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お疲れ様です。上田です。
拙作「堺」をお読み頂き、ありがとうございました。
人生における切所は誰にもあることながら、私の場合は親との別れと連動しておりました。最初は14歳、母との別れ→故郷からの転居。そして当該作品の父との別れ→堺への単身赴任です。
いろいろあった一年を一度振り返ってみたいと思い、詩にした次第です。
ご指摘のように勤めていたのは建材メーカーです。西日本ブロック担当部長兼大阪営業所長という肩書、セールスの素人をこの位置に座らせる会社、どだい無理な話しですよね。大阪や京都は勿論のこと、泉南地区や和歌山にもよく足を運びました。淡輪などの地名を聞くと懐かしいです。
苦悩が滲んでいるという評価を頂戴して年甲斐もなく目がウルっとしました。どうも涙腺が緩くなって困ります。
改めて、佳作の評価、ありがとうございます。気持ちの上でとても嬉しい評価を頂戴しました。
これからもさらに精進したいと思います。
たゆたうオレンジの水
魚も貝もいない
大きな水槽が
この水族館の呼び物
実は水槽には
無数のオレンジの放物線が
飛び交っている
その速さとおびただしい量とで
たゆたうオレンジの
静かな水に見える
水は下から上へ
薄くなるグラデーション
天井の鏡に映る水面には
頻繁な明滅
そこだけ白く光っては消える
学芸員が注意する
総体を味わってください
全体を見てください
凝視してはいけません
全体を見てください
父に手をつながれて
思わず目を凝らす子ども
見えてくる
長い放物線は高く
短い放物線は低く
何度も何度も軌跡を描く
子どもは
じっと目を凝らす
自分と同じ高さの短い放物線群
じっと目を凝らす
やがて
短い放物線の無数の交差から
浮かび上がる兄の顔
好きだった兄の顔
兄の顔が消えてゆく
浮かび上がる
知らない子どもの顔
知らない子どもの顔は
悲しそうに消えてゆく
浮かび上がる
知らない国の子どもの顔
知らない国の子どもの顔は
苦しそうに消えてゆく
学芸員がやさしく
後ろから肩に手を置いた
子どもは はっとして全体を見る
たゆたうオレンジの美しい水
微笑む父を見上げて
水槽の美しい水をながめる
もう誰の顔も
浮かび上がってはこない
「じいじ」じじいじじいさん
じじいじじいさん、お待たせしました。
身近な人を見送ることはとっても辛いことですよね。小さなお子さんの場合は、もう二度と会えない、ということを理解するのがとても難しいそうです。この「わたし」はじいじのことが大好きだった、ということがとても伝わってきます。この作品はとても難しいテーマを扱っているので、じじいじじいさんがご自身の体験や身近なお子さんたちとお話ししたりして書かれたのかなと思います。最後にありがとうで結ばれているところが良かったと思います。
質問になってしまうのですが(そして何度か伺っている気がするのですが)この作品は対象年齢は何歳くらいを設定していますか?全てひらがななので、小学生以下かなと思います。大人向けの作品をひらがなで書く時とは大きく異なっているため、設定がとても大切だと思います。例えば、絵本や童話を書くときには、対象年齢に合わせて(発達に合わせて)内容も変わっていきますし、使って良い漢字や語彙も変わってきます。じじいじじいさんのひらがな作品はお子さんを対象にしているとおっしゃっていたので、この設定次第で少し読み方も変わってきます。今回の作品は内容から対象年齢は少し判断がつきにくかったように思います。実は対象年齢は小学校低学年だった、けれど、ショックな出来事だったから、全てひらがなで統一した、などという背景があるようだったらそれでも良いかもしれませんね。その場合は、そのショックさがもう少し伝わるように起伏を持たせて書くと良いかもしれませんね。じじいじじいさんが挑戦されていることは本当に難しいことなので、その勇気に頭が下がります。
「蛙先生」上田一眞さん
上田さん、お待たせしました。
すごいストーリーでしたね。息を止めて最後まで読んでしまいました。そういう意味でも佳作です。一度も止まることなく、一度も引っかからずに読ませていただきました。上田さんはストーリーテラーだなと改めて思いました。事実(だと信じて読んでいますが)だとしてもフィクションだとしても、光景が浮かびはっきりとした筋が見えるというのはとても良いですね。私はクロロフォルムで眠った蛙食べて平気なのかななんて心配しました。これを読んで思い出したのは、「豚がいた教室」という映画です。
カラスの登場はとても良かったですね。ここで少し話を逸らすというのもひと技かもしれないななんてちょっと思ったりもしています。すごく良いことですし当たり前のことですが、上田さんの作品は全て主題にベクトルが向いています。そのベクトルがとてもまっすぐではっきりしています。なので、例えば、カラスは鋭い声を上げるだけで、後は読者に任せてしまう、というのもいいかもしれないですね。そういった余白の部分があったら、その声の意味について読む人は想像を広げる余地が生まれます。この辺りは好みなので、おまけくらいに読んでください。とてもよくまとまっていましたし、カエルの解剖が授業になくて良かったなとつくづく思っています。余談ですが、豪快な先生で、そして、私は好きな先生のタイプです。
「紙コップ 通信途絶」佐々木礫さん
佐々木さん、お待たせしました。
紙コップ通信途絶、というタイトルをみて、これは糸電話のお話かななんて勝手に想像しましたが、公園での糸電話とは思いませんでした。そしてすごく良い設定ですね。とても感銘を受けました。佳作です。
公園のごく当たり前な描写から入っている点がまずとても良かったです。そして、次に「三番目に好き」がこの作品をかなり押し上げていると思いました。私はここでクスッと笑いましたし、その後の「僕はその声の意味を探した」という一行も非常に効いています。その後、さらに意表をつかれていと電話は切れてしまい、公園からどこかにトリップしたようです。ここまでの設定から、最終連ですが、最初わからなかったんです。どうしてメーデーなのかしらと。それで調べてみたら、緊急信号の意味があるのですね。もし私の理解であっていたら、3回繰り返すのが良いかもしれません。それだと読み違いなしだと確認できます。その意味を知って、この作品の最終連にもとても感心しました。
良い作品になっていると思いますし、詩の中で楽しく遊ばせていただいたような気持ちになりました。
:::終わりに
寒さがつのる時期ですね。
今年はみなさんどんなことをしたいなと思われていますか?
1月を終えて、私はまずまずの滑り出しでした。
今日は立春。一年の中でもとても好きな日です。
今回も丁寧にお読みいただき、ありがとうございました。冒頭の書き方についてのご助言、大変参考になりました。恐らく自分の頭の中には具体的な像があるため、無意識に安易に書いてしまっているのだと思い、反省しました。この部分は 早速修正させていただきたく存じます。何年も通っている図書館の片隅にあったネコの彫刻作品に対して子どもが楽しそうに話しかけていて、改めてこんなのがあったのか?と思って、作品化してみました。最後の部分ですが、私のイメージでは、ネコが厳しくも優しく子どもの成長を見守り、応援するというものでしたが、色々な読み方をしていただけると嬉しいものですね。
読んで頂きありがとうございます。
律儀、 私達夫婦は、何でも真に受ける質なのか、相手がお愛想のつもりで言ったことでも、真面目に考えて、対応するところがあるので、こんなことはしょっちゅうです。
他の友人に寄れば、「悪気はないのよ、忘れちゃうのよ。」と言いますが、誠実だったら覚えているはずと思います。結局、こちらのことは、相手にとって優先順位が低かったのでしょう。
そう、立場の違いですね。
夫の仕事は美術品を研ぐこと。確かにすごいです。
佳作の評ありがとうございます。励みになります。
元々X(旧Twitter)をきっかけに書き始めたので、Xを覗く時間が多いのです 苦笑
その中で「女性にAEDはどうなのか?」みたいなことで賑わっていて……一旦問題の是非や男女は置いといて考えてみると、
顔出ししている有名なインフルエンサーが言う分には「うん。わかりました。あなたには使いません」で済む話のように思います。
ただ難しく思うのは、匿名性の強い(本当は性別も分からないはずの)個人の発信の方が影響力が強い印象です。
それらのやりとりを見ると、木村花さんの件で一旦はおとなしめになったように見える誹謗中傷も近年あの件はなかったかのように見えて残念に思います。
そんなことを思いながら描きました。
マナーやモラル、ルールなどを整えても限界はあるような問題ですが、
自らの良識にしたがって、周囲に左右されずに悪い方向に染まらず行けたらと思う次第です。
ありがとうございました。
今回も丁寧な御感想ありがとうございます。
とても勉強になりました。やっぱり難しいですね。
簡単には思うようにいかないものです。
次も頑張ります。ご指導宜しくお願い致します。
三浦志郎様、ありがとうございます。
ペンネームを褒めて頂いて嬉しいです。
紅茶についてとても詳しく調べていただけて、かつ、
詩と照らし合わせた丁寧な感想までいただけてとてもありがたいです。
私自身、伝わりにくい所もあるかもしれないと思って書いたので、
もう少し比喩をわかりやすく書けるように精進したいと思います。
また、よろしくお願いします。
◎1月21日(火)~ 1月23日(木) ご投稿分、評と感想です。
☆ 虹蜺(こうげい) 樺里ゆうさん
虹蜺(こうげい)……。普段はあまり耳にしない虹 の漢語表現。虹を雄雌の二匹の龍に見立てるなんて、それ自体が詩的ですよね。
一連目。この言葉を更に輝かせるようなステージ。出雲の空の登場。とても神秘的なイメージに包まれました。単に「出雲の空にふたつの大きな虹がかかりました」としてしまったら、それまでなのですが「出雲の空は よく虹がかかる」という始まり方にしたところは、読み手を「どうしてなのかな?」という気持ちにさせてくれ、もっと次が読みたいなと思わせてくれました。「そうか、不安定な天気が多いからなんだ!」「ん?一日に三度も、四度も虹がかかる時があるんだ!」と、通常ではあまりない天候に驚かされたり、自分の中で新しい発見に巡り合えた気持ちにさせてもらえました。
神秘的というイメージがからのスタートでしたが、二連目になって更に「天気雨」という、これもまた神秘的に輪をかけるような言葉が登場しました。その中にかかっている大きな虹!それも二つ!実際に見たわけではないのに、この詩のステージの中にいる読み手の私は、すごいなぁという気持ちでいっぱいにさせられました。
その後に内容転換。大きな虹がどういうものかという解説のような連になりますね。このままだと解説っぽい連になって、下手するとここだけが浮いてしまう確率が高くなってくるのですが「大学時代の時代に聞いた講義が/頭に浮かんだ」と結びつけているところが、暮らしの一部として結びつくことができ、隠し味のようになっていて、この連が浮いてしまわなかったのでよかったです。あと、とても細かいことをいうなら「頭に浮かんだ」のは、どういう風に浮かんだのか、例えば「ふと」なのか、じわじわと、或いは、ぼんやりと「頭に浮かんできた」ものなのか、副詞などの使用で詩の周辺の様子をより一層、鮮明にさせることもできるので、必要であればぴったりのものを考えてみてくださいね。
最後の方の四行もよかったです。
果たしてこの思いつきが正しいのか
わたしにはもう調べようもないのだけれど
そうだったら いいな
そういうことにしておきたい 今は
古代中国の人たちの気持ちになって持論を発していますが、それは明確と証明できないことを綴ってくれています。正直、自分にはわからないと言って、その後、そうだったらいいのにとなって、そういうふうに思いたいな……「今は」と余白を持たせているところ。重ねて虹がゆっくり消えてゆくような余韻のような雰囲気を、個人的には味わうことができました。「これはこうだ!」とはっきりしてしまうのではなく、ぼんやりとしたもの、そしてまたいつか会えるかも、わかるかもしれないという雰囲気を残していく表現、やわらかい読後感を与えてもらえました。佳作を。
☆「赤い実がひとつ」 森山 遼さん
秋の木の実の様子を描いてくれたのですね。赤い実にも黄色い実にもそれぞれに、人でいう、一生のようなものがあるっていう、こまやかなところに視点をあわせているところには、作者さんの「自然が好き」という気持ちを感じました。
さて、この詩の一番の注目する点は、各連の二行目の「落ちて落ちて」など、同じ言葉を繰り返すところだと思いました。繰り返すことでリズム感が生まれるのですが、せっかくですから、通常に使われるようなワードを重ねるだけではなく、オノマトペなどを使って、個性を出してみるのも楽しいのではないかと感じました。そして、このオノマトペも通常に使われるような「キラキラ」などではなく、自分で想像したものを使ってみるなど。中原中也さんの詩にでてくる「ゆあーん、ゆよーん」のような。きっと、読み手に想像する世界を膨らませてくれるのではないかと思いました。ほんと、せっかくなので、作者さん自身が一番に楽しむくらいの気持ちでもいいかと思いました。読み手によっては、意味わかんないなど思う人もでてきたりするかもしれませんが、学校の学年末テストで進級が関係するというわけでもないのですから、ノビノビと楽しんでみてください。個人的には、四連目までは、それぞれの連の二行目のところに独自のオノマトペを重ねて、最終連の「みんなみんな秋の中」の次の「きれいにきれいに」の分はオノマトペではなく、似たような言葉を重ねて変化をつけたいかなぁと。例えば、秋の醍醐味と言えば夕暮れ。「ゆうやけこやけに」にするかなぁと。想像するだけでも楽しくなりました。森山さんもゆっくり楽しんでみてください。今回は佳作三歩手前で。
☆あの日の二人 ふわり座さん
幼馴染の女の子を一途に思い続ける「僕」について綴ってくれている作品。「人生最後の時を君に見守られながら迎える」という表現から、真剣に好きなんだなぁっていう気持ちが伝わってきました。
それでは、気になったところを。二連目の途中の「一番最後」ですが、重ね言葉になっているので「一番後」もしくは「最後の最後」にする方がよいと思いました。あとは、今回は単独で一文になるあとに、ひとマス空けて一文を続ける方法をとられていることについて感じたことをお伝えしますね。改行については特に絶対こうしないといけないという規定はないのですが、空白をあけてくれているのですが、個人的にはところどころ読みづらい箇所があったので、区切りのしやすくできそうなところは、整理する方法もありかなとも思いました。例えば・・・・・・
僕と君は幼馴染 でも不思議と二人の仲は
今でも新鮮なままだ だからなのか
まだ君を手に入れたという明確な実感がない
↓
僕と君は幼馴染だけど
不思議と二人の仲は今でも新鮮なまま
だからなのか
まだ君を手に入れたという明確な実感がない
別件になりますが……「雨上がりに朝陽が差し虹がかかったなら」→「雨上がりに朝陽が差して虹がかかったなら」という感じで、「て」をいれてあげると「差し虹」って何?となることを防げそうです。以上、これらに関しては個人それぞれなので、あくまで参考の一つとしてお伝えしますね。あとは、最後の方の「あの日幼馴染になった二人の笑顔は」部分なのですが、こちらの表現が、私の方ではっきり把握できなかったかなぁ。「あの日幼馴染になった」ですが、幼馴染というのは昔からの長い付き合いによってなるので、「あの日」急になったわけではないので、別の意味を伝えてくれようとしてくれているのだろうとは思いました。考えた結果「幼い頃にかえった笑顔」ということなのかなと、思ったりしました。それとも、恋人同士になれる可能性のあった二人が、それぞれの夢のために、幼馴染のままでそれぞれの道をゆくということなのか。とも思ったりしました。であれば、「あの日、幼馴染の関係に戻った」になるのかなとも考えたりしました。こちらも、今よりわかりやすい表現があれば、変更されてもいいのかなと思いました。
全体的に拝見して、好きな方への想いということで、書きたいことがいっぱいあったのだろうなと思いました。①幼馴染の君について寄せてきた思いについて②二人、或いは自身についての約束について③君の夢、僕の夢について④僕の君に対する誓いについて…等々、なかなかのボリュームです。なので、どうしても全体的に長い作品になってしまうので、できたら、コレだ!という内容を幾つかに絞って書いていかれると、今以上に凝縮された、そして、深堀できる作品になっていくと思いました。例えば作中の「いつかの約束」とはいったいどういう約束だったのかという詳細がみえてきたり、二人のそれぞれの夢がどういうものだったのかということが、具体的にみえてきたり。そのようなことも期待できそうです。
この作品で一番心に残った表現は「子供の頃から僕が前を走っていた/少し後ろで君が背中を支えてくれてたね」でした。君の人柄を感じさせてくれました。決して出しゃばらず、それでいてしっかりと背中から僕を支えてあげる献身的な人柄。また、幼馴染ということで、幼い頃、電車ごっこをして笑っているかわいい姿も彷彿させてくれました。仲良しの笑い声が響いてきそうな明るい一行でした。幼馴染の君を思う僕のまっすぐな気持ちが作中の端から端まで溢れる作品。今回は佳作三歩手前で。
☆魚類博士の誕生 温泉郷さん
タイトルだけを拝見して、どのような内容の作品になるのだろうか?と、想像の全然つかない作品でした。「石のネコ」と「魚類博士の誕生」のワードの結びつきなんて、なかなか想像つかないなぁって。どんな展開になるの?と興味をそそられました。
一連目なのですが、ちょっと舌を噛んでしまいそうな羅列になっているかなぁと、個人的には思ってしまいました。一旦、切ってしまったらどうでしょうか?例えば、
大きな頭の石のネコが
石の本を読んでいる
その傍らで並ぶ
コートを着た人たち
そのままでも行けなくはないかと思うのですが、石のネコが石の本を読んでいるのか、それとも石の本をコートを着ている人が読んでいるのか、一瞬、混乱してしまったのです。なぜかというと、これがスタートの行だったからです。「大きな頭の石のネコ」というワードから、リアルな内容か、或いはファンタジー系な内容か、石のネコと石の本が同じ石像か何かであるというところまで、想像が追い付かなかったのが要因だったのかなと、読後、思いました。
一連目の末行の「石のネコの固い読書」と言う表現は、石の固さと性格の頑固な感じがほどよく合わさっていて、堅物な猫の像のイメージが勝手に浮かんできました。
二連目以降の展開がとても魅力的でした。子供の純粋な気持ちがいきいきと表現されていて、愛らしさが満開でした。
子どもは石のページを
めくろうとするけれど開けない
ああ
次のページには何があるのだろう?
どんな魚がいるのだろう?
図書館から飛び出して
石のネコと並んで座り
一緒に図鑑を見る
大人には思いつきそうにもない、子供の気持ちが眩しかったです。石のネコと同じ世界の人になってゆくのがよくわかる展開でした。気難しく考え込んでいる石のネコに答えを教えてあげようとしているかのような、子供の所作、魚類図鑑を借りてきて一緒に読むだけではなく、教えてあげようとしているようにも思えるところも魅力的でした。
最終連のワードの「次のページ」ですが、読み手にいくつかの意味を想像させてくれました。一つ目は、子供が頭の中で想像しながら、石のネコと会話している様子。二つ目は、石のネコが、子供に対して感じた思いの想像。「君、なかなかやるじゃないか。将来は魚類博士だ!」というような意味。三つめは、先ほどの石のネコの言葉は、石のネコに代弁してもらっている、子供に対する、付き添いの親の気持ち。「このすごいわ。将来は魚類博士かも!」など、おそらく、作者さんが書き込んでいる本来のこと以上に、色々と想像の世界を広げてくれた展開でした。ストレートに、ほのぼのした気持ちにさせていただきました。今回は、ふんわりあまめの佳作を。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
あっという間に一月もすぎて二月です。寒さもいよいよピーク。
今週は数年に一度の寒波がやってくるかもという天気予報が。
行き先、どうぞあたたかく、ご安全に。
みなさま、今日も一日、おつかれさまでした。