このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
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✱「鮮血の人魚」ロケ風景✱ #2018.1.15
若さま侍捕物帖「鮮血の人魚」の放送は最近は10月にありましたが、遅ればせながら、雑誌からロケ現場の様子の画像を見つけましたので、皆様もロケ現場を見て、作品の場面を思い出して見てください。
人魚のコスチューム、尾張城のミニチュア、花火大会と強行スケジュールでの撮影の初のカラー作品として話題になった「鮮血の人魚」は、京都市街を見渡せる花山天文台付近でのロケを最後にクランク・アップしたようです。
その時の、周りにどれだけの人が、どのように配置して撮影がなされているのか、写真をみつけました。画像から何となく雰囲気を分かっていただけるでしょうか。
作品の中を見ていても、若さまが下の道での出来事を覗く場面で、風が強いのが草木を見ていて分かると思います。
写真の場面は、うつぼ姫の巡礼と間違えられて、利倉屋一味に取り囲まれ、あわやという時に若さまが助けに入るというくだりのところ。
この前に、巡礼姿の若水さんと霧島さんが、仕込み杖を抜いて立回りのリハーサルが始まりました。が、下を見れば断崖絶壁の場所、刀も思うようにならず、折からの強風にあおられて、ふらふらの立回りになりました。下をちらっと見た霧島さんは顔面蒼白になってその場に座りこんでしまいます。
「若さま、早く助けに来て!!」まさにその心境です。
いよいよ本番。足を滑らせ転がりながらの大熱演だったようです。二人の八方破れの殺陣に男性軍の負傷者続出で大変。
「女性の八方破れの構えは、一文字崩しより手ごわい。窮鼠猫を噛むとはよく行ったものだ」
と、見ていた橋蔵さまが言ったかどうかはわからないですが、そのような心境で見ていたのでは。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱撮影余話です✱ #2018.1.15
武蔵に劣らぬ橋蔵さまの秘技
ブログの方で「鮮血の人魚」の掲載が完了していますので、ちょっと季節が外れますがご容赦ねがいまして・・・、面白いお話を。
若さま「鮮血の人魚」が京都近郊にロケに出て、天気の状態を待っているあいだに、橋蔵さまのちょっとした秘技?が初めて公開?され、スタッフ連中の喝采をはくしたそうです。
深田監督と橋蔵さまが若さまの十八番、秘剣”一文字崩し”について語り合っているうちに、話は発展して剣豪宮本武蔵の有名な”ハエつまみ”の一件が問題になったそうです。
有名なくだりです・・・むさくるしい田舎家で食事を出された武蔵が、ご飯に群がったハエを次から次へと箸でつまんでは捨て、周囲の人を驚かしたという神技のことです。
「あのことが事実だとすれば、やはり武蔵は剣の達人だね」と、深田監督がしきりに誉めたてるのを聞いていた橋蔵さまが、
「いや、そうおっしゃられると、私も相当なものですね。ハエはどうだかわかりませんが、バッタならこのとおり」と言うなり、
手にしていた扇2本を巧みに操って、足元の草かげからバッタをひょいと摘み上げて見せたのです。1匹・・2匹・・3匹・・と次々に摘み上げる橋蔵さまの秘芸?に一同呆気に取られて見守るうちに、陽が照り始めて撮影開始となりました。
橋蔵さま、誠に鮮やかな秘技でした!!
画像は太陽の出てくるのを待っている橋蔵さまと監督とスタッフさんたちの様子です。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱仲良しコンビ✱ #2018.1.12
(いつものように、所々引用を入れての私なりの文章になりますので、ご了解願います)
今回は、映画でのコンビについて話しましょうか、・・・1958年頃、各映画会社には、〇〇コンビといろいろなコンビがありました。息の合った相手を迎えることで、共演者であったり監督であったり、1プラス1が3にも4にも5にも10にもなるといいます。
他の人達はおいといて、橋蔵さまとの名コンビは誰なのでしょうか。
そんなことわかっているでしょう、と言われてしまいますね。橋蔵さまが映画時代の名コンビは美空ひばりさんですね。橋蔵さまは、ひばりさんを相手役に迎えることにより、橋蔵さまの持っている魅力が、二倍にも三倍にもなってスクリーンで発揮されます。これがコンビの不思議なところだそうです。
ある映画雑誌で1957年暮れからの男優女優別人気投票の結果が1958年春に発表になりました。結果はどうでもよいことなのですが、この時の投票用紙に橋蔵さまやひばりさんの投票の用紙には、この二人の名前を書いた票が非常に多かったということです。橋蔵さまのファンであり、同時にひばりさんのファンでもあるという・・・トミイ・マミイコンビのファンの人が非常に多かったということになるのです。
「笛吹若武者」の撮影から仲良しコンビぶりはご存知の通り。
すぐにお互いにあだ名をつけて、コンビができあがりました。そして「「ふり袖太鼓」まで2年間に7本のコンビ作品を作りヒットしました。作品では二人は恋人同士で、ある時はいがみ合い、喧嘩別れをし、ある時は主従であり、と色々ですが、結局は美しく結ばれるというハッピーエンドで名コンビぶりを見せてくださいました。
橋蔵さまとひばりさんは、会えばこんな風に、ある日の会話だそうです。
「なーに、そのいで立ちは?」
「何って、野球やるんだよ」
「ああそうか、野球やんのか、モンペなんかはいているから、畑仕事でもやるのかと思っちゃった」
「グァゥ・・・」(言葉にするとこんな感じ)
二人が会えば必ず憎まれ口というか口喧嘩?・・という風で、「ふり袖太平記」の新太郎と小浪を感じさせ、冗談が出るところは「若衆変化」の川島源次郎とお七を感じさせます。
普段でも仲が良いのですから、スクリーンでぴったり息の合うのも当然な仲なのです。
「トミイ、久しぶりね」
「トミイったら、4か月も顔を見せないんだからね」
ひばりさんとお母さんが口を揃えて橋蔵さまにこう話しかけたのです。ひばりさんが久しぶりに京都撮影所に撮影できたときのことでした。
「ふり袖太鼓」以来、本当に久しぶりに会った二人は、時の経つのも忘れ話しこんでいました。
食事に行って語り、ひばりさんのお宿に帰って語り、本当に仲睦まじいひと時を過ごされたようです。1957年の暮れには、二人とも同じ撮影所で、お正月作品で頑張り、仕事が早く終われば、お宿に訪れたり訪ねられたりと、4か月のブランクを取り戻すかのように語り合っていたということです。
橋蔵さまの野球チーム「大川ブリッジ―ズ」誕生には、雑誌「トミイ・マミイ特集」で約束した選手お揃いの「ブリッジ―ズ」のグランドコートをプレゼントしたということです。
橋蔵さまは朗らかな性質、ひばりさんも気がおけない人とならどんどん話したりする明るい性格。こういう性格面での一致が、名コンビを作りあげた要因の一つとであったかもしれませんね。
✱ファンが知りたい質問(2)✱ #2018.1.8
今日は成人の日。我が町は曇り、そのうち霙がふるというウェザーニュースが入ってきています。
橋蔵さまは、お正月の時期は、映画撮影がお休みだったので、普段行けない地方へ”ご挨拶”と銘打って地方公演に行っていましたね。雪が降っている町に行く時は完全防備の橋蔵さまでした。 汽車が停車する駅には、橋蔵さまが乗ってくる汽車が着くとファンがフォームで待っているので、橋蔵さまは笑顔での対応で答えます。あるとき、東京での催しが終り、夜行で地方へ出る時に風邪気味で体調が悪い状態で汽車に乗りました。途中その町の後援会のファンの人達がフォームで待っている駅に着くあたりになると、デッキ近くにうずくまってぐったりしていた橋蔵さまは、その様子を全然見せずいつもの笑顔で答えていたそうです。このあたりの橋蔵さまらしい四方山話はそのうちに・・。
では、1/4の続きになります。
🚢〈経験について〉
① 人をぶったことはありますか?
舞台当時は短気でよく喧嘩をしましたから・・・
② 七五三の想い出は?
ありません
③ もっとしておきたかったことは?
学校の勉強をもっとしておきたかったと思います
④ 他人より多い経験は?
小さい時から大人の社会に入っていたという事かな
⑤ 怒りたくなるときは?
マネージャーを相手に怒ります。仕方のないことですが・・
⑥ 交通事故にあったことは?
小さい事故はありますが、とりたてて大きい事故にあったことはありません
⑦ 交番のやっかいになったことは?
小さい頃はよく泣くので、お巡りさんが「何かあったんですか」といってよく飛
んできました。それ以外交番とは関係ありません
⑧ 鼻緒が切れた時はいつもどうしますか?
直して履きました。裸足で飛んで帰ってくるというようなことはありませんでし
た
👒(そう言えば・・橋蔵さまは、下駄の歯がすり減っても履ける限り愛用していましたので、当然鼻緒もご自分で挿げ替えていましたね)
⑨ 今まで習った稽古ごとは?
三味線、笛、鼓、日本舞踊、長唄、常磐津、清元、義太夫、お茶などです
⑩ これから習いたい稽古ごとは?
乗馬です。撮影で必要に迫られていますので
⑪ 青春の最も愉しかった頃は?
映画界に入る一年前ぐらい(歌舞伎界でも将来を有望されて来た頃、そして結婚を
約束した人とお付き合いをしていたころかしら)
⑫ 青春時代に悔いありや?
あります。といってもまだ青春ですからね
⑬ 最も愉しかった思い出は?
過ぎ去った少年の頃の想い出はすべて愉しく思い出されます
👒 (優等生のご返事ですね)
⑭ 初めて映画を見た年齢は?
どこが初めてかわかりませんが、阪妻さんの「恋山彦」長谷川さんの「月下の若
武者」など見たのを覚えています
👒 (橋蔵さま8才~9歳頃に映画館で見たのですね。私がちょうど橋蔵さまを映画
館で見た年齢と同じ頃の年齢です)
⑮ 今まで行った旅先で最も印象的なところは?
京都以外では、北海道と大阪
⑯ 女性に恋された経験は?
女性の心はわからないので、本当に恋されたかどうかはわかりません
🚢〈恋愛感と結婚〉
① ラブ・レターをもらった時は?
舞台当時にありました
② 恋愛の経験は?
あります。何回だなんて聞くのは野暮です
👒 (先手を打たれてしまいましたね、これ以上踏み込めなくなりましたね)
③ 見合いの経験は?
ありません
④ 女性に紹介された時はまずどこをみますか?
まず目です。それから全体の感じとか洋服の趣味など・・
⑤ 結婚はいつ頃?
当分しないでしょう
(・・ここは少し省略しますね・・)
⑥ 子供は何にしたいですか?
好きなようにさせます
🚢〈趣味とスポーツ〉
① 趣味は?
昔よくやりましたが、まあ釣りでしょうか。それに囲碁
② 主に親しんだスポーツは?
野球
👒 (橋蔵さまは、歌舞伎時代も野球チームに入っていました。それは、外に出て日に当たることが少ないので、健康維持のためにやり始めたの がきっかけだそうです。それがやっているうちに面白くなってきたようです。錦之助さん達と東映のチームを作り、俳優人の野球大会でファンを楽しませてくださいました)
③ 現在は?
暇がないのであまりやりません
④ 運動神経は?
発達しているほうです
👒 (運動神経の良さは、作品の中でも発揮されていますね。それに橋蔵さまは、高いところや危なそうなところでも平気で登ったり立ってみたりと、ハラハラするようなことをやってしまうのです)
⑤ 持っているスポーツ用品は?
ゴルフの道具ぐらいです
⑥ 趣味のどうぐは?
囲碁位で、ほとんど家にはありません
⑦ 読書の傾向は?
時代物の小説、原作探しも兼ねています
⑧ 歌謡曲が好きですか?
三美智也さんとひばりちゃんです
⑨ 自分の曲は何が好き?
好きな曲はありません
🚢〈その他〉
① 出演作品は何本?
二十一本
② 好きな作品は?
「若さま侍捕物帖」
③ やりたい役柄は?
若さま役、それから「昨日消えた男」のような明るい長屋ものがやりたいと思い
ます
👒 (この映画はマキノ雅弘監督で長谷川一夫さん主演の映画です。そして、マキノ監督で、橋蔵さまはこの内容と同じものを「橋蔵のやくざ判官」としてやりました)
④ 煙草とお酒は?
煙草はすいません。お酒は適量
👒 (煙草は作品の中では吸う場面が多々あります。橋蔵さまのキセルの持ち方がきれいで大好きです)
⑤ 犬はすきですか?
好きです。東京の家にはスピッツが二匹います
👒 (男の子と母親のスピッツですね。京都には家を買ってから、三匹いましたね)
⑥ 好きな食べ物は?
肉類、天ぷら、うなぎなどの油っこいもの
⑦ 飲み物は?
最近はミキサーのジュースを飲んでいます
⑧ パン食は?
あまり好きではありません。やはりお米がいいです
⑨ アクセサリーは買いますか?
買います。ネクタイなどは自分で買ったもの以外しめません
⑩ もっとも親しいスターは?
ひばりちゃん、大友柳太朗さん
⑪ 京都のお家は?
一応ほしいと思っています
⑫ 京都の好きな場所は?
嵐山です
⑬ 汽車の中で何をしますか?
本を読んだり食堂車にいったり、あまり寝ないほうです
👒 (年代を感じますね、橋蔵さまは東京に帰るとき、地方のご挨拶に行く時は、仕事が終わってから動きますので夜行の汽車でした。大変でしたね)
⑭ 名物は何をかいますか?
ほとんど買いません
⑮ 知らない人に挨拶されたら?
微笑する程度で挨拶を返します
⑯ 共演したいスターは?
嵯峨三智子さん
⑰ 他社の撮影所に行ったことがありますか?
大映に行ったことがあります
⑱ 今日はこれから何をなさいますか?
長谷川さんの「月の渡り鳥」を見そこなっていたので、これから見に行こうとお
もっています。その前に買い物でもして
👒(「月の渡り鳥」は鯉名の銀平です)
⑲ こういうインタビューはお好きです?
えへへ・・・あまり好きではありませんね
ちょっと一服していただけましたでしょうか。
今年も橋蔵さまの作品をできる限り鑑賞したいと思います。
✱ファンとして知りたい質問(1)✱ #2018.1.4
三が日も過ぎ、今日から世間は仕事始めになります。
橋蔵さまの作品放送も始まりますね。
「ふたり大名」については何回も書いているので、私の見解は出尽したかしら。
「右京之介巡察記」については、はっきり言って難しいです。1月中には何か思ったことを駆けると思うけれど、自分の中で見たいという作品でないためか気が乗らないのです。この数年間に東映チャンネルでの放送作品でこんな思いは初めてです。橋蔵さまに問いかけて聞いてみたいくらいです。
ブログの方の段取りとしては、先月放送のありました「緋ざくら大名」を分析中です。加藤泰監督の画面に見せる構図に興味が出て、でも説明し難くて、先へ中々進めません。
では、1957年にタイムスリップして、今日は質問に答える橋蔵さまをのぞいてみましょうか。
1957年初め「修羅時鳥」の頃に橋蔵さまに聞いたもので、「水戸黄門」の撮影に入っている時に出たものからです。
この時期は、橋蔵さまの人気があがってきていた時ですから、各雑誌関係が、大川橋蔵という俳優を読者と密接にするために、ファンが興味ある実生活状況などの特集を沢山書いていた時です。1956年に質問していることと重複することが在るかもしれませんが悪しからず。
私が謝ることではありませんが、私も載せるのに前回と同じような質問は省いて載せたつもりですが・・・。橋蔵さまに質問状として雑誌が掲載した事柄から、私独断で編集、省略して掲載いたします。
橋蔵さまも色々な雑誌で、毎年同じようなことを聞かれ大変でした。でも、それだけ橋蔵さまの全てを知りたいという人が沢山いたということですから、人気のバロメーターになるのですから仕方ありません。
✎(古からのファンの方はご存知のことばかりかもしれませんが、のちにファンになった方は知らないこともありますので・・・)
⛵〈自覚について〉
① 男性として生まれていかがですか?
何にしてもいいてすね。夕涼みよくぞ男に生まれける・・の句のとおりかもしれません
👒(皆さんご存知でしたかしら・・・江戸時代に読まれた句です。内容は真夏の暑い日、お風呂に入ってさっぱりした後に、浴衣で縁側でゆったりとやすむ。浴衣をはだけさせて、団扇でパタパタとさせて夕涼み・・と言う訳らしいです)
② 男性としての自信は?
一般的な自信はあります。時代劇的にいえば、強きをくじき、弱きを助ける性格ですから
③ 貴方の長所は?
よく食べて常に健康でいられるということかな
④ くせは?
小さい頃からのくせで爪を噛むこと
👒(橋蔵さまは、やはり何処か寂しかったのですね、スタジオでも隅の方で寂しそうな表情をしていることがあったようです し。子供の時に爪を噛む癖ができるのは「母親に甘えたい」という心理が原因の一つだといわれます。そして大人になっても治らないのには「思い切り誰かに甘えたいという心理だそうです。また、完璧主義で細かいことが気になってしまう性格のひとにもでるようです」
⑤ 初めて羞恥心を感じたのは?
七つの時の初舞台でセリフを間違えて、お客さんに笑われ、ものすごく恥ずかしかったのを覚えています
👒(お客様が笑ったって・・どんなことを言ったのでしょう?・・でも可愛かったでしょうね)
⑥ 初めて将来の抱負を持ったのは?
五才の頃、舞踊家になろうと思いました
👒(この年で舞踊家にと思っていた橋蔵さまは凄いわね、本当に踊ること芸事が大好きだったのですね)
⑦ それ以来、将来の夢はどう変わってゆきましたか?
ちょっとそれてしまいましたね。それでも機会があればその夢を少しでも満たしている現在です
👒(橋蔵さまは、テレビ銭形平次をやりながら、特別公演の舞台で、歌舞伎での舞踊を披露していましたし、その頃に、将来はご自分の舞踊を作りあげたいというお考えを持っていたと思います。橋蔵さまは将来の歌舞伎界や舞踊界にも大切な方でした、残念です)
⑧ 映画俳優に一生をかけますか?
今のところそのつもりでいます。事業をしようなどという気は全然ありません
👒(ちょいと焼肉のお店を出した時期もありましたけれども・・芸能人ならやることでしたから)
⑨ 人気の由縁は?
わかりません。ことさら他人に聞こうともしませんし、人気を上げようともしていません
⑩ 私生活で改めたいことは?
まだ若いのですから、現在の境遇に甘えず、苦労を自ら求めるようにしたいと思っています
⛵〈身体に付いて〉
① 持病は?
ありません
② 入院の経験は?
小さい頃、一度だけ何かで病院に入った記憶があります
③ 身体で最も注意するところは?
肝臓
👒 (ご本人も一番気にしていた病名だったのですね)
④ 健康法は?
よく睡眠をとり、適当に食べること
⑤ 体に傷はありますか?
右の眉毛の中に、自転車で転んだ時につけた傷があります
👒(作品の中でも役のお化粧の仕方で、なるほどと分かる時がありますね)
⑥ 美容法は?
特別にありません
⑦ 自分の身体で気に入らない箇所は?
顔が小さいこと
👒(歌舞伎役者は、舞台に立っても顔が大きいと得するし、隈どりをするのにもよいと言われています。
映画でも時代劇は、顔が大きいと見栄えがするのは分かりますが、橋蔵さまはあの顔だから素敵なのです。橋蔵さまは目も小さいということが嫌だともいっていましたね)
⛵〈日課について〉
① 目が覚めてまずすることは?
顔を洗います。寝起きはいい方です
② 睡眠時間は?
九時間が理想的ですが、そうもいかないので困っています
③ 寝つかれぬ時は?
ウィスキーを一杯飲んでみます
④ 鏡を見るときまずどこを?
目です
⑤ 夢は見ますか?
よく見る方ですが、すぐ忘れてしまいます
⑥ 一日中で一番愉しい時は?
旅館に帰って寝るときでしょうかね
⑦ 一日中で一番いやなことは?
夜中にかかってくる電話
(橋蔵さまのファンであったら、常識で考えても、節度ある行動をお願いしたいものでした)
✱あの時代が懐かしいなあ、ちらほらと✱ #2018.1.2
皆様、お正月をどのようにお過ごしですか。
今日明日は、毎年恒例の箱根駅伝・・・今日は富士山もくっきりと空も晴れわたっています。苦しくても、襷をつなげるため一生懸命走る姿は感動ものです。
明日からは寒気がまた入り込み北海道、北陸は吹雪と大雪に、関東も強風が吹き荒れるという天候に変わります。これからが真冬本番になります。ご注意ください。
さて、夜のテレビは何があるか、NHK Eテレで本日初日の東京歌舞伎座と大阪松竹座を生中継で結んでの初芝居があるけれど、最近の歌舞伎俳優にはどうも襲名の重みが芸から感じられないし、若手も芸に新鮮さがないので(一応録画をしてみるか)気乗りがしない。
暮れに”俳優祭り”をやった時のを録画でやっていたけれど、これも面白味が私にはなかった。橋蔵さまが出演していた時代の”俳優祭り”は歌舞伎俳優、歌舞伎から映画俳優になった人達が出演しての壮大なものでした。あの時代は本当に良かったことがよくわかります。
そう言えば、お正月のテレビ特番フジテレビで「新春かくし芸大会」をやっていたことを、覚えている方や知っている方は少なくなったでしょうね。
審査員で、橋蔵さまが出ていた時のことを覚えていらっしゃる方はどのくらいいるかしら。まさか、審査員として出てくるとは思ってもいなかったから見逃した方もいらしたのではないかしら。また、何気なくチャンネルをかけていたら、「あらっ」橋蔵さまだとラッキーだった方も。
橋蔵さまが審査員の席にいた時は、芸能人がかくし芸をしているのはどうでもよかった。審査員席が移るのや審査員に感想を聞く時に集中していましたわ。何となく橋蔵さまのあの時の笑顔は覚えているような・・。2回位審査員で出たような気はしているのですが・・おぼつかない記憶です。
✱2018年も橋蔵さまとご一緒に参りましょう✱ #2018.1.1
🎍 あけましておめでとうございます
今年も橋蔵さまと皆さまと一緒に楽しい一年にしていきたいと思っております。
橋蔵さまに思ったことなどを皆様とお話していきましょう。
表題は「若さま侍捕物帖」のラストからの橋蔵若さま、サブ画像は「おしどり囃子」から菊次さんが獅子舞を舞う支度をしていくところです。
下の画像は、今年の私からの年賀状です。「おしどり囃子」の画像に合わせ、ちょっと遊んじゃいました。
ブログ”美しき大川橋蔵”私の想い出の方もお正月のご挨拶をしていますので
覗いてみてください。
表題画像は「若さま侍捕物帖」から皆で”おめでとう”のところからです。
サイド自由欄には”若さま”の剣が・・邪気を払って私達をまもってくださいますよ。
私の年賀状は、「海賊八幡船」の鹿門様に扮装した橋蔵さまが”宝船”に乗って福を持ってきてくださっています。
今年も、よろしくお願いいたします。
✱よい年をお迎えください✱ #2017.12.31
今年もあと少しになりました。
私は、この一年も仕事と橋蔵さまで過ごしてまいりました。
掲示板には、今度は橋蔵さまのどんなことを書こうか、こんなことはみな興味がないだろうと考えながら、いつも橋蔵さまのことで頭の中がまわっていました。
これは来年も続くでしょう。少しでも皆様に映画時代の橋蔵さまをもう一度振り返りながら、より知っていただければと、掲示板とブログに書いてまいります。
さあ、大晦日。この一年の嫌なことは今日で忘れ、新たな年へ向かいましょう。
「若君千両傘」の城太郎様に扮した橋蔵さまがお蕎麦をおいしそうに食べていらっしゃいます。私達も一緒にお蕎麦を食べましょうか。
ブログ”美しき大川橋蔵”私の想い出の方では、
「緋ざくら大名」の千代三郎様に扮した橋蔵さまが、橋の欄干に寄りかかりながらおいしそうにお蕎麦を食べています。よかったら覗いてみてください。
こちらからどうぞ 今年もあと少し、来年もよろしく
このサイト以外に多くの人が覗いてくださっています。掲示板に書いてみたいと思っている方は遠慮なくいらして!!橋蔵さまのことお話いたしましょう。
来年も、橋蔵さまのことを皆様と楽しく語らい、よい年にしていきたいですね。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱ 橋蔵さまを易から見た将来は?・・③✱ #2017.12.6
1957年の秋ごろの雑誌からのお話の最終になります。
★今後の橋蔵さまは・・
今後の橋蔵さんは、持っている良き社交性をもっともつと利用して伸びること、人から愛されることと信用を十分に応用することだ、と言っています。
芸の上でも社交の上でも変な引っ込み試案は禁物で、もっともっと相手の懐に飛び込んでいって何事も相談することが大切。
そして、良き参謀が必要、この影の参謀を得るか得ないかによって今後、特に32才過ぎ(1961年過ぎ)の運命に大きな影響が表れてくる、と言っています。
(ちょうど、演じるものが変わってきたあたりになります。)
一.対人関係として仕事上の共演者のことです。
ひばりちゃんと組んでの映画が多いようですが、この組み合わせはどうでしょう?
勿論、大吉、上々のく見合わせです。この二人が組むことによって映画は一段と面白くなることは間違いなしですが、この組み合わせは仕事上の関係がよいと判断するので、個人生活面では吉とはいえません。
仮の話ですが、個人生活で一緒になった場合、お互いがマイナスになるばかりで、けっして良好な面はでてきません。仕事の面で今後も組むことは良いことであり、組んで永くやって行くことが出来るでしょう。
千原しのぶさんとのコンビが良いとも言っています。
二.古巣の歌舞伎に戻るかどうか
当分復帰しないでしょう。恐らく彼は一生をこの映画の世界で活躍するでしょう。
しかし、もし復帰するとしたならば40才、41才辺りではないでしょうか。それ以外はないはずです。
三.副業
映画人はよく副業をやっていましたが、橋蔵さまの場合はどうでしょう。
運命学の面から観ると、橋蔵さんにとってあまり良いことではありません。特に、商売は大凶です。
✎(ご自宅から近い白川通りに、橋蔵さまは焼肉「橋亭」を経営しましたが、ある時期でやめました。値段はちょっと高かったような話を聞いたような)
橋蔵さんにいえることは、金銭がはいる割合に身につかないことです。ですから、他の俳優さんのように副業をやられることはおすすめできない。
お金が入っても、それだけ損という理に合わないことになるからです。
四.橋蔵さまの健康・・注意すること
橋蔵さんは身体に注意を要します。
体が弱いというよりも、病気になったときに、なかなか治りにくいといった宿命を持っておりますから、特に次の点には気をくばるようにしてほしいものです。
それは、過労による肝臓と腎臓の衰弱です。また、頭部に負傷を受けやすいこと、火傷、擦過傷等の場合には初期の十分な手当てが大切です。
✎(1958年になって、橋蔵さまは1か月ほど立回りができない怪我をしています。原因は謎・・・ご本人が自分の不注意と言っていますから・・それ以上は。今のようなエンタメがあったら大変なことだったでしょう。へたすると、立回りが出来なくなるぐらいの怪我でしたから。そして、治りにくい病魔に倒れます。)
古のことですから、こんなことも・・・と思っていただくだけにして・・・おしまいに。
✱橋蔵さまを易から見た将来は?・・②✱ #2017.12.4
前回の続きとなります。
今回は、映画人として、個人としての橋蔵さまを占っています。
当時、ファンが気になっている結婚についても話しています。
私としては、橋蔵さまの結婚について書くことは気が進まないのですが、個人的観念は抜きにして書きだしました。(ああ、やっぱり・・と思うこともありましたが)
しばらくして、橋蔵さまの結婚問題が数年、マスコミを賑わし、ついには橋蔵さまの俳優人生を脅かすまでの記事が溢れました。そして時代劇映画も衰退していき、やくざ路線にいってしまった東映に、橋蔵さまの主演映画はなくなっていました。その頃、家にいて娯楽を楽しめるテレビが時代劇制作をとテレビ界が動いていました・・・フジテレビが、その時おかれていた立場の橋蔵さまのいろんな面から、いいチャンスと思ったのでしょう?か、橋蔵さまにもオファーがありました。でも、しばらく東映側も橋蔵さまも断っていたようです。・・・しかし、いつまでも、時代劇映画が撮れないのでは・・・フジテレビは橋蔵さまがだめならと、ある俳優さんに声をかけてもいましたが・・。周りの人もこれからはテレビだと言い、橋蔵さまも当時おかれた状況から将来を考え、踏み切ったのでしょう。橋蔵さまがテレビに行くということを耳にした東映の人達や俳優陣は、何故、やはり、と陰でいろいろな事が流れたようです。お茶の間に出るには、身辺を綺麗にしなければならなかった。そのため、慌ただしくマスコミに正式に結婚という場を設け決着をつけました。
✐(数年かかって橋蔵さまが出した結論でした・・当時聞いて喜ばしいことなのですが・・・)
では、当時の易からの橋蔵さまの今後の人気と結婚は
★今後の人気
今現在(1957年 28才)盛運の一途をたどっており、まだまだ伸びます。
年齢的には、50才(1979年)迄は好調ですが、特に、42才(1971年)迄素晴らしい運気を持っています。ただ、昭和34年(1959年)は、彼の個人的にみた運気の一大変化のある年ですから、よい意味にも悪い意味にも充分の注意が必要で、これはファンに変わって橋蔵さんに一言申し上げておきます。
勿論、33年(1958年)、34年(1959年)は橋蔵さんにとって発展の時ですから、ファンからみた人気のめんでは今よりも素晴らしいのですが、橋蔵さんには一つの個人的変化の時となるのです。おそらく、芸の上の悩みと家庭(結婚)の問題でしょう。
昭和34年(1959年)は芸の上で転機を迫られる年です。
自分から成長への一つの大きな飛躍の年で、(聡明な彼のことですから)文句なしによい意味の一大変化をとげ、芸の上でも人気の上でも、大きな成果をあげることでしょう。
昭和35年(1960年)、昭和36年(1961年)は、橋蔵さんにとって注意をする年、即ち健康に注意することです。
★結婚は
橋蔵さんの結婚はどうでしょう。
昭和34年(1959年)に結婚問題がおこる可能性があります。しかし、この年の結婚話はまとまるまとまらないという点は別として、多少の問題がおこります。
前のも述べたように、昭和34年(1959年)の変化期はこうした意味からも大切な時期といえます。結婚は恋愛結婚、社交的で明るい性格のわりに、考えは地道で堅実。
ですから、遊戯的な恋愛でなく、微笑ましい清純な愛をもって結婚へゴールインすることでしょう。
結婚後は、映画人にありがちの乱れた家庭生活を送らない、非常に家庭的な生活を送る、女性の誘惑に負けない、ことなどの美点が判断されます。
(橋蔵さまのよき相性となる結婚相手の生れ月2通り、そして容貌からはふっくら型とほっそり型があげられています・・省略)
どちらかというと、橋蔵さんのようなタイプの人には、ほっそり型の方がうまくいくものです。映画を例にとって夫婦見立てをすると千原しのぶさん、嵯峨三智子さんのような人になります。
このような人と一緒になれば、彼の内向的な性格と表面の明るい社交性を、十分にくみ取って内助の功百点という恵まれた家庭生活を送ることになります。