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このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」他3作品に感激✱ #2016.6.15

5日間、橋蔵さまにお会いしまして、堪能させていただきました。先ほど最後の「鯉名の銀平」放送終わりました。また、放送してくださる事を念じています。
何度も見たいし、初めての方の目にふれてほしいのです。
今の時代劇がいかに面白くないか、納得させるだけの俳優と言える人とはこういう人よ、ということを知ってほしい。

28才の若々しく颯爽とした「若さま」の橋蔵さま、32才の二枚目の男の色気ある「半平太」の橋蔵さま、晩年長編ドラマ52才、53才、54才と一年毎の貫禄ある男というものを演じた橋蔵さま。
橋蔵さまは1960年代の映画では、今までの甘さと二枚目の線から、男っぽい大人の雰囲気にいい意味での凄みが出てくるようになりましたね。

テレビという茶の間に、穏やかな中に厳しさある二枚目の「平次親分」で爽やかに登場して18年間、お茶の間に娯楽時代劇を釘づけしてきたのです。
当時、常に橋蔵さまの舞台を観ていた人は、武士もの、やくざもの、町人ものといろいろな役を見ることが出来ましたし、刀での立ち廻りも見ていましたから何の不満を?感じることはなかったと思います。でも、テレビだけで橋蔵さまを見ていた人、テレビで始めて橋蔵さまを知った人には、物足りなかったと思います。
その不満を吹き飛ばすように、落ち着いた大人を演じる新しい橋蔵さまが長編ドラマでやってきたわけです。

3作品とも、橋蔵さまがやりたかったものですね。
沓掛時次郎は、やくざを捨てて堅気になって親子を守っていこうとする人情がらみの物語。表に出せない優しさが伝わってきます。

荒木又右衛門は、特にそのふさわしい年代を待っていたものでしょう。
1959年の右衛門御大の荒木又右衛門「天下の伊賀越 暁の決戦」では本田大内記の役でした。

沓掛時次郎、鯉名の銀平は二枚目がやるやくざものの定番ですが、映画ては大映がやってしまった。橋蔵さまはこの2作品もやりたかったものでしょう。
特に「雪の渡り鳥」は尊敬していた長谷川一夫さんの当たり役になったものですし、六代目尾上菊五郎から長谷川伸がいかにやくざの世界の決めごとなどに精通していたかを歌舞伎時代に聞いていらした橋蔵さまには、是非ともやりたかった作品でしたでしょう。

舞台でも1984年2月大阪新歌舞伎座でもやっています。(蛇足ですが、この時橋蔵さまは舞台の袖で倒れられたようですが、最後まで舞台は務めました。)
「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」はやっぱりいいですね。映画全盛期にもやっていただきたかった作品でした。
最後、雪の中椿の木が出てきた時、「あっ橋蔵さまの大好きな椿」だと。
椿と橋蔵さま絵になります・・にこりとした微笑みを浮かべ暗闇のなか去って行く銀平・・・絵になり、忘れないでしょう。

そうそう、2~3日前に、そういえば「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」での挿入歌は
五木ひろしさんが歌っていたということは覚えていたのですが、うる覚えだったので曲を探していましたら、「旅鴉」のところのカラオケの題名の写真が何処かで見た写真、映像クリックして見て見よう・・・動画が流れました・・そうしたら、見たことがある並木が・・・そして、後ろ姿のやくざに笠が・・・橋蔵さまの「旅笠道中」動画がカラオケの流れに映し出されていたのです。”うわっ、こんな所で見つけるとは・・”
実は、橋蔵さまの「旅笠道中」の動画で私用ビデオを2年前に作成した時に使用した歌が、三波春夫さんの「旅笠道中」と五木ひろしさんの「旅鴉」で作ったものだったのです。橋蔵さまの「旅笠道中」にとても合うのです。ついでに長編ドラマ「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」の挿入歌「鯉名の銀平」もこの歌に合わせ、歩いている姿を描いてみてください。

平次親分も低い声でしたが、それ以上に低い声で演じていますから、重みがあります。こういう声がでる橋蔵さま、もっともっといろんな役が出来たでしょうに。
白髪が混じった鬘はつけないと言っていた橋蔵さまですが、橋蔵さまある程度のお年になったら「水戸黄門」演じてみたかったようです。✎(黄門様は白髪ですからいいのですよ。)
橋蔵さまの黄門様、品位があって穏やかで優しさが溢れ素晴らしかったでしょうね・・見たかったです。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱茶飲み話で~す✱ #投稿日2017.9.13

北海道の大雪山からの紅葉の便りが聞こえ、着々と秋の訪れはやってきています。東南アジアの方へ向かっている台風が、今週末には向きを東に変え、日本列島へ上陸し、横断するようです。すっきりしない天候に気分もふさぎがちになってしまう方もいらっしゃることでしょう。
そんな時は、橋蔵さまのことをちょっと思い出し、明るい気分にいたしましょう。
私の頭の中も古の事をほじくり出すにも、ごちゃ混ぜになり、年代を行ったり来たりしてしましますが、こんなことがあったあんなことがかかれていた、と橋蔵さまのことをお伝えしたい気持ちを分かっていただき、お付き合い願えればと。

明朗な橋蔵さまの撮影、ロケ秘話を少しですが楽しく読んでいただければ、お空の橋蔵若さまが、
「おいおい、そんなことあったかい?」と苦笑いをなすっているかもネ。
(私なりに編集しておりますことご理解ください。)

ちょっと戻ってブログあらすじ掲載した「修羅時鳥と「「若さま侍捕物帖・死美人屋敷」の時のこんなお話
「修羅時鳥」の撮影中のこと。
場面は、衣江が銀荘太郎から預かった櫛を髪にさしていないのを見つけるところでのこと。本多家の江戸屋敷から衣江を救い出し逃げて渋川十蔵の屋敷まで逃げてきて、眠っていた衣江が気がつき、荘太郎の顔を見るとその懐に衣江が飛び込んでいきますね。その衣江を荘太郎がしっかりと抱き締めるわけです・・。その衣江を抱きしめる橋蔵さまが、真に迫る田代さんの演技に震え上がったのか、ガタガタやっているので、「きみ、寒いのかい」と萩原監督が決めつけたように言うと、「今日は大寒の日でしょ」ととぼけた顔の橋蔵さまでしたが、あとで同僚にこう話したそうです・・「女の生身ってばかに暖かいね。お蔭で暖かすぎてついガタガタさ」。聞かされて相手は、「ちぇっ、三寒四温みたいだなぁ」と言ったというのは本当かな?

「若さま侍捕物帖・死美人屋敷」の時のこと。
秘剣”一文字崩し”を習得し、免許皆伝?の橋蔵さまは、その切れ味が嬉しくて、セット待ちの間、草を切ったり柱を切ったりしていたそうです。この作品の中で、死美人に扮する新人の若水美子さんは殺される役は初めてのことで、恐る恐る橋蔵さまの機嫌をうかがうと、橋蔵さまはニヤッと笑い、「それでは拙者の”一文字崩し”早速試し斬りとまいるか」、若水さんの鼻先にさっと刃を抜いたからたまりません。若水さんは、キャッと腰を抜かしてしまいました。それを見ていたスタッフが、「橋やん、これは全く気違いに刃物だね」と言えば、「いやいや、凶器ではござらぬ。これは竹光で・・」と、すまし顔の橋蔵さまでした・・・とさ。

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✱四方山話・・帯に短し襷に長し✱ #投稿日2017.9.9

(1958年5月頃の雑誌特集記事から抜粋し、私なりの解釈と文章でまとめています。)
ご存知の方はまあまあ、こんな記事が載っていたのを知らなかった人は読んでみてください。

🏠今回は、当時の橋蔵さまのお住まいの様子です。
《理想通りの家ってないものですね》
映画界入りしてから丸三年、この頃橋蔵さまは京都で旅館住まいをしていました。
橋蔵さまの住居は東京にありましたので、不平ひとつ言わずに旅館住まいをしていた橋蔵さまだったのです。
(今なら、マンションを住まいをするところでしょうね。)
★旅館での橋蔵さまは女中さん達からどのように思われていたのでしょう。
「大変規則正しい人で、身のまわりもいつもきちんと整理され、手がかからないので、とても楽です」とおっしゃています。
橋蔵さんが朝から撮影がある日は、6時半ごろに起きて、お風呂に入り、洗面を済ませ、食事をして、車に乗ってスタジオへ、というまでの時間は20分位、車を待たすことはほとんどないといいます。★
その当時の様子からも、橋蔵さまの人間性がお分かりになりますでしょう。

東京には、芝公園に義父の六代目が住んでいた洋風のモダンな平屋建ての住居がありました。義兄の九朗右衛門さんもその当時はご一緒でした。橋蔵さまはほとんどが京都ですので、芝のお家に橋蔵さまの姿を見かけるのはまれなことでした。
★「もう京都がほとんどだし、この辺で京都に家でも建てたらどうですか」と最近では人からすすめられ通しです。
大川橋蔵といえば、もう押しも押されぬ東映の人気スターですし、この頃のように訪れる人の往来が激しいのでは、旅館住まいも不便を嘆くことが多くなったようです。
「笠原くん。どっか家を探そうや・・」
橋蔵さまも、ようやく半年位前から乗り気になったようで、笠原マネージャーと真剣に家探しをはじめていますが、「帯に短し襷に長しで、なかなか理想通りにはゆかないね」とこぼしています。
もし橋蔵さまが新しい家を作るとしたら、きっと立派なお風呂を作るのではないでしょうか。
橋蔵さまは大のお風呂好き、撮影所から宿に帰ると真っ先にお風呂に飛び込むからです。江戸っ子らしくお風呂も早いのです。★

橋蔵さまのいた部屋は、ベランダ付の六畳で、三面鏡、レコードプレーヤー、洋服ダンス、沢山のお人形、橋蔵さまの大きな額入りの扮装写真、がすぐに目についたようです。

京都でもう一つの住いというと、スタジオの部屋です。
1958年一月に、東映撮影所内に俳優会館が出来上がり、橋蔵さま専用の部屋もでき大喜びでした。
壁には、義父六代目菊五郎丈の写真を飾ってあり、毎日それを芸の鑑として励んでいました。五月頃から壁の一隅にご自分の気にいったポートレートを五枚、額に入れて飾りました。全部素顔のポートレートで、それぞれに動きのある写真で、大変気に入っていたようです。

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✱ 四方山話・・橋蔵さまは紺がお好き?✱ #投稿日2017.9.4

(1958年5月頃の雑誌特集記事から抜粋し、私なりの解釈でまとめています。)
橋蔵さまは、ぱっと人目につく派手さより、本当のおしゃれの紺がお好き 、
「おしゃれについて・・と、よく雑誌社の人に聞かれるんだけどね。どうも、ぼくは無しゃれでね」と橋蔵さま。あれだけの二枚目でいて、橋蔵さまはその点は案外さっぱりとしているようです。
橋蔵さまの洋服の色を例にとってみましょう。紺、グレイ、ねずみ、黒。ちょっと変わって、替えズボンなどに明るい水色があるぐらいで、橋蔵さまは地味好きなのです。
「どうして橋蔵さんは、もっと派手にしないのですか。俳優さんなのだしもっともっと派手にしたっていいでしょう」と、よく人にいわれたりしますが、
「どうもねえ、ぱっと人目につくのが嫌いな性分でねえ、いざ作るとなると紺が多くなっちゃうんですよ」
という橋蔵さまですが、実は本当のおしゃれといってよいかもしれません。
昔からおしゃれとはなにか、ということについて、「男の本当のおしゃれは、紺にはじまって紺にかえる」ということがいわれます。当たり前な普通の紺が、着かたで一番のおしゃれであるという定説なのです。
確かに、洋服に本当の趣味のある紳士をみると、たいてい紺をうまく生かして着ているものです。好青年橋蔵さまは、とにかく紺系が好きですから、洋服姿の橋蔵さんは、いつもすがすがしい印象が残ります。
衣服の買物はどこでするのでしょう。
「やはり、流行の本拠地は東京だしね、東京でないとセーターひとつにしてもいいのはないのよね。だからね、なるべく東京で買うようにしてるんだけど、忙しくて暇がぜんぜんなくて。それでね、この間も三日間休みができたんでね。東京へ行ってきたの。セーターからネクタイ、ずいぶん沢山買っちゃったよ」

和服はよく似合う橋蔵さまですが、和服は京都でもあまり着ていないようです。(この時はまだ旅館ぐらしでしたからね)
楽屋着の浴衣はいつも着ていますが、この間、茶色の茶羽織を珍しく着ていました。
聞いてみると、義父の六代目菊五郎が愛用していたのを思い出し、それとそっくりのものを作って着てみたのだそうです。茶を着た橋蔵さまはなかなか粋です。いろんな色がよく映る橋蔵さんです。
「どうこの洋服・・ね。いいだろう?」
最近の橋蔵さまのご自慢は、無地のグレイの背広で、ズボンは紺の替えズボンをはき、ネクタイをズボンと同色の紺というなかなかしゃれた装い。
いつもシックな橋蔵さまのおしゃれぶりは、そのままスクリーンで見る若さま侍の颯爽とした現代版ぶりといってよいでしょう。

東京生まれの橋蔵さまは、やはり東京で銀ブラをしながら買い物をするのが好きでした。自分の好みに合わせて買ったものしか見につけない橋蔵さまでした。
32才を過ぎた頃からは茶系のものもお似合いになってきました。
私は、お若いとき、シャツの上にセーターを着てくだけた橋蔵さま、グレーの背広とグレー系のズボンをシックに着こなす橋蔵さま、あずき色ぽいスーツを素敵に着こなす橋蔵さまが大好きです。

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✱ 送り火には、やはり思います✱ #投稿日2017.8.16

今日は、8月お盆の地方では、ご先祖様をお送りする日です。
京都では五山送り火です。
最初の「大」文字(東山如意ヶ岳)は20時に点火され、5分ごとに5つの火文字が浮かび上がります。「大」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」という文字や絵が、京都を囲む5つの山に順に灯されます。

この日、橋蔵さまを思い出すときは、やはり如意ヶ岳の「大」です。
天気はどうでしょうか。去年は雨で煙って、一番目の如意ヶ岳の「大」が全然見えない状態でした。
今年はかがやいてほしいな。
橋蔵さまも、送り火の時間を待っていますでしょう。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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✱遊んじゃいました・・橋蔵さま✱ #投稿日2017.7.27

遊んじゃいました。
1957年ごろの夏、美女と楽しいひと時を過ごす橋蔵さまです。
雑誌からのものを私なりに、フォーカスとぼかしで編集したものです。
(浅丘ルリ子さん・小山明子さん・山本富士子さんと)

涼やかな橋蔵さまの笑顔が素敵。
皆様も涼やかになっていただけるかしら。
橋蔵さまは、雑誌撮影で、他社の沢山の女優さんとご一緒していましたから、楽しい出会いも多かったでしょう。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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✱夏本番はこれから・・!!✱ #投稿日2017.7.27

もう少しで8月に入ります。
葵新吾“大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板から、おいでになってくださっている皆様へ
「暑中お見舞い申し上げます」

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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✱撮影合間をぬって忙しく✱ #投稿日2017.7.19

日本の気候も変わってきました。”線状降水滞”というものが暴れまくるようになり、川の氾濫、土砂崩れと、各地で起きています。それと共に急な天候の変化も・・関東でも一昨日上尾で突風が荒れまくったと思ったら、昨日は江の島でも凄い突風が吹きまくりました。東京も、凄い大風大雨に雷が伴い、場所によっては大粒の雹が降ったところもありました。そして、今日は嵐が去ったあと、関東まで”梅雨明け”たという発表がありました。これからが夏本番となり厳しい日が続きます。

橋蔵さま「修羅時鳥」から「若さま侍捕物帖鮮血の肌着」の撮影の合間のちょっとしたことを書かせていただきます。
撮影の合間も忙しい橋蔵様、1957年2月末には京都南座で催された藤間勘五郎舞踊界会に出演されました。(敬称略)長谷川一夫、中村雁治郎、中村扇雀、市川雷蔵、大谷友右衛門、勝新太郎、中村玉緒、世家真ますみ、藤間大輔、藤間紫、宗家の勘十郎、という顔ぶれで賑やかでした。
昼の部で大輔さん、ますみさんと「松竹梅」を踊り(左上、右上の画像)、夜の部は勘十郎さん、勘五郎さん、雁治郎さんの「寿式三番叟」で後見をつとめ、久しぶりに身が引き締まる舞台であったと言っていました。
1957年3月初めには俳優協会京都支部青年部主催のカクテルパーティーが都ホテルのホールであり、橋蔵さまは幹事として列席し、受付、応対、そしてダンスを踊ったりと大忙しでした。(下の段の画像は若尾文子さんと楽しくお話をなさっているところです)

そんな中、「若さま侍捕物帖深夜の死美人」がクランク・アップして次の「喧嘩道中」までに3日暇があったので1957年3月半ばに約2か月ぶりに東京に帰ってきましたが、ゆっくりと休んでいることは出来ず、東京でも目がまわるような忙しさで京都に戻って撮影に入りました。

そうそう、そう言えばこの時期に、東映に入社して間もない橋蔵さまに、”大川橋蔵松竹に入社”という新聞記事が出たようです。(私は小学低学年でしたし、新聞も雑誌も目を通すことはなかったので、当時は全然知りませんでした)この記事をみたファンの方々は、東映で地位を築きあげてきている橋蔵さまがどうしてと、一時心配したことでしょう。

そして、橋蔵さまの新しい魅力が花開きます。
橋蔵さまは、やくざものに初めて挑戦をしました。「旗本退屈男謎の決闘状」の半次役を見ていて、橋蔵さまのやくざものをいつか書いてみたいとおっしゃっていた比佐芳武さんが戦後片岡千恵蔵さん主演で書いた「おしどり笠」を橋蔵さまのために書き直したリメイク版「喧嘩道中」に挑むことになりました。画面もワイドスクリーンシステムの東映スコープという橋蔵さまの作品では初めてのものになりました。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年04月04日 15:04)

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✱大川橋蔵の暮らしの手帖⇒たべもの✱ #投稿日2017.7.5

日本列島の南岸を猛スピードで台風が通過していきました。豪雨、雷、竜巻、突風と気象庁からの知らせが大変でした。今年は日本上陸台風の来るのが速すぎです。この分では秋口までどれだけ来るのか、ちょっと心配。
さて、今は東京は静かな夜になりましたので、ゆっくりと橋蔵さまのことを少し・・・といっても橋蔵さまの作品のことでなくてすみません。

📖 1958年3月に出た雑誌(緋ざくら大名」がクランクアップしたあとに出たものです)に「大川橋蔵読本」がありました。その中の「大川橋蔵の暮らしの手帖」という、スター橋蔵さまを数々の角度から解明といったコーナーが載っていました。
そこから、前回の四方山話で食道楽の話(1957年)をしましたので、今回も食べ物の話からまいりたいと思います。(私の見解でまとめてみました、悪しからず)

🍗 肉ならなんでも
「ビフテキ、チキンカツ、ローストマーン、ハンバーグステーキ、フリカッセー・・まず、肉類ならば何でもすきですね。肉類ならば、西洋料理に限ったことではなく、日本のすき焼き、シナ料理の豚肉類など、何でも結構です」橋蔵さまは明るく笑って言うのです。肉類だけでなく、天ぷら、うなぎも大好物です。「三食ともに、こういうものならOKです」というのですから、骨の髄から脂っこいもの好きなようです。
何故そんなに好きなのか・・それは、何とかして太りたいということから、肉類を食べはじめ、そしてやみつきになってしまったそうです。ところが、太るほうは関係なく十六貫(60キロ)台を往復していますので、この頃では太るのを諦めていると言っています。が、依然好物となった肉類からは離れられないようです。
ある時、京都四条のレストランでハンバーグステーキを食べていた橋蔵さまはパンではなくライスを食べていました。もともとパン食はあまり好まないようです。橋蔵さまはライスをもりもりと食べていました。若さにあふれた橋蔵さまの食事でした。

🍚 お茶漬けの味
橋蔵さまは、大食のほうではありません。“腹八分目”というのがモットーです。平均して一食に軽く二膳。朝食には、お味噌汁の一杯は欠かしません。
選り好みはしませんが、「カッーと沸騰したおみおつけに日本ネギをザクザク切ったのを放り込んで少しおき、ちょっと柔らかくなったのを食べる」のが好きだそうです。江戸っ子らいしですね。お茶漬けも嫌いではありません。昔は、茄子、きゅうり、ウドといったさっぱりとしたものが好きだった橋蔵さまに取ってお茶漬けの味は郷愁なのかもしれません。
橋蔵さまは、さっぱりとした海苔の香とサビの匂いとお醤油の味の混じった江戸前の感じのものが好きだそうです。ただし、お茶づけは、撮影などで大多忙のとき以外はあまり食べないとのことです。。
魚も大いに食べますが、イワシが大好物です。魚料理の神髄は”鰯に始まって鰯に終わる”とさえ言われるくらいの味を持っています。「鰯のお刺身なんていうのは、あまり好きではありません。何か、わざとらしさが感じられて。ゲテにする必要は少しもありません。サッと焼いてよし、煮てよしで、鰯はそうやって食べるのが好きです。」と言う橋蔵さま。川魚ではドジョウが好きです。とくに柳川鍋が好きな橋蔵さまです。鰯といい、柳川といい、江戸っ子、それも下町好みの味覚、やはり柳橋に生まれたせいなのでしょうか。橋蔵さまはこう言います。
「何を食べようかと思わず、黙って出された料理が肉であれば文句はありません。しかし、何を食べようかと考えて食べるときには、柳川に限ったことでなく、時にはラーメンだって好きなのです。要するに、仕事の忙しいせいもありますが、半月でも一か月でも、コロッケを出されても平気です。だいいち、まだ何がうまいのか、何がいいのだと、口にするまで舌が枯れてはいませんよ」

🍶 お酒は適量
甘いものは好きではないようです。「甘いものを食べると虫歯になる」と言われてきたことが、一種の潜在意識になっているようです。
撮影の時、ロケなどに行った時、キャラメルの一つも食べることはあるそうです。煙草を吸わないので、口がさびしくて共演のスターさんから「トミイさん、どう?」などと出された時は遠慮なく頂戴することもあるということです。
お酒は嫌いではありません。ビールは好きでなかったのですが、太りたいの一心から、ビールを飲めば太るというので、毎晩一本ずつ飲んだそうです。ところが少しも太らない。ビールでもダメかと思った時には、ビールの味が忘れられなくなっていて、嫌いだったビールも好きになってしまったそうです。
「でも、僕など、酒飲みの部類には入らないでしょうよ。要するに、適量主義ですからね」「何合が適量かとはいえません。その時その日のコンディションによって違いますから。とにかく多少すごしても、乱暴したりしませんから、これが適量主義なのでしょう」と橋蔵さまは言っています。
どちらかと言うと、日本酒。洋酒ならブランデーが好きなようです。ウィスキーも飲みますが、ウィスキーは仕事に疲れて神経がいらだっている時、睡眠薬代わりに一杯飲むのだそうです。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年04月04日 14:38)

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✱久しぶりの四方山話です✱ #投稿日2017.7.1

只今、「若さま侍捕物帖・魔の死美人屋敷」の放送中、かけながら書いています。
まだちょっと痩せぎみの若さまですけれど、江戸っ子弁のべらんめえ口調もスムーズで、表情も出てきたので、安心して見られるようになってきました。

橋蔵さまが、映画界に入って、1年以上経った頃の雑誌に「ぼくの食道楽」と言う題で書いたものから私なりにまとめましたので読んでみてください。

この当時は橋蔵さまの自宅は東京にありましたから、独り者の気楽さから一軒家を借りてという気はまだなく、旅館の二階の一間を借りて住んでいた時です。
「京都住まいも一年以上になり、生活の法則もすることが決まってゆくようで、人暮らしのため実に単調でした」と言っています。
多くの時間はスタジオですから寝ることと食べることしか楽しみはないと。
「まず、京都で求めているのは食べ物かもしれない。しかし、食べ物となると、いろいろ好き嫌いがあるし、取捨選択が難しい。」
仕事で追いまくられる京都での生活のなかでは、食べ物に興味の対象をおくことが楽しいし気分を変えてくれる大切なことになっていたようです。

1年ぐらい前(京都に来たばかり)のこと、橋蔵さまが肉好きと知って撮影所の係の人が「カツレツ」をお昼に頼んでくれて、それが大変美味しかった。「明日のお昼も頼むよ」「へい、おおきに」と言う具合で、毎日お昼には”カツ”ばかりを食べていました。そのお昼の”カツ”の常食が半年も続いたのです。そこで「毎日カツばかりでは飽きるでしょう。何にしましょうか」とたまりかねて言ってきたそうです。「何が出るんだい。美味しいものは」と聞くと「エビです」と言ったので、その日のお昼は”エビフライ”が楽屋に届いたそうです。その「エビフライ」がまた美味しかったので、また「エビフライ」を一年間も常食してしまったことがあるということです。「食堂の人はきっとびっくりしたことだろう。じつは我ながら驚いた。」と言っています。
(このことは橋蔵さまが後日、徹子の部屋などでも話したので、有名な話になっています。)
この時期「そんなことは、今ではもうやっていない。いくら好きでもこの辺で結構である。」と橋蔵さまは言っています。

橋蔵様は旅館生活でしたから、朝の食事は宿、お昼は撮影所、夜はどこか美味しいものを求めて出歩くようになっていました。京都の町は狭いので足の向くところは決まってしまったようです。
橋蔵さまは肉好きなので、四条川端の肉のオイル専門の店にはよく行きました。「やわらかい肉を鉄板の上に置き、油で焼きながらたべるのだが、大根おろしをつけながら食べるとたいへんに美味しい。」
祇園の近くの花見小路にある洋食屋で美味しいのは、「コロッケ」「ビフテキ」「水たき」。「どうしても、肉好きの僕であるから、こういうところに落ち着いてしまう。」と言っています。

この2,3か月前から釣りを始めたらしく、桂川に行った時、10センチぐらいの「はいじゃく」という小魚を、川の流れを耳に聞き、舟の上でジュージューという魚の焼ける匂いを嗅ぎながら食べるのが楽しかったようです。
この時、錦之助さんも釣りを始めた頃で、どちらが上手いかを証明するためのコンクールをしていたそうな。
「普段の生活が忙しい僕たちであるから、たまの暇をみつけて釣りに出かけることは空気もよいし疲れを取ってくれるので、一石二鳥の楽しみだ。」

「京都生活は、だいたいこんな余暇を楽しんでいるが、食べることと眠ることが一番の愉しみになってしまうのも、忙しいせいと一人暮らしの「つれづれ」からだろう。ひとり暮らしの便利なことは、思い立った時にしたいことができることである。」と言っています。

夏の京都は、とりわけ暑く夜などなかなか寝つかれない蒸し暑い日が続くことが多いですから、橋蔵さまはそんな時、京都から車で30分の山中越えに、ひとときの涼を愉しんだようです。その峠には展望台があり、そこからの夜景がとても美しいかったと言っています。
「その展望台の一隅に、くっきりと浮かぶだらりの帯姿の舞妓さんでもいようものなら、これは天下の絶景である。だらりの帯の舞妓さんはいつどこで見てもいいものだ。」(うむっ、橋蔵さま・・・)

祇園の近くにある喫茶店にもよく行ったようです。
夜12時以降に行くことが多かったようですが、このお店は遅ければ遅いほど、舞妓さんがやって来てにぎやかなことが京都で有名な店だったそうです。
優しさのある京言葉と京らしい風情を眺めながら「コーヒー」や「ハイボール」を注文し、友人と談笑するのもなかなかよいものだったようですが、夜遅くなると映画人が多く、「「やあ、お疲れさん」と、必ずこの店には知った人がいて、まずもってここへきて退屈したことはない。」と橋蔵さま。

こんな風な毎日で、映画スターとして賑わしてきた橋蔵さまの京都の2年目が過ぎていったのですね。

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