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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

島様 評のお礼です。  荒木章太郎

島様 本作につきまして、私の今のところの代表作と褒めて下さり感謝致します。以前8月頃、「ロールキャベツ」で島様から頂いた評の中で、「私のベースが抒情系の側にあるので、抽象系になればなるほど混合体に行ってしまう」とのアドバイスを受けてから、抒情系である認識を持って描くよう心がけてきました。本作も抽象表現への誘惑を断ち切りながら推敲を重ねましたので感無量です。今後とも精進致します。
 加えて、「躱わす」について、交わすと意味が異なる場合は、わざと「ひらがな」で表記することもあるのは存じ上げませんでした。
私の詩は、同音語を多用しますので覚えておきます。ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

評、11/8~11/11、ご投稿分。  島 秀生

それにしても、食料品の値上げはもうそろそろ止まってくれないものだろうか。
世の中には、収入の上がってる人と、上がってない人がいるんだが、
食料品の値上げは、そんなのおかまいし一律だもんね。やれやれです・・・。
今年はいくつか食の楽しみを捨てました。
(二流メーカーさんは、今こそ付け入るチャンスかもしれないよ)

103万の壁については、一気に178万まで上げない方がいい、段階を踏んだ方がいいと考えます。
なぜなら、労働時間の長い人が増えたら、少ない人員で済むなってことになるわけで、
じゃあ誰かの首を切れるなって、考えるのが企業だから。


●月乃にこさん「金魚にできること」

あったかーい作品ですね。
まずもって、2連~6連まで、前を通るいろんな人が描けてるのがいい。
ここにもう、金魚を通してみる、人間の姿がある。
そして、話のメインというか、クライマックスというか、水槽から飛び跳ねるシーンが先にあるのがいい。どちらかというと、川や海を述べた5連に絡む形で、ジャンプがあって、そのあとに思いがけなく、「とぼとぼ歩き、涙をこぼす人」(3連の人)が反応を示してくれるのが、ほろりとする。(最初からその人の前でジャンプして見せたというんじゃないところがいい。あとから思いがけなく、この人も反応したというところが、きゅんと来る。ストーリーのそこで話が繋がるのがいい)
また、「ぴちゃん」の命名が思いがけない。ここもさらっと作者のユーモアなんだと思う。

うむ、いいんじゃないでしょか。金魚を描くように見せて、人間も描けてる。なにより読後があったかくなるのがいい。
名作あげましょう。
月乃さんは久々なんで、比較する他の作の記憶が私にないんで、しかと言えないんですが、代表作入りの作でしょう。

ちょっとだけ言うと、
2連の2行目と3行目は逆の方がいい。
7連1行目「水槽の上で」じゃなく「水槽の上へ」の方がいいと思う。

うむ、ストーリーこのままで、言葉をちょっと加工したら、そのまま絵本にもできそうです。
しっかり書けてる作品だと思います。

(そういえば、きんぎょ注意報ってアニメがあったな。金魚が空飛んでたよ。)


●白猫の夜さん「獄中の虚」

最初の4行、書きたいのでしょうけど、詩全体のことを言えば、初連5行目からスタートした方が良いです。得体の知れぬ他者に首を斬られるという、ワン・ストーリーの物語になりますから。
また、比喩的ではありますが、得体の知れぬ他者に首を斬られても、自分は正しく自分を通したという、意味合いとしても深淵なものになりますから。

3連は、武士の時代のように、打ち首、さらし首の図ですね。他者に首を斬られるところから話が続きますから、流れとしておかしくないですし、他方、「サイレン」がありますから、それを現代のものとして置いているのでしょう。

今の時代を生きる困難を、武士の時代に喩えた暗喩的な作品となって、まとまります。
ですので、冒頭の件、一考されてはいかがでしょう。

秀作一歩前とします。


●上田一眞さん「焚き火」

今はいい焚き火グッズがあるんだろうか??? 山の中で焚き火をすること自体、心得がある人でないとできないし、キノコにしても、わかってる人にしか取れないものなので(シロウトには毒かどうか識別がつかない上に、そもそも見つけることが難しい)、キノコを取って、焚き火で焼いてること自体に、プロフェッショナルを感じてしまいます。

なかなかフツウの人にはできない、ステキなシーン、今のアウトドアブームからすれば、贅沢な時間を過されているように見えるのですが、作者的にはそうでもないようです。
むしろ森の中に一人、身を置き、孤独になって、自身に問いかける時間であるようです。
逆説的ですが、水鏡を見るように、焚き火の焰は、自身を映す鏡なのかもしれません。
憶測ですが、もっというと、ずっと昔から、この「一人の楽しみ」をやっておられて、それゆえ作者を少しノスタルジックにさせるものもあるのかもしれません。
4連の、

 辛い過去の記憶が 
 まなこから剥がれ落ち
 露わとなる

の後ろ2行は、涙がこぼれた、という意なのでしょう。
問題はこのあとですね。

 苦みの効いた味がする
 ああ これは修羅の味だ

 再び口腔に現れた
 〈うつ〉という名の死神が 
 私の肩を叩く

4連の脈絡からすると、過去のツライ記憶に囚われているように思うので、5連は、そのツラかった時期の記憶と重なる味、という意味で、「修羅の味」の意を受け取ったのですが、6連も、「(うつ)という名の死神」と書かれているので、過去の記憶に続くものであると読むのが順当と思うのですが、

いちおう言うと「口腔の死神」と言われると、毒キノコを食ったのかな?とも読めてしまいます。

また前者の意味として確定して読めないのには要因があって、
森の中でキノコを焼いて食べるという経験が(もしかしたら、その地方では珍しくないものなのかもしれませんが)全国レベルでいうとレアな経験であり、どちらかというとやってみたい興味深い経験に見えていて、貧しい様子には見えていないこと。
また、昔からそうしたことをやっているとは書かれていないので、私らは現在の行動としてしか焚き火を読んでおらず、無条件に過去に繋げて読めない。というか、伏線が引かれてないので、いきなり過去の話を持ち出されても、唐突すぎて、ついていけない感があります。

整理していうと、森の中で焚き火をしてキノコを焼く行動に対するそもそもの作者の思い、また、その行動をいつからしてるかについて、書いた方がいいと思う(あるいは過去の思い出を少し入れると、そこからの継続性が出る)。それらの点において、たぶん読者が読んで感じてるものとの齟齬を生じてると思われるので、書いた方がいいと思う。前提条件のところでズレがあるから、後半ついていけないのだと思う。

「こっちにおいで」の字下げ部分以降自体は悪くないと思う。ステップを踏んでないから、うまくそこに入れない、という意味です。

親は世代が違うから割り切れるんですが、とりわけ兄弟や同世代の友が先に亡くなっていると、死が我が事のように身近になります。誘われてる気がするのもわかる気がする。

現状、秀作にとどめます。指摘した点を一考してもらったら、まだ良くなれる作です。


●相野零次さん「卒業」

ここのところ長いのをがんばって書いてくれてましたから、書きたかったテーマをひとつ書き切ってしまったかもしれませんね。今は次に移る過渡期かもしれません。

ここのところ、脇目も振らず、真正面から直進してくる感じのものが多かったですが、ここらあたりで脇目を振ってみませんか?
相野さんは、確固とした自我をお持ちなので、極端な話、他者のことを書いたり、外の風景をスケッチしてたって、自我は出てくると思いますよ。
なので、少し脇道から書くことを勧めたいです。

今回の作品ですが、後ろ半分がおもしろいです。最後の「ちくしょう」は、ちょっと光が当たったかに見えたが、壇上から降りる頃には、もうすぐに忘れられてることへの「ちくしょう」なのでしょう。

私も正直、自分が高齢になる頃には、もっと穏やかな心でいるものだと思ってましたが、いまだに「ちくしょう」と思うことの多いこと、多いこと。
世の中、なかなか穏やかには過させてもらえませんね。

過渡期に思えるので、評価は今回おいておきましょう。


●佐々木礫さん「『痛い』とは、言えない心臓。」

上からセリフになってるところまでは、いいと思います。言葉にハートを感じる。
ただ、そのあとはあまり感じない。「そう言った彼は~血を吹き出して動き始めた」の間は、あまりハートを感じない。いや、ハートはあるのかもしれませんが、一般的に言って、スジだけを追う感じに書いてしまうと、読む方には情感が伝わりにくいものです。

そのあとは「小さなささくれ」のリフレインになっていますが、そこはまずまず悪くないので、私は上記セリフあとの部分だけ、変えた方がいいと思います。

セリフより上は、ハートがあるから、いろいろな読み方ができます。湖は本当の湖にして、心臓を自身の喩え、として読んでもいいし、人間の体が水分比率が高いことを思うと、これ全体が、体と心臓の関係と読んでもいい。もちろん血を流しながら進む、人生の喩えと読んでもいい。セリフより上は映像力があるので、いろいろ想像が湧く。それが比喩力でもあります。
対して、セリフ下は、言葉が固定的で、そうした想像がきかせにくいです。
言葉を、ただの言葉だと思ってしまうと、どのようにも合成ができてしまうのですが、そうした考えで言葉を扱ってしまうと、すごく平面的なものになります。立体化、映像化、しないです。
そこの違いをちょっと注意してみて下さい。
この詩はセリフより上の、湖と心臓の関係性の映像がキレイですから、せっかくそこまで作ってますから、「湖」をはずさずに、セリフ下も考えてみて下さい。例えば、湖に、鹿が水を飲みに来たっていいのです。発想を広げて考えてみて下さい。

佐々木礫さんは、私は初めてなので、今回感想のみとなります。

 
●温泉郷さん「悲しい教え」

ええ話やね。ポロっときたわ。
主人公は、猫のようでいて、母ですね。その時に、そう言える人間でありなさい、と諭されているようです。もちろん心も行動も含めてです。
温泉郷さんは、お母さんがまだご健在ことと思いますが、私らのように親が亡くなっている年代の人間が、こんなの思い出したら泣けますね。(本人が亡くなっているだけに、思いが倍増される)
子供の頃は、とかく自分以外のことには無神経なものです。それがフツウですが、子供の頃からズシンと来てる作者は、むしろエライなと思う。

死期を悟った猫がいなくなるところもリアルです。あれ、不思議なんですが、探しても絶対見つかりません。私も子供の頃から20歳くらいまで、ずっと猫を飼っていたので、累計、何匹もわたって飼っていたんですが、一度も見つけたことがありません。
一度だけ、家の中に急にノミが発生したことがあって、さては天井か、縁の下で死んでるな、と思いました。死んだらノミが逃げますからね。

余談ですが、4~5年前、家のすぐ前の道路で、飼い猫であろう、よその猫が車に轢かれて死にました。夜8時頃のことだったので、保健所を呼んでもすぐ来ないだろうし、どうしようかなと思ってしばらく見ていると、妻がつかつかつかと箱を持って、ゴム手袋をして、「このままだと、何度も轢かれてしまうから、かわいそうだから」と死骸を掴もうとするので、そこまでされちゃあ、男の私がせねばなるまいと、私が代わり、死骸を箱に入れ、家の横のところへ逃げました。目玉が飛び出してました。ちょっと記憶に残っちゃいました。
まあ、それは翌日、保健所を呼んで、箱ごと引き取ってもらったんですが、あの、何のためらいもなく妻が、もう死んでる死骸を助けてあげようとしたのには驚いた。好きになれないところが少なからずある妻ですが、あの態度には驚いた。ちょっと惚れ直しました。
あ、余談でした(← 余談多いぞ!)。

これ、猫を飼ったことのある人間にはとても響くことでしょう。母と猫、セットの思い出ですね。名作あげましょう。
これをきちんと伝えられるのは、温泉郷さんの技量ですね。技量がないと、この話はここまで仕上がらない。代表作の並びに加えてよいと思います。


●荒木章太郎さん「テニスコートの誓い」 

まるで別人やねー。これ、ホントに荒木さんが書いたの? って思ってしまうくらい、いいデキです。ビックリ!!
しっかり書けてますね。言葉の緊張感も最後まで持続している。破綻がない。
出だしもおもしろいし、3~4連には自身のポリシーと変遷が描かれている。たぶん卒業間際の決意をして、フランス革命の導火線となった「テニスコートの誓い」と、比喩してるのでしょう。
また、4連までで終わらずに、5~7(終連)へとポリシーを比喩展開(5連「狼~液体」、6連「山羊」、7連「根菜類」)してるのがいい。ここで詩がワンステップ上がって、出色のデキになります。
うむ、名作を。こりゃあ、荒木さんの今のところの代表作ですね。すばらしい。

一点だけ。
4連の、

 指切りをしながら契約を交わし

のところの「交わし」ですが、「交」の字を使うと、これは「交わる」、「交流する」、「取り交わす」、ここでは契約を結ぶ、の意味になってしまうのですが、ここはたぶんそうじゃないですよね? たぶん逆の意(契約を守らないの意)で使ってるんじゃないでしょうか?
文脈からもそうじゃないとおかしいし、そう読まないと連の後半の「約束を結ばない俺」とも、早速矛盾してしまいますからね。

「避ける」、「体をひらりかわす」の意で使うなら、「かわす」は漢字的には「躱す」の字になります(「交わす」の字を使うと、契約を守る側の意味になるので、真逆になります)。この詩においては、この漢字を使うことを勧めます。
ちなみに、詩においてはこの程度の漢字は、意味を正しく伝えるために使ってOKなんですが、常用漢字でないということがあって、新聞記事などでは、「かわす」と故意にひらがなで表記されます(漢字の「交わす」の意と区別するために、わざとひらがな)。

今後も使うと思うので、これだけ覚えておいて下さい。

編集・削除(編集済: 2024年11月23日 16:12)

瓦解した夜に雨を読む  人と庸

眠れないときは
本の文字をたどるように
雨の音を読む

さらさらさら
ぼつぼつぼつ
とたとたとた

ばらばらになった手や足や
首や胴をかき集めて

ひとつひとつ
雨の音を読む

さらさらさら
ぼつぼつぼつ
とたとたとた

いつも確かなものをつかもうとした
確かにひとつずつ積み上げようとしたが
疾うにくずれおちていたらしい
その残骸で散らかった夜だ

残骸の上にも雨が降る

さらさらさら
ぼつぼつぼつ
とたとたとた

もうもとにはもどらないのだろう
その場しのぎで加工を繰り返したパーツたちは
どれとも組み合わないものばかりが残ってしまった

さらさらさら
ぼつぼつぼつ
とたとたとた


今夜は雨が降っていない

けしてもとにはもどれない
けれどもあたらしいかたちにもなれない

それでも今日も手や足や
首や胴をかき集めて

降らない雨の音を読む

「さらさらさら」
「ぼつぼつぼつ」
「とたとたとた」

編集・削除(未編集)

星に告げる  上田一眞

漸く たどり着いた北の街
小樽
あの懐かしい小高い丘の上に立つ

夜露が冷たくて
震えながらも見上げる夜空
天空は星々の輝きに溢れ
清澄な
北極星のひかりが胸を刺す

星空は
こころのカンヴァス
いにしえのギリシャ人の真似をして
星と星を繋いでみる

上手く線画は書けないけれど
遠い日 
島へ去ったある女性への想いを
静かに辿る

いにしえのある日 
小樽の丘で 
ともに見上げた 北斗七星

まだ若く
ひとのこころも解さぬ未熟者
どうか私の迷いを許して欲しいと
星に告げる

編集・削除(未編集)

新生  温泉郷

四方の壁に囚われた
暗闇の中で

私はまず希望をまさぐった
希望は壁の外にあるはずだった
声は聞こえてこなかった

私は壁を穿とうとした
道具は歯と爪しかなかった
いや もう一つ
頭蓋があった
だが
血の匂いを
嗅いだだけだった

慣れてきた目で
私は壁の模様を凝視した
凝視しても壁は動かなかった
でも私は
凝視を止めなかった

やがて
私は自責を友とした
私は自責の陶酔を楽しんだ

やがて
私は絶望を友とした
私は絶望の静寂を受け入れた

やがて
壁の模様がゆらめき始めた
壁の模様に色彩が現れた
色彩は空間を伴い始めた
空間の奥には誰かがいた
私はその誰かを凝視した

それは
自分だった
私は自分を友とした

誰かが壁の外で
何かを叫んでいるような気がした
その声は次第に
大きく聞こえてくるようだった

壁の色彩は懐かしい音楽を伴い
損なわれた私の身体に
肉をつけてくれるようだった

壁が突然壊れる音がした
風が聞こえ 声が響いた
その声は「サイシンカイシケッテイ」と聞こえた

私の眼は すでに視力を失い
光をおぼろに感じただけだった

何か 固いものが舞い降りてきた

壊れた壁は
私の壁ではなかった

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真実を宿す詩人  荒木章太郎

月夜のしじまに
私人が訪問に来た

インターホン越しに
おおやけの話を聞かせてくれた
かつては公人だったらしい

俺は夕焼けの詩人だから
疑い深く、彼を家に招かなかった
録音されていることを承知で
互いに死人の話をした
理不尽で罪深き夕闇の話だ

明け方の話に至り
一つの物語が生まれた
それは真実だった

顔を合わせることなく
二人は別れた

俺はこの話を公表することを
頼まれはしなかった
距離は縮まらず
信頼は得られなかったのだろう

だが、俺の責任の元で
この物語を公表することにした

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オーブン  飴山瑛

クッキーを焼く朝
バターまみれの手
いつまでも来ない夜

チェリーを埋め込む
ひかる
目が乾く
火が
燃えている

いつまでも起きているから
どこまでも朝
佇んでいると
指の先から
そっと
透き通ってゆく
理由がないから

もう暫く
夢は見ていない
眠ると
真っ暗が
やってくる

黒い根は
背中を突き破り
そっと夜に
花を咲かせる
降り積もる花びらを
そっと口に運ぶと
現はわたしを離れ
しゃぼん玉は破れる

うちがわが
こぼれてゆくと
わたしは
世界になってしまう

ひとりをやめたから
さみしくない
でも
何も抱きしめられない

夜は朝と重なり
時がなくなってゆく

ちん、とオーブンが鳴る
うっすらと焦げた生地が
まだやわらかい

薄暗い部屋
電灯をつける

窓に
朝焼けがある

まだ眠らない夜を
傍らにして

編集・削除(未編集)

砂漠を見てから

高校生の一人息子が
毎日 自転車で帰ってくると
物置の戸をガラガラと開けて
自転車を中に入れる
息子が卒業して親元を離れ
夕方になっても
物置の戸がガラガラいわなくなったら
それが寂しくて
自分の人生のこれから先に何も見えず
ただ広漠たる砂漠しかなかった
何かをしていても
居ても立っても居られないような
不安感に襲われて
メンタルクリニックに駆け込んだ

処方された薬を服用して休んでいると
友達が心配して来てくれた
お茶を飲んで話していたら
「あなたが子育てが終わって
こんなふうになるなんてガッカリ。」と言われて
励ますつもりで言ったのかも知れないが
(そんな言葉を言うあなたにガッカリ)と思った

夫は 妻が一日のほとんどを
横になって過ごし 笑顔も見せない状態に
何も言わず見守って
それでも食事の支度も掃除も洗濯も
滞りなく行われていることに安心してか
毎日不規則なシフトの勤務をこなしていた
少し良くなった時 私が
「私は砂漠を見た。嘘でもいいから
大丈夫と言って欲しかった。」と
静かに訴えたら
「嘘は言えない」と答えた
正直な夫であるが
私はそれまでいつも家族に
「大丈夫、何とかなる、何とかする」と言って
口に出した事は実現できるように
頑張ってきたのに
夫にはそれが見えなかったのか
体調の優れぬ日々に
毎日欠かさず、家事を続けてきたのも
どれだけの工夫と努力が要ったか
夫にはわからなかったのか
私は努力の方向を間違えたのだろう

私の砂漠の向こうに
ラクダでも通らないだろうか
どこかにオアシスはないだろうか
昼間は何も見えなくても
砂漠の夜空は満天の星が見えるはず
いつかそれらを見るために
私は私を喜ばせる練習を始めることにした

編集・削除(未編集)

猫 月に走る  萩原趙也

猫 月に走る
路傍ひたひた
砂利を踏む

猫 星を眺む
風はびゆうびゆう
孤獨噛む

猫 闇を歩く
水はぽたぽた
枯寂響く

猫 黎を見ゆ
森はざわざわ
消閑は無く

猫 月に走る
猫 ねうと鳴く
猫 星に昇る

猫 月に進ず

編集・削除(編集済: 2024年11月20日 14:08)

★★追悼 谷川俊太郎さん、新川和江さん★★  島 秀生

8月10日に、新川和江さんが亡くなられたのに引き続き、昨日は谷川俊太郎さんの訃報のニュースでした。
戦後の現代詩を引っ張って下さるとともに、とりわけ民衆に現代時を浸透させて下さったお二人でした。
ご功績は数知れず。心より哀悼の意を表します。

編集・削除(編集済: 2024年11月20日 03:11)
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