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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

感想と評 6/25~27ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。6/25~27ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。

●喜太郎さん「恋文(中原中也に憧れて)」
 喜太郎さん、こんにちは。この詩は高校生(それとも中学生?)の恋愛と詩への目覚めを描いた作品ですね。好きになった人が読んだり聴いたりしているというだけで、それまでまったく興味のなかった本や音楽に触れるということはありますね。そして、時にはその恋愛自体が過去のものになった後でも、そうやって出会った芸術との関係が長く続いていくこともあるのだと思います。この作品では、そんなきっかけで詩を読み始めた「僕」が、読むだけでなく詩作まで始めてしまうという展開が面白かったです。本作のタイトルに(中原中也に憧れて)とあるのは、「僕」にとって「君」への思いよりも中也への関心がメインに描かれているということを暗示しているのかもしれません。
 中也の詩の中でも最も有名なものの一つ「サーカス」が引用されているのも、初めて詩を読む高校生の描写として自然ですね。その中でも特に有名なオノマトペが引用されていますが、原文の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」ではなく「ゆあーん ゆよーん はやゆあーん」となっているのは、意図的なものかと思いましたが、よく分かりません。意図が明確に伝わらなくて、単なる誤記と思われてしまうともったいないと思いました。
 ところで、「サーカス」の全文を読み返してみると、ここでぶらんこに喩えられている心の揺れは、青春の恋心といった甘酸っぱいものよりもっと暗くシリアスなものを表しているように思い、そこに微妙な違和感を覚えました。もちろん、「僕」は詩の初心者ですし、恋している時にはすべてを自分の恋心に引き寄せて読んでしまう、と考えれば、そういった「誤読」もありなのかもしれませんが……。評価は佳作半歩前となります。

●桜塚ひささん「無差別殺人事件調書 ―ある大量無差別殺人犯の声」
 桜塚さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 この作品を読んで思い浮かべたのは、2008年に秋葉原で起こった無差別殺傷事件でした。犯人が用いたのが、詩でも言及されている「ダガーナイフ」であり、死刑判決が下ったこと、インターネット掲示板にのめり込んでいたことなども共通しています。
 けれども、そのような現実の事件とのつながりがどうであっても、この作品で描かれているのは、社会から阻害された孤独な魂ですね。それを「声がない」人間として描いているのが印象的でした。声を奪われた人間が事件を起こし、その抑圧されてきた「声」を調書の形で表現する――タイトルに「声」とあるのも意味深長です。
 最終連の「彼は 無罪だ」は賛否両論あるかもしれません。けれども「彼が有罪なら 僕も有罪だ」はとても良く理解できます。罪は罪です。通りすがりの人々を無差別に殺傷する行為自体は受け入れられません。けれども一人の人間を凶悪犯罪にまで追い詰めた社会の責任もまた、問われなければならないのだと思います。
 社会の闇に切り込む硬派な詩をありがとうございました。また書いてみてください。

●理蝶さん「ぼくが死んだ朝」
 理蝶さん、こんにちは。誰しも自分が死ぬ日について思い巡らしたことが一度や二度はあるのではないかと思うのですが、この詩はそんな主題を扱っている作品ですね。「ぼく」は自分が死ぬ日のことをいろいろと思い浮かべるのですが、特に前半は、自分の死が世界の歩みに影響を与えることはほとんどないことを醒めたリアリズムで歌っていきます。
 途中の「でもね」(一語で一連にしているのも良いですね)から、そんな「ぼく」の死を悼んでくれる数少ない(もしかしたらただ一人の)相手に向けて語りかける内容に変わります。しかし、ここでも「ぼく」の訴えはあくまで控えめで、それが却って心を打ちます。「どうか/この世界を少しも変えることのない/ひそやかな涙を 流してくれないか」の連は特に好きでした。
 感傷に溺れることなく、抑制された叙情が全篇に漂っていて素晴らしいです。評価は佳作です。

●森山 遼さん「三島由紀夫と全共闘の自己否定」
 森山さん、こんにちは。この詩は三島由紀夫、全共闘、赤塚不二夫らが活動した1960年代末から70年代始め(三島の自決は1970年11月25日ですね)の時代を描いた、思想色の濃い作品ですね。これまで担当させていただいた森山さんの詩にはない、新しい作風に感じました。
 この詩の中心は、「しかしその時 彼は 逆に 自己存在のすべてを 完全に 肯定できたのかもしれない」ではないかと思います。(全篇の中で一番長い行でもあります)。つまり自己否定が自己肯定に転化するというパラドックスがある、ということなのでしょう。これについては私も深く同意します。
 ただこの作品を何度か読み直しても、そのような主張を描く背景として、三島と全共闘の時代を選んだ必然性があまり感じられませんでした。まったく政治的に方向性の違う両者と、さらに赤塚不二夫まで登場して、散漫になってしまったというのが正直な感想です。この詩のメインはやはり三島だと感じましたので、彼一人に集中しても良かったかもしれません。どうしても全共闘や赤塚不二夫も含めたければ、この二者についてもう少し詳しく書き込む必要があると思います(作品全体はかなり長いものになってしまうと思いますが)。
 そして、この詩には「私」という語り手が一度だけ登場しますが、この「私」がどういう視点から三島と全共闘の時代を振り返っているのかがはっきりすると、詩全体が引き締まってくると思います。ご一考ください。評価は佳作一歩前です。

●荒木章太郎さん「ぶっこわーす」
 荒木さん、こんにちは。威勢の良いタイトルであり、本文も勢いがある文体ですね。けれどもそのような表面的な威勢の良さと軽い文体とは裏腹に、その下には冷静に現実を見つめる目と、堅実な未来を作っていこうとするポジティブな意志を感じました。
 タイトルの「ぶっこわーす」は小泉純一郎元首相のスローガン「自民党をぶっ壊す」を指しているのだと思います。「30年間冬眠していた」というのは、日本社会の失われた30年を表しているのでしょう。
 語り手である「俺」は「先輩」(小泉氏)が「ぶっこわして」切り開いた道を威勢よく進んできましたが、いつの間にか熱狂の夏は過ぎ、秋になってあたりを見回すと周囲の殺伐とした世界に驚きます。このあたりの心情の変化が、「ロックンロール」から「ブルース・シャンソン・鎮魂歌」という音楽ジャンルの変化によって巧みに表現されています。
 そう考えると、「俺」たちが「ぶっこわして」来たのは、自民党どころか古き良き日本そのものだったのかもしれません。「俺」はその現実に気づいて、それを立て直そうと「リフォーム会社」を立ち上げる……。
 隠喩表現を駆使しつつ、社会に対する批評眼と、未来への希望、そしてユーモアさえ感じられる、読み応えのある作品でした。評価は佳作です。

●温泉郷さん「夕景」
 温泉郷さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 夕暮れ時の散歩でしょうか。歩きながらふと目にした情景を丁寧に描いた作品ですね。私自身も詩を書くようになってから、身の回りの細かい事物を注意して観察する癖がつきましたが、この詩でも、何気ない日常の一コマがじっくりと描かれています。枯れ葉だと思っていたものが蝶だと分かった時の驚きなど、「私」の心の動きもよく伝わってきます。
 この作品の舞台の右手には公的施設の「庭園」があり、幹線道路を隔てて左手にはビル群のふもとの「緑地」があります。庭園から石垣のところまで出て来た蝶が緑地まで渡っていかずに庭園に引き返してしまう動きは何かを象徴しているのか……。庭園が「手招き」をしているという最終行には、いろいろ想像を刺激する余韻が感じられて良かったです。またの投稿をお待ちしています。

●紫陽花さん「木曜日は海辺のレッスン」
 紫陽花さん、こんにちは。海辺の町でのウクレレレッスン、いいですね。季節を特定できるディテールはありませんでしたが、読んでいてやはり夏を思い浮かべました。丁寧な描写で情景が鮮やかに目に浮かびますし、途中で登場する猫たちに、語り手の自由な心情が映し出されているのも巧みです。特に劇的な展開があるわけではないのですが、この詩は雰囲気で読ませる作品だと思いました。読むだけで心が和んでくる詩ですね。
 私が唯一ひっかかったのは、結末部に出てくる「ラ・クンパルシータ」でした。言わずと知れたアルゼンチンタンゴの名曲(作曲者はウルグアイ人ですが)ですが、哀愁を帯びた曲調といい歌詞と言い、それまでの明るく爽やかな雰囲気とどうしてもミスマッチに感じてしまうのです。かといって、意図的にそのような違和感を与える狙いがあるとも思えませんでした。
 もしかしたら、これは紫陽花さんの実体験に基づく詩で、実際に教室で練習していた曲が「ラ・クンパルシータ」だったのかもしれません。けれどもあえて言わせていただければ、たとえそうだったとしても、私ならここは詩全体の雰囲気にマッチする別の曲に変えてしまうと思います。
 俵万智さんの代表作「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」の短歌の元になった体験では、恋人がいいねと言ってくれたのはサラダではなく、カレー味の鶏の唐揚げだったそうです(ちなみに日付も七月六日ではありませんでした)。でも唐揚げでは歌にならないということでサラダにした結果、多くの共感を呼ぶ有名歌になりました。このように、たとえ実体験に基づいている作品でも、フィクションのフィルターを通すことで、より作品としての磨きがかかることがあると思います。「事実」ではないかもしれないけれども、作者の心の「真実」をより効果的に伝える、それこそが文学だと思うのです。ご一考ください。評価は佳作半歩前となります。



以上、7篇でした。今回も味わい深い詩の数々と出会うことができて感謝しています。暑い日が続きますが、皆さまどうぞご自愛ください。

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島様、評のお礼です。  akko

島様、「最期のダジャレ」に評価をいただきありがとうございました。
主人のことを細かに解析して下さり、はっとさせられます。
確かに残りの人生は、おまけ、のようなことを言っていたっけ・・などと
記憶が蘇ってまいります。
ただどう考えても妻の私は不作でしたので、それは気の毒でした。
ご指摘いただいたところ、納得いたしました。
いつまでも亡き夫のことばかり・・もういい加減にしたら?
と写真の夫が言っているような・・。
また投稿させていただきます。
次回もよろしくご指導くださいますようお願いいたします。
熱中症、くれぐれもご自愛くださいますように。

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島 秀生さま 評のお礼です  相野零次

島 秀生さま 評ありがとうございます
思っていたよりも良い評価を頂けてよかったです。
単なる恋愛の詩にはしたくなかったのと、
深いテーマ性を持たせたかったので、
うまくいったようで良かったです。
これからも詩作に励もうと思います。

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三浦志郎様  御礼  静間安夫

今回も私の詩を丁寧にお読みいただき、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。

小学生のころから、昆虫をはじめ小動物が好きで、彼らの愚直に生きる姿に
いつも魅せられてきました。また彼らを題材にして書いてみたいと思います。

今後とも、どうかよろしくお願い致します。

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その後は どうしたんですか?  温泉郷

飯盒のような形をした
プラスチックの容器の中で
乾いた砂を掘るクロアリ
巣をつくったところまでは
見届けたはずだ
確かに 観察して記録した
覚えている
しかし……

その後は?
その後はどうした?
その後の記憶は
ない
観察して記録したのに
その後は
記憶さえ
しなかったのか

飽きっぽく残酷な小学生
そんな一般論ではなく
そんな日本中どこにでもいる
小学生のことではなく

あなたのことです
その後は?
どうしたんですか?

気が付くと
半袖で露出した右腕を
初夏のアリが一匹這っていた
アリはさらにあがってくるかと思えば
またおりて
少し回転するような動きをしてから
またあがり
またおりていき
またあがってくる

ベンチで無責任に
居眠りする男の
足から腕へと
アリは 食糧を探してなのか
何か他の必要に応じてなのか
導かれて
登ってきたのだ

アリは 観察しないし記録しない
そんなふうにできてはいない
記憶も経験も継承せず
本能で反射的に行動する
プログラムされた命
本能に命じられた行動を
とっているだけだ
少なくとも
科学はそう言っている

アリが
また一匹
足からあがってくる

その後は?
その後は?
どうしたんですか?

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三浦志郎様 評のお礼です 上田一眞

こんにちは。上田です。
いつも細部までの読み込み、ありがたく厚く御礼申し上げます。
2章の「訴訟」が強く重いからコンパクトにして、3章に収納するということですね。思い切って捨てることも重要だということでしょうか。切り捨てることはなかなか難しいけど工夫してみます。
投稿を始めて一年になります。書けば書くほど難しさを感じ、推敲の時間も長くなって来ました。次の一年に踏み出すためにも更に精進したいと思います。
また投稿致します。
ありがとうございました。

編集・削除(編集済: 2024年07月07日 13:57)

島 秀生 様、「受難曲」の評と感想ありがとうございます。  秋乃 夕陽

島 秀生 様、「受難曲」の評と感想、誠にありがとうございました。
バッハのヨハネ受難曲自体が、裏切り者ユダと共に現れた武装した兵士にイエスが捕まり十字架にかけられて亡くなるまでの劇的な物語なので、もう少し絡めても良かったかもしれませんね。
そうすればもっとボリューミーで読み応えのある詩になったかもしれません。

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感想と評 6/28~7/1 ご投稿分 三浦志郎 7/7

1 晶子さん 「河原で」 6/28

俗に「河原の石積み」というと、三途の河原で死者が石を積み、それを鬼が崩す、その繰り返しのことを指す場合が多いんですが、その寓話性が含まれるのか、それとも、現実として、たまたまあった石積みをポイントとするのか、おそらく両方と見ています。割合は後者のほうが多いかもしれない。 ヘンな表現ですが、こんな益体もないものに目が行き、そこから世界は広がる。2連などは堂々としていて気高ささえ感じさせます。この詩のメインの主張と見ます。矮小と雄大を同居させながら、「たかが~されど」の境地に至っている気がします。3連は前回お話しした、晶子さん作に隠された“男性性”を見る思いがする。こういう言い回しは僕は大好きですね。ところで、僕が冒頭出した「三途の川」云々は実に、この終連によるところが大きい。そこで、あくまで参考的提案なのですが、5連を最終連にして、前向き広がり感で終わる。して、終連の移動先は?2連の後か、3連の後か、いずれにしても、この最終連は途中連の役割を負ったほうがいいように思いました。お好みに応じてスライドも可ということです。佳作です。


2 秋乃 夕陽さん 「影響」 6/28

うーむ、感想・評価を書くには難しい作品ではあります。
2連目以降を取り上げます。母の実家での話ですね。祖父母がすでに死去されて、その相続が、その子である母と孫である自分(私)に降りて来た。そういった理解であってますよね?
その際、ドラマにもあった「家を売り払って~分割する」―その葛藤で「私」が悩む、といった構図のようです。詩の中心部は3、4連にありそうです。非常に揺れ動いているさまが活写されています。
微妙なのは、家を売り払うか否かの決断と思われます。

売り払わない……母を説得して現状通り。あるいは、家を残して「私」はそれでも家を出る?
売り払う……A)それで得た分割金を以って別の家で母子暮らす?又は別々に暮らす?
      B)「私も相続を放棄して」だと、相続して得た分割金も放棄して家を出る?
        これは「私」にとってキツイ気がする。

なんだか、よくわからなくなって来ました(苦笑)。プライベートなこともあるので、すみませんが、評価は割愛させて頂きます。


3 上田一眞さん 「ヤマドリ会遇」 6/29

1章はやはりヤマドリの赤と尾の長さが引き立っています。緑の中の赤のコントラストが濃く印象されます。写真で見ると、胸や羽の部分はなかなか複雑な様子をした赤ですね。あまり出会わない鳥とのことなので、この会遇は幸運だったことでしょう。また、柿本人麻呂の歌を載せたのが目を惹き、情趣をそそられます。
2章はガラリと変わって訴訟のエピソード。たしか以前の作品にも登場しました。「ヘロヘロ」と(3章の)「ズタボロ」は詩の表現としては如何なものでしょうか?この詩のトーンとは合わないでしょうね。続く3章はそういった困難を迎えた中での、ひと時の安らぎ、癒しが描かれます。「忙中、閑あり」といったところでしょうか。ヤマドリと共に自然の色と音も紹介されています。
最後に構成について触れておきます。この3部構成で流れを考えると、僕の場合、どうしても2章に違和感を覚えてしまうのです。次に技術論として書くと、3章は明らかに2章の影響を受け、引き継いでいる部分もあるんです。従って、僕の意見としては、2章を極端にコンパクトにして、3章に収納できないか、ということなんです。僕の結論意見としては2章構成です。曰く「いろいろあったけど、今は自然によって癒されている。その力を以って今後に当たりたい」みたいな……。そうやってトーンを統一はしておきたい、そんな風に思うんです。佳作一歩前で。


4 詩詠犬さん 「今日」 6/29

この詩はちょっと不思議な詩で、リアルな詩として読むと、2連・3連のようなことはあり得ないんです。ただし、それ以降はリアル過ぎるほどリアルなわけです。この対比をどう考えるか、なんです。
たとえば、夢の中の出来事?ならば、あり得ます。この詩はスーッと通って行きます。
あるいは、生活や人生の寓話としても解釈可能ですね。こちらのほうがいいかもしれない。
現に前半の3連部分は過去の自分の思い悩みが象徴されています。具象ではなく抽象。
「ところで」以降、リアルさを含むかな? 5連は気持ちが上向いていくのがわかります。
結果としての現在地的フィナーレが来ます。
最後に終連について触れてみます。「わたしが 今 戻ってきた」はいろんな意味で興味深い言葉ですね。過去には不明な自分もいたけれど、迷いという時間から戻って来られた。結果としての現在=「今日」ということでしょう。何かがふっ切れたのかもしれません。
前作はちょっと所在なげだったんですが、今回は芯が見えてきました。甘め佳作を。


5 静間安夫さん 「蚕」 7/1

この詩は蚕について、結構深く調べないと、読み切れない気がしました。時間が許す範囲で調べました。
まず蚕が持っている相反するイメージがあるでしょう。「悲しい~気高い」「可愛い~気持悪い」
加えて、野生では生きられない、人間の手がないと生きられない。まあ、その事が人間が利用する糸口になっているのでしょうが……。作品はこの事情を、端的に表現します。曰く「類まれな才能」「不運の始まり」。ここにも相反があります。そして、この詩は徹底して「蚕」側―その立場に拠って書かれている点にあります。悲しみ、労り、憐憫が基調になります。そういった中で、一歩踏み込んだ蚕の属性も綴られるわけです。「引き合わないこと、夥しい」中で、美しい産物を成す。ここに、この詩の肝があるでしょう。6連が最も言いたい主張に思います。さて、もうひとつ。詩人のほうです。糸と言葉の違いこそあれ、紡ぐといった感覚は似ています。どちらも美しいものを生み出します。似ています。詩人は報われるところが少ない。これも事実でしょう。もちろん違う部分もあるのですが、この詩の主旨の流れの中での詩人像は適切であると見ています。佳作です。


6 ベルさん 「てるてる坊主」 7/1

これは二人の関係への賛歌と読んで差し支えないでしょう。 印象的な冒頭2行です。
それに続くは、もたらされるものへの手のひらと水の隠喩。2連は(僕の勝手な解釈では)、
「喉元過ぎれば……」といった感覚。どちらも人間共通に持つ性であり属性でしょう。それを充分踏まえながらも、3連「それでも」で覆していく。ここから賛歌は始まっていく。4連ではちょっと具体性に触れ、感謝から返礼といった心の動きも表しているように思う。あとは全てが美しい言葉花束です。終行「貴方の命を祈る」―は「守る」とか「思う」ではなく「祈る」。これを「命」と繋げたことの美しさに、僕も手を打って喜びたいです。最後にタイトルに触れます。ちょっと別の話になりますが、
詩とは案外、時間軸にも左右されるもので、僕の場合、既存作をメンテすることがあります。(あの時はこう書いたけど、今の気分では、こっちのほうがいいな)みたいに、まあ、部品交換程度のことなんですね。まあ、これには賛否両論あるでしょうが、この詩のタイトルにも、そんな要素がありそうです。今はこのかたち。月日が経って、ちょっとメンテしてみる。今は新作。しかし、これもいつかは既存作になるでしょう。新作に目が行きがちですが、既存作は財産。育てていくことに似ています。佳作です。



評のおわりに。

ベルさん「てるてる坊主」―この詩の3・5・6連を読んでいると、山下達郎の既存曲「REBORN」の美しい世界観を思ってしまう。
まあ、いろいろ読んでいると、時に詩と音楽が出会うことがある。これは評者の楽しみのひとつなんです。 では、また。

編集・削除(編集済: 2024年07月07日 18:13)

島 秀生様へ  評価の御礼

その後、体調はいかがでしょうか?
急に暑さが増して体調を崩しやすいですよね。
お大事にされて下さいませ。
そして、詩の評価をありがとうございます。
こんなにも褒めていただいて嬉しい限りです。
皆、日々の生活に追われ、真昼の月を眺めているのは私くらいかと思い、少しでも自然に触れることの大切さを知る機会になれたらと、書いてみました。
次回も評価を宜しくお願い致します。

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島 秀生様 評のお礼です 上田一眞

おはようございます。上田です。
朝、起きたら素晴らしいプレゼントが待っていました。拙作「十歳の夏」、名作&代表作を頂戴しましたこと、大変嬉しく思いました。
昨年の七月一日に投稿を始めて一年となります。その記念すべき作品に名作を頂戴したこと。
自分の文学の原点というべき、故郷の浜での出来事を書き、評価頂けたこと。
詩作の腕が上がったと認めて頂けたこと。
これらが合わさっての代表作入りです。
今夜は祝杯をあげたいと思います。ありがとうございました。

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