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✱「レジェンド・トーク 松方弘樹」から(1)✱ #投稿日2017.5.27
皆様は見ましたでしょうか、橋蔵さまには関係ないから見なかった?かしら。
今月東映チャンネルで再放送「レジェンドトーク」の松方弘樹さんのものをやっていたのですがどうしても放送時間を忘れてしまい、ぎりぎり夜中仕事をしながら見ることができました。松方さんですと、時代劇のお話も出てくるのではないかと期待を持って・・・橋蔵さまのお話も出てきましたので見てよかった。中村錦之助さんを錦兄と慕っていた松方さんですから、錦之助さんとのお話が多いのかと思って見ていた(聞いていた?)のですが、今回のお話は多面に渡ってのものだったので、楽しく途中笑ったりして面白く聞いていました。(急いで書きましたので、誤字脱字がありましたらゴメンナサイ。)
1時間ものから、時代劇に関するところを私なりに編集して書きました。短くしようかと思いましたが、橋蔵さんのこと、東映時代劇のことなど面白いこと言っていましたので、長~くなってしまいました。
松方さんの話した通りを基本にして載せました。(うまく伝わればよいのですが。)
松方弘樹さんの父親は近衛十四郎さんということは、皆様ご存知でいらっしゃいますね。
松方さんは、歌手志望で、父親と親友の上原げんとさんの教室で歌の勉強とカバン持ちをしていて、歌手としてのデビューも決まっていたそうです。
17歳の時、近衛さんについて出かけて行った時、大川博社長から声をかけられ、1960年現代劇「17才の逆襲暴力をぶっ飛ばせ」でデビュー。歌手希望だったので映画には全く興味がなかったそうです。
司会者のこの映画の中で2曲歌っていますから、それはそれでよかったのでは、という問いに、当時映画で歌を歌うのが流行っていた。東映では、はしりは高田浩吉さん、鶴田浩二さん、美空ひばりさん。
歌を歌ったことがない錦之助さん、橋蔵さんも歌わされ、当時は映画と同時に歌をやらされていた。
当時の映画は1時間20分ものと1時間ものの2本立て。撮影日数が少ない時間で撮るから朝から夜中までと、家にも帰れない日が続く。とんでもない会社に入ったと思った。
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現代劇で時代劇の扮装をするシーンがあり、カツラをかぶったら似合うということで大泉から太秦にスカウトされ、18才で京都太秦へ。その当時、京都と大泉を行き来して両方に出ていたのは千恵蔵御大とひばりさんだけ。
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撮影所の規模的には、大泉が3人とすると太秦は15人いた。
大泉には・・・高倉健、水木襄、大村文武、梅宮辰夫、千葉真一、曾根晴美がいた。まだ鶴田浩二は東映に入っていない。
太秦には・・・千恵蔵御大。右太衛門御大、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、高田浩吉、近衛十四郎、月形龍之介、大友柳太朗、そうそうたるスターがいた。
一年両方で192本撮っていて、そのうち太秦の方は130~140本撮っていた。
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🐧<錦之助、橋蔵との思い出は>
錦之助さんのセットは時間があったら、ほとんど見に行ってました。。
橋蔵さんは、セットは勿論見にいったし、よ~くお風呂で会いました。
撮影所の1階のお風呂は、いろんな方が入れるようになっている。2階の部屋は俳優会館というのがありまして、2階のお風呂に入れるのは、レベルが上でないと入れない。(当時松方さんはかろうじて2階のお風呂に入れてもらえたそうです。)
松方さんが入っていると、橋蔵さんが「入るよ」と言ってよ~く一緒になりました。
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🐧<ここから東映歌舞伎の話が出てきます>
橋蔵さんには、その当時、明治座で東映歌舞伎というのをやっていて、橋蔵さんが座長として、千恵蔵、右太衛門の両御大が出るし、大友さん、高田さん、近衛さんも出るし、昼夜で6本出し物がありました。
舞台のお芝居のことは、橋蔵先輩から、いろいろ教えていただきました。怒られもしました、もちろんね。
(舞台で)橋蔵さんが何か(セリフですね)を言った時に、うなずいて(松方さんは)リアクションをするわけです。映像の世界なら当然なのだけれど、お芝居の世界では、橋蔵さんがお芝居をしている時に、僕(松方さん)がもし動いたらお客さんの目はピューンとこっちにくるんですね。鼻がちょっとかゆいなと思っても、自分のセリフまではじっとしていなければならないし・・・。
橋蔵さんに言われたのは、
「弘ちゃん、よけいな動きはしちゃダメよ。ぼくがちゃんと弘ちゃんにセリフを渡してあげるから、そしたらあんた十分芝居やりなさい」
歌舞伎を観ていると、それの繰り返しなんですね。ですから、舞台の芝居というのは、大川橋蔵さんに教えていただきました。
映画、テレビとは全然違いますから、それができないと行儀が悪い俳優と言われます。(松方さんの言うことにうなずいたりしている司会者に)、でも、普通は、うなずいたり、リアクションしてしまうでしょう。僕(松方さん)がこう喋っている時に、じっと聞いていなけりゃいけない、息もしちゃいけない、まばたきもしちゃいけない、舞台ってすごく大変なんですね。
そういうことを、大川橋蔵さんには、ほんとに教えていただきました。
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東映歌舞伎のお客さんの入りは、多分明治座の歴代№1でしょうね。扉が閉まらなかったですから。(消防法が今のように厳しくなかった頃の事ですから)
あの当時の映画館でも扉が閉まらなかった。スターさんがとんでもない数で出ているわけだし、スクリーンでしか見られない人がライブで見られるわけですから凄いですよね。
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🐧<舞台でのエピソード>
大友柳太郎朗さんのいくつもあるエピソードから2つ。
◎大友さんて、ちょっとおっちょこちょいでして、舞台が花道から90度曲がっています。
丹下左膳で90度片手片目では曲がれないので桟敷に入ってしまう。どうしても、曲がれない人なんです。毎回桟敷に落っこちるんですが、ある時そこにおばあちゃんが座っていて、おばあちゃんの上へ乗っちゃったら、おばあちゃんろっ骨折っちゃって、休憩になって、救急隊がきておばあちゃんを運んで、そのあと舞台が再開した。
◎ 本舞台に大川橋蔵さんと桜町弘子さんがいたんですね。二人ですから・・
大友さんが、花道の七三でぱっと「しっかり握ったその手と手、けっして離すんじゃねえぞ」というセリフです。
二人しか舞台にはいませんから・・、大友先生は毎回ですよ、「しっかり握ったその手と手と手」・・・三人いるんですね。
あとで頭取がきて、毎回
頭取「大友先生、すみません」
大友「はい、なになに」
頭取「あそこのセリフは、しっかり握ったその手と手、でお願いします」
大友「うん、わかったわかった」
返事はいいんです、すごく。でも毎回「しっかり握ったその手と手と手」と言うんですよ。
橋蔵さんも舞台で(くっくっく・・)体が揺れてんのね。
本人は大まじめです。お客さんは気がつかない。30回やって、お客さんは誰も気がつかない。でも、裏方と楽屋にいる僕たちはくっくっくと笑っているわけです。
あまりにも面白すぎて嘘みたいな本当の話ではあります。
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🐧<ここから立回りのことについて>
立回りの特徴的なのは、月形さんほか2名あげました。剣の速さは近衛さんが一番速かったかなと思っていると言っていました。
近衛十四郎さんは、我々が使う刀より20㎝長いものも使っていました。
柳生十兵衛の時、1カットをやるのにわれわれが殺陣師と30~40回やらせてもらうのを椅子に座ってみているだけ。僕に頭に入ったかと言って、本テスト1回、「軽くあわすだけだぞ。はいっ、ここは曲がって、1234、ここは速いぞ。ここまたちょっとあって、5678910は速いぞ」と言いながらやっていて、すぐ本番なんです。
なんでこんなに速く覚えられるのかなと思ったら、
「刀は見ていない、足をみている。足をみていたら自然に手(刀)はついて来る」
刀は振り用は米の字しか振りようがない。あとは突くしかない。足はいろんな動きがある。
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🐧<ここで、斬った時の格好について>
(ここで、松方さん、立ち上がり動作を実演してみせますので)
普通こう切った時はこのようになる。
大川橋蔵さんの場合は逆足で、
こう斬ったときに、普通はこうなるわけですね。近衛さんにしても俺にしてもね。
(1の画像)
橋蔵さんはそうじゃないんです。こう斬るんです。(2の画像)
(司会者「あぁー」
着流しの時の格好がものすごくいいんです。
勿論、普通に斬った方が男っぽいんですけど、着物が割れて太ももが見えたりして・・(司会者「はいはいはい」) (3の画像)
✱「レジェンド・トーク松方弘樹」から(2)✱ #投稿日2017.5.27
「レジェンド・トーク松方弘樹」から(1)からの続きになります。
勿論、普通に斬った方が男っぽいんですけど、着物が割れて太ももが見えたりして・・
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橋蔵さんは必ずこう、(4の画像)で、こう(5の画像)、こう(6の画像)。
(司会者、なるほどといったように、松方さんの動きのポーズに「あー、あー、あー」)
こういう違いがあって、それはそれぞれ俳優さんで自分の型をもっているんですね。
当時、剣会も120人ぐらいいて、千恵蔵御大に絡む特A10人、右太衛門御大に特A10人、ABCDといって10人ずつ10組。最後の20人は死骸専門。大部屋の人達も何百人といましたが、駕籠かきは専門の駕籠かき、お小姓さんは専門のお小姓、どの作品を見ても決まっている。プロフェッショナルの集団だった。
ということで、時代劇についてのお話は終りになりました。
昔の東映時代劇撮影所の様子を語れる唯一の東映スターがいなくなってしまいました。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱素敵なやくざ姿をまたまた見てしまった「大喧嘩」✱ #投稿日2017.5.24
「大喧嘩」をリアルタイムで見ていました。
何回となく見ていますので、流れは追っていますが、自分の好きなところ、見たいところは分かっていますので、見逃さないようにテレビに集中します。
それにしても、ラストの田んぼの中や、道をかけながらの大立回りは、どこまでが打ち合わせなのか、大変ですね。逃げながらの立回りは追う人達がいますから、走って逃げる橋蔵さまも転んだり、斬られたり、足げりされたりと大変です。コマ撮りでもどこまでが台本があってのことなのかどうかは・・・。血塗れで何回見てもこの場面は綺麗ではありませんが、臨場感があり橋蔵さまと一緒に逃げている気持ちになってしまいます。
橋蔵さまのやくざ姿は、若い時から年を重ねてからも素敵です。
ラスト立回りから、画像のグレーで囲んだ人が橋蔵さまです。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱土日、久しぶりにじっくりと橋蔵さま✱ #投稿日2017.5.21
土曜、日曜と頑張って橋蔵さまにリアルタイムでお会いしました。DVDを出してこなくてもどれを見ようか考えることもなく、自分ではなかなか見ることがない作品も、こうして見ているといいものです。
昨日は、あまり休憩のない感じで、16時から22時半まで続けざまでした。
新吾十番勝負第一部から完結篇と若君千両傘。本当に久しぶりの新吾十番勝負を通しで・・・テレビ放送はスキップや早回しができませんから、それはそれなりに。
私にとって”新吾”は大大好きという作品ではありません。ちょこちょこと感心できないところがあるもので、手放しに好きだとは言えません。どうしても常に見たいというものではないのです・・・どうしてかな~ぁ。今月はもう一回見ることができますので、橋蔵さまの当時と私自身が当時として見た時にはどうなのだろうと、検証?してみたいと思っています。
今日日曜は「荒木又右衛門」でした。
内容が仇討ちものですから笑みを見られる場面は少ない。その中で、ここ・・・
(右上の画像)・・仇討ち前夜、甚左衛門がルートを変えたのを考えて「狙いは他にもある。無益な駆け引きは止めて、いっきに勝負をつけようと言う魂胆だ。それがこの逆戻りとなってあらわれた」と相手の動向を見抜いた又右衛門の表情どうですか・・ちょっと笑いを浮かべ・・よいでしょう。
(右下、左の画像)・・鍵屋の辻の茶店で、数馬にいわしを食べるように言って、数馬が食べると、「首のないイワシか。又五郎討ち取ったぞ」と言って笑みを浮かべます・・この時の笑み、本当に良い。今まで堪えていたものが、決戦を前にして・・やっぱり橋蔵さまだ、と愛しくなりました。(この笑みが素敵なのです、橋蔵さまなのです。・・何度見てもこの笑みに救われます。)
この作品では、目の動きも抑えています。じっと目が動きません。目を見開くか遠くを見るような眼差し、そして伏し目がちがつづきます。でも、茶店で甚左衛門と又五郎を待つときに、数馬が震え出したところから、橋蔵さまの目が動きだすのです。あっ、これから橋蔵さまの違う場面が見られるのだな・・とわくわくしてきます。
血が飛び散るたちまわりの場面ですが、殺陣が素晴らしいし、橋蔵さまの殺陣が綺麗なので残酷さは感じません。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱「修羅時鳥」本番前のある表情✱ #投稿日2017.5.19
5月も半ばを過ぎました。ここ数日寒気が日本列島を暴れまくっていたと思うと、今日から数日夏の気候がやってくるようです。梅雨も目の前までやって来ているし天候が読めなくなっています。皆様、体調にはお気をつけください。
私も忙しく仕事に追われていて、脳裏から橋蔵さまがちょっと遠のいていました。やっと一段落しましたので、橋蔵さまを想いながらの毎日で行きたいと思います。
ブログの方も「修羅時鳥」について書き終えましたので、よろしければ読んでみてください。寒い中でのロケ撮影、橋蔵さまご苦労様でした。
「修羅時鳥」の荘太郎が処刑場面の撮影時の時の橋蔵さまのスナップを載せますね。(撮影者はマネージャー)
✎(コメントは私が橋蔵さまを感じて書いてみました。)
右下の画像・・・馬に乗り処刑場に向う時の撮影前、橋蔵さまニッコリして・・いざ・・刑場へ。橋蔵さま、そろそろ神妙な顔をしてください・・ご出馬です。
右上の画像・・・カメラがまわる前、メーキャップを念入りになおします。橋蔵さまは女優より鏡を見るのが多いといわれていました。橋蔵さまのカットの合間のお化粧
直ししているところの写真て多いですよね。お化粧の崩れには人一倍神経を使っていたのです・・・荘太郎、処刑の時でも綺麗な顔で・・武士のたしなみですね。この後、はい本番でカメラがまわり、橋蔵さまのアップになるわけですね。
左の画像・・・監督と打ち合わせをして、処刑の場面。おや、橋蔵さま長い舌をペロリと出し、後ろにいる方も少しニヤリとしています。何かあったの?どうしたの?・・橋蔵さま?・・何があっても動じない、余裕ですね。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
✱不知火新三の化粧は納得出来なかった箇所あり✱ #投稿日2017.5.11
今日明日の日本列島は夏がやって来たような気候のところが多かったようです。
東映チャンネル5月放送の橋蔵さまの作品はひと通り見ることが出来ました。
「不知火小僧 鳴門飛脚」は兎に角、大衆娯楽作品。ひょうきんな面もあり、にっくきと言うまでの悪役は出てこない、楽しめる作品ですね。お夏坊を阿波まで連れて行く破目になった不知火新三が、お夏坊が持っている書付をめぐっての痛快篇。頭の中を空っぽにして見られる作品です。
私は、この作品を以前にも見ているのですが、どうしてもこの作品の橋蔵さまのお化粧が前後の作品と違って強調されて、数か所気になるところがあるのです。ちょっと白塗りが強く写っていますので、余計に強調されてしまったのでしょう。カラー映画はこの頃には定着していると思うし、採光の計算もしているはず、この作品はそういう意味から少し???があるように思えました。どうしてもその点が何回見ても私としては見ていて気になってしまうのです。(「旅笠道中」の場面にも、二カ所ぐらい気になったところがありましたが。)橋蔵さまは、それはとても綺麗なのですよ。
橋蔵さまは被り物がよく似合いますから素敵です。特に義賊の被り物は今までにも見ていますから、皆様もあのような感じねとお分かりいただけると思います。
黒装束の義賊での走り方、忍び方は、橋蔵さまは決まっています。カッコいいでいね。
つけてくる侍を撒くために木の上にも。
作品の中ではちょっとですが、大阪商人や白鬚の老人と変装をして私達の目を楽しませてくれます。
そして、この作品でも走る走る。タフな橋蔵さまです。
「若君千両傘」は「鳴門飛脚」より前の作品で、これも花園ひろみさんとの共演でした。この二作品を続けて見ていますと、「若君千両傘」の方があとの作品のように感じてしまうのはどうしてでしょう。
オールスターの「忠臣蔵」の出番としては美男であったという岡野金右衛門は橋蔵さまには妥当な配役で、安心して見ていられる作品ですね。
皆様は、連休から、橋蔵さまとの時間は作ることができましたか。
✱ 好きになれない「風の武士」✱ #投稿日2017.5.4
昨日「風の武士」夜の放送だったので見ました。
PCから目を休ませようと思い、テレビをじっくり見てしまいまして、目の方は結局は休めずという状態になってしまいました。
この作品は東映チャンネルで前にやった時何回か見て、感動する作品でなかったので、今回は気持ちを新たにして、見てみたいと思いまして・・。だって、橋蔵さまの100本記念映画ですよ。見る方だって力が入ります。しかし、やはり、私には最後まで見てよかったという作品ではなかった。
司馬遼太郎の原作ものだが、橋蔵さまには合わないと思う。
名張信蔵のルーツは伊賀忍者。”にぶつ姫縁起”という絵巻物の地図からしか行く道が分からないという熊野の黄金郷と呼ばれる安羅井。その財宝を狙って紀州家が動いているらしいと、老中水野の密命を受け動くが、思いを寄せているちのが関わっているのが分かると、紀州家も老中水野のことも関係なく、ちののことだけに信蔵は行動する。
少しゆずって、名張信蔵が忍びの格好で紀州屋に乗り込んだところまでの58分まではいいとしますが、これは、橋蔵さまの忍びの姿がカッコいいからであるからです。
道中行列の駕籠にちのが乗っていない。ちのが好きな高力が、恋敵の信蔵にちのの体はもう俺のものだと言われた後の信蔵は好きではない。そこからだんだんと、ミステリアスだった内容が、ちのに翻弄されていくだけの、女を好きになった男のお粗末な内容にいってしまっているように思える。完璧に興味をそそられたのは40分30秒まで。
それにしてもお勢以の方を一度も振り向かず行く信蔵を見送るお勢以の心境つらいですね。絶対にお前のところには帰っては来ないということですものね。
侍の姿での可愛いようなふてぶてしさは橋蔵さまには似合わないと思います。
あと、作品を見ていて信蔵が走るシーンで2ヵ所橋蔵さまでないところがはっきり分かってしまいます。そこまでしてこのようなところを入れる必要があったのか、ということです。
橋蔵さまには、大衆が喜ぶ年相応に綺麗でカッコいい作品で通してほしかったけれど、映画の進む状況に従わなければならない辛い時でした。
この100本目の映画から、大川橋蔵の時代劇が変わりますよと示唆しているような作品でした。
わたしは、嫌いだとは言わないけれど、好きにはなれない「風の武士」でした。
✱年を重ねるごとに良さが出て来た"股旅もの"✱ #投稿日2017.5.3
大型連休も後半に入りました。多くの方は今日から行楽にお出かけになるのだと思います。出かける予定はなく自分の時間が取れる方で、橋蔵さまのDVDを見られる方は思う存分大川橋蔵の世界に浸ってはいかがでしょうか。
1964年からの橋蔵さまの”やくざ姿”は若い時には出せない、よい意味での凄みと奥からにじみ出てくる優しさがあり、作品内容は別にして私は好きですねぇ。
映画時代の「人斬り笠」「大勝負」「任侠木曾鴉」「天保遊侠伝代官所破り」の橋蔵のやくざには惚れ惚れいたします。
年齢的と時代劇の方向性から、二枚目で綺麗だけのやくざというだけでは受け入れられなくなってきた時でした・・それに橋蔵さまは”股旅もの”のやくざで完璧に変わってきた時でした。
でも、映画は衰退しテレビというそして20時台という家族がお茶の間で見られる時代劇が流行っている時なので「銭形平次」に。テレビでもファミリー時代劇から、長谷川伸、池波正太郎、藤沢周平といった作者のものが放送されるようにテレビも変わってきました。
そして、映画時代から17年後にテレビでの「沓掛時次郎」「鯉名の銀平」で、橋蔵さまの”やくざもの”が戻ってきたわけです。
年齢を経て橋蔵さまのやくざ姿には、感情の表現が実によく、見ている人の心を打つようになりました。そこに持って生まれた品位がありますから、美しさがあります。橋蔵さまは本当に美しく年を重ねて、綺麗というだけの大川橋蔵ではなかったということを舞台でも見せてきましたし、テレビでも、もっと素晴らしい大川橋蔵を見せ始まったところでしたね。
もう少し違った面もどのように演じたか見たかったですね。
✱国際劇場にて「花吹雪おしどり絵巻」✱ #投稿日2017.5.1
新緑の季節てす。若葉のやわらかい緑色は綺麗でやわらかく、日差しを浴びるときらきらしていていいものです。でも、また寒気が入り込んでいるとかで、今日も強い雨、突風、落雷、雹に気をつけるように天気予報がうるさく言っています。
今日は、「大喧嘩」を見て外出。
少し暗めで村の中を走る走る体力勝負のような作品、好きな方に入る作品ではないが、旅に出て三年、ほとぼりがさめて戻っての秀次郎のやくざ姿=橋蔵さまはカッコいい。それだけを見て良しとしよう。
私には放送時に見なければ、DVDを出してきてまで見ることは少ない作品の一つです。
📌ちょっとブログの方のお知らせ・・国際劇場での様子、のちに橋蔵さまがご自分の歌を聞いた時の事、ちょっと書いておりますので、ご覧になっていただければ・・と思います。
*美しき大川橋蔵*私の想い出・・・トミイ・マミイ顔合わせ公演やっと実現した浅草国際劇場へ・・・
「大江戸喧嘩纒」の撮影が終わり、1957年新春1月6日から13日まで、東京浅草国際劇場に於いて、「花吹雪おしどり絵巻」の公演。トミイ・マミイ”として大人気のお二人の顔合わせでの公演がやっと実現したときのことですが、知っている範囲で書かせてていただきました。毎日が大入り満員で有終の美が飾れると思っていた千秋楽夜で・・・あのような事件が起きるとは・・・誰も考えていなかったでしょう。
(私は、この時はまだ小学低学年、今のようにエンタメもなく、芸能情報は全くと言ってない時、週刊誌を買わなければ内容は分からない。テレビも普及はしていませんでしたからね。知ったのは高校生になってから。橋蔵さまもその時出ていた舞台のことと聞いて、ぞっーとしました。)
舞台で披露するひばりさんとのダンスの練習は十分に出来なかったようで少しどぎまぎ、でも写真を見ていただければ分かりますが、楽しそうに踊っています。初の歌声はどうだったのでしょう。後援会誌とみいでも「お上手とは言えない」という声がほんとうのところでしょう。橋蔵さまの別の声が効けたということで良しとしましょう。その歌「泣きとうござんす」のレコーディングもこの舞台の合間をぬって行われたようです。
のちに、橋蔵さまご自身がこの歌を聞いた時のことなど・・・ブログの方に書きましたので読んでいただければと思います。
✱感想と思うこと✱ #投稿日2017.4.20
東京は、昨日藤の花が開花したと、今日は関東のいたるところで藤の花の開花という気象庁より開花宣言がありました。今まで藤の花の開花宣言はなかったと思うのですが??4月まつから5月の連休は、藤の花を見に行きましょうと言うことなのでしょうか。つつじや芝桜、ハナミズキも咲き始めています。
📔 ここから、ちょっと感想を・・
「花吹雪鉄火纒」は火消の役としても一番火事場の風景も多いし、火事場での纒振りと最後の裃姿での纒振りがよいところですね。相手役になる油屋のお花は、長次からすると年下で可愛らしいというところで、お花役は中原ひとみさんでいいのだろうと思います。長次がお兄さんのような雰囲気で、お花に接する感じがお兄さんのようで、恋心がハッキリと描かれていないところがよいと言えばよいところです。
「大江戸喧嘩纒」では、若い二人の恋心をひばりさん相手にのびのびと演じていますし、「江戸っ子肌」では、加賀鳶とは犬猿の町火消の妹を好きになってしまい悩み、小いな姐さんに惚れられ、吉五郎も小いなにも少しは気があるような、という恋に悩むところが主旨になっている。それぞれに、橋蔵さまの年齢と共に恋の行方も変わっていきます。
単発2時間ドラマは、橋蔵さまの集大成に相応しい作品になりました。この3作品を残してくださって本当にうれしく思います。これから先も何度となく放送してくださる事を期待しています。それと同じく「銭形平次」も。ただ、大川橋蔵という俳優がテレビで、銭形平次以外単発は3本だけかと思われるのは心外ですね。映画作品も多く放送してもらいたいと・・お客様の声に定期的に書いていかなければいけないわね。
「沓掛時次郎」は哀愁が出せる橋蔵さまにはぴったりですね。時次郎が笑みを浮かべるのは2ヵ所だけ、一緒に私も笑みを浮かべてしまいます。
風邪の病から目を覚まし、「本当は殺そうかと思っていた」という太郎吉がいった時の二人をみる時次郎の表情がよいです。私あの場面大好き。
太郎吉とこころが通い、道中時次郎の方に駆け寄っていく太郎吉を時次郎が受け止める・・ちょっとした映像ですが、心が締め付けられます。
そして、最終、太郎吉の小さな声での「ちゃん」、太郎吉を抱きしめ、そして歩いていく姿、心打たれます。「沓掛時次郎」は長谷川伸さんの股旅小説での映画化ドラマ化はありますが、ここまでの心打たれる作品を美しく哀愁を持って出気得た人は橋蔵さまが一番だと思っています。泣きがうまくなかった橋蔵さまでしたが、やはり年月を経て、このドラマでは顔だけで泣くのではなく、内面からでてくる感情でなけるようになっています。
✱今日は橋蔵さまの生誕日✱ #投稿日2017.4.9
皆様おはようございます。今日は橋蔵さまの生誕日です。
橋蔵さま生誕88年、おめでとうございます。
今日は何をなさっているのかしら・・・忙しかった日々を過ごしてきた橋蔵さま。
満開の桜が散り始めています・・橋蔵さまが地上に舞を舞いながら降りてくるように。
🍸今日は橋蔵さまのホームバーにちょっとタイムスリップ、橋蔵さまとシャンパンでまずは乾杯を。”おめでとうございます”
あの姿、この表情・・綺麗な殺陣と力強い立回り、美しい優美な所作・・すべてが今見ても素晴らしい橋蔵さま。沢山の時代劇の夢をありがとうございます。
これからも楽しませていただきます。
さあ、お昼は、お蕎麦にしようと思っています・・ 橋蔵さまのお蕎麦の食べ方を見ていると美味しそうに食べるから・・・さあ「若君千両傘」の城太郎さんと食べようかしら、それとも「緋ざくら大名」の千代三郎さんと食べようかしら。うふふっ
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)
