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このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱撮影日記からちょっと・・・✱ #投稿日2016.2.23

📖 手元にある資料の中に、雑誌の橋蔵さまの撮影日記の一部分に、「まぼろし天狗」のことがありましたのでちょっと抜粋してちょっと書きます。
橋蔵さまの一日一日から撮影の様子と橋蔵さまの行動をなんとなく想像していただければうれしいです。

1962年7月「橋蔵のやくざ判官」封切り、1962年8月「まぼろし天狗」封切りでした。
「やくざ判官」の撮影の終盤に「まぼろし天狗」の準備が進行していたようです。
6/11 やくざ判官」のお白洲のシーン。 厚い衣装の重ね着、裃袴に威儀を正しているこの暑さ、辛さ。一段高い調べの座から見下ろして気持ちがいいだろうねとみんなからいわれちゃったけど、お白洲でのんびり笑っている長屋の住人と交替したい心境でした。

6/11 午後からぎっしりのスケジュール、23時までかかる。家に帰りホッと一息ついたら13日にかかっていました。

6/13 何に当たったのか、どうも食あたりらしく、お腹をかかえて七転八倒、とうと
う仕事を休ませてもらう。一日中絶食、夜薬を飲んで就寝。

6/14 薬と絶食の効あり。今朝はすこぶる快調。絶食のせいか体重が減ったような
軽々しさを感じる以外は以上なし。一日休んだので、今日は大いにはりきり深夜一時にアップする。OKのとたんにちょっとガックリ。早々に帰宅。

6/15 お休みです。昼過ぎから散歩がてらデパートを廻ったり、骨董屋さんを覗いた
りする。夜月光で東京へ。

6/16 本社で、東映歌舞伎の打合せや次回作品のことを相談しました。

6/17 一日東京住まい。夕方から銀座に出て夏シャツなどを見て歩きました。夜月光
で京都へ。

6/18 9時からイレズミ、お昼開始でオープンの大立ち廻りです。カラッと晴れたの
はいいが、まるで真夏 のよう に凄い暑さです。このセットで50人からの捕手を相手にオープンを狭しと駆けまわるんですから大変な重労働、 脚力には相当自信がある方なんだけど、テストテストでフラフラになっちゃった。一部を明日に廻して、次回作のズラ合わせと衣装合わせをして帰る。
お風呂から出てきたら足がガクガク、オツカレさまでした。

6/19 9時開始でオープンの立ち廻り、またもや右に左に、牛若丸のように大活躍
(ちょっとバテ気味でした が ネ) やっとお昼過ぎに一段落。15時から、お白洲の取り直し。もう少しお賑やかに、ということで 立ち廻りが追加されたんです。

6/21 1時から自宅で、中川組「まぼろし天狗」の本読み、中川監督と打ち合わせを
しました。そのあと雑誌のお仕事で写真を撮る、夕方から松竹座で映画をみて、食事をして帰りました。

6/22 お昼から衣装合わせをする。

6/23 自宅で本読みと衣装合わせをする。いよいよ明日からクランク・インです。

6/24 9時開始で「まぼろし天狗」の初日です。
シーンは、ボクの周馬が刺客団に襲われて逃げるところ、初日から追っかけられて大汗をかいちゃいました。夕方、スタッフの人達と夕食をご一緒する。

6/25 11時開始、今日は喬之助の方、お美代の2階で、北原しげみ君の女将お美代と
やりとりします。終わってから台本の直しについて打合せ。

6/26 9時開始、細い崩れ落ちそうな橋の上で、不気味な按摩との凄絶な立ち廻りを
撮る。すれ違いざま、仕込杖から白刃をひらめかして斬りつける按摩を一刀の下に切り倒します。(下の画像)   
短い時間ですが、新しい殺陣らしくスピーディーでスリル満点の立ち廻りでした。
17時から、マキノ組「やくざ判官」のお白洲の撮り直しをやる。

6/27 10時半開始で定時に終わり、早めに帰宅、せりふの勉強をして就寝。

6/28 9時開始、盛り場の裏セット。マコちゃん(桜町弘子さん)のお艶を相手にホドの良いところをみせます。というのは、ボクの二役のうち周馬にホレているお艶を、周馬に化けた喬之助(ややこしいです)が騙すくだりです。演技とはいえ女性を騙すということは心苦しいかぎりでした。

6/29 9時開始、闇の道でやくざに襲われるところ、さっさと掘割に叩きこみ「そこでしばらく頭を冷やせ」グッときちゃうセリフでしょう。心身ともに快調です。

6/30 9時からお仕事、今日で6月もお終いです。
一月なんてアッという間に経っちゃいますね、梅雨ももうすぐあけることでしょう。
じゃ皆さん来月までお元気に。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱舞・・・歌舞伎役者という誇り✱ #投稿日2016.2.12

皆様にも知っていただきたいので、少し書きますね。

時代劇スターでありながら、50代過ぎても女形でも立役でも線の綺麗な踊りができる。橋蔵さまはずっと芸に精進なさっていたことがわかります。

相反した性格の橋蔵様と藤間紫さんは舞台をやってもお互いにいい感じを出していました。舞踊でも立役の橋蔵さまは紫さんと踊るととてもいい雰囲気がある。お二人は相性がよかったのですね。

橋蔵さまは6歳で永代橋にいた藤間勘十郎さんに手ほどきを受けるようになり、長く勘十郎家に寄宿してたようで、紫さんとは「お姐ちゃん」「富成ちゃん」と呼び合うほど仲良かったようです。芸の修業はマンツーマンですから、生易しいことでは会得できませんね。

💻あるところにこのように書かれていました。
「橋蔵さまは藤間宗家に何とはなしに身を寄せている間に、芸の慈養分を吸収していったと考えてよい。六代目があるとき「稽古をつけてやろう」という気をおこすのは、それだけ芸の芽が育っていたことになる。その芽を勘十郎の近くにいていつの間にかふくらませていたのだ。」
橋蔵さまは30年5月に勘之丞の舞踊名を許されます。その時勘十郎さんとお二人で撮った写真がありますよ。
橋蔵さまはご自分でもよく言われていましたが、10年ごとに転機が来るのだと。
30年に映画界に入り、テレビに行ったのが41年。歌舞伎役者としての最後の舞台は31年東横ホール、歌舞伎座の公演が始まったのが41年。
銭形平次をやりながら大川橋蔵特別公演の舞台を打つようになり、藤間会にも初めてでたのがこの年です。
💻 このようなことも書かれていました。
「旧知の紫と共演することになったのは、その後まもなくのことだった。(43年の歌舞伎座からですね)
歌舞伎界から去って10年、大衆劇のスターとして”故郷に錦”を飾ったとき、帰ってきたのは藤間宗家のところだった。
舞踊・・少年時代に舞踊家になろうとまで考えた橋蔵は、大衆劇の公演に必ず舞踊を一幕加えている。養父六代目菊五郎の当たり役だった「鏡獅子」「紅葉狩」「船弁慶」「娘道成寺」「藤娘」・・・等々
枚挙にいとまのないくらいだ。当然、稽古に通う機会も多い。
紫を相手役にしてじっくりとしたお芝居を・・・というケースはこうして自然に生まれた。
📺 2001年だったかしら、紫さんがNHKの番組で橋蔵さまを偲んでの番組でこんなことを言っていたような。(この番組で舞踊映像が流れました)
「役者と舞踊家を両立させたかったよう。お稽古をきちんとしていらした。」
「歌舞伎俳優という誇りは最後まで押し通したかったらしい。だから舞踊も歌舞伎でやるような舞踊を苦しくてもそれに挑戦する。」
「女役をやるとサラッとしているが、男役をやると凄く色っぽい。」
「足がすごくきれい。女形として背があのくらいあると、下半身が何となく締まらなくなるのだが、橋蔵さんはそれが無い、藤娘やっても何をやっても身体の線が本当に綺麗。」
📌 橋蔵さまの言葉・・・「自分個人の踊りを大切にしていきたい。」

👘 焼き付いている貴方の舞いと集めた舞いの写真を紐解きながら、舞踊家として年を重ねていっていた橋蔵さまに思いを馳せてます。

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✱スピーディで美しい立回り✱ #投稿日2016.6.6

昔の映画を見ていると、いろいろな面から、スタッフは勿論ですが、役者さんが一生懸命で大変な努力をしていたことが作品の中からも伝わってくると思います。
時代劇ドラマでもそうです。橋蔵さまの「銭形平次」、10年という年月は世の中は変わっていっていますよ。でも何故あれだけ続いたのか、ということです。

橋蔵さまがその10年間に途中他のドラマを一本でも取られなかったのかということです。橋蔵さまは、平次と違う役は舞台で見てもらい、お茶の間の平次のイメージを他のもので壊したくはなかったのかしら、とも考えるのです。
ですから、平次を終わるという話が出始めた頃(自分の体調にご本人は感ずるところもあったでしょう)次のものへイメージを変えていってもいいのでは、という気持ちがこの3本のドラマになっていったのではと、私なりに勝手に思ったりしています。「沓掛時次郎」「荒木又右衛門」「鯉名の銀平」という作品を持ってきてやったということです。「沓掛時次郎」と「鯉名の銀平」はテレビドラマでやるのは普通ならこの50歳を過ぎた年齢ではできないものです。

橋蔵さまの「月形半平太」何回見てもいいです。レンタルで随分みました。
憂いを含んだあの表情は橋蔵さまだから出せるのです。感想はだいぶ後になると思いますが時期が到来したら投稿します。

見た人はお分かりになりますか。染八の何処へ行くのかとの問に「あてはない・・地獄詣でになろうもしれぬ」と言って染八を見て、差しかけた傘を掴んで行くところからカットした部分です。この場面の酔っていて染八の方を見る視線が何ともいえないのです。

剣を抜いての詩吟を歌うシーン、3ヵ所あるので橋蔵さまでいく予定がダメになって口ぱくになってしまったところに、不自然さが残ってしまったなぁ。
後から橋蔵さまの歌を合わせる予定だったのでしょが、
もう1本同時進行のものがあり時間がなかった・・少し時間がほしかったですね。

「人を斬るのはこうして斬るのだ」と「図ったな」そして畳の上をくるくる回るところは、早いので静止画像がうまく取れませんが橋蔵さまであることは分かると思います。早く見たいと思っていただけましたか。
橋蔵さまの立回りのよさは、スピーディーで美しい立回りの中に凄さが出ていることだと思うのですが、それが味わえる作品「月形半平太」、とドラマ「荒木又右衛門」です。

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✱純然たる最後の共演作品✱ #投稿日2017.1.31

「花笠若衆」は、ひばりさん芸能生活10周年記念映画ということで、ひばりさんのお母様喜美枝さんが平凡に連載した小説が原作という、記念すべき映画ですね。
主題歌「花笠道中」もヒット曲になりました。

私はこの作品、映画館では見ていなかったのですが、当時「花笠道中」の歌を聞くと、映画を見たような気分になっていました。雑誌などで見ていたので、イメージを描いていたのでしょう。映画では、この歌、夢の中で愛しい殿御と新婚の旅に行くところで流れるので楽しい歌と普通は思うのでしょうが、この歌は淋しいうたなのですよね。私は、好きな歌でしたが、今も昔も、この歌を聞くと悲しく目が潤んでしまします。
そして、二人の夢の中の楽しそうな甘いシーンが浮かびます。
🎶一 ~ぽっかり浮かんだ 白い雲 何やらさみしい 旅の空 いとし殿御の こころの中は 雲におききと 言うのかえ
🎶二 ~蓮華たんぽぽ 花盛り 何やら悲しい 旅の空 いとし殿御の こころの中は 風におききと 言うのかえ
🎶三 ~流れて消える 白い雲 やがて蓮華も 散るだろう いとし殿御と 花笠道中 せめて寄り添う 道の端

この詩から、江戸家吉三が夢みた神月又之丞との結婚は、夢で終わるということが分かってしまいます。だから、悲しくなってくるのですね。

吉三が暴れているところへ出てくる又之丞・・派手ですね・・編み笠を持って派手な着物ですが、流石橋蔵さま、馴染んでいます。この姿から旗本退屈男を描いてしまいます。
✑(そう、東映は、次の旗本退屈男は、橋蔵さまを考えていたのが分かります。)

その道中の駕籠に乗っていくところ。
駕籠かきの息が合わず何回も撮り直しになったのですって。駕籠を担ぐ人は何回もで大変でしたが、お二人は、乗っているので楽しく、このまま京都まで帰りたいとか何とか言っていたそうな。でも、何回かやっていたら、駕籠から降りた時腰が痛くて、ひばりさん「やっぱり歩く方が疲れない」と。
橋蔵さまは、この作品でも、監督から、幻想的な感じでいくので、出来るだけ甘~くとの注文でリハーサルからグッと甘い表情で挑んだ橋蔵さまだったようです。その感じが、駕籠に乗ってのあの表情に。
宿でお二人の甘いシーンのところ、アドリブが入っているのです。
背中がかゆいと言うと「どれ」と言って「このへんかな」と言って手を入れるでしょう。リハーサルの時、橋蔵さまが一応原作者のママの意向を聞かなければと言い、ママを呼んで意地悪く、「こんな感じでいいでしょうか」と言ったそうです。そうしたら、ママが「あなたたちの好きなようにやりなさいよ」とあきれ顔でいったということでしたよ。その橋蔵さまとひばりさんが好きなようにやったのが、あのシーンとなったわけですね。

双子でしたが、神月又之丞さんは許嫁の千代姫と、となりますが、見ていた人達は、江戸家吉三と一緒になってほしかったのではないかしら。

橋蔵さまとひばりさんが一緒に出ると、不思議なお色気を放つのです。ほんとに、不思議ですね。
ひばりさんが1958年新芸プロを出ましたので、橋蔵さまとの今までのような共演作品がなくなってしまいました。ですから、ひばりさんが大人になっての橋蔵さまとの映画として残る作品になりますね。この後はオールスター、準オールスターの映画でしかご一緒していませんもの。
何回もご覧になって橋蔵さまを堪能してください。

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✱一つの試練になつた要蔵役✱ #投稿日2017.1.16

今週、”美しき大川橋蔵”私の想い出のブログの方では、橋蔵さま第11作品「海の百万石」に入っていく予定です。
この作品、橋蔵さまファンから、「橋蔵さまよかった」という声があまり聞買うてくることがありません。どうしてなのかしら。
橋蔵さまが最初40分は出て来ないし主演でないから?、地味な作品で美しく華やかで颯爽とした橋蔵さまではないから?

時代劇と世話物に分けるとしたら「海の百万石」は世話物。東映としては稀な作品です。千恵蔵御大主演の作品ですが、橋蔵さまという俳優が出て来たので、この作品が生きたのではないか、と思ってしまうくらい。
橋蔵さまの商人としての作品はこの一本だけです。そして剣は持たずに完璧な商人の息子を演じました。
要蔵が父親銭屋五兵衛を呼ぶ「おとう」いいですね。橋蔵さまの言い方が良いのです・・・好き・・あの声であのニュアンスで言いますから、とってもいいの。
父親を尊敬し慕っている蘭学を学んでいるお坊ちゃま。これから商人として成長していくところを若い橋蔵さまは見事に演じました。
この役は一つの試練になりましたね。この作品後、型の美しさにこだわっていた橋蔵さまの演技が変わってきたようです。台詞まわしも自然体で、こういう役もいいなぁ、と思わせるものです。今までの橋蔵さまからは想像できないくらい、素晴らしいものです。歌舞伎で具わった身のこなしは商人役でも流石です。
こういう町人ものをもっと見たかったし、残してほしかった。
橋蔵さまは、また世話物をやりたかったようですが、会社はチャンバラの大川橋蔵を、ファンもそちらを望んでいたのでしょうか。もったいないことをしましたね。
剣も使わず派手な見せ場もない学者肌の男を見事に演じたということで、今までチャンバラ役者としてだけ見ていた批評家たちも、一人の演技者として正しく評価するようになったと言われました。

「撮影日数が少なく研究する暇もなく、完全な町人役というものは初めてなので、いささか芸が生硬になったかもしれない。まだまだ映画新入生であることを痛感させられた。」と橋蔵さまは言ってましたが。
撮影合間のスナップを掲載いたしますね。(ランダムに載っています。画像少しボヤケ気味)
*千恵蔵御大に台本の読み合わせをしながら、指導を受けているのでしょう。神妙な橋蔵さまです。
*「橋蔵君、さつきの演技はよかった」と尊敬する千恵蔵御大に褒められて、気もそぞろな橋蔵さま、という所。
*次の場面の撮影までの合間に、千原しのぶさんと、楽しそうに何を話しているのでしょうね。
千恵蔵御大の前では緊張の連続、こういうひとときもないと・・・ね、橋蔵さま。夏の暑い日の撮影でしたから、出待ち、テスト、本番と、足は水に浸しっぱなしでいても気持ちはよかったと思います。

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✱ 心にある雪之丞、闇太郎✱ #投稿日2017.1.12

「雪之丞変化」の話が出てくると、ファンとして私も話したいことが沢山出てきてしまうので、困っちゃいます。これも橋蔵さまファンだったら何回も見たくなる、大切にしたい作品の一つですね。

東映でも橋蔵さが東映入りしてすぐに「雪之丞」をやりたかったようです。しかし、1954年に千代之介さんが「雪之丞」を三部作をやったばかりなので出来なかったようです。
「雪之丞変化」の映画を作ると二部~三部作で各社作って来たのですが、長すぎで間延びしてしまい、この一作だけにするのには脚本が大変だったようです。
正に橋蔵さまのために作られた内容がぎっしりにつまった作品になっています。
ただ、撮影はしたが、途中でシナリオを書き替え撮り直しか、または何パターンかを撮りしぼったのではないかと私は思うのです。
通常の物語のように浪路は雪之丞に恋焦がれて屋敷をでて病で、闇太郎の小屋で雪之丞に抱かれて死ぬのです。闇太郎が浪路を屋敷に運び、雪之丞が三斎の前に現れ、父母の恨みを、その背後には白刃が、ということになり雪之丞の殺陣があるはずだったのだと思うのです。ビデオのパッケージを見た時、不思議に思うでしよう。雪之丞の殺陣が写真にあるでしょう。
しかし、演出は作品のようになりました。この作品は、雪之丞と浪路を通しての市民の米騒動とそれに加担する闇太郎の方に重きをおいているような。雪之丞も闇太郎も大変素晴らしいのですが、私の頭の中に残るのは闇太郎です。この作品での評価はやはり闇太郎が素晴らしかったと言われました。
三役をやるわけですが、長谷川一夫さんの時は母親を、橋蔵さまは父親でした。橋蔵さま父親役で処刑場面に意欲的に取り組んだようです。
この時、橋蔵さま右足首を痛めていて包帯をしていました。足を引きずって入って来るほどで、何日か休まなければいけなかったのですが、迷惑をかけてはと頑張ったのです。前日、闇太郎であまり活躍してころんでしまったということでした。

口上「君が情けのたまずさに、・・ご贔屓願い奉る」からの『宮島のだんまり』、『関の扉』のお姫様姿』
最後の『鷺娘』(もう少し長く見たかった)と橋蔵さまの歌舞伎時代を彷彿とさせます。これだけの演目を熟せるのは流石です。(ご本人は着せ替え人形のようだったと)
淡島千景さんとは初顔合わせでしたが、お二人の息がとても合っていたのがより素晴らしい作品にしていますね。この時、淡島さん病み上がりで出演不可能という話がでましたが、よかったです。淡島さんのお初だから、橋蔵さまの雪之丞と闇太郎もよくなっています。

雪之丞の舞台を観ての闇太郎とお初の言葉の掛合いがよいです。(ここ覚えちゃいました)
「あばたがえくぼに・・」「違うよ・・惚れたのは目だよ」「・・まっ、目に惚れて肘鉄食って痛い目にあいなさんなよ」「・・あたしゃもう、雪之丞に目がないんだから」・・橋蔵さんの雪之丞だから、この掛け合い言葉ができるのです。

「雪さんの行先を教えよう」「船は・・」「あいた、慌てさせるねえ」「今夜の雪さんはお前にまかすぜ」「うれしいねえ」「俺の名を・・ひっぱりだすんだよ」・・この時も闇太郎とお初の色気ある目での会話となっています。(初共演とは思えないお二人の目の使い方と雰囲気)

そしてもう一か所、雪之丞とお初の「売りまへん」「売りまひょ」「あーら、気に入ったね、江戸っ子は気が短いの」

大川端は絶対に外すことが出来ない場面。
お初の話を聞きながら雪之丞が歩くところ。左右の指でさりげなく着物の褄を持ち変えながらの砕けた歩き方。
「ねえ、雪さん諦めな・・」とお初が言う時の褄を持っている手の動き。
「ご親切なご贔屓様の・・察しておくれやす」のところの歩き方と妻を持つしぐさ。
雪之丞、お初、ムク犬の吉、三人の素早い動きから、さっと舟に乗りながら簪を髪から取り投げるところまでの素晴らしさ。
そしてさっと翻って「すえなごうご贔屓に」と粋に舟を漕いで行く後ろ姿は美しい。

お初の家に寄った時に捕り方に囲まれた闇太郎の六尺棒での立回りも見逃せないところだと思います。

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✱「恋山彦」への思い・・再度✱ #投稿日2017.1.9

「恋山彦」は橋蔵さまファンが選ぶ映画ベスト10には必ず入る作品でしょう。
橋蔵さまはここまでの作品では「ふたり大名」で二役やっています。これは、橋蔵さまが御得意とする設定の物。「恋山彦」は対照的な二役でした。
私は、小源太は小源太として、無二斎は無二斎として、それぞれに好きです。
でも、どちらかというと、作品の中に描きたかったものを考え、また橋蔵さまの無二斎への思いが分かりますので無二斎に魅かれます。
大部分の人は、気品高い小源太の振舞い、美貌の方に目がいって、孤独で世をすねた無二斎は軽視してしまうのですが、この作品は別々の世界に生きて来た二人がいての「恋山彦」の作品です。
橋蔵さまの小源太の綺麗さには、誰もが溜息が出るでしょう。無二斎のふてぶてしさの中の純真な心を感じてほしいと思います。
伊藤雄之助さんの一蝶と橋蔵さまの無二斎の親友であるがためにかかわっていく様。二人の絡みは大切なものになっています。そこで映画を見ている人から不自然でなくするために、二人の年齢差を縮めなければなりません。そこで、雄之助さんが若返ることになり、橋蔵さんが少しばかりやつれを見せた浪人になるという苦心の末が、あの無二斎のちょっと黒い化粧での風貌になったようです。
無二斎のような役は橋蔵さまは初めてだったですね。
「恋山彦」は、橋蔵さまが小学生の時に坂東妻三郎さんがやった作品です。監督は同じマキノ監督。今度はカラー化ですから、「恋山彦」の設定時代から平安朝のコスチュームの華やかさや気高い言葉を使い面白味を出したかったということです。橋蔵さまの魅力が、小源太の貴族の気高さが、まさに合致しているので、山奥で世間を知らずに生き続ける平家の落人の世界が素晴らしく描かれています。(戦前の坂妻さんでも橋蔵さまのような小源太は出来なかったと思うのです。無二斎はお手のものであったとは思うのですが。)そこで、オープニングの舞台的な演出の舞踊で始まり、私たちを違う世界に導いていってしまうのですね。
橋蔵さまは、無二斎を30才位の役作りでやったということですね。無二斎の衣装、端切れを使ったような衣装で粋ですね。橋蔵さま大変気に入っていたらしいです。あの衣装は橋蔵無二斎が来ているからよいのですですね。
小源太はロマンチシズムに、無二斎は豪快な感じにと、二役をとてもうまく演じていますよね。この作品で橋蔵さまにやっとと言ってよいでしょう、豪快さを出す役がまわってきたのです。ですから、真夜中のオープンセット撮影の、小源太の身代わりで捕り方200名近くとの見せ場の大立回りは、無二斎がカメラから見えなくなってしまう立回りのところでも、吹替えは使わず、すべて橋蔵さま自身で動くという力の入れ方でした。
小源太は・・橋蔵さまの地でいける役です。
無二斎は・・華奢な優しい橋蔵さまが豪快さの演技を必要とする初めての難しい役・・橋蔵さまが役者としてやりがいのある役です。
殺陣や馬術に関しては、橋蔵さまは何でも一生懸命でいらしたから、上手いものです。時間を見つけては練習を怠らない方でした。袴の裾さばきは、歌舞伎と舞踊で鍛えてますから流石です。

📍小源太には
小源太については、長刀での立回りと始まってすぐとラストの舞踊場面はいいのはわかっていますから省きます。
* 謀られて、薙刀での立回りになりますね・・まず私は屋敷廊下での時、殺陣をやりながら体が回るところが何か所かあります。その時の長袴の裾が綺麗に舞っているという足さばきに目がいきます。
あと、天守の狭い階段での薙刀さばきが綺麗です。
* 小源太がお品を連れて平家村に馬に乗って颯爽と帰ってくるところ、馬上の橋蔵さまは素敵です。馬に乗るときの姿勢がとてもいいのです。
橋蔵さま自身であのほこりの中を何回も走って大変でした。暑い夏砂漠のような土地での撮影。馬が大勢の人とセットなどに驚いてしまって、上手な橋蔵さまが手綱を締めてもなかなかピタリと止まってくれなかったようです。
* お品と祝言をした夜の寝所、小源太が御簾を下すところの、白衣を着ている橋蔵さまの脚の線の美しさには溜息が出てしまいます。あの姿態は色気がありますね、
* 江戸城へ乗り込んみ、襖が開き将軍綱吉のところまで衣冠束帯?で堂々と歩く小源太、あそこは颯爽と優美な振る舞で絵巻物を見ているようで、さすが橋蔵さまならではです。
しかし、なぜか胸がつまる思いがあります。(あとを知っているからかしら)
📍 無二斎には
* おむらから一蝶が女の人を隠しているみたいだと聞き、酔いに任せ一蝶の家へ、一蝶を振り切って誰をかくまっているのか襖を開けるまで、特に一蝶の手を振りきりるところ、小源太が次の瞬間どんな表情をみせてくれるのか
* 無二斎が道場で一蝶に小源太を生かしておきたいんだろうと言いよる場面、
* 小源太の装束で身代わりになり捕り方に囲まれておむらの家の前に来た時、無二斎という事を分かり言葉をかけるおむらの方を見て、無言の中に目で別れをいい、(言いたいことがあるのだが)・・、向きを変えて捕り方を引き連れて去っていく場面、
胸打たれるのです。

🍀 平家の落ち武者で世俗に毒されていく正義感を持った小源太とお品、世俗にまみれ拗ねて生きているが正義感ある無二斎とおむら。この4人の感情と行動が「山彦」のように呼び合い、もつれあい、恋を奏で、悪を倒す、
無二斎が小源太の身代わりになって死に、そのおかげで小源太とお品は山に帰ることができる。
美しく悲しいラストシーンは「山彦」の切なさを表した作品になっているのだそうです。

♤ 薙刀での殺陣での長袴の裾のまわしの綺麗な立回り
♤馬にお品を乗せて舘に帰ってくる時の馬上姿とたずなさばき、
♤江戸城に乗り込み将軍のいるところまで衣冠束帯で堂々と歩く姿、
♤お品との寝所で御簾を下す仕草と白の寝間着?の線の美しさ、

♢ 一蝶が誰をかくまっているのを突き止めようと振りきって襖を開けるまで
♢一蝶のためなら自分の身を捨てでも、小源太を助けるという無二斎の親友との別れ
♢ 身代わりになって捕り方に囲まれながら、呼び止めるおむらに無言で分かれをするような視線をする無二斎、
♢ 捕り方に囲まれ、足を怪我している無二斎の大立回り、
私は、これらの場面はいつ見てもじっくりと見いってしまうところです。

🍀 平家の落ち武者で世の中の嫌なことを見るようになる正義感を持った小源太とお品、世の中の嫌なことにまみれ拗ねて生きてはいるが正義感のある無二斎とおむら。この4人の感情と行動が「山彦」のように呼び合い、もつれあい、恋を奏で、悪を倒す。
無二斎が小源太の身代わりになって死に、そのおかげで小源太とお品は山に帰り平和に暮らすことができる。
美しく悲しいラストシーン・・・「山彦」の切なさを表した作品になっているのだそうです。

☘そう言えば、ここでおむら役の丘さとみさん、橋蔵さまとはオールスター映画と「修羅八荒」で顔を合わせていますが、おむらという役で橋蔵さま主演の作品では初めての絡みだったのですね。
この作品から、橋蔵さまの相手役も多くなりました。
その丘さんも「これまでの橋蔵さんより、こうした浪人役の橋蔵さんの方が好き。相手をしていても惚れ惚れしちゃう」と。
「次は、喜劇的な作品でお相手をしたい」
この後、マキノ監督での「清水港に来た男」でお二人の息の合った楽しい作品ができましたね。

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✱ 気持ちを新たにしてGO!✱ #投稿日2017.1.1

穏やかに年があけました。おめでとうございます。
今年も橋蔵さまと一緒に楽しい一年にいたしましょう。
思うこと、伝えたいこと、お話していきましょう。
橋蔵さまのファンを後世に残していきたいですね。

私から皆さまへの年賀状です。
画像は・・橋蔵さま、雷蔵さん、若尾さんの3人が京都北野天満宮に参詣、おみくじを引いている画像です。(1961年のですね)
"美しき大川橋蔵"私の想い出もよろしくお願いいたします。
今年から、橋蔵さまの作品はこちらの方に書いていきますので、リンクして見て読んでください。

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✱話題になった顔合わせの「赤穂浪士」✱ #投稿日2016.12.17

この「赤穂浪士」で話題になったのは、やはり中村錦之助と大川橋蔵がオールスター映画で顔合わせをしたという事でした。
錦之助さんと橋蔵さまはスクリーンで長く顔合わせる、ましてこのように向き合ってというのはなかったですね。
いよいよ、千恵蔵と右太衛門から錦之助と橋蔵の時代になってくるのかと話題になりました。(でも、残念ながら時代劇が衰退の方向にいってしまいました。)
時代劇ファンとしては、お二人ががっぷり四つに組んでのオールスター映画をみたかったですね。

内匠頭が勅使接待に上野介にいじめられながら日夜苦労している内匠頭を親友淡路守が見舞う場面はクランクインして二日目に撮られたらしいです。
お二人とも初役にファイトを燃やしていたとありました。

淡路守の役はガラにあっている。腹芸の多い役だけに、工夫して痛快なところを見せたい」と錦之助さん。
「梅幸さんにいろいろ教わっています。歌舞伎の型の中にリアルな面も出してゆきたい」と橋蔵さま。
重厚火の錦之助さんと華麗美の橋蔵さま、お二人の演技を競う場面になったのです。

内匠頭の家来堀部安兵衛役の東千代之介さんが出番までお二人のやりとりを遠くで見ていました。そこで撮影の合間に暖を取りながらの、雑誌のための場が設けられました。元内匠頭、前内匠頭、現内匠頭の顔合わせとなりました。
✎どんな話をしていたのかしら・・・(部的に抜粋ですが、その時の雰囲気が分かれば、と思います。)
千代之介「いよいよ判官役だね、待望の・・」
  橋蔵「映画入りいらい抱いていた夢の役なんだよ」
 錦之助「待望の切腹ができるわけだ」
千代之介「なにしろ判官が切腹しないと、物語がすすまないんでね」
  橋蔵「僕が切腹しないと堀部安兵衛の見せ場がないから?」
 錦之助「安兵衛が内匠頭の腹を切りたがっちゃ困る」
  橋蔵「二人とも内匠頭の先輩だから、いろいろおしえてほしいな」
 錦之助「先輩って言ったって、去年のオールスターで一回やったきりだからね」
千代之介「この三人の中じゃ一番最初だな、内匠頭をやったのは。千恵蔵先生に全
     部教えてもらった」
 錦之助「大分お世話になった」
  橋蔵「なにしろ、映画の内匠頭じゃ草分けだからなあ」
千代之介「原健策さんにも、かなり教えてもらった」
  橋蔵「尾上の兄(梅幸)さんに所作を習ったんだけど、これを映画的に上手く消
     化できれば・・」
 錦之助「しめたもんだ」
  橋蔵「だけどむずかしい、判官というのは。ことに切腹が決まってから、片岡
     源五右衛門との最後の別れをするところには弱った」
 錦之助「目だけの芝居だからな」
千代之介「あすこは全体のストーリーの中でも一つのやま場だしね」
安兵衛をやっている千代之介さんに、
 錦之助「でも、大名なんていう型ぐるしい殿様よりはいいぜ、第一肩がこらな
     い」
  橋蔵「ほんとだ、こんどの忠臣蔵では、安兵衛役を志願しようかな」
千代之介「冗談じゃないよ、まあ、ふたりの芝居を家来らしく遠くから見させてい
     ただきます。のんびりとね」
こんな調子で三人が揃う場面も終わったようです。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱12月・・橋蔵さま諸々✱ #投稿日2016.12.1

今年も一か月となりました。皆様それぞれに何かと忙しい月ですね。
私も、仕事上やらなければならない作業が沢山ある時期で、申し訳ないけれど橋蔵さまの作品もゆっくり見ていられない時となります。
クリスマス、忘年会、旅行と楽しい行事が待っている方が羨ましくなります。

12月に入ると、橋蔵さまの命日そして私はまた一つ年を取ります。
私の生命がある限り、橋蔵さまと私は天と地で・・・絶対橋蔵さまの命日は忘れることはない。
橋蔵さまは33回忌ですので、一般的には仏教では年忌法要を終了する弔い上げとなり、極楽浄土、苦しみのない世界にやっと行けるのですね。私はこれからは橋蔵さまの生誕を数えることにいたします。
橋蔵さまが私の心の奥に残してくださった映画、舞台、舞踊は焼き付いていますから、古に逆戻りをして、もっともっと思い出していきたいと思っています。

思い出します・・12月は東京歌舞伎座で「恒例大川橋蔵特別公演」が1967年(S42年)~1982年(S57年)まであり、楽しませていただきました。映画だけでなく生の芝居と舞踊を何回も見せていただけたこと、橋蔵さまのファンとして橋蔵さまの充実した時を一緒に歩むことができたことに本当に幸せだった、感謝しています。
神田明神での恒例のお参りも楽しみにしていたものです。
あの笑顔が絶えない平次親分がそこにいたのですから・・。(1の画像)

笑顔の素敵な橋蔵さまは勿論好きですが、こういう表情の橋蔵さまに私は魅力を感じます。私の好きな一枚です。(2の画像)

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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