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今生は仕舞いにしたいんだ
そう言ってあなたは華麗に散った
綺麗な宝石の最期のように
あなたの命はパキンと割れた
だからまわりに杉の葉を散らして
マッチを放って火をつけて
開ききった瞳を閉じてあげて
もう息をしていないあなたのそばに
私も身をよこたえて炎の熱さに瞳を閉じる
先に逝くなんてひどい人
しょうがないから私ひとり
ここでひたすらに眠り続けて
ただひたすらに迎えを待つわ
なんだかんだ言いつつも
あなたはきっと待っていてくれるから
川のほとりで困ったように微笑んで
そっと手を握ってくれるのでしょう
どこかで無粋な喚き声が聞こえて
あなたをここへ追いやった彼らに
うっすら殺意すら湧くけれど
けれどね もういいの
あなたがきっとわらっているから
だから もう 許すことにしたの
……
ね
あなたが綺麗な世界では息が出来なかったのなら
わたし
世界は汚れたままがよかった
……なんて ね
◎2025年6月10日(火)~ 6月12日(木)ご投稿分、評と感想です。
【大変お待たせしました】
☆誰かが歌を詠む夜 松本福広さん
雨の降る音を聴いて、ふと、音は生活のリズムと調和していると思う。素敵な気付きですね。ふだん、何気なく通り過ぎているものでも、何かがきっかけで、新しい発見を巻き起こすことができる……そのようなことを感じさせてくれました。
街路樹に照らされると、雨音も水たまりのように光を映す。まるで星のようになる。ゆえに雨降りは流星群である。このような視点、とてもユニークです。
ロマンチックなムードから一転してテレビの特番をみて、大きな声でああでもこうでもないと卑屈を語る祖父の声の登場。思わずクスリと笑ってしまいました。くっきりとした映像が私の前に広がりました。おそらく、祖父は、毎日、もしかしたら朝昼晩と同じことを繰り返しているのかもしれないと想像させてくれました。耳にタコができるほど聞きすぎて、そんな空気を振り払いたいというシーンが浮かびました。
誰にも提出することもない短歌を雨の夜に詠む。静かなで清らかな空気を感じました。
他の人からの評価なんてわからないけど
日常を切り取った言葉が
日常のリズムに流れて
ボトルメールのように誰かに届けば
水が蒸発して循環してまた雨になるように、水の循環を元にこのような発想をされるところもとてもユニーク。水にかけて「ボトルメール」とするところもよかったです。いつだれかに届く保証のない手紙という意味合い、この言葉ですっぽりとはまりました。
細かいところをいうのなら「また明日に夜降りますように」は「また明日の夜降りますように」の方がいいように思いました。
自然と循環などをベースとして、或いは活かしつつ、人の心を表現するスタイルはとてもユニークでした。佳作を。
☆ある違和感 森山 遼さん
特に何も感じることがないように見えて、僕の中のどこかで、生きることに重要な何かが引っかかっている。それを自分らしく表現しきるために、僕は言葉を使って苦しみ続けなければならない。そのような大意を作中から感じました。
よい気付きだと思いました。この気付きについて、僕は気づいたんだという呟きのようなスタイルになっているようにも思われましたが、呟きのようなスタイルにするとしたら、言葉のところどころに固さを感じがしました。話し言葉のような表現で、或いは問いかけのようなスタイルで書き記してみると、読み手も入りやすくなるかもしれないと思いました。あと、呟きのようなスタイルとは別に、呟きに関連することを、身近な日常な所作や場面に絡めながら、作品を展開していくスタイルもいいかもしれないなと感じました。
見知らぬうちに、心に引っかかっている簡単に言葉にはできないもの。「僕は言葉を使って/苦しみ続けねばならない」……こちらの言葉は、この作品の中で一番心に残りました。「自分らしい詩を書き続けていきたいと悩む」ということにも繋がるような言葉でした。今回は、佳作一歩手前を。
☆国道16号線沿いのドーナッツ屋さん 喜太郎さん
横田基地とドーナッツ屋。そして初老の外国の方。背景だけ見ていても、日本だけど、日本でないような二つのリアルを感じさせてくれます。
このリアルに重なるように、ドーナッツとホットコーヒーが並列されていますね。この構想が、景色という二つのリアルとドーナッツや珈琲という生活のものというリアル。色々なリアルをかけ合わせながら、からませながら見せていく、どこにでもありそうで、だけどちょっと違うと思わせてくれるリアルの掛け合わせ。作品全体、どこも浮いた点や、取ってつけた感を感じさせることなく展開させていると思いました。
外国の方との親指を立て合うシーンでは、言葉が違えども、気持ちや動作で気持ちを通じ合わせることができるという、人と接点や言葉という接点。それぞれのリアルが人肌の温みを感じさせてくれます。
詩の最終の方では、横田基地のリアルを、外国の方と離れたあとに感じた自分なりの思いを、ドーナッツの甘さよりも強い、コーヒーの苦みを通じて伝えてくれましたね。そして、同時に広がる空を通じて、穏やかな日々を願うことも、伝えてくれました。
最後の行ですが「空は」無くても伝わるように思えます。なぜなら「五月晴れが広がる」という時点で「空」が充分に表現できていると思うからです。あとは、ところどころ「ドーナッツ」と「ドーナツ」や「コーヒー」と「コーヒ」の二つが存在するところや「太ったな初老」など、読み返してみれば、減らすことのできそうな点が、今回は多めでした。心情の表現がよかったので、この点はもったいないと思いました。
「空はどこまでも青くて雲ひとつない五月晴れで
その風景は絵になるなと感じて その絵に加わりたくなった
僕もドーナッツとコーヒを注文してしまう」
こちらの表現はとても晴れやかで友好的な広々とした心を感じさせてくれました。作中の中で一番印象深い表現でした。気持ちの表現がのびのびと展開されていて、丁度いい日なたの下でいるような気持ちにさせてくれました。今回は佳作半歩手前を。
☆猟奇的 相野零次さん
猟奇的の意味合いとしては、一般的には、残酷なものに対する嗜好が窺えるさまを指し、かつ「何かしら歪んだ感性を窺わせる」というニュアンスを込めて用いられますね。なので、単純すぎますが、タイトルを拝見した瞬間、怖そうな作品だなと後ずさりしてしまいました。一連目。突然に「君がばらばらになったら~」から始まることには驚かされます。その次なのですが、「どこから手を付ける」とありますが、ここが引っかかりました。次の連を読むと「天のお星様が僕に告げたんだ/君に会いにいけってね/そしたらそうなるかもしれないんだって」となっています。これは、「僕」が「君」をバラバラにではなくて、「僕」が「君」の前に言ったら何かにバラバラにされるという意味なのか、少し立ち止まってしまいました。「あらかじめバラバラにされたものを拾い上げる」なのか僕自身が手を上げるということなのか、迷ってしまいました。「した」と「されたものをした」では、場面が全く変わってくるので、別の表現を考えてみるのもいいかなと思いました。
タイトルは「猟奇的」……こちらの文頭で「猟奇的」な一般的な意味について述べましたが、まさに、残酷な、歪んだ空気を感じさせてくれました。楽しみながら体の部位をもてあそぶような扱いは、特にそう感じるものがありました。「猟奇的」という意味についての表現は伝わってきましたが、作者さんの伝えたいものだと感じたことに関しては、最終連の「バラバラになっても暗く深い海の底でいつか出会える」のみでした。深海の様子を浮かべると、世界の暗さ冷たさ孤独は伝わってくるのですが、自らの伝えたいものとしてのフレーズに関して、あともう一歩深く書き込まれると、読み手の方にも作者さんのこの詩で表現したいものが、より明確に伝わってくるのではないかと思いました。今回は佳作三歩手前で。
☆白い鳥 温泉郷さん
何気なく枝と枝の間に挟まってしまったカリンを巡るできごと。この出来事を巡って開かれてゆく叙情。そこには、どこにでもあるカリンのように地面の上に落ちることのできなかった様子を言葉にしただけのものではなく、妻の心の内側までもが紐づけられ、深く描かれています。言葉にせずとも伝わってくる人の悲哀や愛情が漂うように伝わってきました。また、秋から春まで、ずっと不憫な同じ場所で存在するカリンに、当たり前のように過ごしたいのに、不慮の出来事により、そのように過ごせない者の人生を重ねているようにも思えます。
この作品の印象深き点は、本人がそのように思っていますというパターンではなく、そう思っているのだと感じた作者が描いているところに特色があると思いました。誰かの思いを代弁するパターンはいくつもあると思われますが、そう思っているのだと強く思わせてくれるのは、常日頃、連れ添っている妻の言葉であるということ。拝読していると、夫婦の絆のようなものさえ感じました。
ラストの「きっと」の連呼と、一番初めに呟いた言葉をまだ信じ続けている表現は、非常に切ないものを感じさせてくれました。タイトルにもある、鳥の白い色は、妻の純粋な心を表すようです。何気ない出来事を、丁寧に表現し、その心の内を深く編んで展開していく叙情は、既に温泉郷さんの叙情の世界だと感じさせてくれるものがありました。佳作を。
☆監視塔の上から 荒木章太郎さん
監視塔。映画で観たようなことのある、収容所にあるような監視塔かな。見張り台ですよね。監視台という言葉を目にして、刑務所のようなところを思い浮かべたのですが、こちらでは、平均台というものが登場します。そして、次には、ロープを渡して綱渡りをする男の姿が登場します。平均台であったり、綱渡りなどという言葉が登場して、私の中では「刑務所」「パフォーマンス的なもの」という二つの言葉が浮かんできてしまい、イコールとして繋がっていきませんでした。
さらに、「俺」について「植物だった頃に戻りたい」という言葉も登場してきます。唐突に「植物だった頃に戻りたい」という表現することは、読み手を迷わせてしまうと思うので、「植物のような心を保っていた頃」などにすれば、わかりやすくなると思いました。とはいうものの、この表現を活かせる一行や表現さえうまく見つかれば、こちらの表現は、この作品の核にもなり得るとも思えました。悩みどころです。
最後の方には「死刑執行」という言葉が出てくるところを見ると、やはり、刑務所関係の方のお話なのかなとは思いました。そのような職務に就かれる方の苦悩を表現されているのかと思いました。このことを考えると、平均台や綱渡りの部分が引っかかってきます。ところどころ、状況や背景を見えてくる表現をする部分が、あとひとふんばり必要なのかなと感じました。
一人の人間の苦悩という面から読ませていただくと、最終連の表現はよかったと思います。石や四角四面など、固さや、狭さを感じさせる言葉使って表現されることにより、一人の人間としての日々の重さや不自由さを感じられたからです。この作中の表現では、こちらが一番印象に残りました。「俺」がどういう人物でどういうことをしている人物かということさえはっきりすれば、一気に背景が開けてくる作品になりうると感じました。今回は佳作三歩手前で。
☆誰もいない aristotles200さん
「地表を鏡とせよ」という叫びのような、何かの教えのような言葉から始まります。いったいこの言葉の意味はどういうことなのか。興味をそそられます。鏡像の世界であったり、裏側の地面の透けた世界であったり、抽象的なものを感じさせる展開になり、いったい、詩の内容はどうなっていくのだろうかと、再び興味をそそられました。
一連目では、抽象的な表現で、全容が見渡せませんでしたが、「下を向いて世界を見てみよう」以降、徐々にどういうことを伝えたいのかということがわかってきました。ずっと抽象的な言葉や表現で絡め続けていると、この世界の情景は浮かばなかったと思いますが、二連目以降、日常の世界を反映することで、一気に目の前に伝えたいとしてくれている世界が目の前に広がりました。抽象的だと思っていた世界は、実は滑稽に思えるほどの、普段人が暮らしている現実の社会であったということに気づかされました。この展開は、驚きももたらすのですが、自然に広がってきてわかるという感じがとてもよかったです。
周辺が見えてくると同時に先頭で発していた言葉の意味がはっきりと見えました。私の中では、自然と人間の関係やバランスや、人間の問題点について、考えさせられる作品として、くっきりと枠が固まりました。
透明な階段を見つけた
光の搖らぎで、全体が見える
こちらの表現は、死を思わせるような表現。ですが、とてもやわらかく、誘われれば行ってしまいそうな雰囲気も感じさせられました。天国のようなイメージがわきました。このことから次の連へ結びつける表現もよかったです。どんなことがあっても、自分は自分であり、守るものがある限り生きてゆくという強い生の決意が感じられました。
独特な組み立てや表現で、自然破壊や、人の愚かさについて考えさせてくれる作品でした。佳作を。
☆静寂 人と庸さん
曲がり角というのは、どこにでもあるのですが、その先がはっきり見えないっていうのがミステリアスで、空想の気持ちも広がるので詩の題材としても面白いと思います。私もテーマにして書いたことがありましたが、その先の見えない世界を想像しつつ書くのがとても楽しかったです。
曲がった瞬間に街の声が聞こえなくなるという表現は、日常から非日常のような世界への入口に立たされたような気持ちになりました。
二連目からは現実世界にある非日常の世界ですが、面白いのは三連からの表現。
はじめて歩く道だけれど
過去に何回も歩いた道だ
目的をしらず進む道は
いつだってなにかを隠している
過去という言葉が出現。今歩いている道は過去にも存在した道というニュアンスを打ち出すことに続き、現実の世界にある非日常から過去に存在した非日常も出現してきます。目的を知らずに進むだとか、何かを隠しているだとか、どこかミステリアスな空気も重なってきます。
更に四連目になると、お社や境内などという言葉も加わり、神秘的な空気も加わるようになりました。更に、大木をイメージするクスやカエデという言葉も出現し、遡る時代の空気までも醸し出してくれています。その大木も、原形をとどめていないものになっています。いろんな空気やイメージがデリケートなほど繊細に重なり合っています。そして、最終の着地点では・・・・・・
何万年も前からそうなんだろう
何万年も後までそうなんだろう
最終的には、遠い過去と未来について触れて、願いのような気持ちを綴ってくれました。結果、現代にいながらそうでない時代を感じさせる、独特な空気を感じさせてくれる作品になっていると思いました。時代や時にはスピリチュアルなような空間を感じさせてくれることなど、薄い膜のような繊細なものをうまく重ねあげながら、現代、現時点という日常を軸に、動かないけれども、実際は静かに動き続けている、動き続けてきた、大きな時の流れを表現できている作品になっていると思いました。佳作を。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
一日が過ぎるのも早いけど、一年も半年が過ぎようとしていました。早いな。
時計通りに生活もいいけど、たまには、自分時計をつくって、ほわ~んと
すごしてみたいなと思うこの頃です。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
毎回挨拶が遅くなり申し訳ありません。
三浦様、お忙しい中評価をありがとうございます。
タイトルのご指摘、ありがとうございます。考えた時にもやもやしていたのですが、先生の「タイトルは時に、本文主旨とは違う方面に向かうと、かえって粋(いき)な場合がある」という言葉に納得しました。
「紫陽花」……とてもしっくりきました。ありがとうございます。
精進します、また次回も、どうぞよろしくお願い致します。
快晴の日は
雲一つないから
美味しそうな雲を探せなかった
それならばと下の景色を覗いても
校庭と花壇しか映らない
そういうのは形が一緒だし、動きが無かった
だから快晴の日は僕にとっては雨の日と一緒だった
そんな時の時間稼ぎを思いついたのはもっと後だ
消しゴムをわざと削って捏ねる
その技をその頃はまだ習得していなかった
だから景色を見るしかなかった
あらゆるものを目で追った
四角い景色の隅から隅を
順番に視線で塗りつぶす
塗り終えたら反回転、反回転
とめどなく探して反回転、反回転
そういう風にしていたから気づいた
「あれ、人がいるよ」
そう呟いた
その一声のおかげで僕は表彰された
そいつしか動かなかったから気づいただけなのに
コツコツと
古い階段を上る音
帰宅し
ちゃぶ台に無言で座り
子どもを見るともなく
タバコを取り出し
細い煙を
後ろ向きに
水平に吐き出す
それは
吐き出すことだけに
集中するかのようだった
吸いたくないタバコ
吸うしかないタバコ
細く吐き出した煙は
あっちに
広がっていった
細い煙を
子どもは目で追う
広がった煙は
うすく
部屋を漂い
霞んでいく
そして
また 細い煙
母親は
しばらくして微笑み
「もう寝なさい」と言った
子どもは
そのまま布団に入る
しばらく
フーっという
音を聴く
あのときの子どもは
タバコは吸わないまま
あのときの母親よりも
年を重ねた
若かった彼女の
あのころだけの
不本意な仕事
後ろ向きに
霞んでいった
あの煙
あの細い煙の先に
見えていたもの……
人生リレーの
バトンは
同じ重さになるまで
渡しては
もらえない
滝本政博様
ご感想、ありがとうございます。
スタイリッシュ、とのお言葉、嬉しく思います。
深く考えて作った詩というより、閃きと映像が浮かび言葉にしました。
オカルト要素は後付けです。
意外と面白かったので投稿させていただきました。
来週も頑張ります。
すみません、明日からしばらく忙しいので、土日で評を書きました。
一生懸命書きましたが、自分に合わないと思ったらスルーしてください。
1 ラストノート 上原有栖さん
失恋のことを香水(残り香)に絡めて書くことは、定番な気も致しますが、タイトルが良いのでかなり救われています。別れた人自身のようなラストノート。せつないですね。
じつのところ香水は不案内で香りに順番があることは知っていましたが、名前までは知りませんでした。親切な(注)もあり新しい言葉を知りました。ありがとうございます。
定番の発想から抜け出すのはとても難しいことです。だが、ああ、いい詩だなと感じる作品はどれも独自の発想であったり、文体であったり、表現形式であったりします。多くの詩を読み訓練するしかないのです。自分のことは棚に上げて書いています。私も頑張ります。
さて、御詩ですが読みやすく簡潔であることでリズムが生まれています。
特に三連がいいですね。どきりとしました。
<瞳を閉じて カーペットを撫でた
髪の毛が揺れる ふわりと揺れる
もう居ないあなたが また耳元で悪戯しているようで
わたしに染み付いたあなたの残り香>
ただ<瞳を閉じて カーペットを撫でた>のカーペットは弱いというか、意味が取りにくいです。もっとぴたりくる表現を探してみてください。思い切って「瞳を閉じて あなたを撫でた」でもいいかもしれません。
最終行にだけ、読点がありますね。いや、いけないというわけではなく、その効果、こだわりを作者と話してみたいとおもったしだいです。
2 天使篇《ハイライト》 飯干猟作さん
自身と煙草についての自伝的なエッセイ風な詩と、天使と死んだ父が登場するファンタジーがないまぜになった面白いスタイルです。
天使は何かのメタファーというわけでもなく、純粋に詩世界の住人だ。読者はその姿や言葉をそのまま楽しめばよいのであろう。
第二連
<息子が煙草を吸うのを黙認してくれたのね?>
と、ひょいという感じで天使の登場。ここ、この感じ、良いです。
第三連で
<天使は半袖の夏のセーラー服姿だ>
と、これも当たり前のように書いてある。
私は天使が出てくる飯干氏の詩をいくつも読んだことがあり、彼女(天使)が彼のミューズであることを知っていますが、初見の方がどう感じるのか知りたいところであります。
この作品は内容を詰め込み過ぎています。
少し整理して書いてみます。
1連 煙草との出会い
いつから どの銘柄を どんな風に吸ったのか
その時の父の態度
2連 天使登場
対話
3連 天使との対話の続き
4連 先妻の死と葬儀の様子
そのときの私と父
父の死
5連 煙草をやめたことについて
アルコール依存について
想像上の煙草を吸う
天使と父が登場 三人で煙草を吸う
この内容なら、内容を分けて三つくらいの詩が書けるのではないでしょうか。
この長さでありながら、エピソード等が端折った感じになっていて、もったいないです。
特に先妻の葬儀のところや、アルコール依存のところなど、単独の詩で読みたいと思いました。
3 踊れ、俺の細胞 荒木章太郎さん
今後も荒木さんがこのタイプ(形式)で詩を書いてゆくのなら、一度考えていただきたいのです。
詩は意味ばかり気にして書く(読む)必要もないものとします。
しかし、詩は言葉そのものを材料としている芸術です。そして言葉は人間社会での意志伝達の基本的共有財産です。
この相反する命題をすり抜けて、いかに詩を書いて行くのか。難問です。
読者が読んで、その作品を分かるか分からないかも重要な問題です。私はいろんなレベルで分かってもらえる努力が必要だという考えです。
詩の中身を見て行きましょう。
自意識が 過剰だ
胃袋を 蝕む
情報が 耳から
垂れてくる
「情報が 耳から垂れてくる」はいかがなものでしょうか。
少し常套句のような感じがいたします。
知覚過敏だ
日常的に からだの奥で
日蝕が 起こるたび
猛禽類が 騒ぎたてる
この詩の中でカッコいいなと思った個所です。
でも「知覚過敏だ」「日常的に」はいらないと思います。
植物性の細胞が
ふるえている
知性の森が
蠢いている
詩とは言葉の組み合わせで発生します。
詩は言葉をおもしろく並べる着実な作業なわけです。これら詩句は荒木さんご自身の中では、像が結んでいるのですか?私にはうまく成立しているとは思えませんでした。
ああ、
日々の驚きが
恐れではなく
畏れに 変わりますように
日々の驚きが「恐れ」恐怖を感じることではなく、「畏れ」畏敬の念にかわりますように、ということでしょうか?
ここもいいなと思いました。
祈り、
踊れ、
俺の細胞
この詩には何かメッセージがあるのでしょうか。詩にはメッセージが、あってもなくてもかまわないのですが、メッセージがあるとしたらこの部分かなと思いました。そのことも気になりました。
各連が独立しているように感じられます。このタイプの詩は各連が付かず離れずの感じで薄く関連が感じられるのがベストだとおもいます。
世の中には意味のとおる詩を書く詩人とそうでない詩人がいます。前者の代表的な例は谷川俊太郎でしょうか。後者はそうですね吉増剛造とか有名です。いろいろ調べると面白いですよ。
以下私が気にいっている(驚いた)詩句を書いていきます。参考になれば、と思います。
夜のペダルが中断せずにうごく(ブルドン)
髪の毛の房がパリのしたにトンネルを掘る(ブルトン)
滝のように そして火事のように わたしは笑うだろう(ツァラ)
(覆された宝石)のような朝(西脇順三郎)
あなたの舌 あなたの声のガラス鉢のなかの この金魚(アポリネール)
コガネムシの音をたべながら(ジャリ)
アメリ―の乳房のような 夜の海(ランボー)
解剖台の上のミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい(ロートレアモン)
地球は オレンジのように青い(エリュアール)
4 日常 喜太郎さん
繊細で優しい作品でした。佳作一歩手前とします。
二重カッコの言葉『そんな』『好き』『想い』『愛しさ』がいい効果を出しています。
会話もさりげなく上手いです。
気になったところ。
一連目
「あなた」が4回でてきます。省略できる個所は省略しましょう。
喜太郎さんは一定の水準の詩を安定して書いており。
恋をしたことのある人には共感できる内容です。
それはそれで素晴らしいことだと思います。
ですが
悪魔の囁きのようですが
喜太郎さんには一歩前進して壁を破って欲しいです。
すぐれた作品とはどこか一般的ではないものです。一線を越えてください。
自分の弱いところをさらけ出す覚悟が人を打ちます。
誰もが感じることを誰もが使う言葉で書いた詩から遠く離れた傑作を読んでみたい気がします。
このことは、書こうか書くまいか随分迷いましたが、喜太郎さんならそれが出来ると信じています。
5 天井のわたし aristotles200さん
映像的な詩でした。
<深い眠りから目覚めた>と、唐突に始まるのがよいです。
これからはじめるぞ、と言う宣言のようです。
過激、ラジカル、そんな言葉でいいたい装置が備わっていて、これは詩と言う言語芸術といえるでしょう。このような別の現実世界を作るのも現代詩の方法の一つだと言えます。
私の乏しい知識に照らすと「スパイダーマン」とか「寄生獣」とかの映画作品の既視感がともないました。
モノローグで書き進めて行くのがいいですね。
スタイリッシュな作品でした。
URYYYYY(ご機嫌よう)
wreeeeee(あれ、B課長、どうしたんですか)
varyyy(美味っ)
ARYYYYYY(いただきます)
のところは、アメコミの影響なのかな。違っていたらすみません。
面白い表現で効果をあげています。
書体とか文字の大きさを変えられたら、さらに感じが変わったのではないかな、と想像いたします。
6 読まれぬ手紙 津田古星さん
しみじみ良いです。
一連目
簡潔で過不足なく書かれた詩句はおおげさな所はないですが、人の気持ちを動かします。
友人の死を実感した作者の諦念が伝わってきます。
よい書き出しと言えるでしょう。
葬儀の席では、時には事件がおきます。
さまざまな人のいろいろな感情が渦巻くからです。
そんな中で作者が出会った小さな事件は、二連の
<最後の別れの時
棺にそっと手紙を入れた人がいた
決して読まれることのない友への手紙
書かずにはいられなかったのだろう
そんな友人を持った彼女の人柄が偲ばれた>
というものです。
棺に入れられ焼かれてしまう手紙。いろんな想像が掻き立てられます。
三、四連は
生前の彼女のエピソード。
今の時代に49歳は若いですね。
<「両親より一日でも長く生きるのが私の目標」と
言っていたのに 叶わなかった>
のところに、彼女と作者の悔しさが滲みます。
タイトルはもう一考しても良いのではないでしょうか。
最終連では
<棺の中に納められた手紙は
彼女に届いたと信じたい
それとも 肉体を離れた彼女は
もう人の感情を超越した世界に行ったのだろうか>
となっており
「読まれぬ手紙」と断定的に言われることには違和感を感じます。
佳作一歩手前とします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
評の終わりに。
倒れまいとして次々に足を出す、それが走るということだ、全力疾走をすれば決して倒れることはない、最初に二本足で立ち上がった猿はきっと全力で走ったんだ。
村上 龍 『コインロッカー・ベイビーズ』
六月なのに猛暑です。みんな頑張ろうね。
いつも温かい評をありがとうございます。
こういう人が身近に居ります。
あまり考えずに、単純に書きました。
自分で書いておきながら、終連の書き方と言われて咄嗟に、何を書いたか思い出せませんでした。一番書きたかった事なのに!いつも思っていることなので、かえって出てこなかったのか、記憶力の問題か?と今、考えているところです。
わたしたちは、気づかぬうちに、ギフトを横に除けたり、捨てたりしているのだろうと思います。
詩的なタイトル、難しいです。5歳の子どもに『詩って何?詩的って何?」と聞かれたら、答えられません。
今回も丁寧な感想と評を、誠にありがとうございます。佳作を頂くことができて、とても嬉しいです。
今回の詩は、幼き頃にいつだったか夢で見たような幻想的な風景を表現に織り交ぜる事ができました。
私もまた、この詩を書けたことで上向いて一歩ずつ先へ進めるような気がしています。
次回の投稿も、どうぞ宜しくお願いいたします。
今回も私の詩に丁寧なご感想を頂き、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。
仰るように、立場の違いとは恐ろしいほどのものだと思います。
今回は移民側の論理で書いたのですが、もし相手国の立場、あるいは
中立の視点で書いていたら、全く違う印象の詩になっていたような気がします。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。