◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。
◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、
<<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear
をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。
どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
この度は私の詩の「微かな光芒を頼りに」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
名作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
仰るとおり、確かに楽屋落ち的でした。
主観的な感情に入り込み過ぎていたようです。
今後はこのような詩は例外的とし、詩を書いていない人がどう感じるか、ということをよく考慮して、書いてゆきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
雨音が忍び込み
心沈む夜が更けて
夢うつつの狭間
薄暮の如き朧な空間に
月下美人の白い花が
ゆっくりと開き始める
その故郷より
時と場所を越えて
今ここに
音もなく開く
蝋細工のような大輪が
似合わぬ雨音に
覆われるとき
雨雲に遮られた
月光の魂は
月の如く白くも
一夜のみにしか開かぬ
儚い花に宿り
花の魂は
降りしきる雨を
刹那に静止させて
その雨粒ひとつひとつ
すべてに宿り
中空に留まった
雨粒の魂は
その銀色の輝きを
微かに震わせて
夜の大気の中へと
溶けだしてゆく
心沈む夜
夢うつつの狭間に
染み込むような雨音が
引き継がれゆく
魂の旋律を
しめやかに奏でてゆく
次のMY DEAR 321号のお勧め詩集は、井戸川射子さんの「遠景」(第2詩集)で書こうと用意してました。2022年度で若手詩人で一番目に留まった詩集だったからですが、しかしながら、芥川賞作家ということになっちゃったので、うっかり書けなくなりました。
仕方がない・・・、別の人にしよう。
まあ、私の見立ても、そう間違ってなかったということで・・・。
●エイジさん「一抹の寂しさ」
ありますねー
私も出張してた時は、普段と違う、朝5時台の電車に乗ってたんですけど、5時台の電車が意外といっぱいなのには驚いてました。みんな朝から働いてるよなーって思った。自分の会社の中だけを見て、こんな時間から電車に乗るのは自分だけかあとつい思ってしまうんですが、世の中、その時間でも働いてる人はいっぱいいて、こいつはうぬぼれだったなあと、何度か自分を戒めたことがありました。見ず知らずの乗客たちに対しても、何かを思うことってありますね。
とりわけ普段の自分の行動時間帯と違う時間帯をたまに行くと、ものごとを新鮮に見れるのか、発見がありますね。そのあたりのこと、とてもよくわかります。この詩のカナメとなっているところも、たぶんそういうことなんだと思います。とりわけ1月2日だと、まだ仕事が始まってないとこがほとんどのはずですから、いつもと違う人の風景だったことでしょう。
それにしても、透析は正月関係なしですから、つらいとこですね。そこが「一抹の寂しさ」の由縁なのでしょう。
また、いつもと時間帯が違うから特に気になって書かれたんでしょうけど、行きのバスから帰りのバスまでのタイムスケジュールを、全部通しで見せてもらったのは初めてな気がします。いつも断片、断片でしたからね。時間帯は違うけど、順番やそれぞれの所要時間、ここで喫煙所利用など、順を追って書いてもらって、やっと全容を把握できたような気がします。その意味でもこの詩は良かったです。今後の詩を読む上でも役に立ちます。
なので、1回こうやって、通しで書いてくれたのも好感でした。
うむ、しっかり書きましたね。ちょい甘だけど、名作あげましょう。
2点あります。
3連4行目の「文句を言わず」は、その後は文句を言わず、の意か、病院には直接文句を言わず、の意なんでしょうね。詩の上ではその前にさんざん文句言ってますからね。その処理は必要です。
そう言い捨てて3時半に家を出ると決めた
3時半までは待ちくたびれた
待っているうちに1日が終わるじゃないか
さんざん文句を言ったあと
黙って3時半に家を出た
バスで駅前まで15分かけて行った
2連目が、心の声ないし独り言とわかるように書いてくれてますから、その後の3連の1~3行目も、同様のものとわかります。病院に文句言ったわけではないのは、書かずともわかりますから、こんな感じでいいと思います。
もう1箇所は、8連2行目ですね。
僕はライターに火を点けた
それ、爆発燃焼するので、やめましょう。
「ライターの火を点けた」あるいは「タバコに火を点けた」の間違いかと思います。
●おおたにあかりさん「拝啓 コピー機様」
リースでなく、買い取りの機械のようです。壊れるまでとことん使い倒そうという感じで、長い長いおつきあいをしてる友のようです。
力を入れて拭いているところからして、機械の大きさとしては、ふつうに複合機のサイズか、ハーフのサイズくらいあるような感じがしますが、製造中止はもちろんこと、そのサイズで中古価格44,000円は、かなり安い。想像以上に古いものかもしれません。
ああ、なんか、昔よく一人で残業してた時に、コピー機詰まって、深夜のオフィスで一人で直していたのを思い出しますねー それ、コピー機としゃべるのは、周りに誰もいないからなんですよ。残業中かどうかはわかりませんけど、今オフィスに自分一人という状態なのでしょう。そういうオフィス内の図も、ちょっと入れたらいいと思いますね。
おざなりでしかない
危機管理を詫びる
の詩行は、おおたにさん独特のユーモアで、わざと大袈裟な書き方をしてるのでしょうけど、たしかにオフィスに1台しかないプリンターが止まっちゃうと、いろんな業務が止まっちゃいますから、この「危機管理」の言葉もまんざらジョークでもないと言えます。
7連の、
わたしたちは支え合っている
は、この詩における、究極の一言かもしれません。
コピー機って、壊れた時に、壊れた箇所しか見ないからなあ。そんな調子でずっとやっていると、たまにドカンと、しっぺ返しを食らうって教訓ですね。たまにはきちんと隅々までメンテナンスしてあげましょうってことですね。
たぶん心臓部に当たるところが、腐食を始めてるんでしょう。そういう状態のようです。
少しわかりにくいんですが、これ、トナーの付着をずっと放置してると、腐食を始めるってことなんですかね? 「日々の積み重ねのところ」、そこまで書くといいですね。
激しく後悔してる、その理由にもなっているところですから。
ちなみに5連3行目は、
これは罪重ね → これは罪重ねね
とした方が、前の行からの流れがいいと思います。
7連3行目。
オフィスですから当然、複合機だろうと思って読んでますから、「プリント機」って書かなくても、俗称としての「コピー機」で、ここはずっと通せばいいと思います。
終連ですが、
できるかぎりの掃除を終えて
コピー機のフタを閉める
身勝手な人間なのは重々承知
「これからはもっとキチンと掃除するよ」
と誓って
小指でそっと
テストプリントのボタンを押す
こんな感じの方が良くないですか?
場面が変わる時の動作というのは必ず入れた方がいいですね。その方が読んでる方がビジュアルを思い浮かべやすいのです。当たり前の動作と思っても、ちゃんと書いた方が有効な場合がままありますよ。
一人でコピー機と格闘してるところは、誰しも身に覚えがあるところで共感できる着眼ですね。
秀作プラスあげましょう。
●喜太郎さん「タブー」
母親が我が子の子を身籠る、は物凄く極端な事例に思いますよ。
まあ仲が良くなりがちなのは、私も聞いたことあります。ある意味、理性が足りてない人も中にはいるので。
通常、施設やホームでは男女でフロアを分けて、夜は立ち入り禁止にしますね。個々の家庭でのことは、私はちょっと存じ上げません。
語り口としては、上手に書けてると思うんですが、極端な事例だけ置いていくというのは、ちょっと違うかなと思います。もうちょっと範囲の広い話、あるいは体系的な話の中で、その事例も置くというならいいけど、この事例だけ置く書き方だと誤解を招きますね。社会派の詩の書く場合、全体に対する考えを持ちつつ、事例を語るというスタンスが必要です。そういう意味で、もうちょっと考えを深めてほしいです。
これは一歩前にしましょう。
●秋冬さん「或る休日の昼下がり」
読み始めた時は、まさか最後まで続けると思わなかったという意味で、意外性ありました。正直、後半になって、ちょっとしつこいなって気持ちになってきたんですが、エンディングに、これを最後まで続けた理由が待っていました。
つまるところ、真っ正直に書けんところのハニカミのために、すべてはそのための伏線であったかと、納得いきました。
各連初行の反対重ねが邪魔をするので、前から読むと全く気づかないんだけど、逆読みすると、そこに至るまでに、だんだんとムードが高まっていってる様子もわかります。
(それにしても、なんてシシャモが食べたくなる詩なんだろう・・・)
うむ、2度使えない手だけど、これはこれで、いい休日で、いい夫婦の日だったということで、OKにしましょう。
ただ、内容的には小品の域内なので、秀作プラス止まりで。
●荻座利守さん「微かな光芒を頼りに」
「アート・テイタムにはなれなくとも、トミー・フラナガンはトミー・フラナガンになりました。」
と、いう訳の分からない例をいきなり口走ってしまいましたが、昔、アート・テイタムという超絶テクのピアニストがいて、他のJAZZピアニストたちで、「自分はアート・テイタムにはなれない」と絶望した人たちが結構いるのです。でも彼らもそれぞれに、ちゃんとのちにJAZZジャイアンツになりました。
ピアノテクだけがJAZZじゃねーよって話でもありますし、結局のところ、それぞれの道を行くしかないし、それが正解だったという話でもあります。
いささかわかりにくい例で、どうもスミマセン。
加えていうと、美しいものを、まさしく美しいものだとわかるところに、すでに荻座さんの力量の高さがあります。なんていうか、本当に美しいものって、まず外見でもって誰しもが美しいと感じるものの、さらにその奥に真の美しさが隠れています。いや、隠れてはないんだけど、そこまでは、わかる人にしかわからんのです。荻座さん、それが見えているということは、翻って、荻座さんにはそれがわかるだけの力量があるってことです。
だから、光芒は、そんなに微かでもないんじゃないかな。
作品ですが、これは荻座さんの詩の姿勢、詩論の一つとして、受け取っておきます。
詩人さんの中にも、詩集の中に、詩の悩みや詩の姿勢、詩人論みたいなことを書いてる詩を載っけてる人がいるけど、そういう詩って、詩を書いてる仲間内しか読まんネタなのです。楽屋落ち的というか、題材的に、他への広がりがない題材なんです。詩を書いてない人には、まったく興味がない題材なんですよ。そういう詩を平気で載っけてる詩人もいるけど、私は感心してません。
詩人なら当然考えることですから、ごくたまに1作くらいあってもいいと思うけど、積極的に書くような題材ではないですね。詩集の中に、なくていいし、あっても1作までですよ。それ以上は不要。
そもそも詩人が詩を書くのに苦しむのは、当たり前のことじゃないですか。
(て、荻座利守さんのことは、もうすっかり詩人扱いしてますので、ちょっとキビシク)
そういう注意をつけた上で、この詩は7連から始まる3つの比喩と、そこから13連までが見事なので、これ1作に限って、例外的に名作としておきます。「ごくたまに」の1作として。
●じじいじじいさん「冬の温かさ」
わああ、何故これが書ける??? 初々しい感覚ですねえー
ステキな瞬間です。とうの昔に忘れたものを、胸騒ぎのように思い出させてくれます。
女性のほう、よく書けてますよねー 男の方の描き方はちょっと作為的ですけど。
まあ、リアルな話をすれば、男の方にこの度胸があるなら、もっと前からアクションしてるだろうと思われ、いきなりこれができるなら、むしろプレイボーイかの感がありますけど。
それと単に学校帰りということだと、みんな下校してますから、みんなの前でいきなり手はつなげない。シチュエーションとして部活で遅くなって、たまたまその時、その道には二人だけとか。学校帰りでも、最寄り駅まで戻ってきて降りたら、彼と一緒の電車(汽車)だったとか。休日に繁華街をうろうろしてたらバッタリとか。もう1個、シチュエーションの付加がいるように思います。
また、そうしたシチュエーションの付加があれば、男性側が大胆すぎて作為的に見える部分も、他に誰もいなかったからということで辻褄が合うというか、緩和されると思います。
それと、この短い物語のシメとしては、やっぱり叙景なので、終行1行で終わってるところを、3行くらい、しっかりと叙景を書きましょう。
という注文をつけた上で、肝心の部分は書けてるから、秀作にしましょう。
花を食べる
恋を食べる
むしゃむしゃ食べる
もぐもぐ食べる
ごくりと飲み込む
喉を通る
お腹に入る
こなれてそして
栄養になる
それから後のことは知らない
何処へ行ったか、わからない
良いところか
素適な場所か
幸せにしてるならいいよ
花を食べる
まだまだ食べる
虚ろな目をして
ひたすら食べる
それは恋かと尋ねても
答えず口はもぐもぐ動く
これからこの先
どうしていいのか
胸も心もいっぱいなのに
誰かのために生きようとして
唇は動く
明日を探してる
60ワットの電燈
枯れた光の零れ落ちる中
タバコの煙の向こう側に
私を通り過ぎて行った人の顔が、浮かぶ
思い出すこともできなくなった人の顔が、浮かぶ
紫の煙が目に沁みる
行きて帰らぬ想いを
凍えて滑る冬の風に乗せて
遠へ吹き飛ばす
小さな吐息が身を震わせ
存在への不安と懐疑が
私の手を捉える
まわりの空気は
張り詰めたガラス
何処か遠く
コトンと落ちた溜息に震える
そのとき
私の心臓は瑠璃の珠
流れる血は水銀
薄い瑠璃の珠は見る間に
裂けて砕けて、そして散る
硝子の夢は
粉々に砕けた
大事にこの手の中で暖めてきた
小さな硝子の夢は
この手の中で粉々に砕けてしまった
手は傷だらけ
血が赤い
あの時は、あの笑いは、・・・全て幻
みんな忘れてしまった
みんな置いて来てしまった
独り、甘い光の中
硝子の夢は、粉々に砕けて、風の中
そんな瑠璃色の想いの中で
独り呟く
何かおもしろいこと、あるといいね
独歩独吟
でもね・・・
砕けた夢を紡ぎ直すために
何をすべきか分からない
嘗て、時がくれば全て分かると思っていた
でもね・・・
それは嘘
何をなすべきか、分かったら最高
そして、それができたら
相変わらず、暗い穴の中
遠くを見つめる目
遠くが見えない
雪
溶けるといいね
明日こそ
天気になれ
残らない湯
戻らない具
氷らない無
底哀しく
どこや果肉
桃はマイム
言葉が征く
痴がましく
横は妻(ワイフ)
祖母は経管栄養(パイプ)
届かない (voi) ce
解かない hand (s)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
図鑑とにらめっこする医者
人体のこと
雲のうごき
あの世とこの世
座り心地はどうですか
妻と毎晩話し込んでいるその椅子は
電話は毎日掛けますか
耳に残るあの話は焼きまわしですか
ページの合間を縫うように
忙しない往診や
看護師長からの報告や
意味のない会議や
その身体を守り抜くために
図鑑はそのためにあるのでしょう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
甘く儚い部分を削り落とすと
苦みのある部分が
露わになる。
不定形なものとして
人を慰めるものとして
古くから
往来し続けている
風に乗って
声に乗って
やがてどこからか昇ってゆく
柔らかい気配がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
妻は言う。
中心に心があって、それ自体、
心には形があるの、と
それだけで心は存在するし、
それで十分満足なのよ、と
私を慰めるかのように
整頓された衣類は
私の前にちん、と正座している
昔、祖母はこうして
よく私を叱ったものだ
私はいまや
へこたれた祖母を
叱ってやることさえ出来ない
私が抱きしめたものは何だったか
私を抱きしめたものは何だったか
心はあったのかなかったのか
わからないまま
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回は私の「グロタンディーク」を評定して頂き誠にありがとうございました。
前までの詩の形から少し変えてみようとしてみましたが まだ定まっていなかったのに無理してしまいましたね……
アイデアが突然降ってきてもそのまま詩に移さずにゆっくり暖めて考えることを今後の課題にしようと思います
再度になりますが 詩の評定をして頂きありがとうございました。
島様、お忙しいなか、評をいただき有難うございます。
部分部分直していただいたところを見直して、なるほどと納得です!読みやすく伝わりやすくなりました。情景や思いは汲まれつつ。
そうなんです、たぶん気づかれないことの方が多いです。でも昔からつい隠すように書いてしまいます。。
そこに気づいていただき、ご指摘いただき、尊敬と感謝の気持ちです。
少しずつ匂いを濃くという方法を、今年は意識してみようと思います!
甘酒の湯は、夢と現実を少しだけリンクさせたいと思いつけ加えてみたので、プラスに評価していただき良かったです。
靴を履きかえる、たしかに主人はそうしていました!私は靴をあまり持たない&冬はほぼずっとブーツなのでそのことを考慮に入れ忘れました(汗)
まだ初雪を待ちながら、句は兼題となっている「春の雪」を考え中です。。
また宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。
お待たせしてます。
残り6作は、日曜夕方に。
●妻咲邦香さん「レシート」
項垂れてたのは、怒りを堪えていたのかなあー その人、よくプッチン切れんかったなあと、感心する。プッチン切れたら切れたで、今後、店に来づらくなるしなあー 来るのは来れるだろうけど、いつもの買い物が楽しくなくなってしまうしなあー もしそのあたりにそこしか店がないのだとしたら、来ないわけにもいかないだろうから、うっかり喧嘩するわけにもいかん。
あるいは、あまり責めるのも店の人に気の毒かと、相手を気遣ったか???
あるいは体の問題として、一度脳梗塞やってる人は、うっかり血圧上げるわけにもいかんということがある。血圧上がりそうなのを上げんように、ぐっと自分の体調をコントロールしてたかな? 体の問題抱えてる人は、そっちの方が大事で、命に関わるからな。
まあ、一瞬で、そこまで考えが駆け巡ったかどうかわからないけど、冷静な対応したなあと、その人のお人柄に感心する。今後もその店を同じように利用するつもりなら、その対応が一番大人だ。見た目はどうでも、紳士だね。
3連の叙景から4連に入るところもステキで、この詩、1~4連が、すごくいいです。
後半、6連ですが、まあ性善説やなあと思ってしまうところもあるけど・・・。なにしろ世の中には、想像の内にある悪い人と、想像の外にある悪い人(到底想像もつかないような)がいるからなあー そういう意味で、「誰も」とか、「みんな」という言い方に飛躍しなくても、「自分はこう思う」、あるいは皿からこぼれ落ちる人がいるように、「こういう人たちもいる」的なスタンスで書けばいいと思うのだけど。
「自分はこう思う」スタンスで書いても、共感する人は共感してくれるので、「みんな」とか「誰も」という言葉は、無理に引っ張り出さなくてもいいのです。
逆に「誰も」とか「みんな」とか書くことで、当然ながら私は違うという人もいて、語弊が生じてしまうことが、ままありますので。
7連と9連(終連)については、自分として書いていますが、世の中の人はこんなものだというアイロニーにも解釈可能なので、7連と9連についてはアリです。
8連については、レシートのことだけでなく、なにか比喩的に書こうとしてる匂いがする。また、書かれてる詩行からは到底読み取り得ない不可能なことを、作者が勝手に考えてる匂いがするので、8連は敢えて無視します。
ということで、一部を除いて、あらかた良かったし、なにしろ1~4連が凄くいいから、全体の印象としても凄くいい。名作にしときましょう。
●cofumiさん「ひとつづつ、いっぽづつ」
あ、そうだっけ? そんなに若かったんだっけな? ともあれ、この詩は、詩の趣旨に沿って、「大人になる前」の感覚で読ませてもらいます。
何かと引き換えに大人になっていく感覚。この年代だとこの感覚あるかもしれませんね。そういうこと、私も昔、書いてた記憶があります。
ホームポジションがどこにあるかによって、人生観て変わっていきますが、それは一概に、磨かれるほどに良いものとは言い切れず、自分のホームポジションがどこにあるかで、その時その時の重大事が異なるわけだから、「その時に有効な人生観」というものが、存在していいと思うわけです。
これは、そういう意味で、この年代に必要な人生観かもしれないと思える。
この詩はちょっと、雨音さん風のタッチですよね。このカタチでに、よく推敲された形跡が見られます。そこも評価しましょう。
一点言うと、「みっつの哀しみ」を、初連の、
ひとつ何かを知って
ひとつ何かに気づいて
ひとつ涙をこぼす
と、読むには無理があります。そこが引っ掛かったのですが、
見方を変えて、各連のマイナス言葉を拾っていくと、
ひとつ涙をこぼす
失うこと
大人にはなりたくない
と、なるほど3つの哀しみがあります。
私はこれの3つ、という理解で、OKとしておきます。
秀作を。
●褸さん「Face the Music」
小説の書き出しみたいですが、これはこれで読めますね。
「わたしの居場所はここだけ」
そう写真に綴って、
誰も見ないInstagramに投稿した
ここ、モダンで味があっていいと思うし、
11月最後の週をグレーの毛布に絡まって
タバコの煙と、コーヒーの湯気が混ざり合っているのを見ているうちに
ここのアイテムの複合図も、キレイに書きました。
後半、
「死んでもいい」「生きていてもいい」
は、こういう自然体の受けとめ方もあるのかな、と思ったし、
次のフレーズで言ってるのは、「面倒」で物事を決めてはいけないという意かな、と思った。
一つ言いたいことは言えているし、キレイなフレーズもあったので、マルかなと思う。まあ「小説の出だし風」がやや気になるところではありますが。
褸さんは、私は初めてですので、今回感想のみになります。また書いて下さい。
●猫目屋倫理さん「会話」
女の子って何でできてる?
男の子って何でできてる?
のセリフは、ものすごくおもしろいですね。
もう、この問いかけそのものが、理想を追っかけてますもんね。
で、問われた方は、これにツッコミを入れたくなるし、問いかけた方を揶揄したくさえなる。
まずもって、このセリフに着目したこと自体、詩の発見があっていいと思います。
また、冒頭から、
女の子って何でできてる?
で、ダイレクトに始めてることがナイスで、笑えるし、その先を読みたくなって、引き込まれます。よいスタートの切り方でした。
もうこのヒラメキでもって、勝ったみたいな詩なので、あとはソツなくまとめてくれたら良かったんですが、
この詩、ひとつ怪訝なのは、誰と誰が話してるんだ???ってことです。
女の子って何でできてる?
は、男の方が聞くセリフに思える。知らないから聞くわけですよね。
で、それに答えてるんですから、相手は女性です。
つまり、男と女のペアの会話と思って読みます。
1~3連と、6~7連(終連)で、それで理解できます。
問題は4~5連で、
じゃぁ
男の子って何でできてる?
男の子って何でできてる?
馬鹿ねそんなの決まってるじゃない
あんたの理想でできてんのよ
これはどう読んでも、女二人の会話に見えます。
両者はペアが異なる状況なんですが、一緒くたに書いてるとこに違和感があります。
逆に6~7連がなければ、一方は男の方からの問いかけを書き、もう一方は、女性の方からの問いかけを、対峙的に書いている。ということで、それはそれで構成が成り立ったんですよ。
ところが6~7連を付け足したことで、また男と女のペアに戻してしまった。これがいけない。このことで、4~5連が浮いてしまいました。対峙的に置いていた構成を、自分で潰してしまいました。
結論、私は6~7連はいらない案です。欲をいえば、3連の中ももうちょっと整理した方がいい。なんか個人的恨みまで入ってる気がします。
せっかく書いた6~7連については、また別の詩で使って下さい、という感じです。
猫目屋倫理さんは、私は初めてですね。今回感想のみになりますが、概要としては良かったので、マルの作品ではあります。
●江里川 丘砥さん「孤独」
うーーん、トラウマじゃないけど。子供の時や、成長期にツライ経験があると、それがなにかの拍子にひょいと出てきてしまうので、それはそう簡単には抜けないんだよね。それは波のように、時々寄せてくるので、波の間隔が、だんだんとあいてくるのを待つしかないんだよね。
作品ですが、やっぱり個の孤独の話と、人間存在の孤独の話が、テーマ的に少し違う話に思う。少なくとも、この詩において、両者の話は繋げられていない。
3連の「八十億人の孤独」の話は、この詩の中でどこにも繋がらず、浮いているので、やっぱり削除の方がいいと思いますよ。
なので、1~3連は、こんな感じをオススメします。
どうして
人には
孤独があるのでしょうか
楽しさも笑みも
おおい隠してしまう孤独に
どうして陥るのでしょうか
命をやめてしまうほどに
ふかく蝕まれて
で、4連以降は「わたし」の話に深く入っていくので、ある意味「わたし」以外のことには読めない感じの話が続くので、エンディングは序盤の趣旨に基づいて、「わたし」から少し距離を置く感じに終わりましょう。ラスト2連は、
悲しみのなかに漂いながら
けれど
ぼんやりと
ひとすじの星が
流れてゆくのだけが見えた
わたしは
星もまた
孤独なのだと知った
この方がいいかな?と思います。
まあ、世界の人口、八十億人は巻き込みませんが、星だけは巻き込んでおきましょう。という終わり方です。参考にして下さい。
パーツで良かったのは、
雪の夜には
花が咲く季節を思い出せず
雨の降る日には
心ごと雨に打たれるまま
ここの映像を伴う、哀しみ表現。
叫んでもだれからも返事のない虚空に
浮かんだまま
悲しみのなかに漂いながら
ここも、映像を伴う哀しみ表現で、良かったです。
今回の詩はたぶんね、
どうして
人には
孤独があるのでしょうか
これを命題にしていて、「人」にまで話を広げようとしたんだけど、そこまで話を広げることができなかったんだと思う。結局、江里川さん流に、「わたしプラス」で、人への広がりを考える方が良かった感でした。
うむ、ちょっとおまけの秀作プラスで。
●秋さやかさん「きよらかに」
うーーん、いいとこ、てんこ盛りなのに、ちょこちょこと気になるんだよなあー
で、ゴメン、ちょこちょこ直してみました。
かすかな光を
睫毛が絡めとる
カーテンの隙間から
朝のさざめきの予感
いつもより
足裏が火照っているのは
甘酒のとろりとした湯に浸かる
夢を見たから
バスタオルで体を拭く
夢の続きのように
布団を剥ぎ取って
カーテンに手を伸ばす
数秒前から
気づいている
いつもより高い鳥の声に
夜の一切を忘れた空気に
痛みと明るさを分け合ったような
雪の匂いに
静けさを割いて
カーテンをひらけば
そこはもう見知らぬ世界
輪郭すべてが手を繋ぎ
大地の広さを讃えている
白く覆われ
剥き出しになっている
出来たての朝
新しいいのちに
生まれ変わった気分
まるではじめてのことのように
朝のルーチンをこなし
出がけの靴の
靴紐を結び直す
いつもの日常が
また繰り返されるだけなのだとしても
いまはただ
この真っ白な道を
きよらかに突き進んでいきたい
靴も
雪も
汚しながら
それでも前に
この方が良くないですか?
それと、秋さんがやる長い距離の仕掛けは、最初の仕掛けのインパクトが薄いのか、「作者のみ知る」になりがち(たいていの人はそこが仕掛けだったということに気づいていない)なので、その手法よりも、少しずつだんだんと匂いを濃くしていくというカタチを取ったほうがいいと思う。そこのやり方も変えてみてますので、これでちょっと検討してみて下さい。
あらためてこの詩のいいとこですが、
まず初連の繊細さから、もうぐっときますねー
初連でもうこの詩に引き込まれます。
こういう繊細な叙景表現は、秋さんならではのところです。
甘酒の風呂に浸かってる夢も、おもしろい。この詩は、なにより全体の叙景のすばらしさで読む詩なんですが、加えてこの夢のおもしろさは、プラスαの妙味になっています。
また、
輪郭すべてが手を繋ぎ
大地の広さを讃えている
一面の雪を、この角度で捉えた表現も初めて見ました。良かったです。
そして後ろから3連目、
雪の日の真新しく見える風景に感化され、繰りかえす日常も、新しい気持ちでのぞもうとする作者の前向きがステキです。ぐっと情感が増し、いいクライマックスになりました。
うむ、秀作プラスを。
余談ですが、私は雪の日は、いつもの靴でなく、靴を履き替えますよ。靴裏のゴムがまっ平らなものは滑りやすいので、凹凸が多いものに。
●成城すそさん「グロタンディーク」
割り切れない気持ちを、何かに喩えてみようとしたところは、思考回路としてまず良しですね。ただ、大事なことは、まさにそのことを忘れないで書くことです。肝心なのは、割り切れない気持ちの方だということです。
この詩は、グロタンディーク素数ってアイデアが浮かんだ途端に、そっちの方にずいぶんと振られてしまいましたねー。
後ろの3連、「割り切れない心は」という言葉だけは置いてあるものの、情感は薄く、アイデアの方に踊らされてしまった感が強いです。
一方、この詩の前の4連はきちんと書けていて、とても良いので、もうちょっと続けて欲しかったですね。でもって、そこから、グロタンディーク素数の話に移る、話の転換点になる部分を作って、そのステップを経てから、後ろ3連に移ると、全体がいいバランスになったんじゃないかなと思います。
まあ、いいアイデアが浮かんだなあーと思っても、そこで走らないことですよ。走ると失敗します。アイデアを携えながらも、じっくりと攻めることです。
私は逆に、この詩の前4連を見て、安心しました。この前4連が書けてるなら、いい詩が書けるようになりますよ。焦らず、取り組んで下さい。
成城さんは、私は初めてですので、今回は感想のみになります。
りんご飴を落としてしまい
君の目がただ、ただ泳いでいた
僕は、遠くから君の狼狽する姿を見てた
境内は今夜、電気を使わずとも
ネオンじみているな
不夜城を名乗るには
見回りの教員が多すぎた
すいかが割れる音
蝉が落ちていく音
どちらの音を
君は今
聴いているんだろう?
君は風鈴の音に
耳を傾けるような
嘘つきとは
違う
だから
いまだに
僕は
夏服で
汗ばんだ
サクスフォーンの音を懐かしむ
あたりもしないくじ引き屋の前で
君とすれちがう
君は
嬉しそうに
りんご飴を舐めていた