21,樊遅(はんち)従いて舞樗(ぶう)の下(もと)に遊ぶ。曰く、敢えて徳を崇(たか)くし慝(とく)を脩(おさ)め惑いを弁ぜんことを問う。子曰く、善いかな、問うこと。事を先にして得るを後にするは、徳を崇くするに非ずや。その悪を攻(せ)めて人の悪を攻むるなきは、慝(とく)を脩むるに非ずや、一朝の忿(いきどお)りにその身を忘れて以てその親(しん)に及ぼすは、惑いに非ずや。
樊遅が、先生に従ってついていき、雨乞いの高台の下に遊んでいるとき言った。「かねがねおたずねしたいと思っていたことをこの機会におたずねします。『徳を崇(たか)くし慝(とく)を脩(おさ)め惑いを弁ぜん』という古語の意味を教えてください」。先生が言われた。「よい質問だね。仕事を先にして、利益を得るのはあとにする、それが徳を高めることにつながるのではないだろうか。自分の悪いところを責めて、他人の悪いところを責めない、それが隠れた悪徳を取り除くことにつながるのではないか。一時の怒りに我を忘れて親族まで巻き込んでしまうのが、惑いというものであろう」。
※浩→樊遅は孔子より三十六歳年下の弟子です。弟子たちは、古語の意味についてときどき質問したようです。孔子はこういう質問を歓迎しましたが、弟子のほうはなかなか質問が切り出しにくかったようで、この樊遅の質問を「良い質問だ」と歓迎しています。年齢の離れた弟子へのやさしい思いやりも感じられます。私も、アドラー心理学を学ぶ若者たちには当然、自分の持てる情報と技術を、惜しみなく伝授しますす。
ここでの質問は3点です。「崇徳(そうとく)」「脩慝(しゅうとく)」「弁惑」で、回答もわかりやすいです。まず仕事に努力、利益をとるのはそのあと。自分の悪いところを責めて、他人のそれを責めない。一時の怒りに我を忘れて親族まで巻き添えにしない。
自分に関して自己点検します。「崇徳」は85点を目ざします。現在はパートタイム・ジョブとして月1回の講座を担当しています。スクールカウンセラー時代と違って、お手当は出なくて、完全ボランティアです。しかも講座後の「懇親会」では、若者たちの負担が軽くなるように、私が割り勘以上の会費を払っていました。最近はわりかんになりました(笑)。「脩慝」は60点です。大学だったらきりぎり最低合格点です。他人の不行跡を見るにつけ心が騒ぎますから。このことは野田先生の「心理療法の基礎理論」を学んで、「分類」と「弁別」の違いを知ってからだいたい抑制できるようになりました。「分類」というのは、価値判断をしないでただ区別しているだけで、「弁別」は善悪の価値判断を伴っていますからず何らかのアクションを生じます。「こりゃいかん。なんとかしよう」と。ですから、ただの「分類」でとどめておけば、何かをしようという動きは出てこないです。もう少し熟達すると、心騒がず穏やかでいられると思います。「こち亀」の両津勘吉のように、「笑ってごまかせ自分の失敗、しつこく罵れ他人の失敗」ではなくなると思います。妹は以前よく、「お腹をたいらに」と言っていました。その後は忘れたようですが。え、忘れてないって?
20,子張問う。士、何如(いか)なればこれこれを達と謂(い)うべき。子曰く、何ぞや、爾(なんじ)の謂うところの達とは。子張対(こた)えて曰く、邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。子曰く、これ聞なり、達に非ざるなり。それ達なる者は、質直(しつちょく)にして義を好み、言を察して、色を観(み)、慮(はか)りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。それ聞なる者は色に仁を取りて行いは違い、これに居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。
子張がおたずねした。「知識人はどのようであったら「達」と言えるでしょうか」。先生が反論された。「どういう意味かね?お前の言う達とは」。子張がかしこまって答えた。「国家に仕(つか)えるときっと評判になり、一族(豪族)の家に仕えてもきっと評判になるということです」。先生が言われた。「君が言っているのは「聞(ぶん)」で「達」ではない。達とは、真面目で正義を愛し、相手の言葉の意味を推察し、顔色によって心持ちを理解し、よく思慮して他人にへりくだる。それだから、国家に仕えてもきっと達し、豪族に仕えてもきっと達する。一方の「聞」というのは、表面だけは仁徳があるように見せかけているが、実行はまったく逆であり、このやり方に満足して疑問を持たない。そこで、国家に仕えても評判が良く、豪族に仕えても評判が良くなるのだ」。
※浩→質問者が子張に変わりました。「達」とは、実力によって社会的な地位を得ること。「聞」は、口先だけで社会的な地位を得て有名人であることです。「達」に至るには、素朴で正義を好むこと、人と接する場合には、相手の言葉をよく噛みしめて、相手の感情をよく観察する。また常に熟慮的で、人に謙虚であること。こういう人は“ホンモノ”です。熟語で整理すると、「素朴」「正義」「共感」「謙虚」となります。
表面だけ派手に仁者を装って、実践は違って相手のことには無関心で鈍感で、自分のことにしか関心がなく、しかも傲慢で、まんまと社会的な地位を得て、その上にどっかりとあぐらをかいて、何の疑問も持たないような人は、有名人にはなるでしょうが、「こんな人には私はなりたくない」。宮沢賢治ならそう言うでしょう。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋(いか)からず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
私が好きな箇所は次のところです。「東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い 日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き 皆にデクノボーと呼ばれ 誉められもせず苦にもされず」
読むたびに心が洗われます。
18,季康子、盗を患(うれ)う。孔子に問う。孔子対(こた)えて曰く、苟(いや)しくも子(し)の欲せざれば、これを賞すと雖も窃(ぬす)まず。
季康子が、盗賊の被害を心配して孔子にご相談した。孔子はお答えした。「もし支配者であるあなたが私欲を持たなければ、人民も感化されて泥棒がいなくなり、たとえほうびを出しても泥棒などしないでしょう」。
※浩→前の章と同じく、為政者である君子の禁欲的な行動の率先垂範が重要だという話で、貝塚茂樹先生の解説がわかりやすいです。季康子が人民から重い税を取り立て、自分の家の財産を増やすことに全力を注いでいるから国民が困り、不正な手段で盗みをしてまで財を得ようとする者が出てくる。孔子は、婉曲に季康子の政策の批判をしたのである。孔子の時代には、各国で盗賊が盛んに横行しました。それもコソ泥でなく、多人数の集団強盗で、国家の治安が重要問題になっていました。
せっかく孔子を魯国に呼び戻してくれた季康子ですが、孔子の言葉を一向真剣に聞き入れなくて、それ以後の孔子は、73歳の死に至るまで、もっぱら著作に専念したそうです。ここでの孔子のアドバイスは、老子を思わせます。為政者が無欲・禁欲的であれば、盗賊なんか出現しない。『老子』第三章にあります。
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしむ。得難(えがた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)をなさざらしむ。欲(ほっ)する可(ところ)を見(しめ)さざれば、民の心をして乱(みだ)れざらしむ。ここをもって聖人の治は、その心を虚(むな)しくし、その腹を実(み)たし、その志を弱くし、その骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫(か)の知者をして敢(あ)えてなさざらしむ。無為をなせば、則(すなわ)ち治(おさ)まらざる無し。
現代語→「人の上に立つ人間が有能な人間を尊ぶことがなければ、人々が互いに競争することもなくなるだろう。貴重な品々をありがたがらなければ、盗みを働く者もいなくなるだろう。欲望を刺激するような情報を絶てば、人々の心は落ち着くだろう。だから『道』を知った聖人の政治というのは、人々の頭を空っぽにして、そのお腹を一杯に満たす。人々の欲望を弱くして、その肉体を強くする。人々を無知無欲にして、小賢しい知恵者などにたぶらかされないようにするのだ。そうやって余計なことをしない無為の政治を行えば、世の中が治まらないなどということはない」。
野田先生から、「こら!老子は“土着思想”だぞ」と叱られそうですが、「毒もときに薬」ですから、おいしいところだけいただきます。無限のマインドを制限してハートを活性化する役には立つでしょうから、と、言い訳。
17,季康子、政を孔子に問う。孔子対(こた)えて曰く、政とは正なり、子(し)帥(ひき)いるに正を以てすれば、孰(たれ)か敢えて正しからざらん。
季康子が、政治について孔子に質問をした。孔子はお答えした。政(まつりごと)とは正しさです。諸臣の“帥(かしら)”であるあなたが、正しさによって人々を導いたならば、誰があえて不正を犯しましょうか」。
※浩→まず為政者たる君主や君子が人民に先駆けて正しい行いの模範を示せば、人民はおのずと正しいことをするようになる。社会道徳を維持するための率先垂範の大切さを説いています。「為政篇」に、「子曰く、之を導くに政を以ってし、之を斉(ととの)うるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉うるに礼を以ってすれば、恥有りて且つ格(ただ)し」とありました。「国民を導くために政策(法律や制度、命令や禁止などの規制)を用い、また治めるために刑罰をもってすれば、国民は法律の穴をくぐって罰を逃れることばかり考えて恥知らずになります。為政者自身の徳でもって国民を導き、礼をもって国をまとめるならば、国民はおのずとその身を正すようになるでしょう」。これとほぼ同じ意味です。去年のNHK大河ドラマ「べらぼう」にも出ていました。「べらぼう」は1年間すべて観ました。今年のは観る気がしないです。「また豊臣か!」で、戦国物には飽きましたから。
学校で先生自身が自分の徳性向上を棚上げして、強圧的な生活指導をしていたのでは、生徒を善導できるわけがありません。
16,子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是(これ)に反す。
先生は言われた。「君子は他人の美事・善事を支援しこれを完成し、他人の悪事は援助しない。徳のない小人はこれと反対で、人の悪事を尻押しして、人の美事を妨げる」。
※浩→善事を推進して悪事を抑制する君子の道徳規範とその実践のあり方を示しています。吉川幸次郎先生はここを最も好まれるそうです。他人の善行を応援してその完成を助け、他人の悪事には荷担しない。人の善事は助け、悪事は助けない。徳のない人は、悪事には荷担して、善事には知らんふりをする。「適切な行動に注目し、不適切な行動に注目しない」という“勇気づけ”の大原則につながってきます。カウンセリングでしていることは、まさにこのことです。
家康の旗印の言葉に、“厭離穢土・欣求浄土”(おんりえど・ごんぐじょうど)というのがありました。もとは平安中期の高僧源信(恵心僧都)が著した「往生要集」の中の言葉だそうです。「穢れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土をこい願う」という意味です。家康が松平元康という名前だったころ、桶狭間の戦いで主君(と言うか、家康は人質だった)の今川義元が討たれ、逃げ隠れた大樹寺の、松平家のお墓の前で自害しようとしたとき、登誉上人が元康に言った言葉です。家康公はこの言葉を胸に、「天下泰平」を実現させるため、戦国時代を戦い抜きました。
野田先生はこんなことをおっしゃっていました。中国のある僧侶が高僧に、「どうしたら悟りを得られますか?」とたずねたら、「悪いことはせず、善いことをすることじゃ」と答えられて、「そんなことは3つの子でも知っている」と反論しました。高僧は「3つの子でも知っているが、70のジジイにも実行できんのじゃ」と一喝しました。まことに、「言うは易く行なうは難し」です。“一蓮托生”というもと仏教用語が、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれる、という意味だったのが、転じて、物事の善し悪しに関係なく、行動や運命をともにすること、という意味にもなり、現代では、どちらかと言えば、悪事に荷担するときの結束に使われているようですが、あまり愉快ではない使い方と思います。「かくなる上は一蓮托生の覚悟を決めねばならん」「もはやお前とは一蓮托生、地獄の底まで一緒だ!」と言うよりも、美しく、「さあ深く互いに最期を急がん。未来は一蓮托生、南無阿弥陀仏」とか、「一蓮托生の閨(ねや)のお同行とじゃれてきげんをとりければ」と浄瑠璃で語られているほうがはるかに綺麗です。
15,子曰わく、君子博く文を学びて、これを約するに礼を以てすれば、亦(また)以て畔(そむ)かざるべし。
先生がおっしゃった。「君子は学問を幅広く学んで、その知識を礼の理念によって統一すれば、人としての正しい道を踏み外すことはないだろう」。
※浩→君子は学問によって身につけた表層的な知識を、『礼の精神』によって統一し人格の陶冶に心血を注がなければなりません。幅広く学んだその知見を雑多にしているのではなく、「礼」の理念で統一する。どこまでも「礼」の大切さが説かれています。同じことが、「雍也篇」「子窂篇」でも説かれています。伊藤博文さんのお名前の由来にもなっています。私にとっては、岡山大学ボート部の先輩に泉本文博さんという方がいらっしゃいました。この方は、ご自分の名前を“文学博士”の略だと自称されていました。「博く文に学びて」を私少しは実践してきました。若いころは文学~哲学と多岐にわたって読みあさりました。高校時代に「百人一首」は全部暗記し、世界最長篇詳説『大菩薩峠』は学校の図書館で借りて、ほぼ全巻読破しました。今日、カウンセリングをする上で、それら「雑学」がずいぶん役に立っています。人生のさまざまな場面で、そこにぴったりの「フレーズ」が“雑学の泉”から湧き出してきます。ときどき相棒・児玉先生がこの語彙の豊かさに感動してくれます。来談者さんの行動の意味を解釈して返すとき、ある表現では抵抗されても、少し表現を変えると、意外なほどすんなり受け入れられることもしばしばあります。昔から「ものは言いよう」と言われます。恩師・野田俊作先生は、おばあちゃん子だったそうです。おばあちゃんが同じことを何度もおっしゃるのを、いつも初めて聞くかのように、何度も何度も聞かれたそうです。それがカウンセリングで来談者さんたちが、入れ替わり立ち替わりおんなじようなことを言うのを、イヤがらずに聞くことができたそうです。もう1つは、おじいさんでしたかがお芝居見物に連れて行ってくださったそうです。それも古風な「新国劇」だったそうで、「赤城の山も今宵限り、かわいい子分のお前たちとも、別れ別れになる門出──」「親分、雁が鳴いて西の空へ飛んでいかあー」等々、こういうのを体験したおかげで、人生の機微をそのときどきに巧みに表現できるようになられたそうです。私が主に引用しているのは、「歌舞伎」「小説」「落語」「故事成句」「哲学・倫理学」「映画」「アニメ」「聖書」「論語」「老子」「荘子」などです。
14,子張、政を問う。子曰く、これに居りて倦(う)むことなく、これを行うには忠を以てせよ。
子張が政治について質問をした。先生は言われた。「議席についている間はちっとも怠ってはいけない。人民に対しては、忠義(誠意、まごころ)もって取り計らわなければならない」。
※浩→政治について質問してきた子張に対して、為政者である君子の心構えを説いています。「居りて」とは、「位」にいること。毎朝、広場で君主のご機嫌を伺い、そこで会議を開きました。「位」は各人の着くべき定まった席のことで、「議席」です。「行う」は、朝会から帰って、人民に対して会議で決まったことを実施することだそうです。
現代のわが国の国会の様子をテレビの中継で見ますが、とても会議のお手本とは思えない様子が映し出されたことも過去たびたびありました。昨日の衆議院議員選挙で自民党が単独2/3議席を獲得しましたが、奢れることのないよう、責任ある行動を願うのみです。昔、「乱闘国会」なるものがありました。“選良”ともあろう人が言葉に詰まると暴力をふるっていました。昔はテレビの中継がなくて、映画館でのニュース映画で見ていました。2本立て上映が普通で、映画の前にニュースと予告編があって、それから本編上映でした。最初の上映のことを“封切り”と言っていました。それを見逃しても、しばらく待っていると、“二番館”とか“三番館”とかいうのがあって、フィルムに傷がついて画像が乱れたりしていましたが、料金は格安でした。子ども時代や学生時代には、お小遣いが限られていましたから、私たちは主に、“二番館”で観ていました。岡山市内では、まず、駅前の松竹座(邦画)、歌舞伎座(東映)、グランド劇場(洋画)、上の町の岡映(洋画)、新西大寺町の大福(おおふく)座、柳川ロータリー北の銀映(洋画)、南の岡山劇場(邦画)、チトセ映劇(洋画)、大和町の名画座(ここは一時ストリップ劇場になりました。近くに下宿していたボート部の仲間でドロンこと今村穣氏が愛した劇場)、奉還町の中華料理屋の隣の(第二)ニシキ館(邦画)と地球館(邦画)、田町の第一ニシキ館(邦画)、小橋町のヤマト座(邦画)、天満屋近くのセントラル(洋画)、千日前には北から順に若玉館(東宝)→テアトル岡山(洋画)、白鳥座(大映のち洋画)、文化劇場(洋画のち大映のちSY松竹文化に)、松映(松竹)、金馬館(のち日活に)と、たくさんありました。多くの映画館が、のちにはスーパーマーケットなどになったりしましたが、新西大寺町の大福座は、一時、「吉本三丁目劇場」という名で、吉本新喜劇や漫才を大阪から招いて常時上演していました。その後、客の入りが少ないのか、間もなく閉館しました。戦前の岡山市には、歌舞伎も上演できる本格的な劇場がありました。母が子どものころは、大雲寺町に「高砂座」というのがあり、その後、柳川に「岡山劇場」というのができて、そこでは大歌舞伎や宝塚歌劇などが上演されたそうです。戦後は「市民会館」や「市民ホール」のようなホールの他に、シンフォニーホールという音楽の殿堂ができました。これらには、歌舞伎向きの舞台機構が備わっていなくて、花道も回り舞台もセリもありません。舞台の転換のたびに緞帳を降ろすので、時間がかかります。今度できた「岡山芸術創造劇場(ハレノワ)」には大中小と3つのホールができましたが、花道も回り舞台はないようです。セリくらいはあるのでしょう。杮(こけら)落としには大歌舞伎でも呼ぶのかと思いきや、地元で制作したミュージカルを上演しました。がっかりでした。
13,子曰わく、訟(しょう=うったえ)を聴くは、吾(われ)猶(な)お人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。
先生は言われた。「法廷の訴えを聴いて判決を下す場合には、私も一般の人と同じようなものである。同じだけの能力しか持たないだろう。それよりも私は、裁判などを起こさせないような政治をしたいと思う」。
※浩→孔子は、訴訟による強制的な紛争解決よりも、啓蒙強化による自発的な問題解決をより理想的なものであるとしたのです。医学・心理学の世界でも、「治療より予防」と言われます。ことが起きてから対策を立てるのは、昔から「泥棒を捕まえてから縄をなう」と言われるように、無策としか言いようがありません。かつて島国の日本にあんなにコロナ感染が拡大したのは、入国管理がザルだったのでしょう。政府の対応も「後手後手」でした。専門家の意見をほんとに聞いて実行したのかどうかも疑問でした。口では常に「専門家の意見を聞いて判断する」と言っていましたが、緊急事態宣言発令に関しても、「今はその状況でない」と答弁していました。今がその状況でないなら、いつがその状況だったのでしょう?今日は衆議院議員選挙の日です。高市首相の高い支持率で、おそらく自民党が勢力拡大して、単独過半数を取り返すでしょう。戦後の日本の総理大臣でこれほど広い層から支持されているのはほんとに珍しいです。これまで「ノロノロ」総理の悪印象を返上して、大変論理的に状況に応じて的確な判断をされ、有効な対策に即着手されることでしょう。私は、今日の悪天予報を信じて、昨日「期日前投票」に行きました。日曜日の投票所は自宅の近所の小学校ですが、期日前投票の会場は少し離れた「区役所」です。お昼過ぎに車で現地へ行くと、区役所へ入る道が渋滞で進みません。「これは投票に来た人たちの車だ」とすぐわかりました。こういう行列はたとえ緩やかでも必ず先へ進めると信じて、音楽を聴きながらのんびり順番待ちをしていると、駐車場のおじさんが空いているスペースへ誘導してくれました。区役所へ入って二度びっくり!今度は廊下にずーーーーーーっと人が並んでいます。何人もの職員が交通整理をしています。投票所のある2階廊下はすっぽり人で埋まっています。「最後尾はあちらでーーす」という案内で、廊下をずーーーーーーーっと奥まで進んで、長蛇の列の最後尾にたどりつきました。のんびり順番を待って会場(投票所)に入ると、部屋がまた人でいっぱい。こんな期日前投票は初めて見ました。おそらく私と同じ考えで、明日を避けてこの日に投票しにいたのでしょう。選挙区~比例区~最高裁判事審査と、順番どおりすませて、会場をあとにしました。この現象も高市首相の人気のなせることかもしれません。日曜日の結果発表が待たれます。
野田先生はよく、「人を勇気づける前に、勇気くじきをやめないといけない。薬の中に毒を一滴混ぜると、毒のほうが良く効くから」とおっしゃっていました。「悪貨は良貨を駆逐する」の喩えどおりです。せっかくの高市人気が、不埒な議員が当選して、その悪化が党や政府の人気を損なわないことを祈ります。
12,子曰く、片言(へんげん)以て獄(うった)えを折(さだ)むべき者は、それ由(ゆう)か。子路は諾を宿(とど)むることなし。
先生が言われた。「裁判で一方だけの訴えを聞いて判決を下せるのは子路だけだな」。子路は、承諾したことを引き延ばすようなことがなかった。
※浩→剛毅な、率直な竹を割ったような性格の子路は、裁判においても原告か被告か一方だけの意見を聞いて判決を出すような拙速なところがあったのでしょう。拙速ではあっても人情重視の判決を出したらしくて、徳治主義の儒学的観点から、孔子は子路のそういった側面も好意的に評価していたようです。もちろん、現代においてはありえません。以前、NHKの大河ドラマ『篤姫』で、彼女の母君が、「一方を聞いて沙汰するな」と諭すシーンがありました。アドラー心理学では、「認知論(仮想論)」の立場から、例えば、母親が子どもの話をしているとして、その話から子どもの実態はわからない。母親が捉えた“子ども像”(主観)ということですから、そのまま受け入れるわけにはいきません。このことをうっかりしていると忘れます。お母さんには、子どもがそういうふうに見えているということです。「統覚(認知)バイアス」という色眼鏡を通して、人は現象を見て自分なりの解釈をします。カウンセリングを行うとき、来談者の語る内容を、こういうふうに慎重に聞くことは大変重要です。これは現代多発している、“振り込み詐欺”による被害防止にも、役立つかもしれません。言葉は「地図」です。地図は「現場」を抽象したものですから、地図だけを信じると危険です。現場を確認するということは、刑事ドラマふうに言えば、「裏を取る」ということでしょうか。
ここの解釈は、子路が裁判官になったときのことだとする説と、逆に子路が裁判を受ける者となったときのことだとする説があります。後者だと、子路は正直者だから、決して嘘を言わない。彼の言うことだけを聴取しても、公平な判決を下せる、ということになります。
おしまいの、「子路は諾を宿むることなし」は、孔子の言葉ではなくて、後世に弟子が挿入したものとされています。何ごとも、実行の困難さを考えて、安請け合いに承諾しなかったという説と、「宵越しの承諾をしない」つまり、承諾したことはすぐ実行したのだという説があります。慎重だったというのと、即実行というのと、まったく逆ですが、こういうアンビバレントは論語の解釈では珍しくありません。