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✱長谷川一夫が期待していた"新しい時代の二枚目"✱ #投稿日2017.4.8
橋蔵さまが「海賊八幡船」「炎の城」を撮影を終えた頃の1960年にB5ぐらいの薄い雑誌なのですが「時代映画」というのに大川橋蔵特集がでました。わら半紙?のような紙が使われていたので今となってはぼろぼろちょっとすると粉々になってしまいます。そのため、私としてとっておきたいところは、少しずつ書き写そうかと思っているのですが、なかなか細かいことなのでなかなか・・。先日、長谷川一夫さんについて書いていました時に、その特集本に長谷川一夫さんが、巻頭言を書いていたのを思い出しました。
🍀 二枚目への道 長谷川一夫
時代劇と共に生れ、その時代を守り育てて来た私たちにとって、もっとも心にかかることは、次の時代劇を担う若い人たちのことです。
戦後、各社の時代劇に次々とスターが生れ作られて来ましたが、最近、とくにこの一、二年の間に、単なるスターとしての人気(もちろん、これも必要なことですが)だけでなく、立派な時代劇俳優としての地歩を、しっかりと固めて来た人が目立ち、ほんとうに心強い気がします。
たとえば、東映の中村錦之助君、大川橋蔵君、東千代之助君、大映でいえば市川雷蔵君、勝新太郎君などに、それが著しく見えるようです。
みんなそれぞれが、会社の企画方針で(それも量産主義の日本映画ですから)いろいろな作品でさまざまな役柄を演じているうち、おのずから独自の芸風なり芸境を確立し、花やかにその競い合っている有様を見るのは、かつての第一期黄金時代ともいうべき、戦前の頃を偲ばせる壮観ともいえましょう。
その中で、むかしからのいわゆる二枚目という点で、一番ピッタリするのが大川橋蔵君だと思います。
よく他の人から、橋蔵君の芸風が私の若い頃に似ていると聞きますが、橋蔵君も私も共に歌舞伎の女形出身であること、身体つきが似ている点、そして私自身が以前から橋蔵君のお父さんの六代目尾上菊五郎氏の芸風を慕っていたことなど、いろいろの共通点から、きているのかも知れません。
橋蔵君の二枚目としての魅力は、全身のこなし―特にその眼から発散される色気だと思います。
もちろん、今後も会社の企画方針によって、さまざまな役柄をこなして行かねばならないでしょうが、その中でも特にこの二枚目の線で、橋蔵君の本領を発揮してもらいたいと思います。
私の若い頃に演った役のいくつかを、橋蔵君が再演して好評を得られたと聞きますが、それよりも私が望みたいことは、私が若い頃から演りたい念願を抱いてついに演る機会がなかったもの、あるいは今でももう少し若ければやりたいと思っている素材なんかも、大いにやってほしいような気がします。
このように二枚目としての独自の道を進んでいかれるのが、橋蔵君にとって一番自分を生かす道だと思いますし、新しい時代の二枚目として大成されることを、心から期待しているものです。
📍 いかがですか、長谷川一夫さんからのアドバイスもそう、そして歌舞伎界から映画界に入ってからも、悩んだ時に相談にいっていた仁左衛門さんもおっしゃっていたことでしたが、橋蔵さまの魅力は二枚目が持ち味、何があっても二枚目の線でやり通すこと、と言っていたようですから、映画の流れがどのように変わろうとも、橋蔵さまは二枚目でなければいけなかったのです。会社の方針もあり、ご本人の野心作に動かされる気持ちもあり、1963年頃からちょっと二枚目路線から少し外れてしまいましたね。スターを必要としない作品が多くなり、汚い感じのものが多くなりました。1963年に長谷川さんが映画界を止めて、舞台に行き、1964年にNHKの「赤穂浪士」をやっています。映画スター長谷川一夫さんがテレビへ出てきて視聴率をとっている。1964年はテレビ時代到来、多分この様子を見ていて、フジテレビは先を読んだのでしょう。
フジテレビは東映に持ちかけていた、大川橋蔵での「銭形平次」の話を。だが東映側は断っていた、橋蔵さまも100本は映画を撮りたかったでしょうしね。大川橋蔵がどうしてもダメなら里見浩太朗さんでとフジテレビは声をかけたようですが、里見さんも撮影条件が合わずいい返事をしなかったようなことを聞いたような・・それでもフジテレビは諦めず待っていて実現したけれど、この話をその時受けていたならどうだったのかしら・・・まだ、受けていなかったらどうなったのかしら・・・?
そうそう、東映の東映歌舞伎も、東宝が長谷川一夫さんを中心として、東宝歌舞伎として1955年からやっていたのに感化されて始めたところが多分に多かったのでは。
そう考えて見ると、橋蔵さまの動きは、尊敬もしお手本にしていた長谷川一夫さんが時代の動きを見て動いた道と同じように動いているのです。最後の長編ドラマも「雪の渡り鳥」長谷川一夫さんの当たり役でした。もう少しご存命でしたら、長谷川一夫さんが演じた作品のリメイクをテレビでも橋蔵さまらしくやったのではないかな、と思います。舞踊家として、舞台俳優として、そして長谷川さんと同じく演出家としても活躍なさったかもしれません。
テレビでのお二人の共演もあったかも。長谷川一夫さんの後を受け継いでくれるのは大川橋蔵さまだと、いろいろ教えてくださり、やさしく見守っていてくれたと思います。
大衆を魅了した時代劇の二枚目スターは1984年4月に長谷川一夫さんが逝かれ、同じ年の12月に橋蔵さまが逝かれました。
時代劇がテレビでも下火になってきた時期でした。
✱大川橋蔵/殺陣の変化✱ #投稿日2017.4.2
昨日は、一日橋蔵さまの作品を作っていましたので、橋蔵さまとじっくりお会いしました。東映チャンネルはちょうど「銭形平次」をやっていましたので流しながら、はっきり言って映画の「銭形平次」は好きでない、ですから、自分で制作した好きな部分だけのものを見ていた方がいい。
1958年後半から、橋蔵さまの殺陣は舞踊の流麗さがあり綺麗なのは皆様ご存知。その綺麗な動きに、どのように表現したらいいのかな、剣さばきに上手さが増してきた、斬れ味がいい、力強さが出てきています。斬ったあとの見得の切り方も綺麗、ああ、惚れ惚れしてしまいます。今まで少し流れていた立回りではなくなってきましたね。
纒を持っているのがお雪と聞いて、新三が梯子を上がるところいいですね。
屋根の上での二人のやりとりは、当時ファンは羨ましい気持ちで見ていたのでしょうね。お雪が新三に体を預け顔を見るところで、「熱いですかい」新三のこの言葉、何とも言えません。
橋蔵さん(新三)が最初上がってきてひばりさん(お雪)を支えるとき、外向きにかかえているから、向きを変えて抱きつく時、ひばりさんが橋蔵さまの手の位置をさっと変えるのですよね・・なるほど、通しで撮影とあらば手の位置を変えないと動きが取れませんものね。
堀川十兵衛と主膳に、もう侍には戻らないと、彫ったいれずみを見せ、お雪が来た時に慌てて隠すところの新三の表情とお妙に自分にもこれといった人に会えたと話すところの横顔が素敵ですね。
橋蔵さまに魅せられるところは皆様それぞれにおありでしょう。
ケーブルテレビでは、今週は、お役者、お殿様でありながらやくざになって二枚目半、べらんめえ口調の若さま、隠密でやくざにと、色々な橋蔵さまが満喫できる週になります。
✱内匠頭、切腹までの私の中でのプロローグ✱ #投稿日2017.3.25
「赤穂浪士」は、最近ははじめ30分見て終わりになってしまいます。
私が、橋蔵さまの内匠頭としてよいところは、4箇所です。
橋蔵さまの内匠頭は「ワシが我慢できぬ男と思うか」と、じっと辛さを内に秘め最後まで堪え忍ぶことで通します。哀れさが観客を惹き付けます。脇坂淡路守が内匠頭を大変だろうと見舞います。淡路守の明るい豪快な笑いと内匠頭のうちに秘めた微笑み対照的です。家臣が釣った鯛を見ながら内匠頭が淡路守がいるのを忘れたかのように嬉しさを表します。松之丞の鯛の大きさが内蔵助の鯛と変わらないと、うれしそうに話しますね。それは、辛い今を打ち消すかのように・・橋蔵さまのあの喜びようが・・私はこの場面に胸を締めつけられ涙が込み上げてきます。
そして、大目付多門伝八郎が刃傷に至ったのは乱心であったろうと促しますが、大目付様のお心遣い身にしむ思いだが。「さりとて、乱心とあっては、内匠頭が吉良殿を斬ったる意趣がたちません。家臣は不憫と存じますが」・・ここでの多門伝八郎との受け答えのところは、絶対に外せないところだと思っています。ここがとても良いから、切腹に至るまでの課程へと引きこんでいくのだと思います。進藤英太郎さん扮する多門伝八郎と橋蔵さまの内匠頭の場面いいですねぇ。そして悲しみが増してきます。
切腹をいいわたしに来た時に、「お伺いいたしき一時ございます。吉良殿のその後」
それに対する多門伝八郎の内匠頭を思っての言葉、それに対しての内匠頭の「よかった、思い残すことはない」というような表情と深いお辞儀・・ここがまた、田村邸の廊下を渡り刑場へ向かうのをより悲しいものにしていきますね。
田村邸廊下では、すべてが無言。その中での演技ですから、橋蔵さまの目の表情と仕草がものをいいます。橋蔵さまだから表現できる映像ですね。息をのんでしまいます。「このままもう少しいさせてあげて」と誰でもが思うと思います。今までの田村邸のところはあんなに廊下は長くはなかった。あの長い廊下を美しく歩けるのは橋蔵さまだけでしょう。そして、片岡源五右衛門との別れ、内匠頭の表情のアップが全部心情を語っていて、見ている私達が源五右衛門になったように錯覚を起こさせます。
源五右衛門に無言の語り掛けで、左に首を少し向けてから、右手を少し上げ手のひらを上に向け、別れをする。このやま場で心が涙で震えるのです。
橋蔵さまの内匠頭は、あそこまでの堪え偲ぶ様子を熱演でした。
切腹のところは、橋蔵さまの所作の美しさでしょう。橋蔵さまは裃を抜きとって、着物の袂を底から出す時に、自然にご自分で袂の具合をなおすのです。見についた一つ一つがいたるところに、神経がいきとどいているのですね。
さあ、作品から、いろんな橋蔵さまを満喫いたしましょう。
✱好きな橋蔵さまの表情で満たされ✱ #投稿日2017.3.18
木蓮の花が咲きだしたようです。この花が咲くといよいよ桜が咲く準備をするそうです。 暖かいお彼岸で、お墓参りにいらっしゃる方にはよい気候のようですが、花粉が相当飛んでいるようですのでお気をつけくださいね。
私は、今朝は久しぶりに仕事に入る前のウォーミングアップに自作のDVDを1時間半ほどかけました。「おしどり囃子」「雪之丞変化」2作、「銭形平次」「江戸っ子肌」「幕末の動乱」「緋ざくら大名」、それとあと一つ??(内緒)。
私が好きな場面を集中的に見ていましたら、作品をやはり見たくなってきました。
いろいろな表情の橋蔵さまが・・かわいい橋蔵さま、鯔背な橋蔵さま、凛々しい橋蔵さま、艶やかな橋蔵さま等々・・どの表情にも惚れ惚れします。
今、「任侠清水港」に目を通しているのですが、オールスター映画初出演、追分の三五郎という正当な二枚目で出演でしたね。東映の若手スターとして主役格の石松役の中村錦之助を相手に、次に続くスターとして人気を上げて来た大川橋蔵が静かに持ち味を見せつけています。石松と三五郎の二人の場面多いのも分かります。橋蔵さま本格的やくざは初めてでしたが、すきっとしていてカッコいいですね。
錦之助さんと橋蔵さまはそれぞれの良さを持っていたので、東映時代劇はよかったのだと思います。好き嫌いは別としてね。
それにしてもこの「任侠清水港」から「赤穂浪士」まで、どういう訳か、オールスター映画でがっぷり四つに組む映画がなかったのがどうも不思議なことですね。
✱橋蔵さま 男盛りの色気がいっぱい✱ #投稿日2017.3.7
さあて、「やくざ判官」は私の大好きな作品の一つ。
目を離すわけにはいきません。それに橋蔵さまがいたるところに顔を出しますから釘付けです。
33才の男盛りの橋蔵さまは、男の色気をこれでもかと見せてくれますね。
あそこのここのと言えないほど魅力ある橋蔵さまが出てくるのです。
捕り方棒でひょいひょいとあしらいながらの立回り、綺麗です。樽の上、塀の上にのぼるのは、橋蔵さまご自身が、木に登ったり、高い危ないところに上ったりと、雑誌撮影でもよくやっていた方ですからお手のもの。
二枚目半は橋蔵さま自身魅力を出せる役。
そして、遠山金四郎お白洲も、今までの決まり切ったものでなく、和やかな自然体のもので、決めるところは決める。お白洲での橋蔵さまもいい。
私が一番好きなところは、お白洲が終わったあと、
川べりの木の下での逢引?場面・・・いやぁ、色っぽい、表情はもちろんですが、腰の線からの色っぽさ、着流しだから如実に現れます。後ろを向いていても橋蔵さまは素敵。
マキノ雅弘監督はリメイクものを時代と俳優によって、より素敵に作っていきます。
監督とは久しぶりの作品のものです。
監督は、丘さとみさんと橋蔵さまのコンビの良いところを引出していますね。
何回も見たい、橋蔵さまに酔いしれることができる作品です。
✱ 「丹下左膳妖刀濡れ燕」好きな場面✱ #投稿日2017.3.4
久しぶりに見て、この作品でよいと思う場面は、やはりここのところ、変わってはいません。
「丹下左膳」には橋蔵さまは4本出てらっしゃいます。どの作品もよいところが数か所あります。私は1958年「丹下左膳」と1960年の「丹下左膳 妖刀濡れ燕」。どちらをトップにしようかしらと迷うところではありますが。
柳生源三郎という役とひばりさんとの共演というのでは「丹下左膳」。馬に乗って乗り込んだ源三郎は素敵、道場で植木屋の姿での左膳との立ち会う場面は格好いい、あのスタイル、あのかまえですからね。
そして、さまざまな役をこなしての橋蔵さま1960年の「妖刀濡れ燕」。
作品の内容もいいのですが、橋蔵さまが光ります。伊庭道場に下男として住み込んでいる源助、ふとしたきっかけで左膳の太刀をかわしたことからことから、ただ者ではない、と左膳と初めて太刀をかわす場面、そして萩乃を一晩中看病していた左膳の良さを萩乃に言っているのを聞いていた左膳が嬉しくて源助と勝負をしたいと。橋蔵様と大友さんの一対一の太刀さばきが見られる、いいですねぇ。
この作品では、左膳が奥州相馬家に使えていたこと、なぜ片腕、片目になったのかが分かります。
伊庭道場の萩乃に一目惚れした左膳の心情とそれを見た源助の男としての心情が描かれます。
萩乃は父の言いつけで下男の源助をお伴に旅に出ます。(源助と一緒だと聞きがっかりする萩乃。)
足を痛めた萩乃に、(チョビ安が小さい子をおぶるのをみて)、
源助が「お嬢様、あのてでいきましょう」「さあ、こっちも負けずに、ささっ」「おいっ」といっておんぶをするからという格好をするが、(左下の画像)
「まあ、みっともない」とびっこ引きながら言ってしまうので、「えっ」と源助あきれ顔をするのです。
源助が疲れながらも萩乃をおぶってチョビ安たちが待つ茶店まで来た時、萩乃が子供たちが見ているから降ろせと、でも、足が痛くまたおぶえというわがままな萩乃に使える源助、あの表情はたまらないわ。
萩乃「源助」
源助「えぇ」
萩乃「私降ります」
源助「いやぁ、もうそこが茶店でございますから、もう少しの御辛抱で」
萩乃「子供が見ている、みっともないではないか」(上段の画像)
源助「へっっ、足がいてえのにそんな体裁なんか」
萩乃「馬鹿、降ろせ」と頭を押さえつけられ二人とも倒れてしまい、子供たちが助けようとすると、びっこを引きながら一人で歩こうとする萩乃を見て呆気に取られていると、
萩乃「何をしているのです。早く私をおぶりなさい」
源助「えっ、・・へつ」といい、源助もびっこを引きながら萩乃をおぶってあるくのです。
(桜町弘子さんも「若様侍捕物帖 紅鶴屋敷」と「新吾十番勝負」で橋蔵さまとちゃんとした共演をやってきましたので、この作品でのお二人は見ていて安心いたします。)
さらわれた萩乃を左膳が一晩中看病していて、萩乃が目をさまし左膳を見たら容赦せぬと言われしょんぼりと小屋を出て来た左膳と目が合い、左膳の気持ちを汲み取った源助の表情何とも言えません。(右下の画像)
そして小屋に入り、化け物と左膳の気持ちを分からない萩乃に、左膳の良さを説くところ、感動ものです。(この時には、言葉が下男としての源助ではなくなっていますよ。)
萩乃が「好きです」と源助に打ち明けます。
源助「あなたには、男と女の深い思いがお分かりとは思われぬ」
萩乃が私の思いが分からないのかと
源助「私は初めて男のひたむきな心を見た。頭が下がる思いがした」
何のことかと
左膳は昨夜一晩中、萩乃を見つめたまま身動きもせず泣いていたと。
萩乃「あの化け物が」
源助「化け物、片手片腕それ故に化け物か。あの姿になったのも、馬鹿な主人に一途に使えたゆえのものだ・・・」
わたしには関わりのないこと
源助「だからおめえさんには、男と女の情なんかわからねぇと言ったんだい。・・・おめえさん、俺を好きだという・・何故だ、へっ、おれのつらはのっぺりしていて、さっき、ばれたところじゃ、やっとうの腕も立つ。これなら道場の婿にしても・・なんて言うことに違いねぇな」
✎(載せたい画像は他にもあるのですが1回に3枚までしか載せられないので、こんなところで、台詞からも想像していただければ。見ている人はあそこのことねと、まだ見ていない人はこんな所があるのと、想像して出来たらご覧になってね。)
立回りは、この頃になると一段と良くなっていて、美しさの中に力強さが見えて
来ましたし、侍姿、やくざ姿、町人姿と、それぞれの立回りのスタイルが橋蔵様の場合違いますので、見ていて引き込まれていきます。
そして、橋蔵さまの魅力である二枚目半的要素が強く引き出されてきた作品だと思います。
そう言う意味では、「妖刀濡れ燕」の方が、魅力あると私の中では思っています。
必ず、身分を隠してという筋での役ですから、今回も下男の源助は、実は相馬家の世継ぎ源之助、最終場面で素性を明かし、、悪だくみをする家臣を暴いていくというもので、得意の役ですね。
最後は、萩乃が待っているのを見て、少しづつそちらの方に行く源之丞が・・・二人の中はよくなってハッピーでした。。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱その時、橋蔵さまの心に過った思い✱ #投稿日2017.3.19
第一回東映歌舞伎、今回はこの時橋蔵さまの心を過った思いを書きとめて幕としたいと思います。
7年ぶりの舞台。明治座の檜舞台を踏みながら、7年の月日を一瞬のうちに吹き飛ばし、身の引き締まるような感動を覚えたのです。
キイの音と共にスルスルと引き幕が開けられ、シーンと静まり返った客席に潮騒のようなどよめきが起こるあの一瞬。7歳で初舞台を踏んでから、東横ホールでの最後の舞台まで、あの一瞬に俳優としての全てを賭け続けてきました。
芸道の鬼と言われた故六代目菊五郎の養子として育てられ、幼い日の夢も、思春期時代の心のときめきも、すべてが一切舞台によって支えられていました。
物ごころつかない幼い頃から俳優だった祖父に抱かれ、化粧部屋で舞台から遠く聞こえる三味の音を子守唄のようにしてまどろみ、激しい芸への精進をごく当たり前のように受け取っていたのです。
着物を着ていたのでは本当の型が分からないと、寒い冬の日でも裸にして厳しく教え込んだあの養父の芸への闘志。厳しすぎると恨み、激しすぎると泣いた、当時の未熟な自分の姿を、今はいとおしむように思い出しているのです。
こんなにまで愛した舞台への決別。幾晩も幾晩も眠れぬ夜を送った末、未知の世界への果てしない期待に、ついに過去の生活を断ち切る決意をしたのです。
最後の舞台は、東横ホールでの三社祭。若手俳優の集いににつかわしく明るい舞台であったにもかかわらず、僕の目は涙にくもり客席が遠くかすんで見えたのを覚えています。
芝居がはねた後、僕はたった一人で、人気のない舞台の上にたたずんでいました。
じっと耳をすまし、どこからか聞こえてくる客席のどよめきをとらえようと何時までも去りが邸思いにとらわれていました。
久しぶりの舞台に、無ねおどろかせながら、過ぎ去った昔を懐かしんでいるのです。
毎日を懐かしさと熱意でつとめている今日この頃です。
1962年8月からある期間毎年行われた東映歌舞伎を通して、橋蔵さまの舞台に対する思いが強くなっていったと思います。これなら今からでも以前のように舞台を踏むことはできると・・。そして、まわりも橋蔵さまの芸を見逃さなかった。
興行的に歌舞伎役者としての演目もでき、大衆向けの演目もでき、今一番客を呼べる橋蔵さまに松竹はアタックしていたのでしょう。映画界から一歩引いた橋蔵さまを放っておくわけがありません。そうしてテレビの「銭形平次」と共に、橋蔵さまの舞台にかける気持ちも大きくなっていった。ご自分の大好きな舞台で、忘れることはなかった歌舞伎の演目を入れて、ご自分の芸に磨きをかけていくことが出来る。六代目の得意とした舞踊も演じることが出来る。ですから、忙しいスケジュールを押してでも、舞台をやり通したのですね。
やはり橋蔵さまは、歌舞伎役者を自負していたのですね。
画像は、第一回東映歌舞伎「花の折鶴笠」の中での幻想シーンの舞踊から
北条きく子さんとは、この舞台で初めて顔を合わせました。嵯峨美智子さんに似た雰囲気を持つ女優さんが入ってきたということで、育てていかなければとの思いがあったようです。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱ 第一回東映歌舞伎から(4) 撮影日記より✱ #投稿日2017.3.16
1962年7月、8月第一回東映歌舞伎に関してのところだけですが、橋蔵さまの撮影日記から抜粋して載せました。橋蔵さま7/15までは京都で「まぼろし天狗」その合間を見てセリフの勉強や大友さんと打ち合わせとか・・。
7/15 11時からのアフレコで「まぼろし天狗」のボクの出番がアップ。3時には帰宅し、明日の状況の準備。
7/16 東映歌舞伎出演準備のため東京へ。19家30東京液着。早速セリフの勉強にとりかかる。
7/17 ママと一緒に六代目の墓前に東映歌舞伎出演報告をする。もし生きていたら、久しぶりに舞台を踏むボクの姿を見て何というかなぁと思ったら、思わず身の引き締まるのを覚えました・「見ていてください。立派に舞台をつとめてみせます」と心の中で誓いながら・・。
7/18 10時から知人関係へお中元まわり、18時からプレス関係の方たちと会う。 帰宅後「濡れつばめ」の台本が届いていたので早速め目を通す。読んでいるうちに、演技のことなど考えて、気がついたのは19日の午前2時でした。
7/20 今日から、踊りのお稽古を始めました。
7/21 午前中はセリフの勉強。舞台のセリフは発声法から別ですから、工夫が必要です。午後からは、踊りの稽古。
7/22 セリフの勉強と、踊りの稽古で一日暮れました。夕食後銀座へでも散歩に出かけようと思ったけど、明日に備えてやめにする。
7/23 10時から15時まで、「いれずみ判官」の立稽古。15時すぎからは、「濡れつばめ」の稽古。張り切っているせいか、そう疲れもしません。
7/24 9時から17時までブッ通し「いれずみ判官」の舞台稽古。
7/25 9時から17時まで、「花の折鶴笠」の稽古に入りました。17時30分から池内順子さんと対談。対談終了後、20時から「いれずみ判官」の稽古。
7/26 9時から15時まで「花の折鶴笠」の稽古。終了後、三条江梨子さんとカラーグラビア写真撮り。
7/27 「いれずみ判官」の稽古。
7/28 連日の猛稽古で、ちょっと声帯を痛めたので、13時過ぎ咽喉科へ治療にいきました。大したことはないのですが万全を期しました。17時から19時までセリフの勉強をして、今日は稽古はお休みです。
7/29 稽古もラストスパート。10時から16時まで「濡れつばめ」の舞台稽古。
7/30 9時から18時まで、「濡れつばめ」「花の折鶴笠」の総稽古。何時幕が開いても大丈夫です。18時30分から大川社長の招待での夕食。
7/31 17時から24時まで「いれずみ判官」の舞台稽古。残すところあと1日です。舞台で頑張ります。
こうして、第一回東映歌舞伎の幕が開いたわけです。
画像は「いれずみ判官」の伊佐新次役です。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱第一回東映歌舞伎から・・(3)✱ #投稿日2017.3.12
先日は、第一回東映歌舞伎の初日の楽屋裏の様子と記者の見た感想を載せました。
今回は、何日か過ぎた頃、大友柳太朗さん、東千代之介さん、そして橋蔵さまの三人が、舞台の合間に雑誌が設けたおしゃべりコーナーから抜粋、要約して載せて見ました。
ご存知でない方のために書きましたので、ちょっと長くなりますが三人のおしゃべりにお付き合いください。(お茶でも飲みながら・・ネ )
ここから、皆様は何かを感じとれるかしら、感じとれたらうれしいなぁ。
🎤「仲良しトリオ座談会」から
“魅力いっぱい愉しき舞台”三人のたわいないおしゃべりを少し、掻い摘んで載せてみました。
*大友・・・・ こう忙しいと、暑さなんて感じている暇なんかないみたいだ。
*橋蔵・・・・ まったくそのとおり。比較的夏負けしない方だけど、去年あたりは少しバテ気味でした からネ。
*大友・・・・ 君なんか体重が軽い方だから、それほど夏は苦しくないかもしれない。僕はこのボリュームだろう。毎年、いかにして夏を涼しく過ごそうか知恵を絞るのだが、今年は東映歌舞伎で冷汗三斗。涼風いっぱいというところだよ。(笑)
*千代之介・・これ全身冷房完備というわけですネ。(笑)
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*橋蔵・・・・しかし楽しいですねエ。
*大友・・・・全く仰せの通り。(笑)
*千代之介・・初めての学芸会の頃を思い出しましたよ。
*大友・・・・この道じゃ、随分長くメシを喰ってきて、心臓の方も大分強くなっているつもりだが、初日は何となく体が震えてきたからネ。
*橋蔵・・・・先輩のボリュームで震えがきたんじゃ、舞台装置が随分揺れていたことでしょうねエ。(笑)
*大友・・・・そういう君だって、幕が開くまで、てんで落ち着かなかったじゃないか。
*橋蔵・・・・アレエ、バレたか。(笑)
*千代之介・・僕なんていまだに出が近くなるとソワソワしちゃって。
*大友・・・・だからトイレが近いのかナ。
*千代之介・・まさか、それほどじゃありませんけれどネ。しかし、それに遠からずってところですかナ。(笑)
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*大友・・・・舞台っていうのはいいねエ。
*橋蔵・・・・映画とはまた違ったよさがありますからネ。
*千代之介・・ツーていえばカーとくる。
*橋蔵・・・・そうそう、それそれ。(笑)
*大友・・・・泣いても笑っても、そのまま観客の反応がこっちに響いてくる。たまらないねエこの感じ。(笑)
*橋蔵・・・・映画に入ってからは、一本の作品がブツ切りでしょ。後になってフィルムを見て、ああそうそう、あそこはこうだっけと思うけれど、舞台の場合は、最初から最後まで一本で通せますからネ。
*千代之介・・ウン、それが魅力ですよ。映画の場合は、クランク一日目にラストの斬り殺されるところを撮ったかと思うと、翌日はファーストシーンのラブシーンを撮影したり、まきに神業の連続ですからね。その点舞台じゃ死んでしまえばそれっきり。ちゃんと順序通りことが運ばれるからいい勉強になりますよ。
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*千代之介・・先輩の丹下は実に豪快ですねエ。あの殺陣の素晴らしさは、大向こうから掛け声の一つもかけてみたくなりますよ。
*橋蔵・・・・貫禄十分。実にけっこうな丹下でした。
*大友・・・・素直にお受けしましょう。
*千代之介・・先輩は新国劇のご出身でしたネ。
*大友・・・・ウン、僕はもともと大の辰巳先生のファンだったんでネ。芸名の柳太朗は辰巳先生からいただいたんだよ。
*橋蔵・・・・辰巳先生の丹下も迫力があって素晴らしいと思いましたよ。
*大友・・・・殺陣が素晴らしい。男性美の極みっていうんだろうネ。先生が動くと、どんな広い舞台でもとても狭くかんじるから不思議だね。
*千代之介・・芸の偉大さなんでしょうね。
*大友・・・・そうなんだろうな。橋蔵君なんかも、こうやってみると、一見スマートで華奢に見えるだろ。でも舞台じゃ、なかなかのボリュームだからね。やっぱり舞台で鍛え上げた人間は、そういったところに違いがあるんだろうね。
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*千代之介・・橋蔵さんも出ずっぱりの三本じゃ、大変ですね。
*橋蔵・・・・女形と違って身が軽いから、その点は助かりますよ。
*大友・・・・女形ってのは、夏はシンドイだろうね。
*橋蔵・・・・エエ、今から考えると、よくまあやれたと思いますよ。しかし、それが自分の進むべき道だと思えば、大体どんなことでも耐えられるものですね。
*大友・・・・うん。そのとおりだよ。新国劇時代は、修行が厳しかったからね。先輩たちの舞台を幕の袖からジッと見ながら会得していかなくてはならない。それにあの立回りの稽古。これがまた厳しかったねエ。
*橋蔵・・・・亡父の菊五郎は、芸にかけては、あれほど厳しい人はありませんでした。初めは辛くて、辛くて。でもそのうちに、亡父の厳しさは自分自身に対してはよりいっそう厳しいのだな、ということが分かってからは、辛いなんてことは忘れてしまいましたねネ。六代目も、芸は自分で極めるものだという信念の人でしたから、手に手を取ってなんて教え方は決してしませんでした。その代わり、突然、「富成××を踊ってみろ」とか、「どこそこをやってみろ」とか言うんです。出来ずにマゴマゴしていると、お前は、俺の側にいて一体何を見ていたんだ」って頭から怒鳴りつけられる。それが恐くて、亡父の舞台は、目を皿のようにして見たものですが、今考えると、何故、もっともっと亡父の舞台からあらゆるものを吸収しておかなかったのかと悔やまれますよ。
*千代之介・・僕なんか六代目の舞台っていうと、とんでいって見たもんですよ。なにしろ僕は大の歌舞伎ファンですからね。もうあの世界に入りたくってどれだけ奔走したかわかりませんよ。
*大友・・・・でも、いまじゃ、こうやって東映歌舞伎に出られる。千代ちゃろんの初志が実ったってわけだネ。
*千代之介・・断念して映画界に入ったのが、夢の実現への近道だったという次第で。
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*千代之介・・橋蔵君は、二枚目半的要素が多分にありますね、先輩。
*大友・・・・多分なんてものじゃない百パーセント。(笑)
*橋蔵・・・・百パーセントはちょっとひどいですよ。
*千代之介・・フフ・・。
*大友・・・・いやだねエ。思い出し笑なんてエのは。
*千代之介・・失礼、失礼。いやア、橋蔵君の「花の折鶴笠」のオトボケぶりを思い出しちゃったもんでネ。
*大友・・・・ハッハッハッは、ありゃア実にいい、けだし名演技だよ。
*橋蔵・・・・丹下流の笑いで吹き飛ばされると褒められているのか、貶されているのかちょっと分からないけれど、僕は好きだナ。苫の半太郎って役。
*千代之介・・僕も好きだな。実にやりがいがある。あれは長谷川一夫さんが主演で映画化されたんだっ・・。
*橋蔵・・・・そうなんですよ。戦前は「旅の陽炎」戦後は「折鶴笠」っていう題名で二度映画化されています。僕は両方とも見たんですけれどネ、何時まで経っても印象に残っていますねエ。それで今度の演しものをあれやこれやと考えているうちに、そうだこれを、と思い立って作者の犬塚稔先生にお願いし、舞台ように書き直していただいたんですよ。
*大友・・・・小悪党だが、人間味がある。野卑だが愛嬌がある。生まれっぱなしみたいなこの男の野放図さを、よく演じきっているよ。
*千代之介・・つんつるてんの牛方のどてらを着た橋蔵君は、ほんとうに可愛らしい。
*橋蔵・・・・可愛らしいはないでしょう。堂々たる大人をつかまえて。
*大友・・・・「濡れつばめ」がどちらかといえば思い芝居だから、組み合わせとしては最高だね。
*千代之介・・川口先生は、この道じゃあなんといってみ第一人者ですねエ。
*橋蔵・・・・台本をいただくまでは、そりゃア夜も寝られないくらい心配しちゃいましたけどネ。脚本を読ませていただいたとたん、天にも上るような心地。そして翌日からは脚本まけしちゃうのではないかとまたソワソワ。とうとう七月の半ばには東京へすっ飛んで来てしまいましたよ。
*大友・・・・分かるよ、その気持ち。脚本のことや演出上の相談で稽古に入る前に、何度も東京まで飛んできては、安心して京都に帰るのだが、帰るとまた心配になって今度は電話にしがみつく。そんなことを繰り返していたら「そんなに心配なら止めちまえ」って怒鳴りつけられてしまったよ。
*千代之介・・台本もらった時は、何かこう背筋がシャンとしましたからネ。
*橋蔵・・・・撮影所で会ったら、千代ちゃんにっこり笑って「きましたよ」。
*千代之介・・橋蔵君もにっこり笑って「いよいよですね」って・・。
*大友・・・・張り切っちゃったからネ、みんな・・。
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*橋蔵・・・・長い間舞台を離れていると、声の出し方までわからなくなってしまう。
*千代之介・・おなかから出さずに、のどでふりしぼってしまうから、すぐに声が割れる。
*大友・・・・千代ちゃんは長唄で鍛えているから、あまりワレないよ。僕は最初のうちまいっちゃったネ。つい怒鳴っちゃう、のどに力を入れてしまうので、声はワレるしセリフは飛ぶし、初日までもつかと、谷屋先生もハラハラしていたからネ。
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*橋蔵・・・・先輩は、大分早くから稽古にはいられましたネ。
*大友・・・・うん、折角東映歌舞伎と銘打ってお客様を集めるんだから、学芸会みたいな事にしたくないと思ったんでネ。
*千代之介・・そうなんですよ。僕も念願かなっての舞台なんで、毎晩テープレコーダーの前に腰をすえては、賢明にセリフの練習をしました。
*橋蔵・・・・舞台だけはNGがだせませんからネ。その日その日が一本勝負。いい勉強になりますよ。
*大友・・・・これを機にまた、みんな大きく成長するだろうね。
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*千代之介・・東映歌舞伎は若さの集い。
*橋蔵・・・・うまいぞ。(笑)
*大友・・・・東映歌舞伎は青春のシンボル。
*千代之介・・これもイカス。(笑)
*大友・・・・とにかく楽しい。
*橋蔵・・・・理屈なしに楽しい。
*千代之介・・これからますます張り切らなくっちゃ。
*橋蔵・・・・だけど油がのりきったところで楽日ってことになるのだろうナ。
*大友・・・・そうさ、だけどそこが又いいとこさ。
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*千代之介・・先輩なんかは万年青年。
*大友・・・・それはちと、オーバーだけどね。
*橋蔵・・・・白地に梵字を書いた着流しスタイル。愛刀濡れつばめを口にくわえた大友左膳の舞台姿は、まさに青春のシンボルですよ。
*大友・・・・片目片腕の青春なんて、あまりイカサないぜ。
*千代之介・・いや、それがなかなかカッコイイ。(笑)
*橋蔵・・・・千代ちゃんの浪人姿もカッコイイ。(笑)
*千代之介・・橋蔵君の風来坊もカッコイイ。(大笑)
*橋蔵・・・・あれはカッコイイとはいわないの。僕の人間的に良さがにじみ出ているだけ。(笑)
*千代之介・・アレ、随分大きく出たねア。
*橋蔵・・・・まかしとけ、まかしとけ。
*大友・・・・何をまかしとくんだか知らないけど、当分撮影所も歌舞伎ブームだろうネ。
次回も、第一回東映歌舞伎の稽古の時期の橋蔵さまの様子を載せたいと思っています。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱ 第一回東映歌舞伎から・・(2)✱ #投稿日2017.3.2
読売新聞の映画記者 谷村錦一さんが第一回東映歌舞伎を3回見て「舞台見たまま」を書いた記事から抜粋・要約で書きました。
私もそうですが、見ていないファンの人達にとっては、当時、東映歌舞伎が期待されていたことがお分かりになると思います。
値段の高いチケットに驚かされ、東映ファン層からいっても、満員は危うしと予測していたそうですが、いざフタをあけてみると大入満員で、嬉しい驚きであったといっています。
昼、夜ずっと見ていて驚いたのは、主役役者の大きいこと。
「旗本退屈男竜神の剣」の市川右太衛門、「いれずみ判官」の片岡千恵蔵、「丹下左膳」の大友柳太朗の”大きさ"立派さ”にびっくり。
ファンお目当ての大川橋蔵については、あとで語りますと。
現在の(当時です)歌舞伎の世界を見ても右太衛門、千恵蔵の舞台姿と比べてそれ以上に”大きく"感じる人は数えるほどしかいなであろう。
舞台正面諸羽流正眼崩しで見得を切る、引っ込みでにっこり笑いあげ幕に向う右太衛門。「いれずみ判官」序幕でカメが割れて舞台に飛び出した千恵蔵が「背中に彫ったいれずみは・・」と大見得を切るところ、「濡れつばめ」二幕目天野道場で出てくる剣豪天野伝七郎の大きさ。まさしく立派な役者である。大友もまた「丹下左膳」序幕、二幕目、大詰め(駆けつけの姿)など、見事な”大きさ”である。千恵蔵、右太衛門は久しぶりの舞台、新国劇では大部屋だった大友がこれほどまでに大きな役者としてヒノキ舞台で堂々たる芝居姿を見せようとは驚きである。
👑大川橋蔵は、これは大きくなったというよりも、鮮やかに伸びたと言いたい。👑
女形としての橋蔵の舞台はよく拝見していたが、立役、二枚目としては、私は初めての橋蔵の舞台である。
歌舞伎というものには、一番近くまで接していた橋蔵。7年ぶり。それも人気第一の舞台だけに、わたしは逆に歌舞伎役者らしい芝居を頭にしていたら、👑橋蔵はちゃんと”映画スター橋蔵”としての舞台をみせてくれた。👑
はっきり言って千恵蔵、右太衛門にはオーバーなまでの歌舞伎の芝居のムードがある。これもそれなりに面白い。大友は新国劇と映画をミックスした味を振りまく、これまた魅力であろう。
しかし、👑橋蔵は歌舞伎の芝居の仕方から一歩飛び出した映画人らしい演技を見せている。若い橋蔵の可能性の広さである。👑
千恵蔵、右太衛門にはクローズアップの演技が多く、大友は諸先輩とは違っているが、やはりアップの芝居で魅力をだそうとしている。
これに対し、👑橋蔵は、芝居の登場人物を、あくまでストーリーの波の中でつかみ、自分の魅力と役への興味とをミックスしながら演技をしている。👑
この見方は、この公演で、橋蔵が一番いい脚本を掴んだことによって大きく儲けたともいえる。「濡れつばめ」「花の折鶴笠」という”橋蔵もの”には、主役がどんな人物で、どうしてこうするということが、描かれている。他のものには、ドラマとしての人物としては弱く”芝居”つまり”話”としての面白さなど少しもかかれていない。だから、3人の芝居にはスターの魅力には拍手を送るが、芝居としての面白さにはかけた。橋蔵の出し物2つが芝居としての面白さをもっていた。
この東映歌舞伎で久しぶりに、芝居が、そして役者が好きで劇場に来ている”客”を見ることが出来た。一番目の序幕が開くまでに観客席はいっぱいになっている。初日の夜の部の終幕は11時半を過ぎたが客は帰らないでちゃんと座っている。役者が見得を切れば、本当に嬉しそうな客の顔。東宝歌舞伎と違って、派手さはなかった。掛け声や嬌声をあげることにも馴れない映画のお客さんが東映歌舞伎では一生けん命に好きな役者、好きな時代劇にたのしみを感じている。そんな素朴なお客で一杯の東映歌舞伎である。
🌊大衆と舞台がこんなにまで素直につながっている芝居が嬉しかった。
娯楽時代劇といえば小馬鹿にするような人達もいる。通俗結構じゃないか。お客さんが喜んで見てくれることは大衆が求めている慰安への望みを時代劇がちゃんと果たしているからではないかと、胸を張りたい気持ちだ。🌊
✎ (ここからは私の見解です)
芝居も、映画も先ずは、題材選び、演ずる人に合わせての脚本、そして演ずる人の魅力と実力ということになるのでしょう。
この第一回の橋蔵さまの場合、映画で見せる憂いある演目と、橋蔵さまのもう一つの持ち味の二枚目半の演目を持ってきたということは、舞台を見ている私達にとっても意外性と新鮮さがあります。橋蔵さまの、ご自分を発揮する、ファンが何をすれば喜ぶか、ということを計算しての演目、演出だったのでしょう。
舞台は毎日が勝負です。舞台は生きています。撮り直しはできないぶっつけ本番、その人の魅力が日を追って増していきます。
橋蔵さまは、歌舞伎時代、舞台の袖にいて見て常に勉強をしてきた人ですから、お客様の反応を感じとることは自然と身体に沁みこんでいます。
後々を考えても、舞台上での橋蔵さまはいきいきして見えました。
橋蔵さまの精神は”舞台人”だったのですね。だから、東映歌舞伎も長い期間昼夜やってきたのでしよう。
歌舞伎俳優として生きた橋蔵さまに火をつけた「東映歌舞伎」でした。
画像は、第一回東映歌舞伎「濡れつばめ」新選組の若き隊士 藤堂源之丞(左の画像)
「いれずみ判官」遊び人 伊佐新次(右の画像)
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)