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ぼくは わかった
いいや、大したことはないよ
ぎこちなかった訳とか
あの日の君が何を思ってたかとか
そんなこと
ぼくは わかった
たぶん、大したことはないよ
つかれてた嘘とか
君の嘘が何を守っていたかとか
そんなこと
なにかがわかった途端
からだのどこかが透き通る
そして通り抜けてゆくんだ
わからないままでも
きっと生きてゆけたようなことが
からだじゅうに広がる
しびれ 甘み たしかな火照り
ああ これがたぶん、ユリイカ
いつかの天才の気持ちも
今ならわかる気がする
裸はまだしも
下着でベランダくらいなら
出てもいい気がしてくる
わかるって
それくらい勢いのあること
わかって すっとして
わからなくなって もだえて
なんにもわかってなかったことがわかって
またわかって、かわって
くりかえす
生まれくる季節とともに
ふるびながら あたらしくなって
ひとみが いっそう深くなって
いつか そのひとみが
しんとした
ふるさとの海のようにしずまった時
本当にぼくがわからないといけなかったことが
ようやくわかるのだろう
そして わかったそばから
ひとみから 光は消えて
最後の深みへと
人は沈んでしまうのだろう
人はそういう切ない生きものなんだろう
なんて
なんだか悟った気になるベランダ
夕風がつめたい もちろん服は着ている
めったに吸わないけど煙草がほしいな
ただなんとなく
ひとみの海は ゆらゆらと波打って
ときおり まぶたの浜に
ぽろぽろと打ち寄せる
頬に 熱いものが過ぎ
その跡に 冷えた小径ができる
ぼくは わからない
どうして 今になって
君のことなんか 思ったりしたのか
ぼくには わからない
たぶん、大したことはないよ
散歩から帰ってきた母と入れ替わりに
私も外へ出た
6時を過ぎたばかりの夕方の空は
まだ明るい
スロープ状の坂を下って
土手へ降りると
むうっした草独特の臭いが
マスク越しでも鼻についた
手入れもされず伸び切った雑草が
風で揺れている
思わずマスクの上から鼻を手で押さえ
土手沿いの白い道を早足で歩く
川は少し陰り気味の陽射しを浴びて
白く襞を帯びながら輝いていた
川に沿って土手に設置された
コンクリートのベンチの側では
若い男性が手足を動かして
何やら屈伸運動でもしているようだった
少し過ぎると
小型の可愛らしい犬を連れたご婦人とすれ違う
犬は飼い主にリードで制されているためか
吠えもせずに大人しく付き従っていた
桜の木が何本も聳え立つ草むらで
外国人の男性が訝しげに
私の顔をジロリと睨みつけてきたが
私は構わず脇を通り過ぎ
とうとう橋の下を二箇所潜り抜け
北大路橋の袂までやってきた
もうかなり日も落ちてきていたが
橋へと繋ぐ階段を登り
そのまま橋を渡る
明るく賑やかな光に彩られた
北大路通りへとは向かわずに
自宅の方角へと向かうため
黒く繁った土手に降りると
暗くなりはじめの景色は
行きの頃とは一変し
流石に不気味さを醸し出していた
歩いていても
ゴミを一纏めに入れたビニール袋が
闇に蹲る白い獣のようなものに見えたり
暗闇のベンチの上でお互いの体をノリのように
くっつけ合っていちゃついている
若いカップルのけたたましい嬌声が
背筋を凍らせるほど悍ましい
怪物の声に聞こえたりする
こういう時なぜかほっとするのは
ランニング姿で元気に通り過ぎる
初老の女性だったり
俯き加減で冷たい椅子に腰掛け
携帯を触る男性だったりする
人なのか物なのかそれとも物怪なのか
判別しにくい暗がりで
ただ人が少しでもそこにいることの安心感
私は歩くペースを早め
できるだけ暗くなり切る前に
家に着きたい一心で歩く
我が家へと続く橋へと辿り着いた時の達成感
しかし家路に着いた途端
腰に巻いたカーディガンを落としてしまったことに気づき
また来た道を戻り探す羽目となる
地面に落ちてないか俯きながら探し回った結果
紺のカーディガンは自宅近くの橋を降りてすぐの
土手のところに
暗い地面に溶け込ますかのように
本体をべったりつけて待っていた
私は家に帰ってすぐさまカーディガンを
洗濯カゴに放り込み
温かい湯船へと飛び込んで
気持ちよく汗を流した
分厚い精神分析の書籍に
私情を挟んだ
しをりを失くした
俺は父性を探し求めていたが
幼少期は父の顔をよく間違えていた
たまに目の前に現れる父は
いつも未来から訪れる俺の姿だ
心の井戸を掘り進めるのはやめることにする
真っ暗で母の香りにしか辿り着けないから
全ての井戸は海へと繋がることを知ったから
人生のページを捲るうちに
言葉のナイフは鋭くなり
解釈が上手くなった
頭を切る仕事ではないのに
愛することができず
花ばかり切り落としてしまう
暗いソファの上で分析に明け暮れていたから
しおりは出て行ったのだ
地上に上がり海辺のカフェに入った
久しぶりに分厚い四季報を捲った
色彩の眩しさでテーブルが現実に染まる
痛みは解釈では切り取れない
抱きしめて受け入れるしかないのか
分厚い精神分析の書籍に
詩情を挟んだ
前の席に座っている
しをりをみつけた
もう ずっとずっとずっと 前
深夜に息子がビショビショで帰ってきた
最寄り駅から電話をかけてきたとき
自転車で帰ると言うから
「傘持ってるの?」
「うん」
なのに ずぶぬれで帰ってきた
「傘は?」
「ずぶぬれの傘のない人が居たから貸した」
(貸したんじゃなく それは あげちゃったんだろが
まぁいいか。。)
あのねぇ その人もずぶぬれだろうけど
お前だって ずぶぬれやぁん
「だって 僕は帰ってすぐ風呂へ入れるから」
あのなぁ・・
その人だって帰ってすぐ風呂へ・・
ま・・・ いいかぁ
深夜遅く帰ってきたこと
連絡が かなり遅くなってから来たこと
怒りました 当然
昨今の日本が わけのわからん
理解できない事件がやたら起きていて
そんな時期に 深夜まで連絡無しで子供が帰らなかったら
どれだけ心配するか どれだけ探し回るか
怒ったし 胃の痛む思いを訴えたし
そこへ 「傘 あげました」
「びしょぬれで可哀想で・・・」
これは・・・
怒れません
文句も言えません
お前なぁ 傘だって無料じゃねーんだぞ
・・・なぁんて
思っても 言いません
そかぁ その人は助かったねぇ
早く お風呂入って 風邪ひかないよう寝るんだよぉ
息子が寝た後 ふと 思いました
思ってしまいました
深夜の駅
傘を差した男の子
「ど-ぞー」 傘を差し出す
「え? だって 君は?」
「私はありがたいけど 君だって濡れるでしょう?」
そんな想像
そうして
「ありがとうね」
「君の気持ちはすごく嬉しい」
「でも 君も濡れちゃうんだから」
「気持ちだけありがたく貰うね」
あたしの中の 想像
あたしの中の実際怒り得る現象
でも・・
それはなにもなかったらしい
「あ ありがとう」
傘を貰った(借りた?)人はそのまま
当たり前のように走り去る
それが 現実
それが これから
この息子達が生き抜いてゆく 現実の社会
ねじくれたメビウスの輪は
それでも ちゃんと 輪になって繋がってはいるけれど
もう ねじれた輪すら ここにはないのだろうか
この子達は どこに行くのだろう
私たちは どこに 連れていこうとするのだろう
傘をさして帰った人の心に
その傘はずっと さされ続けるのだろうか・・
雨が上がると同時に
全ては 消え去ってしまうのだろうか
なにもわからないまま
それでも私はやっぱり
「その人は 濡れなくて良かったねぇ」
きっとそうしか言わない
言えない
そんな 我が家の
雨の 物語・・・
市内から山に向かって
車を走らせる
やがて峠が見えてくる
峠を越えると道の駅があり
そこを通り過ぎて右に曲がると
小さな寺がある
今は赤い芍薬の花が出迎えてくれる
私のルーツはこちらの寺だ
祖父がお寺の子だったから
小さい頃は父によく連れられて来た
そんな記憶がある
ただその記憶は高校生で途切れる
父にとって出来損ないだった私が
寺への同行を求められなくなったからだ
あれから30年
父の一回忌を迎えた
かつて父の車で行った道を
今日は自分の車で走る
我が家から山に向かって
峠を越えて少し経つと
緑に囲まれた静かな寺に着く
住職は当時から代替わりして
私と同い年の親族になっている
住職は私の空白の期間について
何も聞かない 私も何も言わない
ここは交差点です
お父さんとまたここで会える場所です
住職が優しく話を始めた
これからお父さんはあの世から
私は家からこの交差点を目指し
何がどうあったとて血縁は続き
これからも繋がっていくのだろう
きっかけを探してる
テストの範囲の事
数学の授業の事
毎回 こんな事ばかりLINEで聞いて
きっと良いイメージ無いよね
それでも繋がってるって感じたい
『既読』が付いて返信が来て
細い細い糸でも良いから
繋がってるって感じて
安心する
今夜も君からのLINE
今夜は今日の数学の授業の事
知ってるよ
ちゃんと授業を受けてる事
だって ずっと見てるから
いつもの様に聞かれた答えをそのまま
それだけを返信してしまう
『何してたの?』さえも聞けない
もう少し勇気があれば…
そっけない奴だと思われてるかな
きっかけを探してる
二人は些細なきっかけを探してる
でもそれは少しの勇気で見つかるのに
授業では教えてくれない恋の方程式
答えは数学の様に一つとは限らない
でも もうすぐ見つかる気がする
細くても糸で繋がれた二人
LINEより言葉で見つけてみて
見えない敵が密林の中でじわじわと輪を狭めてきたとき、それでもあなたは「無益な人殺しはしない」と言って捕虜を解放してやりました。自分がどこにいるか教えるようなものなのに…そして、逆に自分が政府軍に捕えられ、長いゲリラ闘争に自ら終止符を打ちました。しかし、青春のさ中で詩人になるべきか、それとも革命家になるべきか、選択に苦悩したあなたにとってこれほど相応しいエピソードはない、とわたしは思います。
なぜなら、あなたにとって、革命とは単に社会の変革であるにとどまらず、精神を隷属状態から解放することも意味していたからです。だから、それまでの革命闘争のあらゆる瞬間で、あなたは如何なる先入観からも偏見からも距離を保ち、あくまで自分の信念に従って判断したのでした。その判断はときに一切の妥協を許さなかったゆえに、やがてあなたは孤立し、長年の盟友と袂を分かつ結果を招いたのです。しかし、まさにその行為こそ、精神の自由を追い求める詩人の魂の為せる技ではなかったでしょうか?
あなたが銃殺されて既に五十年余。その間、圧制からの解放運動が世界の各地で起きるたびごとに、その変革は「春」に例えられ、そして必ずあなたを「イコン」に選んできたのです。学生運動に参加したわたしにとっても、あなたは大義に殉じた英雄でした。そのころ、既に退潮期にさしかかっていたとはいえ、学生運動の熱気は未だ冷めやらず、わたしたちは学費値上げ反対のストライキを呼びかけたり、ベトナム戦争反対のアジ演説をぶったりと、学業そっちのけで駆け回っていたものです。その当時、既成の左翼に飽き足らないわたしたちは、行きつけの安酒場にたむろしながら、夜を徹して「人間の顔をした社会主義」について語り合い、あなたに熱いオマージュを捧げたのです。
ところが、時代の変化は予想以上に早いものでした。過激派による連続爆破事件が潮の変わり目となり、学生運動は、穏健なグループまでひっくるめて、世間の厳しい批判にさらされたのです。わたしたちのメンバーも櫛の歯が欠けるように一人、また一人と抜けて行きました。「もう、ここらへんで足を洗わないとな…」そんなセリフを残して去っていく仲間に対して、わたしは釈然としない思いに囚われたものです。「『足を洗う』だって?俺たちは何も悪いことはしちゃいない。それに、そんなに簡単に自分の信念を捨てられるものだろうか?」
実際、つい昨日まで「資本主義の奴隷になんかなってたまるか!」などと威勢のいいセリフを口にしていた連中に限って、ちゃっかり一流企業に就職して行きました。その変わり身の早さといったら呆れるほどです。それに対して、わたしは自分がやってきたことに対するこだわりをどうしても捨てられませんでした。ほそぼそとガリ版で刷ったビラをキャンパスの広場で配りながら、反戦デモへの参加を呼びかけている孤独なわたしの姿は、周囲からはさぞ滑稽に見えたことでしょう。
結局、大学を中退したわたしは、食いつなぐために職を転々とせざるを得ませんでした。もっとも、一つの会社に落ち着いて、昇給昇格を目指すつもりもなかったのですが、それにしても定職のないつらさは想像を超えていたのです。恋人も、そんな生活を続けるわたしに愛想を尽かして去って行きました。これにはとことん参りました。がらんとした部屋に一人取り残されたとき、もはや革命の夢も愛も詩も何もかも失われた、そう観念したのです。
吹きっさらしになった心を抱え、自暴自棄になっていくわたしを見かねて、今はもうすっかりエリートサラリーマンになっていた昔の仲間が、就職先を世話しようと申し出てくれました。ただし、次のように釘を刺すことも忘れずに-
「おまえも、この機会にもっと大人になれよ。精神分析学者の誰それによると『未成熟な人間は、理想のために高貴な死を選ぼうとする』そうだ。おまえも大義だの何だの言って格好つけてるうちに『高貴な死』どころか、危うく『野たれ死に』しかけたわけだろう?これからはカタギに戻って普通のサラリーマンになってくれ。それができないようなら、この話はナシだ」
何を言われても、屈辱を耐え忍んで受け入れました。今、この友人の申し出を拒否すれば、本当にこの社会からドロップアウトしてしまいそうで、怖かったのです。
それから、わたしの長い長い砂を噛むようなサラリーマン生活が始まりました。厳しい上下関係が支配する階級社会の現状は、聞くだけではなく、やはり体験してみないとわからないものです。例えば、上司から部下に対する露骨な精神的暴力は日常茶飯事であり、これに加えて、社員同士の足の引っ張り合い、根拠のない誹謗中傷、女子社員への嫌がらせ、果ては取引先との癒着、不公平なリストラに至るまで、ストレスを引き起こすネタには際限がありません。わたしなどは、既にして出世する意欲もありませんから、ただ小心翼翼と日々をきりぬければいいわけですが、家族持ちの社員であればそうはいきません。厳しい競争社会の中で地位を上げて収入を増やさなければならないのです。ところが、まさにこうした社員との出会いが、わたしのサラリーマン生活の転機となったのです。
あれは、入社してもう二十年近くたったときのこと、その年の四月に課長として着任し、新たにわたしの上司になった人は一流大学の卒業生、将来を嘱望される人材で、私生活でも大学の同窓生と結婚したばかり、まさに順風満帆のときと見えたのです。しかし、サラリーマンの世界とは何かとうまくいかない事情が持ち上がるものです。その課長の上司に当たる部長が、学歴で上回る課長のことが気に入らず、何かにつけて嫌がらせを始めたのです。
この課長は育ちの良さを感じさせる人で、温厚かつ実直、その上、傲慢なところはなく、わたしのような十歳も年上のお荷物の社員にも、敬意を持って丁寧に接してくれました。ただ、少しばかり素直すぎ、まだまだ人を信じやすいところがあったので、そこを陰険な部長につけこまれたわけです。
その朝も週初めのミーティングの席で、部長が、あるプロジェクトの進捗が遅い、と課長をなじり始めたのです。それもわたしたち平社員のいる前で。そのプロジェクトは、課長の指示のもと、わたしも携わっていましたから仕事内容はよくわかったのです。率直に言って部長の叱責は的外れもいいところで、しかも、進捗が遅くなったのは、部長がおそらく意図的に、課長をはじめわたしたちに必要な情報を与えていなかったからでした。
それにもかかわらず、今わたしの目の前で課長はじっと暴言に耐えているのです。確かにその人は立場的には上司ですが、まだまだ青年の初々しさを残していて、その分、いかにも頼りなげで辛そうで今にもポキンと折れてしまいそうです。
まさにその瞬間です。人生の後輩が不当な扱いを受けているのを、もはや見過ごしにはできません。わたしの心の中に数十年にわたって眠っていた「不発弾」が爆発したのです-学生運動のときの信念がよみがえったのです。相手が部長だろうが何だろうが関係ありません。
「もういいかげんにしたらどうですか!プロジェクトの遂行にとって必要な情報を部下に迅速に共有させることこそ、部長の責任じゃないですか?課長には何も責められるようなところはないですよ!」
「なんだ…おまえ…お荷物のくせして…何を偉そうなこと言ってんだ…黙ってろ!」
「いいえ、黙りません!みんなで一つの仕事を心を合わせてやるんだから、メンバーの立場は平等なはずだし、発言も自由であるべきです!」
わたしの思いがけない発言に不意打ちをくらって、しどろもどろになりながらも、部長が何とか反撃にうってでようとする、その前に
「とにかくプロジェクトが遅れているのは確かなのだから、課内で早急に議論して対処方法を考えましょう!」
と課長がその場を引き取りました。どうやら元気を取り戻してくれたようです。
その晩のことです。終業後、課長が一杯やりませんか?とわたしを誘ってくれました。
「今日はありがとうございました。わたし自身、部長になんだかんだいわれて内心だいぶ動揺していたので、あのとき○○さんに助け舟を出していただいて、ようやく落ち着くことができました。これからも、よろしくお願いします」
「いや、大したことしてません。それより、課長こそ毎日本当にお疲れ様です。何事にも全力で取り組んでおられる。その上、わたしみたいな役立たずのめんどうまで見て下さって、頭が下がります」
「○○さん、ご自分が役立たずって思ってるんだったら、それは誤解ですよ!うちの課の若いメンバーがみんな言ってます。○○さんがいてくれると、その場の風通しがよくなるみたいだ、とか、不思議とギスギスした雰囲気がやわらかくなる、とか。あと○○さんには、きっと自分たちが知らない、いろいろな人生経験があって、それを肥やしにしているから大抵のことには驚かず、いつも落ち着いていられるんだとか。要は○○さんは、うちの課がバラバラにならないようにまとめる接着剤であり、重石なんですよ。それにしても、あの『メンバーは平等で自由』って言葉、感激しました!」
課長のその話を聞いて正直びっくりしました。まさか、そんなふうに見られていたとは…。自分ではただただ臆病に目立たないように生きてきたつもりなのに。ひょっとして出世とかに全くこだわらず、あくせくせずに、なべて「柳に風」と受け流す様子が、却って若い世代の人には新鮮だったのかもしれません。
いずれにせよ、これまでサラリーマン生活を続けてきて初めて居場所を見つけた気がしました。課長からはそれまで以上にいろいろと意見を聞かれるようになり、課内の社員からも様々な相談を受けたり、ときにはプライベートな打ち明け話をされたりもしました。わたしの立場の変化と並行して課としての団結も強くなったような気がします。課長もそれに手応えを感じ、自信がついたようです。やがて会議の席でも部長と堂々と渡り合うようになり、その姿は頼もしく見えました。こうなると部長の嫌がらせも効果ナシです。
早いもので、もうそれから十年以上が経ち、来年でわたしも定年です。あのときの課長は、部長、事業部長と昇進しましたが、謙虚な姿勢は相変わらず。今でもわたしと会うと「あの『メンバーは平等で自由』って言葉、今でも座右の銘にしてます」などと言ってくれます。
わたしは相変わらず平社員のままですが、あのとき課長に自分の存在理由を気づかせてもらってからは、生きがいというほど大仰なものではありませんが、少なくとも充実した気持ちで日々を過ごしてきました。なぜなら、それぞれのメンバーが一つの目標に向けて心を合わせて仕事するグループに加わって、ささやかながらも自分の役割を果たせているからだと思います。
ところで、あの精神分析学者の誰それとかの言葉「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある」には、まだ先があることを最近になって知りました。
「これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」
と続くのだそうです。何かしらわたしの辿った道筋を暗示しているかのようです。
というのは、確かにわたしは、あなたのように鮮烈な人生の軌跡を描くことはできませんでした。それでも、わたしなりに、周りの人々との関わりの中で、誠に小さいものではありますが「理想」に貢献することはできたかもしれません。そのことを報告して、あなたへのオマージュ、いや、わたしの風変わりな身の上話の結びとさせて下さい。(了)
今日が無事 終わることに喜びを
明日がまた 続くことに感謝を
虹の橋をかけよう 希望の空に
どんより雲は今はいらない
神様が与えてくれるもの
自分で叶えるもの
どちらを優先するのか
選択する権利は僕たちに委ねられている
ひとつずつ確実に
だから今日がある
今日は一日だけ
昨日も明日も一日だけ
積み重なる
一週間
一か月
一年
しっかり大事に生きよう
その先にはきっと
大きな喜びがある
悩むこともある
怒りもある
悲しみもある
焦らず一歩ずつ進めばいい
ときには立ち止まって
美しい風景を眺めよう
心は君の味方だ
眼も鼻も口も手も足も
全て君のものだ
君が動かすんだ
心臓の鼓動を
高ぶる鼓動をしっかり受け止めて
煌めく想いをそっと抱きしめて
今日を生きよう
素晴らしい明日に繋がる今日を
かすかな祈りを捧げよう
幸せが訪れますように
私は叶えたいことができました
それは絶対に叶えたいことです
いいえ絶対叶えます
私は人を好きになりました
私はその人を愛しています
でもそれが正しい愛かと聞かれたら
いけないことと多くの人は言うでしょう
なぜなら愛する人は結婚しているから
私がその人を愛する事はいけませんか?
本当に心から愛しています
沢山の批判や誹謗中傷は覚悟しています
私はどんなことがあっても
その人との愛を叶えます
どんな事も乗り越えます
その人への本当の愛だから
絶対に二人でこの愛を叶えます