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✱"そこを通って"を期待、橋蔵さまの芸域✱ #2018.2.1
今現在も皆既月食をずっーと見ています。今回はスーパームーンとブルームーンと皆既月食が重なっためずらしいもの。この寒い夜空を3時間20分程見てはいられませんので、うれしいですね、ネットのライブ映像中継なら仕事をしながらみていられますから。
1957年は橋蔵さまの記事が沢山ありました。映画界デビューして2年目になり、人気度も大変なものですからあらゆる面から注目度が高くなっています。
「はやぶさ奉行」頃かしら・・・
後援会誌に「大川橋蔵さんの印象」という特別投稿文がありました。私がちょっと気をそそられましたところを抽出してみました。(私なりの解釈と文章で掲載しましたが、ニュアンスは分かっていただけるのでは、と思います)
初めて会ったのは橋蔵さまが仙台へご挨拶の帰りで、橋蔵さまの初々しさにびっくりした、とおっしゃっています。おとなしく厭味がなく、洋服姿の橋蔵さまは純情なサラリーマンという感じだった、と。
橋蔵さまの初々しさに、人気のもとがあるのではないだろうか・・・そう言えば、ひばりさんにも大スターに似合わない初々しさと甘さがあると。
その理由は純粋さではないかと思う。橋蔵さまの人気の大きな原因はこの純粋さではないだろうか。颯爽とした演技の中に、哀愁もある。
橋蔵さまの「若さまもの」「振袖もの」は今盛んなときだが、無限に続くものではない。やがて、橋蔵さまにも転機が来そうな気がする。
そのうち、橋蔵さまにファンは「しぶさ」「骨っぽさ」を要求するかも知れない。
その時、どういう発展をみせるのかが楽しみだ、とおっしゃっています。
「ここ過ぎて官能の愉悦の園に・・」という北原白秋の詩の一節があります。✎(内容を把握するには、一節だけではちょっと難しいですね)
そこを通って、橋蔵さまはやがて長谷川一夫さんの系列の芸域にせまるのではないだろうか、と。
ある脚本家と盛んに演技論を交わしている橋蔵さまにあったそうです。
「橋蔵さまは勉強しているな」と思ったそうです。
✎(芸道に満足というものはないですね。どこまでも続く道、試練の道です。一作一作が真剣勝負ですものね)
ひばりさんとのコンビは現在ぜったいである。感情移入の見事なひばりさんと橋蔵さまの甘美な品格のある演技は当分の間ファンを堪能させてくれるに違いない、と締めくくってあります。
✎(しかし、このあと、身辺に様々な事があり、お二人主演としての作品は「花笠若衆」が最後に、その後はオールスターや準オールスターでの共演というように)
✱ 四方山話です・・橋蔵さまへの採点は?✱ #2018.1.26
◆お宿での橋蔵さまは満点ですよ◆
1957年の「ふたり大名」の作品が封切られた頃の雑誌からのお話です。
橋蔵さまの表からの魅力は沢山吸収しているファンに、橋蔵さまの裏から探る素顔を是非お見せしたいということで、当時宿泊旅館の女中さんと、同じ宿にいた堺駿二さんが入っての楽しい橋蔵さまに関しての内緒話とまいりましょう。
✎(と言っても、このように記事にしているのですから、内緒の話ではありませんね、失礼。この話はファンならご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、まだ知らない人のために、私なりに抜粋し、解釈し要約したものを掲載します。)
橋蔵さまが初めていらした時からの女中さんAは、この一年半に感じていることは、”とってもいい方”ということですって。それには、皆さん同感、そして、素直で。
ここで、堺さんが出てきました。
堺さん・・そうだね。ぼくが見たところでは、いい年をしてまるで坊ちゃんっていう感じも
するね。(笑)
Aさん・・そんなこと言ったら、悪いわ」
堺さん・・こちらの言葉でいうボンボンね、天真爛漫だね、とっても愉快だね、橋蔵さんと
いると。
Eさん・・台所まで覗きに来ますよ。ご機嫌のよい時はね。
Dさん・・「何を食べようかなぁ」なんて言ってくるのね。
Aさん ・・食べものっていえば、必ず油っこいものばかり召しあがるわね。肉類、天ぷ
ら、 まれにうなぎなんか。
Fさん・・ でも、あまり注文はなさらないわね。たまに「今日は肉にしてくれよ」なんて
おっしゃることはあるけれど。
Aさん・・ 朝は注文なしね。
堺さん ・・ところで、朝はちゃんと起きる?
Aさんがおしえてくれました。
迎えの車が来る1時間前に洗面道具を取りに行き、30分前に声をかけるそうです。橋蔵さまは一度で目を覚ますということです。(でも、二度ほど声をかけたのは2回位ということです。)
Cさんが、堺さんとはちょっと違うわ、と言ったので一同大笑い。
Eさん・・夜遅い時は、ご機嫌がちょっとばかり悪い時もありますね。
Fさんはわからなと、・・お顔には出さないようにしているのねと。
女中さん達が恥ずかしくなるくらいよく気がつくし、几帳面です。女中さんにもお土産を買ってきてくれ、洋服を買ってもらった方もいたようです。「わーっ、いいわね」(笑)
その様子を見ていた堺さんが、「時々君たちは大きな声を出して喜ぶのはどういう訳」だと聞きます。
Bさん・・だって、橋蔵さんが冗談を言うんですもの。それに、時々お尻を叩いたりするん
ですもの。(笑)
堺さん・・それでわかった、橋蔵さんが「ゲラ男」っていうあだ名なのが。
女中さん達、どういう事??
堺さん・・君達の笑い上戸がうつったんだよ。(笑)
Cさんが、橋蔵さんは、時間は不規則でお忙しいので、のんびりできずお可哀想だ。何かできることならしてあげたいという気持ちです、と言いますと、それに対して堺さんが、橋蔵さんはだいぶ同情してもらっているな、ぼくが忙しいのは全然ダメ・・と。(笑)
堺さん・・同じ会社(プロダクション)にいるので特に親しくしているが、こうして同じ 旅館
に泊まっていながら、めったに落ち着いて話をする暇もないものね。
こちらが早く帰ってくると、あちらさんはまだ仕事だし、こちらが遅く帰って
きて丁度いいと思うと、むこうは朝早いのでもう眠ってしまっているという具合
で・・。メロドラマそこのけのすれ違いですね。
Aさん・・本当にせわしない生活ですね。朝なんかギリギリで飛び出していかれますもの
ね。
堺さん・・ところで、ぼくは、橋蔵さんがロケーションかセットの撮影かたいていわかる
よ。というのはね、いつも彼の朝は歌声から始まるだろう。
Aさん・・大きな声を出していつも歌っていらっしゃる。お呼びだとおもってお部屋に
いくと、発声の練習をしていらっしゃったりして。(笑)
堺さん・・その歌声なんだけどね、・・ロケはたいてい8時出発、セットは9時開始だろ
う。だから、6時半ごろ歌声が聞こえると「ははあ、今日はロケだな」7時半ご
ろ鼻歌を歌っていると「9時開始のセットだな」って具合に。(笑)
ここで、Eさんが時間だと言ってそわそわ、橋蔵さんから「ふたり大名」の切符を頂いたということで見に行く時間になってしまってそわさわしだしました。最近は立回りが上手になったので楽しみにしているということです。
最後に、堺さんが、この旅館のお客さんとしての橋蔵さんの採点はどうなのか聞きますと、皆さん100点と。さて、堺駿二さんの採点は・・いかに?
堺さん・・それでは、例の歌でぼくは時々目を覚まされてしまうから、5点減らして95点を
つけてあげようかな。
旅館暮らしも長かった橋蔵さまでした。不便なこと、便利なこと、楽しいこと等いろいろあったでしょうが、のちに橋蔵さまにもよい思い出となったことでしょう。
✱ 橋蔵さまの人柄が・・・ちょっとだけ✱ #2018.1.24
関東地方にも本格的な雪が、雪になれている地方の方には大したことではないのでしょうが、首都圏東京は大パニックになりました。まだ雪は残っています。
それで、何時もなら火曜日は午後から出かける曜日なのですが、車が動けない状態のため、仕事をしながらテレビをあちこち掛けていました。
テレビ朝日のワイドスクランブルをかけ緒お雪の時の状況や白根山の爆発の状況などを見ていて、チャンネルそのままにしておきました。その後、在宅の時には時々見ている番組をそのままかけていました。「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」上沼さんとゲストのおしゃべりをいれ、シェフともおしゃべりをしながら料理を作りあげていくと言う番組です。
始まって5分26秒から7分01秒の中で”銭形平次” ”大川橋蔵さん” という言葉が耳に入ってきました。
そこでちょっと話したこと、そう言えば、上沼さんが以前色々な番組で話していたな、と懐かしくおもいました。最近の方は知らないことかと思いまして載せてみました。
動画がアップされましたので載せておきますが、youtubeのものではないので、数日間で消えてしまうと思いますので文章にもしておきます。動画画面の一番下に数日間は載っています。
2018年1月23日放送 沼恵美子おしゃべりクッキング「ステーキソーセージと野菜の蒸し煮」から 5分26秒から7分01秒のところです。
上沼「台詞を覚える仕事ってよろしいですね。苦しいんですけど、頭絶対に鮮明になるでしょう」
神保「と、思いますよ」
上沼「すごい運動しているんですね」
神保「喋りながら、こういう動きをしなきゃという決まりごとがあるんで」
上沼「あのね、皆さん本当に簡単と思っていらっしゃるでしょうけど、影が出てはいけないと、昔はもっと言われていたんでしょうけども、もう、役者なんかの次か3の次で、むかし
銭形平次のレギュラーで行っていたんですよ。まあ、いったら照明さんが一番偉いって感じしました私。監督さんより」
神保「確かにそうですね。一番こわいのが照明さんですよね」
上沼「でも、大川橋蔵さんていう、役者さんがいらっしゃってて、大物・・・。もう、お人柄が最高によく、素晴らしい方で。あの銭形平次の格好で、橋蔵さんとステーキ食べに行ったことあります。あたしらは私服に着替えていたのですけれど、・・ちょっと恥ずかしかったです」(スタジオ大笑い)
神保「そうとう恥ずかしいですよね」
上沼「そうとう恥ずかしかったです。みな普通の格好やけど、・・主役やから着替える暇も・・・。着替えたらよろしいのに、もういいよいいよ、と言って」
神保「でも、可愛がっていただいていたんですね」
上沼「すごい」
神保「それは、すごいな」
上沼「あの、大物の・・神保さんは言いにくいから言わなくていいですけれど、やっぱり、
いい役やっていらっしゃっても。×××やという人柄の人がけっこういらしたんです、昔は。でも、大川橋蔵さんは・・」 (ここまで)
わけ隔てなく誰にでも親しみやすく気取りがなく優しく接してくれた橋蔵さまでした。
✱ 四方山話・「黒い椿」大島ロケ10日間✱ #2018.1.19
来週は日本列島に相当の寒波が来るという、北陸、東北、北海道だけでなく、関東地方も大雪がという天気予報が出ています。気候の高低差も大きいので、体調お気をつけて参りましょう。
養殖で育てる鰻になるシラスウナギの来遊量が少なく、いま漁の最盛期なのですが今年は獲れてないようです。そのため、今年の土用の丑の日のうなぎは高騰になるのでは、このままだと鰻が食べられなくなる日が来るのではないかという危機に来ているそうです。日本人の好きな鰻が手の届く値段で食べられなくなっては淋しいことです。私も大好きです、橋蔵さまも鰻は大好きでした。
では、橋蔵さまに関するお話をしていきます。
「黒い椿」の10日間のロケは三原山のご機嫌がよくなかったようで、橋蔵さまも旅行ができ、好きな趣味も出来ると、期待大で出かけた伊豆大島へのロケでしたが、そう上手く橋蔵さまの思っていたようにはならないのでした。
この作品は8月中頃からかかったものでした。この月も橋蔵さまは大忙しでした。
京都で作品「恋や恋なすな恋」の撮影が始まる準備、「歌舞伎座公演」の打合せを東京で、京都へ帰り、そして「黒い椿」の大島ロケと。そういう中、橋蔵さまの不注意で、「若さま」の撮影開始を遅らせなければならないことになりましたの。
打合せで東京にいる間に起こった失敗談・・・芝のプールに泳ぎに行った時の事です。
橋蔵さまが泳ぎが上手いことは古いファンの方ならご存知ですね。ダイビング妙技も雑誌グラビアでご覧になった人もいらっしゃる事と思います。びっくりするぐらい綺麗なダイビングができた方でした。
その日も見事に飛び込んでいたのですが、どうしたことか、トンボ返りをして逆さに飛び込んだつもりが、鼻を打ち付けてしまったのです。うわっ、痛かったでしょうね。
そのため、メークアップしてみても、いつもの橋蔵さまの鼻とは違っているので、「黒い椿」の撮影開始を少し待ってもらうということになってしまったのです。
17日に橋蔵さまはじめロケ隊は夜行列車で京都を出発し、翌朝18日熱海に着きました。大島行きの船を待つ間、街をぶらりと歩いたそうです。
19日ロケの初日は午前4時開始で、三原山の山頂は濃霧で視界ゼロ。4、5時間待機したようですが晴れず中止となり引き上げました。
橋蔵さまは、その夜東京芝のご隠居様が、必ず願いをかなえてくれるとやっているおまじないを思い出しやったそうです。半紙と墨と筆を用意してね・・・おまじないのおかげで、翌日20日、21日は晴天だったといいます。(おまじないが効いたのかはお天道様に聞かないとわかりませんが)
女中さんが部屋にいっぱいぶら下がっている紙を見てびっくり仰天。その罰か22日、23日は三原山は濃霧で撮影できず、24日は少し晴れてどうにか撮影が出来たということです。
25日は波浮の港での撮影が早く終了、自然動物公園へ・・ゆうかりの木が茂り南国情緒を味わい、多くの猿が放飼いになっている猿が島もあり、人懐こく寄ってきて可愛らしかったようです。
26日、27日と悪天候で撮影出来ず、その夜は夜釣に出かけたようです。港の突堤に腰を据え竿をたれ、アジがなかなかの大漁で、橋蔵さまのご機嫌ななめも直ってしまったようです。
28日は最後の日で晴天。裏砂漠での撮影。午後の船で東京へ向かったのでした。
橋蔵さまは、撮影合間に暇があったら泳ごうと楽しみいっぱいで行ったのですが、電気クラゲがいてさっぱり、1回しか泳げなかったようです。大島の海の底を潜るのを楽しみにアクアラングを持っていった橋蔵さまでしたが、残念でしたね。8月の暑い時ですから、若さまが釣りをしているところの撮影でしぶきを浴びたりした時、海に飛び込みたくなったのでは・・橋蔵さま。
こんな具合の大島ロケでしたので、作品「黒い椿」は大変でした。
ロケ中に5回も上り下りしましたが、晴れ間を待機する日が続きました。
火口付近の砂漠は橋蔵さまや丘さんは馬で横断しました。お二人とも乗馬は上手いですから、地元の馬でもそんなことで、急遽スタジオ撮影の場面が多くなってしまったわけです。
お疲れさまでした。
✱ またまた見方を変えて鑑賞「黒い椿」✱ #2018.1.17
🎥 ロマンとスリラーを・大自然をバックにした人間ドラマ
1960年に入ってからあたりから、東映時代劇には最後までどうなるのかと興味をかきたてられる、要するに面白い映画が少ないくなったといわれたようです。映画を見ていて3分の2ぐらいで席をたってもおかしくないような傾向が見えていたらしいです。東映作品がだんだんひどくなってきた時のようです。チャンバラが5カ所、お色気が2,3箇所、と言ったシナリオ構成をそのままやって作っているのではいくら時代劇が好きなファンでも飽きてしまうでしょうね。私は、東映時代劇ブームが終りに近づいた時は、映画館にはちょうどいけない状況のため、実感はないのですが、大人になってその当時の映画を見てみて分かるような気はしています。
🌼 若さま侍捕物帖「黒い椿」今週月曜日に仕事をしながら、またリアルタイムで見ることができました。若さまシリーズも2月放送が終われば、しばらくは放送がないと思いましたので。私としてはシリーズの中では全体的にはあまり好きな作品ではないので、今回は見方を変えて鑑賞しました。
いつものように、私なりの解釈で、私の感じることを入れながらの文章になりますことご容赦ください。(部分的に引用あり)
そこで、皆様は、若さまの「紅鶴屋敷」を撮った沢島忠監督が描く「黒い椿」に、どんな印象をうけましたでしょうか。
時代劇も背景を変えないと新しいものはできない、いつも江戸の町や京洛の巷の背景では決まりきったストーリーしか生まれない。そこで、選んだところは、時代劇としては未開拓の地であった大島にしたようです。
島という閉鎖性、よそ者を受けつけない島人の白い視線、その風土の中に江戸からフラットと遊びに来た若さまをおき、今までは事件が起こった所へ若さまが乗りこんでいったのを、こんどは、若さまが現れたことにより事件が展開するとしたわけです。
「黒い椿」と題名をつけたのは沢島監督、”黒”はスリラーを、”椿”はロマンを象徴して、この作品をロマンチック・スリラーに仕上げたいと考えたそうです。「黒い椿」の椿は、死の悲劇を招く女お園です。
三原山の火口に身を投げたお君の母は江戸から来た侍と結ばれたため神罰を受けたとみんなから冷たい目で見られていました。そういう島へ、再び江戸から侍がやってきたのですから、また娘たちを惑わし捨てて行く。島人はそういう視線で若さまを見ています。
トップシーン、三原山火口に立った若さまは椿を手に御神火を見つめるお君に好奇心を持ち、やがて同情していくことから出来事が起きていきますね。
夕焼けの浜辺で、お君は母を捨てた父親への憎しみを若さまに話します。しかじ、若さまは、お君のお父さんは決して忘れてはいない。侍というものは、自分の思いのままにならない掟に縛られている、とお君に言います。そういう若さまに、いつの間にか恋心を抱いたことをお君は驚きます。「私はおっかさんのように、江戸のお侍が好きになってしまった」と叫びます。
沢島監督は、ここの場面は、若さまとお君の間に描きだされる、男と女の感情を描くために大島にはいってから、かなりシナリオを書き替えたようです。私は、ここの場面には牽かれるものがあります。
シナリオ通りでなく、そこに立った時に思いつくものが生まれてくることが監督の裁量になります。
ロケは海岸や砂漠の場面の撮影は順調に行ったのですが、火口周辺は濃霧の連続で、作品でも分かるようにセットでの撮影大部分、撮ってきた実風景とのつなぎ合わせとなっています。現地での撮影ができていたら、もっと素晴らしいものに・・と残念でしたね。
ラストお君が火口へ登ってゆくところは朝4時からスタートして変わる天候の中、引いたカメラ映像で、網元殺しの場面は台本通りだと殺したのは作造ではないと分かってしまうので、ラストまで引っぱるのに、カメラワークで作造かもしれないと持っていったようです。
遠方からの映像方法やその当時では珍しいハンディカメラを使っての撮影は、沢島監督独特の技法が効果をだしているというところでしょう。
椿の並木はスタジオに咲かせた造花ですが、あれだけの椿並木は圧巻、素晴らしいものですね。綺麗な椿の花の下での、若さまにすり寄るお園を見ている・・若さまに思いを寄せるお君の感情が静かな中にも激しく悲しく描かれているのですよね。このシーンは見ていてお君の気持ちが分かり悲しく辛いものがあります・・・が、なぜお君がその場面を見てたのかわかりにくいですね。それは、使われたのはお園とのラブシーンのほうだけの映像だけだからだと思います。椿並木で追いかけるように駆けて行く若さまを、お園が呼び止めます。若さまは椿婆を追いかけてきたわけですが、お園は「お君ちゃんを追っていたんでしょう」と言っているように、カットされてしまったところがあるのです。
じつは、お君と若さまが椿のトンネルを背景に語り合い、ほのかな淡い慕情を寄せ合うプラトニックなラブシーンをじっくりと時間をかけて慎重に撮ったようです。見学者からは、思わずため息が漏れると言う感じだったのですって。(その後にラブシーンを撮るためスタンバイしていたお園役の青山京子さんも「あーあ、ヤケちゃうわね」と言ったそうですよ)
お君はずーっと若さまの近くにいて見つめていたのです、そこへお園と若さまの姿を見てしまったから、涙が出てきてしまった・・こう考えられば、なるほどと思われませんか。私なりの考え方ですが、お君はお園に嫉妬をもちました、そうするとお君の若さまに対する心の揺れ具合が分かります。
音楽にも気を使ったようで、テーマミュージックはギターを主としたもの、女の呪いというものを主題としているので、所々に女の叫び声をスローに落したものを挿入したそうです。
島のアンコの合唱には、本当は大島の民謡を使いたかったらしいのですが、気に入ったものがなく、作ってもらったそうです。(そのためか、伊豆の大島という雰囲気が少し薄れてしまっているかな)
橋蔵さまは、「紅鶴屋敷」のようなスリラーをもう一度やってみたいと、口癖のように言っていたので、「黒い椿」で実現でき・・・満足がいきましたでしょうか??
この時期、東映自体の作品、監督求めているものの行く道が定まっていない時で、東映時代劇の限界が見えて来た頃だったと前にも述べました。
橋蔵さまの作品で言えば「海賊八幡船」あたりからも思えることで、鹿門が島へ連れて行かれるところまでは惹きこまれていくのですが、その後は海賊戦の技巧に走ってしまっていて、鹿門が描き切れていません
「炎の城」では、どうみたって正人は最後あの猛火の中で生き延びられるはずはないのに、生きていて帰ることができ現実性がなく、最後の詰めがお粗末でつまらなかった。
それだけに、沢島監督の「黒い椿」に期待をもった人達はいたようですが・・・どうでしたか?
✱「鮮血の人魚」ロケ風景✱ #2018.1.15
若さま侍捕物帖「鮮血の人魚」の放送は最近は10月にありましたが、遅ればせながら、雑誌からロケ現場の様子の画像を見つけましたので、皆様もロケ現場を見て、作品の場面を思い出して見てください。
人魚のコスチューム、尾張城のミニチュア、花火大会と強行スケジュールでの撮影の初のカラー作品として話題になった「鮮血の人魚」は、京都市街を見渡せる花山天文台付近でのロケを最後にクランク・アップしたようです。
その時の、周りにどれだけの人が、どのように配置して撮影がなされているのか、写真をみつけました。画像から何となく雰囲気を分かっていただけるでしょうか。
作品の中を見ていても、若さまが下の道での出来事を覗く場面で、風が強いのが草木を見ていて分かると思います。
写真の場面は、うつぼ姫の巡礼と間違えられて、利倉屋一味に取り囲まれ、あわやという時に若さまが助けに入るというくだりのところ。
この前に、巡礼姿の若水さんと霧島さんが、仕込み杖を抜いて立回りのリハーサルが始まりました。が、下を見れば断崖絶壁の場所、刀も思うようにならず、折からの強風にあおられて、ふらふらの立回りになりました。下をちらっと見た霧島さんは顔面蒼白になってその場に座りこんでしまいます。
「若さま、早く助けに来て!!」まさにその心境です。
いよいよ本番。足を滑らせ転がりながらの大熱演だったようです。二人の八方破れの殺陣に男性軍の負傷者続出で大変。
「女性の八方破れの構えは、一文字崩しより手ごわい。窮鼠猫を噛むとはよく行ったものだ」
と、見ていた橋蔵さまが言ったかどうかはわからないですが、そのような心境で見ていたのでは。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱撮影余話です✱ #2018.1.15
武蔵に劣らぬ橋蔵さまの秘技
ブログの方で「鮮血の人魚」の掲載が完了していますので、ちょっと季節が外れますがご容赦ねがいまして・・・、面白いお話を。
若さま「鮮血の人魚」が京都近郊にロケに出て、天気の状態を待っているあいだに、橋蔵さまのちょっとした秘技?が初めて公開?され、スタッフ連中の喝采をはくしたそうです。
深田監督と橋蔵さまが若さまの十八番、秘剣”一文字崩し”について語り合っているうちに、話は発展して剣豪宮本武蔵の有名な”ハエつまみ”の一件が問題になったそうです。
有名なくだりです・・・むさくるしい田舎家で食事を出された武蔵が、ご飯に群がったハエを次から次へと箸でつまんでは捨て、周囲の人を驚かしたという神技のことです。
「あのことが事実だとすれば、やはり武蔵は剣の達人だね」と、深田監督がしきりに誉めたてるのを聞いていた橋蔵さまが、
「いや、そうおっしゃられると、私も相当なものですね。ハエはどうだかわかりませんが、バッタならこのとおり」と言うなり、
手にしていた扇2本を巧みに操って、足元の草かげからバッタをひょいと摘み上げて見せたのです。1匹・・2匹・・3匹・・と次々に摘み上げる橋蔵さまの秘芸?に一同呆気に取られて見守るうちに、陽が照り始めて撮影開始となりました。
橋蔵さま、誠に鮮やかな秘技でした!!
画像は太陽の出てくるのを待っている橋蔵さまと監督とスタッフさんたちの様子です。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱仲良しコンビ✱ #2018.1.12
(いつものように、所々引用を入れての私なりの文章になりますので、ご了解願います)
今回は、映画でのコンビについて話しましょうか、・・・1958年頃、各映画会社には、〇〇コンビといろいろなコンビがありました。息の合った相手を迎えることで、共演者であったり監督であったり、1プラス1が3にも4にも5にも10にもなるといいます。
他の人達はおいといて、橋蔵さまとの名コンビは誰なのでしょうか。
そんなことわかっているでしょう、と言われてしまいますね。橋蔵さまが映画時代の名コンビは美空ひばりさんですね。橋蔵さまは、ひばりさんを相手役に迎えることにより、橋蔵さまの持っている魅力が、二倍にも三倍にもなってスクリーンで発揮されます。これがコンビの不思議なところだそうです。
ある映画雑誌で1957年暮れからの男優女優別人気投票の結果が1958年春に発表になりました。結果はどうでもよいことなのですが、この時の投票用紙に橋蔵さまやひばりさんの投票の用紙には、この二人の名前を書いた票が非常に多かったということです。橋蔵さまのファンであり、同時にひばりさんのファンでもあるという・・・トミイ・マミイコンビのファンの人が非常に多かったということになるのです。
「笛吹若武者」の撮影から仲良しコンビぶりはご存知の通り。
すぐにお互いにあだ名をつけて、コンビができあがりました。そして「「ふり袖太鼓」まで2年間に7本のコンビ作品を作りヒットしました。作品では二人は恋人同士で、ある時はいがみ合い、喧嘩別れをし、ある時は主従であり、と色々ですが、結局は美しく結ばれるというハッピーエンドで名コンビぶりを見せてくださいました。
橋蔵さまとひばりさんは、会えばこんな風に、ある日の会話だそうです。
「なーに、そのいで立ちは?」
「何って、野球やるんだよ」
「ああそうか、野球やんのか、モンペなんかはいているから、畑仕事でもやるのかと思っちゃった」
「グァゥ・・・」(言葉にするとこんな感じ)
二人が会えば必ず憎まれ口というか口喧嘩?・・という風で、「ふり袖太平記」の新太郎と小浪を感じさせ、冗談が出るところは「若衆変化」の川島源次郎とお七を感じさせます。
普段でも仲が良いのですから、スクリーンでぴったり息の合うのも当然な仲なのです。
「トミイ、久しぶりね」
「トミイったら、4か月も顔を見せないんだからね」
ひばりさんとお母さんが口を揃えて橋蔵さまにこう話しかけたのです。ひばりさんが久しぶりに京都撮影所に撮影できたときのことでした。
「ふり袖太鼓」以来、本当に久しぶりに会った二人は、時の経つのも忘れ話しこんでいました。
食事に行って語り、ひばりさんのお宿に帰って語り、本当に仲睦まじいひと時を過ごされたようです。1957年の暮れには、二人とも同じ撮影所で、お正月作品で頑張り、仕事が早く終われば、お宿に訪れたり訪ねられたりと、4か月のブランクを取り戻すかのように語り合っていたということです。
橋蔵さまの野球チーム「大川ブリッジ―ズ」誕生には、雑誌「トミイ・マミイ特集」で約束した選手お揃いの「ブリッジ―ズ」のグランドコートをプレゼントしたということです。
橋蔵さまは朗らかな性質、ひばりさんも気がおけない人とならどんどん話したりする明るい性格。こういう性格面での一致が、名コンビを作りあげた要因の一つとであったかもしれませんね。
✱ファンが知りたい質問(2)✱ #2018.1.8
今日は成人の日。我が町は曇り、そのうち霙がふるというウェザーニュースが入ってきています。
橋蔵さまは、お正月の時期は、映画撮影がお休みだったので、普段行けない地方へ”ご挨拶”と銘打って地方公演に行っていましたね。雪が降っている町に行く時は完全防備の橋蔵さまでした。 汽車が停車する駅には、橋蔵さまが乗ってくる汽車が着くとファンがフォームで待っているので、橋蔵さまは笑顔での対応で答えます。あるとき、東京での催しが終り、夜行で地方へ出る時に風邪気味で体調が悪い状態で汽車に乗りました。途中その町の後援会のファンの人達がフォームで待っている駅に着くあたりになると、デッキ近くにうずくまってぐったりしていた橋蔵さまは、その様子を全然見せずいつもの笑顔で答えていたそうです。このあたりの橋蔵さまらしい四方山話はそのうちに・・。
では、1/4の続きになります。
🚢〈経験について〉
① 人をぶったことはありますか?
舞台当時は短気でよく喧嘩をしましたから・・・
② 七五三の想い出は?
ありません
③ もっとしておきたかったことは?
学校の勉強をもっとしておきたかったと思います
④ 他人より多い経験は?
小さい時から大人の社会に入っていたという事かな
⑤ 怒りたくなるときは?
マネージャーを相手に怒ります。仕方のないことですが・・
⑥ 交通事故にあったことは?
小さい事故はありますが、とりたてて大きい事故にあったことはありません
⑦ 交番のやっかいになったことは?
小さい頃はよく泣くので、お巡りさんが「何かあったんですか」といってよく飛
んできました。それ以外交番とは関係ありません
⑧ 鼻緒が切れた時はいつもどうしますか?
直して履きました。裸足で飛んで帰ってくるというようなことはありませんでし
た
👒(そう言えば・・橋蔵さまは、下駄の歯がすり減っても履ける限り愛用していましたので、当然鼻緒もご自分で挿げ替えていましたね)
⑨ 今まで習った稽古ごとは?
三味線、笛、鼓、日本舞踊、長唄、常磐津、清元、義太夫、お茶などです
⑩ これから習いたい稽古ごとは?
乗馬です。撮影で必要に迫られていますので
⑪ 青春の最も愉しかった頃は?
映画界に入る一年前ぐらい(歌舞伎界でも将来を有望されて来た頃、そして結婚を
約束した人とお付き合いをしていたころかしら)
⑫ 青春時代に悔いありや?
あります。といってもまだ青春ですからね
⑬ 最も愉しかった思い出は?
過ぎ去った少年の頃の想い出はすべて愉しく思い出されます
👒 (優等生のご返事ですね)
⑭ 初めて映画を見た年齢は?
どこが初めてかわかりませんが、阪妻さんの「恋山彦」長谷川さんの「月下の若
武者」など見たのを覚えています
👒 (橋蔵さま8才~9歳頃に映画館で見たのですね。私がちょうど橋蔵さまを映画
館で見た年齢と同じ頃の年齢です)
⑮ 今まで行った旅先で最も印象的なところは?
京都以外では、北海道と大阪
⑯ 女性に恋された経験は?
女性の心はわからないので、本当に恋されたかどうかはわかりません
🚢〈恋愛感と結婚〉
① ラブ・レターをもらった時は?
舞台当時にありました
② 恋愛の経験は?
あります。何回だなんて聞くのは野暮です
👒 (先手を打たれてしまいましたね、これ以上踏み込めなくなりましたね)
③ 見合いの経験は?
ありません
④ 女性に紹介された時はまずどこをみますか?
まず目です。それから全体の感じとか洋服の趣味など・・
⑤ 結婚はいつ頃?
当分しないでしょう
(・・ここは少し省略しますね・・)
⑥ 子供は何にしたいですか?
好きなようにさせます
🚢〈趣味とスポーツ〉
① 趣味は?
昔よくやりましたが、まあ釣りでしょうか。それに囲碁
② 主に親しんだスポーツは?
野球
👒 (橋蔵さまは、歌舞伎時代も野球チームに入っていました。それは、外に出て日に当たることが少ないので、健康維持のためにやり始めたの がきっかけだそうです。それがやっているうちに面白くなってきたようです。錦之助さん達と東映のチームを作り、俳優人の野球大会でファンを楽しませてくださいました)
③ 現在は?
暇がないのであまりやりません
④ 運動神経は?
発達しているほうです
👒 (運動神経の良さは、作品の中でも発揮されていますね。それに橋蔵さまは、高いところや危なそうなところでも平気で登ったり立ってみたりと、ハラハラするようなことをやってしまうのです)
⑤ 持っているスポーツ用品は?
ゴルフの道具ぐらいです
⑥ 趣味のどうぐは?
囲碁位で、ほとんど家にはありません
⑦ 読書の傾向は?
時代物の小説、原作探しも兼ねています
⑧ 歌謡曲が好きですか?
三美智也さんとひばりちゃんです
⑨ 自分の曲は何が好き?
好きな曲はありません
🚢〈その他〉
① 出演作品は何本?
二十一本
② 好きな作品は?
「若さま侍捕物帖」
③ やりたい役柄は?
若さま役、それから「昨日消えた男」のような明るい長屋ものがやりたいと思い
ます
👒 (この映画はマキノ雅弘監督で長谷川一夫さん主演の映画です。そして、マキノ監督で、橋蔵さまはこの内容と同じものを「橋蔵のやくざ判官」としてやりました)
④ 煙草とお酒は?
煙草はすいません。お酒は適量
👒 (煙草は作品の中では吸う場面が多々あります。橋蔵さまのキセルの持ち方がきれいで大好きです)
⑤ 犬はすきですか?
好きです。東京の家にはスピッツが二匹います
👒 (男の子と母親のスピッツですね。京都には家を買ってから、三匹いましたね)
⑥ 好きな食べ物は?
肉類、天ぷら、うなぎなどの油っこいもの
⑦ 飲み物は?
最近はミキサーのジュースを飲んでいます
⑧ パン食は?
あまり好きではありません。やはりお米がいいです
⑨ アクセサリーは買いますか?
買います。ネクタイなどは自分で買ったもの以外しめません
⑩ もっとも親しいスターは?
ひばりちゃん、大友柳太朗さん
⑪ 京都のお家は?
一応ほしいと思っています
⑫ 京都の好きな場所は?
嵐山です
⑬ 汽車の中で何をしますか?
本を読んだり食堂車にいったり、あまり寝ないほうです
👒 (年代を感じますね、橋蔵さまは東京に帰るとき、地方のご挨拶に行く時は、仕事が終わってから動きますので夜行の汽車でした。大変でしたね)
⑭ 名物は何をかいますか?
ほとんど買いません
⑮ 知らない人に挨拶されたら?
微笑する程度で挨拶を返します
⑯ 共演したいスターは?
嵯峨三智子さん
⑰ 他社の撮影所に行ったことがありますか?
大映に行ったことがあります
⑱ 今日はこれから何をなさいますか?
長谷川さんの「月の渡り鳥」を見そこなっていたので、これから見に行こうとお
もっています。その前に買い物でもして
👒(「月の渡り鳥」は鯉名の銀平です)
⑲ こういうインタビューはお好きです?
えへへ・・・あまり好きではありませんね
ちょっと一服していただけましたでしょうか。
今年も橋蔵さまの作品をできる限り鑑賞したいと思います。
✱ファンとして知りたい質問(1)✱ #2018.1.4
三が日も過ぎ、今日から世間は仕事始めになります。
橋蔵さまの作品放送も始まりますね。
「ふたり大名」については何回も書いているので、私の見解は出尽したかしら。
「右京之介巡察記」については、はっきり言って難しいです。1月中には何か思ったことを駆けると思うけれど、自分の中で見たいという作品でないためか気が乗らないのです。この数年間に東映チャンネルでの放送作品でこんな思いは初めてです。橋蔵さまに問いかけて聞いてみたいくらいです。
ブログの方の段取りとしては、先月放送のありました「緋ざくら大名」を分析中です。加藤泰監督の画面に見せる構図に興味が出て、でも説明し難くて、先へ中々進めません。
では、1957年にタイムスリップして、今日は質問に答える橋蔵さまをのぞいてみましょうか。
1957年初め「修羅時鳥」の頃に橋蔵さまに聞いたもので、「水戸黄門」の撮影に入っている時に出たものからです。
この時期は、橋蔵さまの人気があがってきていた時ですから、各雑誌関係が、大川橋蔵という俳優を読者と密接にするために、ファンが興味ある実生活状況などの特集を沢山書いていた時です。1956年に質問していることと重複することが在るかもしれませんが悪しからず。
私が謝ることではありませんが、私も載せるのに前回と同じような質問は省いて載せたつもりですが・・・。橋蔵さまに質問状として雑誌が掲載した事柄から、私独断で編集、省略して掲載いたします。
橋蔵さまも色々な雑誌で、毎年同じようなことを聞かれ大変でした。でも、それだけ橋蔵さまの全てを知りたいという人が沢山いたということですから、人気のバロメーターになるのですから仕方ありません。
✎(古からのファンの方はご存知のことばかりかもしれませんが、のちにファンになった方は知らないこともありますので・・・)
⛵〈自覚について〉
① 男性として生まれていかがですか?
何にしてもいいてすね。夕涼みよくぞ男に生まれける・・の句のとおりかもしれません
👒(皆さんご存知でしたかしら・・・江戸時代に読まれた句です。内容は真夏の暑い日、お風呂に入ってさっぱりした後に、浴衣で縁側でゆったりとやすむ。浴衣をはだけさせて、団扇でパタパタとさせて夕涼み・・と言う訳らしいです)
② 男性としての自信は?
一般的な自信はあります。時代劇的にいえば、強きをくじき、弱きを助ける性格ですから
③ 貴方の長所は?
よく食べて常に健康でいられるということかな
④ くせは?
小さい頃からのくせで爪を噛むこと
👒(橋蔵さまは、やはり何処か寂しかったのですね、スタジオでも隅の方で寂しそうな表情をしていることがあったようです し。子供の時に爪を噛む癖ができるのは「母親に甘えたい」という心理が原因の一つだといわれます。そして大人になっても治らないのには「思い切り誰かに甘えたいという心理だそうです。また、完璧主義で細かいことが気になってしまう性格のひとにもでるようです」
⑤ 初めて羞恥心を感じたのは?
七つの時の初舞台でセリフを間違えて、お客さんに笑われ、ものすごく恥ずかしかったのを覚えています
👒(お客様が笑ったって・・どんなことを言ったのでしょう?・・でも可愛かったでしょうね)
⑥ 初めて将来の抱負を持ったのは?
五才の頃、舞踊家になろうと思いました
👒(この年で舞踊家にと思っていた橋蔵さまは凄いわね、本当に踊ること芸事が大好きだったのですね)
⑦ それ以来、将来の夢はどう変わってゆきましたか?
ちょっとそれてしまいましたね。それでも機会があればその夢を少しでも満たしている現在です
👒(橋蔵さまは、テレビ銭形平次をやりながら、特別公演の舞台で、歌舞伎での舞踊を披露していましたし、その頃に、将来はご自分の舞踊を作りあげたいというお考えを持っていたと思います。橋蔵さまは将来の歌舞伎界や舞踊界にも大切な方でした、残念です)
⑧ 映画俳優に一生をかけますか?
今のところそのつもりでいます。事業をしようなどという気は全然ありません
👒(ちょいと焼肉のお店を出した時期もありましたけれども・・芸能人ならやることでしたから)
⑨ 人気の由縁は?
わかりません。ことさら他人に聞こうともしませんし、人気を上げようともしていません
⑩ 私生活で改めたいことは?
まだ若いのですから、現在の境遇に甘えず、苦労を自ら求めるようにしたいと思っています
⛵〈身体に付いて〉
① 持病は?
ありません
② 入院の経験は?
小さい頃、一度だけ何かで病院に入った記憶があります
③ 身体で最も注意するところは?
肝臓
👒 (ご本人も一番気にしていた病名だったのですね)
④ 健康法は?
よく睡眠をとり、適当に食べること
⑤ 体に傷はありますか?
右の眉毛の中に、自転車で転んだ時につけた傷があります
👒(作品の中でも役のお化粧の仕方で、なるほどと分かる時がありますね)
⑥ 美容法は?
特別にありません
⑦ 自分の身体で気に入らない箇所は?
顔が小さいこと
👒(歌舞伎役者は、舞台に立っても顔が大きいと得するし、隈どりをするのにもよいと言われています。
映画でも時代劇は、顔が大きいと見栄えがするのは分かりますが、橋蔵さまはあの顔だから素敵なのです。橋蔵さまは目も小さいということが嫌だともいっていましたね)
⛵〈日課について〉
① 目が覚めてまずすることは?
顔を洗います。寝起きはいい方です
② 睡眠時間は?
九時間が理想的ですが、そうもいかないので困っています
③ 寝つかれぬ時は?
ウィスキーを一杯飲んでみます
④ 鏡を見るときまずどこを?
目です
⑤ 夢は見ますか?
よく見る方ですが、すぐ忘れてしまいます
⑥ 一日中で一番愉しい時は?
旅館に帰って寝るときでしょうかね
⑦ 一日中で一番いやなことは?
夜中にかかってくる電話
(橋蔵さまのファンであったら、常識で考えても、節度ある行動をお願いしたいものでした)