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御批評ありがとうございます。大変お久しぶりでの投稿で恐縮です。
恥ずかしいものにならないよう推敲はしたのですが、詩中のセリフの表現(「」を使用するか等の文章作法的な部分)や改行部など、比較的に語彙は平易な詩として書いたのですが仕上げるのに少し時間がかかった作品になりました。
一点どうしても煮えきれないまま出してしまった箇所があります。
「丘の上で風が吹いたのは きっとその時なのだろう」以下の二行は当初ありませんでした。
ハッキリと「姿は 見えなくなった」と表記するよりは、仄めかすよう「キミ」が消えたことを示したほうがよかったのか?
しかしそれだとまた次の独立した一行(それも比重の大きな)へと続くので均衡が崩れてしまうのではないか?
恐らくは後者が正解だったのでしょう。もし「丘の上で風が吹いたのは」を独立させるなら更に全体的な構成の変更が求められると思います。
では「吹かれた風に……」如何二行を変えれば……。
と、収集がつかなくなる程度にまだ手直しができるのでは無いか?という気持ちが湧いて収まらない一作でした。それは私個人での問題でしょう。
改めまして、御批評下さったことに感謝申し上げます。以後も恥ずかしくないものを投稿出来るよう精進致します。ありがとうございました。
この度は私の詩の「心の脱分化」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
秀作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
今回の詩では、読み手の受け取り方への配慮が足りなかったようです。
今後はその点も考慮して、書いてゆきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。
僕は母親でもなく、娘もおりませんが、泣きじゃくる女の子と座り込んで目線を合わせてじっと待つ若いお母さんを目にしたことから想像して書いてみました。
アドバイスを頂けると大変勉強になります。頂いた例を参考にして、再考したいと思います。
引き続き、よろしくお願いします。
いつも温かな言葉を頂き、ありがとうございます。
最近『その本は』(ヨシタケシンスケ、又吉直樹)というベストセラーを読みました。じんわり、クスクスと面白かったです。
本をめぐるお話しは、人それぞれにあるのだと思います。大切な本は、年齢を重ねて読むとまた感じ方が違うので不思議です。
引き続き、よろしくお願いします。
残り8作は、明日の夜に。
●エイジさん「星物語」
うーーん、3つあります。
・「第一人者」と「第一発見者」は違う。
・「ある地球の偉い人が」と現在形で言ってしまうと、少女が第一発見者にならない。「昔」とか「星になる前に」とか、今の姿でない過去に言われたことという条件を、そこはつけて書かないといけない。
・このラストは、終わってる感じがしない。示唆が見えない。示唆を出さないのだったら、いっそ、
彼女は「ふーーん」と言って、また星物語を読み始めた
と、肩すかしする方が、少女らしい無邪気さが出る。
現状はちょっと半端なものに思う。
1~2連の設定は悪くなかったけど、もうちょっとお話自体を練りましょう。
おまけ秀作で。
●荻座利守さん「心の脱分化」
初連がちょっと唐突なので、初連の前に、こんな感じの2連を入れてはどうですか?
知っているだろうか
イモリは特別な再生能力を持っている
最初の発見はかれこれ二五〇年前のこと
よく「トカゲのしっぽ切り」というが
これはしっぽに限った話ではない
手足や脳や網膜、心臓の一部まで
体のさまざまな部分を失っても
イモリは完璧に再生することができるのだ
これは組織を構成していた骨や肉や神経が
必要な時その役目から脱分化し
元の未成熟な未分化細胞に戻り
そこから欠けているものへと変化し
生成し直す特殊能力なのだ
私ならここから始めるけどね。
文体が違うから、これを叩き台にして、
自分の詩に合うようにアレンジして下さい。
初連の前につける2連という位置づけです。
また、
人間はイモリのように
体は再生できないけれど
心は再生できないのだろうか
要するに、「イモリ→人間」「体→心」に話は移動するので、こういう一文をプロセスに挟んでもいいと思います。
これらを含めて、もちょっと壮大な話の構成にしてもいいと思います。
一個注意は、現状はいきなり自分(私の心)が出てきますが、もしこれと繋ぐとすると、まず人間全体の話をしてから→自分の話へと、落とし込む必要があります。話の順番として。
ちょっとそういう構想で作り直されてみては、どうでしょうかね。現状の詩は、私にはなんとなく詩の中盤~後半だけがある(前の方がない)って感じに読めるんです。そのポジションにおいては、思考深く書かれていて良いです。また、心の再生については個人的・感情的に、強く思うところもあるようです。
今回ちょっと、秀作にとどめておきます。
●秋冬さん「抱きしめる」
いい詩だねえーー
出だしからすばらしいね。
この言葉の繰り返し、小さな子は言う言うと思った。場面がものすごく浮かんだ。
子供を描くに、このひとことをチョイスしたのがすばらしいと思った。
そして、
上手く
説明することは
大事だけど
上手く
説明できないことは
恥ずかしいことではない
は、名言ですね。
今の小学生は総じて、説明をきちんとできる子が多いので驚く。テレビカメラの前でも堂々としてるし。私が小学生の頃って、人から誤解を受けても、いやそうじゃないんだと、説明することがほとんでできなかった気がする。勇気とかいう以前に、説明下手で、すぐに言葉が出て来なかった気がする。でもそれって、損はするけど、人間的に恥ずかしいとかいう話ではない気がする。どっちかというと、生きていく要領の悪さみたいな類いのものだったかもしれません。
この詩行は端的な書き方だけど、的を射てますし、作者の強いポリシーを感じる言葉でもあります。
泣いた理由なんて
なに一つ覚えていないのに
母に抱きしめられたことは
今でも覚えている
この連も泣かせますなあー
泣きじゃっくりしてるところも、幼子らしい様子が浮かぶ。
名作を。
1点だけあります。
終連終行の
だけなのかもしれない
ですが、詩の途中であれば、こういう詩行の置き方(その前の行まで全く気配を見せずにしておいて、逆転する繋ぎ方)でOKなんですが、ラストは、これでは締まらない気がする。ラストに置く間合いのものじゃないというか。
わたしも娘も
母に
ただ抱きしめて欲しかった
だけなのかもしれない
わたしも娘も
ただ母に
抱きしめて欲しかった
それだけなのかもしれない
わたしも娘も
母に抱きしめて欲しかった
それで充分な
ものだったのかもしれない
このいずれかでどうですかね??? いずれも前フリが入って、おさめてるものです。
●さくたともみさん「夜の窓辺」
うむ、良いと思います。
まず、初連がステキな表現で、惹かれます。
2連の、
孤独な車が遠くを走り去った
も、深夜らしい臨場感を掻き立てますね。
続いて、虫、星、月明かり、雲のラインナップがあり、3連、
密やかに運ばれてくる友人たちは
みんな寂しがりやのおせっかい
それらを「友人」と呼ぶ、作者の孤独なハートがステキです。
そして終連では、孤独なもの同士、互いに交流を深めているようです。
さくたともみさんは、私は初めてなので、今回は感想のみですが、この詩はマルだと思いますよ。
細かいとこ、少しだけいうと、
「星ら」 → 「星たち」に
「深い寂しさが見えない根っこで繋がっている」は、
「深い寂しさが」のあとに読点「、」を入れた方がいいですね。切れ目を間違えて読まれると訳分からなくなる1行ですので、そこで区切っておきましょう。
●秋庭燈火さん「中秋葬歌」
なにより良いのは、月を見上げるワンシーンに集中して、これを書き上げてる点です。このワンシーンに、実にいろいろな想いを交錯させていて、おもしろいです。
おろしたての靴の中でそっと指を折る
の繊細描写は、なんだろうと思ったけど、靴擦れしてたんですね。
また、
揺れるその手を握ろうか迷う
手を伸ばして、やっぱりやめた
宙ぶらりんになった手で月を指さした
という、複雑にごまかした所作や、
来年も、とあなたは言わない
だから私も言わないの
というビミョーな駆け引きしてるのも、おもしろいです。
ワンシーンに集中してるから、こういう掘り下げたものも、出てくるんだと思う。
うむ、良いね。秋庭燈火さんは私は初めてなので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルだと思います。
1点いうと、
息絶えた蝉がどこかで墜落した
この行の「墜落した」はやめたほうがいいですね。
というのも、当然ながら蝉は通常夜に鳴かないし、この蝉が夜鳴いているのは、鳴き方から想像するに、おそらく寿命が尽きる断末魔だからで、すでに地面の上をくるくる回っていそうだ。まあ例外はゼロではないけれど、そう考えた方が自然な場面なので、そのイメージに沿って、すでに地面にいると考え、この段階で木から落とさないほうがいいですね。
●暗沢さん「丘の上で風が吹いた」
初見ではちょっと読み取りにくいものがあるのだけど、二度三度と読み込むと味が出てきます。全体が暗喩に満ちていて、おもしろいと思う。
「宮殿」と喩えたものが、はたして何だったのか、具体的に特定はされてないけれど、例えば、青年期に大言壮語した友の、大志と挫折が描かれているのだと思えば、この詩は見事に当てはまってくる。そういえば、私の知人にも起業したものの、うまくいかなかったようで、負債から逃れるためなのか、行方不明になってる知人がいる。そういうイメージで読むと、ピッタリなのかもしれない。
また、その行方不明の状態を、
ところできみはかくれんぼが実に上手かった!
と喩えたのも、ウイットがきいていて、良いと思う。
一見、雑に見えるのだけど、読み込むとちゃんと味がある、いい詩です。
秀作を。
●cofumiさん「濡れたサドル」
まず、部分の表現として、
見えない時間は
墨汁で一杯の海
この表現はおもしろいですね。全体との脈絡では私はちょっと浮いてる気がするけど、断片の表現としては評価します。
うーーん、私には、私が懸念していたことが、cofumiさんに起こってる気がするけどな。元となる文章が崩れてるんだけど、短くちぎって書いてるから、自分でその間違いに気付いていない。
個々の形容や比喩には妙味があっていいんですけど、それらは全て、土台となる数行のセンテンスの上に乗っているものなんです。
この詩は土台がおかしい。
2連、3連は挿入部なので、これを除外して、
「濡れたサドル」
君がお気に入りの傘は
私の腕の中で
二時間待ち続けている
君がお気に入りの傘は
君の姿を確認できるまで
待ち続けるだろう
君が 違う貝殻を 見つけて
雨宿り していても
この詩はこれが土台なんですけど、作者がこれに違和感を感じていないところが問題なんです。私はこれが成立しているような気がしないんです。
以下、このタイトルとこの3連において述べますが、
まず初連。「待つ」って意味合いは広義に捉えれば、まあいろいろなケースがあるだろうといえばあるんですが、通常は、じっとしている方が「待つ」で、動いてる方に「待つ」は使わない。この初連の主語・述語、「傘は/待ち続けている」おいても同様で、詩的イメージとしては、その場でじっとしている方が「待っている」イメージのものなんですよ。そもそも動いてる側に「待つ」を使うのは、かなり特殊なケースです。
したがって、これは動いてる人間側(作者)が持ってるのではなく、自転車置き場の自転車が持ってるのかな、ということになるんです。よく傘を自転車に差してる人いますよね。そのイメージで読むことになります。
もしそうでないなら、作者が伝えるべき表現をどこかで間違えてるということです。
敢えて「待つ」を逆の方に使うことは不可能ではありませんが、その場合は、自分が敢えて逆に使ってるんだという意識をまず持つことです。それで、その代わり他のもので、逆がわかるようにカバーしとこうというフォローの考えを持つことです。すなわち、この場合においては、周りの言葉は略してはいけない。周りの言葉がフォローになるからです。「逆を行く」+「フォローもしない」では、読み手に伝わるわけがないという感じです。
あのーー、省略技法を早くから使うと、ホントは土台が乱れてるのに、それを曖昧にしてしまう。自分で土台の乱れに気付かない。私の危惧がまさに出てると思いますよ。
要するに、元の文章をちゃんと書いて、そこから略していったとしたら、絶対こういう略し方にはならないということです。断片しか書かないから、元の文の乱れに自分で気付けてないんですよ。
比喩のセンスがいいのは認めますが、この状態だと部分で光る比喩にしかならない。全体に機能して、全体を光らせるような比喩にならないです。
ベースになる文を、まずきちんと作ることを心がけて欲しいです。
一歩前です。
●埼玉のさっちゃんさん「自身とは」
まず、言いたいことは伝わるという点で、基本線はOKなんだけど、1つ知っててほしいのは、思考のみで詩にするのは、なかなか難しいことだということ。
それなりの年齢で、知識と経験を重ねた人の含蓄。あるいは日頃から深い思考を重ねてる博識な人など、思考だけで詩を書こうとすると、それなりの資質を持ってる人でないと、なかなか書けんものなのです。正直言って、私も思考だけの詩は書けません。それだけでは持ちません。
埼玉のさっちゃんさんの思考にも、
小さな悩みでも
考え出したらきりがない
自分ががんじがらめになってしまうから
この3行など、優れたところがあるのですが、どっこい、これだけでは持ちません。じゃ、どうするかってことなんですけど、内的思考だけで詩を終わらせないことです。そこもあっていいんですけど、それだけで詩を終わりにしないことです。
例えば、この詩おいても、最初と最後で「風」を書いてるんですけど、ものすごくおざなりです。ついで、です。真剣に「風」を書いていない。そこがダメなんです。周辺となる部分もしっかり書かないと。「風」と「自分」とが、どういう状態にあるのか、短い物語になるぐらいに書いてご覧なさい。私も含め、資質のない人間はそこが大事なんです。そういうとこも含め、全体バランスで読ませるようにしないと。
違う観点からいうと、結論だけ書いちゃダメってことですね。「迷い」を書く時は、迷う様を描くことこそが大事です。また、内的つぶやきを、外的行動で表現するのもアリです。
というところで考え直してみて下さい。
それと、自分の詩を磨くためにも、ほかの人の詩やMY DEARのHPなども読んでみて下さい。ほかの人の詩を読んだら、自分の詩がなくなってしまう、なんてことは絶対ありませんので。むしろ反発する形で、自分の詩がくっきり浮かび上がってくるというさえ、ままありますから。
半歩前です。
この度は私の詩の「夕暮れ空に想う」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
佳作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
「カリヨン」という楽器につきましては、勉強不足で知りませんでした。
この詩のもとになった鐘の音は、普通に夕方の町中に流れる「ゆうやけこやけ」のメロディーで、特別なものではありません。
実際のカリヨンの演奏も、いつか聴いてみたいと思います。きっと美しい音色なのでしょう。
今後とも宜しくお願い致します。
お先に失礼致します。
1 詩詠犬さん 「そら豆」 9/23
久しぶりのかたです。そら豆から空を連想するのは比較的自然な事かもしれません。「上に向かって」「匂い」などが、この詩の契機になっているのがわかります。興味深いという意味で、面白いのは、不幸な事例ながら、この詩を「死」という方向性に持って行っている事でしょうか。そのサンプルが「空には死んじゃったいきもののおもいがあるそうな」です。地味ながら、この詩の構成は非常に明快かつタイトです。各連に役割を振り分け順に手続きを踏んで詩世界を広げていく。
1連……タイトルから読み手視線を空に導く
2連……「空≒死の匂い」
3連……結論としての自己の生死への比喩的立場や表明。
平易で素朴な雰囲気ですが、考え方がなかなか個性的です。児童詩寄りに読んでもいいかもしれない。
さて以前は結構評価を書いていたんですが、今回久しぶりなので、佳作二歩前から再開したいと思います。
2 妻咲邦香さん 「独走」 9/23
動物―敢えて“けだもの”と言います―は、餌を得、排泄し、生殖する、その為だけに生きると、この場合仮定します。高貴であるはずの人間も、自分を含めて「食」について、まかり間違えば、けだもの達と紙一重なのではないか?そんな主旨を受け取りました。「走っている、はしたない、浅ましく、意地汚く、おぞましい、泣きながら、悔やみながら、喰らう、食い散らかす、逃げる」―こういった語群が、いやがうえにも煽っています。それを取り囲む形容詞的、副詞的役割を果たす詩行群が、とびきり良いです。ムード高まり、詩的に高め、“かっこいい裏メロ”といったところ。まさに「妻咲節、妻咲飛翔COME BACK!」といったところ。こうこなくっちゃウソでしょ。実にいい。飛んでる割に含意や主旨はちゃんと掴める。こうこなくっちゃウソでしょ。
はい、褒めちぎった後で、指摘も書きます。終連です。全体これだけ気高く陰惨に寓意を書いて来て、終わり4行のみ突然世俗を具体を書いてしまう。安っぽいエンド。何でこうなるかなあ?全体のトーンを守って欲しかった。着地はちょっと危ない不時着か?あと、この詩のフィーリングだと「私」ではなく、圧倒的に「俺」でしょうね。惜しいこと、この上無し。本来佳作なのに、あ~泣く泣く佳作一歩前を。
3 荻座利守さん 「夕暮れ空に想う」 9/25
初連についてはアフターアワーズで後述します。とにかく鐘の音。荻座さん独特の、多少込み入った(?)思考ではありますが、安心してください。大意は充分掴めるものです。まずは鐘の音、その無形からくる実態が理工学的要素も含みながら詩上豊かに思考されます。イマジネーションの世界です。それに感応しながら荻座さんは自己の意識を思い、その発信基地である「魂」にまで行き着きます。やがて音と意識(魂)は同質であると説く。すなわち実体はないが、それは「波であり無我であり不生不滅にして不来不去である」―中ほどの「実体を持たぬ~」の連がこの詩の屋根であり骨子と思われます。而して両者の行き着く場所は郷愁である、という。最後は情景と共に詩は終わります。詩中、論理と心情が充分展開され、思考の塊としての結論を得ていると思います。佳作を。
アフターアワーズ。
どうでもいいことなんですが、「鐘の音」が詩中、けっこう関わってくるので、「それなり」と思い書いてみます。一般人の言う鐘、あるいは単純物質としての鐘自体、音程ましてや連続的な旋律を奏でるのはけっこう難しいことで、この詩では市内や町内で流れているような感じですが、鐘の音のように加工処理された旋律が拡声器で流されていたのでしょうか。ハンドベルという音程手段はありますが、人数が必要だし野外で流せるような代物ではありません。余談ですが、教会音楽の発達した欧米では「カリヨン」という鐘を鍵盤とミックスさせて鳴らす大楽器(あるいは建物?)があります。日本では殆ど無いと思っていたら、調べたらけっこうあるんですね、これが…。ただし、そんじょそこらにあるものとは違う。この初連はそういった個別性のあるものでしょうか?
4 エイジさん 「コーヒー一杯」 9/25
前回の「黄昏」を帰宅篇とするならば、今回は出勤篇といったところ。お疲れさまです。
はい、出勤前に、こういう人、意外にいそうです。この詩の流れとして、入り口としての、一般論的な詩行(1~2連)。3連から個別に入るその手際を今回見ておきましょう。感覚的に書くと……。
〇 1~2連 「あ、そう…」 (まずは軽く読み始める感じ)
〇 3連以降 「ん?ふむ ふむ ふぅむ」。 (立ち止まって入って来る感じ) そんな感じ。
“それ以降”を僕はおもしろく読みました。おそらく多くの人がそうでしょう。風景叙述はどこにもないけれど、それでいて風景を感じさせる書き方があるし、読み手各人なりの想像もできそうです。
寛ぎと忙しなさの同居も感じる“あの時間” その匂わせ方も良かったです。個人的趣味を言わせてもらうと、いい感じで流れて来て「ごちそうさまでした―っ」は、ちょと世俗に傾いちゃった気はするのですよ。全て語りでもいいかも?無くてもいいかも? ないしはあくまで語りで―、
戸口にそっと置く
無言ながらも 微笑を……(ちょっとキザか?) 佳作です。
アフターアワーズ。
以前にもちょっと書いたのですが、詩のテーマやアクセサリー物質としての飲み物・食べ物は、まだけっこう開拓の余地あり、(と全くの私論として)思う今日この頃です。ここでの具体名「エスプレッソ、モカ」導入も、そんな文脈でおもしろかったです。この詩はコーヒーという物質を酒との比較において考える契機になりそうです。どちらもJAZZのアクセサリー。僕はどちらも好きですが、ごめんなさい、コーヒーは砂糖ないと飲めません、です。
5 じじいじじいさん 「あきのけはい」 9/25
上げ足を取るようで申し訳ないんですが、「さびしいかおでしたをむいた」「さびしそうにいえにかえった」という下向きのトーンで始まり、最後に「あきがくるのをたのしみにしている」。このトーンの違いをどう捉えるかなんです。詩に限らず、一文であるならば、論理、心情、テーマは揃えられるべきでしょう。推敲段階でチェックしましょう。この詩は子ども用としてはなかなかよくできているのですが、けっこう子どもは素直に「なんでこうなるの?」とおかあさんに尋ねるかもしれません。おかあさん、返答に困る……そんな感じ。もしこれで繋いでいくならば、気持ちとしての「↓」から「↑」への心情変化を書かねばならない。そうなるとややこしい。やっぱりこれは冒頭か最終か、どちらかに合わせるしかなさそうです。後半を読むと「用意」とか次に来るものを思っている風情なので、最終に合わせると想定します。すると初連・2連の後半行を差し替える必要があるということです。“次に備える”的な行動描写でしょう。 おっと、「ひまわり・アリ」といった夏的なものを初秋的なものに交換する手がありましたね。タイトルや大勢には影響ないでしょう。 これは佳作一歩半前で。
6 晶子さん 「思春期の娘」 9/25
「思春期」を調べますと「8歳~18歳」とあります。(僕は8歳はチト早すぎるように思うんですが)、
この詩は、そんな娘さんを母親の視点で語ったというところに妙味がありそうです。
私が初めて孤独ではなくなった日は覚えている (「憶えている」のほうがいい?)
あなたがお腹に来た日だ
ここ、響きますよねえ。 もうひとつ―。
近頃は淋しさも増えてきたね
ここですがねえ、非常な含蓄力を持って詩に幅を与えているし、読み手へのイメージ発信力がある。ここは母・娘両者に関わるでしょう。孤独がひとつのキーワードですが、孤独とは自我の育ちと共に初めて出会う心情か?そんなことを思わせる詩の表情であります。喜びとほろ苦さを、本稿2行目に書いたような雰囲気が伝えていきます。そういう意味では母親の心情詩でもあるわけです。
終行には、かけがえのない存在への愛情、その確かな確認を感じました。詩行並びも一風変わったものを加味しています。 佳作を。
アフターアワーズ。
真面目な話として書くと、この時期の女性は初潮というひとつの課題を通過します。このあたり、男性の思春期とは大分違う。これにより女性の中で独特の自我や世界観が育まれる、そんな気さえします。女性の親子関係が男性のそれより、より友達感覚に近いのは、そんなことも影響しているかもしれません。
7 小林大鬼さん 「この道」 9/26
この詩は、単に技術論上で評すると、ちょっと困っちゃうくらいシンプルなものですが、普段の大鬼さんの作品風韻からすると、上記した方面を離れて書いた、そんな気がしています。シンプルなだけに、ここに提出されたテーマは自己はもちろん、全てをーこの世の森羅万象を―包むことができる。
今、僕が考えていたのは、たとえば、この社会、この国の事です。分断、格差、災害。政治・経済もあんまり良い材料がない。ことによると、この国はゆっくりと衰退に向かうのかもしれない。それでも道はつけていかなければならない。そんな思いで、この詩を味わったのです。特に後半連にそれを感じました。これは評価はパスさせてください。
8 朝霧綾めさん 「てんとう虫の子ども」 9/26
既存作で割と場的、ストーリー的要素が散見されましたが、今回はその推進型か?
詩における夢とはけっこう便利なもので、何でも書けてしまう。後は話をどう成立させ流していくか? だと思います。まずまず、なかなか巡行していると思います。夢であれ、ファンタジーであれ、そのエリア内でストーリーや論理性は確個としたものでなければならないと僕は思っているのですが、これはその理にかなっています。一か所、ヘンな文章がありますね。終わりから3連前「その子は私にお母さんのように甘えた」。これだと「お母さんが甘えた」風の文章です。言葉不足。おそらく“自分でわかっててうっかり書いちゃった症候群”と思われます。
読み手も何を言いたかったかわかるので、よけい目立ちます。推敲段階でクリアーしましょう。
私がお母さんであるかのように甘えた
お母さんにするように甘えた
私をお母さんと思ったのか 甘えた
まるで
お母さんに接するように甘えた
など、でしょうね。多少説明的になりますが、ここまで書いて意味上、構文上、正常になります。
終連は(なるほど、そういう事か)的な、オチ的なさまが微笑ましいです。そういえば、文脈、雰囲気は淡々とした中に、慈しみや愛情が感じられて、最終連に収束する感じがありますね。佳作半歩前で。
9 もりた りのさん 「炎」 9/26
こういったタイプ・構成の詩は、自詩作、評共に、あまり得意ではないんですが、焦点を絞り込んで、箇条書きにしたいと思います。
① 「わたし」の多用にあって、冒頭と最終のみ「あなた」とし、全く同じフレーズである。
② 炎に対して標準的に使われる動詞が多い中にあって、ユニークなものがある。すなわちー
「廻す」「飛ばす」「崩す」「尽くす」「失くす」「返す」―これらは作者の濃厚な感覚、詩的意図と捉え、考えてみる。
ざっとこういったところです。 ①は僕が「回帰型」「循環型」と勝手に言っているもので、総括したい時や読み手に強く印象付けたい時に有利と思われます。僕もたまにやります。やり過ぎると逆につまらなくなるし、“手の内見られる”可能性大でしょうか。
さて、②が難しい。どれも平文では炎にくっつきにくい動詞です。ただ、ここで見ておきたいのは、
「炎の自然的能動的動作」ではなく、作者の「受動的感性の結果」である点です。何故その言葉を選んだかは作者のみぞ知るですが、そこにこそ、この詩の「詩」があるように思えるし、作者の創造、努力があるように思えるし、そこにこそ読み手はより感応することができるでしょう。
番外的に書くと、ほぼ定型とリフレイン性は、わずかに楽曲詞を思い起こさせます。この詩は、もりたさんの真価というよりは、むしろコレクション上のバリエーション的位置づけだと思います。佳作一歩前で。
アフターアワーズ。
「FIRE AND WATER」。モチーフとしての割合は、火VS水=4:6。あるいは3:7?
大昔にも書いたんですが、これは僕の勝手な思い込みです。どうも水のほうが書きやすいのかもしれない。今回、「火=炎」への密儀参入を手を打って迎えたいと思います。
10 秋冬さん 「本を読む」 9/26
現実の居場所、その風景。誰もが知ってる共感印。後半からの幻想とうつつとの境界。なかなか興味深く読ませます。
3連の雑踏の中の独り。この書き方は気持ちも入って粋でかっこいいですね。4連、愛読書とは正にその通り、至言です。この詩行ほどに現実離れする事態はないんですが、そういったニュアンス、要素は誰しも一回や二回意外と体験します。たとえば(本に夢中で、ヤバイ!乗り過ごした!)みたいな。この詩はそういったエッセンスを詩的に拡張表現してみせた、そこに妙味がありそうです。それを象徴するような終連はオチ的でもあり秀逸でもあります。この詩は変則ながら、その本への愛情作かもしれない。こういう一冊を得たことは幸福のひとつと言っていいでしょう。今回は意図的にフレーズ短めにセットした気配があります。少し感想の方向性を変えると、これ、朗読すると案外いいかもしれない。伝わりやすい詩だし、リズム的には短いですが、節度があって、ハキハキ響きそう。「この本って何?どんな本?」とは聞きますまい。そのほうが粋でかっこいいでしょ? 甘め佳作を。
評のおわりに。
政治的思惑抜きに書くと、国葬での菅元総理の悼辞(ちょと長かったけれど)、友人という立場で
なかなか沁みるものがありました。安倍さんが読んでいたという「山県有朋」の本(同郷だからか?)は、
ちょっと引っ掛かるけど、らしいと言えば、らしかった、か?
三遊亭円楽さん、アントニオ猪木さん、お亡くなりです。それぞれの世界での第一人者。
どうぞ、安らかに。 では、また。
今更(偉い人になろう)なんて思わない。
だってなれないんだから。
だから
そのまんまの僕で生きる。
カッコつけても
2枚目になんかなれない。
カッコつけて
2枚目の芝居して
その芝居がバレた時が怖い。
僕のまんまの僕を生き
それでダメだったら仕方ない。
でも それが僕。
嘘はつきたくたい。
言い訳もしたくない。
だって凄く疲れるもん‼︎
だから僕は僕のまんま生きる‼︎
生きて生きて生きる‼︎
たとえ人様から
何と言われても
死ぬ迄は生きる‼︎
肩肘張らずに
僕のまんまでね…
なにかに向かっていなければ
気が狂ってしまいそうで
無理矢理にでもなにかを目指し
どうにか苦痛をまぎらわせている
そうして進み続けることで
正気を保ち
生き永らえている
私は
もし立ち止まったなら きっと死んでしまうから
苦痛に耐えきれなくなって きっと死んでしまうから
今日も 明日も 明後日も
なにかに向かい
進んでいく
今
私の目の前には
ただ
それだけがある
夕暮れの
翳りから
ひぐらしが鳴き出して
やさしく
やさしく
じゆうな時間の
おしまいを告げていた
ほんとうはまだ
遊んでいたかったけれど
縁側にばら撒いた
おはじきをたぐり寄せる
指先にふれる
ひやりとしたざらつきが
記憶の果てで
懐かしかったのは
おはじきのなかに
海の欠片が
閉じ込められていたから
朝日に光る黄色いさざなみ
よく晴れた午後の青いさざなみ
夕日を映す赤いさざなみが
寄せては返す
ひぐらしの声と重なって
両手から
溢れそうなおはじきを
ひとつづつ
からっぽのジャム瓶のなかへ
こぼしていく
たのしい
くやしい
さみしい
おはじきの色の数だけ
生まれていた感情
カチカチと
ぶつかりあえば
波立って 混じりあって
またちがう色
いつか
大きな両手で
たやすく隠せるようになっても
いつか
見たこともない色の
感情を覚えても
ジャム瓶のなかに
大切にしまった
このおはじきを
失くさずにいられるだろうか