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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

三浦様、お礼

三浦様
遅くなりましたが、評をありがとうございます。
伝わっていて、すごく嬉しかったです。
ありがとうございます。

編集・削除(未編集)

聖らかな人  静間安夫

「神さまは
 人間のこころの中に
 住んでおられる」
幼いころ
そう教わったことがある

自分は
これまでの人生
「天使になろうとして
 往々にして××になる」
その繰り返しだったし
年をとればとるほど
汚辱にまみれていったから
神さまはとっくに別の人のこころに
引っ越してしまっただろう

ところがだ…
他の人間も
きっと自分と同じに違いない
この欲と金のうごめく大都会で
神さまをこころに住まわせている
人間なんているはずがない―
そんな具合に
人を自分の物差しで測るのは
まちがいだ

たとえば
きみは
毎日残業続きで へとへとに疲れ
朝も遅刻しそうになって
駅の階段を駆け上がる途中
よろめいて転んで したたかに膝をうち
痛みに息もできずに
そこに倒れ込んでしまったとき
他の誰もが見向きもせずに
立ち去っていく中で
ふと きみに近づく人がいて
優しく助け起こしてくれたことは
なかったろうか?

その人は真っ白な服を着て
髪を肩まで伸ばし
ひげをたくわえ
一見ヒッピー風だけど
この世の人とは思えないほど
聖らかで穏やかな顔をして
じっといたわるように
きみを見つめている

「大丈夫ですか?」
優しい声にすっかり癒されたきみは
その人に身体をささえてもらうと
不思議なほど痛みも忘れて すっと立ち上がり
「大丈夫です。ホントにありがとうございます!」
と改めてお礼を言おうと
自分の傍らを見ると
もう その人は人ごみに紛れて
いなくなっていた―
そんなことがなかったろうか?

あるいは
きみはあの事件を憶えていないだろうか?
もう二十年以上も前のことになるけれど
大都会の夜の駅で
電車がホームに進入する直前に
線路に落ちた日本人を救おうと
ひとりの若い留学生が
線路に飛び降りたものの
結局 日本人も留学生も
命を落としてしまった
あの事件のことを…

留学生の祖国と我が国の間に横たわっていた
不幸な歴史を一足飛びに飛び越えてしまった
あの勇気のことを…

ヒッピー風の人も
留学生も
その無限の優しさと勇気、
聖らかな行為の源は
いったいどこにあるのだろう?

「この人たちのこころの中にこそ
 神さまが住んでおられるから」
わたしにはそれ以外の答えが見つからない

編集・削除(編集済: 2024年02月24日 10:53)

白い装束の人たち  上田一眞

天神さま(*)のお祭りは
子どもごころにとても楽しみだった

宮市(みやいち**) 天神山の麓
西側の入り口
お宮に登る石段のそばに
伯母の住む古い屋敷があった
十一月の御神幸祭(裸坊祭)のときは
親戚一同が集まり
賑やかに祝った

**

お祭りの日 
天神さまの石段の下
正面入口にある大鳥居の元に
白い装束に身を包んだ人たちが
集まって来た

十人余
みな 野戦病院で身に纏う白い病衣に
旧陸軍の軍帽を被り
思い思いの格好で石段に座っていた
多くの人が義手・義足だ

地べたにひざまずいて
胸に
お金を入れてもらう小箱を下げていたから
物乞いする
傷痍軍人たちのようだ

アコーディオンを抱いて
軍歌を演奏している者
胸に金鵄勲章をつけて
ただ ボォ〜と突っ立っている者
全盲なのか 黒い眼鏡をかけて
身じろぎひとつしない者
様々だった

**

伯母方 古屋敷の前にも
白い装束の人たちが数人集(つど)っていた
伯母にお金をあげなくてよいのかを
問うと
露骨に嫌な顔をして

 そねぇなこと せんでもええの
 みな贋物じゃけえね 
 三国人よ!

憤っている様子だ
なるほど伯母の言うように
誇り高い帝国軍人が物乞いに堕すはずがない 
贋物だ
と断ずる人は少なからずいた

彼ら白い装束の傷痍軍人たちが
贋物か
本物か
僕には分からない

ただ 昭和四十年代の半ばまでは
あちこちのお祭りで
その姿を見たから
四半世紀
彼らの櫛風沐雨の活動は続いたのだ
贋物だったら
とても風雪に耐えられまい

**

僕は戦争の悲惨さを
寝物語に父母からよく聞かされていたが
未経験な聞き手としては〈戦争〉を
抽象的に
感得するしかない

それだけに
白い装束で義手・義足を着けている様は
戦争があった事実を認識し
悲惨さを知るに
充分に足るものだった

彼ら傷痍軍人の姿は
見るに耐え難く
僕は崇敬の念すら持った
彼らの姿を見かけると
いつも自分のポケットから
五円玉や十円玉を取り出して
小箱に入れた

**

天神さま夏の例大祭があった日だ
夕刻 まだ陽が高いうちから
白い装束の人たちが集まり
石段下の児童公園で酒を酌み交わし
歌を唄って騒いでいた

普段 彼らのパフォーマンスが示す
惨めさ 憐れさ
哀切感など微塵もない
僕は酔っぱらって放歌高吟する彼らを見て
非常なる違和感を覚え
それ以降は
お金をあげるのを止めた

いま思うと 僕の中では
衆人からお金を恵んで貰ってる以上
酒盛りをするなどもっての外
ずっと不幸を背負って 
道端に
手をついていなければならなかったのだ

**

僕は間違っていたのだろうか
いま一度 白い装束の人たちを顧みた

何より彼らも
いまを生きて行かねばならない
世知辛く
生きにくい世の中だ
それに彼らも人だから
憂晴らしに
酒盛りをすることだってあるだろう

細かな事情は知らぬが
無国籍者など
軍人恩給を給付されてない人も
あま多 いたという

もしそうなら
苛烈ないくさを国の為に戦って
深手を負った それを
救済援助もなく放置されているのだから
抗議のパフォーマンスをしたくなるのも
無理からぬことだ

ただ お祭りの日
強訴の如き集団での物乞いが
やむを得ない仕儀だったのか
評価はしづらい

**

さすがに 昭和四十年代も後半になると
姿が見られなくなったが
僕の瞼の裏には
白い装束姿がフォーカスされ
いまも強く焼き付いている

僕にとって 彼らの存在は
〈戦争〉そのものだった 

腕や脚や光を奪った戦場は 
何処だったのだろう
父がよく話題にしてた満州か
母の語ることが多かった北支か
伯父のいた南方の島々か
はたまた激闘の沖縄か

どんな闘いで傷を負い
生還したのか
まさに歴史の生証人だ
北浦の砂浜で拾ったライフルの空薬莢を
凌駕する重みがあった

また 地べたに這い蹲って
子どもたちから十円玉を貰っている
傷痍軍人
その姿は
ビジュアル的に
〈生きる〉ことの困難さをリアルに
訴えているように思えた

**

毎度 お祭りで
見かけた白い装束の人たちだが
手負いの姿の彼らに
未熟な僕は
未熟が故に
語りかけるだけの言の葉を
上手く見い出すことができなかった

いま 彼らに会うことができるなら
多くのことを問い質したい

しかし
それももう不可能だ
みな冥界に去り
歴史の中に埋もれてしまった




*天神さま 防府天満宮(山口県防府市)
**宮市(みやいち) 防府天満宮の門前町

編集・削除(編集済: 2024年08月24日 18:23)

井嶋りゅう様  まるまる

井嶋さん、こんばんは。まず私の名前ですが、「まるまる」で大丈夫です。
「まるまるさん」ではないですよ。私の年代ですと、アグネスチャンちゃん
を思い出してしまいますね。
ご心配ご無用です。私がどこかで入力し間違えたのでしょうか?それでしたら
訂正いたします。まるまる、の4文字だけです。

さて、「洗って干してまた使う」に評をありがとうございました。
考え方を認めてくださりありがとうございます。
引用したメッセージが井嶋さんの心にも響いたり、でも捨てる・捨てないだけで
きっぱり分けられるものでもない、とコメントを頂けたような気がして、
家の狭い台所での呟きをしっかりお届けすることができたのかな、とほっとしました。
今回もありがとうございました。

編集・削除(編集済: 2024年02月23日 21:02)

井嶋様 評のお礼です 紫陽花

井嶋様こんばんは。今回も、評をありがとうございます。ご推察通り義父は幼児になってしまったのです。聞き分けの良いところは若干残ってますが。少し悲しいです。私、本来の父には何故か毛嫌いされ、機嫌が悪いと背中とか中心に殴られいつも母に湿布を、貼ってもらい学校に行ってたので、父というだけで嫌っちゃいけないけど苦手なのです。なので、遂に義父が余命宣告されてしまったけど。どうにも近づき方も理解出来ず。このまま申し訳ない感を持ったままお願いだけは聞いてあげたいと思ってます。お父さんとお母さんが欲しい欲しいってこの歳になっても、いや死ぬまで私は距離感も分からないのにわーわー言うんです。多分笑。またよろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

紙のいじわる? 三浦志郎 2/23

紙 うまくめくれない
時 にイラつく

新聞めくる時
好きな小説めくる時
詩作品A4用紙めくる時
職場で書類めくる時
ピン札千円でお客にお釣り渡す時

めくるめく迷惑

紙をどちらに喩えようか
私が男だから
紙を女性に喩えよう

彼女は隣の女友だちに貼り付いて
イヤイヤをする
「こわい~~!」

私は自分の不器用を
(よいしょ)と棚上げし
嘆息しながら話かける

「やれやれ ペーパーとは時にこうなのさ」
「無体なことをするわけじゃない ただ次の紙に用があるのさ」
「友だちと引き離すわけじゃない ただ次のページが読みたいだけさ」

皆さん こんな経験ございませんか?

私は重大な決意をする
この由々しき事態を打開するために
百円ショップにて 紙めくり用の
カイメン(海綿)という奇妙な名の物品を購入する
丸ケースにスポンジ入って
水で濡らすと容易に紙がめくれる道具
そうに決めた

そして弁護しよう
紙はけっしていじわるではない
ただ イヤイヤをするだけなのだ

それを宥めすかす方策を購入するのだ
(指舐め 厳禁!)

編集・削除(未編集)

評と感想の御礼 大杉 司

井嶋様ヘ
この度は「成人」をお読みいただきありがとうございます。
これからはもっと頑張っていこうと感じました。
また、成長することはどう言うことかをしっかり考えようとも思いました。
好感持ててもらえて嬉しいです(笑)次回も宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

2/13〜2/15までにご投稿分の評と感想です。  井嶋りゅう

2/13〜2/15までにご投稿分の評と感想です。
ご投稿された詩は、一生懸命書かれた詩ですので私も一生懸命読ませていただいておりますが、上手に意味を読み取れなかったり疑問を書いたり頓珍漢な感想になったりする場合もございます。申し訳ございませんがそのように感じた場合には深く心に留めず、そんな読み方もあるのだとスルーしていただけると助かります。どうぞ宜しくお願いいたします。


*****

「虚空」積 緋露雪さん

積 緋露雪さん、こんばんは。
この作品は、あの有名な芥川龍之介の蜘蛛の糸という小説をモチーフに書かれてますよね?多少の脚色はされていますし、結末は違いますけれど、これは、読んだことのあるかたならば、芥川龍之介の蜘蛛の糸を連想するに違いありません。リスペクトのつもりで書かれたのでしょうか?このような有名作を多少のアレンジを加えて書きたい気持ちがお有りなら、まず最初に元になっているテキストがなんなのかを、作中に敢えて書かなければいけません。冒頭に書くのが理想ですが、せめて本文には書いておいてくれないと、積 緋露雪さんにとって不利です。とうさくではないかと疑われてしまいます。そうなると、今まで書かれた素晴らしい作品も、実はどこかから持ってきたものではないかと、あらぬ疑いがかけられてしまいます。ご自身の名誉を守る為にも、出処をはっきりさせて、自分のオリジナルであるかのようには書かず、分析スタイルを用いたほうが良いと思います。そうなるとエッセイ風になって、詩にはならないかも知れませんが、この状態では評価できません。


*****

「これでいいのかな 距離感」紫陽花さん

紫陽花さん、こんばんは。
またまた良いタイトルをつけていますね。お義父さんではありますが、元々は他人。距離感もなかなか掴みづらい。地理的距離感があったほうが、実は有難かったりしませんか?私は昔、地理的距離が近すぎて毎週呼ばれて嫌な思いをしたことがありまして、毎週は行きたくないと元夫と喧嘩したことがありました笑。
さて、紫陽花さんのお義父さん。二連目がとってもリアルですね。目に見えるような光景です。友人のお父さんが入院していた時とそっくりです。間髪、入れないんですよねぇ。早く用件を言いたい一心なんですよねぇ。私の感覚ですが、ご年配の男性は病気をすると我儘になるようなイメージがあります。あれやってこれやって、と急に駄々っ子みたいな感じにうつります。紫陽花さんのお義父さんは違うかもですが。いずれにせよ、紫陽花さんにとっては緊張の日々が続きますね。タイトルにも戸惑いが伺えて良かったですね。あともう少し、もうちょっとだけ、紫陽花さんのぎこちなさが書いてあったらもっと良かったかな。佳作半歩前といたします。


*****

「成人」大杉 司さん

大杉 司さん、こんばんは。
だいぶお久しぶりでございますね。以前、確かお誕生日の詩を読ませていただいたような気がいたします。勘違いだったらすみません。今年成人されたのですね。おめでとうございます。お若い!成人するということはどういうことなのかと言うことが、詩に書かれてありました。具体的に何かを実感することは、今はまだないかもしれません。でも、責任というところでは、大きく変わってきますよね。期待と不安というものが入り混じった、素直で初々しく好感のある詩でした。成人したことを機会に、というわけではありませんが、これからも良かったら詩を書き続けてくださいね。いつでもお待ちしております。

*****

「洗って干して また使う」まるまるさんさん

まるまるさんさん、こんばんは。お久しぶりですね。突然ですが、申し訳ございません。「まるまるさん」までがお名前なのに、そのあとに「さん」をつけ忘れていたことに気づきました。ずっと呼び捨てにしてしまっていたこと、申し訳ございませんでした。以後、気をつけます。
ここ数年、ミニマリズムという言葉を定期的に聞くようになりました。断捨離はずっと流行っています。使わなくなったものを置いておく場所にも家賃が発生しています、と本に書かれてあって、確かになあ、と思ったことがありました。まさにこの詩の2連目にあたるかと思います。一方で、物は捨てなくてもいいという本が出ているのも事実。結局はその家に住むかたが心地よければそれで良いのでは?という結論に至りました。そして本作。私、まるまるさんさんのような考え方をするかたが好きです。最後の最後まで寿命を全うさせてあげることが、物への敬意だと思っています。
「たやすく物を捨てられないのは/感謝の気持ちを持てるからです」
このメッセージ、心に響きました。そうですよね。自分のために役に立ってくれた物たちを、ないがしろにするのは胸が痛みますね。ぜひぜひ洗って干して また使ってください。ケチケチの節約家じゃないですよ、ふふふ。佳作といたします。


*****

以上、4作品のご投稿でした。
どうもありがとうございました。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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抱きしめられたことがないから  荒木章太郎

触れたことがないから
触れ方がわからない
子犬を抱きしめてみたが
脈打つ肉の振動や熱が侵入してくる違和感で
気が触れてしまいガラス越しまで逃げてしまった

友達はカラスだ
濁音を取り去り世界に触れるため
まずは海や山に触れるよう言われた

海は埋め立てられ
山は切り崩され
超高層ビルの森の中
普段なら会うことない人達の情報に触れた
四角い世界の中で視覚優位で言葉を駆使して
普段なら触れることない世界中の書籍に触れた
やがて肉体は揺さぶられても平気になった

図書館に出かけるようになった
言葉を抱きしめられるようになった
何年も通い続けているうちに
カラスとは口がきけなくなる
向かいに座る女性と口をきくようになった
彼女が隣の席に座るようになった
二人で言葉を交わすようになり
ガラス越しで触れ合うようになった

二人で海へいった
二人で山へいった
春を知らせる清流の風が
僕の濁音を吹き飛ばしてくれた
夕暮れの海岸線で
彼女を抱きしめてみた

脈打つ肉の振動と熱と
波打つ潮の満ち引きは一体となり
僕らは世界を抱きしめていたし
世界に抱きしめられていた

編集・削除(編集済: 2024年02月21日 22:19)

三浦志郎様 評のお礼です。荒木章太郎

ありがとうございます。いざとなると自己中心的になってしまう夫の自己愛をセイウチの牙に例えました。「自分さえ良ければ良い」と考えている男が寝返りが打てないほどに肥大した牙を持ち、背中で妻の寂しさを感じ取るも振り向けない悲哀。ここをうまく表現できませんでした。途中、視覚的に「牙」の形に興味を持ち、自分さえに「冴」という漢字を当ててしまいました。しかもよく見れば「きば」ではない....この見間違えこそ、私自身が独りよがりなセイウチであり、この作品自体が詩中の「妻」を現していると思いました。作品に背を向けることのないよう自分の表現をもっと丁寧に扱いたいと思います。

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