◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
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◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
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こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
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誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
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どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
*先月の井嶋りゅうさんの評のあと、すぐお知らせしておりますが、
井嶋りゅうさん担当区間は、ピンチヒッター期間に入りますので、
よろしくお願い申し上げます。
<以下、3/20の再録>
受賞に伴うお役目の多忙により、井嶋りゅうさんの評は
4、5、6の3ヵ月間、お休みを頂戴します。
その間、下記3名の方がピンチヒッター評者を務めてくれます
4/9~4/11 秋冬さん
5/7~5/9 荻座利守さん
6/4~6/6 澤 一織さん
3名の方には、どうぞよろしくお願い申し上げます。
皆さんにおかれましては、
ご承知おきのほど
よろしくお願い申し上げます。
あこがれた日に 鐘は鳴る
焼き切れそうな くやしさの夕暮れに
とおくへ とおくへ と鐘が鳴る
うつろな胸に 響いて満たす
いざ挑む日に 鐘は鳴る
水をかけられた 箱庭のプライドに
とおくへ とおくへ と鐘が鳴る
うつろな胸に どろりと溜まる
逸る思いを 餌に肥る
言葉の汗血馬
おれを連れてゆけ
あこがれの火の最中へ
奔れ 奔れ
しみったれた情念は 慣性に引きずられ
おれは原始のかたまりになる
血を吹いて 地を吹いて
おれにとって ほんとうに本当なこと
勢いまかせに 掴み取りたい
汗よ尖れ 瞳よ冴えろ
脳のしわ一つ 油断するな
敵はない旅だ 矛はいらない
かわりに内を切り裂く メスを研げ
あぁ この夕暮れの赤!
先達の身が かの火に燃え盛る赤!
そして 彼らの手に握られ
強く発光する
ほんとうに本当な物事たちよ!
とおくへ とおくへ と鐘は鳴る
方角も告げず ただとおくへと
たまらなく迫る 鐘が鳴る
あこがれた日に 鐘は鳴る
垂れた4時半の街に
おれだけに聞こえる 鐘が鳴る
毎週日曜日の朝は車で少し遠めの業務用スーパーにて買い出し
日曜日は特売日だからだ
8時に私は家を出て 到着は8時20分くらい
朝9時開店というのに8時半には駐車場はもういっぱい
8時50分の店の自動ドア前には常に30~40人ほどの列ができる
日曜日はほぼ特価なのでこれといった目玉はないが みんな早い
9時に自動ドアが左右にシューっと開くと
飲み込まれるように行列が店内に入っていく
私は車の中からそれをじっと見ている
一通り入り終わったのを確認してから
私はマイレジかごとエコバッグ大を3つ持って車からゆるゆる出る
何にだってそんなガツガツするわけにはいかない
ガツガツしては外れを引いてきたような今までを思い返しながら
やっぱりゆっくり歩いて店内へ入る
カートにマイレジかごをセットする これで準備完了だ
まずは野菜から みんなが大好きなじゃがいも たまねぎ にんじん きのこ
お約束の肉じゃがを作ろうかなどとレシピをその場で想像しつつ
野菜コーナーを過ぎる
過ぎる と何事もないかのように書いているが
過ぎるというのはなかなかのもので
私の前後斜め左右に1人ずつ誰かいてきのこを取ろうとする手は
私の他に3本は出ているという有様だ
例えると雑木林のけもの道で色んな葉っぱや小枝に当たりながら
進んでいくそのような感覚である
それでもコロナ最中の頃と違いみんなちょっとぶつかると
ニヤッとしてすみませんなんて言い合って なんだか優しいのである
ソーシャルディスタンスがなくなってここにはある種のお祭りみたいな高揚感
ああ 特売だ 特売特売大好きだ みんな同じ特売を愛す人が集う
業務スーパーたなかの日曜日
野菜に豆腐に魚に肉にパン 一通り巡って セルフレジでお会計
商品を詰める台のところでもやっぱり押し合いへし合い笑い合い
ああやめられないこの高揚感よ
さてと さあ帰るか
帰りの自動ドアがさっきと同じように左右にシューと開く
1歩店外に出たその瞬間から
私たちはまたいつもの面白くない顔
いつもの冷めた体温に戻っていくのである
ここにも私の前後斜め左右に人はいるが
少しのディスタンスが生まれている
本当の他人だ 私と違う空を眺めている他人だ
ああこれは祭りのあとだ
そして来週の日曜日が待ち遠しい
雨が降る日は私には見えるの
いつもの花壇の前にしゃがみ
『おはよう』と声をかけると
花壇の中の大きな葉の裏から
ひょっこりと顔を出して
雨粒を大きめのツルツル頭にのせて
小さな水かきのある手を振る
くりくりとした可愛い目
私を見つけて見せる笑顔は
緑色の頬を少し赤く染めている
手を差し伸べ いつもの様に角砂糖を差し出すと
あなたは両手でそっと掴みぺこりと頭を下げる
そして嬉しそうにひとなめペロリ
満面の笑顔 短めの足をばたつかせて喜ぶ
『早く食べないと雨で溶けちゃうよ』
思いが伝わったのか
あなたは大きな葉の下に潜り込みもうひとなめ
私は赤い長靴と赤い傘 赤いランドセル
立ち上がり手を振り
『行ってきます』と言うと
あなたもまたペコリと頭を下げた
今でもあの花壇はあるのかな?
今でも大きな葉の裏にあなたいるのかな?
もう角砂糖はあげられないの ごめんね
いつからか見えなくなっちゃったから…
ある花壇の前に赤いランドセルの少女が雨の中
赤い傘と赤い長靴でしゃがんで何かしている
少女の目はキラキラと輝いていた
わたし この空間
閉じ込められ
ひとり ひとり ひとり
横たわる
姿見えない わからない
影 影 影
見えない 見えない 見えない
見える?
悲しい 悲しい 悲しい
わたし それでも 考える
考える 考える 考える
あした どうなる
誰か 問う
お前 人間 信じるか
どうしたろう
わたし わたし わたし
どうしたろう
信じる 信じる 信じる
信じるしか 知らない わたし
どこへ 行く どこへ 行く
知らない 知らない 知らない
だけど だけど だけど
わたし わたし わたし
これで ここだけで いい
信じる 信じる 信じる
わたし わたし わたし
これだけ これだけ これだけ
これだけは
信じて
生きる 生きる
ただの ひとこと 生きる
どう 言えば いい・・・・?
どう 言えば いい・・・・?
わたし わたし
まだ 知らない
無限 暗黒
無知
恥じても
恥じても
生きたい
生きている限り永遠だから
少年の心は傘寿を過ぎた今でも
澄んだ水たまりに映った空のよう
あの人は今も生きているのだろうかと
思うのだが
この街にいるのかも分からないあの人を
今日も新聞のおくやみ欄に目を通す
昔と変わらない青空に
真っ白い雲が流れていきます
それはしあわせなことです
懐かしい昭和歌謡がBSでやっている
記憶の波が押し寄せて
涙の川になりました
今も元気かその歌声は
まるで過去からの手紙です
メロディーに乗って
心の中のスクラップブックを広げて
いちばん楽しかった頃を思う
時計の針は変わらずに回っているから
また今日も私は生きる
昔から桜にまつわる不思議な話は数多い。それは必ずしも近代になる前の古い話ばかりではない。今、われわれが生きているこの時代にもある。何よりも、このわたしが、そうした話の体験者のひとりなのだ。
あれは、東京の本社から地方の工場に転勤して少し経ったころのことだ。例年になく寒い冬も終わり、都会では味わえない彩り豊かな春の風景が広がる中、ちょうど頃合を見計らうように、駅の南に広がる田んぼの向こう側で、紅白の大きな桜の樹が開花し始めた。朝、その様子をプラットホームから見たわたしは、是非とも間近で花を愛でたいと思い、いつもの国道沿いの道ではなく、田んぼの中を遠回りして工場に行く道を選んだ。
紅白の桜の樹まで辿り着いてみると、それぞれが樹齢百年を超えようかという古木であること、二本の桜が由緒のありそうなお屋敷の門前を護るように植えられていることがわかった。わたしの推測を裏付けるように、門から石畳みの道が、こんもりした森の中を抜けて奥の方へ続いており、ここからは見えないが、きっとその先に何代も続く旧家が建っているに違いない。それにしても、桜花の透き通るような美しさ、それに樹々の枝振りの見事さはどうだろう!如何なる自然の妖精の手になるものだろうか!
そんなふうに見とれていると、突然「おはようこざいます!」と挨拶されたので、びっくりして声のする方を見ると、ランドセルを背負った十歳くらいの利発そうな男の子が、石畳みの道をこちらに向かって歩いてきたのである。「おはよう!」多少動揺しながら挨拶を返すと、その男の子はわたしの前に立ち止まって礼儀正しくお辞儀をし、それから門を出て工場とは反対の方角に向かって再び歩き出した。おそらく、男の子の通う小学校がそちらの方向にあるのだろう。ともあれ、 こんもりした森の奥に、今もって誰か人が住んでいるのは確かなようだ。
それから数日後、工場の社員食堂で、たまたま古参の社員のひとりと一緒に昼食をとる機会があった。きっとこの辺の事情に詳しいだろうと思って、わたしはあの紅白の桜と男の子の話をしてみた。ところが、その社員はわたしの話を聞くと、急に物思いに沈んだような表情になり、しばし黙り込んでしまったのである。ようやく口を開いた彼は次のような話をしてくれた:
「あんたの言うとおり、あの紅白の桜が咲いている門の奥には、この辺で一番の旧家があったんだ。何しろ戦争の前は、駅から他人の土地を一歩も踏まずに、お屋敷まで行けたほどだったから。ただ、今は誰も住んじゃいない。建屋もすっかり古さびて、まともに残っているのは、桜の樹だけさ。
もともと、あの家は勤皇の家柄でね。幕末には倒幕の志士を匿ったこともあるそうだ。そんなわけで太平洋戦争のときは、当主が周囲の見本になろうとして、軍隊に積極的に協力したばかりか、自分の息子にも、お国を護るため、門前の紅白の桜のように潔く散ってこい、と諭して戦地に送り出したんだ。結局、息子はフィリピンで戦死、息子の嫁も後を追うように亡くなり、子供は残さなかった。
やがて戦争が終わると、軍部の連中が嘘八百を言ってたことがわかり、おまけに現人神のはずの天皇陛下まで『人間宣言』をしたとあっては、当主の受けたショックは並大抵のものじゃなかったようだ。いわゆる『軍国主義のイデオロギー』ってやつが全くの虚妄であったこと、また、その思想を無批判に受け入れて、息子を死に追いやってしまったことに、すっかり打ちのめされてしまったのさ。さらに農地改革で土地の大半を失い、旧家の主としての誇りも失ってしまう。そんなとき、絶望した当主にとってみれば、あの桜の樹を見るたびに自分の過ちを思いだすことになったのだろう、つらさに耐えかねて二本とも切り倒そうとしたそうだ。だが、『桜に罪はありませんから』と当主の妻が必死で止めて、かろうじて切られずに残ったのさ。
その後、この夫婦は、息子も含めて戦死した人々への贖罪の気持ちからだろう、六歳になる戦災孤児を養子にとって育てたそうだ。うっすらと覚えているよ、確か俺がこの工場に勤め始めたころだったと思うけど、あのお屋敷の門前でそれらしい男の子を見かけたことがある。透き通るように色の白い子だったな。
なんとも不思議なのは、その男の子が小学校の卒業式の日、突然、亡くなった息子の声で話し始めた、というんだ。『自分たち夫婦は紅白の桜に宿っている、あのとき、切らないでくれて本当にありがとう、自分たちはずっと父さんと母さんを見守っている、お身体を大切に、云々』そう両親に告げたそうだ。両親は腰を抜かすほど驚いたけれど、何かしら目に見えない世界の人が直接語りかけてきた、と思ったという。なぜなら、木を切ろうとした事実は老夫婦以外は知らないはずだから…。ところが、それらのことを告げた翌日、当の男の子が神隠しに会ったんだ。それも、今に至るまで行方不明になったままなのさ。
老夫婦はどれほど嘆いたことだろう。でも二人はわかったんじゃないかな。その男の子の役割は、桜の樹の言葉を自分たちに届けることだったと。その役割を終えた今、桜花の精に姿を変えたのだということを。そして、二人はその後も紅白の桜を守りながら心穏やかにお互いに長寿を全うしたそうだ。ところが、老夫婦が亡くなって既に十年ほどがたち、あのお屋敷には、さっき言ったように、今、誰も住んでいないはずなのだが…」
これが、その古参社員がわたしに話してくれたことだ。すると、わたしが出会った、あの利発そうで礼儀正しい男の子は誰だろう。天に召された老夫婦に代わって、また再びあのお屋敷に戻って桜守りになった、花の精でもあろうか。そう思うと、怖いとか背筋が寒くなるとか、そんな感じは微塵もなかった。むしろ、不思議と、懐かしくも床しい気持ちがしたのであった。
なぜなら、この世に生きる人間の苦しみの半ばは、死者との交感によって救われるから。その死者との間を取り持ってくれる者たちが、どうして恐ろしいことがあろうか。(了)
満天星キャンバスに宇宙船油絵が描かれる
私は 画家の友人が その絵を描くのを
彼の家の窓から 見ていた
MarilynMonroe 帰らざる河が 聴こえる
すると 彼は 筆を 置いて
買い物行くから留守番してて と 私に言う
ジャパネズミック弁当も買って来てくれよ
油絵は 画室の三角脚立の上に置いてある
彼が出かけたので 私は玄関から家へ入り
ソファーに腰かけてcoffeeを頂き寛いだ
20分も経ったか何やら不可思議な気分に
私の身体も 友人の家も 3次元の物体から
平たいペタンコキャンバスへと 位相した
私は焦る このまま300年500年1000年
油絵の中の人物になってしまうのだろうか
恋人を もう一度 強く抱きしめたかった
ジャパネズミック弁当を 食べたかった
私は2次元の平面から 残った最後の力で
トランプをshuffleし 3次元へ向けて
2. 5次元の世界へそのカードをばら撒けた
12枚の カードが 煌めいて 点灯した
A M U R O N A M I H E I
果たしてこのまま絵の中の存在になるのか
できれば James Deen みたいのがいい
その時ピンポーンと友人が帰った音がする
辺りが何かザワめかしい オークションか
$ 300 $400 $500 と 競り士の 叫び声
確定 $ 1500 で 落札しました! と
だけれども 目を擦り擦り 目覚めわかった
最初から最後まで すべて 夢の中
紅色鯨の種を食べた国で
ジェノサイドが起きたらしい
これまで人類は
肉は腐らないように腸詰にした
葡萄を腐らせ
大豆を腐らせ
米を腐らせ
菌類との戦いを制したかにみえた
薔薇とサボテンの棘まで食べた
随分と沢山の犠牲を払った
解放と快楽を求めて
毒で悪を制してきたけど
熟成させようとした精神を
視床下部にある
糠床に埋めたままにして
腐らせてしまった
この先はどうなるか
神様も分からない
だからと言って
調理師に頼らない
占い師に頼らない
心理師に頼らない
口から取り入れるものについて
失敗から学ぶことは難しい
積み上げられた過去の遺物を
薬草にして咀嚼し
叡智にして前へ進む
◆エビネ讃歌
かつて
長門と呼ばれた山口県西・北部は
エビネ〔海老根〕蘭の宝庫だった*
五月
ゴールデンウィークが終わる頃
ちょっとした杉林に分け入れば
うす暗い林床に
シダ類が繁茂するなか
サイハイランやムサシアブミと同居する
数多くのエビネを見ることができた
春を謳う小鳥たちや
年に一度の花どきを迎えた
山野草に会いたくて
カメラ片手に山稜を渉猟闊歩した
そして
一輪のエビネにまみえたとき
こころ躍らせてファインダーを覗き
夢中でシャッターを切った
杣道の向こう
そこには花が支える
みやびで濃密な空気の淀みがあった
◆キエビネ
子供たちを連れて
今富ダム**へ遊びに行ったとき
車を停めると
ぷ~んと甘い香りが漂った
あたりを支配する香りの渦
駐車場そばの杉林に入ってみると
ほんの入り口に
大きなキエビネが二株屹立していた
このキエビネ
長門の山々を代表するエビネだ
弁も舌も黄一色の大花
暗い涸沢にこがね色の光彩を放つ蘭
特徴的なのは
株が大振りで背も高く
なかには
強い芳香を放つ個体があることだ
伊豆諸島 御蔵島のニオイエビネや
コオズとは種類を別にし
風合いも異なるが
漂う香りの芳醇さはいっしょだ
その痺れるような芳香は
洋蘭の女王 カトレアに優るとも劣らない
◆ジエビネ
石灰岩の小山が多い 美祢・重安
人家の目と鼻の先 竹林に乱れ咲く
ジエビネの群落に出会った
キエビネと違い
花も株も小振りだが
華やかさでは引けを取らない
よく見ると花々の中に
見事な覆輪舌を持つものが数本あった
赤茶弁 薄紅覆輪舌
思わず見入る
園芸物ではない天然の覆輪舌花
清楚ななかに漂う背徳の香り
花弁を見つめていると
サド公爵のジュスティーヌの姿が現れ***
その官能に
私は魂を籠絡されてしまった
◆ナツエビネ
ナツエビネ 漢字では〔夏海老根〕
字のごとく夏の盛りに咲く変り種
紫色の涼しげな花
美祢・長門両市の境にある山
花尾山で山歩きを愉しんでいるときだ
広い山塊に歩き疲れ
ミツマタの木陰に腰をおろして
涼をとっていると
長い花茎に
ぽろぽろとつく面長の小花があった
ナツエビネが一株
雨を呼ぶ
東風(こち)に吹かれて揺れている
風に湿り気を感じ
慌ててカメラにその姿を収めた
白紫弁 紫覆輪舌
やがて雨粒がレンズを襲う
突然の驟雨に踊るこの花も
見事な覆輪舌を持っていた
◆キリシマエビネ(鹿児島)
鹿児島・大隅半島のど真ん中
志布志の街に 従姉が嫁していた
薩摩隼人の夫君は東洋蘭の愛好者
カンランがお好みだ
“薩長連合” でカンラン探そうか…
そのように夫君から誘われ
カンランの自生地 肝属(きもつき)を訪れた
志布志から車で一時間ばかり
もう九州も最南部だ
海岸近くの明るい疎林の中
細葉のカンランの株を
従姉夫婦と三人で探した
花どきではないので葉を鑑賞するだけだ
二時間近く藪漕ぎしても
見つからず
諦めかけていたとき
藪の中に数本のエビネを発見
小さな白い花が
うつむき加減に咲いていた
うわぁ キリシマ
しかも 白花だ!
九州でも
ごく一部でしか見られなくなった
幻のキリシマエビネが
崖のそばで
海からの南風(はえ)に揺れていた
幸運にも花茎があがっていたので
見つけることができた
◆長門峡のエビネ
中也の名作「冬の長門峡」
この見事な詩の舞台
長門峡(ちょうもんきょう)は
日本海に注ぐ阿武(あぶ)川の上流域にある
この峡谷は景勝地であるとともに
好事家には
エビネの自生地として名が通っている
峡谷沿いの小道を散策しているとき
甘い香りが漂い
姿見えぬ
エビネの存在に
匂いで気づかされることがままあった
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。 ****
と詠う「冬の長門峡」
幼子を亡くした傷心の中也は
寒い寒い冬を強く感じていたのだろう
冬から春へ季節が移ろい
エビネの香り揺蕩う春の長門峡ならば
中也のこころも
少しは癒やされたのではと想像した
◆絶滅落胆
エビネだけではない
カンラン ウチョウラン〔地生蘭〕
セッコク フウラン〔着生蘭〕
サギソウ トキソウ〔湿地蘭〕
山口県内のどこを探しても
もう見ることはほとんどない
いずれも絶滅が危惧されている野生蘭だ
エビネたちは何処へ行ったのか
深山の沢筋に隠れたか
心無い採取者の
「盗掘」という所業で貴重な蘭が滅んだ
覆水盆に返らず
もう取り返しがつかない
消えたエビネ王国
私が密かに眼で語りあった山野の恋人
エビネやサギソウ
年に一度しか会えない(咲かない)
天の河の二人に等しい 野の花
あの馥郁とした香りを何とか
取戻せないか…
ひたすらそう願った
〔追記〕
覆輪 花弁や舌に入る細い色の帯のこと
*山口県を構成する周防と長門
エビネは長門に多く 周防には殆どない
湿潤な日陰を好むため乾燥している周防で
は生育しないのであろう
**今富ダム 山口県宇部市今富
***ジュスティーヌ マルキ・ド・サド
『悪徳の栄』澁澤龍彦訳より
****中原中也「冬の長門峡」より一部抜
粋