◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
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いつまでキツい靴で歩き続けるの?
足の指も形も変わっちゃって
痛みは足首から膝 そして股関節から腰まで
気付けばまともに歩けてないじゃないか
普通に歩いていると思っていた
社会に出て靴を履き替えて
いろんな靴を履いてきた
最初は足に合った靴を探していたのに
気付けば靴に足を合わせて
押し込んで痛みを我慢して歩いてきた
そろそろ靴を脱いでみたらどうだい?
靴下も脱ぎ捨てて
素足で歩いてみなよ
アスファルトは冷たいかい?
土の上はどうだい?芝生の上は?
誰かが言ってくれた
『君は何処を歩いてるの?
ちゃんと自分の道を歩いてるの?』
俯いた顔を上げて見渡した
横には海が広がっている
夏の日差しの下 キラキラと輝く水面
靴も靴下も脱ぎ捨てて裸足で砂浜へ走った
砂は思ったより熱くて
それでもまだ感じることの出来る足が僕にはある
さぁ どの道をありのままの裸足で歩こうか…
水無川様、いつも評をしていただきありがとうございます。
これを書いていた時は、少しふさぎ込みがちだったので自然と死にまつわるテーマに惹かれていました。自分が死んだら誰がどんな顔をするのだろうということをよく考えます。悲しんでくれる人があんまりいなさそうで、大抵その後虚しくなるのですが笑。
そういう思いを膨らませてこれを書きました。
ブルーな気持ちではあったんですけど、メソメソはしすぎないように気をつけていたので、感傷に溺れていないとおっしゃっていただけて嬉しいです。佳作の評もありがとうございました。また投稿しますので、よろしくお願いします。
島様、いつも評をしていただきありがとうございます。ご指摘いただいた「おんなじことで 吹き出してしまった」は、自分の中のイメージとしては、例えば一緒に街を歩いている時に、看板にクスッとなるような書き間違えをお互い見つけて、別にそんなに面白くもないはずなのになんだかすごく笑えてきてしまうみたいなシチュエーションを想像しながら書きました。
なかなかそれを簡単に言い表す表現が難しくて、結果上記のような表現に落ち着きました。
普段短い詩はあまり書かないので、これでいいのか心配でしたが、一度島様に見ていただきたいという思いで投稿させていただきました。
なのでちょい甘の名作をいただけてほっとしております。とても嬉しいです。
さらに良いものを書けるように頑張りますので、これからもご指導よろしくお願いします。
孤独
おそろしい言葉
この世で最もおそろしいことかもしれない
真の孤独を受け入れたとき
人は人でなくなる
人は人と繋がっている
どんなときでも
それを忘れちゃいけない
いや忘れることなどできないのだ
受け入れなきゃいけないのだ
人はときに独りでいたくなる
物理的にも
心理的にも
人が人を嫌になることは
よくあることだ
しかしそれはできっこないのだ
一般的な社会生活を送っている限りは
人が人を本当に見捨てるには
ほとんどの事柄を見捨てなければいけない
それは例えば親兄弟にも値する
怖ろしいことだ
心が心底 震える
人が人を愛することを
こんなにも難しくしたのは
誰だろう
誰だっていいのだ
愛というのは
とても大きなものだ
小さな枠に捉えられるものではないのに
人は枠を欲する
例えば恋人であったり
夫婦であったり
親子であったり
ペットであったり
愛を枠で捉えたがる
決して悪いことじゃない
正しいことだ
そうだ問題なのは
そこに幸せを繋げたがることだ
愛があるから
幸せとは限らないし
不幸せともいえない
それは別の事柄
愛は何かと何かを
繋げるものかもしれない
親兄弟を
他人を
男と女を
動物や植物を
その他ありとあらゆるものを
繫いで結びつける
それが愛なのかもしれない
そうだと信じたい
信じることも愛の一種かもしれない
信じることは大事だ
信じる心があれば
人は孤独から救われるような気がする
難しいけど簡単だ
簡単だけど難しい
それが愛
それが信ずる心
今 孤独である人よ
恐れなくて構わない
人は誰だって
いつだって
孤独からは逃れられない
心底愛する恋人がいたとしても
母の愛を一心に受ける子であったとしても
孤独は免れない
そうでなければ
なぜ子供はあんなにも泣くのだ
すぐ目の前に母がいるのに
何かを見失い泣く
伝わらないと泣く
そう伝わらないのだ
愛は確かに何かを繋げるだろう
だがそれを相手に直接伝えるわけではない
都合のいいテレパシーなど存在しない
だから誤解を生む
誤解は孤独を生む
どんな間柄であっても
どうすれば孤独から逃れられるのか
それはやはり信ずることではなかろうか
わかってくれていると
思うからこそ
赤子は泣かないのではなかろうか
笑うのではなかろうか
孤独よ
お前は
信ずることを忘れた
人間の心なのか
ならば愛せよ
誰でもいいのだ
眼の前の自分を愛せよ
他人は自分の心に存在するのだから
鏡を見よ
己の手を見よ
血が流れている
お前は生きているのだ
お前はお前を信ずることはできるのだ
そうして
お前は今
生きているのだ
泣くがいい
泣けずともかまわない
笑えばいい
笑わずともかまわない
今
お前は何を思う?
何かを思い出すであろう
手
それはかつてお前の愛するものと
繫いだ手なのだ
今
お前は誰と手を繫いでいるのだ?
誰とも繫いでいなくとも
お前はお前と手を繫ぐことができる
お前には両手があるのか?
あるのなら簡単だ
五本の指を組み合わせて
握りしめるがいい
それは祈りの形だ
祈り 思い出すがいい
かつて愛する誰かのために
祈ったことを
お前には両手がないのか?
なくても簡単だ
お前は今までの人生で
祈ったことはあるはずだ
母や父のことを想い
祈ったことがあるはずだ
母や父がおらずとも
育ててくれた誰かのために
祈ったことがあるはずだ
今は
自分自身の明日のために祈るがいい
孤独は去っただろうか
一時でもいい
ならばそれでいい
孤独はおそろしいと言った
それは
間違いかもしれない
孤独はいつでも
誰でも持っているのだから
人間は間違える
間違え続ける
間違いの数だけ
正解はある
そこへ辿りつくことができれば……
道すじが見えたなら
孤独でも大丈夫だ
人は一人で生まれない
ならば一人でも死なない
そう信じて
愛に導かれて
孤独を受け入れよう
三浦志郎様
『河原で』に評をありがとうございます。
前回の評で「今後も見ていきたい」と書いてくださったので、今回も投稿することが出来ました。私は気にしいの小心者なんです。そのくせ、変なところで怒り出す。
石積み、人の作った物がこの世にあるということと、賽の河原のことと両方です。そして、賽の河原のことをもうちょっと調べた時に『賽の河原の石積み、転じて報われない努力、人生もそういうものかも」というのを見つけまして、「何をぅ💢!!」という気持ちが詰まったのが三連です。
二連、気高さを感じると言ってくださってありがとうございます。人の営み、人の作り出すものに見合う文章が書きたかったんです。たぶんまだ足りない。
今の終連の移動ですが、四連の後に少し文を変えて移動をしようかなと思っています。もう少し考えます。
ありがとうございました。
僕はここにいる
決して望んだことばかりではない世界に
子供の頃は信じていた
努力さえすれば思い通りの人生が待っていると
幸せとは心の安定 自分の言葉 自分の行動が
正しく評価された時それを感じられるのだろう
そして不幸とは大きな幸せがやってこないことを
理由にして小さな幸せを見て見ぬふりをする
ことで訪れるのだろう
歌にしよう
この世界の理不尽さと道理を
本にしよう
とても理想とは呼べないこの世界のことを
話をしよう
人間というものは幸せと不幸の狭間で
もがいているということを
たたえよう
何があっても笑顔を絶やさずに
頑張っている人々を
もちろん僕も頑張っている
心の底から笑える程ではないけれど
この調子なら大丈夫だと思えるくらいには
結果も出ている
いつか僕は幸せだと胸を張って叫ぶ
そんなふうになりたい
なんて十数年たった今も願いは叶わず
理想と現実を行ったり来たりしている
まったく頭が痛いよ と甘い物が欲しくなる
この世界は謎に包まれている
鶏と卵の話がいい例かな
わからないことだらけで
とても理想郷とは呼べなくても
僕はこの世界で生きていく
そう この世界で生きていく
水無川 渉様 こんにちは。優しく読んで下さりありがとうございます。ラ・クンパルシータはスタッカートの部分が私に楽しく明るいウクレレの高音とともに勝手に明るいイメージでした。私のイメージの押し付けでした(笑)共感という点においては私の伝えたい明るいイメージが伝わりませんでしたね。意識して文を作っていきます。また、よろしくお願いいたします。
水無川 渉 様 はじめまして。
拙作を丁寧にお読みいただき、ありがとうございました。
ご感想を拝読し、もうすこしだけ言葉を足して
作中の「私」がなぜ、
蝶に注目したのかを示すべきであったと思いました。
推敲過程で悩んで削除してしまいましたが、
再度考えてみたいと思います。
貴重なご感想、励みになります。
今後ともご指導くださいますよう よろしくお願い申し上げます。
今回も丁寧に読んでいただき、ありがとうございました。
また、多くの示唆に富んだご指摘本当に参考になりました。
これほど丁寧にご評価いただけることに驚きを禁じ得ません。
本当にありがとうございました。
三浦志郎様、「影響」についての考察、ありがとうございました。
評価や感想の難しい詩を書いてしまい、申し訳ありませんでした。
これはざっくり相続だけに限らず、離婚、ひとり親家庭、介護、教育・子どもの問題など家族の問題を描きたかったのです。
「そんなものはこんなところに書かずにプライベートでやってくれ」と思う方がもしかしたらいらっしゃるかも知れません。
しかし一見個人的な問題に見えても、実は誰もが抱える問題でもあるのです。
だから題材として取り上げるのは面白い。
私はそうした日常のちょっとしたもの、ありふれているようで実は大きく抱えているものを取り上げて行きたいと思っています。