◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
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井嶋りゅう 様
今度は日本詩人クラブ新人賞ですか、素晴らしいですね!
会員が1000人以上いる詩会の賞ですから、もうどれだけ凄いのかもわかりませんよ!
ご自身の詩作スタイルが認められるというのはめちゃ嬉しいことなんだろうな。
ここからまたガツンと私たちを驚かしてください。
応援しています!
おめでとーーーーーう ございまーーーーーす!
りゅうさん、日本詩人クラブ新人賞、誠におめでとうございます!
栄光のダブル受賞であります。
僕はこのサイトで長めのほうなんですが、こういった快挙は初めてです。
「MY DEAR」史にいつまでも燦然と輝くことでしょう。
新人賞ですが、すでにして若きベテラン、若き大家。
心からのお祝い。おめでとうございました! (やれ、嬉しや!!)。
井嶋りゅう様
福田正夫賞に続き、日本詩人クラブ新人賞受賞
誠におめでとうございます。
その、詩の作風に影響を受けましたので、
感慨深いです。
おめでとうございます。
井嶋りゅう様
この度は日本詩人クラブ新人賞ご受賞、誠におめでとうございます!
福田正夫賞に続き、すごい快挙ですね。この詩集の素晴らしさが多くの方々に評価されてとても嬉しいです。
今後のますますのご活躍を祈念しています。
井嶋りゅうさんの詩集『 影 』(文化企画アオサギ)が
★ 日本詩人クラブ新人賞に選ばれました!!!
(日本詩人クラブのHPにも「三賞決定」として発表されています)
おめでとうございます!!!
凄い!! 快挙です。
福田正夫賞とのダブル受賞となりました。これは非常に珍しい。
アメージング!!!
石ころが佇んでいる
何を見ているのだろう
今にも涙を流しそうな瞳で
いつからそこに居た
この間は見なかったような
あちこちに石は転がってるけど
君は今日初めて見たよ
覚えていないだけかな
何十年も何百年もそこに居たのかな
そんなに生きてたら
石ころの人生を飽きてしまうだろう
そろそろ植物に生まれ変わりたいとか思わないのだろうか
最近になって
石ころを蹴るのをやめるようになったんだ
何だか胸が痛くなってさ 悲鳴が聞こえるような
この石ころも重要な存在なんだろうな
根拠は無いけどそう感じるんだ
地球を宇宙空間から見ると
まるで生き物のようだ
そう宇宙飛行士が言ったような言わなかったような
だとしたらこの地球の一部の石ころも
きっと生きてるんだろうな
心臓がバクバクして血だって流すんだ
散歩してるといつも
サンダルに石ころが入る
痛いし鬱陶しいし歩き辛いけど
しばらくはそのままにしておくんだ
何だかこれも出会いのような気がして
石ころが俺の所に居たいと言ってるような気がして
石ころについて考えることなんて無いけど
あまり好きでもないけど
今日は特別
こうして君たちのことを想ってないと
本当にただの石ころになるだろう
人類は皆誕生する前は石ころだったんだ
だから兄弟よ
今日は君たちのことを想おう
返信、大変遅くなってしまい申し訳ないです。
「フィルムノワール」に評をいただきありがとうございます。
この詩とは特に似ても似つかない映画ですが、なんとなく「レザボア・ドッグス」を見てこういうの面白いなあなんて思って書いてみたものです。
すいません、作品を読んでいただきましてありがとうございます。
「神さまは
人間のこころの中に
住んでおられる」
幼いころ
そう教わったことがある
自分は
これまでの人生
「天使になろうとして
往々にして××になる」
その繰り返しだったし
年をとればとるほど
汚辱にまみれていったから
神さまはとっくに別の人のこころに
引っ越してしまっただろう
ところがだ…
他の人間も
きっと自分と同じに違いない
この欲と金のうごめく大都会で
神さまをこころに住まわせている
人間なんているはずがない―
そんな具合に
人を自分の物差しで測るのは
まちがいだ
たとえば
きみは
毎日残業続きで へとへとに疲れ
朝も遅刻しそうになって
駅の階段を駆け上がる途中
よろめいて転んで したたかに膝をうち
痛みに息もできずに
そこに倒れ込んでしまったとき
他の誰もが見向きもせずに
立ち去っていく中で
ふと きみに近づく人がいて
優しく助け起こしてくれたことは
なかったろうか?
その人は真っ白な服を着て
髪を肩まで伸ばし
ひげをたくわえ
一見ヒッピー風だけど
この世の人とは思えないほど
聖らかで穏やかな顔をして
じっといたわるように
きみを見つめている
「大丈夫ですか?」
優しい声にすっかり癒されたきみは
その人に身体をささえてもらうと
不思議なほど痛みも忘れて すっと立ち上がり
「大丈夫です。ホントにありがとうございます!」
と改めてお礼を言おうと
自分の傍らを見ると
もう その人は人ごみに紛れて
いなくなっていた―
そんなことがなかったろうか?
あるいは
きみはあの事件を憶えていないだろうか?
もう二十年以上も前のことになるけれど
大都会の夜の駅で
電車がホームに進入する直前に
線路に落ちた日本人を救おうと
ひとりの若い留学生が
線路に飛び降りたものの
結局 日本人も留学生も
命を落としてしまった
あの事件のことを…
留学生の祖国と我が国の間に横たわっていた
不幸な歴史を一足飛びに飛び越えてしまった
あの勇気のことを…
ヒッピー風の人も
留学生も
その無限の優しさと勇気、
聖らかな行為の源は
いったいどこにあるのだろう?
「この人たちのこころの中にこそ
神さまが住んでおられるから」
わたしにはそれ以外の答えが見つからない
天神さま(*)のお祭りは
子どもごころにとても楽しみだった
宮市(みやいち**) 天神山の麓
西側の入り口
お宮に登る石段のそばに
伯母の住む古い屋敷があった
十一月の御神幸祭(裸坊祭)のときは
親戚一同が集まり
賑やかに祝った
**
お祭りの日
天神さまの石段の下
正面入口にある大鳥居の元に
白い装束に身を包んだ人たちが
集まって来た
十人余
みな 野戦病院で身に纏う白い病衣に
旧陸軍の軍帽を被り
思い思いの格好で石段に座っていた
多くの人が義手・義足だ
地べたにひざまずいて
胸に
お金を入れてもらう小箱を下げていたから
物乞いする
傷痍軍人たちのようだ
アコーディオンを抱いて
軍歌を演奏している者
胸に金鵄勲章をつけて
ただ ボォ〜と突っ立っている者
全盲なのか 黒い眼鏡をかけて
身じろぎひとつしない者
様々だった
**
伯母方 古屋敷の前にも
白い装束の人たちが数人集(つど)っていた
伯母にお金をあげなくてよいのかを
問うと
露骨に嫌な顔をして
そねぇなこと せんでもええの
みな贋物じゃけえね
三国人よ!
憤っている様子だ
なるほど伯母の言うように
誇り高い帝国軍人が物乞いに堕すはずがない
贋物だ
と断ずる人は少なからずいた
彼ら白い装束の傷痍軍人たちが
贋物か
本物か
僕には分からない
ただ 昭和四十年代の半ばまでは
あちこちのお祭りで
その姿を見たから
四半世紀
彼らの櫛風沐雨の活動は続いたのだ
贋物だったら
とても風雪に耐えられまい
**
僕は戦争の悲惨さを
寝物語に父母からよく聞かされていたが
未経験な聞き手としては〈戦争〉を
抽象的に
感得するしかない
それだけに
白い装束で義手・義足を着けている様は
戦争があった事実を認識し
悲惨さを知るに
充分に足るものだった
彼ら傷痍軍人の姿は
見るに耐え難く
僕は崇敬の念すら持った
彼らの姿を見かけると
いつも自分のポケットから
五円玉や十円玉を取り出して
小箱に入れた
**
天神さま夏の例大祭があった日だ
夕刻 まだ陽が高いうちから
白い装束の人たちが集まり
石段下の児童公園で酒を酌み交わし
歌を唄って騒いでいた
普段 彼らのパフォーマンスが示す
惨めさ 憐れさ
哀切感など微塵もない
僕は酔っぱらって放歌高吟する彼らを見て
非常なる違和感を覚え
それ以降は
お金をあげるのを止めた
いま思うと 僕の中では
衆人からお金を恵んで貰ってる以上
酒盛りをするなどもっての外
ずっと不幸を背負って
道端に
手をついていなければならなかったのだ
**
僕は間違っていたのだろうか
いま一度 白い装束の人たちを顧みた
何より彼らも
いまを生きて行かねばならない
世知辛く
生きにくい世の中だ
それに彼らも人だから
憂晴らしに
酒盛りをすることだってあるだろう
細かな事情は知らぬが
無国籍者など
軍人恩給を給付されてない人も
あま多 いたという
もしそうなら
苛烈ないくさを国の為に戦って
深手を負った それを
救済援助もなく放置されているのだから
抗議のパフォーマンスをしたくなるのも
無理からぬことだ
ただ お祭りの日
強訴の如き集団での物乞いが
やむを得ない仕儀だったのか
評価はしづらい
**
さすがに 昭和四十年代も後半になると
姿が見られなくなったが
僕の瞼の裏には
白い装束姿がフォーカスされ
いまも強く焼き付いている
僕にとって 彼らの存在は
〈戦争〉そのものだった
腕や脚や光を奪った戦場は
何処だったのだろう
父がよく話題にしてた満州か
母の語ることが多かった北支か
伯父のいた南方の島々か
はたまた激闘の沖縄か
どんな闘いで傷を負い
生還したのか
まさに歴史の生証人だ
北浦の砂浜で拾ったライフルの空薬莢を
凌駕する重みがあった
また 地べたに這い蹲って
子どもたちから十円玉を貰っている
傷痍軍人
その姿は
ビジュアル的に
〈生きる〉ことの困難さをリアルに
訴えているように思えた
**
毎度 お祭りで
見かけた白い装束の人たちだが
手負いの姿の彼らに
未熟な僕は
未熟が故に
語りかけるだけの言の葉を
上手く見い出すことができなかった
いま 彼らに会うことができるなら
多くのことを問い質したい
しかし
それももう不可能だ
みな冥界に去り
歴史の中に埋もれてしまった
*天神さま 防府天満宮(山口県防府市)
**宮市(みやいち) 防府天満宮の門前町