◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。
◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、
<<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear
をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。
どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
白菜の甘酢漬けを食べていると
自然と澄んだ気持ちになる
汚れのない
白菜の白
食欲をそそるごま油に
酢と唐辛子の香りが
ひんやりと冷たく
鼻孔をつきぬける
箸をとって食べる
作り慣れ 食べ慣れたこの味
一口かむたび
りんごに似た
しゃくしゃくという いい音がする
白菜の甘酢漬けを 食べていると
世界までが
澄んでいくような気がする
災害や
戦争や
ねたみや
にくしみが
まずは塩でよくもまれて
そのあと酢と唐辛子で
味付けされる
おいしくなったなら
私が食べてしまう
そうして世界の
不幸な出来事が
一皿分だけ たいらげられる
食べ終わって
ほんの少しきれいになった世界でも
また私は白菜の甘酢漬けを作っている
雷鳴と白鳥
一度だけ、白鳥を見たことがある
少しの雨と
淡い雷鳴を引き連れて
夢かと思い、何度も瞼をこすりつけるが
白鳥はただ凛々しく立っており
決して幻ではないことを思い知る
飛びだった白鳥を見れば
こころのどこかで、ああなりたいと思った
ああなれば、ここではないどこかへと
いけると思った
真っ白な白鳥の翼と
真っ黒なわたしの瞳が
引き裂かれるように
どこかでパチパチと、音が鳴っていた
よれよれのスーツには
現実と
諦めが
真っ黒なドレスコートのように
からだに纏わりつく
外に出ればだれかの視線が
雨の様に突き刺さり
どこにも動けずにいる
夢ばかり語ってはだめだと
彼女に言われたように
あの頃から
ときどき誤魔化すように口角をあげるのが
こんなにもじぶんを傷つかせるのだと
わたしは初めて知りました
あり余った時間を
悪戯に溶かしていくわたしたちが
もしも時を奪えれば
過去に遡り
言い聞かせたい
「やりたいことをやれるだけ」
夢ばかり見ていた
あの頃のわたしと
現実ばかり見ていたあなたに
ときどき、あの日に戻ることがある
少しの雨と
淡い雷鳴
目覚めたときに雫が落ちてしまうから
あの柔らかい水滴は
わたしの涙だったのではないのかと
思うことがある
何かが哀しいわけではありません
遠くへ行くだけの話です
白い翼を携えて
大海を越えて
たとえ雷鳴が聞こえようとも
遠くへ、ただ遠くへ
あー 行きたくない
包丁動かす手を止めて
口の中でつぶやいた
洗濯掃除 続けて出勤
毎日同じ 繰り返し
さしたる理由のある訳じゃないが
できることなら遊んでいたい
味噌汁の野菜を切りながら
そんなことを考えた
目は離さないよう気をつけながら
俎板の上の野菜と一緒に
野菜をおさえる手も見えていた
そう言えば
働くことが空しくて
「ぢっと手を見る」詩があった
きっと少しうつ向いて
力なく指の曲がった両手の平を
じっと 見ていたんだろうな
毎日同じ 繰り返し
私もこの手で働いている
手を見る理由は違うけど
真似してそっと 目をやってみた
目に入ったのは手の甲だった
空しい気持ちでこの手を見るのに
わざわざ表裏 返す気にはならない
あるがままの
手の甲だった
焦点は手の平としていたけれど
この時見たのは
甲だった
その日
啄木がぢっと見たのも
あるがままの手の甲
だったろうな
一つを砕いて、また一つ。
口に含んでは、転がして
噛んで砕いて飲み下す。
からから、ころり、からころり
小さな棘の金平糖
「ホント分かってない」
ぶつかる棘がちくりと刺した
拾ってぱくりと飲み込んで
気付かぬふりで奥歯で噛んだ
ざらりと舌へ融け出る毒も
君のと知れば蜜と化す
日光は全てを等しく照らし
全ては地上に影を映す
恋人たちは
二人だけに聞こえる声で
そっと耳打ちをし合い
南の森へ向かった
恋人たちは森へ着いた
彼らが歩いている影を見ている
僕は慌てて本を閉じた
大きな木の株に腰かけ
恋人たちが接吻している影を見ている
ゆっくりと時間は流れる
僕はそっと立ち上がり
その場から逃れようとしたが
笹の葉たちが大きく揺れた時
恋人たちは僕の気配に気づき
足早にその場を去って行った
傍に大きな楢の木が一本立っている
その木漏れ日と影をしばらく見ていた
木の下には小川が流れ
微かなせせらぎが聞こえていた
笹の葉がどこか恥ずかし気に
風にそよいでいた
ドウダンツツジが情熱の赤に紅葉して
帰るものを見送っていた
日光は全てを等しく照らし
全ては地上に影を映す
その時 僕は
緩やかな太陽の軌跡を見ていた
寒空の下で
篝火の如く咲く花よ
遥かな
いにしえの世に
かつて栄華を誇った王の
冠を飾った花よ
そして
そのことで傲りもせず
はにかむように
下を向いて咲く花よ
故郷より
遠く離れたこの地では
縮こまるように螺旋を描く
茎の先に結実した
お前の種を目にするものは
ほとんどおらず
数多の花は
実を結ぶことなく
春を迎えながら散りゆくが
お前が
「シクラメン」
という名で呼ばれる
その由来を知る
僅かな者達により
お前の命の灯火は
この先も確かに
引き継がれてゆくから
はにかみながらも点す
篝火の如きその花で
寒さに凍える
この夜のような
侘しい人々の心を
照らしてほしい
今この季
暗闇に迷う人々が
見失っていた
己の路を見いだして
再び歩きだすには
お前の灯りが必要なのだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シクラメンの和名は篝火花というそうです。
シクラメンの名は、ギリシャ語で円形や螺旋状を意味する「キクロス」に由来すると言われています。
花が落ち実が生ると、茎が螺旋状に丸まることから名付けられたとのことです。
その昔ソロモン王が王冠のデザインにシクラメンを取り入れたところ、シクラメンは恥ずかしさのあまり下を向いてしまった、という伝説があるそうです。
ひりつく風が墓地の狭い路を縫う
枯れた葉を悲しく鳴らす
あなたがいないことを受け入れるのには
僕はまだ幼かった
だってあなたがいるということが
どんなことかさえ
まだわかっていなかった
ちぎれちぎれに頭にしまわれた
あなたと別れるために踏む
いくつかの段階での光景が
僕にとっての死だった
荼毘に付され登った煙は
あなたではなかったし
壺に入り押し黙る骨も
もうあなたではなかった
喪失に抗うため
人は煙や骨にあなたを重ねるけど
それは証であって薬ではないと
思い知った
あなたを思う時
空を見上げれば良いのですか
手でも合わせたら良いですか
そばにいると諭されても見えないのなら仕方ない
言葉を尽くし時は過ぎた
涙を流すことももうない
今はただ 会いたい
それだけが静かにあって
ひりつく風が墓地の狭い路を縫う
風は立ち登る線香の煙を乗せて
西へ抜けていった
雪の日の朝
母屋の裏手のちょうど陰になった辺り
誰が訪れたのか
その道筋で
その深さで
大きさで
振れ幅で
その心に去来したものを
知る
驚きを、知る
ひもじさを、知る
戸惑いを、知る
憤りを、恐怖を
儚さを、逞しさを
知る
希望もあるかもしれない
あるといいなと
思う
決して立派とは言えない母屋の
その裏手
見つけた小さな足跡で
交わることのない誰かの営みを
知る
人間は恥ずかしい
こんなに大きな足跡だ
歴史とは結果論のことだから―
結果で言えば提督は
敗北し負傷し捕虜となり
日本という異国の
寝心地悪いベッドにありつく為に
ロシア最大の艦隊を駆りもよおし
怒りと苦悩と保身の中を
バルト海 大西洋 インド洋
太平洋 東シナ海を経て
Цусима(対馬)から日本海へと
自分のプライドを捨てる為に
やって来た
日露戦争の決着が近づいていた
その航海 実に七か月 地球を半周
参加艦艇四十隻あまり
トーゴーとの戦いはわずかに二日
提督にとっては戦いよりも
艦隊を連れて来たその過程こそが
名誉だったのか
確かに
歴史に刻まれる壮挙ではあったが
他国からの妨害の海を抜け出た果てには
指揮下の全艦が
沈められ
破壊され
炎上させられ
あるいは日本の軍門に降ったことは
彼の精神をどう打ちのめしたか
ロシア・ツァーリ(皇帝)とその提督は
極東の小国を
ある動物になぞらえた蔑称で呼んだ
(差別用語なので ここでは書けない)
しかし
蔑称で呼ばれた民族に
艦隊消滅
と言っていい敗北を喫するのだった
責任の所在は
提督でなく
艦隊でなく
おそらく帝政という病巣が原因だろう
佐世保の病院のベッドでロジェストウェンスキーは
トーゴーの見舞いを受けた
“小国”の提督の礼節ある態度に接し
トーゴーほどの男に負けたことを
自ら慰め 終生 尊敬しつつ
母国でわずかに生き長らえた
六十年の生涯
歴史とは結果論でしか語られないから―
* * * *
ロジェストウェンスキー提督に課せられた目標は全艦ウラジオストックに回航させての
戦力増強にあった。海戦は副次的なものだったらしい。提督の理想としたのは―殆ど
あり得ないことだが―日本艦隊の攻撃を振り切り、ウラジオストックに入ることだった。
が、結果として彼は発見され交戦。結果として日本の病院のベッドに横たわるのだった。
話は変わり―。司馬遼太郎「坂の上の雲」は名著にして、国民文学としての評価も高い。
司馬はその中で、このロジェストウェンスキーを深刻な失敗者として痛烈に批判してい
る。批判は、もう一人にも向けられている。
乃木希典。
二人を批判した司馬への批判もけっして少なくない。この名著は時に、このことが論争
になってきた。しかし私はこの二人に関しては殆どが事実で、後は僅かの増幅と考えて
いる。二人の凡将によって夥しい死者が出たことに想いが募ったのだろう。
そもそも彼は小説を書いているのであって、歴史学を展開しているわけではない。
ここに歴史小説の難しさがありそうだ。「司馬史観」といった言葉が独り歩きし、人々
は勘違いをしている。彼は苦笑しただろう。その単純な事実を司馬批判者は思わねばな
らない。一方、こういう批判が出ること自体、彼の存在の大きさを表しているのかもし
れない。私は司馬を心から尊敬する者である。そして真の尊敬とは批判さえ呑み込んで
初めて成されるものだと思っている。
今年は司馬遼太郎生誕百年にあたる。二月十二日は「菜の花忌」。
私は彼の遺志を「詩」というかたちで受け入れることを目指したい。
さらに話は変わり―。現代のロシアの仕掛けた戦争は、その国と為政者の精神構造にお
いて日露戦争と太平洋戦争直後に共通点が見出せる気がしないでもない。ロシアという
国が生理的・潜在的に持つ領土意識、その維持・膨張政策において。
ロジェストウェンスキー……日露戦争時、日本海海戦の
ロシア・バルチック艦隊司令長官。
トーゴー…… 東郷平八郎、日本海海戦の日本側長官。
乃木希典……日露戦争時、旅順攻略の司令官。
Цусима……「ツシマ」。当時、ロシア戦艦の乗員だった
ノビコフ・プリボイの記録文学作品のタイト
ルでもある。
ギターを背負い
ふらふらと路地裏を歩く
そこは静けさに包まれていて
何か気味が悪かった
路地裏を出ると
目の前には店がある
人を誘惑するような店
甘い香りが漂う店
夜になると盛んに人々が集まる
店に用事は無い
行きたいのは本屋だ
そう自分に言い聞かせ
僕は本屋に向かった
本屋に着くと
仕事終わりのサラリーマンや
学校帰りの学生がいた
僕もその一人だった
しかしギターを背負っているのは自分だけ
小説コーナーに寄り
立ち読みなどをした
買って読めば良いものを
ついつい欲が出てしまった
読み終えて時計を見ると
とっくに18時を過ぎていた
僕は本屋を後にして
駅へと向かった
エスカレーターでは列が出来ていた
仕方なく階段を上った
5分ほど待っていると電車が来た
乗客たちが勢いよく出て来た
何か用事があるのだろう
電車の中に入ると
そこにはサラリーマンと学生しかいなかった
皆同じ時間に乗り
同じ時間に帰る
僕は奇遇と思った
ゆらゆらと揺さぶられながら
独り景色を見渡した
ゆらゆらと
体は揺れている
僕は電車を出た
そして家に向かった
今日は遅くまで街にいすぎた
早く帰ってゲームをしよう