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✱ふり袖太平記でのトミイ・マミイ✱ #投稿日2015.9.17
近代映画の取材で「ふり袖太平記」のセットを訪問した人の「セット訪問」という記事を見つけましたので、抜粋ですが読んでみてください。
~仲よしコンビはニッコリ笑ってハイ・スタート! 刀遊びとニラメッコ? 橋蔵さんの余興にファンもどっと大喜び~
★セットでニラメッコは、ひばりちゃん!
ひばりちゃんと、橋蔵さんが、「おしどり囃子」に次いで、コンビする東映京都の「ふり袖太平記」はひばり、橋蔵ファンにとっては、大きな期待です。
今日は、御両人が、顔を合せる「セット」を訪問しました。 セットは、武家屋敷の、座敷から庭にかけて、組まれています。丁度、ライティングの最中でライト・マンが、天井や、セットの前後で、大活躍です。
塀を越えて、屋根の上に、カメラが据えてあり、萩原監督が、何か指示を与えています。フカン撮影になるらしいです。
ずーっと中へ入って行くと、廊下に橋蔵さんが坐っています。グリーンの地に、白いウロコ模様を浮かせたシックな着物、袴も、ワイン・カラーに白の縦縞という流行色、天然色ではないので、この色彩を皆さんに、お見せすることが出来ないのが残念です。髷の型が、大変カワっています。ムシリという月代が伸びた浪人の型と、前髪の合の子のような髷で、前髪がチョッと乱れて、云うなれば江戸時代のシンタロウ刈りというところです。
ひばりちゃんの方は、庭先の椅子に、オトなしく座って、台本片手に、熱心にセリフの練習中です。トキ色とダイダイ色の中間色に、鶴か何か鳥の柄が散らしてあるふり袖、娘島田の髪がよく似合うひばりちゃんです。
冷房装置がしてあるとは云っても、多くのライトが向けられると、大変な熱さです。見ている私達の方は、半そでシャツで、汗をかくほどのことはありませんが、かさね着をした、ひばりちゃんや、橋蔵さんらは、さぞかし暑いことだと思います。
撮影は、準備が大へんです、記者がセットに入ってから、もうニ十分近くも経ちますが、なかなか、始まりそうにもありません。
その間、堅い板の廊下に、キチンと坐りっきりの橋蔵さんは、さすがに退屈したンでしょう。「エイッ」とばかり、腰に差した小刀を、サッとばかりに抜いて、チャリンと納めたり、赤城山の国定忠治みたいに、ライトの光にかざして、見得を切ってみたり、お茶目ぶりを発揮して、スタッフの連中や、見学のファンたちを笑わせています。
そのうちに、刀遊び? にもアキたのかこんどは、庭の方へ向いて、顔をシカメタリ、舌を出したり、赤ンべえをしたり、百面相をはじめました。
「誰を対手に?」と思って、その方を見ると、なんと対手は、庭でセリフのお稽古中だったひばりちゃん。おそらくニラメッコなんでしょう。ひばりちゃんも負けずに、アゴをつき出してイーツをしたり、イイお顔をしたり、フン闘中ですが、どうやら、このニラメッコは、橋蔵さんが優勢、ひばりちゃんは、何度も、こらえ切れずに、年頃らしくコロコロと笑い転げます。
★男女七歳にして席を同じくせずの巻
「さァ、テストいきましょう」
萩原監督の、シャガレ声が、セットに響きます。さっと、メーキャップの人たちが、橋蔵さんと、ひばりちゃんの、顔と、髪を直しにカケ寄ります。 場面は、菅谷家の庭先です。
「ヨーイ、あいッ」 カメラが、ジーッとかすかな音を立てて廻り始めます。
「ま、こんなに暗くなったのに、新太郎ッ少しは気をつけなさい、灯もつけずにお嬢さんと二人きりで・・・・」橋蔵さんの新太郎クンは、一発お袋さんからお叱りをうけて、些か恐縮のテイであります。
ところが、ひばりちゃんの小浪は、なかなか近代的な娘らしく、そんな、かねの言葉に、フン然として抗議します。
「誰に見られたってかまやしないわ、私達は小さい時から一緒にばあやのお乳で育った乳兄妹ですもの、だけどネ、ばあや、新太ったら私の云うこときかないのよッ」我然攻撃のホコ先が、橋蔵さんに向けられます。
「新太郎ッ、なぜ、お嬢様の云いつけをきかないのですッ」こんどは、お袋さんから叱られて、新太郎クンは、全然クサリのテイで、返事もせずに、眼をふせた切りです。「あい、カッと」
「叱られ通しで、折角の剣豪も台無しだョ」
橋蔵さんが、ひばりちゃんをみて、恨めし気な顔をします。
「だってえ、新太郎さんが強情なんだから、仕方がないッ」
「いや、強情なのは、あんたの方だョ」
どうも、お仕事を離れても、この仲良しコンビは、喧嘩友達です。
さあ、これから始まるのは、十八番のひばりちゃん、橋蔵さんの、喧嘩シーンです、次のセリフから、場面を想像していただきましょう。
小浪 「ばあや、私は江戸へ行って、老中田沼様へ、お父様のことを嘆願に参
ろうと決心したのです」
かね 「まア、お江戸へ?」
新太郎「いま云い争っていたのはこの事です。私がお供しようというのに、一
人で行くなんて仰るから・・・・」
小浪 「一人じゃありません。源八郎を連れて行きます」
新太郎「この際、あんな老人を連れて行っても役に立ちません」
小浪 「いいえ、かまいません、私はもう子供じゃないんですから」
新太郎「いいえ、子供も同然です。殊に、こんな大事な場合の一人歩きは、ま
だ無理ですッ」
小浪 「まア、口惜しいッ、ひとを子供扱いにして・・・・いいえ、どうして
も一人で行きます、新太郎さんは、残って下さい」
新太郎「いいえ、残れと云われても残りません」
小浪 「残りなさいッ」
新太郎「残りませんッ」
小浪 「残るのですッ」
新太郎「イヤダッ」
まったく真に迫るとは、このことでしょう。そばで見ていると、いまにもつかみかからんばかりの凄まじさ、ピッタリと息の合ったお二人の喧嘩ぶりに、見学のファンなど、手に汗にぎってハラハラしていました。
「全くウマいものですねェ」
一汗かいたお二人に、ちょっとご挨拶しました。
「あたし困っちゃうんですヨ、いつも、勝気でおきゃんな役ばっかしでしょう、だからみんな、あたしの地だと思ってんじゃないかと心配なのよ、ほんとはねェ、とっても内気で、云いたいことも云えない位気が弱いのに」
「そうだよ、ふだんのひばりちゃんは、とってもおとなしいいい娘さんだよ、でもネ、時々江戸っ子らしい負けん気を出すこともあるしネ、まア多少の地はあるんじゃない」
「まア、ひどいッ、おぼえてらっしゃい、映画では、私の家来みたいなもんだから、ブツとこでもあったら、本当にブッてやるから」
「ほら、ほら、地が出た」
「キライよッ」
ちょっと仲良く話していたと思ったら、あっと思う間に、たちまち、口争いです。そのくせご当人たちは、至極たのしそうに、そうです、まるで喧嘩をたのしんでいる、といった感じが、お二人には多分にあります。
「ボクはネ、立廻りが大好きなんですよ、ところが、この作品の前には、二本共立廻りがなかったんで大いに腕を撫していたんですがネ、今度は、ちょいとした青年剣豪なんですから、全然張切りです。大いに、斬り倒すところを御覧に入れますヨ」
やさしい顔に似合わぬ物騒なことを云う橋蔵さんです。
現場の人たちは、寸時も休むことなく、コマ鼡のように動きまわって、次のシーンの準備に大童わです。
「さあ、本番ゆきましょう」
いよいよ、喧嘩場?の再会です。
「じゃ、ひばりちゃん張切ってやりましょう」と冗談をトバしながら、橋蔵さんが定位置につきます。
「サワがないで下さアい」
助監督サンの声で、ガヤガヤ云っていた見学の人たちの話し声も、あちこちで聞こえていた一切の音と云う音が、一瞬ハタと停止したような感じです。
橋蔵さまは立ち回りが大好きで、暇があれば剣会のメンバーと練習に励むほど撮影も立ち回りのある日はご機嫌らしかったようです。
「江戸三国志」撮影のある日、刀を回して鞘にパチンと入れるのを教わった橋蔵さまは、撮影の合い間に刀をクルリ、パチン、クルリ、パチンとやってご満悦で、女優さん達にも披露して大はしゃぎをしていたそうです。それを扇太郎さんにまで見せてしまった。相手が悪かった。「橋蔵さん、お年の割に無邪気ですね」と言われてがっくりしてしまったと言います。無邪気な一面が見られた一コマでした。
映画はモノクロなので衣装がどんななのか分かりかねますね。こんな衣装を着ていたそうですよ。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱橋蔵さまの魅力沢山あるけれど・・ここも✱ #投稿日2015.10.23
私は、ちょっと変わっているかもしれません。
橋蔵さまの凛々しい姿は勿論好きですが、映画の作品を観ていると分かると思うのですが、
橋蔵様には、その当時の他の時代劇スターにはない、俗にいう二枚目半、やくざぽい役でも品があり男の色気があるのですね。そこは橋蔵さまの持っている魅力で外せない素晴らしいところだと思っているのです。
ですから、娯楽を重視した橋蔵さまはいろんな面を見せてくれていますね。
やくざ、町人から武士や殿様と、そしてひょうきんな表情あの目の動きに魅かれてしまうのです。嫌みがなく受け入れられる品があるのですもの。
よく”あなたはどの作品が好き?”と聞かれるのですが全作品を観ていないので今上げることはできないのですが、シリアスなものも良いですけれど、私の心を奪うのは、ちょっとやくざっぽい雰囲気のある武士もの、そして微笑ませてくれる役柄の作品でしょう。
草間の半次郎は別口ですよ。だって小学低学年の時に、私が映画館で橋蔵さまとお会いし、やくざ姿の歩く姿に惚れた作品は「旅笠道中」ですから。
✱ぼくはこう思う①#投稿日2015.9.13
読んでいくと、大川橋蔵というスターが目の前にはっきりとイメージされました。
少しずつ書いていきますね。
今回は”演技について”と”舞踊と僕と”のところから抜粋しました。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』から (S34年)
☆演技について
映画の世界は肩を張らせることもなく、若い僕にはぴったりだが、伝統の沁みこんだ芝居の世界もいいものだ。舞台のソデで、出を待つ間に、チョーンという柝の音をきくと、なんともいえぬ懐かしい気持ちになる。
なんだか、胸がキュッとしまって、身体がピーンと張り詰めた糸のようになる。やがて幕があいていく。緊張に震える足を踏みしめるこの瞬間は、役者でなければわからないだろう。
この間梅幸兄さんにあったとき、話が仕事のことになって「一度、世話ものをやらしてもらうといいね」と言われた。
そういえば、僕は映画入りしてから、不思議に活劇ばかり、立回りはどうやら上手くなったが、ここらで演技の勉強をする”世話もの”に出演してみたいと思う。(省略)
僕の「大江戸喧嘩纒」「若君千両傘」も、世話ものといえないこともないが、もっと歌舞伎でいう「生世話」に出てみたいのだが・・。そうかといって「酒屋」や「文七元結」みたいなみのを映画でやるのが無理なのはわかっている。僕は僕なりに新しい脚本がほしい。(省略)そなことを考えるのは、今の僕にとって楽しい一時だ。
☆舞踊と僕と
この間、日本テレビで、久しぶりに連獅子を踊った。
市川先生は藤間流の名手。千代之介さんは花柳流、そして僕が藤間流であり、雪代敬子さんが西崎流だから、これはまるで日本舞踊合流の競演みたいな格好になったので、なんといっても面白かった。(省略)
テレビのスタジオは、ライトが暑いくらいだから、いくら冬といっても温度が高い。そのうえ、僕は市川先生とご一緒という緊張があって、踊り終わった時、全身滝のように汗だくだったのを覚えている。(省略)
むかし芝居に出ていたころ、楽屋入りの前に、日舞の稽古に通っていた時に、わずかな時間でも踊りに汗をかいてすっきりした気持ちで劇場に入るのが、とても爽快だった。とくに寒中つめたい稽古場の板敷を新しい白タビで踏みしめる気分はいいものである。(省略)
僕は久しぶりに「連獅子」を踊って、この寒ゲイコのさわやかな後味を思い出した。まるで。日頃の安易な暮らし方にムチ打たれたような気がして、大いに反省した次第である。
✱僕はこう思う②✱ #投稿日2015.9.20
今回はちょっと笑ってしまうお話です。橋蔵さまの格好とその時の表情を想像してみてください。そして、人気スターであった橋蔵さまの当時の悩みも・・。
「僕の新居」
ささやかであるが新しい家をつくってそこに越した。住所は○○・・である。まわりも静かで、朝夕は銀閣寺や、その他の寺院から鐘の音も聞こえてくる。(省略)
さて、設計を始めると、応接間はこうしたい自分の居間はこうしもしたい、と希望が多くどうにか、自分でも満足できる家の格好が出来上がった。(省略)
新しい部屋部屋を見て歩いて首をひねった。そうだなかに入る道具がないのだ。この家に越したはいいが、当分のうちは、家を飾るというより、家の必需品がなにもない。そこで、家具や調度品を買いに、僕とマネージャーは、今日の町をかけずりまわった。(省略)
大の男二人がこまごまとしたお勝手道具を買い歩くのだから、一寸した見ものだったのだろう。
「あら、橋蔵じゃろないの」と、僕がホーキやハタキ、サラ、小バチなどをかかえているのを見て、お嬢さんたちが、ケタケタ笑うのだ。そのうえ、サインをなどというのだから、これには、すっかり手をあげた。なにぶん、両手は荷物でふさがっているのだし、荷物を下に置いてサインすれば、これは、まさに大道商人みたいだ。ファンの方は、そこでまたドッと笑うのだ。
まったくこれには、冷汗をかいた。(省略)
ファンの方といえば、たいへんありがたい話であるが、深夜にかかってくる電話には、とてもこまる。仕事が終わってクタクタになって家に帰り、さあ寝ようとすると、リンリン。うとうとすると、また電話のベルで起こされる。このお相手をしてたのでは、体がいくつあってもやっていけない。それ以来、深夜の電話は一切お断りすることにしている。
どうか、ファンの皆さん、僕をあまりいじめないでくださいとお願いしておきます。
✱ぼくはこう思う③✱ #投稿日2015.9.27
今夜は中秋の名月です。一年で一番美しい月ということですから、綺麗に見えてくれるといいですね。明日は今年一回のみのスーパームーンだそうですが、日本では11時50分なので見ることができません。そのため、今夜の中秋の名月は少し大きく見えるそうです。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』(S34年)より
理想の女性
あなたの人生観は、女性観は、結婚観は?などとよく聞かれる。僕には、こういう質問は苦手である。でも強いて理想の女性というものを頭に描けば、外観の美しさにはあまりとらわれない。
心の優しいそれでいて、いつも恋人なり夫なりを信頼し、また信頼されるような女性または妻であってほしいと思っている。(省略)
僕の思ったことをありのままにお話すると、それが「平凡だ」とお叱りをうける。事実平凡であるから、平凡といわれても仕方ないが、ではどうお答えしたら満足していただけるだろう? と思うと内心自分自身がこっけいにみえてくる。
それはそれとして、僕の人生観は、ただひとつなのです。《愛される人間になろう、人を傷つけ、迷惑をかけない人間になろう》ということだ。先輩や上司には、礼をつくし親には孝行を・・(省略)こんなことをいうと、民主主義に逆行するものと一部の方から反撃されるかもしれないが、礼節を知らず、恩愛信義を知らずに民主主義はありえないと思う。(省略)
東女に京女
近頃、東京の待ちを歩いていて感ずることは東京の女性がとても美しくなってきたということだ。たまに、京都から東京へ帰ってくると、そのたびに美しく新鮮な感じに目を見張ってしまう。(省略)
なるほど京都には美人が多い。水がよくて空気が清澄な土地柄が、美人を多く作るのだろうが、東京には近代感覚を見につけた美人が多い。(省略)
美人が美人として精彩を放っている第一の条件は、やはりその土地々々のローカルカラーがあればこそで、・・(省略)。
人の美しさもまた、内的な裏付け、《心の美しさ》によって左右される。
健康な生き方明るい心の持ち方さえあれば、女性は化粧ではあがなえない美しさを獲得するに違いないのだ。心を美しく生き方を正しく・・そんなことを僕がいうのはいささかおこがましいかもしれないが・・。
僕は心からそう思っているのだ。
✱ぼくはこう思う④✱ #投稿日2015.10.3
皆様はここで橋蔵さまがおっしゃっているように、責任感、義務、感激をもって人生を歩んでき
ていらっしゃいましたか、私はこれからもしっかりと心に刻んで橋蔵さまを見習って人生を歩んでいきたいと思います。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』(S34年雑誌)より
愛される俳優に
《人間、感激というものを忘れちゃいけないと思うんだ》とは、毎日新聞大阪本社の敏腕記者であるTさんの言葉である。僕はこのTさんの言葉をよくかみしめている。(省略)
《どんなに長い記者生活をしていても自分は苦労して取材し、その記事がトップとか、三段とかで新聞を飾った時など本当にうれしい。その記事をいくどもいくども読み返してみる。(省略)
新聞のインクの匂いをかぐと、新聞記者としての誇りと喜びと感激が湧きおこってくる》という。映画俳優も同じである。俳優として生まれてきた喜び、感激を私は人一倍痛感している。
しかし、この感激にはいつも責任というものが付帯するということも自覚している。というのは、Tさんは毎日世の中の多くの人のためにニュースや報道や解説という重責を背負っているのだし、僕はまた映画を愛してくださるお客さまに、おもしろい映画を鑑賞していただいて、喜んでいただかねばならぬという重責があるのだ。
こう思うと、いい加減な仕事はできない。いい加減な仕事を続けていれば、すぐに人気はさがるし、やがて社会から嫌われてしまう。社会からつまはじきされた俳優など、まったく使い道がないのだ。誠に哀れといっても、自業自得というものだろう。
そこで、社会からファンから愛される俳優になるためには、自然一生懸命仕事に励まねばならない。仕事に励むとは、どんな職業でも、やはり責任感をもち、義務を怠らないということだと思う。
Tさんがいわれた、感激こそ人生であるという言葉に、僕は全く同感で、こういった感想が生まれたのだ。今後、僕は大いに感激居士になるつもりだ。いい仕事をするためにも・・・。
✱ぼくはこう思う⑤✱ #2015.10.11
今回はちょっと話が硬くなりますが、塚原卜伝の逸話というものは、人生いかに生きていくかという時に役立つといわれています。無手勝流が有名ですね。
私はこれからもっと老いていくわけですが、一人でいるときも手を抜かず橋蔵さまが言っていら
したように生活していきたいと、再認識した次第です。
橋蔵さまは月形竜之介さんからいろいろ学びをうけたようです。そのひとつ有名なのが、腰に差
す刀も立回り以外の時は本身をさすようにと、竹光と本身では腰にくる重さが違い歩くにも走る
にもその違いが歴然としてくる、と。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』(S34年雑誌)より
己にきびしく
「実録塚原卜伝」を読んでいて教えられた。次のような一節である。
「卜伝はナベのフタをとると、二、三粒のカユをそのフタにのせ、静かにハシでそのカユを割っ
た。それまで、卜伝の剣の極意、なにほどのことやある!すきあらば斬りこもうと、卜伝の挙動を窓の下でうかがっていた一人の武芸者は、その卜伝の姿をみて、われ敗れたと感じ、悄然とその場を去った。」
武芸者が敗れたと感じたのは、卜伝がカユを割ったその精神と態度にあった。
この実録を読んで僕にはそれが、とてもよくわかった。
人間というものは、普段他人が見ていないと、かなりいい加減なことをやりかねないものだ。
卜伝は他人が見ていないからといって、カユの煮えたか煮えぬかをみるのに、いきなり口の中へ
入れるようなことはしなかった。そこに卜伝の偉さがあり、武芸者を走らせたのである。
卜伝のような立派な人を映画界に捜すとすると、月形竜之介さんだと思う。(省略)月形さんに敬服させられるのは、自宅で寛がれる時でも、いぎたなく寝転がられて本を読んだり、布団の中で煙草を吸ったり、胡坐をかいて食事をされたりなどは、けっしてなされない。必ず、袴をつけて、机の前に正座されて、読書されるし、食事も合掌されてから、やおら箸をもたれる。
ある日、僕はだしぬけに仕事の打合せで、月形さんのお宅に参上した。その時も月形さんは書斎の前で、袴の上にきちんと手をおかれ、仏教の本を読んでおられた。
その静かではあるが、何か犯しがたい気品のある横顔を今も思い出して、どこか卜伝と一脈相通じるものがあると感じるのだ。
こう思うと、人間は一人でいるときこそ、態度が立派でないといけない・・ことをつくづくと教
えられたのである。
✱ぼくはこう思う・・最終✱ #投稿日2015.10.18
秋の夜長、あなたはどのようにして過ごしていらっしゃいます。本を読んでいる、DVDを思い切り楽しんでいる。PCで遊んでいる、いつも通り睡魔が襲ってくる、とさまざまでしょうね。
私は、自分で楽しむために橋蔵さまの映画からのスナップと歌で長編ものを制作したのですが、
こっちの方がいいとかスナップがどんどん増えてきて再編成している最中です。これは観るDVDが増えればスナップも沢山できますから、いつまでも追いかけっこになります。
昨日の夜は別口、「海賊八幡船」の好きなところをトリミングし30分ものにした画像と歌を作ったのがあったのですが、最後に使用する歌を、○○さんの「春嵐」から「男花」シングルバージョンがでたので、こちらの方がしっくりするので作り変えてしまいました。「男花」がどこからか流れてくると「海賊八幡船」の最後の画像が浮かんでしまい可笑しくなってしまいます。
トミイの随筆からの「僕はこう思う」(S34年雑誌より)は今回でお終いにしますね。
30才の橋蔵様の一面が見えたでしょうか。
橋蔵さまが歌舞伎出身で女形だったということで、京都撮影所で大川恵子さんたちから、女らし
い演技についてよく聞かれるのが苦手だったようです。
女形のこと
歌舞伎界の女形というものは、女としての演技をするのではなく、どこまでも男の俳優が演じる
女形の演技なのだ。個々の役柄に応じてこの場合はこう、あの場合はこうと心得ているわけで女になる研究をしているのではない。
僕が映画に入ってからの最後の舞台、S31年2月、東横ホールの若手歌舞伎で演じた「因果小僧」のお園も、相手役の山崎屋さんがあり、あのような芝居の中でこそ、少しはましな色気もだせたのだ。
特に私の想い出の舞台、29年の「御守殿お滝」は、当時権三郎だった山崎屋さんの小猿七之助が受けて立つ親切な芝居をやってくださったうえに、夕立、雷とぬれ場にふさわしい小道具立てが揃っていた。これではお色気の出ない方が不思議である。これは僕が、謙遜していっているのではない。
俳優は自分一人で芝居をするのではなく、どこまでも、舞台の上に組み立てられる別の世界の中
で、その中の人になり切って動いている。芝居の構成に現実感がなければ、俳優がいくらりきんでみても無駄だと思う。
こういう僕に女優さんが「どうしたらお色気が」と質問するのは無理である。もし、僕が教えることができても、女形のお色気を日常にだしたら、これはお化けである。演技というものは、多少にかかわらず、変形されているからだ。
それが証拠に、女形だった僕の日常生活は、ごく普通の男性であったのだから。
✱夢だった丘の上の新居?✱ #投稿日2015.8.22
雷蔵さま(R)と橋蔵さま(H)の雑誌の対談から一部分になります。
R- なんか地所を買ったとか聞いたけど、どないした?
H-だめになっちゃったんだよ。いい地所だったんだけどね高台で。
R-惜しいね、他はさがしてみたの?
H-いろいろ探しているんだけどいい所がなくてね。その高台の地所は、九部通り話がうまくい
ってたんだ けどね。それで自分で、いろいろと設計してみたりしてね。
(他の雑誌でも話していますが、この時買い手が橋蔵さまと分かって値を上げて来たようですよ)
R-ほほう、どんな。
H-丘の上にプールを作ったりさ、ベランダからは京都の街が一望のもとに見下ろせるとかね。
R-豪勢なもんやね。そこまで考えていてダメになったのは、ほんまに残念やなぁ。
H-全部ご破算。しょうがないから計画を一応白紙にもどしてね、とりあえずどこか家を借りて
それからゆっくりといい場所を探そうと思ってるんだけど、その家も手ごろなのがなくてね。
R-宿屋住まいじゃふべんだねのなぁ。
H-荷物ばかり増えていまに寝るところもなくなりそうだよ。
R-それじゃ、まだ当分結婚なんて出来へんな、かわいそうに(笑)
H-おゃっ、雷さんヘンだぞさっきからしきりと結婚のこといってるけど、ははあ、さては雷さ
んいい人が出来 たな(笑)
R-コラッ、あほいわんときそんな人がいる位ならとっくに結婚してるわ。
H-ほんとかな(笑)雷さんならもうりっぱな家もあるし、いつでも結婚出来るんだから。
《雑誌掲載が1959年1月号ですからこの対談は前年のことですね。》
橋蔵さまが北白川の邸宅を購入されたのは1959年1月と記憶しています。蔵もある邸宅だったので気に入ったとも言っていたと思います。
内部改修に手間がかかって5月頃までかかり、紅顔の密使の撮影が終わった後にお披露目をしたようです。
当時の雑誌には橋蔵さまが家を買ったということで随分掲載されていたようです。
橋蔵さまのご自宅にて、共演者の方また雑誌対談のお相手の方との語らいが企画されていましたね。
■2015年か次の年には、その家も長年お住まいになりながら大切に残してくださっていた方の諸事情により、また次の方の手に移りました。まだ取り壊されてはいませんが、法人のようなので綺麗に整地されてしまうのでしょう。(2022.3.14追)
✱偉大な故人に・・✱ #投稿日2015.8.16
今日はお盆明けになるので、ここで偉大な故人を偲びYou tubeからのもの下記に添付してみました。六代目と橋蔵さまがダブって見えてくるのは私だけでしょうか。皆様に見ていただきたくて掲載いたしました。橋蔵さまの踊りを見た方は相通ずるものがあると思います。私も舞台で一度見たと思うのですが、全部をはっきり記憶にないので今になるとはっきりと目に焼き付けておけばと後悔しています。六代目のこれを見ていると橋蔵さまが踊っているように重なって見えてきます。
橋蔵さまの春興鏡獅子を見ている方はお分かりになると思いますが、お二人の舞踊を比較してみると感動ものですよ。私は舞台は所々しか記憶になくてすみませんが、六代目の踊りを見ていると橋蔵さまが浮かんでくるのです。歌舞伎界は大川橋蔵を失って、大変な損失になりましたね。
見た人の感想に・・・昭和46年 4月か5月に観たことがあります。 その時に、格調の高さ、お行儀の良さを感じましたが、こうやってみると、目線の美しいこと♪ 六代目に続く方の出現が、待たれます、と言う言葉がありました。
投稿者が踊りの場面だけを編集したものですが、参考に。(昭和10年 六代目50歳の時)
小津安二郎監督が六代目に魅せられてフィルムの収録したものがあり、この記事を書いた時には「春興鏡獅子」の舞踊舞台全収録の動画が掲載されていました。
画像は六代目43歳の時です。
✱送り火に亡き人を想う✱ #投稿日2015.8.15
明日16日はお盆明け、亡き連合いはキリスト教なのでお盆はやらなくても。田舎のお墓参りは私は身体が不自由になってから行っていません。父のお参りは妹任せです。
その妹から田舎に置いておいた橋蔵さま関係のものが全く見つからないとの報告がきました。
すごいショックです、一生懸命収集したものなのに。捨てられてしまった?・何処かへ紛れ込んでしまっている? 後援会誌や橋蔵さまと撮らせていただいた写真、近代映画、大川橋蔵特別公演の明治座と歌舞伎座のパンフレット等物として残しておいた私の青春時代の一部が消えてしまいました。
無くなったものは仕方がない、皆様に取っていた資料からいろいろお話をするのも思い出して楽しいかなと期待していたのですが残念。今から新たにこの掲示板の皆様と思い出を作っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
さて、気分一新して、
京都では16日は五山の送りですね。20時点火で東山如意ヶ岳からの点火です。
京都は遠いけれど、送り火に思いを馳せて橋蔵さまに届くように。
橋蔵さまが住んでいらした北白川小倉町のご自宅2階からは如意ヶ岳の大文字は目の前でした。
庭の柿の木には秋を待つ柿の実がたわわになり、橋蔵様はどんな風にして送り火を見ていたのでしょう。浴衣姿でこんな感じかな、想像してみてくださいね。
(画像) 浴衣を着た昼と夜 こんな感じかな
ご自宅の庭で寛いでいる橋蔵さま。当時後援会で作った浴衣地で作った浴衣で、違い柏がちりばめられています。
1,960年8月の明星から、十朱幸代さんと。(撮影場所はご自宅だと思う、)
(クリックすると違う画面でも見ることが出来、なかには拡大される画像もあります)
✱ ちょっとした話でも・・✱ #投稿日2015.8.9
橋蔵さまが住んでいらした北白川小倉町はとてもいいところでした。二階から目の前には吉田山が、左には東山如意ヶ岳が真近に見えるお屋敷でした。随分吟味して手にされたお住まいですからそれなりのものでしたね。
浴衣姿で団扇で仰ぎながら送り火を眺めている橋蔵様を連想してください、とっても素敵でしょう。
私が後援会に入っていた時の会誌「とみい」が手元にあれば、その時のちょっとした楽しい話など出来るのだけれど、何せ田舎の開かずの間にあるものだからどうにもならない。
まあ、手元にある少ない資料からお話できることを探して、時々書き込みしますね。
画像は、1962年に出した”大川橋蔵アルバム”からのものです。
多分その当時平凡や明星などにも掲載されていたと思います。1961年9月歌舞伎座で大川橋蔵後援会結成5周年記念で最初に踊ったものです。2部は歌謡ショウでその当時橋蔵さまが出した歌を歌い、美空ひばりさんも登場したそうです。トミイは寂しがり屋で爪を噛む癖があるのでと、”爪”を唄ったようです。
私今1960年の時代映画”大川橋蔵特集”を手に入れたので見ているのですが、古いものなので捲るととじしろから皆外れてしまって、そして昔の紙はわら半紙みたいなので焼けちゃっててダメになりそう。お金がかかっているし、ぼろぼろになっては意味がない・・それで意を決して必要なところだけ写す作業に取りかかっています。
✱幽霊島の掟DVD観ました✱ #投稿日2015.8.3
昨日は、まだ今のところ観たいと思わなかったDVD「幽霊島の掟」をどういう訳か借りて一気に観てしまいました。
数年前に、東映チャンネルで放送した時に観たのですが、興味がなかったのか仕事をしながらで途切れ途切れに観たためか余り覚えていませんでした。その証拠にモノクロだと思っていたのですから 私の記憶もダメ。
ところが今回観だしたら面白くて途中で止めるわけにいかず・・。
橋蔵さま主演になっていますが、若手の準オールスター映画なのですね。でも橋蔵さまの出番が多く橋蔵さまの八木半蔵を中心に物語が運んでいき満足できる作品でした。2丁拳銃 を持つ橋蔵さまいいです。
東映痛快娯楽時代劇はほんとにいい、この映画興行成績よかったと記憶しているのですが。八木半蔵とそれぞれの人との絡みがいい。橋蔵さまとひばりさんとの絡みは、共演するのに数年経っていても何か通じるものがあるのでしょうね・・無理のないとても良い雰囲気で、橋蔵さまの内面から出てくる色気を安心してみていられます。
そして次の時代を背負う松方さん北大路さんと、東千代之介さんと暫らくぶりの共演、鶴田浩二さんとは初共演で、橋蔵さまの違った魅力を十分に見いだしたましたね
もう少したったらまたレンタルして観ようと思っています。東映チャンネルでの放送を望んでいますが。
こんな楽しいものができていたのだから、もう少し世の中が娯楽時代劇を愛せていれば・・と思いましたね。
✱同じアングル?✱ #2015.7.30
遅ればせながらBSフジTV17時からの銭形平次再放送の「獅子の舞」の中で、平次親分とお延さんが墓地でのところの画像どうしても気になっていたので入れてみました。歩きながら階段の方へ、。
突然雨が降ってきて籠も捕まらないところなので、
平次親分「おっ、どうだい、ひとつ道行と洒落込むかい」
お延「ええ、親分となら喜んで」二人で一つの手拭いで・・
この場面に使われたお寺を検索で探しました。階段には手すりがついていますがこのアングルですよね。金戒光明寺の墓地での収録だったのですね。
橋蔵さまのご自宅があった北白川からは近いところでした。
(クリックすると違う画面でも見ることが出来、なかには拡大される画像もあります)
teacup掲示板を起ち上げ、やっと書きこむことができたときです。
✱橋蔵平次親分書かせてもらいます✱ #投稿日2015.7.23
この数日間書き込みできなかった分、早速書かせてもらっていいですか。
首を長~くして待っていた「銭形平次」の再放送がBSフジテレビで始まりました。17時~19時で2話ずつの放送です。
さあ、銭形平次再放送を観て橋蔵さまのこと気ままに書かせていただきますね。
お静さんにはふれません・・酷ですからね・・平次親分もフォローの仕様がなかったでしょう。
次のお静さんを探す間仕方ないと思えば(そのあとが分かっているからこういうことが言えるけれど)・・・救われているのはお弓ちゃんとの場面かな。
でも、当時投書が沢山あったでしょうね・・よく1年間耐え忍びましたね平次さんは。
視聴率が勝負ですから橋蔵さまの力は大きいものがありましたね。
「獅子の舞」・・平次とお延との場面の目の使い方、雰囲気はトミイ・マミイですね。墓地の階段を下りながら話をするくだり、急に雨が降ってきて、「おっ、ひとつ道行と洒落込むかぃ」「親分となら喜んで」と二人で・・。この掛け合いは完全にファンを意識しての場面構成。
橋蔵さまのとぼけたあの表情がいいなぁ・・これはファンでないと見逃してしまっているかもしれませんね。
お延を調べている万七に番所の外で顔を合わせた時、「お延はさるお殿様の・・万に一つ白だったら間違いなく首が飛ぶ、そのかわり黒と出たら大手柄だぜ・・男と生まれたからにゃ一度ぐらいこういう命を懸けた仕事をやらなくちゃ、羨ましいぜ」このくだりのあの表情とセリフの言い回しは何とも言えない。流石橋蔵平次親分。
そして、橋蔵さまは本当においしそうにおそばを食べる。前にも書いたことがあるけれど「若様やくざ」のごはんを食べる様子、「緋ざくら大名」で夜泣きそばを食べるところ、「清水港に来た男」のカツオの刺身を食べるところと、見ていると私も食べたくなってしまいます。
「あらくれ馬子唄」・・岩吉が「お縄を」と手をだすと「さぁ行こうか、一年かそれとも二年牢屋の中はつれぇが体に気をつけるんだぜ」何事もなかったような顔をして、そして気遣う。大山克己さんの岩吉と橋蔵平次親分の二人の短い場面ですが、胸が熱くなりジーンときてしまいました。
楽しみなのは仕事着は地味ですから、家でくつろぐときの羽織るものや浴衣の柄です。
それが「消えた千両箱」のラストくつろいでいる平次親分の浴衣姿にやられてしまいました。
浴衣と帯の柄とあの着方、橋蔵さまだから粋に着こなせ、あのような着方をしても絵になるのですよね。
この先も一話毎に橋蔵平次親分の素晴らしさを沢山見つけていけるので再放送でも楽しみが増えますね。