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遅くなり申し訳ありません。
お待たせいたしました。
5/20〜5/22にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩をありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
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☆「テトリス詩」 松本福広さま
松本福広さま、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
評の前に⋯「海峡派」163号にて古賀博文様よりMY DEARが紹介され、紙媒体詩誌と変わらぬレベルを評価されたという嬉しい知らせを拝読しました。
その代表として松本さんの詩が取り上げられたことは、松本さんの詩がMY DEAR抒情詩の代表的なものである証だと思います。
毎回素晴らしい詩をご投稿いただき、MY DEARの一員として、私からも改めてお祝いと感謝申し上げます。
さて、評に移りますね。
出だしから⋯
私もコーヒーを吹き出しました(笑)
「明日の天気は晴れ後テトリスとなるでしょう」
なんじゃこりゃ(笑)
しかし、読み進める内に、大変共感を覚えました。
テトリス…私も好きですがとても苦手です。
あっという間に上まで積み重なってしまう不器用な自分を思うにつけ、これは正しく人生そのものだなあと改めて気付かされました。
素晴らしい視点だと感心しました。
テトリスという身近なゲームを、人生や創作のメタファーとして見事に昇華させた、ユーモラスで詩情豊かな作品だと思います。
テトリスのブロックが降るという斬新なイメージを通じて、人生や創作における完璧さと不完全さの葛藤を巧みに描き出していますね。
先にも記しましたが、冒頭の「明日の天気は晴れ後テトリスとなるでしょう」というシュールな一文がとてもきいています。
日常に突如現れる非現実的な状況をユーモラスに提示し、「味噌汁を吹き出した」という反応がその意外性を強調することで、読者を一気に詩の世界に引き込みます。
「正四角形、Sの字、Lの字」と具体的に描写されるブロックが「回ったり、左右に移動しながら/ゆっくりと降っていた。」様子は、テトリスの視覚的イメージを鮮明に呼び起こし、人生や創作の断片的な出来事を象徴しています。
この視覚的で具体的な描写は、抽象的なテーマを身近に感じさせる点で、非常に優れていると感じました。
詩の中心テーマは、「隙間なく綺麗に長方形が作られると」「消えていく」完璧なブロックと、「隙間だらけの」「積み損ない」が「くすぶったかのように」残る不完全なブロックの対比にあるように思います。
社会に受け入れられ「世界へと消える」成果と、個人の内面に残る不完全な思いや言葉の対比が象徴されており、「揃えられないままで形を残す」葛藤は、読者の共感を強く誘います。
特に「積み上げるとゲームオーバー。」や「テトリスの雨で/埋め尽くされる、自分の詩。」という表現は、創作や生きる上でのプレッシャーと失敗への恐れを切実に伝え、詩のリズミカルなテンポが、テトリスの加速感とリンクし、緊張感を効果的に高めていると感じました。
「世界へ消えたものは誰かへと届く」に対し、「残ったままの/私の言葉は/私にしか残らない」という一節は、個人と社会の断絶を鮮烈に浮き彫りにしているように感じます。
終盤の「I(アイ)が降ることを祈る」希望と、「当てはまる言葉を見つけられないまま埋められていく」結末は、解決を求める心情と不完全さの受容を織り交ぜ、強い余韻を残しますね。
この未解決感はこの詩の魅力でもありますが、結末がやや絶望的に傾いてしまうので、例えば、積まれた塊の中に小さな希望や発見を示すような一節を加えると、読後感に温かみが加わり、また違った趣きを与えてくれるかもしれません。
日常的なゲームを詩的メタファーに変え、ユーモアと切なさが共存する奥深い作品でした。
ユーモアと詩情のバランスが絶妙で、人生や創作の不完全さを愛おしく思わせ、読者に自分の「積み上げ方」を振り返らせる力を持つ素敵な作品だと思います。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
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☆「ライフ」 喜太郎さま
喜太郎さま、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
人生の振り返りと自己受容をテーマにした内省的な作品ですね。
読み手の心に静かに響く力があります。
人生の喜びや悲しみ、愛や涙といった普遍的な経験を、飾らない言葉で丁寧に描き出すのは、喜太郎さんの得意となされるところですね。
冒頭の「このまま生きてて良いのかしら」という問いかけは、人生への疑問を率直に表現しており、読み手に共感を呼び起こします。
この一行だけで、詩のテーマである「人生の意味」や「自己肯定」への探求が明確に伝わってきます。
産まれ、育てられ、恋や愛を経験し、さまざまな涙を流してきたという具体的なエピソードが連なることで、リアリティと深みが加わっていきますね。
素晴らしいのは、詩の後半で感情が動いていく過程です。
「私も歳なんだなと感じて苦笑い」
歳を重ねることへのほろ苦い自覚が描かれ、読み手に時間の経過とその重みを感じさせます。
そこから「あの頃に戻りたいと思える過去がある」という気づきを経て、「苦笑いが微笑みに変わってた」という転換が非常に印象的です。
この感情の変化は、自己否定から自己受容へと向かう心の動きを自然に表現しており、希望や温かさのようなものを感じました。
最終連の「少し解けない問題の答えが/少し見えた気がした/少し感じた気がした」という繰り返しは、完全な答えには至らないものの、かすかな光を見出す繊細な感覚を伝え、詩に余韻を残しているように思います。
この曖昧さが、逆に人生の複雑さや美しさを象徴しているようで、読み手にも思索の余地を与えてくれているようにも感じました。
平易で口語的な言葉遣いも、友人に語りかけるような親しみやすさを生み出していますね。
「し」「わ」といった語尾や、「それなりに」「ああ」といった表現が、リズムと人間味を与え、読み手の心に寄り添う効果があります。
全体のトーンが穏やかで、自己を肯定する過程が静かに、しかし力強く描かれている点も、この詩の大きな魅力です。
すでに詩として完成されていますが、エピソードなどを入れてもう少し具体的に描写することで、読み手の想像力がさらに刺激されるかもしれません。
例えば、「悲しみの涙も/嬉しさの涙も/いろんな涙も流したわ」という部分ならば、どのような場面での涙だったのか…。
「戻りたいと思える過去がある」という気づきに、どのような「過去」の断片が心に浮かんだのか、少し加えていただけると、その気づきの重みがより伝わりやすくなると思います。
短く簡潔な手法に加え、感情の動きをもう少し掘り下げ、テーマの深みをさらに際立たせることをお考えいただけると、さらに詩の幅が広がるのではないかと感じました。
人生の振り返りと自己受容という普遍的なテーマを、内省的な視点と優しい語り口が見事に浮かび上がらせており、読後には温かな気持ちが残りました。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
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☆「君の膝はパッションだった」 荒木章太郎さま
荒木章太郎さま、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
心を強く揺さぶる、情熱的で鮮やかな詩ですね。
日常の些細な観察から始まり、情熱や自己肯定、自由への渇望といった大きなテーマへと展開する流れが非常に魅力的でした。
「君の膝はパッションだった」という題が、既に詩文の冒頭を形成しているような感もいたします。
破れたパンツの膝という具体的なイメージを、情熱という抽象的な概念に結びつける巧妙な表現で、読者を一気に詩の世界に引き込みます。
特に「ファッションは/パッションになり、/爆発力となる」という詩文は、個人の装いが内面のエネルギーを象徴する瞬間を力強く捉えており、詩の核心を鮮明に伝えています。
やくざの刺青、海賊の傷、髑髏の旗といった歴史的・文化的なモチーフを現代の自己表現や自由への思いに繋げる展開は、詩に深い奥行きを与え、読む者に強い印象を残すと感じました。
さらに、「自己犠牲」「自爆テロ」といった重い言葉を用いつつ、「馬鹿じゃないの」と笑い飛ばす軽妙なトーンへの転換は、深刻さとユーモアのバランスが絶妙で、感情の起伏が読者の心を掴みます。
このような感情の揺れは、「まず、自分を大切にするのだ」という肯定的な結論に繋がる流れをより際立たせ、希望の光のようなものを感じさせます。
終連の「線路に落ちようとする/俺のパッションを、/しっかりと掴み取るように」は、向こう側のホームにいる「君」との繋がりを通じて自己の情熱が肯定される瞬間を描き、温かみと救済の感覚をもたらしているように感じました。
この結末は深い余韻を残し、詩全体のテーマである自己と他者、情熱との向き合い方を美しくまとめていますね。
非常に素晴らしい作品ですが、さらなる洗練のために少しだけ提案させていただくとすれば、テーマやイメージが多岐にわたり、壮大に広がりゆくので、中心となるテーマを見失いがちになる懸念があるように感じられます。
もう少し絞り込むと、より一貫性が増すかもしれません。
例えば、「やくざの刺青」から「死神」「天使」へと続く流れは魅力的ですが、イメージの連なりがやや散漫に感じられるおそれがあります。
中心テーマを明確にすることで、詩の力がさらに引き立つのではないかと感じました。
情熱と繊細さが融合し、すでに大きな輝きを持っていますが、さらなる磨きで一層の魅力を放つ可能性を秘めていると感じています。
素敵な作品をありがとうございました。
御作、佳作とさせていただきます。
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☆「関心を持つ」 樺里ゆうさま
樺里ゆうさま、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
大学時代に指導教官から受けた「歴史学をやる上で大切なのは 人間に関心を持つこと」という言葉を軸に、自己探求と内省を深く掘り下げられていると感じました。
率直な内面の吐露と、歴史学や人間関係に対する複雑な感情が、繊細かつ真摯に描かれており、深い共感を呼び起こします。
全体的に、詩のトーンは静かで内省的でありながら、問いかけの積み重ねによって情感が豊かに響きます。
特に、内面と向き合いながら、指導教官への問いを過去と現在で繰り返す構造から、時間の経過とともに変わらない葛藤が効果的に表現されていると思いました。
御作の魅力は、自己の限界や疑問を隠さず、それを詩の中心に据えることで、普遍的な人間の悩みを浮かび上がらせている点にあると思います。
言葉選びは平易でありながら、感情の機微を捉える繊細さがあります。
「先生」という呼びかけが繰り返されることで、指導教官への敬意と親しみが感じられますね。
この反復は、詩にリズムを与え、読者をも内省の旅に引き込む効果があります。
また、問いと答えの応答のような流れは、親しみやすさと詩的な余韻を両立させていると感じました。
「この世には/自分一人では出せない答えが あるのだから」という詩文は、詩全体のテーマである「人間への関心」を再び強調し、自己完結への反省とともに、他者との対話の必要性を静かに訴える力強い結びとなっていると思います。
対象(作品や歴史上の人物)への愛と、生きている人間への関心とのギャップに悩む姿は、多くの学問に携わる者の共感を得ると思います。
特に、歴史学を愛する者が過去の人物や遺物に心を寄せる一方で、現代の人間関係に距離を感じるという心情は、歴史学を学ぶ者の特有の感性を鋭く捉えていると感じました。
詩のテーマが個人的な悩みを超えて、普遍的な問いにつながっていることも魅力的だと感じました。
「人間に関心を持つ」とはどういうことか、という問いは、歴史学に限らず、あらゆる学問や人生において重要なテーマであり、読者に自己の生き方を振り返るきっかけを与えてくれるように思います。
少し欲を申し上げるならば、具体的なエピソードやイメージを少し織り交ぜると、読者にとって詩人の感情がより立体的に伝わるかもしれません。
歴史学を学ぶ者の内面の葛藤と、自己と他者との関係性を丁寧に描いた素晴らしい作品でした。
ありがとうございました。
余談ですが、私も学生時代、歴史学を専攻しておりました。
従って、ゆうさんが課題とされた「関心をもつ」ことについては私も考え続けている問題であります。
私も同様の経験がありました。詩の評から外れてしまいますが、私なりに考えたことを述べさせていただきますね。
歴史学における「人間への関心」とは、過去の人間が何を考え、どのように生き、何を遺したかを知りたいという好奇心から始まると思いますが、それは同時に、現代の人間との関わりを深めることにもつながります。
ゆうさんが絵や音楽、物語、歴史に心を寄せるのは、すでに人間の創り出したものへの深い関心の表れです。
しかし、生きている人への関心が薄いと感じるのは、歴史学を愛する者として自然な一面でもあるとも思います。
過去の人物は安全な距離にあり、解釈の自由が許されますが(史料吟味は別問題として)、現代の人間は複雑で、時に予測不可能です。
それでも、歴史学が教えてくれるのは、人間は過去も現在も同じように喜び、悩み、葛藤してきたということです。目の前の人を「歴史の一部」として見る視点を持つと、億劫に感じる人付き合いも、まるで史料を紐解くように好奇心を刺激するものになるかもしれません。
たとえば、誰かの何気ない言葉や行動を、歴史上の人物の動機を推理するように観察してみると、新たな発見があるかもしれません。
指導教官に直接問えなかったのは、きっとその時の自分を守るための選択だったのだと思います。
詩の最後に「いつの日にか/あなたのお考えを 聞きに行ってもいいでしょうか」と記されたそのお心は、すでに他者との対話への一歩を踏み出していると感じます。
歴史学は、過去を通じて現代の人間を理解する学問です。
ゆうさんが愛する歴史の物語は、生きている人々の物語ともつながっています。
少しずつ、目の前の人に小さな問いを投げかけてみてください。
そこから、歴史を紐解くような喜びが生まれるのではないかと私は考えています。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。
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☆「ナニカたちの世界」 aristotles200さま
aristotles200さま、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
「予定調和」という言葉への違和感から始まり、内面的な抵抗感が率直に表現されていると感じました。
「言葉の暴力」「真綿で首を絞められるような感覚」という強烈な比喩は、調和ということばのもとに押し付けられる同調圧力への批判を効果的に伝えているように思います。
導入部は、哲学的かつ感情的な問いかけとして、魅力的であると感じます。
続く部分では、個人が社会の「予定された調和」に飲み込まれていく過程が、息苦しいほどに生々しく描写されます。
「慎ましく笑顔を浮かべる」「薄笑いを浮かべて、皆と同じように奇声を上げる」という表現は、表面的な同調と内面の違和感の対比を見事に描き出し、現代社会における個の疎外感を象徴していますね。
特に「こここそ、狂気の世界である」という一文は、詩全体のトーンを一気に高め、集団の無意識が個を支配する恐怖を鮮やかに浮かび上がらせます。
詩の感情的なピークとして非常に効果的で、強烈な印象を与えていると思いました。
「微笑みの仮面を被ったナニカ」というイメージは、匿名的で無機質な集団の存在を視覚的に表現し、不気味さを湛えています。
後半では、私の「声なき悲鳴」や「街へ飛び出す」行動が、抑圧からの解放を求める叫びとして力強く響きます。
しかし、「ナニカたち」に追われ、ついには「私もナニカである」と自らを同化させる結末は、絶望的でありながらもリアリスティックです。
この転換は、個が集団に飲み込まれる不可避性を示唆しているようです。
「私たちはナニカである」という最終行は、個の喪失と調和の勝利を冷徹に突きつけ、詩のテーマを完結させます。この結末の重さにより、社会の構造や自己の立ち位置を改めて考えさせられますね。
鮮烈なイメージと感情の強さ、比喩や表現が具体的で、直接訴えかけられているため、抽象的なテーマが非常に身近に感じられるのが、大きな魅力かと思いました。
詩の構造が徐々に緊張感を高め、絶叫から静かな諦めへと移行する流れは、感情の起伏を巧みに表現しており、読者を引き込みます。
「ナニカ」ということばは、集団の無個性さを効果的に象徴し、独自の雰囲気を付与しています。
とても素晴らしい作品なのですが、詩の展開がやや直線的で、感情のピークが複数回繰り返されるため、中盤でやや冗長な印象を与える可能性もあるような気がいたしました。
また、最終行の「私たちはナニカである」は強烈ですが、急激な同化の描写がやや唐突に感じられなくもありません。
私の内面の葛藤や諦めの過程をほのめかすような表現を加えると、結末の説得力が増すように思いました。
そして、aristotles200さんの他の詩にも度々使用される冒頭の「・」について私なりに検証いたしました。
冒頭のこの記号は、詩に独特のリズムと視覚的効果を与え、断片的な思考や感情の分断を表現しているのではないかと考えます。
作者の意図として、個の断絶や社会の機械的な繰り返しを象徴しているのかもしれません。
詩の形式としては、このような記号の使用は現代詩においてあり得ますし、実験的な試みとして興味深い効果を生んでいると考えます。
詩の断片化された構造とテーマがマッチしており、「ナニカ」の無機質さを強調する役割を果たしているようにも思いました。
ただし、視覚的にやや散漫な印象を与える可能性もあり、読者によっては流れを分断するノイズと感じる場合も考えられます。
もし意図が明確でない場合は、記号を省略するか、特定の節でのみ使用することで、効果をより集中させることをご検討されるとよいかもしれないと思いました。
総じて、「ナニカたちの世界」は、現代社会の同調圧力と個の葛藤を鮮やかに描き出した、感情的かつ思想的に深い作品でした。
鋭い感性と表現力は素晴らしく、読者に強い印象を与える作品に仕上がっています。
佳き作品でした。
ありがとうございました。
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☆「ULTRA PANDEMIC」 いありもたにMさま
いありもたにMさま、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
まず、「ULTRA PANDEMIC」というタイトルから考えました。
「パンデミック」は、感染症の世界的大流行を意味する言葉で、ギリシャ語の「パン(全て)」と「デモス(人々)」に由来しますね(他説あり)。
「ULTRA」を加えることで、「極端な」「超大な」パンデミック。
つまり単なる病気の大流行を超えた、破壊的で宇宙規模の混沌や変革を暗示していると解釈できます。
このタイトルは、詩全体が、社会や宇宙、存在そのものの崩壊と再生をテーマにしていることを示唆するものだと感じました。
「事の発端 全ての崩壊/セント伏魔殿パンデモニウム/悪魔降臨 天変地異にて」という衝撃的なフレーズで幕を開けます。
「セント伏魔殿パンデモニウム」とは、「伏魔殿」(悪魔が潜む場所、陰謀や混乱の象徴)と「パンデモニウム」(ジョン・ミルトンの『失楽園』で地獄の首都、すべての悪魔の集まる場所)を組み合わせたのでしょうか。
聖なる(セント)混沌の場を指していると考えられます。このフレーズは、詩の中心的なイメージとして、秩序と混沌、聖と邪が交錯する場所を象徴しているようです。
「パンデモニウム」という言葉の選択は特に秀逸で、悪魔的な混沌や破壊のイメージを強く印象づけ、詩全体のトーンを決定づけています。
「悪魔降臨」や「天変地異」は、災害や破壊の象徴であり、社会や人間の価値観がひっくり返る瞬間を表していると解釈できます。
この部分は、現代社会の危機(パンデミック、環境破壊、戦争など)を壮大な神話的イメージで表現し、読者に衝撃を与えます。
ダイナミックな始まりは、読者を一気に詩の世界に引き込み、緊張感と不安感を生み出しますね。
「ULTRA PANDEMIC」というタイトルを繰り返し登場させていくことで、詩にリズミカルな一体感が生まれ、口ずさみたくなるような音楽性も感じられますね(B'zの曲がふと浮かんでしまいました。すみません)。
「人類平等 左に倣え/右から数えてクシャトリヤ/我らが銀河の中心は一つ/生命平等 光に倣え」は、平等というテーマを掲げつつ、矛盾や皮肉を織り交ぜています。
「クシャトリヤ」はインドの階級制度の戦士階級を指し、権力や闘争を象徴していると推察されます。
「左に倣え」「右から数えて」という軍隊的な表現と組み合わせることで、平等を強制する社会の硬直性や、階級や秩序への疑問を投げかけていると解釈できます。
「銀河の中心は一つ」「光に倣え」は、宇宙規模の統一や希望の光を暗示し、混沌の中にも調和や救済の可能性を示唆します。
この対比は、詩のテーマである「破壊と再生」を強調し、読者に深い思索を促しているように思います。
こうした哲学的な問いが詩に奥行きを与え、読者に解釈の自由を提供しているのは素晴らしいと感じました。
中盤の「人は光らない/禿げるしかない」は、人間の脆弱さや滑稽さをユーモラスに表現しています。
この突然の日常的な表現は、壮大なテーマに親しみやすさを加え、読者の共感を呼びます。
「地上が指先程度になって/巨大な巨大な世界と宇宙と」は、視点の急激な拡大を表し、個人の小ささと宇宙の広大さを対比させていますね。
後半では、「少しずつで良い/雨漏りみたく」「傷が積もれば/死に至るから」という繊細な表現が登場し、詩に新たな情感が加わりますね。
この部分は、破壊や混沌だけでなく、ゆっくりとした変化や持続の大切さを訴えかけ、希望と忍耐のメッセージを伝えているように感じます。
特に「宇宙に反響板を」というメタファーは、個々の行動が宇宙規模の影響を持つという詩的な発想が素晴らしいと思いました。
終盤で再び「ULTRA PANDEMIC」と繰り返すことで、最初に提示された混沌のテーマに戻りつつ、希望や変革の可能性を残す構成は、詩全体に円環的な美しさを与えているように思います。
この詩の最大の魅力は、壮大なイメージと日常的なユーモア、哲学的な深さとリズミカルな流れが見事に融合している点にあると思います。
言葉の選択やリフレインの効果により、読後にも強い印象が残ります。
破壊と再生、平等と秩序、個と宇宙といった対比を通じて、多層的なテーマを扱っている点も評価されると思います。
詩の流れは非常に魅力的ですが、欲を少しだけ申し上げるならば、一部のフレーズ(例えば「右から数えてクシャトリヤ」や「左から数えてサピエンス」)がやや唐突に感じられる場合があります。
これらの言葉は詩の深みを増す一方で、読者によっては文脈が掴みにくい可能性があります。
もう少しだけ、これらの言葉が詩全体のテーマやイメージにどう繋がるかをほのめかす表現を加えると、より多くの読者が詩の世界に没入しやすくなるかもしれません。
ダイナミックで壮大な印象が残る素晴らしい作品でした。佳き作品でした。
ありがとうございました。
**********
以上、6作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
先日、吹き寄せのお菓子をいただきました。
木の実や落ち葉が1箇所に集まるように…かわいらしいクッキーや金平糖が、星の王子さまをデザインした缶にぎっしり入っていました。
福寄せですね。
紫陽花も雨を集めて、小さな花(萼)一つ一つが福を呼んでくれるような気がいたします。
素敵な雨の日々……皆さまにも福が集まりますように。
紗野玲空
荻座利守様
拙作にご感想くださり、ありがとうございます。
表現や構成を褒めていただき、うれしく思います。
思えば、最近は暗い詩ばかり書いていますね(汗)。あまりに希望が感じられないと、読んでくださる方々にとってもしんどいかもしれませんね。
この詩はまだちょこちょこ直していて、ラストも、語り手が少し安心できるような締め方のバージョンも考えています。まだできていませんが…。
貴重なご意見をありがとうございます。
また機会がありましたら、よろしくお願い致します。
荻座様 いつも丁寧にお読みいただきありがとうございます。今回は、抽象的すぎる作品だったため、評をしていただくにあたって、かなりご負担をお掛けしてしまいました。内なる声を聞き、そこから敷衍してみたのですが、イメージが曖昧なままだったと思います。どこまで背景や状況を書きこむか、おっしゃるとおり、塩梅が難しいとは思いますが、色々と工夫してみたいと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。
島は今 静か
やさしい夕凪に誘われて
わたしは残る
友だちの多くは
島を出て都会に行く
ある人から
母校のために
歌が贈られた
それは
出る人
残る人
それぞれの心に届くもの
わたしは残る
その歌を
朝に夕に口ずさみ
島が華やぐ
美しい春と夏
ここには
日々を過ごすに
すてきなものがある
その全てを愛していこう
海に遊び
森に分け入り
多くの生き物や植物と共に
自分自身を育てよう
たったひとつの信号機
今日もまじめに働く
人も車も自転車も
あまり通りはしないのに
たとえ限られた天地でも
清らかに生きる道はある
わたしは残る
友だちの多くは
都会に行ってしまった
わたしは今も
島の娘
できれば ずっと このままで―
人生は否定のなかの肯定
肯定のなかの否定
の
ひとつの混沌
人々は大平原に
さざめき集う
ひとつの群衆
時に走り散じ走り巡る
僕は思考する
ひとりのモンゴル
神と兄弟が
僕の思考を助け
僕は
ひとつ
解脱する
佳作の評、ありがとうございます。
ラプンツェルの長い髪に花びらやガムをくっついたのを思い浮かべてから、それを無理のない設定という感じでパラレルワールドまで想像が飛びました。
受け取り方は様々でいいのかな?と思う部分ですが……ハッピーエンドよりビターエンドとかが好みの人もいるけども……自分はやっぱりハッピーエンドとか好きなので。
もちろん、書いてくださった現実との対比とか、
諦めなければみたいなメッセージ性とも受け止めていただいても……そこら辺の解釈の余白が詩らしいのかな?と。
ファンタジーにぶっ飛んだ拙作を丁寧に読み取っていただきありがとうございました!
またよろしくお願いします。
荻座利守さま 評ありがとうございます。
アチチもごっこも特にメッセージを持たせたわけではなく、
自然と出てきた表現です。
もう少し何か書きたかったのですが思い浮かびませんでした。
思っていたよりもいろいろ深読みして頂けてうれしいです。
丁寧な感想と評を頂きまして誠にありがとうございます。
4ヶ月ほど前、私がMY DEARで一番最初に投稿した詩の感想を頂いたのが、その時のピンチヒッター評者だった荻座様でした。
再び、荻座様の期間で詩を投稿出来る機会を頂きとても嬉しいです。
今後とも投稿の折には、ご指導を宜しくお願いいたします。
表現の美しさや、面白さは詩を読むにあたってとても重要になってくるポイントですね。頂いたアドバイスを参考に更に詩作に邁進します。(オッ!上手いな!と思ってもらえるような譬喩や例え等を取り入れられるように頑張ります!)
荻座利守様
評と感想、ありがとうございます。
ベートーヴェンの月光のご指摘、その通りです。
実は、楽章ごとの対比詩を用意していましたが、クラッシック音楽のファン、以外の方を置き去りにしてしまうと、敢えて大きな言葉にしました。
しかし、楽章ごとの対比詩を展開しても、私の実力では、とても書き通せなかった気がします。
次回作で、ご指導の部分を活かしたいと思います。
詩、全体に対して、これだけ、丁寧なご指導をいただきましたからには、深く省み、改めるところは改め、ご恩に報いたいと思います。
・に関して、メトロノーム的な効果を期待してで使用していたのですが、確かに効果は疑問です。
本日付けの投稿から、使用しないようにしていきます(過去日付の投稿は・がありますが、お許しを)。
詩を考えていると、ある瞬間、詩の世界が広がっていくのを感じ、とても嬉しくなります。
これからもご指導、御鞭撻のほど、お願い申し上げます
5/27〜5/29ご投稿分の感想と評です。宜しくお願い致します。
尚、それぞれの作者の方々が伝えたかったこととは、異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。
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5/27 「美味しい公園」 相野零次さん
思わず笑みを浮かべてしまいそうな詩ですね。
世界中の公園のブランコに枕を載せる、という発想がとても独創的で面白いです。
また、その上で恋人ごっこについて、「アツアツ」ではなく「アチチ」という表現を用いているところも、ヤケドしそうなくらいの熱さがイメージできて効果的だと思います。
そして、さらにそこにソフトクリームをのせて、ストロベリーソースをかけることが、恋人ごっこの甘美さを視覚的に表現しています。
その一方、ソフトクリームはなるべく冷たいやつがいいというところは、熱くなりすぎる恋人ごっこに水を差すような、どこかアイロニカルな感じもします。
個人的な感想としては、この作品は甘美で幻想的なイメージを表したもののような気がすると同時に、「恋人」ではなく「恋人ごっこをする」というところから、あるメッセージを含んだもののようにも思えます。それは、意見や立場が異なっても反発や対立をせずに相手を尊重する、言わば「和して同ぜず」のようなことを表しているのではないか、ということです。
それに加えて、冒頭に「世界中の公園のブランコに」とあることは、分断や対立が至るところに見られる現代の世界に対して、対話や融和を目指してほしい、ということを表しているのではないかと、そんなふうにも受け取れました。
でもこの作品が、心に湧いたイメージを表したものなのか、世界へのメッセージを含めたものなのか、私にははっきりとはわかりません。ですから個人的には、あと少しだけ何らかの描写(公園の情景や作者の視点など)があればいいなと、そんなふうに感じました。
それでも独創的な表現の面白い作品だと思います。
評については、今回は佳作一歩手前としたいと思います。
5/27 「ラプンツェル 〜フォルテ(悪意を強く)。それから足音のクレッシェンド〜」 松本福広さん
幻想的な物語風の詩ですね。孤独を描くのにラプンツェルという題材を採ったのは、多くの人になじみやすく、いい選択だと感じました。
冒頭の、あらゆる童話や文学が交錯するパラレルワールドという設定が新鮮ですね。どのような物語が展開されるのか、読み手の期待が膨らみます。
まず感じたのは、3連目の表現の美しさです。「可憐な花びら」「白い雪」「てんとう虫」「夏の強い日差し」、それぞれが上手く美しく表現されています。
そしてその後には、人間の心の醜さが表されています。そこにガムという現代的なものや、羅生門の老婆などが出てくるところが、個人的にはやや突飛な感じがしましたが、そこがパラレルワールドが持つ意外性の面白さなのかとも思いました。
また、後半の「誰かの願い」を表した3つの連も美しいですね。特に「亜麻色にきらめく蜘蛛の糸」「誰かの希求の糸であるかのよう」という表現が秀逸です。
ただ、この作品で気になった点があります。それは物語が一度終わっている点です。ラプンツェルが外の世界を知りたいと願わなくなり、ひとつの可能性が消えたところで物語が終わり、そこからまた「誰かの願い」として始まっています。
初めは、ラプンツェルが希望を失ったまま終わってしまうのは少々寂しいので、一旦仕切ることなくこのまま続けたほうがいいのではないか、とも思いました。しかしそこで、「誰かの願い」として仕切り直した作者の意図は何か、ということを考えてみました。
これはあくまでも推測なのですが、たとえ童話や文学が交錯するパラレルワールドであっても、私たちが生きている現実の世界とは、決して無関係ではないということ。その厳しさや醜さが、「ここからは誰かの願いを」という形で表されているのではないでしょうか。
全体的に斬新な発想と美しい表現とを兼ね備えた、意欲的な作品との印象を受けました。また、タイトルにある「足音のクレッシェンド」が、希望を想わせて良いですね。
評については、佳作としたいと思います。
5/27 「ドタキャン」 上原有栖さん
何とも言えない、切なさと悔しさが伝わってくる詩ですね。一緒に観に行く予定だった映画がドタキャンされたら、そこからその日の気分は最低になってしまいそうです。
詩の構成として、時系列通りに書かれるのではなく、まずは
「一緒に食べようと思っていた
映画館のポップコーンとメロンソーダが
400円のコンビニスイーツに変わった」
という表現から始まるところが巧みだと思います。
そして、ところどころ「***」で区切られているところが、感情の奔流に思考が分断される様子が上手く表されていると感じました。
ただ、(以下 回想)と(詩冒頭の場面へ戻る)という表記については、なくても読み手はたぶんわかると思います。この二つは削ったほうが、説明的な部分がなくなってよりスッキリすると思います。
また、これは個人的な印象なのですが、この作品は感情がストレートに書かれているので読みやすいのですが、その分、詩としての表現の美しさや面白さがやや不足しているようにも感じられます。
これは蛇足かもしれませんが、何かを表現するとき、その何かをよく観察することが重要です。自分の置かれた状況や自分自身の感情を表現するならば、それらから自分自身を切り離して、距離をおいて観察することが大切だと思います。
例えば、相手が電話越しにボソボソ喋ることについては、一旦距離をおいて観察して、「芋虫の呟きみたいな」とか「モグラのしゃっくりのような」などといった、相手を揶揄するような譬喩を入れるのもひとつの方法でしょう。
そして、ドタキャンされて悔しかったり悲しかったりする理由が、ただ単に、映画を観られないということではなく、大切な人との時間を奪われたことや、相手が自分より仕事を優先させたことならば、そのことに対してどのように感じたのか、その感じは何に喩えられるのか、といったことを語ってみたりしてもいいかな、という気もします。
でも、冒頭の表現や全体の構成はとてもいいので、その後の、ひとつひとつの表現に磨きをかければ、もっといい詩になると思います。
評については、佳作二歩手前としたいと思います。
5/28 「刹那」 喜太郎さん
まず、非常に繊細な感覚で書かれた詩という印象を受けました。
1連目で、「君」を悲しませたくないが故に、自分のことを忘れてくださいと言うところに、繊細な優しさを感じます。
そして2連目、コップの水に垂らされた一滴の血についての「まるで泳ぐような君の雫」という表現は秀逸です。ただその後に、その血の混ざった水を飲もうとすることに関しでは、読み手の中では不快に感じる人と、繊細な愛情を感じる人とに分かれるのではないかと思います。
しかし正直なところ、私はここから先、この詩について感想や評を書くことは難しいと感じました。
リストカットに関しては現実に苦しんでいる人々がいて、それについての周囲の無理解も存在しているようです(https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2023/91367/suicide 参照)。私はリストカットの経験はありませんし、私の身近にもそのような人はいません。つまり私自身も「周囲の無理解」の中にいる人間なのです。さらに喜太郎さんがどのようなバックグラウンドをお持ちなのかも存じ上げません。そのような状況では安易なことは書けません。
ならば、詩の内容ではなく表現方法などについてのみ書けばいいかなとも一瞬思いましたが、詩の表現がその内容と無関係であり得るとも思えません。
今回の題材は非常にデリケートなものでもあるように感じます。この題材の詩については、芸術としての完成度というだけでなく、あるいはそれ以上に、心理療法としての芸術療法(詩歌療法)のような側面(あるいは可能性?)をも持っているように思われます。
そのような詩に関しては、佳作等の評価はそぐわないと思います。ですから今回は評は見送らせていただきます。申し訳ありません。
でも、繊細な優しさと愛情を感じさせる詩であることは確かだと思います。
5/28 「ジビエの哲学」 荒木章太郎さん
やや抽象性の高い詩のように感じましたが、現代の世界について描いた詩と読み取りました。
小さくなったパイの取り合いと化してしまったグローバリズムの中で、不均衡な分配が大きな格差を生んでいる。自らの価値観や基準を強制し、広めようとすることから分断と対立が生じ、まるで野生動物が互いに喰い合うよう。表向きはきれいに取り繕っていても、その内側はひどいものだ。
でもそれは、上の階層にいる指導者たちの誘導によるものだった。大まかにはこんな感じに受け取りました。
一見、わかりにくいように感じましたが、よく読み込んでみると、全体的になかなか味のあるメタファーの使い方ですね。特に2連目と5連目と最終連の表現が独特で面白いと感じました。
そして、野生動物のようになって互いに喰い合っている状況を「ジビエ」という言葉で表し、相手を肉のようにしか見なくなっていることを示したのは秀逸だと思います。
ただ、これはなんとなくなんですが、全体的に勢い余っているような、突っ走っているような、そんな感じもしました。詩的な表現、独創的な表現をしようと思うあまり、メタファーがやや多用されすぎているようにも見えます。
ここは少し落ち着いて、一般的に分かりやすい表現もいくつか間に挟んで「緩急」をつけたほうが、独創的な表現がより引き立つのではないでしょうか。
でも、構成という点から見ても、要所要所で「格差社会だ」「まるで獣のようだ」「レシピのようだ」「契約社会だ」と、「〜だ」という音で締めてリズム感を出しているところも巧みだと思います。
評については悩むところなのですが、今回は佳作半歩手前、ということにしたいと思います。
5/29 「雨の中を歩く」 aristotles200さん
自然の美しさや荘厳さを、謙虚な視点から描いた作品ですね。
風雨や雷雨といった天候を好む人の話は何度か聞いたことがあります。また、リラックス・サウンドのアプリの多くには、雨や雷の音が入っています。それらの音は、人の心の根源的な部分に刻み込まれているものなのかもしれません。
詩の前半部では風雨や雷の中を歩く喜びが、簡潔な文体で描かれていて、テンポよく読めていいと思います。雷鳴に心が引き締まった感じが上手く表されています。
それから中盤に、ベートーヴェン、ピアノソナタ14番「月光」に触れ、その静かな旋律と雷雨とを対比させていることで、詩全体の流れを単調にせず、変化をもたせているところも巧みだと思います。
ここでベートーヴェンの「月光」を「静かさを、具象したかのような音楽」として対比的に表しているのであれば、(欲を言えば)それをもう少し膨らましてみてはどうでしょう。例えば、構成が確立されたソナタ形式に対して、雷や風の音を自由で即興的なトッカータに喩えて対比してみるとか、あるいは静謐で冷徹な月光と、不則で激情を想わせるような稲光とを、視覚的に対比するなどしてみるのも面白いかもしれません。
また、細かいことを言うようで申し訳ありませんが、各行の先頭にある「・」には何か特別な意味があるのでしょうか。個人的には、これはないほうがスッキリしていて読みやすいと思います。何か大きな意味がないようでしたら、削ったほうがいいのではないでしょうか。
でも後半で、自分がちっぽけな人間であることの不条理を感じ、大自然と一体になろうとするところには、禅や道教の思想が窺えて深みを感じます。そして嵐が過ぎた後の、「抜け殻になった私は一人、家に帰るのだ。」という結末は、大自然への思いの強さが表れていて秀逸だと思います。
評について今回はやや厳し目に、佳作半歩手前ということにしたいと思います。
5/29 「つながり」 津田古星さん
今回は初めてですので、感想のみとしたいと思います。
本との出逢いが思い出を蘇らせる、どこか切なくも仄かな温もりを感じさせる詩ですね。
1連目の、「睡眠導入剤変わりにでもなればと/連れ帰る」「素直に人間の善を信じたいわたしに/力をくれる本だ」というところが、個人的に共感できていいなと思いました。特に「人間の善を信じたい」ということは、現代社会に生きる多くの人々にとって必要とされている事柄のような気がします。
また、4連目の思い出を描いた部分の、「わたし達はお行儀良く/ちょっと相手と距離を置いて/話していたのかな」というところからは、なぜか心から打ち解けることができないもどかしさが、よく伝わってきます。さらにここには、心の奥底で傷つくことを恐れている繊細さも微かに窺われます。
そして5連目の「ふるさとの言葉を/本の中でじっくり味わう」というのは、充実した本との向き合い方のひとつですね。その巡り合わせからでしょうか、末尾の故郷の言葉での語りかけに、淡い希望が感じられます。
全体的に穏やかな感じでいい詩なのですが、少々厳しいことを言えば、その本を選んだ理由が、「素直に人間の善を信じたいわたし」に必要な本だからと書かれているのですが、そこから詩の流れが著者のプロフィールを経て、忘れたいと思っていた「彼」との思い出に移ってしまっています。つまり、「わたし」に力をくれるその本の内容が、触れられないままスルーされています。
この流れは若干不自然な感じがしないでもありません。もし、思い出をメインに書くのであれば、1連目の最後の3行は削ったほうがいいと思います。あるいは「人間の善を信じたい」ということが「わたし達はお行儀良く/ちょっと相手と距離を置いて」という思い出とリンクしているのであれば、それに関しての何らかの表現も必要でしょう。
でも、全体的に言葉の選択も自然で、読みやすい構成になっていると思います。
本との良い出逢いが思い出とつながる、暖かな雰囲気を感じせていただきました。
5/29 「おかえりなさい」 温泉郷さん
これは何かの病気と手術の体験を描いた詩なのでしょうか。やや抽象性が高いので、様々な受け取り方ができるような気がします。
まず、「わたしはいつもいるよ」という語りかけは、誰からのものなのでしょう。実際に身近にいる家族や友人か、過去に交流のあった思い出の人々か、あるいは内なる生命力のようなものか、いろいろと考えてしまします。
そして、その言葉が少しずつ遠ざかっていったこと、少しずつ傷つき悲しんでいたこと、そのことに気づかなかったこととはどういうことでしょうか。病気の苦しみのために、周囲に気を配れなくなったのでしょうか、過去の記憶があやふやになってしまったことでしょうか、あるいは生命力が衰えてきたことでしょうか。
それから、手術(おそらく?)が終わってこちら側にまた帰ってきたとき、「おかえりなさい」の一言を本当は聞きたかったということは、意識の表層では諦めかけていたということでしょうか。
個人的な印象としては、4連目がこの詩の肝(中核)をなしていると思うのですが、その声が何故少しずつ傷つき悲しんでいたのかが、あまりよく伝わってきません。そのため感情移入がややしづらくなっています。
作者である温泉郷さんがどのようなイメージをお持ちなのかよくわからないので、「こういう言葉を入れたほうがいい」といった具体的な例を挙げられないのですが、何らかの表現を加えたほうが読み手に与えるインパクトがより強くなると思います(その代わり受け取り方の幅は狭まりますが)。ただ、あまり詳細に書くと説明的になってしまい、詩としての美しさが損なわれてしまう可能性もあります。その塩梅はなかなか難しいところであるとは思います。
でも8連目の「時間のトンネルをくぐる」という表現が、帰ってきたという感覚を引き立てて、タイトルでもある「おかえりなさい」という一言を支え、高く掲げていて、ここは巧みだと感じます。
評については、佳作一歩手前ということにしたいと思います。
5/29 「絶対やってやる!」 じじいじじいさん
今回は初めてですので、感想のみとしたいと思います。
高校時代の思い出のひとコマを描いた詩のようですね。大切な思い出のように感じられます。
まず1連目の「くそ!なんでだよ!」「なんで アイツなんだよ!」という思いは、高校だけでなく社会に出てからも、ずっと自分の心につきまとうものでしょう。人間が普遍的に持つ「嫉妬」という感情です。そして2連目に描かれている、チャンスを得てもそれを活かせない、もどかしさや不甲斐なさというのも、社会の中で広く観られることでしょう。
そして、親友が「俺」 を ビンタし、胸ぐらを掴んで怒鳴ったのは、そんな負の感情を振り払うためだったのでしょう。ほんとうに良い親友ですね。
さらに、気がついたら部員の皆んなが集まって「俺」 を支えてくれている。とても美しい場面です。
この詩は甲子園出場を心に誓うところで終わったていて、実際に出場したかどうかは描かれていません。それはおそらく、目標達成することそのものよりも、それに向けて互いに助け合いながら、諦めずに努力することの大切さを訴えたかったからなのでしょう(無論、目標を達成することも大切です)。
ただひとつ、4連目で親友にビンタされる前に、「どうしたらいいかわかんないよ」という言葉がありますが、これだけだと諦めかけているということが読み手にやや伝わりにくいと思います。あと一つが二つ、「もうダメだ」とか「やっぱりムリだ」みたいな、諦めかけていることがわかりやすい言葉を入れたほうがより効果的な気がします。
今、世の中では、運動部の指導により自ら命を断つというようなことが報道されています。個人的な印象ですが、そこには心の支えの欠如があるような気がします。ですからこのような詩においても、タイトルが示すような諦めない心も大切ですが、それと同時に「互いに支え合うこと」の大切さを強調してもいいかもしれません。それら二つのことが、言わば車の両輪であるような、そんな表現があってもいいかなと、そんなふうにも思いました。
でもこれは、社会の中で生きてゆくのに大切なことを伝えている詩だと思います。
5/29 「床屋」 樺里ゆうさん
日常の中にある、ちょっとした清々しさを描いた詩ですね。「床屋」という題材ですが、千円カットの床屋さんというところがいいと思います。千円カットですから時間にして約10分程度でしょうか、その短い間の様子を描いているところが面白いと感じました。
理容師さんが座る椅子とはキャスター付きのスツールなのしょう。「ぐるんと客席の周りを移動しながら」という表現はその情景をイメージしやすいですね。
その次の連にある、鋏の音を「サキサキ」と表現したところは巧みだと思います。理容師さんの手際の良さがよく伝わってきます。
5連目のと6連目の、「理容師は昔 医者の役目も果たしていたと/どこかで聞いたことがある」とか「そういえば床屋って/なんで床屋っていうんだろうか」とかいった、あまり脈絡のない考えが頭に浮かぶのも、髪を切ってもらっている間によくあることで、実感が持てます。
そして8連目も、床屋で散髪した後の清々しさを上手く表しています。
ただ、これは個人的な好みに類することなのかもしれないのですが、3連目で「サキサキ」という効果的な擬音語を用いたり、8連目と9連目ですがすがしさを表していてたりしているので、その間にも思考ではなく感覚的な表現を入れたほうがいいかなとも思いました。例えば、ケープをかすめて落ちる切られた髪、店内のBGMや他の人の話し声、ドライヤーなど鋏以外の音、細かい櫛を入れられた時の頭皮の感覚、鋏の冷たい触感、照明や窓から入る光の具合、整髪料などの様々な匂いといった、感覚的な描写を入れたほうが、日常の中に潜む新鮮さを感じられるような気もします。
でも全体的に、約10分程の間の情景や思考、気分などが上手くまとめられて書かれていると思います。
評については、佳作半歩手前ということにしたいと思います。
5/29 「真っ黒な手とそれぞれの条件」 人と庸さん
今回は初めてですので、感想のみとしたいと思います。
人とは他者に、あまりに多くのものを求めすぎる存在なのでしょうか。この作品を拝読して、そんなことを思いました。
まず1連目の表現が秀逸ですね。太陽が目線を人と同じぐらいに下げて、人と見つめ合ってるという情景は、とても美しいと思います。
そしてその時間帯には、とってもやさしい絵が描ける、というのもいいですね。
しかしその後の「がしゃん」という音は、人間関係の不調からくる、心の中の音のように感じられます。また、はずれたものを直そうとして手を真っ黒しにした人たちは、その人間関係をなんとか修復しようとしている人たちで、さらに手首まで真っ黒にした修理屋さんとは、多くの人たちから相談を受けるカウンセラーのような人のことでしょうか。
そして、その人たちにはまだ世界がきれいに見えてるということや、「わたし」の手が真っ黒じゃなくなったのは、きれいな色の時間を越えて、暗闇の中では黒い手は黒く見えなくなったから、というのはとても悲観的な世界観のような感じがします。
「がしゃん」という音がしている世界の中で、人々が他者から求められる役割や在り方から解放されるのは、太陽が目線を人と同じぐらいに下げて人と見つめ合う、ほんの一時だけというのも、どこかシニカルな印象を受けます。
3連目の「とってもやさしい絵が描けるんだ」という仄かな希望も、末尾の「がしゃん」という音にあえなく潰されてしまう、そんな絶望的なディストピアのイメージが湧いてきて、冒頭の美しい表現から突き落とされたような感じもします。
でも、真っ黒い手というメタファーや、「わたしが笑いかけたら笑い返してほしいんです」「ぼくが話しかけたら返事をしてほしいんです」といった言葉を、象徴的に用いているところ、そして構成における「※」の用い方などは巧みだと思います。ただ個人的には、もう少し希望が欲しいなと、そんなふうに感じました。(あくまでも個人的な願いですね。)