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昨日の満月、見事でしたねえー
次に、お月見の日と満月がピタリ合うのは、7年後だそうですよ。
(あ、だんご食ってない…。)
●朝霧綾めさん「海岸のライオン」
ちょっと、時代と場所を超えた、おもしろい構成要素ですね。
この塔は、ナイトの時代の塔なんだろうか、それとも海に近いことを思うと、灯台風の塔でいいんだろうか。
また、「ライオンがほしい」と思った感情の動きはなんなんだろう??? なにがあったんだろう??と思ったりもしました。
それとも、ちょっとイレギュラーだけど、絵画的な構成要素と割り切っていいんだろうか。ある意味、朝霧さんの理想郷の図なんでしょうけれど。
芸術には、どれも共通する部分もあるけれど、一方で、絵画には、絵画にしかできない、音楽には音楽にしかできない、それぞれのオリジナルの面も持ち合わせているものなので、この詩がもし、絵画的な構成要素として書かれてるなら、詩では表現しきれないものに、足を踏み入れてるのかもしれません。
世界を股にかけるという、詩的絵図とも、また違う感じがします。
うーーん、単品では取り扱いの難しい詩ですね。いくつかの連作ストーリーの中で、理想図シーンとしての役割を持てば、また付加価値がついて、見方が変わってくるのかもしれませんが。現状の単品として評価するのは、ちょっと評価が難しいものがあります。
いちおう、ライオンをもっと人間臭くユーモラスに描くと、それはそれで擬人法的な詩として成立するのだけど、それだと作者の意図と違ってくるしね。
というわけで、今回はちょっと評価非常に難しいところなんで、秀作半歩前としておきます。
ひとつ提案なんですが、もしも「ライオンがほしい」というところに、すごく激情的なものがあるなら、熊野古道に獅子岩というのがあります。海に向かって吠えているような岩です。ここになぞらえて書いた方が、詩としては書きやすいかもしれませんよ。
●大杉 司さん「赤い花」
謎の多い詩ですね。白い花であれば、弔い系なんですが、赤い花ってなんなんだろう??? でも、「静かに花を置いている」の表現から想像できる、この整然とした様子は、やっぱり弔い系に見えるのだけど、故人が赤い花を好んだとか、何か理由があるのかもしれませんね。
悪いけど、書かれた表現から想像できるのはここまでです。これ以上の何かを言いたいのであれば、やっぱり書いてもらわないと、わからないです。この先は作者側の責任領域です。
また、もしこれが仮に夢か架空だとしても、そう匂わせる伏線をひくのは、作者側の役目です。
うーーん、やっぱり、この詩全体を見た時に、作者の行動以前に、まず前提となる、ここに皆が参集してる意味を書かないと、それに対する作者の行動も、花の動きも、生きてこない感じですねー。
3連なんかも、この儀式の意味がわかってる人には、すごくいい連になってた気がするパートなので、ちょっともったいない感じがします。
それと、花がすぐ太陽の方に曲がるのは、きっと菊とかではなく、花首の細い花なんでしょうね。なんの花かわかるなら、具体的に書いてもいいとこかもしれません。その方が映えそうに思います。
うーーん、これ、書きようによっては、いいシーンになった気がする詩なんですが、現状では、空振り感が強いです。
秀作一歩前にしておきます。
●まるまるさん「遅れた人がいて思ったこと」
「日の浅い男性社員」とは、転職組ではなく、若い人ということなんでしょうね。案外と客相手のバイトやってた人の方が、バイト先で仕込まれてるから、ちゃんとしてたりするんですけどね。まあでも、個人差は、どこの世代でもありますよ。私は、マナーはなんでもいいけど、報連相だけはして欲しい。前職のキャリア、業種によるのかなあ? 若くもない人なんだけど、報告・連絡をおろそかにする人がいて、仕事の連係が取れなくて、結果それがために客先に迷惑かけてしまったんで、それが一番困りました。
詩のラスト2連、いいですね。たくさんの仕事のおかげか、たくさんの人のおかげがわからないけど、結果、自分が鍛えられてる部分がある。見えてるものや見えてる広さが違ってくる。それって、無駄じゃないなあと思うことがあります。ラスト2連の感慨はステキですね。
おまけの秀作プラスを。
よくわからないのは、ここなんです。
同僚は何のことをして「今日は特別だね」と言いたかったのか。
後ろから同僚の声
今日は特別だね 機嫌悪いからね
機嫌が悪いの?
だって 寝坊したからね
この脈絡を逆に遡ると、
「寝坊」により → 「機嫌悪い」 「機嫌が悪い」ことによって → 「今日は特別」なことが起こっている
となって、
今日は特別な何かが起こったことがわかる。
(「寝坊」と「遅刻」はこの場合、ほぼほぼ同じものに思う。なのでもし「特別だね」がイコール「遅刻」であるならば、この話は無限ループになってしまう。
また、「特別だね」がイコール「機嫌が悪いこと」であるならば、最初のセリフが前・後ろ同じことを言ってることになって、セリフ自体が成り立たなくなる)
そうではなくて、この「特別だね」は何か別の事を指していたのではないか?
例えばそれは、いつもなら挨拶するところを挨拶しなかったことか。それとも、遅れた詫びを言わないことを言っているのか。
いつもにも増して、歩き方や扉の開け方が横柄だったことか。
今なにか、誰かか物かに八つ当たりしてる様子が見えるのか、
あるいは、機嫌が悪いについて、昨日何かがあったことを、この同僚は知っているのか
私、この同僚の言う「今日は特別だね」の意味がわからない。
何か、書き忘れているのではないでしょうか。
命題が合っているのならば、4連以降に書かれていることは誠にそのとおりなんですが、この話は、まずもって命題自体がちゃんと見えないものがあります。
え、これ、カミさんが起こしてくれなかったから遅刻した、とでも言ってるんだろうか? 誰かのせいって、なんなんだろう??? 誰かのせいにしてる様子が書かれてないのでわからない。
思うに、だいたい言い訳する人って、「寝坊しました」と正直には言わない。そこからして、別の理由を言う傾向にあるように思う。この人、案外、正直な人に、私には見えるけど…。
ともあれ、回答を述べる前に、問題がなんなのかを明瞭にしてほしい。ただ一時間遅れてきたという以外に、何かが起きているから、その態度のことを言ってるんじゃないんでしょうか???
それとまあ、たいていの就業規則では、遅刻が何回か、あるいは何時間かで、一日欠勤扱い(=給料減。有休扱いにはならないで欠勤)になるはず。部分的にではありますが、もう責が自分に返ってるって部分も少しあります。
●江里川 丘砥さん「天井のしずく」
そういえば、私が青春期に飼っていた猫も、風呂のふたの上で、よく寝てたなあー。たぶん、冬場の話だと思うんだけど。風呂に入ると、先にふたの上で猫が寝てる(丸まって寝ている)んで、寝てない方の風呂のフタを半分だけ開けて入ったのを思い出しました(ちなみに、私はそうしてたけど、他の家族が風呂に入った際には、風呂から追い出されていたのは、言うまでもありません)。
でも実際に猫を洗う時には、やっぱり嫌がって反抗的だった気がする。それとこれとは話が別だって感じだったな。犬でも猫でもそうだけど、毛のある動物は洗ってやると、体がセンが思いのほか痩せぎすで、急に貧相でかわいそうな感じになるよね。作者は意外にも、その姿を愛おしく思っていたようです。
また、ラストの3連は、思いが今も続いているのがよくわかる、ステキなエンディングでした。
18年かあ、長生きしたねえー その猫はきっと幸せだったことでしょう。
えーーと、この詩なんですけどね、
最初に、猫の形があって、その後にそれが展開されてゆくのだけど、この詩はその最初の猫の形に躓きがあるんですよね。あとがその展開形だけに、最初の躓きが、後ろの展開の妙味も半減させてしまうとこがあるんです。
問題の2連なんですが、「しずく」って、まさにしたたり落ちてる状態のもの、ないし、したたり落ちた水のことは言うけど、したたる前を「しずく」とは言わないんですよね。
だから、
いくつものしずくをつくっていた
と言われると、何滴もしたたり落ちてるんだな、と思うし、
しずくがつくる線が
と書かれると、まさに落下してる瞬間の落下直線しか想像できなくて、
この直線が猫に見えるというのが、わけわからなくなるんです。
ちょっと譲ってもぎりぎり、したたる直前のもう丸く粒状になってる状態のものまででしょうねえ、「しずく」の意味合いとしては。
そこに、言葉の齟齬があるんじゃないでしょうか。
これ、もしかしたら、天井に、しみのように、露が連なってついてる状態の、模様のこと言ってるんじゃないのかな? 猫の形に見え得るものというと、もうこれくらいしか、思い浮かばないのだけど。
だから、2連のところは、この話の前提となる重要な部分でもあるので、もう一度、表現変えて書き直されたほうがいいと思います。最初にここでイメージをはっきりと打ち出しておかないと、あとの展開部の魅力が半減してしまいます。
加えていうと、お風呂の天井は、家によっていろいろ違う面があり、材質やカラーによっては、天井に蒸気が溜まってる状態が全くそれと見えないものもあるので(しずくが落ちてきて初めて溜まってるんだなとわかる)、この詩で書かれている、天井の材質・カラー的なものについても、それだから形がよく見えるという意味合いで、敢えて書いたほうがよいと思われます。
あと、「ねこ」をひらがなで統一するか、漢字で統一するかの件なんですけど、今回の場合は、行内の文字の見え方として、漢字のほうがくっきりしていい気がします。
ということで、この詩、力作なんですが、ちょっと難があるんです。
おまけの秀作プラスにとどめます。
●雪柳(S. Matsumoto)さん「雨の夜」
おもしろい。
夜に鳴く子猫を助けに行かない、言い訳を考えるうちに、自分はいつもこうだったと思い当たる。いろんなことを置き去りにしてきた報いとして、今の自分の孤独があるのではないかと、自分を責める。そういった心情に読みました。
比喩も駆使して、時に違う光景も見せながら、多彩に粘り強く書いてくれていて、内容的には申し分ないです。
あとはちょっと文体のことだけですね。今回、文体を変えようとされてるようで、執拗に粘って書いておられて、それは概ね成功してるんですが、まだ未完成の感は否めないです。
全部凝ってるんですけど、美しく流れるところがあっていい。その方が余韻が出ますよ、特にセンテンスの終わりの部分。それと形容が多い分、接続はスムーズに繋いでいくことです。
それと、長めの詩の場合、あまり倒置は使わない方がいい。あってもいいのだが、この詩はちょっと多すぎる。基本は前から順に読めるように。
いくつか例示します。
助けを求めるものたちを
置き去りにしていくような
そんな行ない 似通った過ち
自分が弱く 拙く 愚かなせいで
と、「過ち」を体言止めにして、そのまま前に進めばいいです。倒置で戻る必要はないです。
ここも、
人でも ほかの生き物でも
近しかったものでも
テレビが伝えた類いの 見知らぬものでも、
繋がりや 約束めいたことから 心を遠ざけて
として、次の2行は連分けしたらいいと思います。
ちなみにここの「テレビが伝えた類いの 見知らぬもの」は、ちょっとなんのことか意味不明なので、もう少しわかるように書いて下さい。
あと現行5連の、
記憶の底に残っている
置き去りにしてきたものたちの
鎮まらない魂が
ここも、こうでしょうね。
なんというか、「凝った中にも、文の美しさを!」と言いたい。文体自体は悪くないんだけど、まだ練度が足りないようです。
その点だけですね。中味はよく突き詰められてて、良かったです。この「逃げ」の部分は、誰しも身に覚えがあり、心にチクリとくるところです。
しっかり書いてくれました。ちょいおまけの名作にしておきましょう。
●理蝶さん「川縁にいた」
初連の入り方が、バツグンにステキです。
目が覚めると、違う場所にいたかのような実像の不思議を思わせる反面、これは人生観の比喩。それもただ「道」ではなく、川縁の臨場感を伴って描かれるのがいい。
一見は、ただの抽象に見えるけど、ちゃんと意味があります。
3連2行目の、「白い影が伸びる」
4連の、
僕は僕であったこと
それすら忘れて溶けるのだろう
の表現もステキですね。
この4連は、「僕が僕であったこと」という強い意志であってはならない。「僕は僕であったこと」という消極的な意志の記憶なので、ここは「は」が使われている。そこの助詞の意図は、私にはよくわかる気がしました。
3連と4連の最後、末尾「な」×2で揃えているのも、あきらめのようであり、弱い決意のようであり、末尾のセリフ調が、哀感を伴っていることを感じさせて、いいですね。
うむ、いいとこだらけなんですが、1つだけ難が、2連の4~6行ですね。
君の顔をメモ帳の端に思い出してみる
確か曽祖父は画家だったのに
君はいつまでも君じゃない
これはさすがにわかりにくい。
一番よくないのは、この曽祖父が、僕の曾祖父か、君の曾祖父か、この書き方ではわからんことですね。前者であれば、自分の不確かさの話になるし、後者だと君の変化の話になる。いちおうどちらでも意味が成立してしまう。
たぶん前者なんでしょうけど、仮にこの問題の5行目を削除したとしても、
君の顔をメモ帳の端に思い出してみる
君はいつまでも君じゃない
となり、これだけでは、成立してない。言葉が足りないと思いませんか?
なのでここ、5行目も6行目も問題アリなんです。
なんとなく、言いたいことは想像つくんですが、このままじゃいけない。もうちょっと、そこ丁寧にやってみて下さい。
そこだけ要改善です。あとはいいと思います。
この、川沿いに海まで続くセッティングは良かったです。人生はそのようなものかもしれないと思うところありました。「君」への思いは、依然強いようです。
秀作プラスを。
●おおたにあかりさん「手紙」
おおたにさん、お久しぶりです。
えーーーーと。
これって、もしかしてMY DEARのこと言ってますか?
「好きな名前」かどうかはわからないから、そこは?なんですが、
話の芯としての「書いている」があり、「懐かしいページ」「いつも通りの名前」と言われると、もしかしてMY DEARのことかな???と思いながら読みました。(間違ってたらゴメンナサイ)
ちなみに、カムバックというより、ちょっと間が空いたものの、私の中ではおおたにさんはまだ「現役続行中」の認識でいるので、全然OKですよ。
遠ざかるのに
理由なんてないんです
好きになるのにも
理由がないように
時間はぽっかりと
穴みたいに空きはしないから
わたしには沢山沢山
雑多なことがありました
この2~3連の言葉が、とりわけステキです。
まるで恋文のよう。こんな恋文送られたら、離れていた恋人とも、よりが戻りそうですよ。(それぐらいステキだという意味です)
こことか、
秋だから許してくれませんか
の詩行とかは、まさに、おおたにさんならではの詩行です。感性が生きている。
おおたにさんはね、意外とファンが多いんですよ。やっぱり、このへんの感性がステキだからだと思う。
自分のペースでいいけれど、また書いて下さい。
秀作を。
ああ、初連2行目、「好きを名前が」は → 「好きな名前が」の、ミスタッチかと思います。
●エイジさん「僕が風になったら」
僕は風になる、の心境は、哀感と理想の両方が入り混じってる感じがあり、ステキな詩情です。また地上の春夏秋冬だけでなく、生命の根源や宇宙にまで思いが及んでおり、壮大です。そうあれば、誠に理想の存在ですね。
もしかしたら何らかの思想をバックボーンに、この言葉が出てきてるかもしれませんが、そこまでは掴めませんので、読む側としては、あくまでイメージだけを追わせてもらいますが。
まず、3連以降はキレイですね。とりわけ、3連には身近さのある良さがあり、そこから4連の現世・来世の話ともスムーズに繋がる。また、終連も美しくて、とてもステキです。
5連なんですが、5連は4連との「永遠」繋がりになってるんですが、それは一旦、途切れても大丈夫なので、私はここ、テンション的には、2連 → 5連 の連続の方が、盛り上がっていいと思うのです。
この詩の中で、とりわけテンションが高いのは、この2つの連なのだけど、いま1連ずつバラバラの位置にあるのを、一緒にまとめた方が、この詩の流れの中で、気持ちが高揚する部分としてボリュームが持てるし、ピークを2ヵ所持つより1ヵ所の方が流れもスムーズになると思いました。
なので、2連初行を「風になればもう」に変えた上で、4連と5連のあいだに、2連を持ってくる案を考えてみられてはどうでしょう?
で、この案を考えた場合に、2連が抜けると、初連は3連とくっつく格好になるので、初連はそれ用に、
僕は風を求めている
穏やかに吹く春色に
夕暮れに吹く秋色に
背の高い木々にそよぎ
鳥たちがあわいを飛び交う時にも
この程度にしてスタートすると、3~4連にうまく繋がるかなと思います。
(ちなみにセキレイは、基本、地上すれすれを飛ぶ鳥なので、背の高い木々の梢にはまず来ません。ちょっと不自然。)
一考してみて下さい。
でも、言葉が豊富で多彩でなかなか良くて、いいセン行ってる詩です。ちょっと変更したらさらに良くなる。
現状、秀作プラスで。
●水野 耕助さん「今日、今に」
まず「今日に/今に」という言葉の感覚がいいですね。「今日」という日を一旦は思いながら、しかしそんな24時間という余裕もないのではないかと思われ、「今に」というこの瞬間のさし迫り方にシフトアップする。私はこの二語の関係をそう読みました。
また、「逃げるように/進んでいくように」の語も、強い意志を持ってや積極的といった進み方でなく、「今日から逃げるように明日へ進む」という、消極的な方法での前への進み方であることがわかります。私はそんな方法であっても、結果オーライでいいと思うのです。
また、だからといって「今」に目を閉ざすと決めたわけではなく、
向き合うことを
あきらめたわけじゃないから
真っ直ぐ
向き合うために
今できることを・・
と、少しずつアプローチするのはあきらめない。そんなやり方であって、いいと思うのです。というか、そのやり方で合っていると思うのです。なにしろ、「今」というやつはバカでかいですからね。全部飲み込もうなんて、ハナから思わなくていいというか。
うむ、いい事書いてくれてる、いい詩ですね。秀作あげましょう。
一点いうと、内にのみ向かって書いていると、どうしても言葉がだんだん減ってきがちになるのです(これを、「言葉が痩せる」とか「言葉が細る」とかいいますが)。なので、意識して、「言葉を増やす(豊富にする)」意識をちょっと持っておいて欲しいのです。
この詩においても、できれば終盤、リフレインに逃げないで、別の言葉があった方がベターはベターなんです。あるいはリフレインを使ってもいいけど、そこに頼らないことです。たとえば、
今日に
今に
いられないから
私は
急かされるように
明日に向かって
また
走り出す
白い花咲く
野辺でなくても
こんなふうに、ちょっと風景入れるだけでも、詩が大きくなりますよ。言葉を豊富にする意識を持つとは、こういうふうなことです。
●上田一眞さん「こころの原風景」
今回はすんなり来ますね。
前回も川魚のことを詳しく書かれてたんですが、今ではあんまり見ることができない魚たちのような気がしてたんです。今回、「原風景」と言われて、そこが合点がいきましたし、マニアックに詳しいのも、川魚へのあこがれ故とわかりました。こういうふうに書いてもらうと、よくわかりますね。全ては原風景の中にあったようです。
脱穀用の水車小屋も、私でギリギリですね。私からあとの世代は知らないと思う。なくなりましたねー、あれも。
衣類も、昔は買うのが高かったので、手編みのセーター着てた子が多かったんじゃないかな。私も冬はそればっかり着てた気がします。でも、それをありあり思い出せるのは凄いと思います。
今回はタイトルで、「こころの原風景」と書いてくれていて、その投網の中に、詩全部が包み込まれていて、どの部分もその情感のものとして読めるから、よくわかりますね。構成がいい。
ラストの2行、
小鳥の啼かない森のような
影の世界と同じです
の表現も、美しい閉じ方ですね。
全体わりとフランクな文体で書いてくれているので、ここだけが突出してもいけない。ちょっと締めた頃合いの比喩で書いてくれてると思います。
問題ナシです。この詩はこれでできてる気がする。なんといっても中身が豊富だし、深く入るべき時には深く入れてる。カーデガンのところは、ちょっと泣かせます。
上田さんの現時点におけるベストパフォーマンスではないでしょうか。
やや甘の、名作にしておきましょう。
●妻咲邦香さん「稜線」
希望を言えば、
ぽつんと大地に置かれた
幌馬車にゆられ
何処でもない場所に産み落とされた
幌馬車にゆられ
声を上げ
幌馬車の上で巡りあう人々
出会いと同時に別れの挨拶もした
いつか私の靴音が誰かの手に触れ
大地の琴線を弾く
切り立った稜線の上を
白い翼が渡り
それを捕まえたくて子供らは思わず駆け出す
これで始まりたいところですね。
「ぽつんと大地に置かれた」は、むしろ幌馬車のロケーションに使いたい。
2連は、成長してのちの、ひとり立ちのシーンに思うのだけど、
私に仕事を与えてください
信じることで美しくなれるよう
が、どうにも前後の詩行と嵌まりにくい。
そこは、大志や理想を思うシーンとしてしまって、もう次の場面に行っていい気がしました。
3連は、世間や現実というものに、曝されながら生きていくシーンに思いました。
4連の見解は一理あります。
5連なんですが、紫陽花がイマイチ合ってない気がする。
北アメリカ南西部の砂漠の花としては、
ブリトルブッシュ、ファセリア、砂漠タンポポ(正式名称は別途ありますが、ややこしい)などありますが、
北アメリカから伝わって、日本にもある木としてはニセアカシア
全くこだわらなければ、梨花、なんかもここの音に合いそうです。
ともあれ、紫陽花じゃない方が良さそうに思います。
6連は、
私が見えなくなるまで待つ必要はありませんし
私もまたそうしないと決めております
と、アタマを合わせた方が、よくありませんか??
終連後ろから2行目、
「大変」は削除でいいと思うけど、もし入れるなら「誠に」でしょうね。
終連だけ、堅苦しい言葉使いで行ってますから、そこも合わせた方がいい。
概ねOKでおもしろいんですが、相手が妻咲さんなんで、細かいとこまで言いました。
大地を行く幌馬車に喩えて、象徴的に人生観が描かれていると読めるし、時折思いかけず飛来するものもおもしろい。ベースはとても良いと思う。
おまけ名作を。
1 上田一眞さん 「ふる里の渚」 9/23
作中に何気なく年齢が匂わされています。投擲(とうてき)といった言葉も年配者ならではです。
逆に「シカト」は、あくまで口語の俗語ですから、文学上は別表現を考えたほうが無難でしょう。
「 」括弧で括ってセリフ調にすれば使えますがね。
「百の石を割った」―これ、何ですかね?僕の知らない社会的行為かと思って調べたけど、出てきませんでした。あくまで詩中でのプライベートな行為と捉えておきましょう。あるいは隠喩。学友への怒りの象徴と見做すことはできそうです。「沐浴」と共に、何か修行僧の「行(ぎょう)」のようなものを感じました。石を割ったり沐浴したりは多少比喩的フィクションと思われますが、ふる里の渚を歩いた、そこで味わった孤独感、寂寥感は事実で、この詩の本質であるでしょう。佳作を。
2 おこぜさん 「大いなる秘密」 9/23 初めてのかたなので、今回は感想のみを書きます。
よろしくお願い致します、と同時にごめんなさい。これは正直何のことなのかはわからなかったですね。
核となる言葉を拾います。まず「原因」。僕の勝手なイメージでは、この言葉は60%以上、負の方向性に使われると思っています。次に「罪」。以降、比較的暗い言葉が続きます。そういったトーンの詩です。途中、突然「彼女」が出て来るのに驚かされるのですが、案外、これが詩の核だったりしそうです。総合して判断できることは、個人に起こった出来事、現象、体験を抽象的にイマジネーションを交えて成立したものと想像されます。真意は作者のみわかるといったタイプの詩でしょうか。様子を見ましょう。 また書いてみてください。
3 詩詠犬さん 「同心円」 9/23
敢えて後半から行きます。すなわち「今朝、小雨のなかを」からです。同心円って実生活ではあまり意識されないので、これはいい気づきですね。なるほど、自然が伝える同心円の形としては、最も身近で好適なものでしょう。シャレていて抒情味もあります。正確で規則的ではあるが、すぐに消えていく。その虚しく続く営為にむしろ憎しみを覚える。―その奇妙な心持ちに、興味深いという意味の面白さがあります。ひいては、ここに「詩」があるわけです。そこで前半です。後半のコアに比べると、前半成立の裏付けがはっきりせず、印象が弱い。後半とどう接続あるいは、バトンを渡しているかが見えてきませんでした。僕の考えでは後半だけでも最低限、詩は成り立つ気がします。でも、それだけじゃつまらないので……策としては……
① 後半のみを肉付けする。(事項をひとつに絞って深化させる)
② 前半は後半に接続しやすい“同心円”的な話柄を別途考える。
まあ、①も②も結局は同じことかもしれないけど。 佳作一歩半前で。
4 じじいじじいさん 「すすき」 9/23
「みたあ」は「みたい」のミス打ちでしょうね。詩は全篇“いなほ”についての事なんですが、タイトルは「すすき」というのは、何か理由があるんですかね?
「みちのいろがへんしんしてる」は夏の色との違いを簡潔に印象的に総合的に描写して、良いフレーズですね。子ども的な感覚もあります。まだちょっと早いけど、まあ、先取りということで。
「いなほ~~いなほ」の流れで続けて「みち」のショート。最後はピチッと止めてますね。文体もリズムもこれでいいです。
甘め佳作を。
5 エイジさん 「生命を抱く」 9/23
まず「飲水料」ですが、「飲料水」か「飲水量」のどちらかではないですかね?
この詩はこの通り読みます。僕は寝る時は“ただ寝るだけ”なんですが、ここでは、その単純な行為にも気遣いや工夫が必要になってくる。そういったことを考えていました。場面や心情を噛みしめると胸が痛みます。僕はこの詩に感想は書けても評価するなど、
とても無理なことです。
ただ、言えることはあります。
どうぞ、このタイトルのように、しっかり抱きしめて、けっして手放さずに、詩で繋いで。
評のおわりに。
9月も今日でおわります。カレンダーを10月に換える。すでに書き込まれた予定を眺める。
(なかなか、あるなあ―) 仕事系・詩系・音楽系・健康系、ひとつ記念日。
だいたいそんなところ。これじゃ10月もすぐおわる! ではまた。
時が濾過したひかりの中で
うわ言のように唄い
眠りの内に
蝶々と遊んでいるおばあちゃん
小春日和の陽だまりの中
目覚めの時間は短いが
僅かな覚醒のときを見つけ
…ぼくのお嫁さんを連れてきたよ
と話しかける
おばあちゃんは
慈愛の目で彼女を見つめ
そして〈手のくるぶし〉をさすりながら
ぼくの〈手のくるぶし〉の出っ張りを指さして
私と同じ
私と同じ
私と同じ
と嬉しそうに
僅かに涙ぐみ
何度も何度も繰り返す
幼くして母を亡くしたぼくたち兄妹を
おばあちゃんは深い情愛で包んでくれた
時の流れに逆らえぬとしても
どうしてぼくらから死神は
大切な大切なものを奪って行くのだろう
肉親を亡くすことが
〈成熟〉するための条件だとしたら
ぼくは大人になどならなくてよかったのだ
母を亡くし
おばあちゃんのいまわの際もほど近い
幼い日
母と一緒に訪れたこの家で
ようきた
ようきた
ようきた
と優しく迎えてくれたおばあちゃんの姿が
水晶のような輝きを増す
そして
愛惜の涙にくれ
ぼくはひたすら真っすぐに
おばあちゃんの〈手のくるぶし〉を見続ける
友だちは欲しかったけど
仲良くなると怖いから駄目
正しいことは知っているけど
息が苦しくなるからお終い
薬じゃ治らない恋をした
自分で自分の手を握って
大丈夫だよと言って欲しかったし
言ってあげたかった
私が違う人だともっと良かった
もしくはただの凡人だったら
誰も困らせたくないから静かに笑ってる
あなたの涙にも少しばかり気付いてる
夜より確かなものはないけれど
昨日とはもう違ってる星の位置
月は相変わらず悪戯な目配せで
お湯を注いで始まる根菜のスープ
人生は笑っちゃうほど短い
世界の中心は何処かにあったけど
誰も彼も見失った
私の知ってる大事なものは
大事な人にも壊せない
壊せない、壊せない
私が壊すんだから
この手で、わたしが
こわすんだ、から
(虹は土から生まれた
(丈夫な根を張り巡らせて
(知らない街へと伸びていく
(そして誰かに収穫される
自分で自分に差し伸べる
その手をいつか振り払う
いつまでも変わらないもの
見つけられたら信じられる
色とりどりの根菜
虹は土に帰っていく
誰に言われなくともそうする
ただこれ以上
悲しい人を増やしたくないから
静かに笑って立っている
栄養の今少し足りないこの場所で
立派に育った虹のように
石原吉郎に「位置」といふ大変有名な詩があるが、
石原吉郎の位置はSiberiaの大地での
絶えずソ連兵に銃口を向けられた中で育まれた
人間の位置といふものは蒼穹を肩で支え、
つまり、自分の位置は自分で宇宙を支へなければ
確保できぬといふもので、
その厳格凄惨な位置に堪え得た石原吉郎の凄みは
「位置」といふ詩一つでも闡明するが
果たしてそれを我が身に置き換へればどうなるかといへば、
それは明らかに弛緩したGumのやうに伸縮する蒼穹を
これまたなよなよした肩で背負ひ
猫背になりながら
足下ばかりを見ながら歩く
曖昧な位置のみが指定されるに違ひない。
然し乍ら、それでは済まぬ状況は簡単に突如として訪れるものだ。
それは銃口のあるなしの大きな違ひによるともいへ、
例へば吾が強盗に遭ひ、
銃口を向けられたなら、
果たして石原吉郎のやうな死の覚悟を持って
ソ連兵の銃口を見ながら
蒼穹を背負ふ覚悟があるかと問はれれば、
吾は
――ある!
と、名言出来るに違ひない。
それは吾もまた、銃口に漸近する
吾自身に責められ続けられる自虐の苦役に
半世紀もの間、曝されてゐるので、
石原吉郎の体験とは違った形ではあるが、
その凄惨な自虐の苦役の体験から
断念といふ狂気を学び取るしかなかったのだ。
吾の位置は約めていへば
大宇宙の中で断念した此処である。
それ以外いふに及ばず。
いきなり俺をあたたかい光で包むのは
どういうことだろう
俺は今まで冷たい道を歩いてきた
愛なく友なくさりとて孤独もなく
ましてや詩人はいるはずもなく
なのにどうしたわけかこのぬくもり
大袈裟な半ばサプライズな
嬉しいが喜びたいが
思うように感情が受け入れられずにいる
俺はささいな喜びでいいんだ
大きなものは…あるにはこしたことないが
きっと大きな喜びというのは
小さな喜びを集めたものだから
だからそれらをなるべく多く集めて
生きていたいんだ
色々と心配をかけてきたようだ
愚かなこともたくさんした
今だって愚かで馬鹿で阿呆だ
ああ大袈裟なんだよこのぬくもりは
俺を誰だと思ってるんだ 俺だぞ俺!
鳥が飛ぶように生きていたい
鳥が鳴くように歌いたい
大切なものを失った人は心にぽっかり穴があく
そんな人達にとって大袈裟なぬくもりは救いかもしれない
失った時ほとんどの場合は取り戻せない
そうして苦しみながら顔では笑って生きていくしかない
大袈裟なぬくもりよ
今こそ我の上に降りたまえ
神よ、どうして私をお見捨てになったのですか
生きていくしかないのか、俺は……
透析施術一時間前
僕の部屋のベランダから
真ん前に立ちはだかる
向かいのマンションに整列する
何戸ものドアをぼんやり見ていた
一戸一戸のドアの向こうに
それぞれ全く違った
人の生活があるはずだ
各々のドアの向こうから
波のようにやって来る
様々な想いを静かに受け取る
ある家は三世代世帯かも知れない
ある家は独り暮らしかも知れない
皆一様に静かに暮らしているが
九月の穏やかな温かさの中
植林に蝶や蜂がホバリングする
隣の空き地にグラウンドが出来る予定
工事の音がただこだましてくる
そんな中をゆったり漂う
静かな想い
お礼が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
「おまけのおまけ」、ありがとうございます。
少し書き過ぎですね、引き算の件了解しました。
引き算のご指摘は、今までも何度かありました。
毎度同じことを行ってしまって、情けないことです。
何度か読み返し、校正しているのですが、
月に1編のペースで書いてきましたが、自分には多いのかもしれません。
私のおじいちゃんは船乗りだった
世界中を巡るそんな船乗りだった
おじいちゃんの海の話は
霧から始まることが多かった
狒狒の島の話も
ちょうど濃い霧が
立ち込める場面から始まる
太平洋のど真ん中の日没
船は進んでいる
日本では秋風が吹くころ
海の上ではいつもの
海風が吹いている
街の明かりもないので
前後左右真っ暗だ
時間の経過も分からなくなる
そのうち少し眠気が襲ってくる
狒狒はその時を狙っている
漁師が投網を投げるように
白い柔らかい
オーガンジーのような
霧を狒狒は被せてくるのだ
船は捕らえられたように
霧の奥へ奥へ真っすぐ
迷いなく進んでいく
砂地に乗り上げたような
何かに船首を掴まれたような
そんな感覚の後 船は止まる
おじいちゃんは
誘われるように外に出る
船から降りて
陸のようなところに降り立つ
何しろ白い霧で何も見えない
けれどここが島なんだと感じる
霧の奥から音もなく誰かが来る
赤い服を着た女性だ
遠くからでも人ではないと感じる
女性はにこやかに近づいてきて
話しかけてくる
奥に食べ物があるから
一緒に食べましょう
この世のものとは思えない
綺麗な姿と声に比例するように
おじいちゃんの恐怖が最大になる
その時おじいちゃんには
霧と闇の境目にある船が見えた
おじいちゃんは
恐怖で動かない体を
必死に動かし闇に向かって走る
狒狒は追ってくる
近くにあったはずの
降りた船が遠い
女性は今や狒々の姿で
追いかけてくる
お腹を空かせた狒々は
特に男性が好物だという
狒々に追いつかれる瞬間
おじいちゃんはなんとか
船に戻れたそうだ
私も暗闇の中にいると
方向性を見失う
何か強いものに
取り込まれてしまいそうな
そんな時がある
それがいいものか
悪いものか判別もできず
私は暗闇の中
私をしっかりと信じることが
できるだろうか
狒々に食われてしまわないだろうか
そんなことが心配になる
夜が長い季節がやってきている
終着駅まで一緒だと思っていた
僕は乗り換えだと言われ
二人いきなり途中駅に降ろされた
君の前には乗り継ぎの電車が来ていた
前から彼女は乗り継ぎを考えていた
気づかなかったのは僕
乗り換えなど考えてもいなかったから
一人きりの駅のホームに立ちつくす
次の電車はいつ来るのだろう
その電車には乗れるのだろうか
気づけば君の乗った電車は もう見えない
あの電車には誰が待っていたのだろう
今となっては もうどうでも良い事
君の乗り継ぎのうまさにため息しか出ない
元々 僕は各駅停車でのんびりが好きで
君は急行電車が好きだったみたいだ
どのみち合わなかったんだな
ただ待っていても仕方ない
僕は駅を出て線路沿いの道を歩き出す
次の駅まで歩いてみよう
一人で歩くのも新鮮なものだ