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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

評 2/4~6ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。2/4~6ご投稿分の評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。

●樺里ゆうさん「ヒヤシンス」
 樺里さん、こんにちは。ヒヤシンスですか。小学生の時に水栽培した記憶がありますが、それから何十年も縁のなかった花に樺里さんの詩を通して再会することができました。
 冒頭2連で語り手の「私」が一人暮らしをしていることが分かります。このコンパクトな導入は自然で良いと思います。
 匂いを嗅ごうと顔を近づけた自分の姿が口づけの姿勢に似ていることが分かる。ヒヤシンスの名称はギリシア神話の美青年ヒュアキントスから来ているということを連想することもできるでしょう。そしてそこから詩はかつて「ある人」に寄せていた「私」のほのかな想いへと展開していきます。けれども結局相手は結婚し、その恋は成就しないまま終わります。
 「私」はその人に対する自分の想いを素直に認めようとしません。そして別々の町に暮らすようになって、「心底安心していた」と言います。でも最終連が「私」の本当の感情を表現しています。今年「私」がヒヤシンスを育てなかったのは、それによって相手を思い出してしまうことを避けたかったからでしょう。逆に言えば、「私」はまだその人のことを忘れられない、ということになりますね。
 ヒヤシンスの花言葉は「悲しみを超えた愛」だそうです。意図されたものかどうかは分かりませんが、この詩のテーマにぴったりですね。ヒヤシンスに託して切ない恋心が上手く表現されていますが、それが淡々と抑えた筆致で描かれていて素晴らしいと思いました。初連と終連で時の経過と「私」を取り巻く状況の変化がうまく表現されているのも良いです。評価は佳作です。
 一点だけ。調べたところ、ヒヤシンスの通常の開花時期は3-4月、温かい室内で育てると2-3月に花が咲くようですが、この作品では1月に咲いたことになっています。これが実体験を元にした作品で、本当に1月に咲いたのならそれを否定しようとはまったく思いませんが、園芸に詳しい人が読むと軽い違和感を覚えるか、作者があえて意図をもって季節外れに早咲きしたことを伝えようとしているのかと受け取る可能性があります。もし冒頭の「1月」にこだわりや特別な意図があるのでなければ、より一般的な開花時期に設定した方が良いかと思いました。ご一考ください。

●荒木章太郎さん「耳でいたいな」
 荒木さん、こんにちは。言葉はほんの一文字変えるだけでまったく違った意味になったり、同じ表現でも文字通りの意味で使うこともあれば比喩的に使ったりすることもありますが、そうした日本語の面白さが味わえる作品だと思います。
 まず冒頭では、冬の冷気にさらされて文字通りに「耳がいたいな」。次に、これまでの人生を振り返り、自分の生き方を問い直させるような、あまり聴きたくない「声」や「叫び」を聞いた時の、比喩表現としての「耳がいたいな」が2回繰り返されます。最後に、自分のエゴにこだわらない生き方へのあこがれを表現した「耳でいたいな」でしめくくられます。タイトルにもなっている最後の「耳でいたいな」が結論であり、本作品の中心的メッセージだと思います。
 このように、本作品は「耳」に関わるいくつかの表現を枠組とした構成を持っています。これを間の各連をアルファベットで置き換えて図式化すると次のようになります。
 A
(文字通りの)「耳がいたいな」
 B
 C
(比喩としての)「耳がいたいな」
 D
(比喩としての)「耳がいたいな」
 E
(結論としての)「耳でいたいな」

非常にすっきりと分かりやすい構成で、それ自体はとても良いのですが、骨組みとなる「耳」フレーズをつなぐ部分の表現にもう少し工夫が必要な気がしました。具体的に言うと、B-C、それからEの部分です。
 まずB-Cでは、語り手の「俺」が何を聞いて耳がいたいと思ったのかがはっきりしません。内容からすると、現実から目を逸らして生きてきた自分の姿を指摘する「声」ということでしょう。それが自分自身の声なのか、窓から流れ込んできた寒波の声なのか分かりませんが、とにかく「耳がいたい」と受けるためには、その前に何らかの「声」の存在が描かれている必要があると思います。それともここの「耳がいたいな」は比喩ではなく、まだ最初の「耳がいたいな」と同じく文字通りの意味での冷気にさらされた耳の痛さを語っているのでしょうか。よく分かりませんでした。
 Eについても、その後の「耳でいたい」につながる内容になっている必要があります。内容からすると「青空=耳」ということだと思いますが、なぜ青空を耳に喩えたのか、なぜそれが「俺」にとっての理想なのかがよく分かりませんでした。それまでのパートで語られてきた、自分に都合の悪い声であっても痛みを感じつつ真実に聴き続ける耳のような存在でありたい、ということなのかと思いましたが、もう少しその辺りが伝わるように工夫していただければと思いました。
 全体のコンセプトと構成はとても面白いと思いますので、間の肉付けの部分をもう少し推敲すると、もっと良い詩になると思います。ご一考ください。評価は佳作一歩前となります。

●松本福広さん「bungyeeeee‼︎」
 松本さん、こんにちは。バンジージャンプは私はやったことがありませんが、日本にもできるところがあるのですね。ご紹介いただいたサイトも見てみましたが、毎年1万人以上ジャンプしているというのは驚きです。
 実体験したことでなければ詩にしてはいけないということは全くありませんが、この作品を拝読して、おそらく作者は実際に飛ばれたのだろうと思いました。そのくらい臨場感のある描写でした。飛ぶ前の不安と緊張、飛んでいる最中の気持ち、そして引き上げられる時の感覚など、評者も含めバンジージャンプをしたことがないであろう多くの読者が、実際に体験しているような気にさせてくれるという点では、とても優れていると思います。
 終連は「とある場所では~」の行からは別の連にした方が良いかと思いました。この部分では最後にクスリと笑えるユーモアもあって、良い締めくくりになったと思います。
 タイトルの「bungyeeeee‼︎」もeを重ねて弾力性のあるロープが伸びる様子を上手く表現していると思います。評価は佳作です。
 これは私の単なる思いつきですのでスルーしていただいてまったく構わないのですが、飛んで落下していく部分では一行の長さをもっと短くして細長い連にすると、ロープが伸びていく感じを表現できて面白いのではないかと思いました。これは評者だったらこうするかもしれない、ということで、現状でもまったく構いませんので、あくまでご参考までに。
 
●森山 遼さん「もしかしたら永遠」
 森山さん、こんにちは。この詩は森山さんに特徴的な、断片的な言葉を独り言のようにぽつりぽつりと繰り返す語り口で書かれていますね。このようなアプローチの是非については以前三浦さんがコメントされていましたように、評者によって意見が分かれると思いますので、その点について踏み込んで語ることはしません。個人的には、詩の表現方法はいろいろあって良いと思いますので、特定の形式だけを取り上げてその作品の是非を判断することは避け、それを通して何が伝わってくるかを考えたいと思います(そして、その受け止め方や解釈も読者によって当然変わってきます)。
 前置きが長くなりましたが、この作品では「朝の無意識と意識の狭間」という表現が繰り返し出てきます。これが詩の状況設定を表していると思います。目覚めの時の夢ともうつつともつかない精神状態で語られた言葉、という体裁になっており、現代文学で言う「意識の流れ」のような手法を思わせる内容と言えるかもしれません。したがって当然連分けもありませんし、論理のつながりもところどころ不明瞭なように思いました。こういう詩は頭で理解すると言うよりも、言葉の流れに身を任せて、全体として伝わってくる感情やイメージを味わうべきなのかも知れません。
 その上であえて内容を評者なりにまとめてみますと、この詩では「わたし」の生の苦しみが語られているようです。そしてその苦しみは他者との関係性から来ています。最初に1回だけ「あのひと達」が出てきますが、そこから後はすべて「あなた」との関係が語られます。この両者の関係はよく分かりませんが、「あのひと達」への信頼は報われたようですね。ところが「あなた」は違います。
 この詩の中間部は「わたし」と「あなた」の関係をめぐって展開します。「わたし」は「あなた」を愛し、信じているが、「あなた」が自分を信じて(愛して)くれているのか確信が持てない疑いに苦しみます。その苦しみが詩の後半部では自分が生きていることの意味についての悩みへと移行していきます。そして「わたし」が最後にたどり着くのは、死の後にある再生の希望です。これがタイトルの「もしかしたら永遠」につながってくるのだと思いました。このように、大まかな流れをとらえることができるかと思います。
 率直に申し上げて、このスタイルがどの作品でも成功するかどうかは分かりません。しかし、本作品に限って言うならば、「無意識と意識の狭間」の詩として、一定の効果を上げていると感じました。朦朧とした意識の中で思考の断片がぐるぐると回っている感覚がよく伝わってきますし、「わたし わたし」や「死ぬ 死ぬ 死ぬ」といった繰り返しも、頭の中でエコーがかかっているような感覚で受け止めることができました。そういった意味で、これは特殊な作品と言えるのかもしれません。そのことをお断りした上で、評価は佳作とさせていただきます。

●温泉郷さん「根絶」
 温泉郷さん、こんにちは。この作品でフイリマングースのことを初めて知りました。奄美大島をはじめ世界各地で最初は害獣やヘビ駆除の目的で導入され、それが思わぬ影響を及ぼすようになったため、一転してマングースたちが駆除されるようになっていったのですね。調べると奄美大島では昨年9月にフイリマングースの「根絶」が宣言されたとありました。そのような時事的な話題を鋭敏にキャッチして詩に表現する感覚は素晴らしいと思います。
 フイリマングースを奄美に持ち込んだのも人間、根絶したのも人間。自分に都合が悪くなると「特定外来生物」というレッテルを貼って厄介者扱いする……。人間の身勝手さが如実に現れた事例ですね。そのことがよく伝わってきました。
 語り手は人間のエゴに翻弄されるマングースたちの想いについては、「それは分からない」とあえて踏み込むことをしません。この抑えた筆致がかえってこの詩の悲劇性を高めているように思います。パーツとしては、6連の「尻尾が疑問符の形になったのか/それは分からない」の部分が印象に残りました。最終連はとても重く切なくて、心を打たれました。
 人間と自然との関わり、いのちの重みについて、いろいろと考えさせてくれる素晴らしい作品でした。評価は佳作です。



以上、5篇でした。今回もご投稿ありがとうございました。厳しい寒さの中にも春の兆しが感じられる季節となりましたが、急な天候の変化で体調を崩さぬよう、みなさまご自愛ください。

編集・削除(未編集)

島 秀生様  まるまる

「日本は 私は この先を」に評をありがとうございました!
島さんの「おお、」を目にして、ゾクゾクしました!
丁寧に、書けるようにならなければ!
ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

三浦様 評の礼です  佐々木礫

この度は「街路樹の涙」にご評価いただきありがとうございます。
セリフの部分は、人の噂話を冬の冷たい風に例えて表現しようと試み、具体性を高めようと否定的な言葉のみ並べる形にしたところ不自然さが出てしまいました。
もっとざっくばらんに挙げるべきか、声無しで表現する方法を見つけるか、工夫の余地がありそうです。
毎度率直なご意見・ご指摘ありがとうございます!次の作品に活かしたいと思います。

編集・削除(編集済: 2025年02月18日 20:46)

五分前の世界 上原有栖

五分前 それは
「話があるの」 気になるあの子に校舎裏に呼び出された世界
五分前 それは
買ってもらった三段重ねのアイスを意気揚々と掲げる世界
五分前 それは
九回裏ヒットを打ったらサヨナラ勝ち 痺れる場面で打順が回ってきた世界

五分前 それは
何が起きるかまだ分からない世界
しかしこの後 何かが必ず起きる世界

校舎裏に呼ばれた理由は
愛の告白?それとも恋のキューピッドの依頼?
大好きなフレーバーを
笑顔で頬張る?それともバランス崩してアイスは落ちる?
最後の打席に立つあなたは
ヒーロー?それとも三振ゲームセット?

五分後 それは
あなたに結末が示される世界

五分後 そこで
あなたは笑うか それとも泣くか
時間は進む 戻ることはもうできない

編集・削除(未編集)

島秀生様  評のお礼です  津田古星

評をありがとうございます。
 最初は(1)だけのものでしたが、(2)を並べてみたらどうだろうと書いてみました。
(2)はおっしゃる通り、想像だけで書きましたが、はたしてこんな男性や妻はいるのかなと思っていますので、心情を強調ぎみにというのは意外でした。
 この(1)と(2)の二人は真剣なようでいて、端から見ると滑稽なのかもしれません。

編集・削除(未編集)

島 秀生様 評の御礼です 温泉郷

お世話になっております。丁寧にお読みいただきありがとうございました。楽しんで書いてはいたのですが、基本ができていないためか、水槽のイメージを伝えることができませんでした。読み返してみると、やはりこれではイメージが伝わらないなと思います。いただいたヒントを基に、少し考えてみようと思います。後半部分に暖かい評をいただいたことはとてもうれしく思いました。このような架空の題材も難しいことは承知で、これからもチャレンジしてみたいと思っておりますので、今後ともよろしくご指導ください。

編集・削除(未編集)

島様 評のお礼です  松本福広

拙作「Autumn Dome」の評ありがとうございます。

んーーー、正直、絶不調の時に書きました。
詩が思い浮かばず。
恥ずかしがら、読み手を配慮する余裕がなかったように思います。そういう部分が出てしまったのではないかと思います。

かろうじて書けたのが叙景詩。
埼玉県に住んでいた頃
秋になると秩父市へドライブに行っていました。
山並みが秋色に彩られて
運転席から流れる景色に
目がさめるようでした。
そんな見たまま感じたままなら書ける。
と詩にしてみた作品です。
それだけに平凡なように思えるというか
ありがちなのでないかと
評を見るまではモヤモヤしていました。

厳しくも暖かみも感じられる評を
ありがとうございます。

編集・削除(編集済: 2025年02月18日 14:26)

島 秀生様 評のお礼です 上田一眞

こんにちは。上田です。
寒い日が続きますね。こんなときは焚き火が一番と思いますが、最近は禁止されてる所が多いので迂闊に火はつけられません。窮屈な限りです。
ご指摘の部分、書く必要がある部分を省略化してしまったようです。なるほどそこの部分もう少し詳細に書き込むと仕上がり感が違いますね。おおいに勉強になりました。ありがとうございました。
また、投稿いたします。

編集・削除(未編集)

評、1/31~2/3、ご投稿分。  島 秀生

今日も終日不在にするので、こりゃ水曜になっちゃうかな?と思ってたんですが、なんとか滑り込みました。
お待たせしました。


●akkoさん「いま 着いたから・・」

なるほど。
最後は、ない電話を待ってるんですね。ご主人の現世への帰国を待っているかのようです。

海外出張の息子さんとの混同が生じるのは、ご主人もやはり海外出張が多い人だったから、なんですね。それじゃあ、重なってしまうのも無理はない。(もしかしたら、お二人とも同じ会社にお勤めなのかも。だったら余計にですね。)

私は国内だけど、海外じゃないけれど、やたらに出張ばかりさせられていた時期があったので、「いま 着いたから・・」を、奥さんに言う時の気持ち、すごくわかるな。安全を知らせるだけでなく、愛情の籠ったひとことだったと思いますよ。

読む人にとって、息子さんからご主人に変わる、詩行の境目が若干わかりにくいかもしれないんです。
終連は、最後の行だけでなく、終連の最初の言葉から、もうご主人の言葉に変わっています。3行ともこちら側の話ですね。だから、

 いつものように 成田からの電話 早くください

が、ひと繋がりのもので、それをリピードする形で、
 
 早く あなた

が、あります。
そういう意味では、「早くください」と「早く あなた」は
行を変えた方が伝わりやすいでしょうね。そこだけ変えた方がいいと思います。
この詩はそこだけでOKです。あとはちゃんと書けてます。

うむ、切ない錯覚の話でしたね。幻想的な広がりがあるところも良かったし、最後の、ない電話を待つところも良かった。
うむ、これはakkoさん的に、名作&代表作入りです。とてもよく書けている。


●まるまるさん「日本は 私は この先を」

おお、しっかり書けてるじゃありませんか!!
PFASや原発に対する批判部分も的を射ていると感じるし、そこへの批判ばかりでなく、自身を省みて反省を書いてる部分もあるのがいい。
そして、

 一主婦の 
 私のやっていることの
 拡大版が今の日本

と、大胆に両者を繋いで見せてくれてるところが、度肝を抜きます。

たしかに、こういう切り口で見せてもらうと、両者には共通点が多々ありますね。
キーワードは、「本気が足りない」。たしかにそうかも(……私もドキリとするものが)。

うむ、今回の詩はナルホドでした。
結論だけ言わずに、丁寧に思考を積み上げて書いてきたところも、納得ある作になった要因だと思います。今後もこの感じで丁寧に。

名作&代表作入りを。


●白猫の夜さん「共依存」

クロアゲハが、黒い燕尾の男の子になって現れてくるところの幻想的シーンがいいですね。私はそこが一番良かった。
詩全体の言いたいことも、なんとなくわかりました。

初連は、左腕や右のお腹があるから、いじめられてる感じに見えるのだけど、首から上は無傷だし、2行目は左脛???
左脛ばかり「あおたんまみれ」というのが、よくわからなかった。脛ばかりとなると転んでるのかな?ともなってしまうのだが……。

たぶん、初連のことが原因となって、次の展開に行く話になるんだと思うので、初連で表したい意図は、もうちょっとだけ明瞭にわかるようにした方がいいと思う。

「共依存」というと、ある程度以上の期間、それが常態化しているという要素があるので、このタイトルはちょっと違うと思う。専門用語や特定の定義を持つ言葉の使用は慎重に。
このクロアゲハは、依存というより、死神のごとく誘ってる感じを持ちました。それにこの主人公が惹かれていった感じに読めました。
(案外と、アスファルトに張り付いた死骸を拾って、ちゃんと葬ってあげたら、燕尾服の男の子の影は消えたりして……。)

終連は、どっちかというと、我に返って欲しかったですけどね。頭の中で思う概念の死と、実際の生身の強烈な痛みを伴う死は違うから。車に轢かれそうになった時の恐怖の実感、そこを肌身で感じて、我に返ってほしかったけどな。これは個人的感想ですが。

まあ、言いたいところのことはわかるし、多少はあるけど、ストーリーとしては成立してるので、努力賞も含め、秀作を。


●温泉郷さん「軌跡」

うーーん、後半はいいんだよねえー、後半は、失った家族や、貧困や紛争地、いろいろな国の子供の顔が見えてきて、しっかりテーマ性があっていいシーンになっているのですが、
最初の、オレンジの放物線でできているという架空の水槽の想定が、説明はしてくれているので想像図は描けるのだけど、自分がこれまで経験して見たものとの近似性を置きにくいので、頭ではわかっても、どうしても映像がアバウトになる。
いえば、キャンバスが白とは言えないアバウト色なので、その前で行なわれている後半の行動もくっきり見えない、という感じ。
もっといえば、いろんな顔が見えるとこも幻想であり架空なわけだから、架空の水槽の上に架空を重ねている感じになるので、ぼやける。
思うに、そもそも架空の上に架空を重ねて何かを見せるということ自体、なかなかに難しいことなので、えらく難しいところに足を踏み入れてるなあというのが感慨です。

これ、たぶん作者的には水槽のモデルとなったものがはっきり見えてるんでしょうね。でもそれが、こっちにまでちゃんと見えるように伝わってないんだと思う。

解決策といっても難しいのですが、やっぱり前半の水槽の説明で、喩えを入れて、どんな感じのものであるという想像図をもう少し完成させから、子供の話に行く、ということになるでしょうけど、
例えば、子供の見方に行く前に、父はどんなふうに見えているかをまず書くと喩えになるし、子供はそれとは違うものが見えていた、という展開でもいいのではないでしょうか? 一例ですが。

人物の描き方自体は上手で、いいお話なので、もうちょい改善をお願いしたい。
おまけの秀作プラスくらいで。


●秋さやかさん「空」

放課後のチャイムがなって、みんながわっと遊具に行く、解放感とウキウキ感がよく描かれています。子供の頃って、ブランコを大きく漕いで空中に浮き上がると、空に届くんじゃないか、くらいの別世界感があったような気がします。あの感情も童心ならではものであったのでしょうね。
3連の、

 せっかちに号令を言い終えると

は、小学校の頃の、一日の最後の挨拶のことですね。(私の低学年の頃は、「先生さよなら、皆さんさよなら」でした。今は違うんだろうなあー)

遊具なんですが、今は(危ないからと)なくなっている公算が高い遊具が、さりげなく含まれていて、遊ぶシーンは、作者の回想にすり替わって、描かれているようです。
序盤の詩の入り方からすると、現在の話のような感じがして読み進んだのですが、もしかしたら、そもそもこの詩全体が回想なのかもしれませんね。(前作の続編で書かれたものだとすれば、あり得ますね)

また、少しうがった見方をすると、それらの遊具がなくなったことに対する小さな反逆の意志を示した詩であるかもしれません。

今は放課後のチャイムがなっても、みんながわっと遊具に行くなんて光景はないんだろうから、やっぱりこの詩全体が、回想とみた方がよさそうです。前の詩で、塾じゃなくて、みんなのところに行きたかったという光景が、きっとこれなんでしょうね。

なお、全体が回想ということになると、詩の出だしで少し動詞の過去形とか入れた方がいいと思います。

最後のブランコのところ、ちょっと気になります。無難にこれでいいのでは???

 ランドセルを放り投げ
 身軽になった体は
 
 なにも恐れず
 いきおいよく
 
 回旋塔を
 まわしてまわして
 
 風を起こす
 
 ブランコを
 大きく大きく漕いで
 飛び込んでいく
 
 自分だけの
 空へ


一考してみて下さい。
文体がキレイなのは、さすがです。秀作プラスを。


●人と庸さん「意志の手」

画家の東山魁夷が、雪にすっぱり埋もれているススキが、雪が融けるとまたしゃんと立ち上がっているしなやかさに感動し、自分もススキのようにありたいという意の文章を残しています。
また、晩秋の夕陽に照らされてるススキの群生が銀色に照り返している景色もキレイですよね。ススキって描きようによって、とてもいい素材になってくれる気がします。

詩なんですけど、このテーマ性への視線向け方はいいと思うのだけど、いかんせん概要的すぎます。このままではちょっと話がアバウトすぎてツライです。
なにか具体的なものを思わせてから、まとめとしてこの詩が終連に来る感じに、例えば3連構成で、前2連になにか具体的に思わせるもの・考えさせるものを置いてから、終連にこれが来る感じで、バランスが取れると思います。
その方向で考え直してみてもらえると、ありがたいです。

これは受け取り側の感じ方の話なんですけど、長い詩の場合、途中、少々ミスがあっても、比率としてたいしたことないので、わりと許されるんですよ。逆に短い詩であればあるほど、比率として、一つのミスも許されない感じになっていくんで、却って難しいのですよ。短い詩の方がシビアになるんです。
なので、私はあまり早いうちから短い詩を書くことを勧めていません。たまに飛び抜けた感性でもって飛び越えて行く人がいますけど、そういう人は極めて例外的です。最低限、3連構成で書かれることを勧めたいです。
なので、この作品は一歩前とさせて頂きます。
人と庸さんは文体自体はキレイな人なのだから、もっと自信もってガンガン書かれても、大丈夫ですよ。


●津田古星さん「2月のチョコレート」

(1) と(2)で、両方向から書いてるのはおもしろいですね。
言うと、(1)はリアルな思い出に近いもので、(2)は今おもう想像ですが、両方向から描いたこの大仕掛けはたいへん意欲的で、評価できます。(2)もまずまず書けています。秀作プラスとしましょう。

(1)についていえば、フツウ、学生生活何年間かのあいだに、何人かにチョコレートあげたことある、っていうのがフツウなので、でもこれ読むと、作者の一途さが、逆によくわかりました。

(2)では、チョコレートを送ったその男の、現在の家庭の様子が映し出されるわけですが、一人称についてもその男が「私」ということになります。
このポジションチェンジを理解するのに、読む方としてはちょっと時間がほしい。間合いがほしい。
なので初連は、そこまで行かないで、「妻が食卓を整えながら言う」までで、いったん止めて、以下は連分けしましょう。そこでいったん止めて、場面を読者に理解させた方がいい。

次に終連の「困った」の意を読者に理解させるために、現・2連のラストはちょっとしつこめに行った方がいいと思います。そのあたりから下、やってみます。

 「うん」と言ったきり黙っていると
 「住所が分かるんだったら、ホワイトデーにこの土地の名産品でも送ってあげたら?」と言い 
 「でも、その人のことを好きだったんなら送らないほうがいい」と付け加えた

 私は困った
 何十年も経ってからお返しを送るのはおかしいし
 送らなければ 妻にその女性への気持ちを見透かされる

 チョコレートには本当はメッセージがついていた
 好きですとひと言
 意中の人にそう言われ
 私は照れくさかったから
 手紙の追伸にありがとうとしか書けなかったんだ


それぞれの心情をもうちょっとだけ強調ぎみに、これくらい書いてもいいかな、と思いました。
一考してみて下さい。


●相野零次さん「うずくまる男」

情景・心情ににぐっと深く入り込めていて、集中力を持って描けています。
架空の想定ですが、これはこれでワールドが完成してるので、評価します。
名作を。

作品は作品として評価した上で、ちょっと1点知っててほしいのは、この想定は現実にはまずないと思います。家具などの家財がなくなるとしたら、そこに至る前の金策として、自分で家財を売っぱらって金に換えた時でしょうね。
価値があるのは1番に土地、2番目に家なので、(昔々はわかりませんが)いま借金のカタ話になると、家ごとなくす。土地ごとなくす、というのが常ですね。それらを差し押さえられるので、本人や家族は(家財を残したままの)家から出て行くことなるのがフツウです。
あと、もしも家財だけ差し押さえられる可能性があるとすれば、離婚争議の時ぐらいでしょうね(それら家財は、配偶者側の所有物だということで)。

本当に破産話を書きたいのであれば、そこらあたりを勉強する必要がありますが、それよりもこの詩は孤独感や、全ての人から裏切られた失望から立ち直ろうとする姿をこそ描いてる作品と思えるので、「空っぽの部屋が存在する」場面を、この想定ではなく、別の想定に変える方向で一考されたら、よりベターな作になるかなと思います。

話の最初から「非現実的」が見えると、最初から作り話だなと思って読まれてしまうので、あんまり良くない。そこは避けたいとこです。


●上田一眞さん「森」

ついこのあいだのことですが、今まで一度も思い出したこともないと思える昔の出来事をふっと思い出して、それが自分でも物凄くすごく意外で、不思議で、こんなことを思い出すようになったのも歳のせいなのかなと思いました。
「歳がいくと、昔のことばかり思い出す」と、これまでの人生の中で、何人かの年寄りから聞かされてきましたが、ホントだったんだなあーと、今更ながらに思いました。ちょっと自分にその兆候を感じました。不思議ですけど、これも人間の体の神秘がなせるワザなのかもしれません。

なので、昔のことを思い出してしまうことを、そんなに責めなくてもいいんじゃないですかね。歳いくと、体質的に(脳内ホルモン的に???)そうなっちゃうもののようですよ。

詩なんですが、この、方向を見失って迷い込んだような森の中での行動と焚き火は、上田さんなら本当にやりそうで、想像で書いたものとばかり言えないな、本当の話かもしれないなと、思いながら読みました。

2連の表現は一見キレイなんですけど、ちょっと不自然があります。たとえば光線のように漏れた光が射しているところに雪が落ちてきてるか、自身が真上を見上げている時に、ある角度のものが光る感じになるはず。
もうひと工夫、細かい部分まで立ち入って書く必要があるように思います。
そのあとの3、4、5連は良いので、2連をもうちょっとちゃんと書いたら、もっと良くなると思います。

「2.火焔」の立ち上がり。ミスはないしキレイなんですけど、火をつけるのが上手な上田さんは、なんの抵抗もなく、身の丈の焰が上がるとこまで、しゃらりっと書いちゃうんですけど、焰が上がるとこまで、もうちょっとゆっくりいった方がいいです。
着火の瞬間や、小さな火が大きくなるところも書いた方がいいです。

字下げのところ、いいですね。幻想的でステキです。
そのあとの、自身の情念を追い詰めるように追求していくとこもいいですね。
終連だけ、「そして」以降は連を分けましょうか。

最後の解釈は読者にお任せ、ですが、焰の中に飛び込んでしまいそうな勢いです。そんな想像をさせる、思い切ったラストです。

うむ、いいでしょう。名作を。
指摘したところ、一考願ったら、もう一個上までいけると思います。


●松本福広さん「Autumn dome」

都心のイチョウ並木って、邪魔にならんように、結構、枝をはらってしまってあるんで葉が少ないけど、山の方にあるイチョウって、枝をはらわずに結構好き放題に伸ばしてあるんで、、木一本あたりの葉っぱ量も凄いです。この並木は木が大きいから余計すごいことになってるだろうなと想像つきます。
秩父「ミューズパーク」の写真も少し見ましたが、秋の紅葉といっても、モミジの木の紅葉が多いところって、実は京都以外にはそんなにないんです。たいていは別の木の紅葉なので。でもここ、大きなモミジの木が結構あるんで驚いた。秩父恐るべし。この大きなモミジの木を見ても、イチョウも同様に大きな木があるんだろうな、ということは容易に想像つきます。ここ全部、木がデカイんでしょうね。
美しい景色を写真におさめるのは、無理ですよ(キッパリ)。でも松本さんはカメラの腕に覚えがあるようだから、なんとかしたかったんでしょうね。
そのあとのスノードームのアイデアが良かったです。

ところでこの詩は、ワザとやってるんだろうか。なんでそんなわかりにくい行分けをするんだろう? 

 普段は神様に例えられる風や日光も
 今だけは添え物になる
 今ひととき眼前に広がる秋の夢を
 とじこめるよう写真にとおさめる
 私の撮影技術のせいなのだろう
 静止した写真は
 感じているものを
 望んだようには写しきれなかった

 太陽の七色のまばたきも
 そよ風が描く1/fの揺らぎを
 絵画で例えるようなタッチも
 黄金色の蝶たちで賑わう秋の祝祭を
 一葉の世界に表現できなかった

 スノードームのように閉じ込められたら……

 秋がみせる夢のさなかに
 束の間ドームの水に沈んでいたようだった
 地面に落ちた銀杏の葉が
 秋が終わるまでの時間を刻んでいた


これって、こういうこと、ですかね???
なんか行分け、連分けが不思議なことになってるんで、修飾関係や、センテンスの切れ目が、ものすごくわかりにくいんです。慌てて書いたのかな???

秩父がいいとこだって教えてくれたのは良かったし、スノードームのアイデアのとこも良かったんですが、なんでこんなにもつれた書き方をされてるのか、ちょっと意図がわからない。「わかりにくい」以外の効果は、なんにも生んでいないと感じる。

うーーん、おいしい要素がいくつかある詩なんですが、この行分けがちょっと足引っ張ってる気がするんで。現状、半歩前とします。
まあ、ちょっと直してもらったら、即、改善すると思うんですが……。

編集・削除(編集済: 2025年02月18日 04:53)

電車での あの出来事  まるまる

乗り合わせた電車
やった 席一つ空いている
座ろうとして 目をやった通路の真ん中辺に
置いて行かれた誰かの 
嘔吐の跡 
少し 寂しそうに 

そういう訳か
ほんの少しためらったけど 腰を下ろした
数人のコソコソ声が耳に届く
 匂うね
 赤ちゃん乗ってたのかね

ふと 左から女の子二人 20代くらいか
膝を曲げ
レジ袋とポケットティシュで
嘔吐物をふき取り始めた
コソコソ声はぴたりとやんだ

しばらく1ミリも動かなかった私は
近づいて 3枚4枚
自分のティシュを差し出した
女の子は顔を上げ
 助かります
 ティシュ少ししかなくって
次の駅に着くころには
あらかた片付けを済ませてくれた

ひとりの年配の女性が
 えらいね
と 女の子の肩に手をやり
電車を降りた

その人は賞賛を伝えることで 
おさまりをつけたのだろう
この出来事に居合わせた ご自分に

私はと言えば 
自分のゴールがどこかわからず 
もう 接点のない人になっていた

私にとってこの事は 
日常 ではなかった 

でも私は
ほんの少し関りを持った 自分から
次の日からまた いつも通りの暮らしの中
何度も思い出す 電車でのその出来事
忘れてはならない何かを 
置いてきてしまったように思えて

追いかけて 聞けばよかった
 どうして きれいにしてくださったんですか?
 お二人のせいじゃないのに
そうしたら
帰着できたのかもしれない
尊く 得がたい体験として

どこかでまた 会えないかな
あの時の あのお二人に

編集・削除(編集済: 2025年02月17日 22:55)
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