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こんにちは。評と佳作との評価ありがとうございました。
実は僕の本名にも龍の字が入っていて、その影響か
子供の頃は龍が大好きで、母が出張のお土産に買ってくる
龍のキーホルダーを集めていて、それでバトルごっことかしてました笑。
そんな昔のことに思いを馳せながら書いたと思います。
また書きます。よろしくお願いします。
島 秀生 様へ
お世話になっております。
酉果らどんでございます。
この度はお手数おかけしてしまい申し訳ございません。
ご指摘いただきありがとうございます。
先ほど、問い合わせフォームにてペンネームならびにメールアドレスの届け出を行いました。
お忙しいところ大変恐縮ですが、ご確認よろしくお願いいたします。
とある暑い夏の朝
雨上がりに窓を開けて外を眺めてみると
そこには大きくてとても綺麗な
虹の姿が僕の目に映った
それはまるで天使たちが戯れる為の
大切な場所のように思えた
目で肌で全身で感じたい
もしも触れることができたなら
その上を歩けるだろうか
太陽の光が時間が経つにつれ
月の光に変わるようにゆっくりと薄れてゆく
残念だけど通り過ぎてゆく時間を
捕まえることはできない
だけど不意に壊された現実を
優しく包み込んでくれる
全てが壊れ行く中で虹もまたゆっくりと
その存在を消してゆく
特別な何かを持つものを求むより
目の前に広がる自然現象を愛でよう
悲しいなら僕が一緒に泣いてあげるよ
でも他人を敬うことしか出来ないなら
今ここで全てを終わらせよう
愛を失ってポカンと空いた穴を
沢山の思い出と涙で埋めると人は一つ強くなる
それも美しさの一つだ
虹はどうしてこんなにも美しいのだろう
七色の中や心の奥深くに
ニューロンとシナプスのようなものがあれば
説明がつくだろうか
それとも思念の塊がそう見せているのか
なんて考えながら真っ直ぐに歩き出し
暫くして振り返ってみると
そこにはもう天使の遊び場は消えて
代わりに草花が風に揺られていた
何だか少しだけ寂しかった
心の中にあった何かが抜け落ちたようだった
僕は小さく握り拳をつくり
明日も力強く一歩を踏み出すことを決意した
1 荒木章太郎さん 「夜空の劇場」 8/23
ここに描かれた満月はちょっと得体の知れない皮肉屋といった感じ。夜を支配する満月。その夜とは?僕には生き難いこの世を象徴しているように思えます。特に2連ですね。そこに登場する「扉座」。ゼウスさんのこの星座の出しかたが面白いですね。「忘れていた」。どうやら、これが正義の味方らしい。夢を叶えてくれるらしい。救世主か?そこに自分の意志を預ける。そんな風に読めました。奇抜な発想はありますが、ネットニュース、人工知能、ロケットなど現代性も盛り込みながら抒情枠に収まり、だいぶこなれて安定してきたと思います。佳作を。
2 桜塚ひささん 「叫び」 8/23
社会派の傾向を感じる桜塚さんです。今回は叫び。最も言いたいところは3~4連と思われます。
誰にも起こり得るといったところでしょう。たまたまの事例が「心を壊した一人ぼっちの女」。一応、この詩はその女性を主軸として進んでいきます。終わり2連も表現を変えて綴られています。
もうひとつ、
「一生おさんどんだった私かもしれない」―ここは注目しておきたい。ここで初めて語りの主人公が登場します。4連全体を受けてのONE OF THEM。イメージとして社会の底辺で働く人を思い浮かべてもいいかもしれない。 何事かを投げかけているのが理解されて佳作を。
3 津田古星さん 「氷解」 8/23 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。
よろしくお願い致します。
「これからは、あなたが来てくれと言えばいつでも行く」
この詩はこの言葉が全て、という気がしています。割とありそうなストーリーなのですが、この詩はこの言葉によって、他のどれとも違う。そして、これは三十八年前と療養中の電話、二度同じセリフを言ったようにも取れるし、初連のそれは療養時に言ったのを思い出したのかもしれない。だとすると、それは1回。このあたりが判然としません。加えて大阪のアパートにいることを知っていたこと。彼のふるさとのTEL番号を知っていたこと。このあたり(なぜだろう?)と思わせるものがあります。まあ、事情はいろいろあったのでしょう。実話が基のような気もします。それらはまずまず措くとして、4連「私が何か困っていた~自分を省みたのだろう」と終連全体が印象深く冒頭のセリフを支えているのがわかります。この言葉に込められた、言い知れぬ思いは何度読んでも充分に味わうに足るものです。また書いてみてください。
4 大杉 司さん 「色々」 8/23
2連。今夏の暑さでは、そうなるのはやむを得ないことかもしれません。以降は標準的な夏の小景が続きます。特にトピックスが無く、ちょっと地味で損をしている感じがします。ところで、冒頭の1行目ですが、これだけだと削除も可能なのですが、逆発想をして、この部分を広げてトピックスに持ってくるという手はあります。辺りは普通の夏なのに自分は引っ越しなどもして、とても普通の夏ではなかった。そんな流れを作ってもよさそうです。そこに個別性の夏が引き出せると思います。
あと、タイトルはもう少し考えたほうがいいですね。 佳作一歩前で。
5 上田一眞さん 「蔓りんどうの秋」 8/24
りんどうの詩は僕にとって二度目になります。 今回はシンプルにりんどうのみを書き切っていますね。3、4連がこの詩の華でしょうか。点景のような実の赤さと淡い味わいです。「るびい」の表記がいいですね。花と実がない時は一転して蔓状となって地味になる。この連と以前の連は好対照を成しています。花と実と蔓と。ちょっと不思議な植物といった気もします。調べてみると絶滅危惧種でもあるそうな―。終連がきれいにまとまり好きですね。ほんのり淡い甘め佳作を。ひと足お先に秋の気分も味わえます。
6 小林大鬼さん 「送迎バス」 8/24
実際に大鬼さんはこの通りの光景を見ていたのでしょう。
かなりの障害がある児童です。僕の比較的近い周囲にも、こういう子がいます。この光景、母親の心配はよくわかるつもりです。
「夏の車窓は過ぎてゆく」―この1行置きがとても良いですね。全て叙景で最後のみ気持ちが述べられます。他者は何もしてやれない、ただ見守るのみ。「哀しき運命」は―事実、そうなんでしょうが―少しソフトにしてもいいかもしれないです。好みのことに属するかもしれませんが―。甘め佳作を。
7 司 龍之介さん 「龍を探す男」 8/24
はい、大変おもしろく読めました。詩ならではのモチーフであり手法です。ファンタジーであり空想譚なのですが、あたかも現実にありそうに書かれている、そこが妙味であり力量でしょう。「俺は諦めない~~感じるんだ!」まで。当事者の思いを上手く伝えています。セリフ調の書き方が凄く効いてます。司さん、書いててマジで“その気”になったかも?読んでいて、事例は違いますが埋蔵金を一生探し続ける男のことを思い出しました(こっちのほうがまだしも可能性はある?!)。終連はセリフ調から一転、語りへ。その落差の妙味。オチのようでファンタジー的終わり方がGOODですね。どういう詩であったかを見事に収容していますね。佳作です。ペンネームにも、ちなんでいる?
8 理蝶さん 「理由」 8/25
最近、進境著しい理蝶さんです。最近は相反する言葉を上手くくっつけるところに「技(わざ)」を感じています。今回のポイントは誰にとっても、そして自分にとってさえも「透明になる」ことですね。
透明になるとはどういうことか?を読み手各自が考えておくべきでしょう。僕が思うに「無私、無我、無欲」といった境地でしょうか?よく「水のような心境」とは言いますが、そんな感じでしょうか?
その媒体を「言葉探し」に求めたようです。それは理蝶さんにあっては「詩」を指すもののように思えるのです。独自の詩行が詩に浮遊感をもたらし、そこが素晴らしいので佳作ではありますが、その分、この詩の思想感はあまり伝わってこない。(思想の構造はどうなってるんだろ?)―そんな気分は少し残りました。
9 相野零次さん 「神様」 8/25
信仰心の深さを感じさせます。興味深いのは神にも人間のような表情をつけて、「私」がそれに従って思考し、しぐさをするところでしょう。ここで注目すべきは、それらの行為が自分の為ではなく、全て他者に向けて行われている点です。神の信託を受けて、その代理を果たすかのようです。それほどの思いがありそうです。背景にあるのは「我、神と共に在り」といった思想でしょうか。大変大きく広がりを感じさせます。無神論者の僕には、ちょっと及びもつかない作品でした。詩はあくまで創作の世界なので、実際の個人とのありようは、また別次元になる気はしています。タイトルは「神様」が本文にたくさん出てくるので、ちょっと別方向に持って行きたい気はしました。佳作一歩前で。
10 ベルさん 「あの夏」 8/25
唐突ですが、2連、3連です。ここまで読むと過去の回想と思いがちなんです。それ以降読むと、回想をあたかも現在のように語っているように読める。これもひとつの手法ではありますが、読み進めていくうちに、(これは全くの現在進行形だ?!)になるわけです。従って、回想的なこの2、3連だけが、この詩にとって、はた迷惑なのです。部品交換をお勧めしましょう。それさえクリアーすれば、これは詩として充分成り立つはずです。じいちゃん・ばあちゃんの様子がリアルで面白い。以降、各種情景を楽しくとらえながら、詩はしみじみとした境地に入っていく。その気分の移ろいもいいものです。主人公の少年としての初々しさも率直さもあって、詩のムードは立派に確保されているのです。惜しむらくは上記した2、3連なんです。佳作一歩前です。
11 静間安夫さん 「戦争体験」 8/26
俯瞰的に観ると、この詩の主人公は5連目に出て来る「なぜ今、その人は」の「その人」です。
次に、その人を考える語り手(静間さんの化身?)です。
ここで便宜上、前者を「A」、後者を「B」とします。すなわち―、
A……語るべきか否か、懊悩しながらも、ついに敢えて語る人。
B……Aの心理を慮りながら、その語りを受け入れ詩に書く人。
最初から4連目まではまずまず一般論で、こう思う人は数多いでしょう。もちろんAもその範疇にあり悩みます。ただ、これもある種の「論」である以上、反論はあるだろうし、「必ずしもそうではないだろう」「個人差だ」と思う人はいるでしょう―ということは、ささやかながら付記しておきたい。次に大いに指摘しておきたいのは―。
8連「若い世代に聞かせることで/彼らへの人間への信頼を/失わせることにならないか?」
9連「若い人たちの人生に対する希望に/暗い影を射すことにはならないだろうか?/もし知らずに済むことならば/あえて話す必要などあるのだろうか?」
これは詩中、Aの感慨として語られますが、僕はAに言いたい。
「それは無用な心配、杞憂です。もっと言うと、あなたは甘い、間違っている。そんなこと言ってる場合じゃない―(知らずに済む)など、もってのほかです」
否定的なことを書いてきましたが、この詩の最大に良い点を挙げます。
A⇔Bがしっかりと相互作用の中にあることです。―「C」。これはコミニケーション論謂うところの情報の送り手・受け手の条件(自由を基盤とした権利・義務)に充分にかなっています。そして「それなくして~安易に言うべきではない」と結論づけています。もしこの詩をCの条件を付けずに、ただ「安易に言うべきではない」としたなら、それこそ安易な話なんです。僕はこの詩をこの区間で全く触れなかったでしょう。そうではなくてよかったです。佳作です。最後に抜き書きします。
「戦争体験者の高齢化に伴い/戦争の記憶の若い世代への継承が/課題になっています」―「D」
これは真理であり、今を生きる僕たちに向けられた歴史の課題であります。掛け値なく、です。
常套句と決めつけるものでもなく、安易でも荘重でもなく、右でも左でもなく、老若男女でもなく、
もう時間の問題であり、なんやかんや言ってられない。これは平和への第一歩と思えるからです。
アフターアワーズ。
しかし、こういったことを僕たち一般人は四、六時中考えているわけにはいきません。その必要もありません。ただ、いつかなんとかしなければいけないのは事実です。ただ漠然と思うのは、戦後10年くらいに生まれた世代(たとえば島氏や僕や上田さん)が中継して伝えていかねばならないといった点ですね。
ところで、8月は新聞に戦争の記事がよく載ります。”8月ジャーナリズム“などと揶揄するムキもあります。でも僕はそれは違うと思う。先に書いた通り、そんなこと、毎日考えていられない。だとすれば、年に1回くらいはそれを考える期間があっていい、いや、なければならない、と思ってます。これは「D」を少しでも叶える公的具体的策と思えるわけです。たとえ「常套句」と呼ばれようが、揶揄されようが、です。
評のおわりに。
ちょっと詩の朗読会に行ってきました。詩の朗読にピアニストが伴奏をつけるという趣向です。
僕は席がたまたまピアニストの後ろだったので、彼を注意深く観ていたのですが、テクストをまるで譜面のように見つめ、扱い、詩に合った選曲をし、パーツ毎に当意即妙に反応するのです。誠実に準備したことが察せられました。僕の朗読作の時、ちょっとアーシー(泥臭い、素朴な)な部分があったのですが、そこだけ、たちまちブルースにチェンジしてくれて、僕はしばし朗読を忘れ、思わず「Yeah!」と叫んでしまいました。まさしくプロの仕事でした。 では、また。
夜の街を徘徊したら、アイスクリームを食べて眠りにつこう。悲しいことが心を傷つけるから、ゆっくりと自分のペースで歩いて、夜空の月に身体をさらして、癒しを得よう。
花が咲いた。もうすぐ春だ。なのに、僕の心はそんなことも忘れて、冬を過ごした。おかげでひどく傷ついていたことに、気づかなかった。
おいしいスープを作ろう。
桜の花びらを浮かべて、誰かの優しさを調味料に加えて、倒れてしまった僕をいたわりながら、じっくりコトコト煮込んでいこう。
ほら、今、何かが笑ったよ。猫かな? 鳴き声が聞こえた。
思えば、自然の心に自分の心を通わせることも忘れてしまっていた。大事なことなのに。春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)、季節の味わいを忘れてしまっては、途端に人生は味気なくなる。無味無臭になる。空虚になる。
そんな心で毎日仕事をしても、億劫になるのは当然だ。
そして僕は倒れてしまった。
同僚には心配をかけた。先生にも改めて相談しなきゃならない。
ちゃんと元気になって、おいしいうさぎのスープをまた作れるようにしなきゃ。
まずは春という季節の習わしを、僕はちゃんと受け入れよう。
酉果らどん様へ
ご投稿ありがとうございます。
「MY DEAR掲示板」管理人の島 秀生です。
こちらの掲示板は、タイトル下に書いてありますとおり、
参加にあたっては、最初にペンネームとメルアドの届け出が必須です。
(管理人のみが把握致します。他には出しません。)
これは、掲示板内の安全管理のために必要なルールで、全員にお願いしております。
恐れ入りますが、ページの一番下にあります「お問い合わせ」フォームから、
もしくはHP(掲示板上の「ホーム」ボタン)のトップページ右側にある管理人リンクから
3日以内に届け出て下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
<*ご注意 3日以内に届け出ない場合、投稿は削除措置となり、評もされません。>
なお、「初心者掲示板」(←こちらはメルアド届け出不要)をご利用でしたら、こことは別ですので、
一番上の記事にありますリンクから飛んで下さい。
(その際、ここの書き込みは削除して、「初心者掲示板」の方に、再度書き込んで下さい)
よろしくお願い申し上げます。
お忙しい中、評をいただきありがとうございました。
ご指摘いただいた点、大変参考になりました!
天体ショーは、10年以上前の金環日食を見た時のことでしたが、それを経験してる人も少ないかなと思いあやふやにしてしまいました。具体的に流星群にしてしまったほうが想像しやすく綺麗ですね!
今年5年ぶりに開催された地元の花火を家族といつも一緒に見に行っていた幼馴染と見ることができ、始まった瞬間ちょっと泣きそうになってしまいました。
だいぶ昔ですが、人は死を恐れないためにボケてゆくというのをテレビか何かで聞いたことがあってずっと心に残ってました。
思い入れの詰まった詩を書くことができ、自分でも納得でき、評価も頂けて、ホッとしました。
いつも仕上げるのに時間かかってしまいますが、今後も頑張りたいと思います。
本当にありがとうございます。
無数の涙が
地面に向かって
ダイビングしてる
鉄の線路を滑走する
車輪の音が迫ってる
銀の急行は
水玉と次々に
人身事故を起こしながら
ホームを颯爽と走り去る
跳ね飛ばされて
身体のちぎれた水玉たちは
分裂に重ねる分裂の末
しぶきとなって
嬉しそうに
ダンスをする
ホームに佇むぼくの方に
わずかになった
しぶきが踊る
まるで急行は
しぶきのたて髪を生やした
銀色のライオンだった
しばらく見惚れていたけど
これが血飛沫じゃなくて
本当によかった
島 秀生様、「蜻蛉」に関する感想と評をありがとうございました。
「修飾表現に入る以前に、漢字で「蜻蛉」と書かれているところと、詩中の整合性から、そもそもこれが何なのかで、さんざん迷われた」ということですが、蜻蛉は藤原道綱母の『蜻蛉日記』のように「かげろう」と読みますが、蜉蝣目の「カゲロウ」ではなく、蜻蛉目の「とんぼ」のことですね。
ただ、単に「とんぼ」と書いてしまうと、詩の性質上、蜻蛉の無念さや儚さが伝わりにくくなるので、「蜻蛉(かげろう)」とさせていただきました。
また、この蜻蛉が黒い蜻蛉(羽黒蜻蛉)で、胴体部分が光の加減で青や緑に輝いて見えるタイプだったために、二連目の「喪服を纏った蜻蛉」四連目の「メタリックに蒼く光る尾」五連目の「黒い刺繍(レェス)のような羽」と実際に縁側で観察した通りの表現にしました。
そもそも、なぜ「喪服を纏った蜻蛉」が火だるまとなって地に落ちてゆかざるおえないのか、それは終連に「八月」と指定されているようにちょうどこの時期の広島・長崎の原爆の日や終戦記念日を念頭に描き、投稿した詩だからです。
「蜻蛉」は生き物の命の短さのみならず、戦時中に苦しみと悲しみのなかで命を落としざるおえなかった人々の無念さや戦争の無情さを投影しています。
だからこそ、初連に現在の日常的な動作を入れて、その後に続く連への導入としたかったのです。
そして、終連の「八月の太陽」は辺りを「苛烈に明るく照らしながら」、犠牲となった人々の投影である「蜻蛉」を何も顧みることもなく、その光でよりいっそう無邪気に輝かせているという不条理さを描きました。
「戦争」や「平和」という言葉、あるいはそれに類する兵器や事象などをあえて詩に取り入れず描きましたが、私も読み返してみて、読者には少しわかりづらい表現だったかなと反省しています。
様々な取り組みをしながら、より読者が読みやすく親しめるような作品を作っていきたいと思いますので、これからもなにとぞよろしくお願いします。
島様、いつも評をしていただきありがとうございます。
僕は普段は医学生をしているのですが、毎日当たり前のように病気や死について習います。
毎日毎日触れていると少し麻痺してくる部分もあるのですが、冷静に考えるとこの病気一つ一つに患者さんの人生が掛かっているなとふと思い直した時
そんなとんでもないものを自分が扱っていいのか、それを預かるには自分はあまりに未熟じゃないかなど色んな不安に飲まれてしまいます。
そういう時に空をみると、なぜかはわかりませんが少し気が楽になります。島様のおっしゃる通り人間は空に助けられている部分がかなりあると思います。
本職が医師の詩人の方の作品はあまり読んだことがないので、ちょっと調べて読んでみますね。
名作の評もありがとうございました。
また投稿しますので、よろしくお願いします。