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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

島 秀生様 評のお礼です 上田一眞

こんにちは。上田です。
寒い日が続きますね。こんなときは焚き火が一番と思いますが、最近は禁止されてる所が多いので迂闊に火はつけられません。窮屈な限りです。
ご指摘の部分、書く必要がある部分を省略化してしまったようです。なるほどそこの部分もう少し詳細に書き込むと仕上がり感が違いますね。おおいに勉強になりました。ありがとうございました。
また、投稿いたします。

編集・削除(未編集)

評、1/31~2/3、ご投稿分。  島 秀生

今日も終日不在にするので、こりゃ水曜になっちゃうかな?と思ってたんですが、なんとか滑り込みました。
お待たせしました。


●akkoさん「いま 着いたから・・」

なるほど。
最後は、ない電話を待ってるんですね。ご主人の現世への帰国を待っているかのようです。

海外出張の息子さんとの混同が生じるのは、ご主人もやはり海外出張が多い人だったから、なんですね。それじゃあ、重なってしまうのも無理はない。(もしかしたら、お二人とも同じ会社にお勤めなのかも。だったら余計にですね。)

私は国内だけど、海外じゃないけれど、やたらに出張ばかりさせられていた時期があったので、「いま 着いたから・・」を、奥さんに言う時の気持ち、すごくわかるな。安全を知らせるだけでなく、愛情の籠ったひとことだったと思いますよ。

読む人にとって、息子さんからご主人に変わる、詩行の境目が若干わかりにくいかもしれないんです。
終連は、最後の行だけでなく、終連の最初の言葉から、もうご主人の言葉に変わっています。3行ともこちら側の話ですね。だから、

 いつものように 成田からの電話 早くください

が、ひと繋がりのもので、それをリピードする形で、
 
 早く あなた

が、あります。
そういう意味では、「早くください」と「早く あなた」は
行を変えた方が伝わりやすいでしょうね。そこだけ変えた方がいいと思います。
この詩はそこだけでOKです。あとはちゃんと書けてます。

うむ、切ない錯覚の話でしたね。幻想的な広がりがあるところも良かったし、最後の、ない電話を待つところも良かった。
うむ、これはakkoさん的に、名作&代表作入りです。とてもよく書けている。


●まるまるさん「日本は 私は この先を」

おお、しっかり書けてるじゃありませんか!!
PFASや原発に対する批判部分も的を射ていると感じるし、そこへの批判ばかりでなく、自身を省みて反省を書いてる部分もあるのがいい。
そして、

 一主婦の 
 私のやっていることの
 拡大版が今の日本

と、大胆に両者を繋いで見せてくれてるところが、度肝を抜きます。

たしかに、こういう切り口で見せてもらうと、両者には共通点が多々ありますね。
キーワードは、「本気が足りない」。たしかにそうかも(……私もドキリとするものが)。

うむ、今回の詩はナルホドでした。
結論だけ言わずに、丁寧に思考を積み上げて書いてきたところも、納得ある作になった要因だと思います。今後もこの感じで丁寧に。

名作&代表作入りを。


●白猫の夜さん「共依存」

クロアゲハが、黒い燕尾の男の子になって現れてくるところの幻想的シーンがいいですね。私はそこが一番良かった。
詩全体の言いたいことも、なんとなくわかりました。

初連は、左腕や右のお腹があるから、いじめられてる感じに見えるのだけど、首から上は無傷だし、2行目は左脛???
左脛ばかり「あおたんまみれ」というのが、よくわからなかった。脛ばかりとなると転んでるのかな?ともなってしまうのだが……。

たぶん、初連のことが原因となって、次の展開に行く話になるんだと思うので、初連で表したい意図は、もうちょっとだけ明瞭にわかるようにした方がいいと思う。

「共依存」というと、ある程度以上の期間、それが常態化しているという要素があるので、このタイトルはちょっと違うと思う。専門用語や特定の定義を持つ言葉の使用は慎重に。
このクロアゲハは、依存というより、死神のごとく誘ってる感じを持ちました。それにこの主人公が惹かれていった感じに読めました。
(案外と、アスファルトに張り付いた死骸を拾って、ちゃんと葬ってあげたら、燕尾服の男の子の影は消えたりして……。)

終連は、どっちかというと、我に返って欲しかったですけどね。頭の中で思う概念の死と、実際の生身の強烈な痛みを伴う死は違うから。車に轢かれそうになった時の恐怖の実感、そこを肌身で感じて、我に返ってほしかったけどな。これは個人的感想ですが。

まあ、言いたいところのことはわかるし、多少はあるけど、ストーリーとしては成立してるので、努力賞も含め、秀作を。


●温泉郷さん「軌跡」

うーーん、後半はいいんだよねえー、後半は、失った家族や、貧困や紛争地、いろいろな国の子供の顔が見えてきて、しっかりテーマ性があっていいシーンになっているのですが、
最初の、オレンジの放物線でできているという架空の水槽の想定が、説明はしてくれているので想像図は描けるのだけど、自分がこれまで経験して見たものとの近似性を置きにくいので、頭ではわかっても、どうしても映像がアバウトになる。
いえば、キャンバスが白とは言えないアバウト色なので、その前で行なわれている後半の行動もくっきり見えない、という感じ。
もっといえば、いろんな顔が見えるとこも幻想であり架空なわけだから、架空の水槽の上に架空を重ねている感じになるので、ぼやける。
思うに、そもそも架空の上に架空を重ねて何かを見せるということ自体、なかなかに難しいことなので、えらく難しいところに足を踏み入れてるなあというのが感慨です。

これ、たぶん作者的には水槽のモデルとなったものがはっきり見えてるんでしょうね。でもそれが、こっちにまでちゃんと見えるように伝わってないんだと思う。

解決策といっても難しいのですが、やっぱり前半の水槽の説明で、喩えを入れて、どんな感じのものであるという想像図をもう少し完成させから、子供の話に行く、ということになるでしょうけど、
例えば、子供の見方に行く前に、父はどんなふうに見えているかをまず書くと喩えになるし、子供はそれとは違うものが見えていた、という展開でもいいのではないでしょうか? 一例ですが。

人物の描き方自体は上手で、いいお話なので、もうちょい改善をお願いしたい。
おまけの秀作プラスくらいで。


●秋さやかさん「空」

放課後のチャイムがなって、みんながわっと遊具に行く、解放感とウキウキ感がよく描かれています。子供の頃って、ブランコを大きく漕いで空中に浮き上がると、空に届くんじゃないか、くらいの別世界感があったような気がします。あの感情も童心ならではものであったのでしょうね。
3連の、

 せっかちに号令を言い終えると

は、小学校の頃の、一日の最後の挨拶のことですね。(私の低学年の頃は、「先生さよなら、皆さんさよなら」でした。今は違うんだろうなあー)

遊具なんですが、今は(危ないからと)なくなっている公算が高い遊具が、さりげなく含まれていて、遊ぶシーンは、作者の回想にすり替わって、描かれているようです。
序盤の詩の入り方からすると、現在の話のような感じがして読み進んだのですが、もしかしたら、そもそもこの詩全体が回想なのかもしれませんね。(前作の続編で書かれたものだとすれば、あり得ますね)

また、少しうがった見方をすると、それらの遊具がなくなったことに対する小さな反逆の意志を示した詩であるかもしれません。

今は放課後のチャイムがなっても、みんながわっと遊具に行くなんて光景はないんだろうから、やっぱりこの詩全体が、回想とみた方がよさそうです。前の詩で、塾じゃなくて、みんなのところに行きたかったという光景が、きっとこれなんでしょうね。

なお、全体が回想ということになると、詩の出だしで少し動詞の過去形とか入れた方がいいと思います。

最後のブランコのところ、ちょっと気になります。無難にこれでいいのでは???

 ランドセルを放り投げ
 身軽になった体は
 
 なにも恐れず
 いきおいよく
 
 回旋塔を
 まわしてまわして
 
 風を起こす
 
 ブランコを
 大きく大きく漕いで
 飛び込んでいく
 
 自分だけの
 空へ


一考してみて下さい。
文体がキレイなのは、さすがです。秀作プラスを。


●人と庸さん「意志の手」

画家の東山魁夷が、雪にすっぱり埋もれているススキが、雪が融けるとまたしゃんと立ち上がっているしなやかさに感動し、自分もススキのようにありたいという意の文章を残しています。
また、晩秋の夕陽に照らされてるススキの群生が銀色に照り返している景色もキレイですよね。ススキって描きようによって、とてもいい素材になってくれる気がします。

詩なんですけど、このテーマ性への視線向け方はいいと思うのだけど、いかんせん概要的すぎます。このままではちょっと話がアバウトすぎてツライです。
なにか具体的なものを思わせてから、まとめとしてこの詩が終連に来る感じに、例えば3連構成で、前2連になにか具体的に思わせるもの・考えさせるものを置いてから、終連にこれが来る感じで、バランスが取れると思います。
その方向で考え直してみてもらえると、ありがたいです。

これは受け取り側の感じ方の話なんですけど、長い詩の場合、途中、少々ミスがあっても、比率としてたいしたことないので、わりと許されるんですよ。逆に短い詩であればあるほど、比率として、一つのミスも許されない感じになっていくんで、却って難しいのですよ。短い詩の方がシビアになるんです。
なので、私はあまり早いうちから短い詩を書くことを勧めていません。たまに飛び抜けた感性でもって飛び越えて行く人がいますけど、そういう人は極めて例外的です。最低限、3連構成で書かれることを勧めたいです。
なので、この作品は一歩前とさせて頂きます。
人と庸さんは文体自体はキレイな人なのだから、もっと自信もってガンガン書かれても、大丈夫ですよ。


●津田古星さん「2月のチョコレート」

(1) と(2)で、両方向から書いてるのはおもしろいですね。
言うと、(1)はリアルな思い出に近いもので、(2)は今おもう想像ですが、両方向から描いたこの大仕掛けはたいへん意欲的で、評価できます。(2)もまずまず書けています。秀作プラスとしましょう。

(1)についていえば、フツウ、学生生活何年間かのあいだに、何人かにチョコレートあげたことある、っていうのがフツウなので、でもこれ読むと、作者の一途さが、逆によくわかりました。

(2)では、チョコレートを送ったその男の、現在の家庭の様子が映し出されるわけですが、一人称についてもその男が「私」ということになります。
このポジションチェンジを理解するのに、読む方としてはちょっと時間がほしい。間合いがほしい。
なので初連は、そこまで行かないで、「妻が食卓を整えながら言う」までで、いったん止めて、以下は連分けしましょう。そこでいったん止めて、場面を読者に理解させた方がいい。

次に終連の「困った」の意を読者に理解させるために、現・2連のラストはちょっとしつこめに行った方がいいと思います。そのあたりから下、やってみます。

 「うん」と言ったきり黙っていると
 「住所が分かるんだったら、ホワイトデーにこの土地の名産品でも送ってあげたら?」と言い 
 「でも、その人のことを好きだったんなら送らないほうがいい」と付け加えた

 私は困った
 何十年も経ってからお返しを送るのはおかしいし
 送らなければ 妻にその女性への気持ちを見透かされる

 チョコレートには本当はメッセージがついていた
 好きですとひと言
 意中の人にそう言われ
 私は照れくさかったから
 手紙の追伸にありがとうとしか書けなかったんだ


それぞれの心情をもうちょっとだけ強調ぎみに、これくらい書いてもいいかな、と思いました。
一考してみて下さい。


●相野零次さん「うずくまる男」

情景・心情ににぐっと深く入り込めていて、集中力を持って描けています。
架空の想定ですが、これはこれでワールドが完成してるので、評価します。
名作を。

作品は作品として評価した上で、ちょっと1点知っててほしいのは、この想定は現実にはまずないと思います。家具などの家財がなくなるとしたら、そこに至る前の金策として、自分で家財を売っぱらって金に換えた時でしょうね。
価値があるのは1番に土地、2番目に家なので、(昔々はわかりませんが)いま借金のカタ話になると、家ごとなくす。土地ごとなくす、というのが常ですね。それらを差し押さえられるので、本人や家族は(家財を残したままの)家から出て行くことなるのがフツウです。
あと、もしも家財だけ差し押さえられる可能性があるとすれば、離婚争議の時ぐらいでしょうね(それら家財は、配偶者側の所有物だということで)。

本当に破産話を書きたいのであれば、そこらあたりを勉強する必要がありますが、それよりもこの詩は孤独感や、全ての人から裏切られた失望から立ち直ろうとする姿をこそ描いてる作品と思えるので、「空っぽの部屋が存在する」場面を、この想定ではなく、別の想定に変える方向で一考されたら、よりベターな作になるかなと思います。

話の最初から「非現実的」が見えると、最初から作り話だなと思って読まれてしまうので、あんまり良くない。そこは避けたいとこです。


●上田一眞さん「森」

ついこのあいだのことですが、今まで一度も思い出したこともないと思える昔の出来事をふっと思い出して、それが自分でも物凄くすごく意外で、不思議で、こんなことを思い出すようになったのも歳のせいなのかなと思いました。
「歳がいくと、昔のことばかり思い出す」と、これまでの人生の中で、何人かの年寄りから聞かされてきましたが、ホントだったんだなあーと、今更ながらに思いました。ちょっと自分にその兆候を感じました。不思議ですけど、これも人間の体の神秘がなせるワザなのかもしれません。

なので、昔のことを思い出してしまうことを、そんなに責めなくてもいいんじゃないですかね。歳いくと、体質的に(脳内ホルモン的に???)そうなっちゃうもののようですよ。

詩なんですが、この、方向を見失って迷い込んだような森の中での行動と焚き火は、上田さんなら本当にやりそうで、想像で書いたものとばかり言えないな、本当の話かもしれないなと、思いながら読みました。

2連の表現は一見キレイなんですけど、ちょっと不自然があります。たとえば光線のように漏れた光が射しているところに雪が落ちてきてるか、自身が真上を見上げている時に、ある角度のものが光る感じになるはず。
もうひと工夫、細かい部分まで立ち入って書く必要があるように思います。
そのあとの3、4、5連は良いので、2連をもうちょっとちゃんと書いたら、もっと良くなると思います。

「2.火焔」の立ち上がり。ミスはないしキレイなんですけど、火をつけるのが上手な上田さんは、なんの抵抗もなく、身の丈の焰が上がるとこまで、しゃらりっと書いちゃうんですけど、焰が上がるとこまで、もうちょっとゆっくりいった方がいいです。
着火の瞬間や、小さな火が大きくなるところも書いた方がいいです。

字下げのところ、いいですね。幻想的でステキです。
そのあとの、自身の情念を追い詰めるように追求していくとこもいいですね。
終連だけ、「そして」以降は連を分けましょうか。

最後の解釈は読者にお任せ、ですが、焰の中に飛び込んでしまいそうな勢いです。そんな想像をさせる、思い切ったラストです。

うむ、いいでしょう。名作を。
指摘したところ、一考願ったら、もう一個上までいけると思います。


●松本福広さん「Autumn dome」

都心のイチョウ並木って、邪魔にならんように、結構、枝をはらってしまってあるんで葉が少ないけど、山の方にあるイチョウって、枝をはらわずに結構好き放題に伸ばしてあるんで、、木一本あたりの葉っぱ量も凄いです。この並木は木が大きいから余計すごいことになってるだろうなと想像つきます。
秩父「ミューズパーク」の写真も少し見ましたが、秋の紅葉といっても、モミジの木の紅葉が多いところって、実は京都以外にはそんなにないんです。たいていは別の木の紅葉なので。でもここ、大きなモミジの木が結構あるんで驚いた。秩父恐るべし。この大きなモミジの木を見ても、イチョウも同様に大きな木があるんだろうな、ということは容易に想像つきます。ここ全部、木がデカイんでしょうね。
美しい景色を写真におさめるのは、無理ですよ(キッパリ)。でも松本さんはカメラの腕に覚えがあるようだから、なんとかしたかったんでしょうね。
そのあとのスノードームのアイデアが良かったです。

ところでこの詩は、ワザとやってるんだろうか。なんでそんなわかりにくい行分けをするんだろう? 

 普段は神様に例えられる風や日光も
 今だけは添え物になる
 今ひととき眼前に広がる秋の夢を
 とじこめるよう写真にとおさめる
 私の撮影技術のせいなのだろう
 静止した写真は
 感じているものを
 望んだようには写しきれなかった

 太陽の七色のまばたきも
 そよ風が描く1/fの揺らぎを
 絵画で例えるようなタッチも
 黄金色の蝶たちで賑わう秋の祝祭を
 一葉の世界に表現できなかった

 スノードームのように閉じ込められたら……

 秋がみせる夢のさなかに
 束の間ドームの水に沈んでいたようだった
 地面に落ちた銀杏の葉が
 秋が終わるまでの時間を刻んでいた


これって、こういうこと、ですかね???
なんか行分け、連分けが不思議なことになってるんで、修飾関係や、センテンスの切れ目が、ものすごくわかりにくいんです。慌てて書いたのかな???

秩父がいいとこだって教えてくれたのは良かったし、スノードームのアイデアのとこも良かったんですが、なんでこんなにもつれた書き方をされてるのか、ちょっと意図がわからない。「わかりにくい」以外の効果は、なんにも生んでいないと感じる。

うーーん、おいしい要素がいくつかある詩なんですが、この行分けがちょっと足引っ張ってる気がするんで。現状、半歩前とします。
まあ、ちょっと直してもらったら、即、改善すると思うんですが……。

編集・削除(編集済: 2025年02月18日 04:53)

電車での あの出来事  まるまる

乗り合わせた電車
やった 席一つ空いている
座ろうとして 目をやった通路の真ん中辺に
置いて行かれた誰かの 
嘔吐の跡 
少し 寂しそうに 

そういう訳か
ほんの少しためらったけど 腰を下ろした
数人のコソコソ声が耳に届く
 匂うね
 赤ちゃん乗ってたのかね

ふと 左から女の子二人 20代くらいか
膝を曲げ
レジ袋とポケットティシュで
嘔吐物をふき取り始めた
コソコソ声はぴたりとやんだ

しばらく1ミリも動かなかった私は
近づいて 3枚4枚
自分のティシュを差し出した
女の子は顔を上げ
 助かります
 ティシュ少ししかなくって
次の駅に着くころには
あらかた片付けを済ませてくれた

ひとりの年配の女性が
 えらいね
と 女の子の肩に手をやり
電車を降りた

その人は賞賛を伝えることで 
おさまりをつけたのだろう
この出来事に居合わせた ご自分に

私はと言えば 
自分のゴールがどこかわからず 
もう 接点のない人になっていた

私にとってこの事は 
日常 ではなかった 

でも私は
ほんの少し関りを持った 自分から
次の日からまた いつも通りの暮らしの中
何度も思い出す 電車でのその出来事
忘れてはならない何かを 
置いてきてしまったように思えて

追いかけて 聞けばよかった
 どうして きれいにしてくださったんですか?
 お二人のせいじゃないのに
そうしたら
帰着できたのかもしれない
尊く 得がたい体験として

どこかでまた 会えないかな
あの時の あのお二人に

編集・削除(編集済: 2025年02月17日 22:55)

三浦志郎様、評のお礼です  白猫の夜

三浦様、評をありがとうございます。
2連から4連の、景色の描写から人物への描写への移り方と合わせ方、その内容自体が、
自分で書いていても言葉選びが苦しかったところなのです。
先生にご指摘頂いて、やはり表現力がまだまだ未熟だと痛感しました。
景色と登場人物との取り合わせを丁寧に表現できることを目標に、またいつか挑戦してみます。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です 上田一眞

こんばんは。上田です。
いつか書こうと思っていた幕末長州。高杉晋作を選びましたが、それは故郷富海との絡みが色濃いことからの選択です。
彼にかかわった大和屋政助は入江石泉と並び、幕末富海のヒーローです。
わが家には古い言い伝えがあって、古く江戸中期より廻船業を営んでいたこと、屋号は伊藤博文が命名したなど、本当かどうか文書などは残っていないので分かりませんが、祖父がよく自慢して話していたようです。
そういえば、古い刀があって、幼少のころ振り回して遊んだ記憶があります。
もう少し歴史の知識があれば作品に深みが増すのですが、残念ながら…
しかし、三浦さんに叙事詩の側面を評価して頂けたことは嬉しい限りです。ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

評、遅れます。  島 秀生

すみません、今週いろいろと立て込んでしまって、評遅れておりますので、
次の評者の方たちは、どうぞ先に書き込んで下さい。

私の評は2月19日(水曜)の予定です。
遅くなってしまって、本当にスミマセン。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です。  荒木章太郎

三浦様 今回は新規の作品として読んで下さりありがとうございます。佳作の評を頂きとても嬉しく感じております。さらにアフターアワーズまで書いて下さり感無量です。第二次世界大戦に敗戦した日本が、ドイツのようにうつ的になって自分達を振り返ることなく、高度経済成長という躁的な状況で乗り切った感は否めません。その結果として、例えば戦後、企業戦士といわれた世代から脈々と受け継がれる「特攻精神」は、結構、うつ病等、メンタルヘルスの疾患で会社を休職される若い世代の人達の中にもよく見受けられることがあります。また団塊の世代の人達の挫折体験など、どの世代の人達も、それなりに喪失感があり、傷ついきたはずなのに、それらを癒すことなく、みないようにしてやり過ごしているものが、集団の無意識としてあるように思うのです。このように世代ごとで分断されるもの、受け継がれているものを私は描きたいと思っています。本作では自分の描きたいテーマを、読み手に届けることができて良かったです。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です 上原有栖

三浦様、丁寧な感想と今回より評を頂きまして誠にありがとうございます。
甘めの佳作ということで、自身の詩作にとても励みとなりました。光の優しさ柔らかさをこの詩にのせることができて良かったです。
「光」というありふれた題材でしたが、身近なところにも詩作の種は多くあるのだと近頃感じています。
次回も楽しみながら投稿出来ればと思います。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様  御礼  静間安夫

今回も私の詩に丁寧なご感想を頂き、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。

そうですね...確かに、イデオロギーという言葉に付着するニュアンスの多さ、
夾雑物の多さが、元の理念を怪しくしてしまう張本人ですね。そして
仰るように、いいように利用されてしまうところがあると思います。

今後とも、どうかよろしくお願い致します。

編集・削除(未編集)

感想と評 2/7~2/10 ご投稿分 三浦志郎 2/15

1 上原有栖さん 「橙灯(とうとう)」 2/7

初連から2連。非常に優しく柔らかな書き方をされているのがよくわかります。3連は暗闇に対する来歴。これはひとつのトラウマでしょう。4連はふとしたこと(ブレーカー落ちでしょう)から気づいた灯りの存在。暗闇とは大人でも心理的に不安になったり、時に恐怖を伴うものです。子どもならなおさらでしょう。その意味で、3連と4連は時間が接近していると思われます。20年も30年も経って初めて、その灯りに気づくことはあり得ないからです。「まだ暗闇の恐怖を克服したわけではないけれど」とありますので、
これは回想詩の一種ですが、さほど大昔の話ではない気がします。
「私はぼんやりと橙色に染まった」がとても印象に残る一句ですね。
冒頭書いたフィーリングが気持ちよく維持され、心いっぱいの感謝の念が綴られています。
好感の持てる一作です。光への感謝というのも、一風、変わっていて良いですね。甘め佳作を。

アフターアワーズ。
少し調べましたが、ナトリウム灯は点灯して初めてそれとわかるようです。光効率や寿命でも優れているようですね。優れたものに守られての眠りのようです。 良い眠りを―。


2 佐々木礫さん 「街路樹の涙」 2/7

タイトルを見ると擬人化を予感させますが、果たしてその通りになっていますね。
構図としては、街中で信号待ちの「僕」。語り手も兼ねる。「彼」に擬人化された枯葉。初連は場の提示としての語りですが、次の「あの服、~」から「枯れ葉が落ちる」までの、特にセリフ部分の全否定性が、僕にはわかりませんでした。他に対象者がいないので、さしあたり枯葉の事か、「信号待ちの僕」のどちらかと理解せざるを得ないわけです。もし後者として、居合わせた他者にこんな酷い言葉を言うかどうかの疑問。いっぽう「友達いないのも納得」は顔見知り的発言だし。一体、この発話者は誰なのかも気になるところ。
ここだけ、ちょっと異様というか違和感を感じました。
あとは大丈夫。風と雑踏に翻弄される枯葉の姿です。
ただし枯葉は明るく笑ったりしている、そのことの不思議も感じます。一瞬「僕」との触れ合いを持ったかのようです。それを最後に彼は車に轢かれる。この詩の背景が信号待ちの僅かなひとときというのが面白いです。僕の場合、やはり初連直後のセリフのありようが気になり、謎となっているわけです。佳作一歩前で。


3 荒木章太郎さん 「牛丼のうた」 2/8

前回の改作ですが、全く新規と捉えてみましょう。その際、2/5付、荒木さんのコメントを参考にしました。他の読み手もだいたいわかるとは思いますが「社畜」についてネット上解説を引用しておきます。「主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、
自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉である」―となります。主人公はたまたま息子と牛丼を食べ、そこから「家畜(牛)=社畜」のイメージに繋がったと思います。そして自分の半生はそのようであったと回想します。5連がその典型でしょう。しかし息子にはそうであってほしくない。もちろん選択肢として、「群れを嫌って狼」もあり、だし、「一人が辛くて」なら犬くらいなら……。まあ、いろいろ考え方はあるわけです。そこで、「主人公=父親」の思考は少し停滞するようです。しかし伝わってくるものは「最低限、オレのようにはなってくれるな。雑事に捉われることなく、よりシンプルに、お前の自由な意志で」といった主旨でしょうか。究極の願いは終連にあるようです。生き方を示唆して佳作。

アフターアワーズ。
この詩には時代背景がけっこう関わってくるように思います。昭和の企業最盛期に働き盛りを迎えた親世代は少なからず”社畜的要素“は想像するに難くないです。エグイ言い方をしてしまうと”社畜的“というのは会社にとっては好都合なんです。その代わり、その時代、会社は「年功序列・年金、保険等の世話、終身雇用」をまずまず用意していました。露骨に言ってしまうと、これらは会社対個人の、ある種、取引、ギブ アンド テイクと取れなくもない。そういった親世代です。逆に時代が動いて、今の世代の人は”社畜的”な要素はあまりないと思えます。イヤなら、とっとと辞めて他を探すか?それとも、今は辞めるとなかなか次がないのかな?その辺はよくわかりませんが、聡明な読者諸氏は、この詩から、そういった時代意識のギャップみたいなものを感じても興味は尽きないと思ってます。


4 上田一眞さん 「尊攘義民」 2/8

禁門の変・七卿落ち・四か国艦隊砲撃事件・長州征伐など、教科書に出てくる事変が並びます。
この頃の長州はまさに“泣きっ面にハチ”状態ですが、よく耐えて、やがて尊王攘夷~倒幕を実現します。この詩で描かれるのはそんな時期の高杉晋作らですが、ここではさらに掘り下げて、それら影で支えた人々を活写します。「世に棲む日々」が引用されますが、国民的大作家でもカバーしない草莽の志のことです。この事は郷土史家やその土地の人々の領域であり語りの場であるでしょう。特に薩摩と比べ、長州は「歴史のダイナミズムは民衆のなかにこそ生まれる」の感が強く、この終句は言い得て妙であります。おそらく奇兵隊の影響でしょう。この詩はそんな長州人の矜持を謳っているとも言えるのです。そういう人の墓所が近くにあるというのは上田さんご自身がそういった歴史伝統の中に身を置いているとも言えるのです。次に違う方面を書きます。この詩の持つ叙事的側面のことです。歴史をファクターとして、明らかにこの詩は”叙事“してます。タイトルもそれに連動します。水無川さんの詩集のタイトル詩の感想でも書いたのですが、ノンフィクションとしての歴史を、もっと詩のモチーフ余地としてもいいのではないか、と僕は思っています。
この詩はその接点になる詩です。僕にとっての共感です。佳作を。

歴史アフターアワーズ。
高杉晋作はあれだけの風雲児なので、華々しく討死、と思ったんですが病死なんですね。ちょっと意外の感がしました。長州というのは―印象で言うとー逸材が本格的維新の前に、けっこう死んじゃうんですね。吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎。いっぽう薩摩は西郷~大久保の双頭体制ですが、長州は残った木戸一人(伊藤・山県はまだ格下の印象あり)。
そのあたり、ちょっと気の毒でしたね。木戸~高杉(あるいは大村)の双頭ならば、もっと凄かったと思いますね。しかし、その後も長州は人材を出し続けます。ともかく関ケ原の負け組が覆した、と思うと歴史ってホント、面白いですよね!ただし僕は明治維新は西欧流定義での革命であったとは思っていません。ごめんなさい。


5 山田貴志さん 「詩」 2/8

詩への今の気持ちとその来歴がシンプルに綴られています。前者が1連と3連で、後者が2連と4連ですが、連の順番を換えたほうがいいように思います。すなわち……
「1→2→4→3」 つまり中間に経過を配して、結果の3連を最後にして、1連と循環させるといった構図です。その際、来歴は紆余曲折を含めて、詳しく書く必要があるでしょう。先生にいきなり言われて、当時関心がなかったが、何がきっかけで書くようになり、賞を取るに至ったか、といったことですね。作品自体は少し詩的修辞を設けて、詩の純度を上げておきたいところです。
評価の始めは上記のような要素を加味し、佳作二歩前からお願いします。


6 静間安夫さん 「イデオロギー」 2/10

念の為「イデオロギー」をネット検索してみました。

1 思想や考え、信念や理念をまとめたもの
2 特定の政治的立場に基づく考え

1は何の問題もありません。ごくピュアな定義の姿です。ニュートラル=どちらにも偏らないさまです。2になると少し怪しくキナ臭くなります。
この詩は、この二つの本質と事情を描いて、そのジレンマを表現していると思えるのです。
たとえば「愛」。これは抽象・具象・気高さ・下品含め、全方位、360度から論じられます。そこまでではないにしろ、イデオロギーも同じように360度から把握されてしまいます。そして、厄介なのは、この言葉に付着するニュアンスの多さ、夾雑物の多さが、1の理念を怪しくしてしまう張本人たちと思ってます。同時に、この詩は、その煩雑を訴えたものだと把握できるのです。そしてこの言葉はある特定政治集団から、いいように利用されてしまう、いかようにも染め上げられる、一種のひ弱さも持っているようなのです。
ナチス政権しかり、ロシアの(レーニン・スターリンによる)一連の革命しかり、です。詩はそんな具体をも伺わせています。1から2へ、人為的に肥大化すると歴史に歪みと悲劇を与えるかのようです。この詩において人格化されたイデオロギーは、この詩において実情を読者に向けて訴えているでありましょう。上記に鑑みて、充分考えさせられる詩的課題、思想的課題であるでしょう。
この詩はあと二つの重要なことを言っています。「自発的に運動に参加するのではなく/異端と呼ばれるのを怖れるのあまり/強いられるままに」―ここですね。国家権力とイデオロギーがセットで発動される時、人はこのように、のっぴきならない立場に置かれてしまう。もうひとつは「自らの生に意味を求めること」から始まる詩行パーツです。これも真実です。あまりにも政治的人間はこの為にイデオロギーにすがることはあるでしょう。サイズを使って、じっくり思慮深く筆を運んでいます。結果、極めて説得力を帯びています。 佳作を。
「イデオロギーさん、あなたは悪くない。どうぞ、そのままでいてください。課題はそれを考え、行動する人間の側にあるのだ、と」


7 白猫の夜さん 「雪の餞」 2/10

七五調の採用です。この語調は現代では古くさくて、あまり使われないのですが、今回は敢えて使って、いにしえ感を出したものでしょう。あくまで静かで、わずかに哀しく、民話のような世界を醸しています。しかし、こんな静謐な白銀世界には非常に気になる所があるのです。

「幼き子供に/熱は無い」―(はて、何で急に子供が出て来るんだろ、しかも熱はない?)
そして3連。ここは全てが謎、とりわけ「払う大人の/血濡れた手」、そして4連「酷な世界」。

そしてタイトルの一部「餞」(はなむけ)。これは餞別の「餞」です。意味は旅立つ者へ旅の門出を祝い道中の無事を祈る行為ないしは物品のこと。「馬の(鼻)を旅の方角に(向ける)」が語源で「はなむけ」。
そう考えると、このタイトルも妙に気にかかります。“はなむけられる”のは幼子しか考えようがないのです。白銀に一点の赤が鮮やかですが、胸騒ぎがします。なにか不吉というか、空恐ろしいものを感じてしまいます。この詩の美しい背景において、です。なにか陥穽というか何かが仕掛けられている、としか言いようがなく、これ以上書かないほうがいいでしょう。佳作半歩前で。半歩は“その部分”です。


評のおわりに。

エピソードをひとつ。
荒木章太郎さん作品「牛丼のうた」の中に「社畜」といった言葉が出て来ます。
これは安土 敏(あづち さとし)という作家が作品「小説スーパーマーケット」の中で考案した造語です。実はこのかた、
本名を荒井伸也氏といい、首都圏チェーンストアであるサミットストア(現サミット)の当時の社長・会長でした。実業家兼作家で、
小説や業界論など著作が多いです。
ちなみに僕は若い頃、この会社に約十年ほどお世話になりました。社長は大変、頭脳明晰な人でした。さらに言うと、「小説スーパーマーケット」は伊丹十三監督作品「スーパーの女」の原作本であり、撮影にはサミットが全面協力したそうです。 ちょっと懐かしかったので、長々と書きました。 どうぞ、お許しを。 では、また。

編集・削除(編集済: 2025年02月15日 18:13)
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