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🔶お知らせ・・ロケット掲示板とRara掲示板は同時運営しております

このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱あらえびす文化賞✱ #投稿日2016.4.25

一般社団法人作家クラブの創設者、野村胡堂先生を顕彰するために制定いたしました「あらえびす文化賞」第1回目の表彰式が昨日4月24日ありました。
昨日、野村胡堂原作時代劇放映開始50周年ということで「銭形平次」主演で橋蔵さま受賞されました。
舟木さんの「銭形平次」の歌も特別賞をもらっています。
1966年放送のテレビ時代劇「銭形平次」(フジテレビ)主題歌50周年の功績をたたえられての受賞に「僕は歌を歌っただけ。いかに大川橋蔵さんがすばらしかったかです」とあいさつしています。
◇「あらえびす文化賞」は、当クラブの創設者である野村胡堂先生を顕彰するために新設したものです。野村胡堂先生は、一般紙時代の『報知新聞』政治部記者として活躍しながら、筆名「あらえびす」で世界初のレコード音楽評論家として名を上げられました。同時に、野村胡堂の筆名で小説を執筆。戦前戦後を通じて、小説、映画、ラジオドラマ、テレビドラマ、舞台で取り上げられた人気時代劇『銭形平次』の原作者としても知られます。幅広く、奥行きの深い昭和を代表する教養人・知識人の1人と言っていいでしょう。
当クラブは、2014年(平成26年)から、これらの業績のうち、文芸領域ち特化した「野村胡堂文学賞」を実施してまいりました。引き続き、今回は新たに「あらえびす文化賞」を創設。胡堂先生の幅広い業績のうち、文芸領域を除く文化全般などを対象とした新賞を実施の運びとなりました。文学賞、文化賞の2つ合わせてようやく、全領域を網羅した当初案「野村胡堂賞」のコンセプトと一致します。◇
第1回受賞者は以下の通りになっております。
【あらえびす文化賞】
吉村卓三 『鳥と卵と巣の大図鑑』(ブックマン社)
世界一の大図鑑。長年の苦労を経たギネスブック級の大仕事です。

大川橋蔵 テレビ時代劇『銭形平次』(フジテレビ)主演
今年は、野村胡堂原作の時代劇が放映開始50周年です。それを記念して、演技者・表現者として表彰することとなりました。

尾上菊五郎 大河ドラマ『源義経』(NHK)主演
今年は、村上元三原作の大河ドラマ50周年です。それを記念して、演技者・表現者として表彰することとなりました。

【あらえびす文化賞特別賞】
舟木一夫 テレビ時代劇『銭形平次』主題歌(コロムビアレコード)歌唱
ドラマと共に50周年。日本で最もお茶の間に親しまれた歌の一つでしょう。
それを記念して、歌い手、表現者として表彰することになりました。

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✱橋蔵さま、いつまでも✱ #投稿日2015.12.7

橋蔵さまがお亡くなりになったのを知ったのは夕方のニュースでした。
「えっ、いま何と言ったの」、耳を疑ってしまった。「まさか、うそ」
でも舞台をやらなくなっていて具合がよくないことは聞いていたので、「やっぱり、その時が・・」と葛藤していましたので呆然とした時間が過ぎていきました。こういう時の悲しみって涙はすぐに出てこないものです。

Youtubeに投稿されている動画「東映城のチャンバラスター永遠に」は皆様ご覧になっていると思います。52年放送の中でも橋蔵さまが言っていることは聞いてお分かりになっていらっしゃいますね。
「私がこの世の中で勉強して活躍させていただく場所というのは、三つしかないんじゃないかと。一つは映画界、一つはテレビ界、一つは演劇界、舞台です。この三つを自分の働く場所として、毎年どこに主軸を置いてやっていくかということを考えて進んできました。」このようなことを言っていました。

それから2年あとぐらいのある対談でも同じことを言っていました。そして続けて橋蔵さまはこうもおっしゃっていました。
「私のいまの立場では、映画は別に出て行く必要がありません、現在はテレビを主軸にして舞台を、大衆演劇というものを自分なりの地盤を築いていきたいという気持だ。」「もう一つは、自分個人の踊りを大切にしていきたい」
「娯楽というものを日本のみなさんに提供していくことが自分の一番のつとめではないか、割り切って思っているので、大衆とともに生きていきたいと思う。」

これだけの信念を持ってまた新境地を開こうとしていた橋蔵さまだったのに、早すぎです。橋蔵さまがいたらテレビ界での時代劇も、演劇界も今のようにはならなかったのでは、と思うのです。
藤間紫さんが生前、舞踊界にとっても橋蔵さまが亡くなったことはすごい痛手だとおっしゃっていたように、舞踊界でも大切な人でした。橋蔵さまの創作舞踊とか観たかったです。
東京に住んでいながら・・・橋蔵さまには申し訳ありませんが、この掲示板からご挨拶させていただきます。橋蔵さまが天の世界に旅立たれてまた一つ年を重ねるのと同じ日、私は天へ一歩近くなりました。

広い空から、見つけてください、そして見守ってください。
橋蔵さまが私たちファンのために残してくださった作品から夢、希望をいただき橋蔵さまファンとして邁進してまいります。
橋蔵さま、お好きな綺麗なたくさんの花に囲まれていることでしょう。
墓前にはいかれないので、私はここからお花を手向けさせていただきます。
午前1時29分 合掌。
橋蔵さま、今でもあの日突然の知らせが届いたときのこと忘れることができません。でも橋蔵さまらしい、華のある役者のまま別世界に・・
私たちにいつまでも夢を与えて・・

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✱大衆娯楽を大切にして・・✱ #投稿日2015.11.27

橋蔵さまのファンであることを堂々と、恥じることは何もないです。
今までずっとファンできた方、橋蔵さまの全盛時代を知らない世代でファン
になった方、この方達は橋蔵さまの容姿がいい、格好いいというだけでなく、映画を観てどこかが他の俳優とは違う魅力があるというところを、見極めた素晴らしい人達だと思います。
最初は素敵だからだけで興味をもったとしてもいいと思います・・作品をいくつか観ていくうちに、橋蔵さまの良さを絶対見つけると思うのです。今若い人も、もう少し年がいったとき橋蔵さまの作品にめぐりあったなら素通りはできないと思います。
時代劇は夢を与えてくれるものがないといけません。
橋蔵さまは映画界に入ってからご自分は娯楽映画で行くと決めた方でした。そして最後まで大衆娯楽に徹しました。映画、テレビ、舞台でも、楽しんで観てもらうということを大切にしてきた方でした。
そういう俳優がいてもよいのではないでしょうか。

橋蔵さまは、結婚騒動がおきた頃ファンのことで考えたこともあったようです。50歳ごろにおっしゃっています。
ファンは異性として支援している人が大部分。結婚することになるとそういうファンはやめていく。それでもついてくるファンは、ほんとの私の持っているもの、持っている芸術そういったものに興味をもって支持し、応援してついてきてくれるということ。新たなる大人としての俳優の作品、演技的なもの、人間的なものをひっくるめて応援してくださるファンが出来るということで、これが私のほんとのファンじゃないかと思います。

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✱ 作品2本を✱ #投稿日2015.11.26

昨晩、東映チャンネルで20時からの「丹下左膳 妖刀濡れ燕」を観ました。
橋蔵さま、下男の源助が実は相馬家の世継ぎ源之助であるという、得意の役ですね。
下男の源助がいい、橋蔵さまの魅力がこういう役に出てくる。この頃になると立回りも一段と良くなってきている、美しさは勿論なのであるが力強さが加わっている。すべて立回りの時の格好は(本来は武士であるが)町人姿でのものであるが、またそこがいいのです。
「丹下左膳」の柳生源三郎がとび職の格好で左膳と道場で手合わせ、「清水港に来た男」も武士でありながらやくざ姿での大立ち回りもその類いのもので唸らせる所があります。

そのあと、「恋山彦」をちょっと違う観方をしました。
自分自身で楽しむために、歌とで作り仕事をしながら観る聞くために作った一つに「恋山彦」があるのです。それらを毎日ランダムにかけているのですが、昨日かけていたら映画をみたくなってしまったのです。多分歌と映像が25日という日の心に響いたのかもしれません。

本題にもどりまして、
「恋山彦」小源太が素晴らしいのは分かっていますが、私は無二斎に魅かれてしまうのです。
おむらから一蝶が女の人を隠しているみたいだと聞き、酔いに任せ一蝶の家へ行き、一蝶を振り切って誰をかくまっているのか襖を開けるまでの場面、無二斎が道場で一蝶に小源太を生かしておきたいんだろうと言いよる場面、小源太の装束で身代わりになり捕り方に囲まれておむらの家の前に来た時、無二斎を見ての言葉におむらの方を見て何も言わず捕り方を引き連れて去っていく場面、胸打たれるのです。

ここでちょっと、一蝶役の伊藤雄之助さんがその時に書いていらっしゃる中で、このようなことをおっしゃっています。
雄之助さんはこの役の設定を才能があるのに酒で枯らすという方法で、アル中の気がふる絵師に扮しようと思ったようです。雄之助さんは40歳ですからそれに扮するのは不自然ではないのですが、親友である無二斎がちょっとばかり若すぎるということに気付いたのでした。
元来橋蔵さんは若く見られるタイプ、雄之助さんは老けて見えやすい。
そうすると、二人の年齢の隔たりがさらに大きくなる。そこで、最初の設定を中止して雄之助さんが若返ることになり、橋蔵さんが少しばかりやつれを見せた浪人になる。歩み寄って年齢差を出来るだけ縮めよう、というわれで、この点が二人の苦心なのですと言っています。

小源太については、薙刀での立回りとラストの舞踊場面はいいのはわかっていますから省きます。
小源太がお品を連れて平家村に馬に乗って颯爽と帰ってくるところ、馬上の橋蔵さまは素敵です。
橋蔵さま自身であのほこりの中を走って大変でした。暑い夏砂漠のような地での撮影。馬が大勢の人とセットなどに驚いてしまって、上手な橋蔵さまがたずなを締めてもなかなかピタリと止まってくれなかったようです。

お品と祝言をした夜の寝所、小源太が御簾を下すところの、白衣を着ている橋蔵さまの脚の線の美しさが。あの姿態は色気がありますね、

ここで撮影秘話??
お品と臥床に横たわり、お品の肩に上に夜具をかけるとき、寄り添っている以上いやがおうでも小源太の上にもかかってくる道理で「オヤオヤ、これは僕も恵子ちゃんと一緒に寝るのかな?」と、マキノ先生の顔を見ました。途端に、「バカヤロ」大喝一声。「お前は寝るんじゃない!」同じ「寝る」でも橋蔵さまは「横になって寝る」マキノ先生はそれ以上の深い意味での「寝る」だったわけで、一同大爆笑だったとのことです。

江戸城へ乗り込んみ、襖が開き将軍綱吉のところまで衣冠束帯?で堂々と歩く小源太、あそこは颯爽と優美な振る舞で絵巻物を見ているようで、さすが橋蔵さまならではです。
でも私、いいなと思いながらなぜか胸がつまるのです。

橋蔵さまの作品を見るのも先へ進みたいのですが、どうしても後戻りをすることが多くそのたびに新たな発見があるので楽しいのです。
これも私なりに、作品と橋蔵さまを真剣に観ていて評価しているつもりでいるのです。
こんな調子で昨日もまた、床に入るのが遅くなってしまいました。

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✱あの日も寒かったでしょう✱ #投稿日2015.11.25

ごめんなさい、暗い気持ちにさせてしまうけれども、私の心の中には今日も忘れられない日ですので。
今日はとても寒かったですね・・あの日もこんな風で寒かったのでしょうか・・・11月25日夕刻。

銭形平次の番組が終わろうとする頃から、橋蔵さまは体がしんどいと言っていたようです。
明治座公演を代役でお願いして気にしながら入院したのが1984年5月、余命3か月といわれ、一時退院が8月、南青山、軽井沢そして北白川で療養、10月東京へ戻っても舞台のことばかり、秋の巡業が出来ないことを心配し、1985年春に勘三郎さんとの帝劇を楽しみにしてその準備をしなければと。
でも、その舞台に出ることも無理といわれ・・(この舞台にでることを励みにして頑張ってきた橋蔵さまでしたのに)・・翌朝橋蔵さまの目は赤く腫れあがっていたということです。
そして、長くても1週間と告げらた翌日、1984年の今日再入院されました。
この時一番気にいっていた北の蛍を聞いてから、南青山のご自宅を感慨深く見渡したといいますから、ご自分で分かっていたのでしょうか。
そして待っていた車で病院へ・・。繁華街のネオンも悲しく見えたでしょう。

あの日のことが浮かぶこの時間、橋蔵さまの言いようのない○○さが・・・

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✱よもやま話として・・・②✱ #投稿日2015.11.24

銭形平次の編集することがないので、私これからこの時間にちょっと仕事をしようかなと思いますが、その前に・・橋蔵さまを思い浮かべ気分転換!!!よもやま話を書きます。

東映時代劇のスチール写真を撮っている方の“ファインダーからのぞいた橋蔵さんの魅力”をちょっと。

✐(橋蔵さまの顔はどちらからが美しい顔だと思いますか。皆様、あなたがカメラマンだったらどの角度からの橋蔵さまのスチール写真を取りたいと思いますか。作品を見ながら私だったらこのところと瞬間に手をファインダーにしてやってみるのも面白いかもネ。)✎

では “ファインダーからのぞいた橋蔵さんの魅力”
橋蔵さんの顔としてもっとも美しいのは、左からキイライトを効かせて、右側から撮ったときが最高に美しい顔だそうです。
姿勢が大変美しい、いつもシャンとしていて、大変魅力的で写真も良いものになる。そして、橋蔵さんの足はじつに美しい。ほっそりしていて力強く、見ているとスカッと気持ちよい感じになるそうです。
そのような強味を持っている橋蔵さん、着物の柄の選び方が上手なのですから鬼に金棒です。橋蔵さんは美に対するセンスが他の人より優れている。
映画がカラー化され、着物の柄選びも大変難しいもので、自分だけにあっても良いとはいえない。その役柄を通して画面全体にマッチしなければいけない。それを橋蔵さんは充分に分かっていた。

写真を撮る場合、橋蔵さんはこちらの狙いをすぐのみこんでくれて、眼と眼を見合わすだけでことが済んでしまう。スチール写真は瞬間、瞬間をパッととるので雰囲気が非常にむずかしいが、よく協力してくれた。
そういう橋蔵さんにも苦手な写真があった。・・・ラブ・シーンの写真。
若い橋蔵さんは恥ずかしくて仕様がなく、照れてしまうんだそうです。

💕 確かに映画を観ていても橋蔵さまはラブ・シーンはお上手ではないです。観ている方が照れてしまいますもの。
きれいな絵になるようなシーンはよいのですが、64年頃の映画でのようなシーンは橋蔵さまには似合わないし、橋蔵さまのイメージを会社側が壊しにかかっていたように思います。あそこまでやらせなくても、と私は思っています。

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✱徒然なるままに一日を✱ #投稿日2015.11.22

明日月曜日は銭形平次の放送がないので掲示板用は書かないので、今日はいろいろ昔のことを思い出していました。勿論橋蔵さまのことで・・12月もすぐなのでごめんなさい、徒然なるままに書きますが、許してください。

「恋や恋なすな恋」のトリミングだけはしてあるのですが、おかしいでしょう、本編をじっくり全部まだ観ていないのです。観てみたい観てみたいという気持ちはあるのですよ。
それでその時に思い出すことは、相手役が岡田茉利子さんだったらどんなだったんだろう、ということが頭をめぐってしまうんです。今更そんなこと仕様がないことですが。
ご存知の方多いと思いますが「恋や恋なすな恋」の話が持ち上がった時、橋蔵さまは岡田茉利子さんにオファーしたのですよね。岡田さんも橋蔵さまとの共演に積極的で京都まで会社に黙って出向いていいムードだったが、会社に分かってしまい当時の5社協定に違反するということで没になってしまいましたね。
橋蔵さまがこの人と、と決めたのですから本当だったら、そちらの方がもっと違ったいいものになっていたのではと。
S34頃だったかな雑誌で共演したい女優さんはということに嵯峨三智子さんと有馬稲子さんをあげていましたから、それはそれで橋蔵さまの念願は後にかなったわけなのでいいのですが。
嵯峨さんは雷蔵さんの映画で十数本相手役で出ていますから理由は分からないでもないです。
あと、共演してみたい女優さんとして、若尾文子さん、星由利子さん、司 葉子さん、などもいらしたかしら。
若尾さんは別として岡田さん、星さん、司さんは銭形平次の最後の頃、橋蔵さまの希望に答えてくださって出演なされています。「良かったな」と思いました
橋蔵さま銭形平次終了後は舞台が決まっていたようなのですが、お元気でいらしたら数年後に、絶対この方達との舞台が観られたのでは、と思うのですけれど口惜しいですね。

そうそう私、仕事上で橋蔵さまのお付き合いをしていた女優さんとご縁があったのですよね。
司葉子さんとは、請負っていた会社の女社長さんが親しくて、恵比寿ロータリークラブのメンバーで、社長と一緒に行動していた私は会の後もご一緒してお茶をしながら一緒にお話をさせていただいていました。この時は、橋蔵さまと司さんがお若い時お友達だったとは全然知らず、残念なことをしたと後になって思ったことがありました。
そして朝丘雪路さん、この方は私が最初に勤めた会社の支社長(後で私の連れ合いになった人なんですが)のところへ昼食によく来ていらっしゃいましたね。津川さんと結婚される前のことでした。テレビでの宣伝広告での打合せ日でもないし・・仕事上どこに行っているのか分かっていないといけないですから・・よくお会いしました。なんとなくわかりましたよ、男のかたが魅かれるということが。でもこの時だけは仕事の一部でも、橋蔵さまが苦渋をされた年月が思い起こされ苦痛でした。

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✱ 四方山話として✱ #投稿日2015.11.21

「恋山彦」を撮っていた時期の特集本の中で映画評論家が書いた箇所のところから”トミイの今後”についての四方山話です。(一部分カット、編集しました)
反論したい人もいると思いますが、S34年のことですからご容赦。

「笛吹若武者」で映画入りする前は、六代目尾上菊五郎の養子として歌舞伎界でも前途有望な若手役者だった。私は見ていないが、彼の女形ぶりはじつに美しかったという話である。それは今の彼を映画で見ても、容易に想像出来ることである。もし、映画界に入らなかったら、今ごろは若手女形の筆頭にあげられる華々しい存在になっていたことだろう。歌舞伎界にとっては惜しいような気がするが、映画界に入って比較的開放的な空気の中でいろいろな役柄をやったのは、彼にとっては幸福だったかもしれない。
彼の性格には、映画界の方がむいているかも知れないからだ。「笛吹若武者」では素直な演技で好感がもてたが、今日ほどの人気スタアになるとは予想できなかった。ただ、持ち前のスジの良さをまっすぐ伸ばせば、大物になるだろうという気は確かにした。今日の成功をおさめているのはスジの良さに加えて自分の魅力のみせどころというものを、彼自身がしっかり捕まえて自信をもって演技するようになったからだと思う。その自信が、彼独特の甘いお色気をスクリーンにみなぎらせるようになり、そこで人気がでてきたのだ。スジの良さにプラスアルファというものが加わってこそスタアとしての魅力と値打ちが生まれてくるのである。

ある週刊誌で、石原裕次郎と大川橋蔵の二人に、同じ質問を沢山出して別々に答えさせた結果を掲載していた。石原裕次郎は大変素直に一つ一つの質問に答えていたが、大川橋蔵のほうの答えは裕次郎に比べると、首相の国会答弁のようにソツのなさがうかがわれた。答え方がなかなかズルイのである。それだけ大川橋蔵は大人なのだ、ということができるかも知れないが、そういうソツのなさ、抜け目のなさを生かした面白い企画も考えられていいのではないかと思わせられたものである。

若殿様的な役どころで、綺麗なチャンバラをやって楽しませてくれるのも嬉しいが、彼の持っているスマートで近代的なところをクローズアップした洒落た喜劇的な映画なども見たいように思うのである。案外、そんなところから彼の新しい境地が開けていくのではないのだろうか?人気のあるうちは、おおいに人気のある役どころで押して行くがいいだろう。そして、適当な時期がきたら、すかさず、個性を生かした本格的な時代劇演技をみがくことに転換するがいいだろう。というと、なんだか、余りにヌケ目のない俳優としての行き方を奨励しているみたいだが、大川橋蔵という男はそういうところをウマくやってのけられる頼もしいしっかり者だと思うのである。

♢ 橋蔵さまの映画デビュー「笛吹若武者」ショット久しぶりに見なおしました。そのうちから私が好きなショットから3画像載せました。
🍀橋蔵さまのあの眼とあの哀愁が磨かれていったのですね。
🍀兜が重かったのかなぁ、扮装にてっしているがちょっと素が出ているところ
 が可愛いの。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱人間性にずっと魅かれていた私✱ #投稿日2015.10.31
私が今まで橋蔵さま一途のファンできたのは、綺麗な二枚目、踊りがうまいからというだけで魅かれてきたのではなく、小中高時代雑誌やTVで毎週放送していた東映ニュースで素顔の橋蔵さまからインスピレーションで受け止めた"人間性"、そして実際に近くでお会いしていた時の素顔の橋蔵さまからも、私が今までずっーと思っていた雰囲気をお持ちの方だったから、ここまでファンを通してきたのだと思います。。
役の扮装をしている時でも素を見せている時の橋蔵さまが好き。カメラを向けられていても意識していない時の素の橋蔵さまが好き。
そんな思いを持っていた私は、橋蔵さまに関して書いているものを読み返して見たとき、”やはり間違ってはいなかった”と共感したものです。

橋蔵さまについてある映画評論家が書いていたこと(s34年9月)を抜粋してちょっと書きますね。
記事に記憶のある方は、ここで橋蔵さまが清潔な人間性をずっーと持ち続けていたことを再確認できると思います。

めったに男に惚れることのない僕が、どうして橋蔵に惚れたのか。その一つは、彼が役者らしからぬ役者であること。ほとんどの映画俳優に接してきているが、橋蔵君のような”清潔な人間性”を見たことがない。この”清潔さ”が橋蔵という人間を、年が若いが大変大人にしていると思うのだ。

俳優はファンあっての俳優であり、俳優あってのファンではない。この点、惚れて、惚れぬかせる魅力を持っている。それが彼の”清潔な人間性”によるものであることはいうまでもない。

他の俳優たちより抜きんでているかその大きさが分かる一例。世間にはとかくスターを意識したがるスターはいても、彼だけはスターぶらないし売名行為をやらないのだ。 毎年歳末には、一、二の京都のスターが貧困者や孤児たちに贈り物をしている。前もって予告し記事を流させ、当日には写真入りで報道させる。これに反して、橋蔵は毎年誰にも知られないようにこっそりと名前を隠して孤児たちに、それはささやかであるが、きちんと贈り物をしている。じつに見上げたものである。

“橋蔵は大変気さくな男である。誰とでもすぐ仲の良い友人になり、心から分け隔てなくつきあう。その気安さと謙虚さがあのすばらしい人気の根源になっているのではなかろうか。
淡々として人生を語り時代劇を語る橋蔵は、誰の前でも変わらないだろう。そんないいところのある橋蔵はしかも”たえず微笑を忘れぬ姿”そこに橋蔵の大きさがある。

今彼の人気を調べると日本映画界において最高である。最高の人気を持つということは、平凡な俳優にはとうてい成し遂げられぬ難事である。その難事をここまでやり遂げたということは、演技力もさることながら彼の”人間性の豊かさとあたたかさとファンを思う心”によるものであろうと信じている。


掲示板に書いていて再々確認できました。私がファンとして今は亡き大川橋蔵さまを今でも生きておられるかのように感じているのは第一にはやはり"人間性"に深く魅せられているのです。
そこに格好よく綺麗で魅了させる舞と演技からも伝わってきていたからでしょう。

✱人間性にずっと魅かれていた私・・②✱ #2015.11.7
10/31掲載しました中の”ファンを思う心” ファン思いのエピソードとして(要約しています)

S34年8月駒沢球場で行われた映画人野球大会での話です。
9日その日の朝、橋蔵さまは京都を発ちました。橋蔵さまが出場するというので橋蔵ファンの多くがその晴れ姿を待ちあぐんでいました。
ところが運悪くこの日九州地方を襲った台風の余波が関東を襲い、野球は中止になりました。野球大会は16日に延期され、橋蔵さんは無念の涙をのんで京都に帰りました。
16日に延期されたことで、橋蔵さまのスケジュールがくるってしまいました。
「恋山彦」の撮影があり、どうしても抜けられないスケジュールが組まれていました。
野球大会に出場出来なくなると、前売り券を買ってユニフォーム姿を一目見ようと待っているファンががっかりすることは明らかです。それではファンにすまない、申し訳ないという気持ちが橋蔵さまをかきたてました。
橋蔵さまはマキノ雅弘監督に事情を述べ、二日分先に撮ってくれるように頼んだそうです。
二日分40カット。ただでさえ暑いセットの中で、早朝から夜遅くまで橋蔵さまは黙々として40カットの演技をやってのけたのです。
すべては、駒沢球場で待っているファンを失望させないためでした。

こうして16日橋蔵さまは再度上京して、球場に姿をあらわしたのです。
この日も午前中豪雨で午後から晴れましたが、試合開始が延び、橋蔵さまは最後までグラウンドにいられなかったのです。その日の夜には京都に戻り、翌日からセット入りしなければならなかったのです。橋蔵さまは、そのことをご自分の責任のように感じ、ファンにすまないと仰っていたようです。出来ることなら、ファンと一緒に夏の一夜を楽しみかったのでしょう。

橋蔵さまの人間味について、最後にこのような言葉で締めくくってありました。(S34年9月)
このようにファンを大切にする男であるからこそ、あの若さであれだけの人気を持っている、この人気は一朝一夕には崩れないだろう。
橋蔵君をまだ知らないという人達に、「とにかく一度あってごらんなさい。黙って座っているだけで、彼の体からにじみ出てくる人間味といったものに、まったく胸を打たれるから」と。

橋蔵はスクリーンでみる時も、仕事をしていない時も、全く変わりはない。その意識しない、ゼスチュアをつくらない”心の在り方と行い”が、彼を大人物にしている。
これからの時代劇を背負って立つ橋蔵の前途には嵐もあろう。しかし、彼はきっとそれを乗り越えていくだろう。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年03月22日 21:54)

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✱ふり袖太平記でのトミイ・マミイ✱ #投稿日2015.9.17

近代映画の取材で「ふり袖太平記」のセットを訪問した人の「セット訪問」という記事を見つけましたので、抜粋ですが読んでみてください。

 ~仲よしコンビはニッコリ笑ってハイ・スタート! 刀遊びとニラメッコ? 橋蔵さんの余興にファンもどっと大喜び~

★セットでニラメッコは、ひばりちゃん!
ひばりちゃんと、橋蔵さんが、「おしどり囃子」に次いで、コンビする東映京都の「ふり袖太平記」はひばり、橋蔵ファンにとっては、大きな期待です。
今日は、御両人が、顔を合せる「セット」を訪問しました。 セットは、武家屋敷の、座敷から庭にかけて、組まれています。丁度、ライティングの最中でライト・マンが、天井や、セットの前後で、大活躍です。
塀を越えて、屋根の上に、カメラが据えてあり、萩原監督が、何か指示を与えています。フカン撮影になるらしいです。
ずーっと中へ入って行くと、廊下に橋蔵さんが坐っています。グリーンの地に、白いウロコ模様を浮かせたシックな着物、袴も、ワイン・カラーに白の縦縞という流行色、天然色ではないので、この色彩を皆さんに、お見せすることが出来ないのが残念です。髷の型が、大変カワっています。ムシリという月代が伸びた浪人の型と、前髪の合の子のような髷で、前髪がチョッと乱れて、云うなれば江戸時代のシンタロウ刈りというところです。
ひばりちゃんの方は、庭先の椅子に、オトなしく座って、台本片手に、熱心にセリフの練習中です。トキ色とダイダイ色の中間色に、鶴か何か鳥の柄が散らしてあるふり袖、娘島田の髪がよく似合うひばりちゃんです。
冷房装置がしてあるとは云っても、多くのライトが向けられると、大変な熱さです。見ている私達の方は、半そでシャツで、汗をかくほどのことはありませんが、かさね着をした、ひばりちゃんや、橋蔵さんらは、さぞかし暑いことだと思います。

撮影は、準備が大へんです、記者がセットに入ってから、もうニ十分近くも経ちますが、なかなか、始まりそうにもありません。
その間、堅い板の廊下に、キチンと坐りっきりの橋蔵さんは、さすがに退屈したンでしょう。「エイッ」とばかり、腰に差した小刀を、サッとばかりに抜いて、チャリンと納めたり、赤城山の国定忠治みたいに、ライトの光にかざして、見得を切ってみたり、お茶目ぶりを発揮して、スタッフの連中や、見学のファンたちを笑わせています。
そのうちに、刀遊び? にもアキたのかこんどは、庭の方へ向いて、顔をシカメタリ、舌を出したり、赤ンべえをしたり、百面相をはじめました。
「誰を対手に?」と思って、その方を見ると、なんと対手は、庭でセリフのお稽古中だったひばりちゃん。おそらくニラメッコなんでしょう。ひばりちゃんも負けずに、アゴをつき出してイーツをしたり、イイお顔をしたり、フン闘中ですが、どうやら、このニラメッコは、橋蔵さんが優勢、ひばりちゃんは、何度も、こらえ切れずに、年頃らしくコロコロと笑い転げます。

★男女七歳にして席を同じくせずの巻
「さァ、テストいきましょう」
萩原監督の、シャガレ声が、セットに響きます。さっと、メーキャップの人たちが、橋蔵さんと、ひばりちゃんの、顔と、髪を直しにカケ寄ります。 場面は、菅谷家の庭先です。
「ヨーイ、あいッ」 カメラが、ジーッとかすかな音を立てて廻り始めます。
「ま、こんなに暗くなったのに、新太郎ッ少しは気をつけなさい、灯もつけずにお嬢さんと二人きりで・・・・」橋蔵さんの新太郎クンは、一発お袋さんからお叱りをうけて、些か恐縮のテイであります。
ところが、ひばりちゃんの小浪は、なかなか近代的な娘らしく、そんな、かねの言葉に、フン然として抗議します。
「誰に見られたってかまやしないわ、私達は小さい時から一緒にばあやのお乳で育った乳兄妹ですもの、だけどネ、ばあや、新太ったら私の云うこときかないのよッ」我然攻撃のホコ先が、橋蔵さんに向けられます。
「新太郎ッ、なぜ、お嬢様の云いつけをきかないのですッ」こんどは、お袋さんから叱られて、新太郎クンは、全然クサリのテイで、返事もせずに、眼をふせた切りです。「あい、カッと」
「叱られ通しで、折角の剣豪も台無しだョ」
橋蔵さんが、ひばりちゃんをみて、恨めし気な顔をします。
「だってえ、新太郎さんが強情なんだから、仕方がないッ」
「いや、強情なのは、あんたの方だョ」
どうも、お仕事を離れても、この仲良しコンビは、喧嘩友達です。

さあ、これから始まるのは、十八番のひばりちゃん、橋蔵さんの、喧嘩シーンです、次のセリフから、場面を想像していただきましょう。
小浪 「ばあや、私は江戸へ行って、老中田沼様へ、お父様のことを嘆願に参
    ろうと決心したのです」
かね 「まア、お江戸へ?」
新太郎「いま云い争っていたのはこの事です。私がお供しようというのに、一
    人で行くなんて仰るから・・・・」
小浪 「一人じゃありません。源八郎を連れて行きます」
新太郎「この際、あんな老人を連れて行っても役に立ちません」
小浪 「いいえ、かまいません、私はもう子供じゃないんですから」
新太郎「いいえ、子供も同然です。殊に、こんな大事な場合の一人歩きは、ま
    だ無理ですッ」
小浪 「まア、口惜しいッ、ひとを子供扱いにして・・・・いいえ、どうして
    も一人で行きます、新太郎さんは、残って下さい」
新太郎「いいえ、残れと云われても残りません」
小浪 「残りなさいッ」
新太郎「残りませんッ」
小浪 「残るのですッ」
新太郎「イヤダッ」
まったく真に迫るとは、このことでしょう。そばで見ていると、いまにもつかみかからんばかりの凄まじさ、ピッタリと息の合ったお二人の喧嘩ぶりに、見学のファンなど、手に汗にぎってハラハラしていました。
「全くウマいものですねェ」

一汗かいたお二人に、ちょっとご挨拶しました。
「あたし困っちゃうんですヨ、いつも、勝気でおきゃんな役ばっかしでしょう、だからみんな、あたしの地だと思ってんじゃないかと心配なのよ、ほんとはねェ、とっても内気で、云いたいことも云えない位気が弱いのに」
「そうだよ、ふだんのひばりちゃんは、とってもおとなしいいい娘さんだよ、でもネ、時々江戸っ子らしい負けん気を出すこともあるしネ、まア多少の地はあるんじゃない」
「まア、ひどいッ、おぼえてらっしゃい、映画では、私の家来みたいなもんだから、ブツとこでもあったら、本当にブッてやるから」
「ほら、ほら、地が出た」
「キライよッ」
ちょっと仲良く話していたと思ったら、あっと思う間に、たちまち、口争いです。そのくせご当人たちは、至極たのしそうに、そうです、まるで喧嘩をたのしんでいる、といった感じが、お二人には多分にあります。

「ボクはネ、立廻りが大好きなんですよ、ところが、この作品の前には、二本共立廻りがなかったんで大いに腕を撫していたんですがネ、今度は、ちょいとした青年剣豪なんですから、全然張切りです。大いに、斬り倒すところを御覧に入れますヨ」
やさしい顔に似合わぬ物騒なことを云う橋蔵さんです。
現場の人たちは、寸時も休むことなく、コマ鼡のように動きまわって、次のシーンの準備に大童わです。

「さあ、本番ゆきましょう」
いよいよ、喧嘩場?の再会です。
「じゃ、ひばりちゃん張切ってやりましょう」と冗談をトバしながら、橋蔵さんが定位置につきます。
「サワがないで下さアい」
助監督サンの声で、ガヤガヤ云っていた見学の人たちの話し声も、あちこちで聞こえていた一切の音と云う音が、一瞬ハタと停止したような感じです。

橋蔵さまは立ち回りが大好きで、暇があれば剣会のメンバーと練習に励むほど撮影も立ち回りのある日はご機嫌らしかったようです。
「江戸三国志」撮影のある日、刀を回して鞘にパチンと入れるのを教わった橋蔵さまは、撮影の合い間に刀をクルリ、パチン、クルリ、パチンとやってご満悦で、女優さん達にも披露して大はしゃぎをしていたそうです。それを扇太郎さんにまで見せてしまった。相手が悪かった。「橋蔵さん、お年の割に無邪気ですね」と言われてがっくりしてしまったと言います。無邪気な一面が見られた一コマでした。

映画はモノクロなので衣装がどんななのか分かりかねますね。こんな衣装を着ていたそうですよ。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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