その瞬間の話になってしまうんですが、現在形にすると、習慣としていつもそんな感じの明るい子、ってことになります。習慣性を言う時には、現在形の方がいいです。
あるいは、「玉」にこだわるのをやめて、みずぶえの軽やかな音に、戻してもいいですけどね。せっかく「みずぶえ」だから。
というわけで、後ろだけ一考して下さい。一考して頂く条件の、名作としておきましょう。
●じじいじじいさん「ショコショコ ヒョコヒョコ」
啓蟄は3/5で、この詩は3/2の作なので、ほぼこれに因んでいる作に思い、読みました。
2連、若干肩すかし感があるんですが、まあ、蟻のことなので、何匹出てきても、みな同じような行動を取る。まぶしがる。というのも、アリはアリですね(アリだけに)。
うむ、今回は4連すべてで、話が展開していっているので、いいですね。じじいじじいさんは、後半でよく息切れするというか、同じアイテムが繰り返されて、話が停滞しがちになるんですが、今回は「花」というアイテムを、4連で新たに出してきたことで、そこから先の情景が展開されて、そこがとても良かったと思います。
秀作を。
ラストの3行については、
はるのはなにむかって
いちれつになってあるきだした
ショコショコ ヒョコヒョコ
ショコショコ ヒョコヒョコ
はるをよろこぶアリンコたち
こんな感じの方が良くないですかね??? 一考下さい。
「いちれつ」という言葉を出しました。後半においても、前半にない言葉を新たに入れることで、次の情景が生まれてきます。じじいじじいさんの場合、そうやって「ボキャブラリーを豊かに」を心がけることです。そうすることで、世界が広がりますから。
●荒木章太郎さん「孤高の轍」
若干、表現が邪魔してる部分がありますが、話は概ね通るようになりましたね。読むこちら側としても、ちゃんと話が追えるようになりました。だいぶ前進です。
冒頭の「父よただいま」は、おもしろいですね。この謎かけみたいな言葉が意味するところは、
2行目~12行目の「僕は父に取って代わった」までの詩行によって、解明されます。
歳を食っていくと、鏡の前に立つ度に、だんだん父親に似てきたなあーと思うのは、男にはままある感慨でありますが、作者は遺伝子レベルおいても何かを感じているようです。このあたりまではグッドですね。
で、問題は2連の初行なんですが、これ、いくつか引っ掛かる点があって、
まず、「反乱軍」として用いてる体言止めなんですが、体言止めは、「今~である」的な意味合いになるので、未来形には使いません。しかし2~3行目の、
母や妹は祖母の呪いに縛られていた
父を建てて陰にまわるよう躾けられていた
を見ると、母と妹は、まだ反乱軍になってないように見える。
2連初行段階においては、「反乱」は「僕ら」ではなく「僕一人」なんじゃないでしょうか? その後の詩行を読んでも、母と妹が、2~3行目から転じて反乱を起こしたというようなことは、書かれてないように感じますし、ここはロジックが合わないとこですね。
むしろ、母がまだ反乱軍じゃないからこそ、作者は市役所に連れて行こうとしてるんじゃないんですかね?
2連のアタマを曖昧に書いてしまうと、そこからあとの文意にも、差し支えてしまいますよ。
また、2連初行、「祖父」がいきなり出た上に、これ1回かぎりで消えるんですが、出現回数から言っても説明不足ですね。おそらく今の家族の男尊女卑の封建的な考えや躾は、元凶に祖父があると言いたいのでしょうけど、この1行で伝えるのは無理がありすぎです。3行以上使って、祖父が元凶であることを語られた方がいいです。
あのー、基本的に、一語だけ置いて、事が済んだと思わないことです。それではまず伝わないです。
あるいは、この1行目をキメの1行にしたかったのであれば、その前にそこに至るアプローチとなる詩行、補助説明的な詩行を先に仕掛けておいてから、この詩行でキメをすれば、良かったですね。
現状は、「祖父」の登場がこれ1行で唐突すぎました。
しかしながら、これら2連のアタマの問題をちょっと棚上げにして、
2連6行目の「信号が青に変わると」から以降、終連の最後までを読むと、この部分て、悪くないのです。母の生き方を示し、それを思いやる作者の愛情を感じます。ここはよく書けてると思います。
後ろの方は後ろの方でいいんですよね、この詩。
うーーん、この詩は2連のアタマがすごくネックになりましたねえー
逆にいうと、そこだけやり直したら、いいセン行くと思うので、アドバイスを元に自分で検討してみて下さい。
秀作一歩前とします。
●上田一眞さん「うぐしの涙」
遠い過去のことは、記憶が曖昧になってることもあって、「昔は良かった」と美化しがちなんですが、はたして本当に良いことばっかりだったかというと、そんなことはなくて、戦後といっても、特に高度成長期以前の戦後は、昔からの因習がかなり色濃く残っていたように思います。一概に、無知から来るものとばかりは言えないんですが、科学的知識の乏しさが、余計に輪をかけて因習を信じ込むに至っていたというか、差別や偏見が、そのあたりの時代は、今よりもずっと強かったと記憶しています。
上田さんは、ここ最近、まさにそのあたりの時代の、差別や偏見のことを捉えて、自身の思い出に乗せて書いてくれていますね。
良いことと思います。その差別や偏見は、今も僕らの根っこに残っていて、きれいに払拭したとは言いがたいものなので、過去の時代のことであっても、今の時代にアピールするものである、と感じております。
また、今だって、インフルエンサーが誤った情報を発信しても、無条件にそれを信じる人たちがいて、悪しき因習が根付くこととなった昔の構造と、それはさして変わらないものであります。そちらの点においても警鐘となるような気がしております。
作品ですが、おそらく断片的な記憶を繋いで、(脚色も加えて)ストーリー化してくれてるのかなと思いますが、子供の時に感じた疑問や不思議がベースになっていて、それは作品の随所でも実感として生きています。また自身の子供の頃と一人の唖者との繋がりということで「人間対人間」の物語になっているのが、「人間を描くべき」詩の使命とも合っていると感じます。
また、情景も入っていて、映像として見えるのがいい。文体もキレイに書けていて、読みやすいです。レベル上がったんじゃないかな。
うむ、良いと思う。名作&代表作を。
ごく小さいとこ、1箇所だけ。
この詩は「現代文+会話部分には方言も取り入れる」形で書かれています。逆な言い方すると、方言部分以外は全て現代文で書いているので、「友がき」は間違いじゃないけど、やめたほうがいいと思います。「友がき」は、歌「ふるさと」を歌う時くらいしか今言わないというか、時代的には、旧かなを使っていた時代によく使われていた言葉で、今は使わないので、間違いじゃないけど、ここだけ不自然になるから、やめた方がいいですね。フツウに「友だち」で、いいところだと思います。
●理蝶さん「壊れかけのUFO」
物語としては完全にできていて、おもしろいと思います。
特に宇宙人が
触手も翼も何もない
僕たち人間と瓜二つ
で、しかも夫婦だという、とても庶民的なところがいいです。
で、人間と全く一緒ではなくて、違いは、ガラスの涙を流すところというのも、絵本に描かれそうなシンプルな絵柄のキャラが想像されて、ステキです。キャラ設定としては申し分ないような気がしています。
ただ、詩としては、いずれかに踏み込みたいところですね。
踏み込めるチャンスはいくつかあって、
まず「一人息子を残してきた」というところは、ウクライナから避難してきた夫婦のようであり、息子は兵役で残っているようでもあります。そういうウクライナ戦争の暗示があっても良かったですし、
民間に親切な人がいる一方で、難民申請を全く通そうとしない、日本政府の冷たい姿勢を描いてみても良かったんです。
また、時代の寵児となった異星人が、忘れ去られていくところも、現代社会の有り様を皮肉っているようで、ここをもっと踏み込んでも良かったのです。マスコミの豹変ぶりとか、一転して今の生活の質素さ、とかをもっと書けば、社会風刺にもなったと思う。
近いことは書いてくれてるんですが、おとなしくその生活に入っちゃってるというか、社会側の残酷なまでの変化、みたいなものにもう少し踏み込まないと、風刺にまで至れてない感じです。
たとえば、円盤の調査研究についても、当初は、円盤を直してあげようとする者たちもいて、スポンサー企業が資金提供していたが、そうした人もしだいに減り、とうとう夫婦でなんとかするしかなくなって、自力で修理に修理を重ね、山さえ越えられない現状に至ってるという、話を追加するのでも、世間の変化がわかっていいと思いますね。要は「世間」を登場させないと、風刺に至れないと言いますか。
また、一旦は内戦から避難するために逃げてきて、地球に来てるわけだから、息子のことを思ってるにしても、どこで心変わりして、やはり元の星に戻ろうとしてるのか。「愛情」で描くのだとしても、息子の話は最初の設定だけで、あいだで、なんにも書いてないから、愛情物語としても、不足してるんですよね。
あるいは、私、最初初連のみを読んだ時、ボロボロになっても飛ぼうとする、人生の比喩かど、フツウに思いました。
一見、異星人ですが、それ自体が、人間の生き様の比喩であってもいいと思いました。
というわけで、
ショートショート的な物語としては、これでも充分おもしろいし、楽しめるんですが、詩的寓話ということになると、もう少し、どっちか方面に踏み込んで欲しかったというのが感想です。この作品て、実はどっちにでも踏み込める入口を持っていた作品なんですよね。
という、もう一段上の希望を添えて、でも名作にしておきます。現時点でも一定以上ラインにはあるので。
細かいところなんですが、
まず初連。(これはあとでリフレインもしますが、)3~4行目のところ、
どこかが壊れどこかで庇い
庇った所が壊れ他の所でまた庇う
こうでしょうね。3行目の中を「が」で揃えるんじゃなくて、3行目、4行目とも、後ろを「で」で揃えるべし、ですね。
それから8連の2行目は「墜落を繰り返した」でいいと思うんですが、どうしても「墜落し」にしたい場合は、1文字空けましょうか。
飛ばそうとしては墜落し を繰り返した
こんな感じ。
それから終連5行目ですが、
辞書ソフト的には、「が」が2つ続くと注意が出ると思うんですが、それ単純なワンセンテンス内のダブりではなく、「夜の気配がし始めた」で→「空」に係る修飾節ですからね。そこは別途に考えていい部分なので、「気配が」でいいと思いますよ。
まあ、「の」でも格助詞の「の」なら間違いではないんですが、「の」の後ろって、あんまり動詞来ないので(古文はともかく現代語では)、もし使うなら、そこも1文字空けたほうがいいと思います。
小学一年生だった
幼馴染みのようちゃんと
兄貴のはるちゃんが
面白いことをしようと言う
さっそく浜で
悪童連五人が額を鳩(あつ)めた
僕は一番歳下のチビだ
リヤカーに
竹竿で作った簡易な舵と
ブレーキを取り付け
木枠で囲ったそいつに五人で乗り
長い坂道を下ろう
場所は国道ニ号線の椿垰(つばきだお*)
二キロ半ばかり続くダラダラ坂だ
ボスのはるちゃんが
事務所のライトバンでリヤカーを運ばせた
市境の戸田山(へたやま**)まで行き
そこから垰の西側を
いっきに下った
そこそこスピードも出て
スリル満点 爽快だった
翌日 登校すると校長室に呼ばれた
校長先生から
お小言を頂戴したが
なぜ叱られたのか分からない
見ると
一緒に坂下りをした悪童が
肩を並べて一列に立たされていた
はい 一眞くんもそこに立ってなさい
校長先生に促される
皆がジロジロ見て行くから気恥ずかしい
鼻水は出るし嫌になった
母が学校に呼び出され
平身低頭
米搗き飛蝗のように
ぺこぺこ頭を下げて謝まっていた
駐在さん(警察)から
坂下りを厳しく咎められたようだ
僕は不思議だった
あんなに楽しくて爽快
人に迷惑をかけたわけじゃあるまいに
大人はなぜ怒って止めるんだろう
危険な遊びだ!
と言われた
でも
車なんて一台も走っちゃあいないんだ(***)
ようちゃんとはるちゃん兄弟は
日本名だけど
半島の人
いつも意地悪されていた
この地は陸の孤島で封建色が強く
もっぱら保守的で頑迷な土地柄だ
今回も嫌がらせに
誰かが駐在さんに讒言したに違いない
はるちゃんの悔しそうな顔
チビはチビなりにこの状況を把握して
こころが痛んだ
校長先生から
しばらく学校に来ないでよい
家で謹慎するように
と言われた
小一にして登校禁止処分をくらったわけだ
でも五人はいつものように浜に集合
何事もなかったかのごとく
砂遊びに興じた
悪童連に「敗北」の文字はない
母は呆れ顔だ
不思議なことに 厳父は
母から話しを聞いても
叱ることなく
只管 うなずいていた
僕は悪さの常習犯
いつも追いかけられて
灸(やいと)をすえられていたから
父の態度が
訝しくてしかたなかった
こっそり顔を見ると
父は懐かしそうな表情をしていた
微笑ってさえもいる
何も言わなかったが どうも
僕と同じような体験をしていたように思う
雪の日 坂道で
竹の橇遊びを教えてくれたのも父だ
幼な子の男の冒険心を
それなりに
評価していたのだろう
*椿垰 地元では低い峠を垰(たお)と呼ぶ
椿垰は防府と徳山(現周南)の市境にある
低い峠
**戸田山(へたやま) 防府市富海にある地
区名
***昭和三十五年当時 国道二号線は開通
してまだ間がなく交通量は著しく少なか
った
通りに面した小さなすみれ公園には
2本の桜の古木が立っていた
毎年春には見事なペアの桜が咲いた
大通りに近い方の桜が少し小さかったが
満開時の咲きぶりでは
大きい方の桜に勝って花が密に咲き
ヒヨドリをより多く寄せた
台風13号の突風で
小さい方の桜の大枝が一本だけ折れてしまい
地上すれすれまで垂れ下がった
大きい方の桜が心配そうに見下ろしていた
桜の幹の中はスカスカになっていると
駆け付けた区の専門家が診断した
子どもの手をつないだ近所の女性は
風で折れるような桜は子どもに危険だと言った
小さい方の桜は根本付近から伐られて
後には切り株だけが残った
切り株は確かに中心から外側に向けて
8割くらいは空洞になっていた
虫が食ったような歪な模様を描いていた
年輪は内側から徐々に朽ちていくそうだ
それでも水分は外側を通って吸い上げられ
中がスカスカになっても
何年でも花を咲かせることができるのだそうだ
やがて
切り株も公園で遊ぶ子どもがつまずかないよう根こそぎ撤去された
その跡には桜の若木が植樹された
若木はまだ棒で支えられ 枠にはめられている赤ん坊だ
大きくなるのにあと何年かかるのだろう
残された古木が枝を伸ばして見守っている
残された古木も
中はやはり空洞だ
何十年も台風に耐え
何十年も花を咲かせ続けてきた
堂々とした抱えきれないほどの太い幹
空に向かって伸びる威厳に満ちた枝
石のような硬さと痛いほどの手触りの樹皮
今年の春は
悲しく寂しい春になったけれど
枝を思いっきり伸ばして
道行く人が思わず足を止めるような
花をまた
意地でも咲かせてくれるだろう
北向きの部屋に
お花は風に俯いて
お父さんはベッドに横たわる
昔は南向きが好きだった
お父さんは最近薄暗いを
好むようになった
私はそこに同じように
日陰を好むお花を活けた
お父さんは最近
水が上手く飲み込めない
そしてうとうと寝ている
お花はその横でいつのまにやら
花瓶の水を飲み干して
やっぱりつやつやしている
お父さんはよく喋る人だった
今は一日中黙って寝ている
お花も同じように黙って
エアコンの風に時々揺れる
これでいいのだろう
これでいい
お父さんもお花も水だけ飲んで
また自然に帰るその日まで
私はお父さんにもお花にも
頑張って生きてるね
なんて声かけて
枕カバーを替えたり
水を替えたり
お父さんもお花も
同じ部屋で同じ風にあたって
やっぱり今日も静かに生きている
堀は そよ風に触れ
槌目のように細かにされて
あくびの空を 朧に映し出す
鯉は気まぐれにうねり
風がほどこした意匠を崩してゆく
少しすれば そよ風がまた
堀を仕上げに帰ってくる
水辺の立ち木に カワセミが一羽
空を煮詰めた背と ひだまりの腹を抱いて
水面をじっと睨む
鉄砲もなしに 打ち出された青い弾丸は
やごを啄み 風に逆らい消えていった
のどかなようで 厳かな彼の昼食
ここには 僕のほかに
誰もいない 誰もいないよ
誰のためでもない
ただここにある景色
街が入り組んでゆく その陰で
ひたむきな命が重なっただけ
せめて邪魔しないように
僕は静かにいるよ
像にでもなったつもりで
僕は静かにいるよ