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論語でジャーナル’26

11,子曰く、善人邦を為(おさ)むること百年ならば、亦(また)以て残(ざん)に勝ち、殺を去るべしと。誠なるかな、是の言や。

 先生が言われた。「普通の善人でも百年間国を治めれば、無法者を押さえ込んで死刑を廃止することができるという。本当だね、この言葉は」。

※浩→儒学には、道徳による教化と君子による啓蒙によって平和で豊かな社会を構築できるという、ある種のユートピアニズムが内在していると言えます。時と場所を、20世紀前半のヨーロッパに置き換えれば、まさしくアドラーが「共同体感覚」を提唱したことと重なりそうです。第一次世界大戦の敗戦国となったオーストリアに軍医として前線に出ていたアドラーが帰国して、ウィーンのカフェで弟子の1人が、「何か新しい発見がありますか?」と聞きました。アドラーは、「世界が今必要としているのは、新しい政府でも新しい大砲でもない。それは共同体感覚だ」と言ったのは、有名なエピソードです。日本は戦後、民主主義になったと言われますが、どう考えても日本の民主主義は、俗に言うアナーキズムのようです。欧米の民主主義先進国は、新型コロナ・パンデミックのときロックダウンを行ないました。日本では、「私権を守ること」に固執したのか、都市封鎖は考えなかったのでしょう。「私権を制限できない」と言いますが、これも変だと思います。憲法で、個人の権利は最大限尊重されるとありますが、それには「公共の福祉に反しない限り」という条件が付いています。知識人がテレビによく登場して談話していますが、「公共の福祉」に言及する人を見たことがないです。かつては、この「公共の福祉」という“しばり”が、個人の権利を侵害するための大義名分のように使われて、裁判でも争われたことがありますが、それが手かせ足かせになって、封じ込めてしまったのでしょうか?もちろん、国家権力の濫用による「私権の制限」は断じてあってはなりません。「公利」と「私利」のバランスはいつの時代にも難しい課題です。
 「善人邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち、殺を去るべしと」は古来からの諺だそうで、孔子はこれに同感しています。「善人」は最高の徳を備えた「聖人」には劣りますが、「概ね善意の人」くらいの意味でしょう。「賢者」と考えてもいいでしょう。
 もう少し深めてみましょう。
 そもそも近代の憲法は、国家権力に歯止めをかけて、国民の人権を守るために生まれました。ですから、憲法は「人権保障の体系」であるということができます。そしてここで人権を保障される国民は、あくまでも個人として尊重されなければなりません。「個人の尊重」こそが憲法の基本的な価値なのです。
 そのことを憲法は「すべて国民は個人として尊重される」と規定しました(憲法13条)。人権の発想はこのように国民を一人ひとりの個人ととらえることから始まります。社会的な地位や身分関係で国民をとらえるのではなく、あくまでも一人ひとりの個人として、その生き方や存在を尊重し肯定するのです。
 このように「個人の尊重」を根本価値とする人権ですが、実は絶対に制限されないわけではありません。このことを憲法は「公共の福祉」という言葉を使ってあらわしました。12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とあります。
 また13条の後段にも、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。他に22条や29条2項にも登場します。これらの「公共の福祉」とはどのような意味なのでしょうか。
 皆さんは「公共の福祉によって人権が制限される」と聞くと、どのようなことを思いうかべますか。「社会の秩序や平穏という公共的な価値のために、個人はわがままをいってはいけない」というイメージを持ちませんか。または、「多数の人の利益になるときには、少数の人はガマンすべきだ」という意味だと感じませんか。
 実はこれらの理解は、正しいものとはいえないのです。
 仮に「社会公共の利益」といった抽象的な価値を根拠に個人の人権を制限できるとすると、「個人よりも社会公共の利益の方が上」ということになってしまいます。これでは「個人が最高だ」とする個人の尊重の理念に反してしまうのです。
 個人が最高の価値であるのならば、その個人の人権を制限できるものは別の個人の人権でなければなりません。つまり個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にあるのです。
 私たちは憲法によって人権を保障されていますが、当然のことながら、他人に迷惑をかけることは許されません。たとえば、いくら私たちに「表現の自由」が保障されているといっても、他人の名誉やプライバシーを侵害してまで表現する自由が無制約に認められているわけではないのです。どのような人権であっても、他人に迷惑をかけない限りにおいて認められるという制限を持っています。
 私たちが社会の中で生活をしていく以上、ときに、「ある人の表現の自由vs別の人の名誉権やプライバシー権」のように、人権と人権は衝突します。そしてその衝突の場面においては相手の人権をも保障しなければなりませんから、自分の人権はそのかぎりで一定の制約を受けることになります。
 すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼んだのです。けっして「個人と無関係な社会公共の利益」というようなものではありません。また「多数のために個人が犠牲になること」を意味するのでもありません。
 「公共の福祉」による人権制限の問題を考えるときには、対立する利益をつねに具体的に考えなければなりません。「誰のどのような利益を守るために人権を制限するのか」をしっかりと意識しないと、「国益」というような抽象的なものでの制限を許してしまいかねないからです。仮に「国益のため」という理由が語られたときには、その「国益」の中身が具体的にどのようなものなのかを考えてみることが必要です。
 たとえば以前に、イラクで日本人が人質に取られるという事件が起こりました。このときに「自衛隊を撤退させずに国益を守る」というのであれば、「生命という最大の人権を犠牲にしてまで守るべき国益とは何か」を具体的に考えなければなりません。そうでないと、「国益」という言葉に安易に流されてしまいます。国の都合で人権が制限されることがあってはなりません。
 そもそも「公共の福祉」のことを英語ではpublic welfare といいますが、このpublicとは、「人民」がもともとの意味です。つまり「人びと」ということです。ところが、日本語の「公」はもともと、「天皇」や「国家」をさしました。
 人権を制限するときに「公共の福祉」とか「公のため」という言葉を使うときにも、私たちはあくまでも、具体的な人びとの幸せを想定して考えていかなければならないのです。

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韓国語講座 4/3

第5課 自己紹介
<「~は~です」>
#キーフレーズ
私は鈴木真希子です。
チョヌン スズキ' マキ'コ'エヨ
저는 스즈키 마키코예요.

#公式
~は=名詞(パッチムなし)+는 /名詞(パッチムあり)+은
~です=名詞(Pなし)+예요  /名詞(Pあり)+이에요
「私は日本人です」
チョヌン イrボンサラミエヨ
저는 일본 사람이에요.

※疑問文は?を付けて語尾を上げて発音する。
「私の名前は~」
チェ イルムン~
제 이름은~

<単語トレーニング>
#性格
・さみしがりや(ひとりぼっち)=외톨이  ウェト'リ
・優しい(素直な)男=착한 남자 チャ'カン ナmジャ
・悪い男=나쁜 남자 ナップン ナmジャ
#国籍
・日本人=일본 사람  イrボン サラm

#職業
・タレント=탤런트 テ'rロントゥ'
・会社員=회사원 フェサウォン
・公務員=공무원 コンムウォン
・銀行員=은행원 ウネンウォン
・教師=교사 キョーサ
・大学生=대학생 テハkセン
・主婦=주부 チュブ

<初対面で仲良くなるコツ>
 팬이에요.ペ'ニエヨ(ファンです)を使う。
@Kポップファン=케이팝 팬 'イパ'p ペ'ン
@ミュージカルファン=뮤지칼 팬 ミュジコ'rペ'ン
@サッカーファン(大好き)です=축구 패이에요.チュ'ック ペ'ニエヨ

<練習>
「はじめまして」
アンニョンハセヨ
안녕하세요?
「私は~です」
チョヌン~エヨ
저는 ~예요.
「~と読んでください」
~ラゴ プrロ ジュセヨ
~라고 불러 주세요.
「~(職業名)です」
~エヨ/イエヨ
~예요/이에요.
「お会いできて嬉しいです」
マンナソ パンガウォヨ
만나서 반가워요.

<~さん>
@~さん=~ 씨
フルネームか名前に付ける(苗字には普通付けない)。
「~先生」や「~課長」とかの役職の場合は苗字に付けてもよい。

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論語でジャーナル’26

10,子曰く、苟(いや)しくも我を用うる者有らば、期月(きげつ)のみにして可なり。三年にして成る有らん。

 先生が言われた。「もし私を(為政者として)採用してくれる君主がいれば、一年間で政治の実績を出すことができる。もう少し言えば、三年の時間を貰えれば十分な成果を出せるだろう」。

※浩→為政者としての自信を語っています。孔子が衛にいたとき、老年の霊公が政治を怠り、孔子の言葉に耳を傾けようとしないので、嘆息してこの言葉を発したとされます。以上は、吉川幸次郎先生の解説です。
 一年で実績を出し、三年あれば完全ものを実現できるとは、すごい自信だと思えます。ところで私の相棒・K先生は、2017年にT工業高校に転勤されて、はじめは「能ある鷹は爪を隠す」で、管理職以外には、自分がアドラー心理学の認定カウンセラーであることを伏せて、とにかく初年度は大人しくしているつもりでした。それでも、キリを袋に隠しても先が飛び出すように、その才能が徐々に職員の間に知れて、いつの間にかいろいろな先生から相談を受けるようになっていました。相談室長は他の先生がなさっていましたが、着々と準備を進められて、2018年の1月には、私を「職員研修会」の講師として招かれました。「T工業高校相談室講座」のスタートです。私の講演活動は、これまでは、教師他にも保護者や地域の人など広く参加いただける形態でした。これからは、この学校の先生方限定の会になりました。それでも、すでに、二度も倉工講座時代の参加者が遠路津山までおいでくださり、先生方に混じって学ばれました。アドラー心理学を学び実践される先生が徐々に増えていくにつれて、学校の雰囲気変わっていきました。生徒さんたちも先生方もとても穏やかに過ごされているようです。私はスクールカウンセラーとしてお勤めしましたが、個人カウンセリングの予約は次第になくなるほどでした。別に「お茶を引いている」わけではなくて、職員向けの「講義」が毎回あって、ここで、先生方がアドラー心理学を学ばれ実践されることと、個人相談が少なくなってきていることで、担任の先生方が、ご自分で対処できるようになってきたからだと思います。2023年度でK先生が岡山工業高校へ戻られて、T工業高校の講座は終了しましたが、今度は岡工でまた一般に開かれた講座を開催できました。T工業高校の先生も参加してくださいます。かつての岡山や倉敷の一部のお客様も戻ってきてくださいました。すでにまる2年開催できて、今月から3年目に入ります。元祖アドラー博士も、故・野田俊作先生も、晩年はカウンセリングよりも「講演」活動がメインになっていました。私はあの方々の足下にも及びませんが、ささやかながらも後継者の育成に全力を尽くす時期になったようです。寂しさと誇らしさがミックスです。

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論語でジャーナル’26

9,子、衛に適(ゆ)く。冉有(ぜんゆう)僕たり。子曰く、庶(おお)きかな。冉有曰く、既に庶(おお)し。また何をか加えん。曰く、これを富まさん。曰わく、既に富めり。また何をか加えん。曰わく、これを教えん。

 先生が衛に行かれたときに、御者の冉有に先生が言われた。「衛の首都は人の数が多いな」。冉有が質問した。「すでに人は多いようですが、あと衛に何を加えましょうか」。先生が言われた。「この人たちを富裕にしよう」。冉有がさらに言った。「人々を富裕にしたあとは、何を加えますか」。先生が言われた。「その人たちに教育を与えよう」。

※浩→B.C.497年に魯から衛に亡命した孔子は、多くの人で賑わってる衛の都の様子を馬上から見ながら、経済生活の安定と教育体制の充実の重要性について御者の冉有に語っています。まずは福祉国家であること、その上に文明は成り立つ。「衣食足りて礼節を知る」というのは、斉の菅(かん)氏の言葉で、法家思想だそうです。これとも通じますし、もっと極端に、下部構造(経済)という社会全体の土台が上部構造(法律的・政治的/イデオロギー的)を因果的に決定するという、マルクスの説も思い出します。ただ、今の日本はどうでしょうか?「衣食足りて」いるようですが、実際には「足りている」のはごく一部の人たちで、貧困に苦しんでいる老若男女が多いでしょう。ヤングケアラーや老老介護、ホームレスの人たちの話題もたびたび取り上げられます。連休などで全国の観光地が賑わっている反面、、憲法が保障しているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」はどうなっているのかと思うことしばしばです。政治家さんは今日の「論語」の内容をご存じでしょうか?やはり教育です!教育というのは受験教育だけではないはずなのに…。

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中国語講座 4/1

第24課 「あげる」「くれる」の“给gei3”
<スキット>
Wo3 xiang3 xue2 zuo4 geng4 duo1 de zhong1guo2cai4.
我想学做更多的中国菜。
私、もっと中国料理を習いたいです。
Ng4, wo3 yuan4yi4 jiao1 ni3. Wo3 gei3 ni3 yi4 ben3 shu1. Ni3 xian1 kan4kan ba.
嗯,我愿意教你。我给你一本书。你先看看你把。
よし、君なら喜んで教えるよ。本を1冊あげます。まずは読んでみて。
A1! Dian4zhang3 xie3 de shu1!
啊!店长写的书!
まあ!店長が書いた本ですか!

<解説>
@ 愿意yuan4yi4 = 喜んで~する(助動詞
@ 给 = 与える、あげる&もらう
@ 看 = 見る、(新聞や雑誌を)読む(黙読)、(テレビを)見る
 「読む」=读du2(声に出して読む)、「勉強する」=念 nian4

<キーフレーズ>
「あなたに(1冊の)本をあげます。
Wo3 gei3 ni3 yi4 ben3 shu1.
我给你一本书。
※「誰々に+(数量詞)+何々を+あげる」=「给+誰々+何々」
※「(どうぞ)私にください」=「(请)给我+ 何々」
  あなたにペンをあげます。
  Gei3 wo3 yi4 zhi1 bi3.
 我给你一支笔。
Wo3 gei3 ni3 yi4 zhang1 dian4ying3 piao4.
我给你一张电影票。
  映画のチケットを1枚あげます。

<エクササイズ>
私はあなたにプレゼントをあげます。
Wo3 gei3 ni3 yi2 ge li3wu4.
我给你一个礼物。
私はあなたにお花を1束あげます。
Wo3 gei3 nin2 yi2 shu4 xian1hua1.
我给您一束鲜花。
私に領収書をください。
Qing3 gei3 wo3 fa1piao4.
请给我发票。
(明らかに自分のものとわかるので量詞は不要)

<ひと言>
少々お待ちください。
Qing3 shao1 deng3.
请稍等。

<ピンイン>
 軽声が真ん中にあるときの読み方
・ta1 de shu1 他的书(彼の本):deは前の音節より低い
・shi4 bu shi4? 是不是?(そうですか):buは前の音節より高い
・hao3 bu hao3?好不好?(いいですか):buは前の音節より高い
・chi1 bu chi1?吃不吃?(食べますか):buは前の音節より低い

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論語でジャーナル’26

8,子、衛の公子荊(こうしけい)を、善く室に居ると謂う。始め有るに曰く、苟(いささ)か合(あつま)る。少し有るに曰く、苟か完(まった)し。富(さか)んに有るに曰く、苟か美(よ)し。

 先生が、衛国の王族の公子荊のことについて言われた。「家計の切り盛りが上手である。はじめて財産ができたときには、『これでやっと足りる』と言い、少し財産が貯まってきたときには、『これでようやく一人前になった』と言った。大きな財産ができたときには、『なんとかこれで立派になりました』と言った」。

※浩→孔子が家産を蓄積することに巧みだった公子荊について評価しています。「室」は家の私有財産。「居」は元来“座る”の意味で、ここから“忍耐を伴った持続的な処理”を意味し、さらに“貯える”意味となったと言われます。孔子は「浪費を嫌いながら蓄積することの大切さ」を説いています。公子荊は、財産が多少貯まったくらいで「自分はお金持ちである」と慢心せずに、「これでやっと足りる」と、すっかり大きな財産ができても、「なんとか良くなった、立派になった」と、まことに謙虚です。謙虚なところを孔子が高く評価しましたが、財産の使い方は適切だったかどうか、いささか気になります。例えば、蓄財ができたら、そこから世のため人のために一部を提供したりしたか。あるいは、逆に、吝嗇(りんしょく)を極め、ケチを通したか。吝嗇といえば、ディッケンズの「クリスマスキャロル」を思い出します。
ロンドンの下町で商売をしているスクルージは、強欲で、エゴイストで、ケチで、思いやりのカケラもない人物として嫌われていました。慈善的な寄付なんていうのはもってのほか、7年前に亡くなった共同経営者のマーレイの葬式から、副葬品であるお金を持ち去るほどの強欲ぶりでした。そのマーレイの幽霊が、クリスマスの前日の夜スクルージの前に現れます。そして、なぜか鎖でがんじがらめになった姿で「金銭欲にまみれた人間にどんな悲惨な運命が待っているか」ということを教えるのです。そしてスクルージの生き方を変えるため、3人の幽霊が今から姿を現すということを言い残していきます。
 3人の幽霊は、それぞれ「過去」「現在」「未来」の精霊としてスクルージの前に順番に姿を現しました。そして彼に関係するさまざまな光景を見せるのです。それは彼が忘れていたこと、思い出したくないこと、見たくもないことばかりでした。目の前に現れる光景に心を揺さぶられ、疲れ切った彼は、未来の精霊が見せた最後の場面に衝撃を受けるのです。
 この作品は、あの有名な村岡花子さんの翻訳があります。またじっくり味わってみたいです。
 落語で吝嗇といえば、まず思い出すのは、「味噌蔵」です。たっぷりお楽しみください。
 この物語の主人公、ケチ兵衛は味噌屋を商売としている。仕事はしっかりするのにまだ独身です。ある日、親戚一同が集まり、どうしても嫁をもらわないというのなら、世間に対してみっともないから今後のつきあい断ると脅され、、結局、ケチ兵衛は、泣く泣く嫁をもらうことになりました。嫁をもらっても、同衾しません。子どもでもできたら入費がかかるからと。ところが、ある寒い夜、例によって独り寝をしていますが、寒くて仕方ない。まさか丁稚を抱いて寝るわけにもいかない。2階でギシッと物音がします。「なんだ、鼠か?鼠にしては音が大きい。そうか!あたしゃ2階に嫁がいたんだ。あんな大きなお尻で寝返りでもうったら、畳がすり減る。そうか、嫁と寝りゃいいんだ」。奴さん、枕を抱えて2階へ上がり、嫁さんの床へするりと入り込む。嫁さんは大喜びで、そういうことが何度か続いたある日のこと。嫁が「あなた、わたしできちゃったんです」。「できちゃったって、できものか?そんなの吸い出しで出してしまいな」「おできじゃございませんよ。見るものを見ないんです」「見るものをみないって、芝居でも見たいのか?やめとけやめとけ、あんなもの無駄遣いだ」「どう言えばいいんでしょうね。赤ちゃんができたんですよ」「えー!大変だ」。というわけで、番頭に泣きついて、「どうしようか?」「どうしようかって、旦那様おめでとうございます」「人が困っているのに、おめでとうはないだろ」「それならいっそお里へお返しになったら?」「そんな薄情なことはできないよ。身ごもったからといって、実家へ返すなんて」「離縁するんじゃありませんよ。初産はお里でなさるほうが、奥様も気が楽ですし、ご実家の親御さんもお喜びになるでしょう」ということで、番頭さんの助言に従って、奥さんを実家へ返します。月満ちて、お里から男の子が誕生したとの知らせ。「どうしようか」とまた番頭さんに相談した結果、ケチ兵衛は小僧の定吉を連れて、挨拶に行くことにしましたが、番頭に「今夜はひょっとしたら泊まることになるかもしれない。火の用心にはくれぐれも気をつけておくれ。万一、近所から火事が出たら、蔵の壁を味噌で目塗りしなさい」「どうしてですか?味噌がもったいないでしょ」「焼けた味噌は香ばしい。剥がして皆の朝飯のおみおつけの具にすれば無駄がない」と言い残し、定吉を伴って出て行きました。
 旦那が出かけてしまうと、奉公人たちは普段の食事のまずさを番頭さんに訴えます。それもそのはず、今までは具のない味噌汁しか出なかったのですだから。「この前、珍しく味噌汁に具が入っていたんですよ。でも、箸でつかんでもつかんでも取れない。よく見ると自分のめん玉が映っていたんです。自分のめん玉を箸でつかむようになっちゃあ、世もおしまいだ」。番頭さんも、もちろんそのつもりで、帳面を誤魔化すことになった。皆から注文を聞くと、刺身から鰤の照り焼き、うな丼、卵焼きと出てくる出てくる、最後に横町の「から屋に田楽あり」と書いてあったので、「それも!」と言うと、番頭は「から屋って店があったか?」「ほら、角から2件目の、いつもおからを買いに行く……」「ありゃ、から屋でなくて豆腐屋だよ。うちじゃあ豆腐なんか買わないから、から屋って思ってたのか。涙ぐましいねえ」と、それらをすべて注文して、田楽は冷めると美味しくないから、二、三丁ずつ焼けたら持ってきてもらうことにしました。それから、飲んで食ってのどんちゃん騒ぎ。帰ってこない旦那の悪口を言いながら皆上機嫌です。そんなとき、まさかの旦那のお帰りです。店の近くまで帰ると、どこかの家でどんちゃん騒ぎ。さらに近づくと、自分の店。大戸を叩いて番頭を呼び出すと、すでにベロンベロンに酔っ払っています。奉公人たちは驚いて、急いで片づけるもあとの祭りで。すっかりバレていまいました。旦那はカンカンに怒り狂って、「今夜の不始末のつけに、お前たちは一生無給金で働いてもらう」と、叱りつけます。そんなとき、「焼けてきました~」と横丁の豆腐屋の声。旦那は「何、焼けてきた?火事だよ。どんな感じだ?」「二、三丁焼けてきました、あとからどんどん焼けてまいります」「大変だ、これは」と、慌てて戸を開けると鼻先に田楽の匂いがプーン。「いけない!味噌蔵に火が入った」。
 おあとがよろしいようで。

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英会話ツボ 3/30

63,全部で12個ってこと?
#ツボ:meanで確認
「全部で12個ってこと?」=「あなたは全部で12個ということを意味していますか?」
Do you mean twelve in all ?
 meanは自分の話していることを相手にわかってもらうときに使うことができる。
@Do you mean~ ? = 「~ってこと?」
@I mean~ = 「~ってことです」

#練習
(飲み屋の精算で)「1人3000円ってこと?」
Do you mean 3,000 yen per person?
(急用でデートに来られなくなった彼に)「今夜は残業ってこと?」
Do you mean you have to work overtime tonight?

#単語帳;数
13=thirteen  14=fourteen 15=fifteen 16=sixteen  17=seventeen 18=eighteen 19=nineteen
30=thirty 40=forty 50=fifty 60=sixty  70=seventy 80=eighty 90=ninety



64,笑ってる場合じゃないよ
#ツボ:場合=余裕=time
「笑っている場合じゃないよ」=「笑っているような余裕はありません」
This is not a time for laughing.
@名刺はfor ~、動詞はto ~

#練習
(肝心なときいつも怒ってばかりいる人に)「怒ってる場合じゃないです」
This is not a time to get angry (or for getting angry) .
(国際会議に出て)「話をしている場合ではありません。行動することです」
This is not a time for talking. It's a time for action.

#単語帳;数字のいろいろ
@西暦1999年=nineteen-ninty-nine
@\13,456 =thirteen thousand four handred fifty six yen
@098-765-4321=zero nine eight seven six five four three two one

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論語でジャーナル’26

7,子曰く、魯衛の政(まつりごと)は兄弟(けいてい)なり。

 先生が言われた。「魯と衛の政治は兄弟のようなものである」。

※浩→魯の先祖・周公旦と衛の先祖・康叔は、ともに周の「武王」の弟です。魯国を亡命した孔子は、衛国に滞在し、君主や政治家、学者とも親しく交わったので、衛国の事情を手に取るように知っていました。魯も衛も、政治は混乱をきわめていましたが、歴史を遡ると先祖は兄弟で、同じように「周」の文化に浴していました。孔子は、現実の魯・衛から、周の盛時を回想して嘆息したのが、「魯衛の政は兄弟なり」という言葉であったと、新注は解釈しています。「周」の封建制度というのは、周王が一族や功臣、地方の有力な土豪を諸侯として、一定の土地と人民の支配権を与え、統治したシステムを言います。ヨーロッパ中世の封建制度は、血縁でなく1対1の双務契約的な関係からなり、複数の主君に仕える家臣も少なくなかったです。「周」では、諸侯に与えられた地域を「国」といい、諸侯を封(ほう)じて(土地と人民を与えて)国を建てることが「封侯建国」であり、その略語が「封建」です。諸侯は国を支配し、国内の土地を一族や臣下に分与しました。周王と諸侯、諸侯とその家臣である卿・大夫は、擬制的な血縁関係にあり、その基盤には血縁的な宗族によって結びついている氏族社会がありました。同じ親から生まれた兄弟が各地に封じられたのです。兄弟仲がよければトラブルにはならなかったでしょうが、アドラー心理学で言う「きょうだい競合」を考えると、なかなか困難なことであったでしょう。
 日本で兄弟仲が良かったのは、豊臣秀吉とその弟秀長でしょうか。奇しくも今年のNHK大河ドラマが「豊臣兄弟」です。兄・秀吉とは3歳差で、父親が同じなのかどうかについては、はっきりしていません。歳の近い兄弟でしたが、秀吉が十代半ばで家を飛び出したせいか、幼少期のエピソードはないようです。再会するのは秀吉がねねと結婚したあとの永禄五年(1562年)のこと。秀吉が家を出てから、だいたい15年ぐらいあとの話です。秀吉の正妻ねね(寧々・北政所・高台院)は賢夫人で、女癖の悪い夫をどう操作したのでしょうか?秀長は兄が来るまでは、百姓として田畑を相手に暮らしていたようです。22歳になっていたはずですから、当時の社会通念では、とっくに妻を迎えて、子どもの2~3人いてもおかしくないところ。しかし、秀長にはどちらもいませんでした。これがのちに、彼や豊臣家の運命を左右することになります。このころ、秀吉は足軽組頭となり、数十人程度の部下を持っていました。元が百姓であること、何のコネもなかったであろうことを考えれば、これだけでも相当な出世と言えます。しかし、もっと上を目指すのなら、信頼できる家臣を一人でも増やさねばなりません。そこで真っ先に候補に上がるのは血縁者です。秀吉には男きょうだいが秀長しかいなかったので、召し抱えにやってきた……というわけです。
 秀長は若いころから温厚な人だったようで、秀吉の部下たちともすぐに打ち解けました。大所帯になると、とかく揉め事が起きやすいもの。ちょっとしたケンカや禄(給料)への不満など、些細な不満が積もり積もって大爆発……などという話は、枚挙に暇がありません。個々人の感情のぶつかり合いは防げませんが、禄に対する不満は主人が解決してやれる可能性があります。給料が高ければ高いほど喜ぶのは、戦国人でも現代人でも同じです。秀吉も秀長もそれをわかっていました。秀吉はエネルギッシュに立ち回って、戦功を挙げて信長から少しでも多く禄をもらい、家臣に分け与えるために、しゃにむに動かねばなりません。調略や工作などで、留守にすることも珍しくなくて、細かいところに目が行き届かないことも多々あったでしょう。そういうところのサポートをしたのが秀長であり、この構図は、生涯ずっと続きました。
 「太平記」の足利尊氏と直義は、非常に仲の良い兄弟でした。尊氏は政務を直義に任せ(但し、軍事指揮権や恩賞授与の権限は尊氏が保持していたと言われます)、直義のことを想う願文を奉納するほどです。しかし最後には対立してしまいます。その原因は、直義は北条泰時の時代を理想として政治を行い、足利氏の一門を重用したため、これに不満を抱いた高師直(こうのものろお=歌舞伎の仮名手本忠臣蔵では吉良上野介をこう呼ぶ)を筆頭にした外様(とざま)の武将たちが尊氏のもとに集まったことが1つです。本人たちを取り巻く周囲の環境が2人の関係を破壊してしまったということのようです。
 同じく忠臣蔵の赤垣源蔵は、討ち入り直前に、兄宅を訪れて心で別れを告げるつもりでしたが、あいにく留守で、やむなく、徳利に兄の羽織を被せて、それを前に、別れの杯を交わします。そして、翌朝が、本懐を果たした義士たちの引き揚げの行列です。この感動的なシーンは、三波春夫さんの長篇浪曲歌謡「赤垣源蔵」で歌い上げていました。今は、若手の三山ひろしさんが歌っていて、三波さんの雰囲気そっくりです。

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韓国語講座 3/28

第4課 パッチム
<パッチムとは>
 パッチムとは、「支えるもの」という意味で、下に来る子音字のことを言う。
#タイプ1

子音|母音
─────
子音(パッチム)

#タイプ2

子音
───
母音
───
子音(パッチム)


<パッチムになる子音> 16個
発音は7個
パッチム文字 → 発音
ㄱ,ㅋ,ㄲ → k
ㄴ → n
ㄷ,ㅌ,ㅅ,ㅆ,ㅈ,ㅊ,ㅎ → t
ㄹ → l (表記はrに)
ㅁ → m
ㅂ,ㅍ → p
ㅇ → ng

<ア行で練習>
악 ak (「悪化あっか」の「か」を発音しないで「っ」で止める)、국 クk=スープ
안 an
「あんな」の「な」を言わない。舌先を上の歯茎に付けて鼻から息を抜く。
 면=麺、 라면=ラーメン
앋 at
「あった」の「た」を言わない。舌先を上の歯茎に付けて息を止める。
 곧 コッt=すぐに
알 al(舌が上の歯茎の裏に付く。発音が終わるまで舌を離さない) 말 マr=言葉
암 am
「あんまり」の「まり」を言わない。口を閉じて鼻から息を抜く)
 남 ナm=他人  ナムと発音すると나무=木になってしまう。
압 ap(「アップ」の「プ」を言わないで止める) 밥 パp=ごはん
앙 ang(「あんこ」の「こ」を言わないで止める。鼻から空気が抜ける) 빵=パン

국밥 クkパp=クッパ(スープご飯) ← 국=スープ+밥=ごはん
비빔밥 ピビmパp=ビビンバ(混ぜご飯) ← 비빔 混ぜる+빕 ご飯

<発音>
1,有声音化
ㅂ,ㄷ,ㄱ,ㅈ は、語頭以外と、ㅇ,ㄹ,ㄴ,ㅁ のあとでは濁って発音される。
覚え方:荒波でも海行こう。아라나미 바다가자 アラナミ パダガジャ

공부 コンブ=勉強(←工夫)
한글 ハングr=ハングル

2,連音化
단어 タノ=単語
ㄴがㅇの位置に移る。

음악 ウマk=音楽

<ダブルパッチム>
괜찮아요 クェンチャ'ナヨ=大丈夫です

ㄵ ㄶ ㄻ ㄳ ㄺ
ㅄ ㄿ ㄼ ㄽ ㄾ ㅀ
 ㄺ,ㄻ,ㄿ以外は左側を読む。(覚え方:クマのペーさんは右読み ←ㄱ,ㅁ,ㅍ)

<練習>
김치 キmチ'=キムチ
불고기 プrゴギ=焼き肉
감순옥 キmスニョk=キムスノク(先生)
촉구 チュ'ッk=サッカー
닭갈비 タッカrビ=鶏カルビ
선생남 ソンセンニm=先生

<あいさつ>
안녕하세요? アンニョンハセヨ?=こんにちは(お早う、今晩は))
 안녕 アンニョン=安寧
「さようなら」
去る人:안녕히 계세요? アンニョンイゲセヨ?(安寧でいらしてください)
見送る人:안녕히 가세요? アンニョンイガセヨ?(無事にお行きください)
親しい間柄では、안녕! でもOK。

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論語でジャーナル’26

6,子曰く、その身正しければ、令せずして行わる。その身正しからざれば、令すと雖も従わず。

 先生が言われた。「為政者の行いが正しければ、命令を出さなくても実行される。しかし、為政者の行いが正しくなければ、命令しても人民は従わない」。

※浩→為政者である君子自らが襟を正して道徳を実践しなければ、人民は君子の命令に従わなくなってしまう。徳治主義の政治の要諦ではありますが、吉川幸次郎先生はこれは政治の必要条件であるが、十分条件であるかは疑問である、と述べられています。さて、何が加われば十分条件となるでしょうか。やはり「礼」による調整ではないかと思えます。学級経営にも応用できそうです。学校には「校則」というものがありますが、担任自らが「仁徳」を高め、「礼儀正しく」生徒に接すれば、それによって生徒が感化されていくでしょう。権威主義的に上から「校則を守れ」と迫っても、生徒たちは、いかに上手に網の目をくぐって逃げられるかばかりを考えそうです。「為政篇」でしっかり述べられていました。

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