この道は
どこまで続く
この道は
どこまでも続く
振り返っても
戻りはしない
ひたすら前へ
この道を進むだけ
スマホの光に照らされた娘の顔に初めて孤独を感じた
私が初めて孤独を感じた日は覚えていないが
私が初めて孤独ではなくなった日は覚えている
あなたがお腹に来た日だ
それからは忙しさと心配を行ったり来たり
近頃は淋しさも増えてきたね
孤独に見えたあなたの頬や顎や目はしっかりとした輪郭を持って
たった一人のあなたがそこにいるのだね
いつもえがおのひまわりが
さびしいかおでしたをむいた
いつもげんきなアリたちが
さびしそうにいえにかえった
あついなつのつぎ
あきがくる
ひまわりもアリたちも
あきのよういをはじめた
わたしもながそでをだしたり
あきいろのふくをだしたり
みんなとおなじあきのようい
ひまわりもアリもわたしも
みんなみんなあきがくるのをかんじてる
あきがくるのをたのしみにしている
コーヒーの味は哀しい味
なぜか病みつきになる苦い味
生きる辛さを知った時の味
人生の機微に響く味
飲めば飲むほど次第に好きになる
長い年月をかけて
生きる苦労と
人生の機微を味わう時に
ああ エスプレッソの苦さよ愛しい
家から職場へ向かう
途中の駅辺りで
仕事前のワンクッションとして
行きつけの喫茶店がある
座り心地の良い椅子に腰かけて
深煎りのモカなど啜りながら
ぼーっと
今日一日の予定など頭に浮かべる
コクのある挽きたてのモカは最高だな
気が付くともう行く時間だ
急がないと遅れる
後ろ髪を引かれつつ
去ってゆくいつもの喫茶店
「ごちそうさまでしたーっ」
コーヒーの味は哀しい味
苦い味なのになぜか病みつきになる
生きる辛さを知った時の味
人生の機微に響く味
舌先にまだ残るほろ苦さ
夕暮れ空を
「ゆうやけこやけ」の
鐘の音が流れてゆく
この鐘の音は
どこから来て
どこへ行くのか
鐘の音は
どこからも来ない
どこへも行かない
それは波であり
様々な
波長や強さや形を持った
空気の疎密を生じ
空を伝わり
やがて鎮まってゆく
「私」という意識もまた
とてつもなく
精緻で複雑ではあるが
やはり波であり
神経細胞の
細胞膜の内と外の
カリウムイオンと
ナトリウムイオンの
濃度差により生じる
膜電位の波であるから
どこからか来たのでも
どこかへと
去って行くのでもない
継起する
出逢いの接ぎ穂を伝わり
やがていつか
ただ鎮まってゆくのみ
実体を持たぬ
無我なるものは
不生不滅であり
不来不去であるという
それでもなお
私は魂を想う
波である
「ゆうやけこやけ」の旋律と
波である
「私」という意識とが
出逢う場に顕れる郷愁は
遠く離れた
時間と空間とを飛び越えて
懐かしい魂の故郷へと
私をいざなう
まるで永い間
忘れていたものを
思い出させるかのように
それは
不来不去の波という
理屈には
収まりきれぬ願い
寂しい鐘の音に染まりゆく
夕暮れ空のもと
行き交う人の波に
魂の行方を想う
どれだけ早く走れようと、はしたないことには変わりがない
空腹なのだ、充たされたいのだ
他人よりも早く食事にありつきたいのだ
だから走っている
一人で走っている
じきに訪れる招かれざる夜のために
孤高で淋しく過ごす老後のために
埃の積もった名前に報いるために
はしたないと自らを奮い立たせ
説き伏せ、暗示をかけ、獣として生を受けた時代を懐かしみ
そうして汗の雨を潜り抜ける
熱を帯びたアスファルトの僅かな窪み
沿道を飾るはメインディッシュの数々
今にも食べてくださいと云わんばかりに
ずらりと、やけに綺麗に並んでいる
いや並べられているのか
木の葉みたいな景色に姿を変え
皿に盛られることもなく
ああこんなに空腹なのに、私ときたら
もっと、はしたなくはなれないものか
浅ましく、意地汚くはなれないものか
ああ、今にも滲み出て来そうだ
破れそうなくらいに薄く心許ない膜という膜から
ぬるっとした下等な生き物が
飛び出て来そうだ、熱く重たい怪物が
喉の奥、腹の底、目を覚ましやがる
美しかったと過去形にされるのは、後日で十分だ
我々生き物っていうのはね
皆そういうふうに食べていくんだよ
知らんぷりで乾いてちゃいけないんだよ
今なら誰を食べても、綺麗に消化してしまうであろう
そして私も今此処で食べられたとしても
同じく消化されるであろう
栄養にするか、血肉にするか、それとも自分がそうなるか
ゴールのおぞましい姿を知ってしまったとしても
まだ終わりじゃない
また誰かの臓腑の中で、次のレースが始まってしまうのではないか
何故もっと早く走れなかったのか
何故先に食べておかなかったのか
はしたなく、ひたすらに、泣きながら、悔やみながら
喰らう、喰い散らかす、ご機嫌になって、食事を摂る
まだ逃げるか、それとも逃げられるか
走れるか、それにありつけるか
空腹だ
ただひたすらに、空腹で
吹き出る汗の雨を潜り抜け、煮えたぎる血の海を泳ぎ切り
もはや料理を手にした給仕の脇をすり抜け
白いクロスの予約席に向けて突進し
着席する以外に完走する術は
無い
そら豆って さやが 上に向かってつくから
そういうんだね
そうか あの 豆の匂いは
空の匂いなのか
空には 死んじゃった いきもののおもいが あるそうな
あれは そのおもいの 匂いなんだね
だから なんだか 悲しいのか
だから なんだか 切ないのか
僕は そら豆の匂いと ずっと生きていく
そして 僕も いつの日か
そら豆の 空の匂いとなって
お空に ぽっかり 浮かぶだろう
「このドラマって、誰も幸せになってない気がする」
私の先輩がそう言った。大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」についてである。
全く同感であり、正に至言である。当時の古記録を想い、冒頭の言葉を
考えてみた。たとえば、こんな風に―。
* * *
武家の記録は
勝者の 覇者のそれで
“裏ありき?”は簡略に
あるいは欠落させもした
謎も多い
くだんの吾妻鏡
記録はドラマではなく
主人公はいない
予定調和もなく
誰かの幸せとは遠い
他者から疑惑や謀略を受け
御所で突然首を掻かれ
幽閉先で惨殺され
軍勢激突の末 誅殺された
此処は鎌倉
生死の境に府だけが栄えた
各々の幸福を目指し
しのぎを削り殺戮し
黒白をつける
果てない武家宿命の修羅
その醜悪は
逆に幸福のほうから
全ての人々を見放したかのようだった
最後の覇者さえ例外ではなく
後の歴史が証明している
一生の命題を
死と名の引き換えとすれば
「名こそ惜しけれ」
討死は武家究極の綺羅
この暗い記憶に
わずかに救いがあるとすれば
幕府の要人でも
ある年を最後に
記録上 消息を絶った人々がいる
消え入るように
歴史から去ったのは
おそらく
病という穏やかさ
病死がかえって幸せ
天命に従順に
自己を終わらせた人々こそ
他者から傷つけられずに
この時代の
せめてもの幸福かもしれない
人生五十年という歳月を
あるいは それ以上を
全うしたか?
―しただろう
このように人々は
記録の中を往来した
闘死した末に名を得たか
人知れず死んで行ったか
どちらが幸せであったかは
わからない
思いつくまま
彼らの名を挙げてみても
ただ虚しいだけだ
今となっては
誰も幸せにはならなかった―と
* 吾妻鏡……鎌倉時代の一級史料。
北条執権礼讃の傾向あり。
源頼朝の死を含む三年間は空白。
記述は時代後期で終わっている。
キャラメルを包んでいる
紙はもうベトベトで
それでも手のひらの中で
開けられるのを待っている
幼い頃は
幸せと不幸せが
交互にシーソーして
子供ながらに
大人の目の色を確認してた
ポラロイドカメラで
どれか一枚思い出を写せる
と言われたら
私は今まさに流れ出る
涙を写すだろう
幸せな時間は
確かにあったのに
充分すぎるほどの愛には満たなくて
空になった空き缶を
何度か見返す
手にしてるキャラメルは
ほんの少しまた溶けてゆく
ざぱん
何の音?
波の音
じゅじゅうじゅう
これは言うまでもなく
肉が焦げていく音よ
太陽に背を向けながらも
にらめっこした
遠ざかったままの歓声に
手を振るだけの
一日がすぎて
麦わら帽子を脱ぎ
立ち上がる
女の子が
ひと夏をあっさり
またいで飛び越える
ざぁざぁざざざざざざ
雨は急に降り出して
「ゲリラだね」
誰かが言う前に
振り返る女の子が先に言う
「急な雨はいつものこと」
夏は行ってしまう
行ってしまっていた
他の季節と同じ
挨拶はしないまま
そして
さっきまで隣りにいた少女も
もうどこにも
いない