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205,014

三浦様、評のお礼  朝霧綾め

このたびは「てんとう虫の子ども」に評をくださりありがとうございます。
「その子は私にお母さんのように甘えた」は評を読んでうわーやっちゃったなあーと思いました。読み手になんとなく伝わってしまうからこそ目立つというのにドキッとしました。以後気をつけます。

最終連に収束する感じがあると言っていただけて嬉しかったです。実際にこの夢をみたときも、男の子がちょうどかわいい盛りのときに目が覚めてしまいました。そのがっかりした感じ、ほほえましい感じを出そうと意識したので、伝わったようでよかったです。

いつもあたたかい評をありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

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星の旅  山雀詩人

今日は日曜日
仕事は休み

でもふと不安になる
今日ってホントに日曜日かな

月曜日だったらどうしよう
無断欠勤してたらどうしよう

スマホで「SUN」と確認し
やっと安心した次第

でもまさか
まさかのまさか
スマホが誤動作してたらどうしよう
疑いだせばきりがない

そもそも曜日なんていうのは
みんなの思い込みみたいなもので
今日が何曜日かなんて根拠は
考えたらどこにもない

今日が日曜日なのは
昨日が土曜日だったから

昨日が土曜日だったのは
一昨日が金曜日だったから

たったそれだけ
つまり曜日とは
そんな日々のリレーでつむぐ
見えない糸のようなもの

じゃあこの糸をたぐったら
ずうっとずうっとその先に
人類最初の日曜日があるのだろうか

どこかの偉い王様が
皆の者
今日から曜日という制度を施行いたす
今日は初日だから日曜日じゃ
とかなんとか言った日が

何ですかそれ
みんなポカーンとしたんだろうな

でもそれがいまだに
それも世界中で続いているなんて
さぞかし偉い王様だったのだろう

しかもなんてロマンティックな王様だろう
日、月、火、水、木、金、土
曜日に星の名前をつけるなんて

おかげで日々これ宇宙の旅だ
今日は太陽
明日は月
そのまた明日は火星まで

そう
星を旅して僕らは生きる
時間という船に乗り
宇宙の海を星から星へ
いつか僕が星になるまで

そんなあらぬ空想をする
穏やかな朝
たぶん日曜の朝
 

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夕陽の弔い  荻座利守

空高く架かる
長い橋のような
雲の縁を紫に染めて

今まさに
沈もうとする陽が

路傍に横たわる
小鳥の躯を

そっと仄かに
浮かび上がらせるとき

誰もいない
無言の弔いが
そこにあらわれる

何の変哲もない
特別なものは何も持たない
ただの小鳥にも

その存在の跡形を
刻み込むように

夕陽はこの世界に
長い影を投げかける

誰にも顧みられずに
平凡なまま逝った
小鳥の魂は
どこへ向かうのか

それは
夕陽だけが知っている

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島様 評のお礼です

島様、丁寧に読んでくだりありがとうございます。蚊は、伝染病を媒介することもあるし、虫なので本能のまま血を吸う。そこに弔いまでくると、読んでて共感できず少し不気味ですね。確かに。おっしゃる通り疎まれる仕事としての共感でまとめるのが自然ですね。ついつい何でもかんでも可哀想にと未だに落ち込む私の思考が出てました。また、よろしくお願いします。

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評、9/16~9/19、ご投稿分、残り。

今週後半に、やっと秋らしい気温になりそうですね。
30度超え、長かったです。
10月はもう台風が来なければいいけど。


●朝霧綾め「瞳、耳、声」

うむ、しっかり書きました! 名作あげましょう。

タイトルに書いてくれてるとおり、「瞳」「耳」「声」の順で展開されます。それぞれの違いをプラス視点から捉えて行ってくれます。実に丹念で、ステキです。
しかし後ろから3連目、
「しかし公園を通り過ぎてしばらく経ったとき」の連は、それぞれの違いを今度はマイナス視点で語ります。相手のようには決して成れないことを嘆きます。
そしてラストの2連は、
であっても、違う両者にも接点があることを語ります。「童謡」とは、みんなが知っている歌ということでしょう。みんなが知っている歌を私がくちずさめば、誰か一緒に歌い出してくれる人が世界にはいることを伝えます。
誠にそのとおりですね。たとえクラスの中にいなくとも、学校の中にはいるでしょう。世界の中にはもっといるでしょう。自ら視界を狭くして、孤独に陥る必要なんてない。世界は広いし、大きいです。
若いのにたいした見識ですね。感心しました。

こりゃ前作超えですね。さらなる代表作の誕生です。


●もりた りのさん「あなたと映画」  

う、初々しくて、ステキですね。ロマンチックです。逆にここまでピュアになれるのは、なにか事情があるのかもしれませんね。映画の内容覚えてないって、相当な惚れようです。
でも2連のお節介を読むと、すごく若い人のそれとは違うなと、少しわかります。

4連、これは互いに味見するということでなく、間接キスをした、ということが言いたいようです。
6連、映画に気が行ってないことを示すかのように、わざと手身近に書かれているところが、なかなかです。終連もそうですが、本作はユーモアを散りばめて書かれていますね。

これ、要所は過去形で書いているので、もしかしたらかなり前のことなのかもしれないと思ったり、でもウエットティッシュを持ち歩いてるなら、最近のことだなと思ったりです。

終連後半、
行頭に読点は置かないものなので、

 「あなたと映画」、だったっけ
Or
 「あなたと映画」
 だったっけ

の、どちらかになりますが、これは単純にケアレスミスかもしれませんね。

この初々しさはねー、書ける人にしか書けないんですよねー ベテラン詩人はこれ書けないんですよ。その希少性も買っておきます。秀作プラスを。


●江里川 丘砥さん「ひとり」

うむ、再び叙景に挑戦しつつ、今回は江里川さん独特の思考の深いところともミキシングを図ってきました。

ひとりが消えた。そのことへの想いで3連以降の情景が展開されるわけですが、それは終連で総括されることになります。またその終連ゆえに、後ろから2連目も、対のようにロジックが成立してきます。
ただ叙景を書いてるだけでなく、ちゃんとストーリーが成立してますね。前回よりぐんとパワーアップしてきました。
おまけの名作くらいで。

というのも修正希望少しあります。
まず4連、ご存じのとおり北極星とシリウスは別物ですから、そこはあっさり、2行目を、

 北極星のような道標や

と、「や」にすればいいと思います。
一方5連なんですが、こっちは「も」繋ぎで、いいと思いますね。

 かなしみは深く
 ひとりぼっちになっては
 柔らかな木漏れ日のやさしさも
 雪原にきらめく光の宝石も
 忘れてしまいそうになる

こんな感じに。

あとはこのままで良いです。


●麻月更紗さん「去りゆく夏」

いいと思います。
作者は夏の終わりの一地点にいて、定まった位置から過ぎゆく夏を思い返しています。
夏が好き、という場合もあるでしょうし、何か良いことがあった夏だから忘れたくないという場合もあるでしょう。あるいは、良いこととは言えないけど名残惜しい出来事があったからという場合もありそうです。
作者を感傷的にさせたものが何物かはわかりませんが、しんみりと伝わってくるものがある。物語を裏に秘めた叙景ですね。また、叙景自体も美しい。そして終連では、雨の中で立っていたいものがある。

自分の位置を定めて、深掘りしていったのが良かったと思う。
短めだけど、これはこれでOKの作です。秀作を。


●紫陽花さん「殉職」

蚊はそんなこと考えてませんよ、というと身も蓋もなくなってしまうんですが、無数に生まれ、無数に飛んでいて、一個一個が別の個体の上に短命のものなので、経験則みたいな積み重ねがなく、それを記憶する脳もないので、つまるところそれが命がけの行為だという認識が、全くないんだと思いますよ。あれは本能の赴くままですね。あれ、追い払っても、すぐまた近づいてくると思いますが、あれは、危険をその一瞬しか記憶できないからだと思ってもらった方がいいです。蚊にとって私らはエサにしか見えてませんのでね。事実のところは、そんな感じですが、それ言うと始まらないので、作品として拝見します。

この詩のキーは、
(私の仕事だって疎まれることもある)

ではないでしょうか?
私には、ここが蚊に共感をもったキーではないかと思われてならないです。なので、ここを先に出して、

 私の仕事だって疎まれることもある
 蚊は蚊の仕事をしていた

を軸に、まとめられた方がいいかなと思います。蚊の事実がどうあろうと、この2行は真実ですからね。
そして、あくまで蚊の生き方に学ぶということで、自分の側に落として終わればいいと思います。
そういう意味で、蚊を弔う方向に行く終連は不要かと思います。蚊に対して思うところがあった作者の方にこそ、この詩の主眼となるものがありますから、手前の連で終わったらいいと思います。
一歩前です。


●喜太郎さん「ひとりぼっちのクジラ」

ちゃんとお話できてますね。
なるほど、さみしいクジラのために、小さな魚たちが集まってクジラの形を作ってあげたんですねー
そのアイデアも良いなと思いましたし、そのあとの表情や展開の書き方も良かった。案外とこのあとが大事なんですが、きちんと書いてくれてるのが良いなと思いました。
絵本想定で行くと、最後は同じ方向にみんなが泳いでいく図を置きたい気がするので、終行は、

 きょうもたくさんの仲間たちと泳いで行きます

という感じに、「行きます」の動を入れたほうがいいかなと思いました。同じ場所でバシャバシャやってる感じじゃなくてね。
敢えていうと、そこだけ。うむ、よく書けてました。秀作あげましょう。きちんと話ができてました。


●まるまるさん「私のことだね お母さん」

「今の子」と言っても、今いくつの年代の話をしてるのか、小学生なのか、高校生なのか、新社会人のことなのか、後ろの席の人の話の断片だから、よくわからんところがありますが、「子」がつく以上、せいぜいその範囲のことかなと思うのですが、過敏に反応されたんですね。
こまかーーいこというと、世代ごとの特徴って、たしかにあると思うんですけど、いずれにせよ、どの世代においても全員がいっしょくたってことは絶対ないので、「今どきの子は」みたいな総括した言い方は、なるべくせんようにと、私は心がけております。もう一ついうと、「今どきの子は」と言い放つのは、自分が相手を理解しようとすることを放棄した言い方でもあるので、自分が放棄せんようにと戒める意味でも、その言い方はしないように心がけています。

それはともあれ、後ろの席の人が話すことが、いちいち自分に当てはまることだったみたいで、自己嫌悪になる部分が顔を出します。
高校まではどうしても画一的になるからなあー そのあたりが強く、その後にも影響してしまってるんでしょうね。

8連ですが、4行目、
 ゴールのあるのはコースの先

は、ちょっと意味わかりにくいので、

 ゴールがあるのは決められたコースの先

くらいで、いかがでしょう?

それからもうひとつわからないのが終連で、

 戦争に負けたからかもしれないけど
 お母さんたちが 育てたんだよ

ここなんですが、戦後77年経ってるので、戦争体験世代というと、それ以上の高齢になるので、うしろの席に座ってる「お母さんたち」とは年代が違うだろうと思える。次に戦争の影響が考えられるのが戦後すぐ生まれの団塊の世代の人たちだけど、ここで指摘の「お母さんたち」とは、この年代を指しているのかしらね?
仮に、この年代で当たってるんだとしても、「戦争に負けたからかもしれないけど」がものすごく唐突に出てきて、具体的に何を意味してるのか、この書き方ではとんとわからんですね。
とりわけここまでの脈絡が、画一的で自我が発揮できないことを書かれているので、それと「戦争に負けたから」が、どう結びついてくるのか、距離がありすぎて、これは全く想像の外にあります。
この終連は、作者にしかわからん(読者にはとんとわからない)書き方をされてると思いますよ。飛躍しすぎてます。
実は私も高校の時に、団塊の世代の人が先生で新任で来て1~3年くらい時って感じで、少し習ってるんですけどね。それでも全然、この終連の意味がわかりません。学校によって、学校の風土みたいものがあるから、もしかしたらそっちも絡んでるのかもしれませんよ。うちはたいした進学校じゃなかったからか、結構自由だったけどなあー 
ていうか、社会へ出て十年もすれば、そっちの経験の方がデカすぎて、学校のことなんてほとんど飛んでしまうけどな。はみ出せないのは、今の世の中が世知辛いからだ、と言ってもらった方が、余程わかりやすいのだけど・・・。

まあ、最初と最後のとこの謎は置いて、4~10連までは日頃の自分の思いが書けてるということで、そこをして秀作としておきましょう。


●小林大鬼さん「寅さん慕情」

まず2~5連、寅さんの概略についてはうまく書いたなと思いました。

初連は初連で、おもしろい始まりだなと思ったんですが、初連に書かれてある「帰省」というのは、どこへ行ったんですかね? 読者はあなたの帰省先を当然ながら知りません。これ、どこにいるつもりで書いてるんですかね?
6~8連は、昔、旅して訪れた柴又に、また訪れたんだということはわかる。しかし旅して訪れたんだということは逆に言えば帰省先ではない。初連に置いた「帰省」がどこへ行ったのか、「帰省」と柴又にいることの関係がまるでわからない。
以前の詩にも見られたけど、小林さんは「今、どの立ち位置から書いてます」っていうのを、どうも曖昧にしたまま書く傾向があるように思います。立ち位置を定めて書かれたほうがいいと思います。もちろんうまくなっていけば、詩中で立ち位置を移動していくことも可能なのだけど、小林さんはそこの基本がアヤシイので、まずは「今、どういう状況で、どの立場から書いてます」という立ち位置をまず定めてから、書かれるようにした方がいいと思います。

寅さんの描き方は良かったので、おまけ秀作にします。

それから、レスで私に説明したって、なんの解決にもなりませんからね。ボヤくのはかまわないけど、解決にはならない。私一人がわかったって意味がないから。そうではなく、読む人みんながわかるように、今後に生かしていって下さいということですね。

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島先生へ御批評の御礼

御批評ありがとうございます。大変お久しぶりでの投稿で恐縮です。
恥ずかしいものにならないよう推敲はしたのですが、詩中のセリフの表現(「」を使用するか等の文章作法的な部分)や改行部など、比較的に語彙は平易な詩として書いたのですが仕上げるのに少し時間がかかった作品になりました。

一点どうしても煮えきれないまま出してしまった箇所があります。
「丘の上で風が吹いたのは きっとその時なのだろう」以下の二行は当初ありませんでした。

ハッキリと「姿は 見えなくなった」と表記するよりは、仄めかすよう「キミ」が消えたことを示したほうがよかったのか?
しかしそれだとまた次の独立した一行(それも比重の大きな)へと続くので均衡が崩れてしまうのではないか?

恐らくは後者が正解だったのでしょう。もし「丘の上で風が吹いたのは」を独立させるなら更に全体的な構成の変更が求められると思います。
では「吹かれた風に……」如何二行を変えれば……。
と、収集がつかなくなる程度にまだ手直しができるのでは無いか?という気持ちが湧いて収まらない一作でした。それは私個人での問題でしょう。

改めまして、御批評下さったことに感謝申し上げます。以後も恥ずかしくないものを投稿出来るよう精進致します。ありがとうございました。

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島様 評のお礼  荻座利守

この度は私の詩の「心の脱分化」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
秀作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
今回の詩では、読み手の受け取り方への配慮が足りなかったようです。
今後はその点も考慮して、書いてゆきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

島様、御礼  秋冬

この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。

僕は母親でもなく、娘もおりませんが、泣きじゃくる女の子と座り込んで目線を合わせてじっと待つ若いお母さんを目にしたことから想像して書いてみました。

アドバイスを頂けると大変勉強になります。頂いた例を参考にして、再考したいと思います。
引き続き、よろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

三浦様、御礼  秋冬

いつも温かな言葉を頂き、ありがとうございます。

最近『その本は』(ヨシタケシンスケ、又吉直樹)というベストセラーを読みました。じんわり、クスクスと面白かったです。
本をめぐるお話しは、人それぞれにあるのだと思います。大切な本は、年齢を重ねて読むとまた感じ方が違うので不思議です。

引き続き、よろしくお願いします。

編集・削除(編集済: 2022年10月01日 20:43)

評、9/16~9/19、ご投稿分、その1。  島 秀生

残り8作は、明日の夜に。


●エイジさん「星物語」

うーーん、3つあります。
・「第一人者」と「第一発見者」は違う。
・「ある地球の偉い人が」と現在形で言ってしまうと、少女が第一発見者にならない。「昔」とか「星になる前に」とか、今の姿でない過去に言われたことという条件を、そこはつけて書かないといけない。
・このラストは、終わってる感じがしない。示唆が見えない。示唆を出さないのだったら、いっそ、

 彼女は「ふーーん」と言って、また星物語を読み始めた

と、肩すかしする方が、少女らしい無邪気さが出る。
現状はちょっと半端なものに思う。
1~2連の設定は悪くなかったけど、もうちょっとお話自体を練りましょう。
おまけ秀作で。


●荻座利守さん「心の脱分化」  

初連がちょっと唐突なので、初連の前に、こんな感じの2連を入れてはどうですか?

 知っているだろうか
 イモリは特別な再生能力を持っている
 最初の発見はかれこれ二五〇年前のこと
 よく「トカゲのしっぽ切り」というが
 これはしっぽに限った話ではない
 手足や脳や網膜、心臓の一部まで
 体のさまざまな部分を失っても
 イモリは完璧に再生することができるのだ

 これは組織を構成していた骨や肉や神経が
 必要な時その役目から脱分化し
 元の未成熟な未分化細胞に戻り
 そこから欠けているものへと変化し
 生成し直す特殊能力なのだ

私ならここから始めるけどね。
文体が違うから、これを叩き台にして、
自分の詩に合うようにアレンジして下さい。
初連の前につける2連という位置づけです。
また、

 人間はイモリのように
 体は再生できないけれど
 心は再生できないのだろうか

要するに、「イモリ→人間」「体→心」に話は移動するので、こういう一文をプロセスに挟んでもいいと思います。
これらを含めて、もちょっと壮大な話の構成にしてもいいと思います。
一個注意は、現状はいきなり自分(私の心)が出てきますが、もしこれと繋ぐとすると、まず人間全体の話をしてから→自分の話へと、落とし込む必要があります。話の順番として。

ちょっとそういう構想で作り直されてみては、どうでしょうかね。現状の詩は、私にはなんとなく詩の中盤~後半だけがある(前の方がない)って感じに読めるんです。そのポジションにおいては、思考深く書かれていて良いです。また、心の再生については個人的・感情的に、強く思うところもあるようです。
今回ちょっと、秀作にとどめておきます。


●秋冬さん「抱きしめる」  

いい詩だねえーー 

出だしからすばらしいね。
この言葉の繰り返し、小さな子は言う言うと思った。場面がものすごく浮かんだ。
子供を描くに、このひとことをチョイスしたのがすばらしいと思った。
そして、

 上手く
 説明することは
 大事だけど
 上手く
 説明できないことは
 恥ずかしいことではない

は、名言ですね。
今の小学生は総じて、説明をきちんとできる子が多いので驚く。テレビカメラの前でも堂々としてるし。私が小学生の頃って、人から誤解を受けても、いやそうじゃないんだと、説明することがほとんでできなかった気がする。勇気とかいう以前に、説明下手で、すぐに言葉が出て来なかった気がする。でもそれって、損はするけど、人間的に恥ずかしいとかいう話ではない気がする。どっちかというと、生きていく要領の悪さみたいな類いのものだったかもしれません。
この詩行は端的な書き方だけど、的を射てますし、作者の強いポリシーを感じる言葉でもあります。

 泣いた理由なんて
 なに一つ覚えていないのに
 母に抱きしめられたことは
 今でも覚えている

この連も泣かせますなあー
泣きじゃっくりしてるところも、幼子らしい様子が浮かぶ。
名作を。

1点だけあります。
終連終行の
 だけなのかもしれない

ですが、詩の途中であれば、こういう詩行の置き方(その前の行まで全く気配を見せずにしておいて、逆転する繋ぎ方)でOKなんですが、ラストは、これでは締まらない気がする。ラストに置く間合いのものじゃないというか。

 わたしも娘も
 母に
 ただ抱きしめて欲しかった
 だけなのかもしれない

 わたしも娘も
 ただ母に
 抱きしめて欲しかった
 それだけなのかもしれない

 わたしも娘も
 母に抱きしめて欲しかった
 それで充分な
 ものだったのかもしれない

このいずれかでどうですかね??? いずれも前フリが入って、おさめてるものです。


●さくたともみさん「夜の窓辺」  

うむ、良いと思います。
まず、初連がステキな表現で、惹かれます。

2連の、
 孤独な車が遠くを走り去った

も、深夜らしい臨場感を掻き立てますね。
続いて、虫、星、月明かり、雲のラインナップがあり、3連、

 密やかに運ばれてくる友人たちは
 みんな寂しがりやのおせっかい

それらを「友人」と呼ぶ、作者の孤独なハートがステキです。
そして終連では、孤独なもの同士、互いに交流を深めているようです。
さくたともみさんは、私は初めてなので、今回は感想のみですが、この詩はマルだと思いますよ。

細かいとこ、少しだけいうと、
「星ら」 → 「星たち」に
「深い寂しさが見えない根っこで繋がっている」は、
「深い寂しさが」のあとに読点「、」を入れた方がいいですね。切れ目を間違えて読まれると訳分からなくなる1行ですので、そこで区切っておきましょう。


●秋庭燈火さん「中秋葬歌」  

なにより良いのは、月を見上げるワンシーンに集中して、これを書き上げてる点です。このワンシーンに、実にいろいろな想いを交錯させていて、おもしろいです。

 おろしたての靴の中でそっと指を折る

の繊細描写は、なんだろうと思ったけど、靴擦れしてたんですね。
また、

 揺れるその手を握ろうか迷う
 手を伸ばして、やっぱりやめた
 宙ぶらりんになった手で月を指さした

という、複雑にごまかした所作や、

 来年も、とあなたは言わない
 だから私も言わないの

というビミョーな駆け引きしてるのも、おもしろいです。
ワンシーンに集中してるから、こういう掘り下げたものも、出てくるんだと思う。
うむ、良いね。秋庭燈火さんは私は初めてなので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルだと思います。

1点いうと、

 息絶えた蝉がどこかで墜落した

この行の「墜落した」はやめたほうがいいですね。
というのも、当然ながら蝉は通常夜に鳴かないし、この蝉が夜鳴いているのは、鳴き方から想像するに、おそらく寿命が尽きる断末魔だからで、すでに地面の上をくるくる回っていそうだ。まあ例外はゼロではないけれど、そう考えた方が自然な場面なので、そのイメージに沿って、すでに地面にいると考え、この段階で木から落とさないほうがいいですね。


●暗沢さん「丘の上で風が吹いた」 

初見ではちょっと読み取りにくいものがあるのだけど、二度三度と読み込むと味が出てきます。全体が暗喩に満ちていて、おもしろいと思う。
「宮殿」と喩えたものが、はたして何だったのか、具体的に特定はされてないけれど、例えば、青年期に大言壮語した友の、大志と挫折が描かれているのだと思えば、この詩は見事に当てはまってくる。そういえば、私の知人にも起業したものの、うまくいかなかったようで、負債から逃れるためなのか、行方不明になってる知人がいる。そういうイメージで読むと、ピッタリなのかもしれない。
また、その行方不明の状態を、

 ところできみはかくれんぼが実に上手かった!

と喩えたのも、ウイットがきいていて、良いと思う。
一見、雑に見えるのだけど、読み込むとちゃんと味がある、いい詩です。
秀作を。


●cofumiさん「濡れたサドル」
  
まず、部分の表現として、

 見えない時間は
 墨汁で一杯の海

この表現はおもしろいですね。全体との脈絡では私はちょっと浮いてる気がするけど、断片の表現としては評価します。

うーーん、私には、私が懸念していたことが、cofumiさんに起こってる気がするけどな。元となる文章が崩れてるんだけど、短くちぎって書いてるから、自分でその間違いに気付いていない。
個々の形容や比喩には妙味があっていいんですけど、それらは全て、土台となる数行のセンテンスの上に乗っているものなんです。
この詩は土台がおかしい。
2連、3連は挿入部なので、これを除外して、

 「濡れたサドル」

 君がお気に入りの傘は
 私の腕の中で
 二時間待ち続けている

 君がお気に入りの傘は
 君の姿を確認できるまで
 待ち続けるだろう

 君が 違う貝殻を 見つけて
 雨宿り していても


この詩はこれが土台なんですけど、作者がこれに違和感を感じていないところが問題なんです。私はこれが成立しているような気がしないんです。
以下、このタイトルとこの3連において述べますが、

まず初連。「待つ」って意味合いは広義に捉えれば、まあいろいろなケースがあるだろうといえばあるんですが、通常は、じっとしている方が「待つ」で、動いてる方に「待つ」は使わない。この初連の主語・述語、「傘は/待ち続けている」おいても同様で、詩的イメージとしては、その場でじっとしている方が「待っている」イメージのものなんですよ。そもそも動いてる側に「待つ」を使うのは、かなり特殊なケースです。
したがって、これは動いてる人間側(作者)が持ってるのではなく、自転車置き場の自転車が持ってるのかな、ということになるんです。よく傘を自転車に差してる人いますよね。そのイメージで読むことになります。
もしそうでないなら、作者が伝えるべき表現をどこかで間違えてるということです。

敢えて「待つ」を逆の方に使うことは不可能ではありませんが、その場合は、自分が敢えて逆に使ってるんだという意識をまず持つことです。それで、その代わり他のもので、逆がわかるようにカバーしとこうというフォローの考えを持つことです。すなわち、この場合においては、周りの言葉は略してはいけない。周りの言葉がフォローになるからです。「逆を行く」+「フォローもしない」では、読み手に伝わるわけがないという感じです。
あのーー、省略技法を早くから使うと、ホントは土台が乱れてるのに、それを曖昧にしてしまう。自分で土台の乱れに気付かない。私の危惧がまさに出てると思いますよ。
要するに、元の文章をちゃんと書いて、そこから略していったとしたら、絶対こういう略し方にはならないということです。断片しか書かないから、元の文の乱れに自分で気付けてないんですよ。

比喩のセンスがいいのは認めますが、この状態だと部分で光る比喩にしかならない。全体に機能して、全体を光らせるような比喩にならないです。
ベースになる文を、まずきちんと作ることを心がけて欲しいです。
一歩前です。


●埼玉のさっちゃんさん「自身とは」

まず、言いたいことは伝わるという点で、基本線はOKなんだけど、1つ知っててほしいのは、思考のみで詩にするのは、なかなか難しいことだということ。
それなりの年齢で、知識と経験を重ねた人の含蓄。あるいは日頃から深い思考を重ねてる博識な人など、思考だけで詩を書こうとすると、それなりの資質を持ってる人でないと、なかなか書けんものなのです。正直言って、私も思考だけの詩は書けません。それだけでは持ちません。

埼玉のさっちゃんさんの思考にも、

小さな悩みでも
考え出したらきりがない
自分ががんじがらめになってしまうから

この3行など、優れたところがあるのですが、どっこい、これだけでは持ちません。じゃ、どうするかってことなんですけど、内的思考だけで詩を終わらせないことです。そこもあっていいんですけど、それだけで詩を終わりにしないことです。
例えば、この詩おいても、最初と最後で「風」を書いてるんですけど、ものすごくおざなりです。ついで、です。真剣に「風」を書いていない。そこがダメなんです。周辺となる部分もしっかり書かないと。「風」と「自分」とが、どういう状態にあるのか、短い物語になるぐらいに書いてご覧なさい。私も含め、資質のない人間はそこが大事なんです。そういうとこも含め、全体バランスで読ませるようにしないと。

違う観点からいうと、結論だけ書いちゃダメってことですね。「迷い」を書く時は、迷う様を描くことこそが大事です。また、内的つぶやきを、外的行動で表現するのもアリです。

というところで考え直してみて下さい。
それと、自分の詩を磨くためにも、ほかの人の詩やMY DEARのHPなども読んでみて下さい。ほかの人の詩を読んだら、自分の詩がなくなってしまう、なんてことは絶対ありませんので。むしろ反発する形で、自分の詩がくっきり浮かび上がってくるというさえ、ままありますから。
半歩前です。

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