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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

感想と評 5/30~6/1ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。5/30~6/1ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。

●理蝶さん「路地」
理蝶さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。

何やらハードボイルドな設定ですね。私も海外にいたときなど、治安の悪い地区は昼間でも近づくことができないところがありました。そんな都会の薄暗い路地に迷い込んだ「彼」を厄災が襲います。

この詩は実際の犯罪行為を描写しているようでもありますが、人生のメタファーという読み方もできるかもしれません。特に都会に生きる人間にとって、一歩間違えれば取り返しのつかない悲劇が待っている「路地」があるのでしょう。そう考えると、首に巻き付いてくる「黒いタイ」にも何か意味があるのかと思えてきます。

いろいろなことを考えさせられる興味深い作品でした。またのご投稿をお待ちしています。

●喜太郎さん「地球最後の日」
喜太郎さん、こんにちは。「明日世界が終わるとしたら何をするか?」というのはよくなされる質問ですが、意外と「いつも通り過ごす」という人が多いように思います。この詩はそんな選択をした夫婦の姿が描かれています。

この詩は世界の終わりに仮託して語られていますが、中心的な主張は
「何も無い日常ほど大切で貴重だと気付いたのだ」
ということだと思います。愛する人と過ごす、何の変哲もない日常のありがたみ、それを噛み締めている作者の思いが伝わってくるような、ほのぼのとした気持ちにさせられます。

そんなメッセージをSF仕立ての設定に込めているのがこの詩の面白さでもあるわけですが、その設定の作り込みが不足しているために、あまりリアリティを感じられなかったのが残念でした。どのような原因で世界が終わるのか、簡単でもいいので説明が欲しかったですし、世の中がいつも通りというのもどこか現実味がありませんでした。むしろ社会が大混乱している中、「私と妻」がいつも通り過ごしているというふうにした方が説得力が増したかもしれません。

この詩は少し手を入れるともっと良くなると思いますので、考えてみてください。評価は「佳作一歩前」となります。

●積 緋露雪さん「目玉」
積さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。

私たちの目に見えている「世界」は実際の世界そのものではない、という哲学的思考を綴った詩ですね。私たちには世界そのものは決して認識できない、いやもしかしたら世界そのものが妄想かもしれない、そんな果てのない思考に「俺」はあえてはまり込んでいき、しかもそのことを楽しんでいるようにも思えます。哲学者というのはこういう種類の人々なのかもしれませんね。

それをただ書いたのではなかなか詩にならないところを、「ぎろり」と世界を見つめる「目玉」を中心に描いているのが、なんとも言えない独特の雰囲気を醸し出しています。旧仮名遣いで書かれているのも味があって良かったです。またのご投稿をお待ちしています。

●森山 遼さん「僕は僕の知らない遠くへ行く」
森山さん、こんにちは。人は生きている限り「自分」という存在から逃れられないわけですが、でも自分でない存在になりたい、「自分」がいないところに行ってしまいたい、という願いを感じることはあると思います。そういうかなわぬ願いを追い求める「僕」の葛藤が描かれた詩ですね。

僕はもう長く
僕とつきあってきたから
疲れたんだ

の部分から、その思いがよく伝わってきます。そんな「僕」を呼ぶ声がする。それが誰なのかは明かされていませんが、私は何となくあの世からの呼び声のような、不吉なものを感じました。

自分が自分でなくなる遠いところに旅立ちたい。けれども死んでしまいたいわけでもない。そんなどうにもならないやるせない気持ちが「きのうのつめたい死んだコーヒー」という表現にも表れています。この表現はとても良いと思いました。

最後の部分は正直よく分かりませんでしたが、結局「僕」は冷めたコーヒーを飲みながら想像の世界に旅立った、ということかと解釈しました。最終行の「sayonara」がローマ字で書かれているのは、自分が自分でなくなっていく様子を表したものかもしれません。

構成的に言いますと、内容的に最初の11行と残り7行の間に区切りがあるような気がします。前半でどこかへ行ってしまいたい、という思いがいつの間にか死への思いに向かって行くのに気づいて、「だけど僕は死んでしまいたくはない」と我に返り、冷めたコーヒーを飲みながら想像の世界に遊ぶことに甘んじる、という展開かと思います。もしこの解釈が正しければ、この2つの部分の間を1行空けた方がいいかもしれません。

細かい点をもうひとつだけ指摘しますと、最後から2番めの行の「僕の知らない遠くへいく」の最後はタイトルと7行目に合わせて「行く」と漢字表記にした方が良いと思います。

全体的になんとも言えぬ哀しみが伝わってきて胸を打たれました。評価は「佳作」です。

●樺里ゆうさん「探していた」
樺里さん、こんにちは。思春期の頃は自分が何者なのか、アイデンティティを探している時期だと思うのですが、その場合の「自分」とは「他者の目に映る自分」であることが多いんですよね。この詩ではそれが「他人という鏡」と表現されていて、なるほどと思いました。

けれども、そういった年代を通り過ぎた現在の「わたし」はもはや他者の目を気にすることもなくなりました。

あの頃のわたしは
他人とちゃんと向き合っていたとは言い難い

という部分は、昔の自分に対する客観的な視点が感じられます。この詩は全体的に若かりし頃の自分に対する冷めた視線が印象的ですが、それで過去を切り捨ててしまうのではなく、そういった「鏡探し」の時期があったからこそ今の自分がある、と肯定的に捉え直しているところに「わたし」の成熟した人格を感じます。それでいて最後は深刻ぶらないで「なんてね」と締めくくるところがとても良かったです。評価は「佳作」となります。

●紫陽花さん「紫陽花に戻っていいですか」
紫陽花さん、こんにちは。名前は私たちのアイデンティティの重要な要素ですね。けれども子どもは自分で名前を選ぶことができませんので、親に付けてもらった名前に対して様々な思いをもつことがあります。この詩では普通には読めない名前に対する「私」の葛藤が描かれています。

学校で病院で店で
何千回も何千回も

の部分はその大変さがよく伝わってきました。そしてついに平仮名表記にすることにした。「私」にとって、それは自分でアイデンティティを決め、親から自立する一歩でもあったのでしょう。けれども一方で、それは親から受け継いだ大切な遺産を手放すことにもなる。「父」が亡くなって、「私」はそのことに気づき、ふたたび「紫陽花」に戻ります。ある意味で、亡き「父」は紫陽花(ひさえ)という名前を通して「私」の中に生き続けているのだと思います。

最終連も「父」から授かった名前への誇りが伝わってくる心温まる終わり方でした。評価は「佳作」となります。



ここからは評から離れます。冒頭にも書いているように、私は基本的に投稿された詩の作者さんと詩中の語り手は区別して読んでいるのですが、もしこの詩が作者ご本人のことを書かれているのだとすると、これまでずっとお名前を間違えて「あじさいさん」と読んでいたことになりますので、本当の読み方が分かってよかったです。紫陽花(ひさえ)さん、良い名前ですね。

●朝霧綾めさん「アイスブレイクは砂糖がとけるように」
朝霧さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。

世の中には初対面の人となかなか打ち解けられなかったり、人見知りしてしまって話しかけにくい人が多いようです。だからこそビジネスや学校などで顔合わせの時に緊張をほぐすための「アイスブレイク」がよく行われるのですが、「私」にとって初めての人と知り合うのは、ティータイムのような楽しみなのでしょう。冷たくて固い氷を、さっと溶けてなくなり、しかも甘みを与える砂糖というイメージで置き換える発想はとても新鮮でした。

この詩は全編このポジティヴな思考と他者への信頼に貫かれていて、とても爽やかな読後感を覚えます。またのご投稿をお待ちしています。



以上7篇、今回も読み応えのある作品に出会うことができました。ありがとうございます。

編集・削除(未編集)

陳さんと日本語と私と 紫陽花

今月で私の福祉の学校の授業が終わる
私の隣には中国から勉強に来ている
20代の陳さんがいる

私は彼女の日本語が好きだ
彼女の日本語は歌うように
優しく発音される
そうっとそうっと発音される
巣から落ちた小鳥を拾い上げるように
壊れないようにそうっと

そしてなにより
単語選びと言葉遣いが丁寧だ
私の言う
ここ分からないから教えてが
陳さんが話すと
ここに大変な問題があります
教えてください
になる

彼女の教科書を読んでるような
日本語は少しかしこまっていて
よそ行きで憧れる
そんな日本語を半年聞いてきて

伊予弁も聞いてみたくなった
一緒にペットボトルのお茶を
飲みながら陳さんに
ペットボトルの蓋開かんけん
開けてもらえる?
と私は言った
陳さんはいつものように丁寧に
ペットボトルのふたあかんけん
開けてもらえる??と真似して
あかんけん??と笑っていた
私は開かんけんは
開かないからっていうことよと
説明して
それから方言のこと
愛媛は語尾にけんって付けるから
使ってみてねとおすすめした

それから二人で練習した
開かんけん 開かんけん
閉めるけん 閉めるけん
知らんけん 知らんけん
見たけん 見たけん
来たけん 来たけん
帰るけん 帰るけん
2人でけんけん言うと
また私の好きな日本語が
優しく育ったような
幸せな気持ちになった

編集・削除(編集済: 2023年06月10日 05:01)

島様 詩の評のお礼  エイジ

島様、詩の評をありがとうございました。

自分の詩に何やら違和感を感じていたのですが、理屈っぽいという事だったのかもしれません。今後詩作するうえで大きなポイントになると思います。

原文に近い形での直しをありがとうございました。よくよく読んで、検討したいと思います。条件付きではありますが、名作をいただき、とても嬉しいです。「あっち」という語も今回は採用しようと思っています。それと書き方、理屈っぽい部分も重なりますが、大きなポイントだと思います。

いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

後ろ姿

後ろ姿はどれもいい

用事があるのだろうか
ここにいたくないのだろうか

後ろ姿ほど
正直なものはない

普段人に見せない
あるいは
自分でもわからないなにかが
宿っている

ピカソもダリも
初期には後ろ向きのモデルばかり
たくさん描いた

嘘はつけない
月の裏側は
泣きながら笑っている

いずれ誰もが
後ろ姿に

旅立つのだろうか
故郷へ帰るのだろうか

あなたの
後ろ姿はとてもいい

編集・削除(未編集)

その次のこと  妻咲邦香

鳥たちに怒られながら
桑の実を摘む
抱えたボウルに次々とほうりながら
これは私のものよと
何度言っても怒られる
何度も何度も
鳥たちは同じことを言う
私も負けずに言い返す
やがて疲れて
私が先に口をつぐむ

生きるために繰り返す
些細なやり取りに生かされている
明日もきっと同じことが繰り返される
だって昨日もそうだったんだから
その前のことは忘れた
だから、明後日のことはわからない
おそらく彼らとは仲良くなることはないだろう
こんな素敵なことってある?

鳥たちは落ちている実を拾う
柔らかい枝にはとまれないから
そうする
私は脚立に乗って摘む
摘んでそして、美味しいジャムを作る
明日がもしかしたら来ないなんて
私は信じない
来週の今頃はきっと全部の実が採り尽くされて
そこでようやく私たちは仲直りする
そしたら、少しさびしくなるだろう
去年もそうだった
来年もきっとそうなのだろう
その次のことはわからない

早く明日が来ますように

ーーーーーーーーーー

掲示板開設一周年おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

島 秀生 さま、評への御礼です。  ロンタロー

お忙しいなか拙作への評と感想ありがとうございました。
とても丁寧に読んでいただき感謝しております。
因みに今回の投稿詩は、中国は唐の時代に鬼才として知られていた李賀という詩人の
「恨血、千年、土中の碧」という詩の一節から着想を得て自分流に書き上げた創作ものです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

編集・削除(編集済: 2023年06月09日 19:05)

島様へ、評の御礼  秋さやか

お忙しい中、評をいただきありがとうございます。
旧かなは私が学生の頃から好きな詩人さんが使われていて
私も使ってみたいと憧れていたんです。
予想はしていましたが、私の作風とは合わなかったですね。。
自分でも無理があるかなと思いつつ、挑戦することができたのは良かったです。

大変遅ればせながら、
秋冬様、日本現代詩人会へのご入会おめでとうございます。
これからの益々のご活躍を楽しみにしております。

島様、掲示板の移転から1年、おめでとうございます。
もう1年なんですね!
今後とも宜しくお願い申し上げます。

編集・削除(未編集)

島様 評へのお礼  山雀詩人

「逆襲」に評をいただきましてありがとうございました。
夜遅くの評、たいへんお疲れさまです。

時計って不思議な機械だなと思います。
最近はスマホやスマートウォッチが普及して、
1分1秒狂わないのが当たり前になってますが、
昔は時計によって5分くらい進めてあったり、2~3分遅れてたり、
ヘタすると、電池切れでとんでもない時間になってたり、
ある意味 テキトーな時代だったよな、とか。

ありがとうございました。また投稿させていただきます。
(あ、今朝は時間に余裕ないかも。MY DEARさんのせいにしてスミマセンが…)

編集・削除(未編集)

評、5/26~5/29、ご投稿分。  島 秀生

大雨が続きます。
川の増水や土砂災害には、くれぐれもご用心下さい。
命を守ることを最優先の対応を。


●江里川 丘砥さん「発光」

初連はバツグンにいいです。

深く突き詰めていくところが、江里川さんらしくていいです。今回の詩にもそれがあって、そこはいいのですが、後半に入ったところで、ちょっとスッキリしないところがあるんですよね。せっかくテーマ性も構想もいい詩なので、もうちょっと時間をかけて、完成させた方がいいと思います。少し推敲不足です。

俗に「あの子、光ってるね」なんて言いますが、この詩における光とは、容姿と心と雰囲気というか、そういう体全体から発せられるもののことでありましょう。意味としてはそうなんでしょうけど、そういう総合体で詩のあちこちに置くのは難しいので、仮に「眼の光」のように扱ってはどうでしょう? 「眼の光」と考えると、自分の中の一部であり、自分というものに所属しているパーツです。「光」をこう位置づけて扱うのが、イメージがブレないでいいと思う。
前半はその位置づけでピタリ読めるのですが、後半はその位置づけで考えると、ズレてきてるところがあり、気になります。

6連、
 幼い光にたかり
 消費したあと

これ、どう読んでも、自分ではなく他者側にしか読めないんです。「幼い光」自体が、上記例でいうと、自分側ですからね。それにたかるのは「他者」。で、そこを他者で読むと、センテンスが続いている3行目も、他者になります。
ところが4行目、

 たかった者たちを

と、目的語として出てくる相手側も他者なんです。すると他者から他者へとなって、ここで意味が追えなくなる。
私、ここが全く読めない。6連前半、ギブアップなんです。

なので、5~6連については、ちょっと代案を出してみます。
4連から行きます。

 大人として見えはじめた世間は
 濁った灰色よりも
 もっと曖昧で薄気味悪い陰鬱
 その中に生きていた幼い発光体は
 よほど美しかったのだろう

 あの時の輝きによってたかってきた人たち
 冷たく濁り発光しなくなった時の
 丁度消えたその瞬間まで見ていた人は
 誰もいなかった
 光ることを失った私は
 ひとり暗がりに佇んでいたというのに

と、いうふうに私は5~6連は統合案です。この方が次の7連との接続もいいので。
ただ、作者として大事なことが抜けてしまっていたら、ここは書き直して下さい。

 他人事のような笑みを浮かべ
 まだ光って見えるのはなぜ

の詩行も大事なものが隠れてそうで、気になるのですが、ここで「光」を出すと、7連と噛み合わなくなるので、案では削除しています。

あと、7連なんですが、
6連までは象徴的な書き方になっているので、この流れだと7連の「懐中電灯」も、象徴的に誰かが邪魔をしたことの例えとして読むことになるんですが、私はなんとなく、ここはリアルな話のような気がした。不審者と間違われて、懐中電灯を照らされたりしたら、本当に憤慨してしまう。象徴よりリアルの方がキツいんで、もしリアルならリアルの書き方したほうがいいなと思いました。

今回、まだ未完成な気がするので、秀作にとどめます。
でも、もうちょっと煮詰めてもらったら、この詩はもっと良くなれる詩ですよ。
初連はバツグンにいいので、この完成度で全体書ければ、理想的。

ところで4連の、

 大人として見えはじめた世間は
 濁った灰色よりも
 もっと曖昧で薄気味悪い陰鬱

この見解は、3分の2くらい当たってる気がするなあー。


●山雀詩人さん「逆襲」

内容的には小品なんですけど、山雀詩人さんの着眼とワザで読ませる一作ですね。

時間が早く感じる時、遅く感じる時は、誰しもにあるし、朝の仕度にしても、同じことをしてるのに、なんでか時間に余裕が出る時がある。このへんは皆が感じるところ。そういう共通性の高い話題の中に、

 もしかして時間のスピードは
 必ずしも一定ではないのでは
 早い日 遅い日があるのでは

この思考を持ち込むところがいいですね。
これ、フツウふと思っても、誰しもが思った自分自身を否定してしまうところを、否定しないで、本気で考え始め、時計を擬人化して質問を始めるところが粋ですね。
また、

 先生が見てるときだけ
 まじめを装う小学生みたい

の比喩がグッドで、時計が小学生に見えてきます。擬人化に、より具体的映像を与えます。

まあ、エンディングについては、正直、途中でオチが見えてきてしまうんですけどね。でもまあ、ここへ行くしかないでしょうから、OKです。

特に不備はないんですが、内容的に、元々小品なのでね。秀作プラス止まりです。
お手並み、鮮やかでした。
今度、私も時計に話しかけてみることにします。聞きたいこと、いろいろあるんで。


●エイジさん「彼方(あそこ)」

ロジックはすごくおもしろい。しかも細かいところまで、しっかり考えて作られています。なので、あとは書き方をなんとかしたい。
これ、ホントはかなり理屈っぽい詩なんですが、理屈っぽい詩ほど理屈っぽさを感じさせないように書くというのがポイントですね。抽象系で描ききった方がいいと思います。


彼方(あっち)の人


それは文字と文字との間に
そっと浮かんでいて
いつでも笑みをたたえているのですが
どうしても読めないものです

それは音符と音符との間にいて
そっと佇んでいると思ったら
あちこち飛び回って
いたずらするのですが
どうしても聞こえないものです

それは彼方(あっち)にいて
時空と時空の間を行き来し
過去 現在 未来
の隙間にいたかと思えば
普段は時間にいないものです
どうしても感じられないものです

光の粒子の間を縫って現れ
音にならない音の中に
消え去っていくのです

彼方(あっち)のことを
記そうと思うのですが
第六感で一瞬感じたら最後
たちまちひとの感覚から
消えてなくなるのです

それは在るようでいて
それは消えているようでいて
明かりを灯したかと思うと
ふっと我々の寝顔を
覗きに訪れるのです

彼方(あっち)はどこかに在るのです
でもどことは言えない
ひとの意味の世界と
ひとの感覚の世界の
遥か遠くに在るのです


これでどうでしょうね? 
「あっちへ行く」っていう、言い方をしませんか? なので、読み方を「あっち」にしました(促音のほうがインパクト強いしね)。来世を想起させるタイトルにすることで、この詩の中で一番理屈っぽい初連をカットしました。
また、原文の2連、3連を少しずつ変えて、4連と合わせ、それぞれの終行が

どうしても読めないものです
どうしても聞こえないものです
どうしても感じられないものです

となる展開に変えました。
タイトル変更に伴い、4連と6連は「彼方」の読み方だけ変えました。
あと終連初行。この詩はそもそも「それは」がたくさん出てくる詩なので、キメとなる終連では「それは」は使わない方がいいです。ぼやけてしまいます。そこは変えました。

変更点は以上で、なるべく原文を残しています。
これで検討してみて下さい。
この詩は、元がいいので、ちょこちょこっと変えたら大化けしますよ。
検討して頂くことを条件の、名作としましょう。


●ロンタローさん「翡翠輝石の眠る丘」

詳しいところは専門家に聞いて下さい、なんですが、
翡翠輝石のスタートは、マントルと地殻の境目あたりに形成された蛇紋岩が、地殻変動により地表に運ばれる過程で、高圧と貫入による変成を繰り返してできる一つの形のようです。
つまり多くの鉱物と同様に、地下深くから地表へ押し出されてくるものであって、化石のように、過去に地上にあったものが、埋まっていくのではないのですが、そのあたり、方向性として、この詩は合ってるんでしょうか? ちょっとそう読めない詩行もあると感じるのですが・・・。

あらかたの産地は海外なんですが、日本でも糸魚川と青海川上流の2箇所だけ、産出される地があるんだそうです。いずれもフォッサマグナのところなので、翡翠輝石は、相当な地殻変動圧力がないとできないもののようです。神秘的ですね。
詩の上で、場所の名言は避けるとしても、具体的には糸魚川の例を調べられて、それを元に、詩にイメージされてみては如何かと思います。
なんといいますか、第一段階は頭に浮かんだことをイメージするままで書いたらいいんですが、第二段階では推敲の一環として、登場するモノにより、その事物を調べ、裏打ちを取る作業も必要になってきます。科学的・客観的な部分を知らないで書くのと、知ってた上で故意に飛躍させるのとでは、自ずと詩の書きようが変わってくるので、読んでる方にもその違いはわかるものですよ。
鉱物の詩については、今ちょうどHPの「お勧め詩集」で、鉱物好きの若宮さんの詩集を取り上げているので、そこも読んでみて下さい。
一歩前とします。


●秋さやかさん「泉」

うーーん、私は、秋さんの描く叙景は、過去から学びつつ、そのエッセンスを現代のもので展開していってくれている。あるいは現代の中に、伝統美の発展形を見つけてくれていってるのがいいと思っていて、結果として、いつも現代人の立場、現代に生きる人の方を向いて書いてくれている姿勢を評価してるところが、まず基本線としてあるので、この詩で旧かなを使われてること自体に、私はガッカリさせられるところがあるんです。姿勢がズレてると感じるからです。
いや、私の方で、秋さんという人を、勝手に定義してしまってはいけないかもしれません。無論、秋さんは秋さんなんですが、私の個人的な期待とはズレてしまったという程度には、受け取っておいて下さい。

私、この詩で好きなのは、最初の1~4連です。そこはぞくっとするほどいいです。

でも、8連「水鏡」あたりから、ボキャブラリーがものすごく限定的になり、別種のものになってきている。それは文字面を見てもらってもわかると思う。
普遍の情感ではあるんですが、ボキャブラリーに新しさがないので、現代人に響きにくい。やっぱり旧かなの口調に引っ張られて、情感も過去に戻っていってるような気がします。そこが残念。

もしかしたら、8連以降は、なにか参考にされているものがあるのかもしれませんね。あるいは、内容がプライベートに入ってきすぎた場合に、隠す意味でわざと使おうとする人もいますが(この場合は、その一部部分だけの使用でいいと思う)。

8連以降で良かったのは、

 選ばなかつた世界は
 魚たちの夢のなか
 
 いつからか繋がつてしまつた
 からだと揺り椅子と窓を

この2箇所かなあと思います。
1~4連といい、ここといい、むしろ抽象派寄りの現代抒情表現にも持って行けた気がしてるんですが、なんで旧かなと旧かな抒情に行ってしまったものか、謎です。
秀作にとどめます。


●理蝶さん「消えた人参」

放課後いつもウサギ小屋に行くところは、孤独感をよく表しています。この時期、主人公の友達はウサギだけだったのでしょう。単にウサギがカワイイだけでなく、特別の感情を抱いていることがわかります。それだから、大人になったのち、学校に行っても、一番先に行くのは、ウサギ小屋なのでしょう。
4連で、ニンジンの出どことなる夕飯のカレーを描いたところはグッド。
再会場面の、雨とポケットの中のニンジンの情景も、とても良かったです。
ちょっと雑なところがあるんですが、構想はすごくいいし、印象に残る詩なので、以下述べる細部を自分で検討しておいてもらう条件で、名作にしておきましょう。

一番気になるのは6連、

 生憎の雨だがウサギ小屋へ向かう
 もう今はウサギは飼っていないそうだ
 時代だ、知らない先生はそういった

ここちょっと、走りすぎですね。

ここのイマジネーションなんですが、ウサギ小屋って、校舎の裏手のほうにありがちなものなので、学校入ってすぐには見えない。だから「ウサギ小屋へ向かう」は「ウサギ小屋の方へ向かった」の意だと理解した。そしたらウサギ小屋がないので、職員室に戻って、ウサギはもう飼ってないのかと先生に確認するに至った。
と、いう流れに感じて、私は第一印象読んでしまいました。

どっこい、この詩は、ウサギはいないけど、ウサギ小屋は残ってるパターンなんですね。いうと、もっと時間が経つと、上記のような小屋ごとなくなってるパターンになるはずなんですけど、ウサギがいなくて小屋だけある、という方がむしろすごく暫定的パターンなんですよね。だから、このパターンであることは、しっかり書いた方がいいです。

ここね、たぶん卒業して数年しか経ってない人と、10年以上経ってる人との意識の違いというか、作者は当然、ウサギ小屋があるものだと思い込んで書いている。そこに走りすぎ感が生じる原因があるように思います。

だから必要なのは、学校に入ってのち、ウサギ小屋の方に行き、前の場所にウサギ小屋が変わらずあることを、まずは確認するシーンをワンステップ入れた方がいいってことですね。

クライマックスであるラスト2連は、「網」にせよ、「風見鶏」にせよ、建物が大きくものを言うシーンですから、事前に6連において、まず建物の存在を再確認するシーン入れるのは、伏線としても重要です。
作者はそこを、「当然あるものだ」で済ませちゃってるとこが良くないです。

あとは、細かいところ3点。

2連3行目。
 溢れそうなほど → 溢れそうなほどの

と、「の」を入れた方がキレイだと思います。

3連2行目。
 古いコピー機みたいに → 古い湿式コピー機みたいに

いわゆる「青焼き」のことを言ってるのかな? と思うので、この書き方のほうがわかりやすいかと。
(ちなみに、湿式コピー機は、A3よりも大きなものが刷れるので、図面とかやるところでは、今も現役だったりします。)

7連2行目。
3行目との対照を成そうとする2行目の意図はそれで合っているのですが、もうちょっと対照性をくっきりさせましょう。3行目を生かすためにも。

 雨がしとしと降っている
 きっと雨はにぎやかなこの町のあらゆるものを濡らしてゆくのに
 今ここに降る雨はなぜこんなにも寂しいのだろう

こんな感じの方がいいかな? と思います。


●るり なつよさん「ポケットの小さなハンカチ」

おお、るりなつよさん!! お久しぶりです。おかえりなさい。
掲示板、長いことやってていいのは、たまに帰ってきてくれる人があることです。誰かの「帰ってこれる場所」になれてるなら、嬉しい。

作品ですが、お子さんを描いたシリーズは、るりなつよさんの詩の大きな柱ですね。他のテーマのものも書かれますが、お子さんのシリーズについては、一貫してずっと書き続けられています。
ハンカチへの着眼、ステキです。ポケットとハンカチという「物」を中心に、その変化を描きながら、それに纏わる「人間」ドラマを浮かび上がらせています。より具体的に言うなら、ポケットの右と左に二つ入れていたハンカチの一つ、左側のハンカチが、母のポケットから子のポケットへと、居場所を移動することになった。そこに子の成長を喜ぶ心と、一方で自分の手を離れていってしまう部分がある寂しさが、同居しています。されど、どちらも愛してるが故のものなのです。読者としては、母から子への愛情をたっぷり感じさせてもらえる作品です。
いい詩だと思います。モノから入って人に至る、着眼とアプローチがステキです。それにタイトルも適切です。これは「ハンカチ」だけでなく、「ハンカチ」と「ポケット」のコラボ作なんですよね。ちゃんとわかってらっしゃる。
秀作プラスあげましょう。

一点だけ。
ラストはきちっと押さえたいので、2行に分けて、

 手と手は今も
 繋いだままで

こうした方がいいでしょうね。


●妻咲邦香さん「春眠」

ミーアキャットはサソリが主食。大きな動物からはさすがに隠れますけど、性格は結構、獰猛。(ま、いいか)

象徴的に書かれてるので、あまり回答を望んでない気がするけど、なんらかの形で読まないと全体の大意が取れないので、私なりに、3連の「お皿は既にからっぽだ」は、背の高い木々の新緑と、動物園のエサ皿のからっぽと、自身の心と体の空腹を、全部からめたかな? の感じに。4連と終連の「歌」は、なにか特定の歌ということでなく、動物たちに野生に還れ、作者においては本来の自分自身に還れ、の意で「自然に戻る歌」として言っているかな、の感じで読みました。個人的には1960年代のPOPSの名曲が頭に流れてましたが。

読みどころは3連ですね。

 枝々は一斉に手を伸ばす
 きっと握手がしたいんだ
 雪形も消える頃には
 手のひらを出来るだけ増やして
 競い合う、お互いに
 それはおそらく私の咆哮でもある

ここの丁寧な表現がステキだなと思って読みました。
こういう丁寧に積み上げる表現、書こうと思えば書けるのだから、もっとすればいいのにと思いました。なんか途中ではしょるというか、投げ出すというか、しがちなんですよね。その折に考える優先事項が、作者の場合、ちょっと違うんでしょうね。

あと「タイトル」も、ちょっと謎。弱いから寄り添っている調の書き方になっているので、そこからは、「ブルブル震えて寄り添っている」のイメージが想起され、「寄り添って眠っている」は想起しにくい。なにしろ「眠っている」の語も「眼を閉じている」の語も、なんにもありませんからね。タイトル「春眠」ののんびり眠ってる感と、どこで繋がるのかわからない。タイトルの方がおかしいのかも。

出だしの入り方が良くて、そのあとに大きなものを読ませてもらえそうで、最初期待したんですけど、そこまででは。
秀作を。

編集・削除(編集済: 2023年06月09日 02:58)

寡黙  朝霧綾め

何も知らないのだから
口を結んでいよう
何も知らないのだから
寡黙な人でいたい

仮に私が
世界にあるすべての
本を読んだとしても
他人の気持ちを
完璧に理解することはできない

無智な私が
どうして助言や批判など
できるだろうか

だから黙っていよう
空がゆっくりと晴れて
世界が少しずつ明るくなっていくまで
静かに口を結んで
待っていよう

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